『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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18-逃げない者たち

 朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。窓の外からは、相変わらず虫の鳴き声が聞こえる。

 モーリは目を開け、しばらく天井を見つめていた。昨日の試合の感触がまだ指先に残っている気がする。

 

 ブニャットの倒れた姿。カザの熱のこもった声。スズモトの潤んだ眼差し。あの瞬間のひとつひとつが脳裏をかすめ、胸の奥がじわりと重くなる。負けたという事実は変えられない。わかっているはずなのに、昨夜からずっと頭から離れなかった。

 

 しかし、そうではない瞬間もあった。

 悔しいと、ブニャットに言った。

 あの瞬間、自分達は僅かに感情を共有することができた気がした。

 

 ゆっくりと体を起こし、時計を確認する。朝の六時過ぎ。まだ少し早いが、二度寝する気にはなれなかった。無意識に部屋の真ん中に視線を向け、寝そべっているであろうブニャットを見る。

 

 ブニャットはいつものように無表情で、じっとこちらを見つめていた。モーリは何か言おうとしたが、適切な言葉が見つからず、ただ見つめ返す。しばらくの沈黙のあと、ブニャットは尻尾を軽く揺らし、そっぽを向いた。まるで、試合について何も感じていないかのように。

 

 本当にそうだろうか。

 

 モーリは視線を落とし、考える。昨日の敗北が悔しくないわけがない。自分ですら、あの瞬間を何度も思い出してしまうのだから。なら、こいつはどうなのか。彼の心の内を知るすべもなく、モーリは静かに口を開く。

 

「俺達で勝つんだ」

 

 かすれた声だった。だが、それは確かに、今のモーリ自身の言葉だった。

 

 ブニャットは耳をぴくりと動かした。返事なのか、それともただの反応なのか。けれど、モーリはそれ以上何も言わなかった。

 ただ、今日という一日が昨日とは違うものになることを願いながら、否、そうではない、自分達がそうさせないのだと決意しながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

 スタジアムの観客席の一角、ライモン高校の選手たちはすでに陣取っていた。

 周囲はまだ朝の空気が残っており、陽射しは柔らかい。しかし、これから始まる個人戦を前にした静かな緊張感が、その空間を満たしている。

 

 モーリはベンチに腰を下ろし、モンスターボールをそっと地面に転がした。

 赤い光が弾け、ブニャットが姿を現す。

 彼は一瞬あたりを見回したが、すぐに座り込むと前足を揃え、目を細める。

 

 モーリは、自分でも驚くほど自然な仕草でブニャットの顎の下に手を伸ばした。

 指先でふわりと毛を梳くように撫でると、ブニャットはわずかに喉を鳴らしたように思えた。

 この感触があるだけで、モーリの心の奥にわずかな安堵が広がる。

 

 その様子を見ていたムラナカとタケダは、ふっと肩の力を抜く。

 昨日の張り詰めた様子が、どこか抜けているような気がした。

 

 スズモトはモーリをじっと見つめていたが、やがて静かに微笑む。

 

「よかった」

 

 彼女の声は小さかったが、それは確かに安心の響きを帯びていた。

 

 そんな空気の中、イイダが一歩前に出る。

 部長として、モーリへと視線を向ける。

 

「いいね、元気そうだ」

「ありがとうございます」

 

 そのタイミングで、サイトーがゆっくりと立ち上がった。

 

「全員、少し話すぞ」

 

 彼女の低く落ち着いた声が、自然と周囲の空気を引き締める。

 

「団体戦は終わった。今日は個人戦だ」

 

 生徒たちは静かに耳を傾ける。

 

「今日、お前たちは自分の力だけで戦うことになる。勝ち進めば進むほど、強いやつらが待っている」

 

 彼女の視線が、モーリを含めた生徒たち一人ひとりを見渡す。

 

「自分を信じろ。そして、全力を尽くせ」

 

 そう言って、サイトーは短く息を吐く。

 

「月並みな言葉だが、頑張れよ」

 

 生徒たちは静かに頷く。

 それぞれの心に、これからの戦いへ向けた決意が生まれつつあった。

 

 モーリは、再びブニャットへと視線を落とす。

 特に何の反応も示さないまま、静かに目を閉じている。

 

 だが、その佇まいには確かな落ち着きがあった。

 

 モーリは、自分の中に芽生えた小さな確信を噛み締めながら、そっとブニャットの背を撫でる。

 

 

 

 

 ボロボロの掲示板に、パズルのようにいくつかの紙が組み合わされたトーナメント表が張り出されていた。

 選手たちの名前が並び、会場内のざわめきが徐々に高まっていく。

 

