『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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8-モーリvsムラナカ ②

 貼り付けられたトーナメント表の前には、携帯端末を持った生徒達が人だかりになっている。

 会場は独特の熱気に包まれていた。ポケモンバトルがそれほど大きな関心を集める文化ではないこの地方においても、今回の新人戦の決勝は一つの話題を生んでいると言っていいだろう。

 決勝の舞台に立つのは、どちらも一年生。しかも、片方はこれまでの試合を圧倒的な力で勝ち抜いてきたリオー高校のカザ、そしてもう片方はいまだのその活躍が記憶に新しいライモン高校のモーリ。二人の対戦に会場の視線が集まっていた。

 

 

 

 

「見ろよ、監督。ここまでノーダメージみたいなもんだぜ」

 

 観客席、リオー高校のために区切られた一角にて、カザはヤマサキに語りかけていた。

 決勝進出者であるのに、カザの周りには同年代の生徒達はいない。それは彼のリオー高校での立場を表してもいたし、彼はそれをむしろ誇り高いことだと思っていた。

 

 彼は椅子に腰掛けながら、顎を軽く上げて笑っている。その声には自信がみなぎり、戦績を振り返るまでもなく、自分が勝つのは当然だと言わんばかりだ。

 

「このまま、モーリもやっちまうぜぇ」

 

 ヤマサキは目を細めてカザを見た。その口元には微かな苦笑が浮かんでいる。

 

「お前な、その余裕がいつか足をすくわれるんだよ。今回もそうかもしれん」

「監督ぅ、それ本気で言ってんのか?  俺が負けるなんて想像つかないだろ、ここまでノーダメージだぜ」

「そうだな、だったら質問だが、ダメージを受けたときにどう立ち回るか、練習以外での経験は?」

 

 カザはヤマサキの言葉に少しムキになり、軽く肩をすくめて見せた。だが、ヤマサキは肩をすくめ返すこともなく、落ち着いた口調で言葉を続ける。

 

「あいつの戦い方はお前がこれまで相手にしてきた奴らとは違う。カザ、お前の『暴力』は大したもんだし、ウチでも、この大会でも、それ一本でここまで上がってきた。それは素晴らしいことだが、あいつはその『暴力』を崩す術を持っている」

 

「崩す術?」

 

 カザは鼻で笑ったが、ヤマサキの言葉がどこか胸に引っかかる。ヤマサキは腕を組み、真剣な表情でカザを見据えた。

 

「ありゃ大したタマだ。どれだけ相手が攻めてきても自分のペースを乱さない。今まで通りの戦いが通用するとは思わない方が良い」

「はっ、俺達はこれでここまで来たんだよ、アホの父親も、馬鹿の先輩も、そうやって潰してきたんだ。俺たちゃこの戦い方に自信がある」

 

 カザはそう言い放つが、その声には少しだけ苛立ちが混じっている。

 

「いいか、カザ。お前がどれだけ自信を持っていても、俺は監督としてアドバイスするのが仕事だ。それを聞くかどうかはお前次第だがな」

 

 カザは腕を組んだまま目を逸らし、少しだけ考える素振りを見せた。

 

「分かったよ。分かったけど、あんたも知ってるだろ。俺は将来のリーグチャンピオンだぜ、こんなところでけっつまづくわけないだろ」

 

 ヤマサキはカザのその言葉を聞いて、小さく笑った。

 

「その意気込みは悪くない。だが、ポケモンリーグを目指すなら、ここでつまづかないためにもちゃんと考えろ。お前ならできるはずだ」

 

 カザはヤマサキのその言葉に対して答えず、ただ静かにうなずいた。そして彼の目はすでに決勝の舞台を見据えていた。

 

 

 

 

 観客席、ライモン高校に与えられた一角で、決勝を待つ静かな空気が漂っていた。

 スズモトはクーラーボックスに腰を掛けながら、目の前で座っているモーリをじっと見つめていた。彼はいつもと変わらない落ち着いた様子で、何かを考えているようにも見えるし、何も考えていないようにも見える。

