『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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22-合宿、そして、砂浴び ①

 部室には、ポケモンバトル部の部員たちが全員集まっていた。

 この日は月に一度の部会の日。部員たちは各自の時間を過ごしながら、顧問のサイトーを待っていた。

 

 モーリは机の上にノートを広げ、ペンを回しながらムラナカと話している。

 ムラナカは腕を組み、真剣な表情で問いかける。

 

「相手のスピードが速くて、でも攻撃力がそこまでじゃない場合、どう詰めるんだ?」

「攻撃をもらっても良いんだったら『みがわり』で行動の権利を買うとか、まあ、ポケモンによるけど」

「やっぱり、そうなるか」

 

 ムラナカは考え込むように視線を落とし、静かに頷いた。エビワラーの戦術を模索しているのだろう。

 

 一方、タケダはソファーに座り、分厚い戦術書を開いていた。

 タケダはページを押さえたまま頷く。

 

「書いてあることはわかるのですが、ケッキングさんがやってくれるかどうかですわぁ」

 

 そんな部室の空気を切るように、ガラリと扉が開く。

 顧問のサイトーが入ってくる。肩にスポーツバッグを提げ、手には茶封筒を持っていた。

 

「よし、全員いるし早速部会始めていくぞ」

 

 全員が自然と視線を向ける。

 

「先方から資料が届いた。合宿のしおりだ」

 

 その言葉に、部室が少しざわめく。

 

「すでに合宿があることは知ってるだろうが、詳しい日程や施設の情報が書いてある。しっかり読んどけよ」

 

 サイトーは無造作に封筒を開き、中から冊子を取り出した。部員たちはそれぞれ手に取り、ページをめくる。

 

 モーリも手にした冊子を開いた。

 

《公立ライモン高校 ポケモンバトル部 秋合宿 しおり》

 

 見開きのページには、開催場所の地図や宿泊施設の案内が記載されている。

 かなり凝った作りだ。手触りからもそれなりの紙を使っているように思える。

 

「これ、向こうが作ってくれたんですか?」

「ああ、そうだ」

 

 あまりのサービス精神の良さに、モーリは首をひねる。

 

「なんかサービスが良すぎますし、かなり時間もかかったんじゃないでしょうか」

「ああ、時間はかけたよ」

 

 サイトーは頷いて続ける。

 

「そもそもこの話はイイダが部長になってから言い出したことだからな」

 

 その言葉に、部員達は驚いた。

 少なくとも彼は、そのようなことに熱心なようには見えなかったからだ。

 

「前部長の最後の置き土産だ、しっかりと力にしてくれ」

 

 そう言われると、部員たちも気合が入るというもの。

 

「ほほう。それほど遠くない島なんですのね」

 

 タケダが指先で地図をなぞりながら言った。

 開催場所に指定されているのは、この地方の広がる海を少し進んだところにある小さな島だ。人が住んでいないわけではないが基本的にはレジャー施設として使用されている。

 秋が深まり始めているこの時期は、確かに時間を取りやすい場所であった。

 

「バトル施設やビーチの対戦場もあるようですわ。なかなか興味深いですわねぇ」

 

 その隣で、ムラナカは黙ったままページをめくっていた。そして、最後のページで手が止まり、その表情がわずかにこわばる。

 

「先生、本当にこの人なんですか?」

 

 静かな声が部室に響いた。

 

 その異変に、周囲の空気が変わる。

 

「ん? ああ、間違いないよ」

 

 サイトーは特に気にする様子もなく頷いた。

 

「何度かビデオ通話もしてるし、経歴にも嘘はなさそうだ」

 

 ムラナカは無言のまま、しおりのページを押さえたまま俯く。

 少し自らの考えを整理するように沈黙を作ってから、呟く。

 

「なんで先生がこの人と知り合いなんですか?」

 

 顔を上げたムラナカの目には、驚きと緊張が入り混じっていた。

 

「知り合いっていうか、友達の友達ってだけだよ」

 

 サイトーは気にした様子もなく答えたが、ムラナカはしおりを握りしめたまま動かない。

 

