『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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12-日常のまんなかに

 プレハブ校舎の一番奥、野球部の第二倉庫の隣。

 ライモン高校ポケモンバトル部の部室は、いつものように古びた雰囲気をまとっていた。

 壁際の棚には、くたびれたポケモン雑誌や誰かが持ち込んだ戦術ノートが雑然と積まれている。机の上には先輩たちが置いていった古いポケモンのステッカーが色褪せて貼られたままだ。

 

 そんな中、スズモトが勢いよく部室のドアを開け、手にしたプリントを誇らしげに掲げた。

 

「聞いて! 今年の成績が認められて、うちの部に特別予算が下りたの!」

 

 彼女の明るい声が部室に響き渡ると、ムラナカが半信半疑の顔でプリントに目を向ける。

 

「特別予算? そんなの、本当にあるのか?」

 

 スズモトは胸を張って頷いた。

 

「ちゃんと校長先生からも説明があったんだから! 今年の大会結果が評価されて、部費が追加されたの!」

 

 タケダが椅子に座ったまま、嬉しげに呟く。

 

「校長先生は投資を分かっておりますわぁ、お母様も『成長産業にはありったけ注ぎ込め』と言っていましたわぁ」

「お母さん投資もやるの?」

 

 スズモトはいつもの掛け合いにも反応できないほどに興奮気味で、どこからか取り出したカタログを片手にまくしたてる。

 

「まずはきょうせいギプス! これがあればトレーニングの効率がグッと上がるし、それに、ほら、いま使ってるの、古すぎてボロボロでしょ?」

 

 彼女が指差したのは、隅っこに転がる擦り切れたゴム製のリストバンドだった。それはかつて『きょうせいギプス』と呼ばれていたらしいが、そもそもただのゴムに『きょうせいギプス』の名は重すぎる。

 

 スズモトはさらに続ける。

 

「あと、バトル用のトレーニング本とか。だから、今度の休日に買い出しに行こうと思ってるんだけど」

 

 彼女の視線が、自然とモーリの方に向く。

 モーリ以外の部員は、それに気づいた。

 ああ、なるほど。そういうことか。

 

「えっと、どうかな?」

 

 そう問いかけると、イイダが雑誌をパタンと閉じ、ごもごもと口を動かしてから答える。

 

「ごめん、ちょっと今度の休みは予定がなあ」

 

 彼が二人にわざとらしく目配せを送ると、ムラナカも肩をすくめて苦笑いを浮かべる。

 

「僕も無理だなあ。美術部の課題の佳境で、次の展示会までに完成させないとヤバいんだ」

 

 続いてタケダが、露骨にニヤニヤしながら首をふる。

 

「はいぃ、申し訳ありませんがぁ、その日はお父様とふわふわのメレンゲパンケーキを作ることに決めましたのでぇ」

「今決めたの?」

 

 彼らの言葉にスズモトの表情が一瞬だけ硬くなったが、単純な引き算を攻略した後に、一気に顔を赤らめてぎこちなく続ける。

 

「そっかぁ、急な話だし、みんな忙しいんだね。じゃあ、モーリ君、一緒に行こうか?」

 

 周囲の空気が、何となく二人に注がれる。ムラナカやタケダの口元が、わずかににやついているのを感じたし、イイダは露骨に視線で「行け、行け」と告げている。

 モーリは何やら作られたような雰囲気を感じながらそれに答えた。

 

「そりゃまあ、良いけど」

 

 特に思うこと無くそう答えると、スズモトの顔に安堵の色が広がった。

 

「ほんと? よかった! 二人でしっかり買い出ししてこようね!」

 

 イイダがニヤニヤしながら手を叩く。

 

「頼んだぜ、モーリ! 俺たちの分まで、スズモトの荷物持ち、頑張ってくれよ」

 

 からかうような言葉に、モーリは少しムッとした顔をしながらも、軽く肩をすくめて返す。

 スズモトはそんなやりとりを楽しげに眺めながら、鞄から買い物リストを取り出し、メモを取り始めていた。

 

 部室の窓から差し込む夕日が、彼女の横顔を柔らかく照らしていた。

 

 

 

 