 モーリは、自分の名前を探す。

 すぐに見つかった。

 

 そして、次の瞬間、彼は反射的にカザの名前を探す。

 それを見つけるのには、少し時間がかかった。

 自分のちょうど反対側、最も遠くのブロックに、その名前がある。

 きっと、トーナメント作成者はその二人の名前を真っ先に入れたに違いない。

 順当に行けば、彼らが当たるのは決勝戦になる。

 

「あーあ」と、モーリの少し後ろに立っていたイイダが声を上げる。

 

 彼はモーリの肩を叩きながら、トーナメント表を指差す。

 

「お前と当たるかもな」

 

 その指の先には、モーリの直ぐ側に書かれたイイダの名があった。

 

 

 

 

 試合が終わり、ムラナカがゆっくりと観客席へ戻ってきた。

 彼の歩調は落ち着いているように見えたが、その肩はわずかに上下してる。

 息を整えながら、モーリの隣に腰を下ろす。

 

 スタジアムのフィールドでは、次の試合の準備が進んでいた。

 観客のざわめきは変わらず続いているが、ムラナカはそれに意識を向けることなく、まっすぐ前を見据えたまま静かに息を吐く。

 

「まいった、カザは強いね」

 

 淡々とした口調だったが、その言葉には確かな実感が滲んでいた。

 モーリは試合を見ていたが、ムラナカは慎重に戦っていた。

 それでも、最終的にはカザに押し切られた。

 

 モーリは少し考え、ゆっくりと口を開く。

 

「最後まで食らいついてたと思うよ」

 

 ムラナカは小さく笑った。

 

「そう見えたなら、悪くなかったのかもな」

 

 そう言いながら、自分の手のひらをじっと見つめる。

 拳を軽く握って、また開く。

 

「でも」

 

 ムラナカはモーリのほうへ視線を向けた。

 

「君のほうが強いと思う」

 

 その言葉には、迷いがなかった。

 

 モーリは彼の目を見つめ返す。

 

 ムラナカは肩をすくめると、また前を向いた。

 フィールドの上では、新たな試合が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 スタジアムの中央、陽光に照らされたフィールドで、モーリとイイダが向かい合っていた。

 観客席ではライモン高校の部員たちがそれを見守っている。

 タケダとムラナカは並んで座り、スズモトは少し緊張した面持ちでこちらを見ている。サイトーは腕を組み、静かに試合の開始を待っていた。

 

 モーリは目の前のイイダを見つめながら、心の奥にあるわずかな違和感を振り払おうとしていた。

 彼に勝てば、イイダの夏は終わる。

 それを終わらせるのは、もしかしたら自分かもしれない、その事実が少しだけ胸に重くのしかかる。

 

 だが、イイダの表情に迷いはない。彼は軽く肩を回し、いつもの調子でリラックスした笑みを浮かべていた。

 

「気負うなよ」

 

 イイダはふっと笑い、続ける。

 

「いつも通りで良いんだ。練習の時のお前を見せてこい」

 

 モーリは目を伏せた。

 練習通り、そうすれば、きっとイイダには勝てるだろう。

 それが自分のうぬぼれであることを願いたいほどであった。

 

 だが、イイダはそのような考えを見透かしたように、にやりと笑う。

 

「俺は、それを越えたい」

 

 その言葉に、モーリはわずかに目を見開いた。イイダの視線は真っ直ぐで、その奥にある決意の強さが伝わってくる。

 彼は、自分の限界を超えるために戦うつもりなのだ。モーリはゆっくりと息を吸い込む。

 

 自分も、ただ勝つためにここにいる。余計なことを考える必要はない。ただ、全力を尽くせばいい。

 

 静かに顔を上げ、イイダを見据えた。

 

「いい試合を、しましょう」

「当然」

 

 イイダはニッと笑い、フィールドの反対側へと歩き出す。モーリもまた、一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 モーリの視線が、バタフリーを捉えている。

 試合前に何度も見てきた相手。それでも、今は違う。イイダの真剣な目つきが、目の前のバタフリーに新たな強さを与えているように感じた。

 

 ブニャットが低く構える。バタフリーは羽ばたきながら、粉を散らす準備を整えていた。

 

 モーリが指を動かし、ブニャットが瞬時に飛び出す。前足を叩きつけると、バタフリーの体が一瞬揺れ、羽ばたきが止まる。『ねこだまし』が決まり、バタフリーの動きが封じられた。

 

「『ねむりごな』!」

「『ねこだまし』」

 

