『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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10-砂塵の彼方 ②

 経験したことのない『すなあらし』だった。

 トキワジムリーダーが放ったものとは比べ物にならない、それよりも濃く、それよりもうるさく、そして何より、それよりも暴力的だ。

 モーリの視界は、荒れ狂う砂に埋め尽くされていた。

 同時に、彼の傍らで羽ばたくファイアローもまた、それ以上の旋回をできないでいる。

 じっとしていればただただダメージを蓄積していくのみだ、だが、向かうべき敵も確認できない。

 公園の端に設置された時計の針は、すでに五分以上経過している。だが、それを確認する余裕はない。砂嵐の中では、時間の流れすら曖昧だった。

 

 モーリは唾を飲み込む。焦燥が胸を焼く。

 

 不意に、自身の左側から連続した足音が響く。

 だが、次の瞬間には右側から、今度は背後から。

 モーリ達を嘲笑うかのように、ガブリアスの軽やかな足音が『すなあらし』の中から響く。

 近く、遠くか、上か、下か。

 幾多ものフェイクに気を取られ、モーリ達は動けずにいた。

 考えを巡らせていた彼らにしびれを切らしたかのように、モモナリの声が響く。

 

「『ドラゴンクロー』」

 

 急に背後から聞こえた砂を踏む音に、モーリ達は息を呑んだ。反射的に体をそちらに向ける。

 だが、そこから攻撃は来ない。

 

「違う」

 

 次の瞬間、ファイアローの鋭い鳴き声が上がる。モーリがそこに視線を向けるまでもない、ファイアローがガブリアスの爪に弾き飛ばされていた。かろうじて地面に着地したものの、その翼は砂まみれになり、動きが鈍っている。

 

「『つばめがえし』!」

 

 だが、モーリはファイアローに指示を出す。

 その指示からわずかに遅れて、ファイアローが地面を蹴り上げて姿を見せたガブリアスに向かう。

 考えていた動きだった。この濃い『すなあらし』の中で、相手を探していても埒が明かない、姿を表した相手を捉えるしかない。

 しかし、ファイアローの『つばめがえし』が届くよりも先に、ガブリアスは得意げに鼻を鳴らしながら『すなあらし』の向こう側に消えた。

 

 その光景に、モーリは驚くより無かった。

『すながくれ』という『すなあらし』の中に隠れることのできる特性は当然知っている。

 だが、ファイアローの『つばめがえし』ですら、それから逃れることができるというのか。

 目の前に広がる『すなあらし』は、あまりにも濃く、分厚く、届かない。

 

 砂嵐の向こう側から、モモナリの親しげな、それでいて少し失望したような声。

 

「悪い癖が出てるよ」

 

 まるで周囲の砂がすべてモモナリの言葉となり、彼を嘲笑っているかのようだった。

 

「考えてから動いてる」

 

 モーリの拳が震えた。体の芯が冷えるのを感じる。わかっている、そんなことはわかっている。

 

「『ブレイブバード』!」

 

 モーリの叫びに応じてファイアローが跳び上がる。しかし、砂嵐の中では敵の正確な位置を掴めない。ファイアローの鋭い一撃は、ただ空を切るばかりだった。

 

「『ドラゴンクロー』」

 

 その瞬間、影が迫る。

 

「『つばめがえし』!」

 

 モーリの指示は、一歩遅かった。

 ガブリアスの爪がファイアローの腹を直撃し、強烈な一撃で彼を地面に叩き落とす。

 ファイアローはわずかに蠢くが、それ以上のことができないことは見るからに明らかだった。

 

 モーリはボールを構えて彼をボールに戻す。

 

 ファイアローがボールに吸い込まれると同時に、ガブリアスは再び『すなあらし』の中に身を潜めようと動く。

 そこを逃すわけにはいかなかった。

 

「行け!」

 

 モンスターボールから現れた自分のガブリアスが『すなあらし』の中に飛び込む。

 モーリは深呼吸し、目を凝らした。

 相手はまだ完全に『すなあらし』の中に逃げ込めてはいない、必ず痕跡を残すはずだ。

 

 ノイズをかき分けながら、彼らは痕跡を探す。

 そしてようやく、ほんの僅かな綻びを見つける。

 砂嵐の向こうに、不自然なわずかに影が揺れている。モーリは確信し、力強く叫ぶ。

 