 モーリが何気なくムラナカの手元を覗き込むと、最後のページに記された名前が目に入った。

 

『作成者:トミノ』

 

 モーリはその名前に聞き覚えがあった。

 それを思い出しながら視線をムラナカに戻すと、彼は唇を噛みしめ、そっと息を吐く。

 

「いつかお会いしたかったけど、早すぎる」

 

 呟いた声は、小さく震えていた。

 スズモトが不思議そうに首を傾げる。

 

「経歴的には、この人って元Cリーガーでしょ? ムラナカ君は何をそんなに驚いているの?」

 

 確かに、不釣り合いであった。

 元カントー・ジョウトCリーガーという経歴は、たしかに一握りのものだ。

 だが、それはポケモンに関係するビジネスに限定してしまえば特別なものではない。むしろ、その経歴はトップレベルのポケモンバトルで大成しなかったことの証明のように捉えられてもおかしくはなかった。

 

 モーリはしおりを閉じ、スズモトに簡潔に説明する。

 

「ムラナカって、シバのファンだろ?」

「うん、そうだね」

 

 彼が事あるごとにカントー・ジョウトリーグのシバを推しとして表現していることは、彼女も良く知っていた。

 

「トミノは全国のシバファンの中でも、特に有名な人物なんだよ」

「シバさんじゃないのに?」

「そう。シバに憧れてリーグトレーナーになった男って言われてる」

 

 スズモトが驚いた表情を浮かべた。

 

「そんなこと、あるんだ?」

「あるんだよ。シバのファンは全国にいるけど、トミノはその中でも『シバファンの鑑』として扱われてる。シバの生き方に感銘を受けて、タマムシ大学での研究を捨ててまでリーグに挑んだ人だからな」

 

 ムラナカは目を伏せたまま、静かに呟く。

 

「いきなり会うことになるとは思わなかった」

 

 その声には、憧れと緊張、そしてどこか恐れにも似た感情が入り混じっていた。

 

 モーリはしおりを閉じながら、ふとした疑問を抱く。

 彼の知る限り、トミノというリーグトレーナーは最近引退したはずだ。

 そんな彼が、一体どうして高校ポケモンバトルのコーチを、しかもこんな、言ってしまえば弱小地方の相手をする必要があるのだろうか。

 

 モーリはサイトーの方を見たが、特に深い事情があるような様子もない。

 秋風が静かに部室に吹き込む。

 モーリの胸には、何か違和感が残ったままだった。

 

 

 

 

 海を渡るフェリーのデッキに立ち、モーリは水平線を眺めていた。

 

 朝の陽光を浴びた水面が、穏やかな波に揺られてきらめいている。甲板の手すりに肘をつき、潮の香りを感じながら、ふと腰のモンスターボールに手を伸ばした。

 

 三つ。

 

 ブニャット、ガブリアス、ファイアロー。

 

 手のひらでボールの表面をなぞる。その感触は今までと何も変わらないはずなのに、どこか落ち着かない気分が拭えなかった。

 

 後ろでタケダがはしゃぐ声が聞こえる。

 

「島が見えてきましたよぉ!」

 

 弾んだ声とともに、タケダが駆け寄ってきた。手には合宿のしおりを持ち、船の向こうに広がる景色を指差している。

 

 フェリーの進行方向、その先には緑の丘陵を背負った小さな島があった。岸辺には整備された港があり、さらに奥へ視線を向ければ、白い建物が並ぶ研修施設らしきものが見える。

 

「ここが合宿の会場か」

 

 モーリが呟くと、隣にいたスズモトがしおりをめくりながら相槌を打つ。

 

「うん、施設の設備も充実してるみたい。バトル場は公園とビーチ、それから山道のトレーニングコースもあるみたいだよ」

 

 そう言いながら、スズモトは手元のページを開いた。

 しおりには、施設内の地図やスケジュール、そして最後のページには、今回のコーチを務める人物の名前が記されている。

 

 モーリは一度だけ、それを見た。

 

 トミノ。

 

 この名前を目にするたび、ムラナカの硬直した顔が思い浮かぶ。

 その様子を思い出しながら、モーリは視線を前方へ戻した。

 島が徐々に近づいてくる。

 