 

 

 やはり『ねむりごな』

 イイダはここにこだわってくる。

 付き合えば厄介なことになるのは当然だ。

 

「『ちょうはつ』」

 

 ブニャットは低い姿勢を取り、鋭い視線でバタフリーを睨みつける。バタフリーの体が一瞬震えた。変化技を封じる『ちょうはつ』が成功する。

 『ねむりごな』を封じたモーリは、一つ息をつく。

 

 だが、イイダはその指示を待っていたかのように声を上げた。

 

「『エレキネット』!」

 

 バタフリーの口から粘着性の糸が吐き出され、それは『ちょうはつ』に集中していたブニャットの体に張り付く。

 

 ブニャットはそれに素早く対応してバックステップを取ったが、自らの身体にしびれがあることに気づく。

 モーリはわずかに表情を歪めた。

『エレキネット』は麻痺とまではいかないが、電気的なしびれによって素早さを落とす攻撃技だ。

 

 ブニャットが体勢を立て直す前に、バタフリーが急上昇する。

 

「『エアスラッシュ』!」

 

 風が巻き上がる。鋭い刃のような風がブニャットを襲う。

 ブニャットの体が揺れ、一瞬その場に立ちすくんだ。怯み。攻撃の機会を失った。

 

 上から被せてくるつもりだ。と、モーリはイイダの意図を理解する。

 速さで上を取り『エアスラッシュ』で怯みを狙う。

 そしてそれは、彼がモーリに勝利しようと思えば最もあり得る選択肢のように思えた。

 

「『エアスラッシュ』」

 

 バタフリーは間髪入れずにもう一度風を巻き上げる。二度目の『エアスラッシュ』。

 ブニャットが地面を蹴って横へ飛ぶが、完全には避けきれず、体を切り裂かれた。

 

 だが、ブニャットは動きを止めなかった。しなやかに飛び上がると、鋭く旋回しながらバタフリーの背後へ回り込む。

 そして、それを待っていたかのようなモーリの指示。

 

「『つばめがえし』」

 

 鋭い一撃がバタフリーの背を捕らえ、バタフリーが大きく揺れる。

 

「『エアスラッシュ』!」

 

 バタフリーはすぐに体勢を立て直し、またも風を巻き起こす。

 身を切り裂くような風がブニャットに襲いかかる。

 

 だが、今度は怯まなかった。ブニャットは勢いをつけてバタフリーに飛びかかりそのまま、全体重を乗せるように『のしかかり』する。

 ブニャットと共に、バタフリーは地面に叩きつけられた。

 羽をばたつかせ、ブニャットの重みに抗おうとするが、その動きは次第に鈍くなり、やがて諦めたように動きを止める。

 

 審判の旗が上がる。

 

 モーリの勝利が告げられた。

 

 

 

 

 バトルが終わり、モーリとイイダはお互いのポケモンをボールに戻した。

 フィールド中央で向かい合い、審判の言葉に従いながら自然と手を伸ばす。

 握手。

 

 イイダの手は、試合前と変わらない温度だった。どこか余裕のある、力みのない握り。

 

「やられたな」

 

 イイダは苦笑しながらモーリの手を軽く握る。負けたばかりのはずなのに、その表情には悔しさよりも、どこか清々しさが漂っていた。

 

「ホントはさ」と、イイダが呟く。

 

「追い出しの時に使うはずだったんだよ、今の連携」

 

 それが『ちょうはつ』を釣り出しておいての『エレキネット』の事を言っていることは分かっていた。

 

「良かったと思います」

 

 モーリは頷きながらそれに答える。

 イイダは少し照れながら首を振った。

 

「まあ、俺みたいなもんはさ」

 

 握手を終え、軽く肩をすくめる。

 

「どこかで自分の実力ってものを見切っちゃってたんだよな。いつかどこかで負けるだろうって、そう思ってた」

 

 彼は言葉に重さを込めない。ただ、事実を淡々と口にするように。

 

 モーリは、じっとイイダを見つめていた。

 

「だけど、それが今で、相手がお前で、俺は良かったと思うよ」

 

 真っ直ぐな言葉だった。

 

 モーリは、わずかに息をついた。

 何か適切な言葉を探そうとしたが、そういうものは見つからなかった。

 

 だから、ただ素直に言う。

 

「ありがとうございます」

 

 イイダは少しだけ驚いたように目を細めた。

 

 そして、「ほんと真面目だよな」と笑いながら、モーリの背を軽く叩いた。

 

 

 

 