「『げきりん』!」

 

 ガブリアスが咆哮し、一直線に影へと突進する。

 怒りに身を任せた一撃だ、必ず痛手を追わせられるはず。

 

 だが、次の瞬間、モーリの視界が揺らいだ。

 

 影が割れる。

 わずかに見えたのは、鱗を利用したイミテーションだ。

 

「『みがわり』」と呟くしかない。

 

 やられた。

 濃い『すなあらし』の向こう側に、『みがわり』を潜ませる。

 言ってしまえばあまりにも単純な戦略だ。

 だが、モモナリ達はそこに信憑性を持たせた。

 困難という信憑性、その綻びが安易ではないという信頼。

 それが、そのあまりにも単純な戦略を、極上の罠にした。

 

「まだだ!」と、モーリは思わず叫んだ。

 

 自身のガブリアスも『すながくれ』の特性を持っている。

 この濃い『すなあらし』を利用して、自分達もステルス戦を仕掛ける。

 

 そう考えた途端、彼の傍を冷気が吹き抜ける。

 

 青い体格、真紅に光る頭部の宝石が、わずかに視界をかすめる。

 モモナリのエース。ゴルダックは、すでに口元に冷気を溜めている。

 

「潜れ!」と、叫んでから、モーリは気づく。

 

 違う、『ノーてんき』!

 

「『れいとうビーム』」

 

 冷凍ビームが一直線に放たれ、足元から膝、腹、胸、首へと、ガブリアスの体をちょうど半分に割るように、正中という、生き物が逃れることのできない『急所』のすべてに襲いかかる。

 バキバキと音を立てながら、氷は胴体を駆け上がり、最後に頭部まで覆い尽くした。

 

「考えちゃったねえ」

 

 再び、モモナリの声。

 

 それを聞かぬように頭を振りながら、モーリはガブリアスをボールに戻した。

 そして震える手でモンスターボールを握りしめたが、一瞬、それを投げるのを躊躇する。

 投げて良いものか、頼って良いものか、それはあまりにも図々しい選択肢ではないのか。

 だが、ボールは震えている。

 

「頼む」

 

 彼の声は、どこかすがるようだった。

 

 繰り出されたブニャットが地面に降り立つと、砂嵐の勢いを嫌がるように尻尾を振る。

 

「『クロスチョップ』」

「『ねこだまし』!」

 

『すなあらし』の中に消えるより先に先制攻撃を仕掛けてきたゴルダックに対し、ブニャットが前足を目元に叩きつける。

 

 パン、と乾いた音が響く。ゴルダックの動きがぴたりと止まり、わずかに顔をしかめるように後ずさった。

 その隙を逃さず、ブニャットは素早く間合いを取り直す。

 

「『アンコール』」

「『まもる』!」

 

「『アンコール』」

「『いちゃもん』!」

 

 戦略の足元を掬おうとしたモモナリとゴルダックの攻勢に、モーリとブニャットは速さで対抗した。

 その僅かな一瞬だけ、ブニャットが優勢となる。

 

『いちゃもん』をつけられた状態のまま、ゴルダックは『すなあらし』の中に引く。

 ブニャットはそれを追わない、追っても誘い込まれて迎撃されるだけだ。

 

「ははあ」

 

 砂嵐の向こう、モモナリは感心したように声を上げる。

 その声色には、抑えきれない興味の色が滲んでいた。

 

 ブニャットは静かに身構え、尾を揺らしながら鋭い目で『すなあらし』を睨みつけている。

 その動きには、ただの防戦とは違う確かな意図が感じられた。

 

「見違えたねえ」

 

 その声は、まるで『すなあらし』の中で反響しているかのようだった。どこにモモナリがいるのか、全く絞れない。

 

「良いじゃないか! 少なくともさっきのポケモンたちよりも、君はブニャットを、パートナーを『理解』している」

 

 モーリの眉がぴくりと動く。彼は必死に冷静を装っているが、ブニャットの動きが功を奏したことに明らかな安堵が見えた。

 

「パートナーが何ができるか、何ができないか。それを知っている、少なくとも知ろうとしている。だから動ける、考えるよりも先に」

 

 モモナリの声は、先ほどまでの軽妙な調子とは異なり、少し真剣味を帯びていた。

 

