『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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9-来訪者

 新人戦でのライモン高校の優勝は、その地方のポケモンバトルにおいて久々の話題となった。公立高校の快挙ということで、SNSや地元ニュースでも取り上げられ、一時的にその名前が知れ渡った。

 しかし、そんな話題も二週間が経つ頃には次第に薄れていき、今では日常が静かに戻りつつあった。あれほど熱気に包まれていたスタジアムの記憶も、人々の中で次第に過去のものとなっていく。

 

 季節はすっかり秋を迎え、朝夕の空気には肌寒さが混じるようになってきていた。窓を開け放したまま眠るには少し厳しくなり、薄手の毛布が欠かせない時期だ。

 そんな静かな秋の朝、モーリはいつもと変わらない休日を迎えていた、はずだった。

 

 

 

 

 窓の隙間から柔らかな日差しが差し込む中、モーリは布団の中でぼんやりと目を覚ました。

 鼻先をくすぐるのは、ほんのりとした甘いモモンのみの香り。それ自体は心地よいはずなのに、耳に響く「くちゃくちゃ」という咀嚼音が、せっかくの静かな朝を台無しにしていた。

 寝ぼけ眼を擦りながら寝返りを打つが、その音は止まらない。むしろ耳に突き刺さるように響き、部屋の中を埋め尽くしているようだった。

 半分眠ったまま視線を動かしたモーリの目に飛び込んできたのは、思いもよらない光景だった。

 

 部屋の中央に、見覚えのある少女がいた。

 派手で露出の多い服を身にまとい、長い脚を組んで腰掛けている。ガムを噛みながら指先でモンスターボールをくるくると回し、もう片方の手で足元のブニャットを撫でている。

 更にその腰元には、モンスターボールが、五つ。

 

「ニャーちゃん、あなたはいい子ねぇ。もっと撫でてほしい?」

 

 少女は、甘やかすような口調でブニャットに話しかけ、その頭を優しく撫でている。

 ブニャットは目を細めて喉を鳴らし、完全に彼女に身を委ねていた。

 

「レイカ!?」

 

 モーリは布団を跳ねのけて身を起こし、無意識に目を見開いた。

 

「お前、なんでここにいるんだ」

 

 寒い朝の空気が一気に彼を包み込む。鳥肌が立つのも構わず、彼は彼女を見つめた。

 

「お目覚め? 久しぶり、モーリ」

 

 レイカと呼ばれた少女はガムをぷくりと膨らませ、それを破裂させた後、モーリの方を見上げる。

 その仕草には、どこか飄々とした余裕があった。

 

「転校先なんて親戚以外には教えてないし、口止めもしてたはずだ」

「新人戦のトーナメント表、SNSで見たのよ。あんたの名前が載ってた。緩い地方よね、個人情報ガバガバ」

 

 レイカの軽い口調に、モーリは短く息をつき、頭を抱える。

 

「そんなことでここまで来たのか。どんだけ暇なんだよ」

「暇って言うな。わざわざ遠くから来てやったのよ。あんたの目を覚ましに」

 

 ガムを噛む音が止まり、レイカの視線がモーリに突き刺さる。その瞳に宿る鋭い光が、彼の胸に小さな棘のような違和感を刺した。

 

「目を覚ます、ってどういう意味だ」

 

 モーリはレイカの言葉を繰り返した。困惑の混じった声だった。

 

「そのままの意味よ。あんた、今おかしくなってるんじゃないかと思う」

 

 レイカの口調には怒りが滲んでいた。組んでいた脚を組み直し、ジッと彼を見据える。

 

「でも、その話は後。まずはこの辺を案内してよ」

 

 レイカは何事もなかったかのように笑みを浮かべ、手近なモンスターボールを指で転がした。その言葉の軽さとは裏腹に、どこか強引な気配がある。

 

「案内って、また急なことを言うな」

 

 モーリは呆れたように肩を落とし、頭を掻いた。

 

「当たり前じゃない。カントーのシティガールがこんな田舎まで来てやったんだから、サービスくらいしなさいよ」

 

 レイカは挑発するように笑みを浮かべ、床に丸くなったブニャットを撫でる。その指先が柔らかい毛並みに触れるたび、ブニャットは満足そうに喉を鳴らしている。

 

「ニャーちゃんも一緒に行こうか」

 