 駅前の広場には、休日のゆったりとした空気が漂っていた。平日の朝や夕方にあふれる学生や会社員の姿は少なく、代わりに家族連れや買い物客が行き交っている。

 ベビーカーを押す母親の横を、マフラーをぐるぐる巻いた子供が走り抜けていった。子供は、駅前に立つソーナンスの着ぐるみに駆け寄り、その青い体に抱きつくように飛びつく。着ぐるみの中の人がぎこちなく手を振ると、周囲からくすくすと笑い声が漏れた。

 

 スズモトは、駅の時計をちらりと見上げた。集合時間までは、まだ少しだけ余裕がある。

 それでも彼女は、じっとしていられず、ショーウィンドウに映る自分の姿を横目で確かめた。

 いつもより少し丈の長いコートを選んだせいか、動くたびに裾が気になった。さっきから何度も整えたはずなのに、手が勝手に襟元へと伸びる。

 

 小さく息を吐いてみる。吐息は白く、冬の冷たい空気に溶け込んでいった。手袋を持ってくればよかったと、スズモトは指先をこすり合わせる。

 

 人混みの向こう、ゆったりとした足取りで歩いてくるモーリの姿が見えた。ポケットに片手を突っ込み、いつもの落ち着いた表情のまま、もう片方の手で携帯端末を軽く弄っている。

 特別な意識など感じられない、実用性だけを重視したシンプルな服装だった。

 

 スズモトは無意識のうちにコートの裾をもう一度整えた。自分だけが特別なつもりになっていた気がして、少し恥ずかしくなる。

 

 モーリが足を止めて、こちらを見る。目が合うと、彼はわずかに眉を上げた。

 

「悪い、待ったか?」

 

 彼の言葉に、スズモトはすぐさま手を振った。

 

「ううん、今来たところ!」

 

 言いながら、自分の声が少し弾んでいることに気づき、気恥ずかしさを隠すように足元へと視線を落とした。

 冷たい風が吹き抜け、スズモトは小さく身を縮めた。

 

「手袋、持ってくればよかったなぁ」

 

 指先をさすりながら呟くと、モーリがぼんやりと遠くの空を見上げる。

 

「カントーじゃさ、冬になるとロトムが乗ってる電車が走るんだよな」

 

 スズモトは目を瞬かせる。

 

「ロトムが電車に?」

「暖房がわりさ。あれがあれば、手袋なんていらないくらい暖かいんだ」

 

 スズモトは笑みをこぼした。

 

「いいなぁ、それ! こっちにもあればいいのに」

 

 モーリは口元に軽く笑みを浮かべると、少しだけ真剣な表情を見せた。

 

「けど、気まぐれなんだよな。たまに突然冷房モードに切り替わったりするし」

「えぇっ、それ困るじゃん!」

 

 スズモトは思わず声を上げたが、そのあとにふっと笑う。寒さも、緊張も、少しずつ和らいでいく。

 

 ホームに向かう階段へと足を踏み出しながら、スズモトが切り出した。

 

「じゃあ、行こっか。電車で30分くらいだったよね?」

 

 彼女が言うと、モーリは軽く頷いた。

 

「おう、ショッピングモールまで乗り換えなしだし、楽なもんだ」

 

 二人は改札を通り、休日の人波を抜けていく。電光掲示板に表示された発車時刻まで、あと10分ほど。

 ベンチに腰掛けながら、スズモトがメモを取り出した。

 

「えっと、まずはきょうせいギプスと、後はトレーニング本と」

 

 モーリはベンチに背を預けながら、どこかのんびりとした表情で聞いている。

 

「なんか、思ってたよりしっかりリスト作ってるんだな」

 

 スズモトは少し得意げに微笑んだ。

 

「当然でしょ! 無駄遣いはできないもん」

 

 スズモトの横顔に、冬の日差しが柔らかく当たる。モーリはその姿をちらりと見て、何か言おうとしてやめた。

 電車の到着を知らせるアナウンスがホームに響くと、二人は立ち上がり、人波に紛れて車両へと乗り込んだ。

 

 

 

 