「考えてから動いちゃダメなんだ、バトルにおいて大切なことは、動いてから考えることなんだよ」

 

 モモナリの言葉に、モーリの背筋が冷たくなる。

 その時、不意に背後から誰かが語りかけるような錯覚を覚えた。

 

「懐かしいな」

 

 肩に誰かの手が置かれるような感覚がし、モーリは息を呑んだ。

 

「僕は五歳の頃にそれに気付いたんだ」

 

 振り払うように首を振るが、当然そこには誰もいない。

 モーリは無意識のうちに肩を押さえ、荒れ狂う『すなあらし』の中に目を凝らした。だが、視界は砂に遮られ、何も見えない。風に乗って、モモナリの淡々とした声が再び届く。

 

「さあ、次はどうする?」

 

 その瞬間、砂嵐の奥から鋭い風切り音が響いた。

 

「『ローキック』」

「『まもる』!」

 

 足元を刈り取るような上質なキックを、ブニャットは足を上げることで『まもる』。

 

「『こごえるかぜ』」

「『みがわり』!」

 

 口元から放たれた冷気の攻撃を、毛玉を『みがわり』にしながらステップで交わす。

 

 モーリはモモナリの戦略を理解する。

『ローキック』に『こごえるかぜ』、相手の俊敏性を落とす技だ。

 モモナリはブニャットの速さを潰そうとしている。

 そりゃそうだ。

 そこさえ潰せば、ゴルダックが手を焼く要素はない。

 潰させてなるものか。

 

 ゴルダックがステップで距離を詰める。

 そして、両手を上空に掲げる。

 

「『きあいだま』」

 

 ゴルダックの両手の間に、渦巻くように光が集まり始める。青白いエネルギーが、空気を震わせながら収束し、やがて不気味なほど安定した球体へと成形されていく。

 

 モーリは息を呑んだ。『きあいだま』は格闘タイプの強力な特殊技、命中率こそ不安定だが、一撃でもまともに受ければブニャットに甚大なダメージを与えることは明らかだった。

 

 想定外の選択肢だった。

 

「『まもる』!」と、思わず叫ぶ。

 

 叩きつけられるように放たれた『きあいだま』から弾けるように、ブニャットは翻って着地する。

 狙いすましたかのように、そこにゴルダックが突っ込んでくる。

 

「『クロスチョップ』」

「『みがわり』!」

 

 再び『みがわり』となる毛玉。

 だが、ゴルダックは食らいついたまま離れない。

 彼は『すなあらし』をものともせず、背後に回ったはずのブニャットに手のひらを向ける。

 

「『サイコキネシス』」

「『まもる』!」

 

 突然の大技構成に、モーリは戸惑うしかない。

 だが、戸惑いながら対応するよりない。

 考えれば、一瞬でも判断が遅れれば、確実に刈り取られる。

 時間を稼ぐことしかできないが、時間を稼げれば良い。

 

「『アクアブレイク』」

「『みがわり』!」

 

 水泡に包まれた右腕の攻撃を、やはりいなす。

 

「『たきのぼり』」

「『まもる』!」

 

 間髪入れなかった。

 

「『アクアジェット』」

 

 これまでとはテンポを変えた攻撃だった。

 そして、モーリがその意図に気づいたのは少ししてからだ。

『みがわり』と『まもる』を消費させたところで高速の『アクアジェット』を仕掛ける。

 素早さを下げる攻撃も、一撃で相手を仕留める大技も、全てはこの『アクアジェット』を通すための囮でしか無かったのだ。

 

 その瞬間、モーリはそれに気づいていなかった。

 ただただ、いつの間にかモモナリに握られていたテンポを不意に裏切られ、そして、ブニャットの先手を取れる『アクアジェット』という攻撃を聞いただけだった。

 考えれば、敗北していただろう。

 彼は、考えるよりも先に動いていた。

 

「『こらえる』!」

 

『アクアジェット』によって勢いづけられたゴルダックの肘攻撃が、ブニャットに強かに打ち付けられる。

 

 それは『すなあらし』の轟音の中でも聞こえるほどに鈍く。

 