 レイカが語りかけると、ブニャットは欠伸を一つしてから、モーリの方をちらりと見た。まるで「どうするの」と問いかけるような態度だ。

 

「分かったよ」

 

 モーリは大きくため息をつきながら、しぶしぶ立ち上がり、準備を始める。その動作には明らかに気だるさが滲んでいた。

 

「ほら、さっさとしなさいよ。私、待つの嫌いなんだから」

 

 モーリは短く応じるだけで、無言のまま着替えを始めた。だが、不意に気づいたように振り返り、レイカに冷たい目を向けた。

 

「着替えるんだから、外に出ろよ」

「なんでよ。別に見たってどうもしないって」

 

 レイカは頬杖をつきながら口元を緩め、軽く笑った。その態度にモーリは眉をひそめる。

 

「お前な、いいから出てけ」

 

 彼の真剣な口調に、レイカはわずかに肩をすくめて立ち上がる。

 

「分かったわよ。せいぜい急いで支度しなさい。カントーからわざわざ来た私を待たせるなんて、許されることじゃないから」

 

 ガムを噛む音が再び響く。レイカはドアの方に向かいながら軽く振り返り、モーリを見つめた。その瞳には、どこか諦めと苛立ち、そしてわずかな期待が宿っていた。

 

 

 

 

 ライモン高校ポケモンバトル部は、あいも変わらず校庭のすみっこのすみっこで自主練習に励んでいた。

 今日は顧問のサイトーが不在だったが、それぞれが思い思いに特訓を続けている。

 秋の空気はひんやりとしていて、雲一つない青空が広がっていた。わずかに吹く風が、グラウンドに立つ部員たちの頬を心地よく撫でていく。

 

 ムラナカとエビワラーは黙々とコンビネーションの練習を繰り返していた。

 エビワラーの連続攻撃の正確さを確認しながら、ムラナカは適切な指示を出し続けている。エビワラーが『きあいパンチ』の予備動作を取るたび、ムラナカはその動きを細かく観察し、タイミングを指導している。

 

「よし、だいぶ調子良くなってきたな!」

 

 額の汗を腕で拭いながら、ムラナカはエビワラーに声をかける。

 エビワラーは疲れた様子を見せながらも、真剣な表情で拳を握り直し、小さく息を吐いた。

 

 一方、タケダとケッキングは少し離れた場所でキャッチボールをしていた。

 いや、している『つもり』だった。

 タケダがボールを投げてみせても、ケッキングは気怠そうに寝そべったまま、視線をボールから外している。

 タケダが手を振って呼びかけても、ケッキングはだらけたまま動こうとしなかった。

 

「ケッキングさん、お願いしますぅ! せめて一回だけでもぉ!」

 

 タケダの声には懇願が滲んでいるが、ケッキングはやる気を見せず、逆にあくびを一つしてゴロンと寝返りを打った。

 

「もう、どうしたらいいんですかぁ!」

 

 タケダは両手で頭を抱えたが、それを遠目に見ていたスズモトがくすくすと笑いながら声をかける。

 

「タケダさん、今日も大変そうだね」

 

 スズモトとフシギダネは、対戦場のライン引きを丁寧に行っていた。彼女の手によって、白線が、グラウンドにまっすぐ伸びていく。その横でフシギダネが器用に前足を使い、落ちたはみ出た粉を払う姿が微笑ましい。

 

「ありがとうね、ほんと助かるよ」

 

 スズモトが優しく声をかけると、フシギダネは満足そうに小さく鳴いた。

 

 穏やかな空気の中、それぞれが自分のペースで練習を続けていたが、そんな時間を破るように、ムラナカのポケットでスマホが振動した。

 振動とともに軽い着信音が響き、ムラナカは「ん?」と立ち止まり、スマホを取り出す。画面には彼の友人からのメッセージが表示されていた。

 

 彼はメッセージを確認し、しばらくその内容を見つめた。だが、すぐにその内容に驚き、思わず声を上げてしまった。

 

「えぇ! 嘘!?」

 

 ムラナカの唐突な声に、タケダとスズモトが同時に顔を上げる。

 

「ムラナカさん、どうしましたぁ?」

 

 タケダがキャッチボールを中断して興味津々で尋ねる。スズモトも手を止めて、彼の方に近寄ってきた。

 

「いや、なんか変なことが書いてあって」

 