 

「ねえ、モーリ君、本当に緊張してないの?」

 

 スズモトが小さな声で問いかけると、モーリは視線を軽く上げ、首を横に振った。

 

「緊張してないよ。いつも通り」

 

 その答えにスズモトは小さく笑った。けれど、その笑顔にはどこか曖昧な色が混じっていた。

 

「そっか」と相槌を打ち、スズモトは少し沈黙する。その先を言って良いものかどうか、少し考える。

 

 そして、彼女は顔を上げて言った。

 

「なんかモーリ君、ちょっと違う気がする。いつもより静かっていうか」

 

 モーリは彼女の言葉に答えず、一瞬だけ目を伏せた。それから、軽く肩をすくめる。

 

「別に変わったことなんてないよ。ただ、ここまで来たんだなって思ってただけ」

 

 それは嘘ではなかった。だが、それだけではないこともモーリは分かっていた。

 高校の部活の大会、それも新人戦の決勝という舞台。周囲は期待と興奮に包まれている。だが、自分はその空気の中でどこか居心地の悪さを感じていた。

 頭の片隅に浮かぶのは、自分がすでにカントーで得た経験の数々。

 そんな自分が、この場所に立つことにどこか引け目を感じていた。

 それを言葉にすることはできないし、するつもりもない。ただ、その感情が心の中で静かに渦を巻いているのを、モーリは認めざるを得なかった。

 

 スズモトはモーリの様子をじっと見ている。そして、彼の微妙な沈黙やわずかな表情の変化から、その内側にあるものを感じ取った。

 彼女はそれを「決勝前の緊張」だと解釈した。そうであってほしいと願うように。

 

「ねえ、モーリ君」

 

 スズモトは優しく声をかけた。その声は少しだけ弾んでいて、どこか明るさを意識しているようだった。

 

「私、モーリ君ならきっと勝てるって信じてる。だから、うん、リラックスして、いつも通りやればいいんだよ」

 

 モーリは彼女の言葉を聞きながら、少し驚いたようにスズモトを見つめた。彼女の大きな瞳には、自分を信じる純粋な気持ちが映っているようだった。

 彼は少し返答に時間をかける。それに対してどう答えるのが正解なのか、現代国語の成績は悪くないはずなのに、彼は悩んだ。

 

「ありがとう」

 

 それだけ言って、モーリは短く息を吐く。

 彼女がこんな風に、自分を真っ直ぐに励ましてくれることが、どこか眩しく感じられた。

 自分が何か特別な存在であるかのように扱われることに、少し居心地の悪さを感じつつも、その気持ちはどこか温かい。

 

 その時、後ろからムラナカの声が飛んできた。

 

「勝てるよ、絶対に」

 

 モーリが振り返ると、ムラナカが控えめな笑顔を浮かべて立っていた。その隣にはタケダもいる。

 

「モーリさん、サクッと勝っちゃってくださいねぇ」

 

 タケダがニコニコと笑いながら続ける。その明るい声に、モーリは肩の力が少し抜けるのを感じた。

 

「ありがとう。期待に応えられるように頑張るよ」

 

 モーリが短く答えると、ムラナカが軽く拳を握り、無言で彼を応援するような仕草を見せる。

 

 最後に、監督のサイトーが軽い足音を立てながらモーリに近づく。

 腕を組んでモーリを見下ろしながら、彼女は口元に少しだけ笑みを浮かべる。

 

「ま、楽しめよ」

 

 その一言は、重くもなく、軽すぎるわけでもなかった。ちょうど良い言葉の重さが、モーリの胸に静かに響く。

 

「分かりました」

 

 モーリは立ち上がり、簡潔にそう答えた。サイトーが手を振る仕草を見せると、スズモト、ムラナカ、タケダが「頑張ってね」と声を揃える。

 スズモトは、彼が決勝戦に向かうその姿を、どこか誇らしげに見つめていた。

 

 

 

 