 地面に叩きつけられたブニャットは、それでも前足を踏み込まんとする。

 畳み掛けようもんなら。

 ゴルダックが踏み込んでくるのならばすぐに『じたばた』だ。

『いちゃもん』はまだ生きている。俊敏性は守りきった。

 相手が焦れれば『じたばた』が届く。守りきったものが届く。

 

 だが、ゴルダックは追撃はせず、わずかに息を切らしながら『すなあらし』の中に逃げ込もうとした。

 

 しかし、守りきったものが届く。

 

 突如、まるで見えない手が空気をかき消すように、砂嵐が一気に晴れた。

 今まで視界を埋め尽くしていた砂の壁が、まるで何もなかったかのように消え去り、夕日に照らされた公園がはっきりと姿を現す。

 

 そして、モーリの視界に現れたのは、ゴルダックとモモナリだけではなかった。

 

「先輩良いんですか? この時期内申とか大事でしょ?」

「点数で黙らせるさ、それよりも、大事なことがある」

「うっさいあんたは手を出すな! アタシがケリをつける!」

 

 モモナリの西にはイイダとバタフリー、ツキシタとケーシィ、そしてなぜかハチマキをしたホージョーが構え。

 

「お母様は言っておりました『友を助けぬは人にあらず』ですわぁ」

「お母さん良い事言うねえ」

 

 そして東にはタケダとケッキング、ムラナカとエビワラー、そして、心配そうにモーリを見つめるスズモト。

 

 スズモトの助けに集められた彼らは、モモナリを囲んでいた。

 ただただ、モーリを救うためであった。

 彼らは知らない、モーリがモモナリに戦いを挑んだことを。

 ただただ、モモナリがモーリに戦いを挑んだと思っている。

 

 しかし、モーリが彼らに気づいたその瞬間には、すでに彼らの前にモモナリのポケモンたちが繰り出されている。

 

 イイダとツキシタの前にはアーマルドが、ムラナカとタケダの前にはピクシーが、それぞれ繰り出されて臨戦態勢を取っていた。

 

「やめろ!」と、モーリは思わず叫んだ。

 

 敵うはずがなかった。彼らがどれだけ束になろうと、リーグトレーナーに敵うはずがない。

 

 その瞬間、モモナリは何を考えただろうか。

 否、彼は何も考えてはいなかった。

 ただただ、彼は、モモナリは『人が最も弱くなる瞬間』を本能的に理解しているのだ。

 

「『れいとうパンチ』」

 

 ゴルダックの信じられないスプリントは、公園の地面を抉り、一瞬でブニャットとの距離を詰める。

 モーリも、ブニャットも、それに対する反応が遅れる。

 そして、その反応の遅れは、モモナリの住むプロの世界では、とてつもなく絶望的なもので。

 

 ゴルダックが空気を切り裂く音。

 拳が唸り、震える音。

 空気が凍り、拳の軌道に道を作る音。

 連続して鳴り響く、チープな電子音。

 

 ブニャットのわずか寸前で鋭利な氷を纏ったゴルダックの拳が止まっていた。

 その拳にまとわれている冷気は、ブニャットの体毛を、そして、思わず流れた汗をわずかに凍らせている。

 

「十分、経ったようだね」

 

 モモナリはポケットから取り出したポケギアをポチポチと操作し、公園に響いていたアラームを切った。

 

「おめでとう、君達の勝ちだ」

 

 彼はボールを構えてゴルダックを戻す。

 ゴルダックは一瞬だけモーリとブニャットをそれぞれ感心したように眺めると、そのままボールに戻った。

 

「君達もごめんね、随分騒がせた」

 

 彼は取り囲んでいた生徒達に頭を下げると、それぞれの前に出ていたポケモン達をボールに戻す。

 そして、一歩二歩、三歩四歩とモーリに無警戒に近づくと、ブニャットの威嚇も気にせずに右手を差し出す。

 

「いい勝負だった」

 

 その手を握ることに、とてつもない勇気が必要だった。

 そして、モーリはブニャットをボールに戻し、一つ息を吐いてからその手を握る。

 モモナリの乾いた手のひらを感じながら、彼は呟く。

 

「これが、勝ちなんですか」

 

 自分の手持ちは壊滅状態、対してモモナリの手持ちはすべてピンピンしているだろう。

 そして何より、スズモト達の存在が、その結果を分けた。

 彼女達がいなければ、きっと自分達は負けていたのだろうと思う、ゴルダックは何らかのかたちで攻撃を通していたに違いない。

 だが、モモナリは澄ました表情で答える。

 