 ムラナカは、画面をもう一度確認するようにスクロールしながら答える。

 彼の手元の画面には、友人からの短いメッセージが表示されていた。

 

『おい、モーリが刺激的な女とデートしてるぞ! 商店街で見かけた!』

 

「デート?」

 

 ムラナカはその言葉を繰り返しながら呟く。しばらくそのメッセージを読み返し、まるで信じられないような顔で固まっていた。

 

「モーリ君が、デート?」

 

 スズモトが控えめな声で問いかけた。その声には驚きと動揺が混じっている。彼女は無意識のうちにフシギダネの頭を撫でていた手を引っ込め、ムラナカの横に並ぶ。

 タケダがスマホを覗き込み、興味津々な様子で頷く。

 

「『刺激的な女』ってなんなんでしょうねぇ。確かお父様が『ママほど刺激的な女はいなかった』と言っていましたし、私のお母様みたいな人でしょうか」

「だったらモーリが心配」

 

 スズモトは、ただ、少し眉をひそめながら視線を下げる。

 

「いやいや、だってモーリ君だよ、モーリ君」

 

 ムラナカはスズモトに一瞬目をやりながらスマホを片手に首を傾げる。だが、メッセージを再度見返してみても、やはり内容は同じだ。

 タケダが笑いながら、軽い調子で提案する。

 

「これ、確かめに行くべきじゃないですかぁ? 本当にモーリさんがそんなことしてるのかどうか」

 

 スズモトはその言葉に反応するように顔を上げたが、すぐに曇らせるような表情に変わった。そして、小さな声で呟いた。

 

「でも、私たちが確かめる必要、あるのかな」

 

 ムラナカはその言葉を聞き、考え込むようにスマホを指先でいじりながら答える。

 

「いやぁ、まあ、でも、そもそもこの話が本当ならモーリは今日の練習サボってるわけだし」

「確かにそうですわぁ。とっちめるべきですぅ、女にうつつを抜かすとは許せませぇん」

「ちょいちょいお母さんの顔出してくるよね」

 

 ムラナカはタケダをなだめるが、スズモトの表情はどこか曇ったままだった。

 しばらくの沈黙の後、ムラナカがぽつりと呟く。

 

「じゃあ、行く?」

 

 その言葉に、タケダが大きく頷き、スズモトは一瞬だけためらった後で、小さく頷いた。

 

 

 

 

 休日の昼下がり。商店街の通りはそれなりに多くの人で賑わっていた。

 活気あふれる露店や、店先で商品を並べる店主たちの呼び声が響き渡る中、モーリはレイカの案内をしながら人混みの中を歩いている。

 

 レイカは長い脚を軽快に動かしながら、まるで都会のモデルのように通りを歩く。派手で露出の多い服装も相まって、道行く人々の視線を集めていたが、彼女自身はそんなことを全く気にする様子もなかった。

 むしろ、その視線を楽しんでいるようにも見える。

 

「へえ、この商店街、意外と賑わってるじゃん。でも、なんか田舎っぽいわね。カントーとは全然違う」

 

 レイカが商店街の店先を眺めながら、軽く鼻を鳴らして言う。モーリは人混みを避けるようにしながら、彼女の横を歩いていた。

 

「カントーと比べんなよ。ここはのんびりしてていいんだ」

 

 モーリの淡々とした返事に、レイカはくるりと振り返り、挑発的な笑みを浮かべた。

 

「でもさ、あんたがこんなところでのんびりしてるの、なんか変な感じするね。前はあんなにギラギラしてたのに」

 

 モーリはその言葉に少し眉をひそめたが、すぐに気を取り直して歩みを進める。

 

「昔の話だろ。それに、俺は別にのんびりしてるわけじゃない」

「ふーん。じゃあ何? こんなところで高校生ごっこしてるのは、本気ってこと?」

 

 レイカの軽口に、モーリは肩をすくめるだけで答えなかった。

 その態度に、レイカは一瞬だけ表情を曇らせる。

 

「まあ、いいけどね。案内してくれるならそれで」

 

 彼女は視線を店先の商品に向け、気を取り直したように言った。

 モーリはため息をつきながら、周囲の景色に目をやる。

 商店街はちょうど昼時で、飲食店から漂う美味しそうな匂いがあたりに充満していた。

 

 レイカがふと足を止め、店先に並んだ焼きたてのベイクドポケモンパンに目を留める。

 

