『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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19-変わらないもの、変わったもの

 夏休みの静けさが校舎全体を包んでいた。

 校庭では、早々に敗北したというのに野球部たちの熱心な練習が行われていた。むしろ彼らにとっては、先輩たちがいなくなって新たなチームになり始めている今こそが最も非日常で刺激的な期間であるのかも知れない。

 

 部活のない日は人影もまばらなライモン高校だが、ポケモンバトル部の部室にはまだ熱気が残っていた。

 

 数日前のインターハイ地区大会。モーリが優勝を飾ったあの日の興奮が、完全に消え去るにはもう少し時間がかかりそうだった。

 壁際のホワイトボードには『優勝:モーリ』の文字が書き加えられ、誰かのいたずらか、横には小さく『祝・全国』とも書かれていた。最もそれはいたずらというにはあまりにも事実すぎるのだが。

 

 集まった部員たちは、一様に緊張感をはらんでいた。

 モーリのインターハイ出場、それに関しての説明が行われるのだ。

 

「よし、じゃあそろそろ本題に入ろうか」

 

 部員たちとそれなりに雑談をしていた顧問のサイトーが、一つ緊張感を作ってから立ち上がる。

 

「えー、一週間後に迫ったインターハイの件だが、残念だが予算が出るのはモーリと私の二人分だけだということだ」

 

 その言葉に、部室がざわつく。

 だが、そのざわめきには若干のそりゃそうだろ感を含んでいた。

 

「やっぱり、そうですよねぇ」

 

 タケダが少し肩を落としながら呟く。

 

「まあ状況を考えると当たり前だな。全国大会だし、うちみたいな普通の高校がそんな簡単に大所帯で行けるわけない。団体戦を勝てば話は変わるだろうが」

「まあ、仕方ないですね」

 

 ムラナカは腕を組み、納得したように呟いた。

 

 サイトーは続ける。

 

「加えて、マネージャーの費用は下りなかった。つまり、スズモト、お前も部の費用で行くことはできない」

 

 スズモトは驚きはしなかった。

 覚悟していたのだろう。静かに頷き、「わかりました」と短く答える。

 

 だが、それにはタケダが少し言葉を大きくして抗議した。

 

「それはあんまりですぅ! スズモトさんはマネージャーとして頑張ってきたのに、インターハイに行けないなんて! モーリさんがインターハイに出られるのはスズモトさんの力添えもあるはずですぅ!」

「ううん、まあ至極そのとおりだとは思うんだが」

「それ決めたの誰ですかぁ! お父様と一緒に抗議しますぅ!」

「権力使っちゃいかんよ」

 

 ムラナカが苦笑しながら突っ込む。

 

「モーリさんだって、スズモトさんと一緒のほうがいいですよねぇ!」

 

 鼻息荒くタケダがモーリに話を振った。

 不意にそれを振られた彼は、若干沈黙してから苦笑する。

 

「そりゃあ、そうだけども」

 

 その言葉にスズモトが少し顔を赤くしたことは薄暗い部室内で誰も気づかなかった。

 

 一瞬の沈黙の後、サイトーがため息をついて「私だってそれなりに抵抗はしたんだが」と、その後を続ける。

 

「実績が足りないということだ。今回大所帯で行くと来年以降の運営に影響が出る影響もある。変に前例を作るのは得策じゃない、と、言われればそれまでだ」

 

 その言葉に、タケダは「ぐぬぬ」とありえないほど真面目に唸った。

 そして、サイトーは場を和ませるように笑って続ける。

 

「そもそも、あくまでこれは部活動の一環だ。観光が目的ではないし、自由な行動はできない。残念ながらデートをする余裕はないんだ」

 

 それに、モーリとスズモトは言葉をつまらせ。ムラナカとタケダがにやりと笑い。一年生達は一瞬戸惑った後にムラナカとタケダに合わせてニヤリと笑った。

 

 そして、タケダが食い下がるように口を開いた。

 