 観客席の一角では、モーリを中心にライモン高校の部員たちが試合の感想を話していた。

 団体戦では惜しくも敗北したものの、個人戦ではイイダとの試合を制し、彼は次のラウンドへと駒を進めている。

 

 だが、残念ながらすでにモーリ以外のライモン高校ポケモンバトル部の面々は敗退が決定していた。タケダは一回戦をなんとか突破したが、二回戦でケッキングがまた言うことを聞かずに、一年生達も健闘むなしく一回戦で敗北していた。

 

 一方、スズモトは少しの間だけ席を外していた。喉を潤すために売店へ向かい、その帰り道、ふと足を止める。階段の脇で、リオー高校の三年生がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 

 彼はリオー高校のバトル部の選手で、体格のいいスポーツマンタイプだった。当然話したことはないし、知り合いでもない。

 

「よう、ライコーの女マネちゃん」

 

 軽い口調だったが、その目には明確な意図が宿っているように見えた。

 スズモトは反射的に足を止める。

 

「はい?」

「いや、ちょっと呼び方が雑だったな。失礼だったよな?」

 

 そう言って、彼はスズモトに歩み寄る。

 

「君、名前は?」

 

 スズモトは、嫌な予感がして一歩後ずさる。

 

「スズモトです」

 

 彼はその答えを聞くと、ニヤリと笑う。

 

「へえ、スズモトちゃんか。可愛い名前じゃん」

 

 その言葉に、スズモトはわずかに眉をひそめる。次の瞬間、彼は一歩近づき、スズモトの肩に軽く手を置いた。

 

「なあ、今度の試合、俺がモーリに勝ったらさ、連絡先交換しようぜ」

 

 一瞬、何を言われたのか理解できなかったが、すぐに彼の言葉の意味を把握し、スズモトは後ずさる。

 

「え、いや、私は」

 

 戸惑う彼女に対し、三年生は余裕の笑みを浮かべる。その目には、相手の意見など関係ないといった確信が滲んでいた。

 

「なあ、いいじゃん? 俺、女の子に優しいしさ」

 

 彼はスズモトの行く手を塞ぐように立ち塞がる。スズモトは逃げ道を探すように視線を彷徨わせた。

 

「すみません、そういうのは」

 

 言い終わる前に、彼の手がスズモトの腕を取ろうと伸びる。その瞬間。

 

「何やってんだ、お前?」

 

 低く、しかしはっきりとした声が響いた。スズモトが顔を上げると、そこにはカザが立っていた。腕を組み、じっと三年生を睨んでいる。表情に余裕はあるが、その目は冷たい。

 

 三年生は一瞬たじろいだが、すぐに不機嫌そうに舌打ちする。

 

「カザ、なんだよ、お前には関係ねえだろ」

「関係ねえ?」

 

 カザは鼻で笑うと、ゆっくりと近づく。

 

「人のもんに手出すなよ」

 

 その一言に、三年生の表情が変わった。

 

「は? お前、スズモトちゃんのなんなんだよ?」

「別に何でもねえよ。女マネちゃんは彼氏持ちなんだよ。まあ別に、それが悪い理由にはならねえけどさ」

 

 カザは肩をすくめる。

 

「ただな、お前みたいな雑魚が人の女に現抜かしてんのが気に食わねえだけだ」

 

 あまりにも率直な言葉だった。スズモトは驚きのあまり息を呑む。

 三年生の表情が歪む。

 

「お前さあ、一応俺のほうが先輩なんだから? そんな口聞いていいと思ってんの?」

「お?」

 

 カザはにやりと笑う。

 

「喧嘩するか? 年下に負けたら、それこそ恥だぞ、大恥だぞ」

 

 三年生は一瞬、言葉に詰まった。確かに、カザは自分よりも年下だ。だが、それでも彼に勝てるとは思えなかった。何より、この状況で手を出せば、確実に悪者になる。

 

「チッ」

 

 三年生は舌打ちし、カザを睨みつけた後、踵を返して去っていった。カザはその背中を見送り、軽く肩をすくめる。

 

「悪いな。ウチのバカ共はバカのくせに温室育ちでうぬぼれてっから」

 

 スズモトはまだ驚きと怯えの様子で、カザを見つめている。

 だが、自分が救われたということは分かっていた。

 

「ありがとう」

「礼はいらねえよ」

 

 カザは適当に手を振る。

 

「悪いこと言わねえから、男と行動したほうが良いぞ」

 

 スズモトは、彼の言葉の意味を考えた。そのときだった。

 

「おい」

 