「あ、これ美味しそう。モーリ、買ってよ」

「自分で買えよ」

 

 モーリが素っ気なく言うと、レイカは小さく舌打ちして、財布を取り出す。

 

「ケチくさ。昔はもう少し優しかったのに」

 

 彼女はポケモンパンを手に取り、店員にお金を渡すと、すぐに一口かじった。

 

「ん、美味しい! やるじゃん、この田舎」

 

 満足げに頬張るレイカを見て、モーリは呆れたように首を振った。

 

 

 

 

 商店街のベンチに腰掛けるモーリとレイカ。

 その後ろを少し離れた場所から、ライモン高校ポケモンバトル部のムラナカ、タケダ、スズモトの三人は、まるで探偵のようにこっそりと観察していた。

 

 レイカは大胆な笑みを浮かべながら、モーリに向かって何か話している。

 長い脚を軽く組み、時折ガムを膨らませては破裂させるその様子は、大胆不敵と言った様子で周囲の目を惹きつけている。

 モーリはというと、彼女の話を受け流すような態度で腕を組み、時々うなずいていた。

 

 タケダが、ムラナカの肩を小突きながら興奮した声を上げた。

 

「これは間違いないですぅ! 元カノですぅ! 修羅場ですぅ! ライバル出現ですぅ!」

「はいはい落ち着こうねえ」

 

 ムラナカはたしなめるように言いながらも、目はモーリとレイカの方から離せない。

 

「でもさ、確かにそうでも不思議ではなさそう。なんか、やけに仲よさそうだし」

「でもモーリさんのほうが怒られてますぅ、これは修羅場ですぅ!」

 

 ムラナカとタケダがそう呟くと、スズモトが少し俯き加減に、静かな声を漏らした。

 

「モーリ君が、あんなに楽しそうに話してるなんて」

 

 彼女の声には、微かな戸惑いと寂しさが滲んでいた。

 スズモトは手元のフシギダネの背中を撫でていたが、その動きもいつの間にか止まっている。

 フシギダネはスズモトを見上げ、何かを感じ取ったのか、小さく鳴いて寄り添った。

 

 ムラナカはスズモトの様子に気づいたが、どう声をかければいいのか分からず、少し気まずそうに視線を外す。

 

「ま、まあ、別にさ、モーリにだってカントーの友達がいたっておかしくないじゃんか」

 

 そう言いながらも、ムラナカ自身もなんとなく胸の中にモヤモヤしたものを抱えているのを感じていた。

 タケダが腕を組み、得意げな表情で言葉を続ける。

 

「いやいやぁ、これは間違いなく深い関係ですぅ! あの距離感、ただの友達とは思えませぇん!」

「君そんな子だったっけ?」

 

 タケダの言葉に「そんなこと」と、スズモトが小さな声で反論しようとするが、反論する言葉が思い浮かばず、すぐに言葉を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 そんな三人の様子に、レイカが気づいたのは偶然だった。彼女がふと背後に視線を送ると、物陰に隠れてこちらを見ている彼らと目が合ったのだ。

 

「あんたの仲間でしょ、あれ?」レイカがガムを噛みながら、軽くモーリに尋ねる。

 

「まあ、そうだな。部活の連中だ」と、モーリは頭を抱えて気まずそうに答える。

 

 するとレイカはすぐにベンチから立ち上がり、大きく両手を振りながら声を張り上げた。

 

「そこの子たち! 隠れてないで出てきなさいよ!」

 

 

 

 

 突然声をかけられたムラナカ、タケダ、スズモトの三人は、驚いた表情で顔を見合わせた。

 

「バレた?」ムラナカが小声で呟くと、タケダが大きく頷く。

 

「完全にバレてますぅ!」

 

 仕方なく彼らは物陰から姿を現し、恐る恐るレイカとモーリに近寄る。

 レイカは相変わらず余裕たっぷりの笑みを浮かべながら、彼らをじっくりと観察していた。

 

「へえ、モーリの仲間ってわけね。初めまして、私はレイカ。カントーから来たの」

 

 レイカはフレンドリーに自己紹介をしながら、一人ひとりの顔をじっくり見ていく。 

 彼女の視線に、タケダはどこか楽しそうに応じ、ムラナカは少しだけ身構えた様子を見せた。

 そして、スズモトはというと、どこか警戒するように目を伏せている。

 その様子に気づいたレイカは、ニヤリと笑うと、特にスズモトに視線を向けて柔らかな口調で言った。

 