「じゃあ、自費で行けばいいんですね?」

 

 その場にいた全員が、一瞬言葉を失った。

 

「自費?」

「そうですぅ。部の予算がなくても、私たちが自分のお金で行くなら問題ないですよね?」

 

 タケダはにこりと微笑みながら言った。

 その言葉を受けて、ムラナカが腕を組む。

 

「確かに、そういう手もあるな。僕も全国の試合を生で見てみたいし、せっかくだから行ってみるか」

「じゃあ、私も!」

 

 スズモトも、少しだけ嬉しそうに声を上げた。

 

「待て待て。お前ら、本当にそれでいいのか?」

 

 サイトーは眉をひそめた。

 だが、タケダはゆるりと首を振る。

 

「行きたいから行くんですぅ。モーリくんの応援もしたいですし」

 

 ムラナカも頷く。

 

「応援するのもそうだけど、全国の強豪トレーナーが集まるんだから、勉強にもなるし、見ておきたいんだよな」

 

 スズモトも「私も」と小さく言う。

 

 サイトーは彼らの友情に嬉しさを感じながら、それでもいて頭を抱えて答える。

 

「分かった。悪いが一年は我慢してくれ、同学年の三人ならまあ、良いだろう」

 

 その言葉に一旦安堵しながら、ムラナカが腕を組み、ふと疑問を口にする。

 

「ところで、そんなに予算ないんですか?」

 

 サイトーは書類をめくりながら、少し渋い顔をする。

 

「正直、交通費と宿泊費でギリギリだ。勝ち進めば回復道具もそれなりに必要になるが、場合によっては自費になるかもしれないな」

 

 部室内が少し静まる。

 全国大会ともなれば、それなりの費用がかかるのは当然だが、具体的に言われると現実味が増してくる。

 

 そんな中、モーリは何気なく言った。

 

「俺、実家ヤマブキなんで泊まりましょうか? そしたらホテル代浮くでしょ?」

 

 その言葉に、部員たちの視線が一斉にモーリへ向く。

 サイトーも書類から顔を上げ、なにか考えを巡らせるように少しだけ間を置いてから確認するように聞いた。

 

「いいのか?」

 

 その問いかけには、妙な緊張感があった。

 モーリは一瞬口を閉じ、そして小さく頷く。

 

「まあ、別に問題ないです」

 

 サイトーは数秒間考えた後、「じゃあ、そうするか」と頷いた。

 

 

 

 

 都会の喧騒が耳を満たす。

 リニアのドアが開いた瞬間、モーリは懐かしい騒音と共にヤマブキシティの空気を肺に取り込んだ。

 湿度を含んだ空気に、どこか微かにアスファルトの熱の匂いが混ざっている。

 

 改札の向こうには、広々としたコンコース。その先には巨大なビルが立ち並び、行き交う人々が無機質な流れを作っている。

 この街は、変わらない。

 自分がいなくなったところで、何一つ変わることなく、ただ人々が行き交い、生活し、時が進んでいく。

 それが、なんとなく寂しく感じられた。

 

 ふと横を見ると、顧問のサイトーが静かに伸びをした。

 彼女は、この都会の風景に圧倒されるでもなく、落ち着いた表情で周囲を見渡している。

 

「案外、早く着いたな」

「そうですかね」

 

 モーリは短く返し、改札の向こうに視線を移した。

 連絡をした時に、迎えに来ると言っていた、何度も何度も断ったが、彼がうんと言うまで引かなかった。

 

 少し向こうに、見慣れた二人の姿がある。

 

 母のエミは相変わらず柔らかな笑顔を浮かべ、父のモトハルは腕を組んだまま、静かにこちらを見ていた。

 

 モーリの足が、わずかに止まる。

 何ヶ月ぶり、否、もう一年近くになるのかもしれない。

 

「ほら、行くぞ」

 

 サイトーが先に歩き出し、それに促されるようにモーリも足を動かす。

 改札を抜けると、エミがすぐに駆け寄ってきた。

 