 あまり聞いたことのない強いイントネーションとともに、知った声が聞こえてきた。

 彼女がその方に顔を向けると、モーリがこちらに駆け寄ってくるのが見える。

 スズモトがカザと向かい合っている光景を見た彼は、反射的にスズモトの前に立ち、カザを睨みつける。

 

「何してんだよ」

 

 カザは目を丸くし、それから笑った。

 

「お、修羅場か?」

 

 スズモトは慌てて首を振る。

 

「違うの、カザ君はかばってくれて」

「は?」

 

 モーリの視線がスズモトへと移る。スズモトは真剣な表情でモーリを見つめていた。

 

「ほんとか?」

「うん」

 

 モーリはようやく肩の力を抜いた。カザは面白そうに二人を見比べる。

 

「お前、勘違いして飛び込んできたわけ?」

「そうだよ」

「バカだなあ。え? 俺そう見える?」

 

 カザは笑いながら、手をポケットに突っ込む。

 

「ま、いいや。お前んとこの女マネちゃんにさ、ウチの三年がだる絡みしてたわけ。次お前と当たるやつだよ。雑魚だけど」

 

 そこから一拍おいて続ける。

 

「今、ウチの連中調子こいてるからな、お前を舐めてる。ま、俺以外のやつがお前に勝てるわけねーんだ、寄せ付けたくなかったらボコボコにしとけよ」

 

 そう言い残し、カザは軽い足取りでその場を去った。モーリは彼の背中を見送り、スズモトに向き直る。

 

「本当に、大丈夫か?」

「うん。モーリ君が来てくれて、安心したよ」

 

 スズモトはそう言って微笑んだ。その笑顔を見て、モーリは小さく頷く。

 

 

 

 

 ちなみに、次の試合はすぐに終わった。

 

 モーリのブニャットが『ねこだまし』からの『つばめがえし』で圧倒し、三年生は何もできないまま敗北する。

 

 観客席では、カザが「だっせぇ」と、にやり笑っていた。

 

 

 

 

 決勝戦を目前にして、会場には独特の熱気が満ちていた。

 観客席からはざわめきが広がり、モーリとカザが並んで立つ対戦場の中央を見つめている。

 去年の新人戦と同じ組み合わせだ、二人共まだ二年生である。

 だが、観客席の人間は誰もそれを不思議だとは思っていなかった。ある意味で、このトーナメントを組んだ人間こそが勝者だろう。

 

 ライモン高校とリオー高校、それぞれの仲間たちが観客席の一角で待機し、試合の開始を待ちわびている。

 

 対戦場の中央、モーリはカザと向き合う。

 不安が無いといえば嘘になるだろう。昨日の敗北はまだ記憶に新しく、何時までも心に残るかも知れない。

 あれを一時の運だと片付ける事はできるだろう。だが、それはすなわち、なにか間違いが起これば負けうる相手だということなのだ。そして昨日、カザは腕力でそれを引き寄せた。それだけの実力はある。

 

 カザはモーリを見下ろしながら呟く

 

「昨日の試合で格付けは終わった。と、言いたいが」

 

 カザは口の端を持ち上げながら、軽く肩をすくめた。

 だが、その表情にはどこか真剣な色が混じっている。

 

 モーリは何も言わず、その続きを待つ。

 カザはしばらくモーリを見つめ、それから小さく笑った。

 

「俺はバカじゃないからな。昨日の試合が運勝ちだったのは理解してる」

 

 そう言いながら、ゆっくりと拳を握る。

 

「だから、残念ながら気は抜かねえんだな、これが」

 

 カザの目には、昨日とはまた違う鋭さがあった。

 挑発ではない。闘志が宿っているのを、モーリは感じる。

 

 モーリは小さく息を吐くと、いつも通りの言葉を口にした。

 

「いい試合をしよう」

 

 それを聞いたカザは、少しだけ眉を上げる。

 

 それは、彼が期待した言葉ではなかった。

 もっともっと、モーリというトレーナーの、人間の、むき出しな感情を味わいたかった。

 だが、それを語る彼の目線は、ニュアンスは、彼が求めていたものに近いような気がする。

 

 学生審判が二人を見渡し、声を上げる。

 

「両選手、握手をお願いします」

 

 モーリは一歩踏み出し、カザもそれに合わせて手を差し出した。

 手が触れた瞬間、モーリは小さな違和感を覚える。

 

 昨日ほど、カザの手は熱くなかった。

 

 モーリはそれを一瞬だけ意識したが、それ以上深く考えることはなかった。

 ただ、昨日とは違う何かがある。

 