 対戦場の中央で、モーリとカザは向かい合って立っていた。会場のざわめきは一層大きくなり、観客席のあちらこちらから二人を指差すような声が聞こえる。リオー高校の私立らしい洗練されたユニフォームと、いかにも不良然としたカザの金髪や緩んだネクタイ。その対照的な姿は、公立高校の地味で目立たない生徒のようなモーリと並ぶことで、さらに際立って見えた。

 

 モーリは、観客席のざわめきに特に注意を払う様子もなく、淡々とカザに視線を向けていた。カザの方は、相変わらずの自信に満ちた態度で、その場に立つことが当然とでも言いたげな雰囲気をまとい、モーリをわずかに見下ろしている。

 

「お前、やるじゃん」

 

 カザはモーリに向かって軽く顎をしゃくりながら言った。その言葉に挑発的な響きはなく、むしろ素直に相手を称えるような響きがあった。だが、その態度にはどこか自信過剰な余裕が漂っている。

 

 モーリはその言葉を受け流すように軽く頷いただけだった。カザの視線の奥にある熱を感じ取りながらも、彼の中では冷静な考えが巡っていた。

 カザのその自信満々の態度は、彼の本質なのだろう。それを崩してしまえば、彼は戦うための軸を失ってしまうのかもしれない。カザは自信を前面に押し出し、それを武器にしてここまで勝ち上がってきた。それが彼の戦い方なのだ。

 

 だが、モーリは知っている。

 トレーナーは、いずれ必ず負ける。

 どんなに強い者でも、どんなに勝ち続けた者でも、いつかは敗北を味わう。それがトレーナーというものだ。そのとき、自信という武器だけを頼りにしていた者はどうなるのだろうか。

 

「お前さ、ちょっとクールすぎねえか?」

 

 カザが、モーリの静かな様子に気づき、首をかしげながら呟いた。

 その声には、困惑と苛立ちが混じっている。

 彼にとって、バトルは感情をむき出しにして戦うものだった。自信でも恐怖でも傲慢でもなんでも良い、戦うということは、感情をぶつけ合うことだ。

 だが、目の前のモーリは、まるでその感情を隠しているように見える。

 

「こんな寂れた地方の新人戦とはいえ、決勝だぜ? しかも俺が相手だ、なんか思うことねえのかよ」

 

 カザの問いは、純粋な疑問から来るものだった。だが、同時に、それは彼自身の価値観に対するモーリの態度への反発でもあるのだろう。

 モーリは一瞬だけカザの目を見つめ、それから静かに言葉を口にした。

 

「いい試合をしよう」

 

 それだけを言うと、モーリはカザから目を離し、ゆっくりと距離を取った。その背中は相変わらず落ち着いていて、まるで重圧というものを感じていないかのようだった。

 カザはその様子に、初めて胸の中に彼に対しての小さな苛立ちを覚えた。

 これまで戦ってきたどの相手とも違う。モーリのその態度が、無意識のうちに自分を否定しているようにも感じられた。

 

「つまんねーやつ」

 

 呟くカザの声は、観客席のざわめきにかき消された。

 

 彼らの距離が離れていく。

 

 

 

 

「『ねこだまし』」

 

 繰り出されたブニャットは、スプリントを駆使して相手に突っ込む。

 カザの相棒であるシザリガーは、飛び込んできたブニャットに対して取り乱すこと無く、怯みながらもその攻撃を小さなダメージだと割り切っているようだった。

 

 そして、シザリガーはすぐに敵を捉える。

 

「『クラブハンマー』!」

 

 カザの鋭い声が響く。

 シザリガーがその巨大なハサミを振り上げ、ブニャットに振り下ろす。

 

「『まもる』」

 

 モーリの冷静な指示に、ブニャットが素早く動き、それを背面で受ける。

 シザリガーの巨大なハサミがその防御に弾かれ、観客席に鈍い音が響いた。

 

 ブニャットに比べて、シザリガーは鈍重である。

 カザもブニャットを追おうとは思っていないだろう、飛び込んできたところを迎撃するはずだ。

 事実、これまでもそうやって勝ってきた。圧力を武器に焦った相手を叩き潰すやり方で、カザ達は勝ち上がってきたのだ。

 故に、モーリとブニャットはステップを踏んで距離を離そうとする。

 だが、カザはそれを読んでいるようだった。

 