「モトマサ! おかえり!」

 

 名前で呼ばれたのは久しぶりだった。

 変わらない声。

 変わらない笑顔。

 こちらが何も言わなければ、今すぐにでも抱きついてきそうだった。

 

 その空気感が、少しだけ彼に安心感を生む。

 

「ただいま」

 

 モーリがそう返すと、エミは目を細め、彼の肩をぽんぽんと優しく叩いた。

 

「久しぶりね。疲れてない? ちゃんとご飯食べてる?」

「食べてるよ」

「そう? じゃあ良かったわ」

 

 細かな心配を並べる母の姿を見て、モーリはなんとなく居心地が悪くなりながらも、それを振り払うように視線を移した。

 

 父のモトハルは、少し距離を置いた位置で腕を組んだまま、彼を見つめている。

 

「久しぶりだな」

 

 低く、落ち着いた声。

 モーリは思わず息を飲み、ほんの一瞬だけ視線を泳がせる。

 

「うん」

 

 短い返事を返したが、それ以上の言葉は出てこなかった。

 何を話せばいいのかわからない。

 

 エミがそんな二人の間に入るように微笑む。

 

「今日は泊まってくれるんでしょ? 久しぶりにモトマサの好きなもの作ってるのよ」

「ああ、ありがとう」

 

 ぎこちない会話。

 だが、それをフォローするようにサイトーが軽く咳払いをしながら口を開いた。

 

「電話では何度かお話させていただきましたが、こうしてお会いするのは初めてですね。ライモン高校ポケモンバトル部の顧問をしているサイトーです。今回はお世話になります」

 

 そう言って、軽く頭を下げる。

 エミはすぐに「いえいえ、こちらこそお世話になっております」とにこやかに返したが、モトハルは一拍置いてから静かに頷いた。

 

「よろしくお願いします」

 

 父親の態度は、モーリに対するものとはまた違う。

 最低限の礼儀として交わされた言葉だった。

 

 モーリは、それを聞きながら少し息を吐く。

 サイトーはそんな空気を察しながら、軽く笑って言う。

 

「では私はこのまま親戚の家に寄るので、モーリくんをお願いします」

 

 それはモーリも聞いていた話だった。

 ホテル代を浮かせるというウルトラCを、サイトーも持っている。

 

「えっ、先生、泊まらないんですか?」

 

 モーリが驚いたように尋ねると、サイトーは肩をすくめた。

 

「さすがに家族水入らずの時間に、私が入るわけには」

 

 その言葉にエミが「あら、そんなことないですよ」と笑ったが、モトハルは特に何も言わない。

 

「じゃあ、私はこれで。モーリ、明日は試合だから、しっかり休んでおくんだぞ」

「はい」

 

 そう返事をしながらも、モーリの中には少しの違和感が残る。

 

「休む」という感覚が、この家に戻って感じられるのかどうか。

 

 サイトーの姿が改札の向こうへと消えると、再び三人だけの空間が広がった。

 エミがそんな空気を察したのか、すぐに明るく声をかける。

 

「さ、帰りましょ! 夕飯、モトハルの大好きなもの作ってるんだから!」

 

 それに対して、モトハルは特に何も言わない。

 モーリは微妙な気持ちのまま、短く「うん」とだけ答えた。

 

 家族三人で歩く帰り道。

 昔はよく通った道だ。

 遠方のジムにチャレンジした帰り、父と、母と共に帰った道だ。

 子供の頃は、当たり前のように通った道なのに、今はどこか遠い場所のように思えた。

 

 

 

 

 モーリの実家は、ヤマブキシティのマンションの中層階にあった。

 玄関のドアが開いた瞬間、エミが先に中へ入り、モーリもそれに続く。モトハルは無言のまま、最後にドアを閉めた。

 

 昔から住んでいた家だ。幼い頃からの風景はほとんど変わっていない。

 