 駅からバスに揺られること五分。

 郊外に広がる大型ショッピングモールの前に立つと、スズモトは目を輝かせた。

 ガラス張りのエントランスの向こうには、休日を楽しむ家族連れや学生たちが行き交い、フードコートから漂うポップコーンや焼きたてパンの香りがふわりと流れてくる。

 

 モーリは一歩後ろからそれを眺めつつ、手袋を外してポケットに突っ込んだ。

 自動ドアが開くと、スズモトは振り返り、満面の笑みを浮かべる。

 

「ねえ、まずはバトルグッズのお店に行こ!」

 

 彼女が手にした買い物リストを振りながら、真っ先に目的地へと向かう。

 モーリも軽く頷き、モールの案内板を確認した後、スズモトの後を追った。

 

 モールの二階、通路の奥に位置する『ポケモンバトルスタイル』は、この地域で唯一のポケモンバトル用品専門店だった。

 店の入り口には、「初心者歓迎!」と書かれたポスターと、ニコニコと笑うピカチュウの等身大フィギュアが飾られている。

 

 スズモトは嬉しそうに店内を見回した。

 

「すごーい! なんでも揃ってるね!」

 

 彼女の視線は棚に並ぶ『きょうせいギプス』や『パワーリスト』『メンタルハーブ』に釘付けだった。目を輝かせながら、次々と手に取っては裏の説明を読みふける。

 

 一方、モーリは無言で商品棚を見渡し、軽くため息をついた。

 ここには、どこでも手に入るような汎用的なトレーニンググッズばかりが並んでいる。

 確かに、地方の高校生には十分すぎる品揃えかもしれないが、彼にとってはどこか物足りない。

 

「まあ、こんなもんだよな」

 

 モーリはスズモトが手にしている『きょうせいギプス』と同じものを手に取った。ラベルには、有名なブランド名が書かれているものの、あまりにつまらなく感じる。

 

「これ、ポケモンによっては筋肉痛が出るって話もあるんだよなあ」

「えっ! そうなの?」

「負担がプロ用に設定されてるからね」

 

 彼の指が携帯端末へと伸びる。

 

「タマキのやつが評判いいんだよな」

 

 モーリがぽつりと呟くと、スズモトが不思議そうに顔を上げる。

 

「タマキ?」

 

 彼は端末の画面をスズモトに見せながら説明する。

 

「カントー・ジョウトのBリーガーだよ。トレーニング器具を監修しててさ、彼女がプロデュースしたギプスは、安全だし従来のやつよりトレーニングの効率が上がるって評判なんだ。ほら、ここでもレビュー評価高いだろ?」

 

 画面には『タマキ監修のきょうせいギプス、ポケモンの負担を抑えつつ最大限の効果を引き出す』と書かれたレビューが並んでいた。

 

 スズモトは画面を覗き込み、感心したように目を丸くする。

 

「すごい、そんなことまで知ってるんだね、モーリ君」

 

 その言葉に、モーリは一瞬、口をつぐんだ。

 思えば、何の躊躇もなく『知識』を口にしていた。過去に培ったもの、逃げるように捨てたはずのそれを、こうも当たり前のように口にするとは思わなかった。

 

「まあ、スズモトや部の皆には、こういう話をしてもいいかなって」

 

 自分が、いつの間にか変わり始めていることに気づく。

 ここでは、それを話しても拒絶されることはない。

 

「いや、ほんと、ありがとう」

 

 その言葉にスズモトが驚いて顔を上げると、モーリはわずかに目を逸らしながら小さく言い足した。

 

「なんでもない」

 

 スズモトは目を瞬かせた後、少しだけ頬を赤らめる。

 空気を変えるように画面を覗き、モーリの顔をちらりと見上げた。

 

「ネットで買ったほうが、いいかもね?」

「まあそうかも、直通のサイトなら『二個目以降割引』って書いてあるし、二つあればバトルしながら鍛えられる」

「じゃあ、買い物の仕方もちゃんと教えてよね」

 

 モーリは、思っていた以上にここでの生活を楽しんでいることに、今さらながら気づいていた。

 

「もちろん」

 

 店内の音楽が流れる中、スズモトはモーリの横で、スマホの画面を見つめたまま、小さく頷いた。

 

 

 

 