 カザはその微妙な変化に気づいた。

 モーリの手が、昨日に比べて、わずかに熱を帯びているような気がした。

 彼は握手をしながら小さく苦笑する。

 

「目が死んでねえなあ」

 

 握手を終えたカザは、ゆっくりと後ろへ下がる。

 モーリも同じように、自分の定位置へと戻る。

 

 観客席のざわめきが少しずつ大きくなっていく。

 

 決勝戦が、今まさに始まろうとしていた。

 

 

 

 

 試合開始が告げられた瞬間、ブニャットは一直線にシザリガーに飛びかかる。

 だが、それを読んでいたかのように、カザが声を張り上げた。

 

「『ハサミギロチン』!」

 

 シザリガーの巨大なハサミが振り下ろされる。

 

 だが、ブニャットはまっすぐに飛び込まない。

 軽やかに横へと跳び、シザリガーの攻撃を回避しながら、小刻みなステップで相手の懐へ滑り込む。

 

「『みがわり』」

 

 そして、シザリガーの死角に影を残した。

 モーリはカザが『ねこだまし』を読んだ『ハサミギロチン』をしてくると読み切り、行動の保証を買える技を選択した。

 奇しくも、それは昨日の選択と似通っていたが、今日のそれは昨日のような消極的なものではない。

 

 ブニャットを追って旋回するシザリガーの視界にブニャットが残した影が現れ、ハサミを振り上げる。

 

「『クラブハンマー』!」

 

 シザリガーの右のハサミが振り下ろされる。

 みがわりの分身は砕け散り、跡形もなく消える。

 

「『つめとぎ』!」

 

 しかし、その間にブニャットは素早く距離を取りながら、ゆっくりと地面で鋭い爪を研いでいた。

 モーリの狙いは、力を貯めること。

 じわりとブニャットの力を高めていく。

 

 ブニャットがシザリガーに踏み込み、彼がそれを捉えていることを本能的に察知し、カザが声を上げた。

 

「『インファイト』!」

 

 攻撃をもらうのは仕方がない。

 だが、タダでは返さない。

 シザリガーが逆に一気に踏み込む。

 その巨体とは思えないほどのスピードでブニャットへ肉薄し、全身を使った強烈な連打を叩き込む。

 

 だが、モーリはすでにそれを読んでいた。

 

「『あまえる』」

 

 ブニャットがふわりと身をひねり、シザリガーを見上げる。

 耳を伏せ、尻尾をくるりと巻きながら、どこか頼るような仕草を見せた。

 

 その瞬間、シザリガーの拳がわずかに鈍る。

 次の一撃が、先ほどよりも明らかに軽くなっていた。

 

 それでも『インファイト』は直撃し、ブニャットの体が後方へ弾かれる。

 

 だが、モーリは目を細める。

 ブニャットはまだ立っている。

 

 ここで決める。

 

「『じゃれつく』!」

 

 ブニャットがしなやかに地面を蹴り、ふわりと弧を描くように飛び上がる。

 その姿勢のままシザリガーの懐へ潜り込み、鋭く爪を振るった。

 

 大技『インファイト』による大きなスキ、そして『つめとぎ』によって研ぎ澄まされた一撃が、シザリガーの装甲を貫いた。

 

 シザリガーの巨体が大きく揺れる。

 バランスを崩し、膝をついた。

 

 カザの顔から、わずかに笑みが消える。

 

 次の瞬間、シザリガーの身体がゆっくりと傾き、地面に崩れ落ちた。

 

 スタジアムが一瞬、静寂に包まれる。

 

 そして。

 

「シザリガー、戦闘不能!」

 

 審判の旗が、モーリの側へと上がった。

 

 観客席がどよめき、熱を帯びた歓声が巻き起こる。

 

 カザは、倒れたシザリガーをじっと見つめていた。

 数秒後、静かにポケモンをボールへ戻す。

 

 そして、苦笑しながら呟く。

 

「そうか」

 

 だが、その表情は悔しさよりも、どこか晴れやかだった。

 

 

 

 

 モーリは、自分の足元がわずかに浮いているような気がした。全身の血流が速くなり、指先の先まで心地よい熱を帯びる。勝利の実感が、今ようやく自分の中に落ちてきた。

 

 対戦場の中央、カザと向き合ったモーリは、少し顔が熱くなっていくことに気づく。

 

 彼は、カザに対して自然に手を差し出した。

 カザは迷うことなく、その手を握る。

 

 やっぱり、昨日ほど、熱くない。

 それに気づき、モーリは少しだけ目を細めた。

 