 広すぎず、狭すぎないリビング。シンプルな家具の配置。壁には、どこか落ち着いた色合いの家族写真がいくつか飾られている。

 この家は、父の人生の結晶だ。

 子供の頃は、そんなこと考えたこともなかった。ただ、自分の家は「そういうもの」だと思っていた。

 ここに帰るのが当たり前だった。オートロックの番号を押して、エレベーターに乗り、靴を脱いで、テレビを見る。それが当たり前だった。

 

 だが、こうして高校生になり、家を出て、一人暮らし、いろいろな人間との出会いをを経験した今だからこそわかる。

 

 ヤマブキシティのマンションに家族三人で暮らすということが、どれほどのものか。どれだけの責任と、重圧があったのか。

 

 父がこの家を守るために、どれほど働いていたのか。

 それでいて、バトルに関しては寛容だった。

 望んだもの、あるいはそれが最良だと思われるものは、手の届く範囲であれば何でも買い与えてもらえた。

 休日にはジムに連れて行ってもらえたし、何やらめんどくさい事務的な手続きもこなしていた記憶がある。

 

 負担だっただろう。

 

 モーリは玄関で靴を脱ぎながら、ふとそんなことを考えた。

 

 その時だった。

 

 タカタカとフローリングを叩く、小さな足音。

 軽快な鳴き声とともに、小さな影が廊下の奥から飛び出してくる。

 モーリの視界に、懐かしい姿が映った。

 コラッタだ。

 

「ラッちゃん」

 

 次の瞬間、コラッタは迷いなくモーリの足元へ突進し、器用に前足を掛けて立ち上がる。

 モーリは思わずしゃがみ込み、その小さな体を優しく抱き上げた。

 

「お前、元気だったか?」

 

 問いかけるように撫でると、コラッタは目を細め、満足げに喉を鳴らす。

 まるで、昨日も一緒に過ごしていたかのように。

 

「ふふ、相変わらず人懐っこいでしょ?」

 

 エミが微笑みながら、声をかける。

 

「そうだね」

 

 モーリはコラッタの頭を軽くなでながら、どこかホッとする自分がいた。

 自分がいなくなっても、この家は何も変わらず、コラッタもこうして迎えてくれる。

 そう思うと、少しだけ安心した。

 

 その時、エミがふと振り返り、軽く首を傾げる。

 

「そうだわ、モトマサ。ブニャットも出してあげたら?」

 

 モーリは一瞬だけ、ブニャットを、この空間に出すことを迷った。

 でも、考えてみれば、ここは自分の家であるし、ブニャットの家でもあるのだ。

 

 彼は腰にセットした三つのうちの一番手前、ブニャットのモンスターボールを手に取り、静かにボタンを押す。

 赤い光が床に弾け、ブニャットが姿を現した。

 しなやかな体を伸ばし、尾をふわりと揺らす。

 

 廊下の雰囲気が、少し変わったように思えた。

 

 しかし、そんな空気などお構いなしに、コラッタはブニャットに向かって駆け寄る。

 元気よく鳴きながら、ブニャットの足元をちょろちょろと動き回る。

 

 珍しい光景かも知れないが、かつてその家では当然の日常だった。

 当時はニャルマーだったが、当然のようにリビングのソファーを占拠していたところにある日、どこからか迷い込んだ小さなコラッタが寄り添っていたのだ。

 害獣としてみられることもあるコラッタだが、エミがその光景をいたく気に入り、洗礼の全身洗浄からのポケモンセンターのコンビネーションを決められた後に、家族の一員になったのだ。

 

 ブニャットは最初、ただじっとコラッタを見下ろしていた。

 興味がない、というよりは、何をしてくるのか観察しているような目。

 コラッタはそのまま、無邪気にブニャットの尾に飛びつく。

 

 その瞬間、ブニャットの尾がぴくりと揺れた。

 コラッタはじゃれつくように、前足でちょいちょいと触れる。

 ブニャットは目を細めると、ゆっくりと尾を振った。

 それが「やめろ」という意思表示であることに、コラッタはまるで気づいていない。

 前足をちょんちょんと動かしながら、さらに尾にじゃれつく。

 