「さて、そろそろ着きますよぉ」

 

 タケダがはしゃぎながら言うのを聞き流し、モーリは再びボールを握り直した。

 

 

 

 

 フェリーが港に着くと、部員たちは荷物を持って順番にタラップを下りた。

 

 港にはすでに迎えのバスが待機しており、サイトーが運転手と簡単に話をつけた後、「ほら、乗るぞ!」と声をかける。

 

 バスの中では、部員たちがそれぞれに談笑しながら、島の景色を眺めていた。

 窓の外には、穏やかな海岸線と、緑に囲まれた建物群が広がっている。

 

 そして、しばらく進んだ先に、研修施設が見えてきた。

 

 モーリはバスの窓越しに、その白い建物を見上げる。

 どこか、グレンタウンに遠征に行ったときのことをを思い出した。

 

 

 

 

 部屋分けでは当然男子と女子は分けられ、モーリ達の部屋は、中規模の和室となった。

 畳敷きに布団が三組。部屋の隅には小さな収納棚があり、壁には施設の案内板が貼られている。

 

 ムラナカは静かに荷物を広げ、整理を始めていた。

 

 その横で、コウヌが畳に腰掛けながら伸びをする。

 

「こういうの初めてっす、ワクワクします」

 

 そう言いながら、彼は荷物を漁り、トリミング用のハサミとクシを取り出す。

 

 一方のムラナカは、無言のまま荷物を片付けていた。だが、その手元にあるものにモーリの目が留まる。

 

 それは、色紙。そして、一冊の本。

 モーリは、それを見てなるほど、と小さく頷き、どこかに太めのサインペンもあるのではないかと目を凝らす。

 

 ムラナカがこの合宿に並々ならぬ緊張を抱えているのは当然のように思えた。

 

 

 

 

 公園のバトル場は、開けた芝生に複数のバトルフィールドが整備された空間だった。

 周囲には木々が生い茂り、鳥ポケモンのさえずりが心地よく響いている。

 

 そこに、すでに一人の男が立っていた。

 メガネをかけた、スーツ姿の細身の男性。

 派手な雰囲気はない。むしろ、物静かで穏やかな印象を与える人物だった。

 その後ろには白を基調にしたジャージを羽織った女性もいた。

 

 サイトーが彼に歩み寄り、軽く手を挙げる。

 

「トミノ先生、どうも」

「お久しぶりです、サイトー先生。こうやってお会いするのは初めてですね」

 

 静かで柔らかい声だった。

 

 その声を聞いた瞬間、ムラナカの肩がわずかに震えた。

 トミノは部員たちを見渡し、微笑む。

 

「今日から二日間、君たちのコーチを務めるトミノです。よろしくお願いします。これでも昔はね、リーグトレーナーやってました。後ろにいるのは妻です。ナースの資格もジョーイの資格も持ってるのでね、何があっても大丈夫ですよ」

 

 その一言で、空気が少しだけ張り詰めた。

 

 ムラナカは小さく息を呑み、スズモトは興味深げにトミノを見つめる。

 

 トミノは穏やかな口調のまま、視線をゆっくりと部員たちへと巡らせた。

 

「まずは、みんなの実力を見せてもらおうと思う。話は聞いてるけど、実際の動きを確認したいからね」

 

 彼がそう告げると、部員たちの間に緊張が走る。

 

「手合わせをしたいんだが、どうかな?」

 

 その提案に、部員たちは一瞬顔を見合わせた後、ムラナカが静かに前に出た。

 

「お願いします」

 

 淡々とした声だったが、その内側に張り詰めた熱が滲んでいた。

 

 モーリはちらりとムラナカの顔を盗み見る。

 

 彼の表情には、強い決意と、それに相反するような緊張が同居していた。

 

 

 

 

「『たいあたり』」

 

 ムクホークが、エビワラーの真上から襲いかかる。

 

「『かみなりパンチ』!」

 