「『アクアジェット』」

 

 高圧の水流を吹き出しながらシザリガーが一気にブニャットとの距離を詰め、体当たりで攻撃する。

 それは小さな攻撃だったが、距離を取るというモーリ達のプランを崩すには十分だっただろう。

 事実、彼らは一瞬だけ息を呑んだような気がした。

 

「『クラブハンマー』!」

 

 眼下にあるブニャットに向かって、シザリガーがハサミを振り上げる。

 カザは、自分達が戦局のペースを握っていることを確信していた。

 このまま、自信に、怒りに、傲慢に身を任せて攻撃を続ける。

 そうやって勝ってきた。

 

「『みがわり』!」

 

 その攻撃が届くよりわずかに先に、ブニャットは自らの体毛を少しだけちぎって囮とした。

 シザリガーのハサミは囮ごと地面をたたき、それはその中規模の対戦場にふさわしくない地鳴りを響かせる。

 一瞬、シザリガーの目線からブニャットが外れた。

 

「『のしかかり』」

 

 自身の後ろ足に衝撃、そして、何かが軋む音が肉体を通じてシザリガーの聴覚に届いた。

 巨体がかすかによろけ、その動きがわずかに鈍る。

 足の付け根にのしかかられた。

 痛みを感じながら振り返ると、ブニャットが再び視界の外に消えようとしている。

 逃さん、と、ハサミを持ち上げると同時に、相棒の指示が届く。

 

「『インファイト』!」

 

 振り下ろした。

 叩きつけるように、叩き潰すように、すりつぶすように、

 だが、その感覚は、乏しい。

『のしかかり』によって『まひ』した足は、ほんの僅かな差でブニャットを逃がしていた。

 

 ブニャットが驚異的な反射神経でシザリガーの攻撃を回避し、その側面へと素早く移動する。

 モーリは、当然のように次の指示を出した。

 

「『いかりのまえば』」

 

 硬い外殻の隙間、わずかに覗いているシザリガーの柔らかい部分に、ブニャットの牙が突き刺さる。

 外殻の中を響き渡るような悲鳴が対戦場に響いた。

 その声を聞きながらも、カザはなんとか抵抗を試みる。

 

「『ハサミギロチン』!」

 

 最後の最後、カザはその大技にすべてをかける。

 だが、痛みとしびれに耐えてシザリガーがハサミを振り上げるよりも先に、ブニャットの攻撃が届く。

 

「『じゃれつく』」

 

 ブニャットがシザリガーに跳びかかり、その巨体に絡みつくようにしながら一連の連撃を繰り出した。

 シザリガーの巨体が揺れ、次第にその動きが鈍くなっていく。最後の一撃が決まると、シザリガーの膝が地面につき、そのまま崩れるように倒れた。

 

「シザリガー、戦闘不能!」

 

 審判が旗を上げ、声を張り上げた。

 それに反論するものはいない。

 観客席は歓声をもってそれを受け入れている。二人が見せた試合運び、とても一年生のものには見えなかったからだ。

 

 カザは地面に横たわるシザリガーをじっと見つめていた。その視線には敗北の悔しさと、憤りと、それを受け入れられぬショックが感じられる。

 

 彼の脳裏にあったのは『じゃれつく』という技の存在だ。

 その技を打った事自体に疑問はない。高威力のフェアリー属性の技だ。あくタイプのシザリガーにそれを打つのは理にかなっている。

 だが、それならどうして試合序盤に打たなかった。そうすれば、もっと試合を有利に運べたのではないか。

 否、それよりも、これより前の試合でもいくらでも打つ機会はあった。特にあのエビワラーとの試合など『つばめがえし』をするくらいなら、あそこで。

 そこまで考え、彼はようやく気づく。モーリとブニャットが『じゃれつく』という一撃を最後の最後まで温存していたことに。

 

「クソがよ」

 