 だが、ブニャットは思いのほか抵抗しなかった。

 最初こそ少しだけ耳を伏せたものの、コラッタが何度も甘えるように寄り添うと、諦めたように目を閉じる。

 まるで、仕方がないなと言いたげだった。

 

 コラッタは満足げに小さく鳴くと、そのままブニャットの横にぴたりとくっつく。

 ブニャットは邪魔そうにしながらも、強く拒む様子はない。

 

 モーリはそれに驚かなかった。いつもみた光景だったから。

 

 ブニャットはゆっくりと歩き出し、コラッタもぴょこぴょこと隣をついていく。

 自然な動きだった。

 

 その姿を見て、エミが嬉しそうに笑う。

 

「ふふ、あの頃と変わらないわね」

 

 モーリは、エミの言葉を黙って聞いていた。

 懐かしい風景。けれど、ブニャットが自分に向ける感情とはまた違う気がした。

 

 エミが柔らかく問いかける。

 

「仲良くできそう?」

 

 モーリは、ブニャットとコラッタが並んで歩いていく姿を見つめる。

 無邪気に絡むコラッタと、それを受け入れるブニャット。

 

「まあ、たぶん」

 

 モーリがそう答えると、エミは意味ありげに微笑んだ。

 

「そうね。ブニャットもモトマサも、ちゃんと仲良くなれるよ」

 

 モーリはその言葉に少し目を見開いた。

 

「そうだといいけど」

 

 そう呟いたモーリの横で、ブニャットはコラッタとともに、当たり前のようにリビングへと歩いていった。

 

 

 

 

 リビングへ向かう二匹の背中を見送りながら、モーリは小さく息をついた。

 ブニャットもコラッタも、昔と何も変わらない。

 それが安心感にもなるし、同時に少しだけ置いていかれたような気もする。

 自分は変わったのか、それとも何も変わっていないのか。

 その答えを出すこともなく、モーリは無意識に廊下を進んでいた。

 

 そういえば、荷物を何処かにおいた方が良いな。

 

 そんな言い訳を自分にしながら、扉の前に立つ。

 ノブに触れた指先に、微かに冷たさを感じた。

 何度も開けたことのあるはずの扉なのに、今はやけに重たく感じる。

 一度深呼吸をして、そっと押し開いた。

 

 室内の空気は、どこか少しだけこもった匂いがする気がした。

 窓際のカーテンが半開きになっていて、外の街灯やネオンの光がぼんやりと差し込んでいる。

 

 視線を巡らせる。

 机、本棚、ベッド。積み上げられた漫画やバトル雑誌。

 どこを見ても、そこにあるのは「昔の自分」が残したままの風景だった。

 

 懐かしさと同時に、妙な違和感を覚える。

 ここは、自分の部屋のはずなのに、まるで過去の遺物を展示した博物館のように感じられる。

 この部屋の主は、今の自分ではなく、ここを出る前のモーリのままだった。

 

「そりゃ、変わらないよな」

 

 そう呟いて、ふと視線が止まる。

 

 壁際の棚に、写真立てが置かれていた。

 そこには、祖父と一緒に写る幼い自分の姿があった。

 ポケモンリーグを夢見ていたあの頃の、何の迷いもない顔。

 小さな両手でモンスターボールを掲げ、誇らしげに笑っている。

 横に立つ祖父は、そんな自分を嬉しそうに見つめていた。

 

「よくもまあ、こんな顔してたな」

 

 写真を手に取り、苦笑する。

 記憶の中の祖父の声が、今にも聞こえてきそうだった。

 

 モトマサ、お前は強くなれる。

 

 この家を出る前まで、何度も何度も言われた言葉だった。

 だが、その期待に応えることはできなかった。

 

 モーリはふと、手の中の写真を棚に戻そうとした。

 しかし、その時、背後で柔らかい足音が聞こえる。

 