「心配しなくていいわよ。私たち、そういう関係じゃないから」

 

 突然の言葉に、スズモトは一瞬だけ目を丸くした。

 そして、まるで自分の胸の内を見透かされたような気がして、途端に顔を真っ赤に染める。

 

「別に、そんなつもりじゃ」

 

 スズモトは小さな声で言い訳をするが、その声は自分でも聞き取れないほどかすれていた。

 レイカはそんな彼女を見て満足げに微笑むと「うん、それならいいのよ」と軽く肩をすくめた。

 

 ムラナカがやや警戒心を残しながら、「カントーからってことは、モーリの知り合いなんですか?」と尋ねると、レイカは首を縦に振った。

 

「そう、カントーでジム巡りをしてた頃の仲間ってわけ。昔はね、モーリ、結構カッコつけてたのよ」

 

 その言葉に、モーリは少し眉をひそめたが、反論せずにただ腕を組んだまま視線を逸らしている。

 

「えーっ、モーリさんがカッコつけ? 信じられませぇん!」

 

 タケダが驚いた様子で口を開くと、レイカは愉快そうに肩をすくめる。

 

「意外でしょ? でもまあ、今はこんな感じだけどね」

 

 そう言って、モーリの肩を軽く叩いた。

 

「あの頃のモーリは、ポケモンバトルに命を懸けてたのよ。あたしも負けじと頑張ったけど、こいつには一度も勝てなかったんだから」

 

 レイカの言葉を聞いたムラナカとスズモトは、どこか驚いた表情でモーリを見つめた。

 

「モーリ君、そんなに強かったんだ」

 

 スズモトが感心したように呟くと、モーリは肩をすくめて答える。

 

「まあ、成り行きだよ」

 

 その瞬間、レイカの表情がわずかに曇った。

 ほんの一瞬だけ眉が動いたが、それを悟られないようにガムを噛む口を止めずに、ぶっきらぼうに言い返す。

 

「そういうとこ、変わらないわね」

 

 その声は平静を装っていたが、少し尖った響きがあった。

 ムラナカとタケダはその微妙な空気の変化に気づいたが、スズモトはただ静かにモーリの横顔を見つめている。

 レイカは手元のガムをぷくりと膨らませてから、あっけらかんとした口調で続けた。

 

「ま、そんなことはどうでもいいの。もう少しモーリを借りるから」

 

 そう言いながら、彼女はモーリの腕を軽く引き、いたずらっぽく笑う。その仕草には、どこかモーリを独占するような雰囲気があった。

 スズモトは、思わず手元のフシギダネに視線を落とし、そっとその背中を撫でる。

 心の中に小さな波が立つのを感じながらも、なんとか平静を装おうとするが、その指先はわずかに震えていた。

 

 ムラナカが咳払いをし、少しだけ距離を縮めて言った。

 

「まあ、モーリが嫌じゃなければ、別にいいけど」

「別に、嫌ってわけじゃ」

 

 モーリはぼそりと呟き、レイカの方を一瞬だけ見た。

 レイカはそれに気づきながらも、何も言わず、ただ軽くガムを噛む音だけが響いた。

 

「さてと、じゃあ行くわね。邪魔しちゃってごめんね」

 

 レイカは振り向きざまにそう言い、軽く手を振る。

 ムラナカとタケダが「いえいえ」と曖昧に返事をし、スズモトはわずかに俯いたままだった。

 

 

 

 

 彼らの姿が見えなくなり、人通りの少ない路地に入った途端、レイカはモーリの襟元を掴み、そのまま壁に押し付けた。

 彼女の細い指は思いのほか力強く、モーリは不意を突かれたようにわずかに顔をしかめる。

 

「成り行きってどういうことよ!?」

 

 怒気を含んだ声が路地に響く。

 レイカの目は真剣そのもので、普段の軽薄な笑みはすっかり影を潜めていた。唇を強く引き結び、まっすぐにモーリを見据えている。

 

「あたしたちがやったことが成り行きだって? あんた、どうしちゃったの!?」

 

 声を震わせながら、彼女は目を見開き、モーリの瞳を真正面から覗き込む。その視線は容赦なく、問い詰めるような鋭さを持っていた。

 モーリは襟元を掴まれたまま、息を小さく吐く。

 レイカの言葉に、どう返すべきかを考えながら、どこか遠くを見るような目つきになった。

 