「勝ちだよ、勝ちさ、勝ちに決まってる」

 

 彼は握手したまま続ける。

 

「君達は僕という存在から耐えきった、十分、見事にね。彼らのことを気にしているのなら、それは見当違いさ。彼らが君のために集まった、それも君の『強さ』だ」

 

 ぐっとモーリを引き寄せ、耳元で呟く。

 

「僕が君くらいの年齢の時、こういう『強さ』は持っていなかった」

 

 モーリは、その声色に背筋が凍った。

 感情が感じられなかった。恥じているのか、誇りに思っているのか、はたまたそれを疑問に思っているのかもわからない。ただただ事実として放っただけの言葉のように思える。

 

 モモナリはぱっと握手を離し、ひらひらと手を降る。

 

「じゃあ、またどこかで会えたらねえ」 

 

 そう呟いてモーリに背を向けた彼に、立ちはだかるものがあった。

 

 不意に現れたその女に、モモナリは首を傾げて視線を投げる。

 腰元を確認したのだ、モンスターボールはない。

 鋭い声が彼の前に落ちる。

 

「ライモン高校バトル部顧問、サイトーです」

 

 彼女は腕を組み、まっすぐにモモナリを見据えている。その瞳には明確な怒りが、そして、わずかに困惑とも取れる色が浮かんでいた。

 モモナリは少し眉を上げ、右手をわずかに動かす。

 

「ああ、そうですか、それで?」

「なぜ、ウチのモーリとバトルを?」

 

 サイトーの声には熱がこもっていた。

 モーリの周りには、バトル部のメンバーが集まっている。

 

「彼が挑んできたんですよ」

 

 モモナリはあっさりと答えた。

 

「挑まれたからといって、全力でやる必要がありましたか?」

「挑まれたら受ける。それがトレーナーってもんなんでね」

 

 モモナリの言葉に、サイトーは一瞬息を詰まらせる。

 彼の口調には揺るぎがなく、まるでこちらが間違っていることを言っているかのような感覚になる。

 だが、彼女も心を強く持つ。

 

「確かにそうかもしれませんが、あなたはプロのトレーナーです。高校生相手に、あんな過酷な試合を本気でやる必要があったんですか? あれが教育だと言うつもりですか?」

「教育?」

 

 彼はその単語を咀嚼するように口にした後、ゆっくりと首を振る。

 

「バトルが教育なわけないじゃないですか。バトルはバトル、それ以上でも以下でもなく、何かが付属するわけでもない」

 

 モモナリの答えに、サイトーの眉がわずかに動く。

 それは、彼女にとっては受け入れられない言葉であった。

 

「彼は高校生であり、私の生徒です。あなたの技術を否定する訳では無いが、あなたとのバトルで何が起きてもおかしくはなかった」

「それはその時でしょう、僕だっておんなじリスクを背負っているはずだ」

 

 更に彼は鼻を鳴らして続ける。

 

「それなら、彼自身はどう思ってるんでしょうかね」

 

 サイトーの表情が一瞬だけ揺らぐ。視線の端でモーリを見る。モーリは肩で息をしながら、ブニャットのモンスターボールを握りしめていた。

 その目は、敗北の悔しさと、まだ燻る意地のようなものを秘めている。

 

「彼は、挑んできたんです」

 

 モモナリは手を広げて言った。

 

「勇敢にも、プロのトレーナーである僕に、何が起きてもおかしくないバトルを、僕に挑んだ。だから僕は受けた。それだけですよ」

 

 更に首をひねって続ける。

 

「先生は、教育と称して挑戦を拒むんですか?」

「挑戦を拒むなんて言ってません」

 

 サイトーは即座に反論する。

 

「私は、生徒たちが成長するために、適切な挑戦を与えたいと思っています。無謀な挑戦をさせるのが教育じゃありません」

 

 彼女の声には揺るぎない信念があった。

 

「あなたがどれだけの実力者かは理解しています。でも、彼らはまだ学びの途中なんです。守られるべきものを持っているし、失ってはいけないものもある。そのことを知っていただきたい」

 