 ムラナカは迎撃の指示を出し、エビワラーは戸惑いながらもなんとかそれをムクホークの胴に打ち込む。

 拳には電撃をまとい、それは飛行タイプであるムクホークの弱点であるはずだった。

 しかし、ムクホークはそれを苦にすること無く、エビワラーを踏み台にするようにして再び宙に舞い上がる。

 もちろんそれは、単純なレベル差もあるだろう。エビワラーの拳が『鉄』ではないことも理由の一つだろう。

 だが、最も大きな理由はムクホークが攻撃してくる『角度』だ。

 

 滑空し、翼を畳んで重力に身を任せるその動きは、少なくとも彼らにとっては初めての経験だ。

 真上からの攻撃は、当然受ける側もそうだが、行う側にも練度と技術が必要なものである。

 少なくとも、高校生とそのパートナーが簡単に会得できるものではない。

 

「『たいあたり』」

 

 再び、真上からの攻撃。

 

「『バレットパンチ』!」

 

 先程よりも素早い攻撃が、攻撃が届くよりも先にムクホークを捉える。

 ムクホークの巨体による『たいあたり』は、やはりエビワラーを地面に押しつぶすように炸裂するが、エビワラーは受け身を取りながらダメージを最小限に抑える。

 

 そして、受け身を取った先は、ムクホークの背後だった。

 

「『とびひざげり』!」

 

 起き上がったエビワラーはそのまま飛び上がって膝蹴りをムクホークの後頭部に炸裂させる。

 手応えはあったが、ムクホークはぐらつくのみで羽ばたきながらエビワラーを視界の中に捉える。

 

「『バレットパンチ』!」

「『でんこうせっか』」

 

 追撃の『バレットパンチ』に対して、ムクホークの足が先にエビワラーの胸に届く。

 突き飛ばされたエビワラーは、ついに限界を迎えて地面に突っ伏した。

 

「このくらいにしておこう」

 

 トミノはそう言って手を上げ、ムクホークをボールに戻す。

 そして、そのままムラナカに向かって笑いかける。

 

「動きが良いね、少し意地悪な戦い方をしたんだけど、うまく対応しようとしていた」

「はい!」

 

 ムラナカは倒れたエビワラーをボールに戻し、トミノの言葉に背筋を伸ばして強く返答する。

 その様子があまりにも普段の彼と違うものだから、部員たちは思わずニヤけた。

 

 

 

 

 その後、他の部員達もトミノとの手合わせを終える。

 当然、元リーグトレーナーである彼に敵うはずもなかったが、唯一タケダのケッキングがトミノのヤドランを『かいりき』で持ち上げ振り回した時には一瞬盛り上がった。

 

 トミノは横に立つ妻にメモを取らせながら、一つ一つの手合わせを丁寧に記録している。

 

 そして、最後は。

 

「よし、それじゃあ最後は、モーリ君、君だね」

 

 彼の目線が、モーリを捉える。

 そして、そこから滑るように、彼の腰元に三つのモンスターボールがあることを確認した。

 その視線の流れに、モーリは思わず身構える。

 それを理解したのか、トミノはすぐさまにそこから目を外し、モーリに微笑みかける。

 

「先生から話を聞いてね、君のこと分かる範囲で調べさせてもらった。出過ぎた真似かもしれないけど、僕は君の『その二体』を含めてコーチングすることが、むしろ君にとって近道だと思っている」

 

 彼は一歩前に踏み込んで続ける。

 

「君が良ければ、君の『群れ』と手合わせしたい」

 

 モーリは、一瞬それに沈黙する。

 彼は無意識に腰のモンスターボールへと指を這わせた。

 不思議な感触だった。

 一つ、ブニャットのボールは、確かに手に馴染みつつある。だが、もう二つのボール、ガブリアスとファイアローのものは、それより遥かに懐かしい感触を持ちつつも、それが遠くに行きつつある感覚なのだ。

 

 この場で彼らを出せば、どうなるだろう。

 部員たちの視線が向くことは間違いない。

『ジムバッジ七つの男』として期待の目で見られるかもしれないし、逆に『ジム巡りを途中で投げた男』として、彼らの前で惨めな姿を晒すことになるかもしれない。

 

 考えるほどに、手のひらがじっとりと汗ばむ。

 

 モーリはちらりとサイトーを見る。彼女は腕を組み、じっとこちらを見つめていた。

 スズモトも、ムラナカも、タケダも、それぞれの表情でこちらを見守っている。

 彼らは何も言わない。そして、おそらくモーリがどのような選択を取ろうとも、それを責めないだろう。

 だが、その沈黙が逆にモーリの胸を締めつけた。

 

 ここで、逃げたらどうなる?