「俺はさ」

 

 しばらくの沈黙の後、モーリはぽつりと口を開いた。何かを探るように言葉を選び、慎重に続ける。

 

「自分で道を歩いていたつもりだったんだ。でも、それって、結局じいちゃんや親父に与えられた目標を、ただこなしてただけだったんじゃないかって思う」

 

 レイカの手がわずかに緩む。

 彼女の瞳に、一瞬戸惑いの色が浮かんだ。

 しかし、すぐにその目は再び強い光を宿し、言葉を重ねる。

 

「あんたがどれだけ頑張ってたか、一番知ってるのはあたしでしょ」

 

 彼女の声はかすかに掠れていた。

 悔しさや苛立ち、さまざまな感情が入り混じっているのが、モーリにも手に取るようにわかった。

 

「朝から晩までバトルのことばっかり考えて、ジム戦のシミュレーション、戦略の見直し、寝る間も惜しんでやってたじゃない。あの結果を出すまで、どれだけ頑張ったと思ってるの」

 

 モーリはレイカの目をじっと見つめた。

 彼女の言葉には確かに間違いはない。だが、彼の胸の中にある疑念は、そう簡単に拭い去ることはできなかった。

 彼は視線を落とし、少し考え込むように口を開く。

 

「それは分かってる、分かってるよ。でも、それが本当に俺のやりたかったことなのか、分からなくなったんだ」

 

 レイカはモーリの襟元を掴む手を強くする。

 彼女の表情には焦りが滲み、目の奥にかすかな光が揺れていた。

 

「あんた、おかしくなっちゃったのよ」

 

 涙が滲んでいるのを隠そうともせず、レイカは声を絞り出した。込み上げる感情に負けじと、必死にまばたきを繰り返している。

 モーリはそんな彼女の姿を静かに見つめたまま、何も言わなかった。彼の中にも、うまく言葉にできない思いが渦巻いている。

 レイカは襟を掴む手を緩めると、ふいに視線を逸らし、肩を落とした。

 

「あたし、もうすぐ七つ目のバッジに挑戦する」

 

 努めて平静を装おうとしていたが、その声はほんの少し震えている。

 モーリは彼女の言葉を受け止め、短く頷いた。

 

「頑張れよ」

 

 その言葉に、レイカは一瞬目を見開く。

 モーリの言葉には、迷いも嘘もなかった。

 だが、それがどこか遠くから投げかけられたように聞こえたのは、彼女の気のせいだったのか。

 

 レイカはかすかに笑い、苦笑とも取れる表情を浮かべながら目線を戻す。

 

「あんたがいなくなって、張り合いがなくなったんだからね」

 

 彼女の言葉には、怒りと寂しさが混じっていた。

 モーリはそれを聞きながら、どこか申し訳なさそうに視線を落とす。

 

「あんたがいるから、どこまでだって頑張れたんだよ。あんたが勝手に消えて、どんな気持ちでジムに挑んでるか、分かる?」

 

 レイカの問いに、モーリは何も答えなかった。ただ、冷たい壁にもたれかかりながら、その言葉を胸の奥で静かに反芻する。

 レイカの表情は、強がるように笑みを作っていたが、その目はどこか悔しそうだった。

 

「もう、いいわ」

 

 レイカは両手を腰に当て、視線を横に流した。

 

「あんたが何を考えて、ここにいるのかは知らないけど。それでも、あたしは前に進むよ」

 

 モーリは彼女のその言葉に、小さく頷く。

 

「そのほうがいい」

 

 静かにそう言う彼の声は、淡々としていたが、確かにレイカを応援する気持ちが込められていた。

 それが彼女にも伝わったのか、一瞬だけ眉を寄せ、すぐにガムを噛むかのように口を鳴らした。

 

「あんたはさ、いつもそう。あたしがどんなに怒っても、どんなにぶつかっても、最後は結局あたしを送り出すんだよね」

 

 彼女は腕を組み、真っ直ぐにモーリを見つめた。その視線には、怒りよりも寂しさが滲んでいる。

 

「あんたがいなくなってから、誰にも本気でぶつかれなくなったのよ」

 