 振り返ると、ブニャットがいつの間にか部屋に入ってきていた。

 何の迷いもなく、当然のようにベッドへ飛び乗る。

 足元をくんくんと嗅いで、馴染みのある匂いを確かめるようにしている。

 

「お前、覚えてんのか?」

 

 問いかけると、ブニャットはちらりと彼を見た。

 そのままゆっくりと丸くなり、しっぽを軽く揺らす。

 

 モーリは写真をそっと棚に戻し、肩をすくめた。

 

「ま、覚えてるに決まってるか」

 

 自分よりも、ずっと自然に、ここに馴染んでいる。

 そんなブニャットの姿を見て、モーリはベッドの端に腰を下ろした。

 

 ブニャットは目を細め、少しだけ体を寄せる。

 モーリは無意識にその背を撫でた。

 

 ここは、確かに「昔の自分」の部屋だ。

 けれど、それでも今の自分がここにいる。

 その事実を、少しずつ受け入れられる気がした。

 

 静かな時間が、ゆっくりと流れていった。

 

 

 

 

 短い眠りから目を覚ました時、部屋のカーテンの隙間から差し込む夕陽の光が、室内を赤く染めていた。

 モーリは軽くまばたきをしながら、ぼんやりと天井を見つめる。

 

 久しぶりに帰ってきた部屋は、思ったよりもそのままだった。

 机の上には昔使っていたバトルノートが積まれたままになっていて、棚にはジム巡りの時に使っていたトレーナーカードがそのまま残っている。

 時間が止まったような感覚。

 

 けれど、それを当然だと思えない自分自身は、確かに変わってしまった。

 

 そんなことを考えていると、ドアの向こうからエミの声が聞こえた。

 

「モトマサ、ご飯できたわよー」

「今行く」

 

 ベッドからゆっくりと体を起こし、軽く伸びをする。

 久しぶりの実家の布団は妙に落ち着く。

 だけど、ずっとここにいるわけにもいかない。

 

 モーリはスリッパを履き、リビングへと向かった。

 

 

 

 

 リビングの片隅、いつもの場所で、コラッタとブニャットが並んでフードをつついていた。

 同じ皿に盛られた二種類のポケモンフード。

 

 ブニャットはゆっくりと、一口ずつ味わうように食べる。

 それに対してコラッタはカリカリと軽快な音を立てながら、次々と口に運んでいく。

 

 モーリは、その光景を見ながら肩をすくめた。

 

「相変わらずだな」

 

 エミが微笑みながら頷く。

 

「そうね。モトマサがいた頃からずっと変わらないわよ」

「そうだね」

 

 モーリは懐かしさを感じながら、二匹の様子を眺める。

 コラッタがわざわざブニャットの皿で食べたがるのは、昔からの癖だ。

 別々に食べさせようとしても、結局コラッタはブニャットのそばに寄ってきて、こうして一緒に食べる。

 

 ブニャットも、それを拒むことなく、当然のように受け入れていた。

 むしろ、ブニャットのほうもコラッタが隣にいることを当然だと思っているような節がある。

 

 コラッタはすぐに自分の分を食べ終え、満足げにひげを動かしながら、ブニャットの隣にぴたりとくっつく。

 ブニャットも特に気にする様子もなく、いつも通りのペースで食事を続けていた。

 

 モーリは小さく息をつきながら、ふと呟く。

 

「ちょっとはペース上げろよ。全部食われるぞ」

 

 ブニャットはちらりとモーリを見たが、まるで「心配するな」とでも言いたげに、再び食事へと戻る。

 

 コラッタはおなかが満たされたのか、くるりと丸まりながらブニャットの尻尾の近くで毛づくろいを始めた。

 ブニャットはそれを邪魔することなく、静かに食事を終える。

 

「本当に仲がいいわね」

 

 エミがどこか嬉しそうに言った。

 

 

 

 