 ショッピングモールの一階奥にある書店は、平日昼間にもかかわらず、それなりの賑わいを見せていた。

 入口近くには、ポケモンの最新図鑑やコミックが並び、親子連れが楽しそうにページをめくっている。奥へ進むと、バトル指南書や専門書がずらりと並んでいたが、客はまばらだった。

 

「わぁ、すごいね! こんなに種類があるんだ!」

 

 スズモトは本棚を見上げながら感嘆の声を漏らし、すぐに戦術書コーナーへと足を向けた。分厚く難しそうなタイトルが並ぶその棚を前に、彼女の手が迷うことなく伸びる。

 

「どれがいいかなぁ、プロトレーナーの育成法とか、エリートのためのバトル理論、こういうの、部にあったら役に立つかも!」

 

 そんな彼女の熱意とは裏腹に、モーリはやれやれと言わんばかりに溜め息をついた。そして、すぐ近くの『初心者向けポケモンバトル』という看板が掲げられたコーナーへと歩を進める。

 

「そっちじゃなくて、こっちの方が大事だろ」

「えぇ? そっちは子供向けの本ばっかりじゃん!」

 

 スズモトは抗議するように顔をしかめたが、モーリは意地悪げな笑みを浮かべて棚から一冊の本を手に取った。表紙には、ポケモン図鑑のイラストと共に『タイプ相性完全攻略』と大きく書かれている。

 

「じゃあ、質問な」モーリは軽く本をひらひらと振ってみせる。

 

「あくタイプに効果抜群の攻撃はなんでしょうか」

 

 スズモトは少し考えて、自信ありげに答える。

 

「格闘とフェアリー!」

 

 だが、モーリは微笑みながら首を横に振る。

 

「おしい。むしもある」

「えっ? むしタイプも?」

「そうそう。意外と忘れがちなんだよな」

 

 モーリはページを開きながら説明する。スズモトは納得がいかない様子でまだ何か言いたそうだった。

 

「じゃあ、むしタイプの攻撃が半減されるタイプ、全部言える?」

「えっと、ほのお、ひこう、はがね……それくらい?」

 

「それだけじゃないよ」モーリは余裕の表情で指を折る。

 

「かくとう、どく、ゴースト、フェアリーにも半減される」

 

 スズモトの口がぽかんと開く。

 

「そんなに多いの!? それじゃあ、むしタイプって結構大変なんだね」

 

 モーリは軽く笑いながら、本をパラパラとめくる。

 

「まあ、そういうこと。バトルってこういう基本を押さえてないと、どんなに難しい戦術を学んだって意味ないんだよ」

 

 彼はふと、本棚の隅にある一冊の本に目を留めた。

 古臭い配色の表紙に、大きく『はじめてのポケモンバトル』と書かれている。手に取ると、懐かしい手触りが指に伝わってくる。

 

「これ、昔、よく読んでたな」

 

 スズモトが覗き込む。

 

「子供用じゃない?」

 

 モーリは苦笑しながらページをめくる。見覚えのある挿絵や、親しみやすい文体に、胸の奥が少しくすぐったい感覚に襲われる。

 

「子供の頃、ボロボロになるまで読んだんだよ。でも、今読んでも悪くないと思う」

 

 スズモトはその言葉を聞き、しばらく本の表紙を眺めてから、小さく頷いた。

 

「じゃあ、それも買おうか!」

「おう」

 

 二人がレジに向かおうとしたとき、スズモトの足がふと止まる。

 

 奥の棚に並ぶ、ポケモンリーグ関連の書籍が目に入ったのだ。大会のハイライトや、有名トレーナーたちのインタビューが詰まった雑誌の表紙が、きらびやかに輝いている。

 

 スズモトはちらりとモーリの方を見た。彼が「リーグには興味がない」と以前言っていたのを思い出し、手を伸ばすのをためらう。

 何より、リーグというものは彼にとっていい思い出ではないかも知れない。

 だが、モーリは彼女の視線に気づいたようで、軽く肩をすくめた。

 

「気にしなくていいよ、見に行こうぜ」

 

 スズモトはほっと息をつき、嬉しそうに棚へ向かう。すると、モーリがふと思い出したように言った。

 

「ワタルさんの自伝、売り切れてなかったら俺も買いたいし」

 