 

 答えは分かっていた。

 今ここで尻込みすれば、ガブリアスとファイアローのことを本当に過去のものにしてしまう。

 

 それでも良かったはずだ。だって自分は、それを求めてこの地に来たのだから。

 

 しかし、彼はその理屈を何処か心の奥底に押し込めた。

 

「お願いします」

 

 かすかに震える声を、モーリは無理やり押さえつける。

 その瞬間、腰の二つのボールが、ひどく重く感じられた。

 

 

 

 

 トミノの一番手がヤドランであることを確認したモーリは、瞬間的に自らの一番手であるファイアローとの相性の悪さを気にかける。

 だが、ヤドランがゆっくりと動き始めたのを見て、指示を出す。

 

「『ブレイブバード』」

 

 ファイアローは強く地面を蹴り、一度羽ばたいて空気を掴むとすぐに翼を畳んで弾丸のようにヤドランに突っ込む。

 ヤドランはその攻撃を腹で受け止めた。玉砕覚悟の攻撃でありヤドランは大きなダメージを受けるが、それはファイアローも同じであり、そして何より、無防備な姿をさらしている。

 

「『ハイドロポンプ』」

 

 ヤドランの口から放たれた攻撃がファイアローに直撃する。

 強い水流に吹き飛ばされた彼女はモーリの目の前まで地面を流される。

 大きな反動のある『ブレイブバード』を撃ったことに加え、弱点である水タイプの大技『ハイドロポンプ』を喰らえば戦闘不能は明らかだ。

 全ては『ブレイブバード』でヤドランを落とせなかったことが全てだ。

 

 モーリは彼女をボールに戻し、次のポケモンを繰り出す。

 

 現れたガブリアスに、観戦していた部員達はわずかに声を上げ後ずさる。

 普段モーリのパートナーであるブニャットに比べると、そのポケモンは明らかに戦闘用といったふうだった。

 スズモトなどはそのポケモンをポケモンリーグの中継で見たことがあるのに、それを間近で見ると、その刺々しい雰囲気に息を呑んでしまう。

 

 だが、トミノはそれに戸惑うことなくヤドランをボールに戻した。近年までCリーグで戦ってきた男だ、今更ドラゴンに怯むわけがない。

 

 トミノが新たに繰り出したムクホークは、キッ、っとガブリアスを睨みつけて『いかく』する。

 

「『ストーンエッジ』」

「『すてみタックル』」

 

 だが、モーリの指示にガブリアスは地面を蹴った。

 関節の部分、岩のように尖ったそこでムクホークの胸を攻撃する。しかし、ムクホークもまた地面を強く蹴り、玉砕覚悟の捨て身の攻撃。

 肉と肉の衝突だ。鈍い音が響き渡る。

 

 ムクホークは地面に倒れかけるが、なんとか踏ん張る。

 ガブリアスもなんとか首をもたげる。

 

「『ドラゴンクロー』!」

「『でんこうせっか』」

 

 二の次の攻撃を先に当てたのはムクホークであった。

 残る力でなんとかガブリアスの顎を蹴り上げる。

 さすがのガブリアスにも、それに抗うタフネスは持ち得ていなかった。

 

 モーリはガブリアスをボールに戻し、三つ目のボールを手に取る。

 ムクホークを落とせないのは予想外であった。

 

「『ねこだまし』」

 

 繰り出されたブニャットは、現れるや否や地面を蹴り、ムクホークに飛びかからんとする。

 しかし、トミノはムクホークをボールに戻した。

 

「さあ、どうするかな」

 