 モーリは彼女の言葉を受け止めながら、静かに目を伏せた。

 心のどこかでは、彼女がそう感じていることを理解している。

 かつてカントーでのジム巡りは、彼とレイカにとってただの挑戦ではなかった。

 お互いを高め合い、競い合うことで、常に自分を成長させるための原動力になっていた。

 だが今、その関係は遠い過去のものになってしまっている。

 

「悪い、とは、思ってる」

 

 モーリがそう呟くと、レイカはふっと笑い、首を横に振った。

 

「謝るくらいなら、帰ってきなよ、それなら、あたしだって納得できる」

 

 彼女の言葉に、モーリは少し困ったように笑った。

 

「もう、そんな気力はないよ」

 

 レイカはその言葉を聞いて、少しの間黙っていた。

 彼女の胸の奥に、何かが詰まったような感覚が広がっている。

 目の前のモーリは、かつて知っていた彼とは違う。バトルへの執着も、あの頃の鋭さも、どこか遠ざかってしまったように感じられる。

 

「ほんと、おかしくなっちゃったんだね」

 

 

 

 

 夕暮れの駅のホームには、行き交う人々の足音と、遠くから近づく電車のかすかな音が混じり合っていた。

 モーリはポケットに手を突っ込み、レイカの隣に立ちながら、少し気まずそうに視線を線路の向こうへと向けていた。

 レイカは小さなバッグの取っ手を軽く握りしめ、じっと前を見据えている。

 

 レイカが口を開いた。

 

「別に送らなくてもよかったのに」

 

 モーリは肩を軽くすくめる。

 

「当然のことだから」

 

 レイカの唇がわずかに弧を描く。

 

「ほんと、相変わらずね。そういうとこ、全然変わってない」

 

 彼女は小さく鼻を鳴らして、ちらりとモーリの横顔を盗み見た。

 彼の表情は、どこか居心地悪そうで、それでいてどこか安心しているようにも見える。

 しばらく二人の間に沈黙が流れた。電光掲示板が電車の到着を知らせ、周囲の乗客が少しずつホームの端へと集まっていく。

 そんなざわめきの中、レイカは軽い調子で問いかける。

 

「ねえ、あの子。スズモトちゃん、だっけ?」

 

 モーリは視線を線路から動かさずに、かすかに頷く。

 レイカは腕を組み、少し顔を寄せるようにして続けた。

 

「あの子、あんたのこと好きだよ。めちゃくちゃ分かりやすかったけど」

 

 モーリは少しだけ顔をしかめ、目を伏せる。

 

「別に、そんなこと」

 

 声は小さいが、言葉の切れ端に動揺がにじんでいた。

 レイカは楽しそうに目を細める。

 

「隠してるつもりかもしれないけど、全身から好き好きビーム出てるって。あたしじゃなくても分かるくらいよ、みんな分かってんじゃない? あんた以外さ」

 

 モーリは手をポケットから出し、無意識に後頭部をかく。

 答えに詰まる彼の様子を見て、レイカは満足そうに笑い、軽くため息をついた。

 

「ほんと、鈍感って罪よね」

 

 電車の到着を知らせるベルが鳴る。

 レイカはカバンの取っ手を握り直しながら、少しだけ真剣な表情を見せた。

 

「意地張らないで、いつでも帰ってきなよ」

 

 モーリは顔を上げ、レイカの言葉をじっくりと胸の中で反芻する。

 彼女の表情には、冗談めかした軽さはなく、まっすぐな気持ちが込められていた。

 返す言葉を探しながら、モーリは短く息をつく。

 

「そんな簡単に帰れるわけじゃないだろ」

 

 レイカはふっと笑って、目線を横に流す。

 

「そうやってカッコつけるとこも、相変わらず」

 

 扉が開く音がして、レイカは一歩踏み出す。

 モーリはそれを見送りながら、ポケットに手を突っ込んだまま立ち尽くしていた。

 

 乗り込む直前、レイカが振り返る。

 

「あたしは、あんたが帰ってくるなら、いつでも歓迎するから」

 

 軽く手を振る彼女の表情には、どこか名残惜しさが滲んでいた。モーリは小さく手を挙げ、彼女を見送る。

 扉が閉まり、電車がゆっくりと動き出す。モーリはその後ろ姿を最後まで見届けたあと、ホームの端に目を向け、静かに息を吐いた。

 

「帰れねえよ」

 

 呟く声は小さく、ひんやりとした風に流されて消えた。




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次回は2/14,18:01予定です

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