 その言葉に、スズモトは驚いた顔で振り向く。

 

「え、モーリ君、リーグに興味ないんじゃなかったの?」

 

 モーリは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。

 

「いや、そんなわけないだろ。リーグトレーナー目指してたやつが、興味ないわけないじゃん」

 

 彼の言葉に、スズモトの表情がわずかに柔らかくなった。

 

「そっか、モーリ君もやっぱりポケモンリーグ、好きなんだね」

「病的なオタクだよ、俺は」

 

 モーリはワタルの本を手に取り、静かに表紙を眺めた。

『「共に生きろ」と言われて』というタイトルの表紙をめくると、ドラゴンポケモンたちと共に戦う彼の勇姿が写っている。かつて、自分もあの場所に立ちたいと願っていたことを思い出す。

 

「昔の話、だけどね」

 

 モーリはそう言って、本を手に取りレジへ向かう。

 スズモトはそんな彼の背中を見つめながら、少しだけ微笑んだ。

 

 

 

 

 ショッピングモールのフードコートは、昼時の賑わいで溢れていた。

 家族連れやカップル、友人同士のグループがあちこちの席に陣取り、店の前には列ができている。

 ポケモン同伴可のエリアには、ピカチュウやワンパチといった親しみやすいポケモンが飼い主の足元に丸くなり、テーブルの隙間を縫うように歩き回っていた。

 

「結構混んでるね」

 

 スズモトはトレイを持ったまま辺りを見渡し、空席を探す。

 モーリは冷静に店の奥を指さした。

 

「あそこ、空いてるみたいだ」

 

 二人は人混みを避けながら、隅のテーブルに向かった。

 席に着くと、スズモトは自分のフシギダネをボールから出し、ポケモン用の食事をテーブルの端に置いた。

 ブニャットもモーリの隣に悠々と座り、目の前に置かれた皿をゆっくりと鼻先でつついている。

 

 スズモトが微笑みながらフォークを手に取った。

 

「いただきます」

 

 モーリも軽く頷き、箸を動かした。

 それぞれの食事が進む中、モーリはふとフシギダネの様子に目を留める。

 

 皿の上には色とりどりのベリーや野菜が並んでいるが、フシギダネはその一部をちょっとついばむだけで、すぐに満足げに顔を上げてしまった。

 

「こいつ、あんまり食べないんだな」

 

 モーリが何気なく言うと、スズモトはフシギダネを見下ろし、肩をすくめた。

 

「うん、昔から少食なんだよね。でも元気だし、そこまで気にしてないんだけど」

 

 モーリは軽く考え込むようにフシギダネの背中に視線を向ける。

 

「午後、少し外に出て休んでいくか?」

 

 スズモトは驚いたように顔を上げた。

 

「いいの?」

「日が差してあったかくなるだろうし、俺も少し休みたいしな」

 

 モーリはそっけなく言いながら箸を進めるが、スズモトは嬉しそうにフシギダネの頭を撫でる。

 

「じゃあ、近くの広場でちょっとのんびりしようか」

 

 モーリは特に何も言わず、微かに頷いた。

 

 食事を終えたブニャットが満足そうに毛づくろいを始めると、フシギダネも穏やかに体を丸め、少し眠たげな様子を見せていた。

 その様子を見ながら、スズモトはモーリの方をちらりと見やる。

 

「モーリ君って、ポケモンのことよく見てるよね」

 

 モーリは箸を置き、少し照れくさそうに鼻をこすった。

 

「まあ、そりゃね」

「でも、そのおかげで助かってるよ。ありがとう」

 

 スズモトが小さく笑いかけると、モーリは「気にするな」とだけ言って視線を外した。

 

 穏やかな昼下がりのフードコート。

 テーブルの上に残った飲み物の氷がカランと音を立てる中、二人はそれぞれのポケモンの姿を眺めながら、次の予定に思いを巡らせていた。

 

 

 

 

 ショッピングモールを出ると、冬の冷たい空気が頬をかすめた。

 昼を少し過ぎた時間とはいえ、雲ひとつない空から降り注ぐ日差しは強く、アスファルトに柔らかい光が反射している。

 

 