 カザは口元を引き結び、拳を握りしめる。

 だが、それを振るうことはなかった。

 勝敗こそが、彼にとっての価値観であった。

 負けたのだ、自分は。

 

 

 

 

 試合終了後、対戦場の中央で審判の指示に従い、モーリとカザは再び向き合った。会場はまだ熱気に包まれている。観客席のざわめきが、二人の間に流れる独特の静寂を引き立てていた。

 

 カザが手を差し出す。その手は大きく、力強さを象徴するかのようだった。モーリはためらうことなくその手を取ったが、握った瞬間、思わず眉を僅かにひそめる。手が軋むのではないかと思うほどの握力。カザの敗北を悔しがる感情が、その握手に込められているのがはっきりと分かった。

 

 力を込めたまま、カザが真っ先に口を開く。

 

「『じゃれつく』、温存してたのかよ」

 

 その問いはまっすぐだった。疑いもない。ただ、その声色には、苛立ちと共にわずかな尊敬の念も感じられた。

 モーリは少し間を置いて、答える。

 

「一回戦目の君とシザリガーの立ち回りを見てから、できることなら温存したかったんだ」

 

 その言葉を聞いたカザは、一瞬目を細めてモーリをじっと見つめた。その視線には、驚きと呆れが入り混じっている。

 

「ふぅん、意外とずる賢く考えてんだな」

 

 カザの声には、皮肉交じりの調子が含まれている。だが、その裏には認めざるを得ない気持ちもあった。モーリの冷静な立ち回りだけでなく、勝つための戦術を徹底して練る姿勢に、彼は驚きを隠せなかった。

 モーリはカザの言葉を受け流すように少し肩をすくめた。そして、ほんの少し笑みを浮かべながら短く答える。

 

「負けず嫌いなんだよ」

 

 その言葉に、カザは目を見開き、それから少し苦笑した。モーリの人となりが、また少し分からなくなったような気がする。

 だが、冷静に見えながらも、しっかりと勝利のために考えを巡らせているのだということを理解し、それはどこか、モーリそのものも自らの仲間であるかのように思えて、彼は救われたような気がした。

 

 カザは少し黙った後、モーリの手をより強く握り直す。そして、握手を終えるとその手を離し、モーリの目をまっすぐに見据えた。

 

「次は負けねえよ」

 

 その言葉には、カザ特有の強気な自信と、負けた悔しさを胸に秘めた新たな決意が込められている。

 モーリは軽く頷き、カザの視線を真っ直ぐに受け止めた。観客席のざわめきが少しずつ落ち着く中で、二人の間に交わされた言葉は、熱を帯びたまま静かにその場に残った。

 

 

 

 

 観客席の一角、リオー高校のために用意された区画にカザが戻ってきた。

 試合直後の熱気がまだ残る会場の中で、彼の表情は一様に険しいままだ。

 握りしめた拳が少し震えているのが見て取れる。そんなカザに、同じ一年生のチームメイトが声をかけた。

 

「お疲れ、カザ。惜しかったな、でもすごい試合だったよ」

 

 その言葉に、カザはちらりと振り返るだけで、ぶっきらぼうに答えた。

 

「負けたんだから、意味ねえよ」

 

 それでも、その言葉にどこか力が入っていないことは明白だった。しばらく黙り込んでいたカザだったが、観客席に座り直してから、彼にしては珍しく申し訳無さそうにぽつりと呟やく。

 

「……無駄な時間を使わせて悪かったな」

 

 その声は思った以上に小さかった。自分自身の言葉に戸惑っているのかもしれない。それでも、確かにその言葉は発せられた。

 その言葉に、声をかけた一年生は少し驚いた表情を見せたが、すぐに笑って首を横に振る。

 

「何言ってんだよ、いい試合だったよ。みんな興奮してたぜ?」

 

 その励ましの言葉に、カザは眉をひそめ、不機嫌そうに黙り込んだ。言葉を受け取る余裕がないのだろう。

 一年生も、そんな彼の様子を見て離れていった。あれだけ自信のあった男だ、敗北には思うところがあるのだろうと思っていた。

 