 モモナリはサイトーの言葉を聞き終えると、小さく息をつきながら、どこか遠くを見つめるように目を細めた。

 

「そういう世界もあるんだなあ」

 

 彼はゆっくりと口を開く。

 

「僕がモーリ君くらいの年の頃には、守られるなんて考えもしなかったですよ。いや、そもそも守ってくれる人なんてほとんど誰もいなかったし、そんなこと考える暇もなかった」

 

 モモナリはふっと笑う。

 

「戦って戦って、そればかりでしたから」

 

 彼の言葉に、サイトーは何かを言い返そうとするが、モモナリはそれを制するように軽く手を挙げる。

 

「時代が変わったのか、立場が変わったのか、あるいは僕がただ恵まれ過ぎていただけか。先生みたいに、守ろうとしてくれる人がいる世界もあるんでしょうね」

 

 そう言いながら、彼はモーリの方にちらりと視線を向ける。

 

「けどね、僕はモーリ君の挑戦を受けたことを疑ってはいない。彼は自分の意思で僕に挑んできた。僕は、彼を一人のトレーナーとして扱ったまでです」

 

 モモナリは少しだけ顔を上げ、真っ直ぐサイトーを見据えた。

 サイトーは口を開きかけたが、何かを言おうとして言葉に詰まり、唇を引き結んだ。

 モモナリの言葉は理屈としては理解できる。

 モーリが挑んだのだから、受けたのは当然のことなのかもしれない。

 だが。

 

「それでも」

 

 静かな声が、かすかに震えていた。

 

「あの試合は、あまりにも一方的でした」

 

 サイトーは眉を寄せ、苦しげに言葉を絞り出す。

 バレー仕込みの優れた動体視力に、衰えることのない視力。

 彼女は『すなあらし』の中で何が起きていたのか、薄っすらと確認することができていた。

 モーリが繰り出したポケモンたちは、まるで砂嵐の中で弄ばれるかのように倒されていった。

 どれほど必死に戦っても、ただ目の前の現実が容赦なく叩きつけられるばかり。

 

「見ていられませんでした」

 

 サイトーの視線は一瞬モーリへと向かう。

 バトルの最中、彼の表情がどれほど苦悩に満ちていたかを想像するだけで、胸が締め付けられる。

 しかし、モモナリは彼女の言葉を否定することはなかった。

 代わりに、軽く笑いながら肩をすくめる。

 

「ああ、確かにね。最初の二体は、彼の弱さが出てたから、そういう展開に見えたかも知れません」

 

 彼はわずかに視線を落とし、遠い記憶を探るような仕草をした。

 

「けど、最後のブニャットとの連携は、素晴らしかったと思いますよ」

 

 その言葉に、サイトーは驚いたように目を瞬く。

 モモナリは穏やかな笑みを浮かべ、モーリの方へと視線を向ける。

 

「彼はあの時、確かに『頼る』ことをやめていた。あれは、ただ指示を出しているだけじゃなくて、ポケモンと一緒に『戦って』いたんです」

 

 モモナリはそう断言すると、再びサイトーを見据えた。

 

「先生なら、褒めてやってほしい。彼が最後に見せた動きは、彼自身が乗り越えようとしている証拠ですから」

 

 サイトーはその言葉を受け止め、息を呑む。

 その様子に、モモナリが呟いた。

 

「議論はやめましょう」

 

 彼は肩をすくめて軽く笑う。

 

「お互いの立場が違うんだ。僕が何を言っても、先生が何を言っても、きっと決着はつかないでしょう。あなたがポケモンを持っていれば、戦うことで決められたかもしれませんが」

 

 モモナリは口元に微笑を浮かべると、すっとサイトーの横を通り抜けようと足を踏み出した。

 彼の動作には何の迷いもなく、周囲の空気すら流れるような自然さがあった。

 

 しかし、サイトーはそのまま彼を見送ることができなかった。

 歯を食いしばり、一歩踏み出して、彼の背中に向けて言葉を投げかける。

 

「教育委員会を通じて、あなたの行動には抗議させていただきます」

 

 教員として、そしてバトル部の顧問として、言うべきことは言わなければならない。

 たとえ相手がリーグトレーナーであろうとも、生徒を守ることは彼女の責務だった。

 

 その言葉に、モモナリはふと立ち止まる。

 背を向けたまましばらく沈黙し、やがて小さく息をついた。

 