 夕食の香りが漂う食卓に、エミが次々と料理を並べていく。

 湯気の立つ椀物、甘辛い香りの漂う煮込み料理、そしてこんがりと焼かれた肉料理。

 モーリはその光景を見て、ふと懐かしい気持ちになる。

 

「さ、できたわよ」

 

 エミが笑顔で席につく。

 モーリも促されるままに椅子を引いた。

 横目でモトハルを見ると、彼は既に席について箸を手にしていた。

 変わらない仕草。昔から、父は余計なことは言わず、静かに食事を始める人だった。

 

「いただきます」

 

 三人で手を合わせ、食事が始まる。

 しばらくは、箸が動く音だけが響く。

 エミが「どう? 久しぶりの味」と尋ねると、モーリは「うん、美味しいよ」と短く答えた。

 決して嘘ではない。

 だが、何かが違う気がした。

 味が変わったわけではない。

 ただ、昔と今では、自分の感じ方が違うのかもしれない。

 

 しばらくすると、エミが少し弾んだ声で話を振る。

 

「モトマサ、学校はどう? ちゃんと友達できた?」

「うん、まあ、それなりに」

「お友達と一緒にバトルの練習とかするの?」

「うん、部活でね」

 

 会話のテンポはゆるやかだが、どこか探りを入れるようなものでもあった。

 エミは食卓の空気を和ませようと話題を探しているのだろう。

 モーリはそれを察しながらも、あまり深く話しすぎるのを避けるように、短く返事を続けた。

 

 そして、ふと、エミが無邪気な笑顔で聞いた。

 

「ねえ、モトマサ。彼女はできたの?」

 

 モーリは思わずむせそうになった。

 

「……は?」

 

 エミは楽しそうに微笑む。

 

「だって、もう高校生でしょ? そういう話があってもいいんじゃないかと思って」

「いや、別に……そんなの、ないけど」

 

 慌てて視線を逸らすモーリに、エミは「ふふっ」と笑う。

 

「何よ、そんなに動揺しなくてもいいじゃない」

「動揺なんかしてないし……」

「怪しいわね~」

「別に怪しくない!」

 

 そんなやり取りを見ていたモトハルが、ふっと息をつきながら呟いた。

 

「くだらん話をするな」

 

 それまでほとんど口を開いていなかったモトハルの一言に、食卓の空気が一瞬止まる。

 モーリは視線を上げた。

 モトハルはいつものように淡々と食事を続けながら、何気なく言葉を継ぐ。

 

「今はバトルのことを考える時だろう」

 

 その言葉を聞いた瞬間、モーリの中で何かが引っかかった。

 だが、それを表に出すのはやめた。

 

「別に……考えてるよ」

 

 少し低めの声でそう答え、黙って箸を進める。

 

 モトハルは一口味噌汁を飲んでから、ふと問いかけた。

 

「ブニャットで戦うのか?」

 

 モーリの手が一瞬止まる。

 

 エミもまた箸を持ったまま、ちらりとモトハルを見やった。

 

 モーリは、その問いの意味をすぐに理解する。

 単なる確認ではない。

 モトハルの中で、その選択に疑問があるからこそ、こうして聞いているのだ。

 少しだけ間を置いて、モーリは答える。

 

「そうだよ」

 

 はっきりと答えた。

 すると、モトハルは目を細め、箸を置く。

 

「そうか」

 

 それ以上、何も言わなかった。

 しかし、その無言が、何よりも雄弁に語っているようだった。

 

 モーリは、父の意図を理解しながらも、それに反発する気持ちを抑え、黙々と食事を進める。

 

 その沈黙を、エミが笑顔で破る。

 

「明日は応援に行くわね」

 

 そう優しく微笑む。

 モーリはその言葉に少しだけ肩の力を抜き、「うん、ありがとう」と短く答えた。

 

 モトハルは何も言わない。

 しかし、無言のまま小さく頷く。

 

 それだけで、少しだけ救われた気がした。

 

 食事が終わり、モーリは箸を置くと、「ごちそうさま」と言って席を立つ。

 

「部屋に戻るよ」

 