 その様子を少し離れたところで見ていた監督のヤマサキが、腕を組んだままゆっくりと近づいてくる。彼はカザを見下ろすように立ち止まり、口を開いた。

 

「何が起きてもおかしくない試合だった」

 

 ヤマサキの声はいつものように落ち着いていて、特別な感情を込めた様子はなかった。それでも、その言葉には確かな評価が含まれているのが分かった。

 カザは顔を上げる。険しい目つきのまま、短く問いかけた。

 

「俺の、何が悪かったんすか」

 

 その問いに、ヤマサキは一瞬だけ視線を遠くに向けるようにしてから、再びカザに向き直る。

 

「モーリのほうがレベルが高くて、洗練されていた。それは事実だ。でも、それだけじゃない」

 

 ヤマサキは少し間を置き、言葉を選びながら続ける。

 

「あえて言うなら、お前には慢心があった。自信を持つことはいいが、それが行き過ぎると判断を鈍らせる。序盤、お前がブニャットの動きを見誤ったのは、そのせいだ」

 

 カザは口を開こうとしたが、言葉が出てこなかった。反論したい気持ちもあるが、ヤマサキの指摘が的を射ていることを理解していたからだ。

 だが、ヤマサキはそんなカザの表情を見て、少し笑みを浮かべる。

 

「ただな、お前が『ハサミギロチン』を選択した場面。あれは良かった」

 

 その言葉に、カザの目が僅かに動いた。

 彼の中で、その行動は破れかぶれの行動だった。本能的に選択したが、優れた選択だったとは思っていない。

 ヤマサキは続ける。

 

「あの場面でお前は、自分の不利を本能的に認めて、逆転の一手を狙った。それができるのは大したもんだ。下手に意地を張るより、よっぽど勝ちに近づける動きだった。お前はただの暴力馬鹿じゃねえんだよ、ちゃんと能力のある、優れた戦略家だ」

 

 ヤマサキの言葉には、本心からの評価が込められていた。

 事実、あの場面で『ハサミギロチン』を選択したことは、彼の優れた大局観の現れであっただろう。

 あの選択は、ある意味ではその瞬間の敗北を認めているようなものだ。正攻法では勝てないと思っているからこそ、彼はその大技で、腕力で勝ちを取りに行った。

 それは、自信家であればあるほど選択しにくい選択肢だった。故に、ヤマサキはそこを評価している。

 それでもカザは、まだ完全には納得していない様子で首をかしげた。

 

「どうすりゃ、あいつに勝てるようになれるんですかね」

 

 その問いには、少しだけ重みがあった。普段のカザならば口にしないであろう、正直な気持ちだったのかもしれない。

 ヤマサキは腕を組み直し、少し考え込むような仕草をした後、口を開いた。

 

「それは難しい相談だな。でも、まずは経験値をしっかり貯めることだ。それに尽きる。経験が足りないからこそ、お前は判断を誤ったんだ。その経験を積むために、俺たちがいる」

 

 その言葉に、カザは少しだけ視線を逸らす。

 彼は素直に感謝を口にするタイプではない。だが、ヤマサキの言葉が胸に響いているのは確かだった。

 彼は口ごもりながら小さな声で呟く。

 

「分かりました」

 

 それを聞いて、ヤマサキは軽く頷き、肩を叩くような仕草をして歩き去った。その背中を見つめながら、カザは拳を強く握りしめる。悔しさが胸の奥で燃え続けているのを感じながら、それでも次に向けて気持ちを切り替えようとしていた。

 

 

 

 

『おどろきウソッキー』

 

 夕方の柔らかな光が窓越しに差し込むファミリーレストラン。ポケモンと共に食事ができるこの店内は、周囲のテーブルもトレーナーとポケモンたちの賑やかな声で溢れていた。その一角に陣取ったライモン高校ポケモンバトル部の一行は、控えめながらも打ち上げの宴を楽しんでいた。

 

 テーブルの中央に置かれたメニューを見つめながら、スズモトが遠慮がちに声を上げる。

 