 モーリとスズモトはショッピングモール近くの広場に足を向けた。

 芝生が広がり、ベンチや噴水が設置されたその場所は、週末になると子供たちや散歩する人々で賑わう。

 しかし、休日とはいえ冬である、人影はまばらで、のんびりとポケモンと過ごすにはうってつけの場所だった。

 

「ここ、いいね」

 

 スズモトは嬉しそうにフシギダネのボールを取り出し、開放感のある空間を見渡しながら広場の端にあるベンチに腰を下ろした。

 モーリもそれに倣い、隣に座る。

 

 ベンチに座るなり、モーリは手にした『おいしい水』のボトルをフシギダネに差し出した。

 水面がきらめくボトルを見て、フシギダネはゆっくりと口を付ける。

 

「日光浴のときには、水分補給も大事なんだ」

 

 フシギダネが小さな舌でぺろぺろと水を舐める姿を見つめながら、モーリはふと思案顔になった。

 

「草タイプのポケモンにも、けっこう個体差があるんだよな」

 

 スズモトが目を丸くする。

 

「個体差?」

 

 モーリはフシギダネのつぼみを眺めながら、続ける。

 

「フシギダネの中には、よく食べるやつもいれば、こいつみたいに光合成で栄養を取るほうが好きなやつもいる。環境とか、生まれ育った場所にもよるけど、こいつはたぶん光合成のほうが性に合ってるんだろうな」

 

 スズモトはフシギダネを見下ろし、少し考え込むように頷いた。

 

「たしかに、いつものんびりしてるなぁって思ってたけど、そういうことだったのかも」

 

 彼女が笑いながら呟くと、フシギダネは気持ちよさそうに目を閉じ、背中のつぼみを太陽に向けた。

 そんな様子に触発されたのか、モーリの足元にいるブニャットも、ふんわりと体毛を膨らませ、ベンチの下で丸くなっている。

 

「お前も、日向ぼっこ好きだったっけな」

 

 モーリは苦笑しながら、ブニャットの頭を軽く撫でる。

 いつもは気まぐれでどこか遠くに行こうとするブニャットも、今日はやけに大人しくそこにいる。

 

 しばしの沈黙が続く。

 日差しの中、心地よい時間が流れていた。

 そんな中、モーリがふとスズモトを横目で見た。

 

「なあ、どうしてバトル部のマネージャーになったんだ?」

 

 気になっていたことだった。

 バトルをやめたつもりだったとはいえ、モーリはこれまでずっとプレイヤー側だった。故に、マネージャーを志望する理由がわからない。

 スズモトはモーリの問いに、少し驚いたようだったが、すぐに微笑んだ。

 

「ポケモンが好きだから、かな」

 

 彼女の答えはシンプルだったが、モーリは眉をひそめ、少し考え込むように返す。

 

「それなら、別にバトル部じゃなくてもよかったんじゃないか? ポケモンが好きでも、バトルが嫌いなやつもいるし」

 

 スズモトはモーリの言葉に一瞬口をつぐんだが、やがてゆっくりとフシギダネの背を撫でながら答えた。

 

「でもね、バトルをするトレーナーたちも、みんなポケモンを愛してるって思ったの」

 

 彼女の視線は、フシギダネのつぼみに向けられている。

 

「リーグを見てたとき、思ったんだ。みんな一生懸命で、ポケモンと一緒に勝つために頑張ってて。ポケモンも、それに応えようと頑張ってて、それって、すごく素敵なことだなって」

 

 モーリはその言葉を聞いて、ゆっくりと問う。

 

「俺も、そう見えるか?」

 

 彼の問いに、スズモトは少しだけ考え込み、正直に、言葉を選ぶように答えた。

 

「うーん、もっと、ブニャットちゃんと仲良くしてもいいと思うな」

 

 モーリは肩をすくめ、視線をブニャットに向ける。

 

「そう見えるか?」

 

 スズモトは微笑みながら、優しく頷いた。

 

「うん。でも、最近はちょっとだけ変わったよね」

 

 モーリはブニャットの毛並みを撫でながら、ふと苦笑した。

 

「そうだと良いな」

 