「それで先生の気が晴れるのなら、どうぞ」

 

 彼は振り返らない。

 その声には怒りも苛立ちもなく、ただ淡々とした響きがあるばかりだった。

 

「攻められるのには慣れてますからね」

 

 そう言って、モモナリは足を踏み出し、公園の出口へと向かう。

 彼の背中は、まるで最初から何もかもが決まっていたかのように、迷いなく遠ざかっていく。

 

 サイトーは彼の背中をじっと見つめたまま、何かを言おうとして、結局何も言えなかった。

 周囲の生徒たちも、誰一人として声を発することはなかった。

 風が吹き抜け、砂嵐の名残をさらっていく。

 

 

 

 

 モモナリが去った後、夕暮れの公園には静けさが戻った。

 だが、静けさとは裏腹に、モーリの周りにはバトル部の仲間たちが駆け寄り、ざわめきが広がる。

 

「モーリ君、大丈夫?」

 

 スズモトが息を切らしながら肩に手を置く。

 ムラナカは険しい表情のまま立っている。

 

「お怪我はありませんかぁ?」

 

 タケダのその問いに、モーリは力なく頷く。

 

「うん。ごめん、みんな」

 

 彼の言葉が静かに落ちると、周囲の空気が微かに緩んだ。

 モーリは下を向き、拳を握りしめながら続ける。

 

「俺が、モモナリさんにバトルを挑んだんだ。勝手に、無茶して、ごめん」

 

 その言葉には、彼なりの誠意が込められていた。

 しかし、挑戦そのものへの後悔はない。そのことが表情のどこかに滲んでいるのを、誰もが感じ取っていた。

 

 スズモトが小さく肩をすくめ、ほっとしたように笑う。

 

「無事ならよかった」

 

 彼女は笑顔のまま、モーリの腕を軽く叩いた。

 その声が、今にも涙に変わりそうなほど震えていることに、モーリは気づいている。

 スズモトの言葉に、モーリは曖昧な笑みを浮かべた。

 彼女の無邪気な安堵の表情を見て、モーリの中に微かな違和感が生まれる。

 

 危険なものなのだ、バトルというものは。

 

 彼にとって、バトルは日常であり、呼吸することと変わらない。

 だが、スズモトや部の仲間たちにとって、それは一歩間違えれば命の危険すら感じるものだったのだと、改めて認識した。

 

 その時、ムラナカが静かに一歩前へ出た。

 鋭い目でモーリを見据え、真剣な声で問う。

 

「なあ、モーリ」

 

 彼の目は、疑念と、ほんの少しの寂しさを湛えていた。

 

「もしかして、僕たちって邪魔なのか?」

 

 その一言に、スズモトたちの表情が凍りつく。

 

「ムラナカ君?」

 

 スズモトが困惑したように笑いかけるが、ムラナカは微動だにしない。

 彼の真剣な眼差しに、モーリは言葉を失った。

 ムラナカは拳を握りしめ、静かに続ける。

 彼の声には、戸惑いと悔しさが混ざっていた。

 

「僕たちはお前にとって、ただの足手まといなのか?」

 

 彼は気づいていた。

 自分と、モーリの間にある気持ちの悪い壁に、彼は気づいている。

 だって、モーリは自分とあまりにも違うから。

 バトルに憧れ、バトルを楽しみ、バトルを恐れる自分と、あまりにも違うから。

 

 モーリは息を呑む。

 ムラナカがそう思っていたことに驚き、そして、否定できない自分がいることに気づいた。

 

「違う」

 

 モーリは小さな声で呟き、拳を握りしめる。

 

「違う、違うんだ。そんなこと、思ってない」

 

 ムラナカはじっとモーリを見つめたまま動かない。

 モーリは目を閉じ、一度深く息を吸い込むと、静かに言った。

 

「次の休み、みんなで俺の家に来てくれ」

 

 スズモトやタケダが驚いたように顔を上げる。

 

「全部話すから」

 

 その言葉に、ムラナカの表情がわずかに緩む。

 

「わかった」

 

 夕暮れの陽が公園を染める中、モーリは自分が抱えるものを、仲間たちに伝える決意を固めていた。




感想、評価よろしくお願いします。
次回は2/18、18:01予定です。

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