 そう言って自分の部屋へ戻るモーリの背中を、モトハルは黙って見つめていた。

 

 

 

 

 部屋のドアを開けると、薄暗がりの中に見慣れた光景が広がっていた。

 カーテンは閉じられ、ほこりをかぶるほどではないが、どこか時間が止まったような空気が漂っている。

 モーリは無意識に部屋の電気をつけた。

 

 壁際には昔から使っていた本棚があり、その一角にはポケモンバトル関連の本や雑誌が並んでいた。

 机の上には、どこか雑然としたままの書類やノート。

 端のほうに置かれたバトルノートが目に入り、モーリは自然と手を伸ばした。

 

 ぱらぱらとページをめくる。

 そこには、ジム巡りをしていた頃の戦略メモや、自分なりに考えたトレーナーとしての目標が書かれていた。

 戦術の組み立て、相手のポケモンの分析、勝った試合の反省点、負けた試合の悔しさ。

 書き殴った字は今見ると少し幼く、ところどころ感情が先走ったような表現もあった。

 

「これ、俺が書いたのかよ」

 

 どこか他人事のように呟く。

 当時の自分は、ここにどんな未来を描いていたのか。

 理想論ばかりの戦略メモに苦笑しながらも、そのひたむきさに、少しだけ胸が痛くなる。

 

 ノートを閉じようとしたとき、その下から一枚の写真が出てきた。

 モーリは指先でそれをつまみ、ゆっくりと持ち上げる。

 

 そこには、自分と祖父が並んで写っていた。

 幼いモーリが、まだ小さなニャルマーを抱えて笑っている。

 隣の祖父は、手をモーリの肩に置き、どこか誇らしげな表情を浮かべていた。

 

 しばらく見つめていると、胸の奥がじわりと締めつけられる。

 

「俺、じいちゃんの期待に応えられなかったよな」

 

 ぽつりと零れる言葉。

 祖父は、モーリのバトルトレーナーとしての可能性を信じていた。

 だが、自分はその期待に応えることができなかった。

 ジム巡りを途中でやめ、バトルから距離を置き、そして、部活のポケモンバトルに飛び込んでいる。

 

 もし祖父が生きていたら、今の自分をどう思っただろうか。

 再び挑戦しようとしていることを、喜ぶのか。それとも。

 

「どう思うか、聞けたらよかったのにな」

 

 ふと、部屋の入口で何かが動いた気配がした。

 振り向くと、そこにブニャットが立っていた。

 

 モーリは少し驚きながらも、「ついてきたのか」と小さく笑う。

 ブニャットは迷うことなく部屋に入り、当たり前のようにベッドの上に飛び乗った。

 

「お前、そこは俺の寝る場所なんだけどな」

 

 苦笑しながら言うが、ブニャットは気にも留めず、丸くなろうとする。

 その様子を見て、モーリはベッドの端に腰を下ろした。

 

 しばらく無言のまま、ブニャットの背中を撫でる。

 しなやかな毛並みが指先に馴染む。

 その温もりは、何も言わずともそこにあるという確かさを感じさせた。

 

「お前は、ここに帰ってきた気分、どうなんだ?」

 

 問いかけるように言うが、ブニャットは特に気にする様子もなく、目を細めるだけ。

 モーリは小さく笑い、「まあ、お前はそういうの、あんまり気にしないか」と呟く。

 

 再び、祖父との写真に視線を落とす。

 答えは出ない。

 けれど、今は考えすぎるのはやめようと思った。

 

 モーリは仰向けになり、天井を見つめる。

 カーテンの隙間から、ヤマブキシティの夜景がぼんやりと映り込んでいた。

 変わらない街。だけど、自分はどうだろう。

 

 ブニャットが喉を鳴らしながら、隣で丸くなる。

 その音を聞きながら、モーリはゆっくりと目を閉じた。

 

「明日は、勝つぞ」

 

 小さく呟き、静かに眠りにつく。




次回4/13 18:01予定

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