 だが、それはカザの情熱が冷めたわけではない。

 むしろ、自分自身が昨日よりも熱を持っているのだと、気づく。

 

 昨日、カザの手の温度を強く感じたのは、自分の中に迷いがあったからだ。

 だが今は違う。

 

 自分はここで勝つべきだったし、勝ちたかった。

 それを、ブニャットと共に実現できた。

 

 カザは「俺はさ」と、ふっと笑う。

 

「お前とは違う」

 

 その言葉が、モーリの耳に届く。

 

「俺は逃げねえ」

 

 軽い口調だが、その意味は明白だった。

 モーリがジム巡りをやめ、この地方へ来たことを、彼は知っている。

 その選択を、カザは「逃げた」と表現した。そして、それは大きく間違っている解釈ではない。

 

「これで終わりじゃねえからな」

 

 カザは、握った手にわずかに力を込める。

 

「ここからだ。俺は逃げねえし、またお前に挑戦する」

 

 その言葉には、迷いがなかった。

 モーリは、目の前のカザを改めて見つめる。

 

 今日の敗北で折れなかったどころか、さらに強くなる決意を固めている。

 

 彼は、まだ成長する。

 

 それは確信に近かった。

 

 カザは、ここで止まるような人間ではない。

 これからも前に進み、さらに強くなる。

 そういう種類の人間だ。

 

 モーリは、ふっと息をついた。

 

「俺も待ってる」

 

 言葉が、自然と口をついて出た。

 

 カザは、わずかに目を見開く。

 だが、すぐに口元を吊り上げ、ニッと笑った。

 

「へぇ、言うじゃねえか」

 

 そう言うと、カザは手を離し、くるりと背を向けた。

 

 彼の背中を、モーリは目で追う。

 

 カザの歩調は落ち着いていた。

 悔しさに足を引きずることもなく、堂々とした足取りで観客席へと向かっていく。

 

 その姿を見て、モーリはもう一度、自分の手のひらを見る。

 握手をした手には、まだわずかに熱が残っている。

 

 だが、それ以上に。

 

 モーリの胸の内が、昨日よりも確かに熱を持っていることを、彼は感じていた。

 

 

 

 

 リオー高校側の観客席、その一角には既に戻ってきたカザの姿があった。

 スタジアムの熱気はまだ完全には冷めず、試合の余韻を楽しむ生徒たちの声が飛び交っている。

 カザが足を踏み入れた瞬間、同級生の一人が勢いよく立ち上がり、彼の肩を叩いた。

 

「惜しかったな! でもインターハイはすごいぞ!」

 

 まるで自分が勝ち上がったかのような、弾んだ声だった。

 カザは軽く笑いながら、その手を軽く払いのける。

 

「ありがとよ」

 

 それだけを返し、そのまま観客席の奥へと進む。

 目指すのは、一番後方の席に腰を下ろしている男、ヤマサキだった。

 リオー高校の監督である彼は、腕を組みながら、ゆったりとした姿勢でカザを待っている。

 

 カザが目の前まで来るよりも先に、ヤマサキは口を開く。

 

「良いようにやられたな」

 

 何の前置きもない、率直な一言だった。

 

 カザは舌打ちしながら、ベンチの背もたれに体を預ける。

 

「どうすりゃ良いんだよ、あんなの」

 

 視線をスタジアムの中央へと向ける。

 今はもう何もないバトルフィールドの、その場所にモーリの姿がまだ残っているような気がした。

 

 カザは目を細める。

 

「来年『ハサミギロチン』当てろってか?」

 

 皮肉交じりに呟く。

 自分の戦術は間違っていなかったはずだ。

 それでも、力の差を痛感した。

 

 フィールドの上で何をしようと、最後には結局押し切られた。

 

 実力の違い。

 

 その言葉を突きつけられたような試合だった。

 

 ヤマサキはそんなカザを見て、少しだけ目を細める。

 

 カザが試合の分析をするよりも先に「どうすればいいんだ」と吐き出したことに、彼は少しだけ満足していた。

 少なくとも、カザは十把一絡げのバカとは違い、実力というものを客観的に見ることができている。

 

「練習するしかねえだろうよ」

 

 ヤマサキはそう言って笑う。

 あまりにもシンプルな答えだった。

 

 カザはその言葉に一瞬むっとするが、すぐに肩の力を抜く。

 

「あんた、本当に俺をあいつより強くしてくれるんだろうな?」

 