 広場には、のんびりとした時間が続く。

 冬の空気は冷たいはずなのに、日差しは心地よく、スズモトのフシギダネが幸せそうに体を預けると、ブニャットも気持ちよさそうに喉を鳴らした。

 

 モーリは何気なく彼女の横顔を見た。陽の光を受けた髪がふわりと揺れて、普段の部活のときとは違う雰囲気があった。

 

 

 

 

 広場でのんびりと日向ぼっこを楽しんだ後、二人はショッピングモールへ戻った。

 昼下がりの時間帯になり、館内には家族連れや友人同士のグループが増え始めていた。通路の端には、ぬいぐるみを抱えた子供が立ち止まり、母親にせがむ姿が見える。

 

 スズモトは人混みを避けるように、さっさと先を歩き始めた。

 

「ねえ、せっかくだし、いろんなお店を見て回ろうよ」

 

 モーリはその言葉に軽くうなずきながら、足を進めた。彼女の歩調はいつもより少し速く、まるでこの時間を無駄にしたくないとでも言うかのようだった。

 

 スズモトがショーウィンドウの前で立ち止まる。ガラスの向こうには、小さなアクセサリーが整然と並んでいた。ブレスレットやネックレスには、ポケモンのシルエットがあしらわれている。

 

 彼女はそのひとつを指さし、モーリに向かって軽く顔を上げる。

 

「こういうの、どうかな?」

 

 モーリは目を細めて商品を眺めた。

 

「かわいいな」

 

 簡単な感想を口にしたものの、それ以上に言葉は続かなかった。彼はすぐに視線を逸らし、その目線はバトル向けのグッズに行ってしまう。

 スズモトは少し笑いながら、ショーウィンドウから目を離した。

 

「やっぱり、そういうのは興味ないよね」

 

 彼女の声には冗談めいた調子が混じっていたが、その笑顔はどこか残念そうにも見えた。

 

 次の店へ移動しようとしたとき、スズモトがふと足を止め、視線をモーリに向ける。

 

「ねえ、モーリ君ってさ、ポケモンバトル以外にやりたいことってある?」

 

 モーリは不意に問いかけられたことに戸惑い、足を止める。彼の視線は通路の床へと落ち、スニーカーのつま先が小さく動いた。

 

「あんまり考えたことないかも」

 

 自分の声が思った以上に平坦だったことに気づきながら、モーリはそのまま続けた。

 

「ポケモンバトルしか知らないし」

 

 それは単純な事実だった。自分が知る世界は、ポケモンバトルを中心に回っていたし、それ以外のことを深く考えたことはない。そう答えると、スズモトは彼の横顔をじっと見つめた。

 

 やがて、彼女はゆっくりと口を開く。

 

「でも、ポケモンのことをこんなに考えてるモーリ君、私は好きだよ」

 

 彼女の言葉は、飾り気のないもので、彼女自身も気づかないまま口にしたようだった。

 モーリは一瞬、驚いたようにスズモトを見たが、すぐに視線をそらし、肩をすくめるように応えた。

 

「そっか」

 

 スズモトは何気ない返事を聞くと、何かを隠すように目を伏せ、髪を指で弄りながら歩き出した。彼女の足取りは、さっきよりもわずかに早くなっていた。

 

「次、あそこのカフェに行ってみようか」

 

 モーリは後をついて歩きながら、さっきのスズモトの言葉を頭の片隅で反芻していた。

 

 カフェの入口に近づくと、窓越しにポケモン連れの客たちがくつろいでいるのが見えた。外のベンチでは、トレーナーの横でイーブイがしっぽを揺らしながら昼寝をしている。モーリはその光景をぼんやりと眺めながら、ふと自分の心の中に浮かび上がる思いを整理しようとした。

 

 やっぱり、バトルしか知らないのは、まずいよなあ。

 

 そんな疑問が、不意に頭をよぎった。

 

 

 

 

 ショッピングモールを出ると、空はすっかり夕暮れの色に染まっていた。オレンジ色の光が建物のガラスに反射し、二人の姿を映し出す。昼間の賑やかさが嘘のように、モール周辺は静けさを取り戻していた。

 

 モーリは少し歩調を落としながら、手にした紙袋を軽く揺らした。袋の中には、部活の備品に加え、さっき買ったポケモンリーグの雑誌や彼が選んだ初心者向けのバトル指南本が入っている。