「サイトー先生、本当にご馳走してくれるんですか? なんだか悪い気がして」

 

 その言葉に、体育会系らしい口調でサイトーが笑い飛ばす。

 

「いいって。今日はお前ら、みんな頑張ったんだからな。こういう時くらい、私が持つさ」

 

 彼女の言葉は力強かったが、テーブルの端に置かれた彼女の注文は「おいしい水」一杯だけだった。

 それを見た部員たちは、どこか気まずそうに自分の注文を控えめにしている。イイダがメニューを閉じながらぼそりと呟いた。

 

「まあ、こういう時はあんまり調子に乗らないほうがいいよな」

 

「はいぃ。私はポテトだけで十分ですぅ」タケダも控えめにメニューを置いた。

 

 そんな空気の中、ムラナカがハンバーグプレートを頼んでしまい、慌てたように言い訳を始める。

 

「あ、いや、あの。僕、今日ちょっと疲れちゃったんで、たまには」

 

 その言葉に、周囲は軽く笑い声を漏らし、少しだけ場の雰囲気が和らぐ。サイトーはそんな部員たちを見て微笑み、手元の「おいしい水」を静かに口に運んだ。

 

 モーリはテーブルの端に座り、ブニャットと肩を並べて座っていた。彼の目の前には控えめなサンドイッチプレートが置かれている。周囲が和やかに盛り上がる中、彼はどこかぼんやりと窓の外を眺めていた。

 

「モーリ君、改めてお疲れさま。あの決勝戦、本当にすごかったよ!」

 

 スズモトが笑顔で声をかける。その言葉に他の部員たちも次々と頷き、彼に称賛を送った。

 

「いやあ、さすがモーリだな。俺たちとは次元が違うわ」

「ほんと、最後の『じゃれつく』とか、カッコよかったですぅ」

 

 彼らの言葉に、モーリは笑みを浮かべながら「ありがとう」と短く返す。しかし、どこかその声にはわずかな引っかかりがあった。彼の心の中には、あの決勝戦の一瞬がある。

 

 シザリガーが『アクアジェット』で距離を詰めてきたあの時、自分は一瞬考え込んでしまった。

 それが自分の「悪い癖」だった。相手の動きを読み、次の一手を考えること自体は悪くない。だが、それが時として相手に先手を許してしまう結果を招く。その瞬間の躊躇がなければ、もっとスムーズに対応できたはずだ。

 

 もし、相手がさらに鋭い動きを見せていたら。

 

 思い出すのは『あの時』の記憶だ。頭の片隅にあるその記憶が、モーリの胸を鈍く締め付ける。

 

『あの時』と同じように、負けていたかもしれない。

 

 だが、今回は何とか勝つことができた。それは、間違いなくブニャットのおかげだ。

 自分が迷っている間も、常に全力で応えてくれた。自分が出した指示に対して、迷うことなく動いてくれた。

 

 他の部員たちが自分のポケモンたちに話しかけたり、軽口を叩いたりしている様子を眺めながら、モーリは隣のブニャットに視線を向けた。そして、そっと手を伸ばし、その背中をゆっくりと撫でる。

 

「ありがとう」

 

 モーリの声は、小さく、周囲の喧騒にかき消されるほどのものだった。それでも、その言葉は確かにブニャットに届いていた。

 

 ブニャットは一瞬だけモーリに視線を向ける。その目には、何を思っているのか分からない、いつもの無表情な輝きがあった。だが、その目が一瞬だけ優しい光を宿したように見えたのは、モーリの気のせいではないだろう。

 

 そして、ブニャットは再び視線を前に戻し、何事もなかったかのように座り直す。その動きが、妙に落ち着いていて、モーリは思わず笑みを漏らした。

 

 喧騒の中に、二人だけの静かな時間が流れる。モーリは改めて自分が持つ「負けず嫌い」という言葉の意味を考えていた。それは、自分だけのためではなく、このブニャットと共にあって良いものなのだろうか。




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次回は2/12,18:01予定です

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