 その言葉にヤマサキは、短く息をつく。

 強くする、という言葉のニュアンスは、例えば昨日のような偶然勝利を手繰り寄せるようなものではなく、むしろそのような戦略を取られる側に回ることになる、ということだ

 彼は、カザを見つめながら、淡々と言い放った。

 

「俺はできると思うよ」

 

 カザは思わず眉を上げる。

 

「なんでそう思う?」

 

 ヤマサキは、ほんの少しだけ口元を上げる。

 

「お前のほうが伸びるタイプだ」

 

 カザは一瞬、意味がわからないという顔をする。

 すると、ヤマサキは付け加えた。

 

「今の俺が見ればな」

 

 そして、一拍おいて続ける。

 

「まあ、とりあえず今はインターハイに集中しろ」

 

 カザはその言葉の重みを噛み締めながら、ゆっくりと息を吐く。

 その横顔には、既に次の戦いに向けた覚悟が滲んでいた。

 

 

 

 

 モーリが観客席へと続く階段を上がると、ライモン高校の一角がすぐに目に入った。

 そこには、部員たちが待っている。

 ムラナカが真っ先に彼の姿を捉え、軽く手を上げた。

 

「お、帰ってきたぞ」

 

 その声に反応するように、タケダ、イイダ、コウヌ、オーアサ、そしてスズモトが次々に振り向いた。

 

 皆、それぞれの表情でモーリを迎えている。

 

 ムラナカが口元をゆるめ、いつもの調子で肩をすくめた。

 

「ほらな、君のほうが強いって言っただろ?」

 

 試合前にかけた言葉を思い出させるような冗談めかした口調だったが、その言葉の奥には、どこか本気の尊敬がにじんでいるように思えた。

 

 モーリは少しだけ肩をすくめた。

 

「まあね」

 

 そう返すと、タケダが手を叩くようにして微笑む。

 

「いやぁ、私の見る目に狂いはなかったですぅ」

 

 彼女の口調はいつもと変わらず柔らかいが、その目は本当に嬉しそうだった。

 それを聞いて、コウヌとオーアサも顔を輝かせる。

 

「モーリ先輩、本当にすごかったです!」

 

 オーアサの声には、まだ興奮が残っているようだった。コウヌも同じように目を輝かせ、何か言いたそうに口を開く。

 

「すごい、やっぱりモーリさんは最強なんスね!」

 

 そんな彼らの様子を見ながら、サイトーがゆっくりと立ち上がる。

 腕を組み、静かにモーリを見つめる。そして、短く笑った。

 

「いい試合だったな」

 

 そして、続く言葉が、場の空気を一変させる。

 

「次はインターハイだな」

 

 その一言が、部員たちの間に静かなざわめきを生む。

 

 インターハイ。

 

 その単語が、まるで現実味を持たないまま、空気の中に漂うようだった。

 モーリは、その言葉を聞いた瞬間、僅かに指先が強ばるのを感じた。

 

 確かに、地区大会の成績優秀者として、彼はその舞台へと進むことになる。

 

「ついに全国か」

 

 ムラナカが感慨深げに呟く。

 心の何処かで、モーリならば行くのかも知れないとは思っていたが、いざこうやって現実になると、どことなく不思議な感じがした。

 

 タケダも「すごいですぅ!」と目を輝かせるが、その声の中には少しだけ驚きの色が混ざっている。

 

 確かにすごいことだ。けれど、本人はどう感じているのか、そんな疑問が、彼らの表情に浮かんでいた。

 

 そんな中、スズモトだけは何も言わず、モーリのもとへ歩み寄る。

 彼女の動きは静かだった。

 他の誰とも違う、慎重な足取りだった。

 

 スズモトはモーリの横顔を見た。昨日の試合のあと、彼がどこか沈んでいたことを思い出す。だけど、今の彼は違う。彼の目には、迷いがない。だから、彼女は静かに呟いた。

 

「おめでとう」

 

 その言葉は、軽やかではなかった。

 祝いの言葉でありながら、それだけではない感情が滲んでいた。

 

 モーリは、その声を聞いた瞬間、視線を落とす。

 スズモトの声には、何か別の意味があるように感じた。

 

 それは彼女なりの祝福なのか、それとも何かを案ずる気持ちなのか。モーリには、それを正しく言葉にすることができなかった。

 

 スズモトはじっとモーリを見つめる。

 

 モーリはしばらく黙っていた。

 彼女の言葉の意味を探しながら。

 けれど、結局何も見つからず、ただ短く息を吐く。

 

「ああ」

 

 それは、ただの返事だった。

 

 だが、彼の胸の中には、確かに何かが生まれていた。




次回4/11 18:01予定

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