 

「今日は、楽しかったね」

 

 ぽつりと、スズモトが呟く。その声は少しだけ名残惜しげで、穏やかな夕日の中に溶け込むようだった。

 

 モーリは彼女の言葉に、短く「そうだな」とだけ答えた。

 荷物がすべらないように気をつけ、前を見据えたまま歩く。スズモトはそんなモーリの横顔をちらりと見たが、それ以上は何も言わず、再び前を向いた。

 

 冬の冷たい風が吹き抜けると、スズモトはコートの襟をぎゅっと引き寄せる。モーリはちらりとその仕草を見て、何も言わずに少し歩く速度を上げた。

 

 駅が近づくにつれ、街灯がぽつぽつと灯り始める。遠くから電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえてきた。

 

「もう皆帰る時間か」

 

 モーリが小さく呟くと、スズモトは少し寂しそうに笑った。

 

「うん。でも、またみんなで買い出しとか来れたらいいね」

 

 改札を通り、二人は電車を待つホームへ向かった。駅のホームにはそれほど人は多くなく、列車を待つ数人の客が立っているだけだった。

 

 冷たい風が足元をかすめ、スズモトは再び肩をすくめる。モーリはふと白い息を吐き、それから何気ない表情で言った。

 

「ありがとう、楽しかった」

 

 その言葉に、スズモトは驚いたように目を丸くした。

 

「えっ?」

 

 モーリは照れくさそうに目をそらす。

 スズモトは数秒間モーリの顔を見つめた後、ふっと微笑んだ。

 

「ううん、ありがとう。私も楽しかった」

 

 彼女の声は、さっきよりも少しだけ弾んでいた。

 

 電車がホームに滑り込んできた。二人は並んで車両に乗り込み、並んで座る。車内は空いていて、奥の座席に座ったままウトウトしている人たちの姿がちらほらとあった。

 

 スズモトはモーリの隣に座ると、少しずつ瞼が重くなっていく。心地よい車内の揺れと、今日一日の疲れが彼女の意識を曖昧にする。

 

 しばらくして、彼女はそっと頭をモーリの肩に預けた。

 

 モーリは驚いたように身じろぎしかけたが、そのまま黙って前を見つめる。車窓の外には、すでに夜の気配が広がっていた。街のネオンが流れるように過ぎていく。

 

 彼は窓の外をぼんやりと眺めながら、今日の出来事を振り返っていた。バトルグッズの話、書店でのやりとり、そしてフシギダネのこと。スズモトとこうして一緒に過ごす時間が、思っていたよりも悪くないと感じていた。

 

 こういう事、無かったな。

 

 そう心の中で思いながら、モーリはブニャットのボールを手のひらの中で軽く転がした。ボールの中のブニャットが、小さく鳴いたような気がした。

 

 やがて電車が駅に到着し、モーリはそっとスズモトの肩を軽く叩く。

 

「着いたぞ」

 

 スズモトは少し寝ぼけた様子で目をこすりながら、ぼんやりとした顔で立ち上がった。

 

「うん、ありがとう」

 

 二人は改札を抜け、駅前の広場に出た。夜の空気は昼間よりもさらに冷たく、白い吐息が宙に舞う。

 

 スズモトはコートのボタンを留め直しながら、モーリに向き直った。

 

「また、付き合ってくれる?」

 

 モーリは少し考えるふりをしてから、わずかに微笑んだ。

 

「まあ、暇だったらな」

 

 スズモトは満足そうに頷き、ゆっくりと歩き出す。

 

「じゃあ、またね」

 

 モーリは軽く手を挙げ、それを見送る。スズモトの背中が駅の灯りに照らされ、やがて人混みに紛れていった。

 彼はしばらくその場に立ち尽くし、空を見上げる。冬の夜空に星がぽつりぽつりと浮かんでいた。

 

 彼は小さく息を吐くと、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。

 

「またな」

 

 その呟きは誰に向けたものか、モーリ自身にもよくわからなかった。

 遠くで列車の発車音が響き、街の夜が深まっていく。




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次回は2/22 18:01予定です

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