 再び繰り出されたヤドランに、ブニャットが『ねこだまし』で攻撃する。

 ヤドランは確かにひるんだが、大きなダメージでもなければ戦闘不能になるわけでもない。

 特性『さいせいりょく』で体力を回復しているのだ。

 

「『あくび』」

「『みがわり』」

 

 ヤドランが大口を開けるよりも先に、ブニャットはその場にデコイを置いてヤドランのサイドに回る。

 

「『サイコキネシス』」

 

 視線を戻した先にブニャットはいなかったが、それでもヤドランは指示を疑うこと無くそのデコイに向かって攻撃を放つ。

 念動力によってそれは破壊され、視野が広がる。

 だが。

 

「『イカサマ』」

 

 念動力を放ち重心が前に傾いたヤドランの後頭部にブニャットがのしかかる。

 力の流れのまま地面に叩きつけられたヤドランは、そのまま動かなくなった。

 

「なるほど」と、トミノは彼をボールに戻す。

 

 そして、新たに繰り出されたのは、とりもどきポケモンのシンボラーだ。

 モーリはその選択にわずかに苦い顔をしながら指示を出す。

 

「『みがわり』」

「『サイコキネシス』」

 

 分離したデコイに、すぐさまシンボラーの念動力が襲いかかり消滅する。

 トミノはモーリが『みがわり』で状態異常攻撃を受けようとしていることを理解している。

 だが、それはモーリも理解している。

 

「『サイコキネシス』」

「『こらえる』!」

 

 ブニャットはシンボラーの『サイコキネシス』を受けるが、なんとかそれを踏ん張る。

 そして、そのままシンボラーに飛びかかった。

 

「『じたばた』!」

 

 右に左に、とにかく力を振り絞ってシンボラーに襲いかかる。

 シンボラーはその攻撃に力をなくし、ゆっくり地面に落ちる。

 彼がまだわずかに頭をもたげようとしていたが、トミノは彼をボールに戻す。

 

 そして、三つ目のボールからムクホークを繰り出した。

 

 モーリはそれに眉をひそめる。

 

 ムクホークは明らかに消耗していたが、それでもブニャットを『いかく』する。

 

「『でんこうせっか』」

「『でんこうせっか』」

 

 二人の指示が重なり、そして、二体のポケモンも同時に動く。

 

 わずかに、ブニャットの前足が先にムクホークに届いた。

 だが、その攻撃はムクホークを鎮めるには至らない。

 ムクホークの『いかく』によって、半歩踏み込みが浅かった。

 

 そして、ムクホークの爪がブニャットに襲いかかる。

 それは僅かな威力の攻撃だったが、すでに満身創痍のブニャットを落とすには充分だった。

 

 

 

 

 モーリは静かにブニャットをボールへ戻した。

 胸の奥が重い。ファイアロー、ガブリアス、そして最後はブニャットまで。

 

 もちろん、絶対に勝てると思っていたわけでは無い。

 相手は最近までプロでしのぎを削っていた存在だ。バッジ七つの自分が勝てる可能性は低かっただろう。

 だが、相手の想像を上回ることはなかった。

 

 ムクホークを温存したトミノの判断は『ブニャットの勝ち筋』を強く意識したものだった。

『こらえる』から『じたばた』

 この戦法は『でんこうせっか』のような『先制攻撃』に弱い。

 故に、『でんこうせっか』をコマンドに持つムクホークの温存は、それだけでブニャットの戦略の幅を狭めるものだった。

 こちらも『でんこうせっか』で攻撃を被せたが、『いかく』によって踏み込みの甘くなったブニャットでは落としきれなかった。

 

 狭いコマンドを、克服できなかった。

 

 トミノは落ち着いた仕草でムクホークをボールへ戻し、眼鏡の位置を直す。

「いい試合だった」とか「よく頑張った」とか、そういった言葉はなかった。ただ静かに、ノートを開いて何かを書き留める。

 その背後で、彼の妻がすでに回復道具の準備を始めていた。

 

 

 

 

「モーリさん、すごかったですわぁ!」

 

 タケダが手を叩きながら駆け寄ってきた。目を輝かせながら、感嘆の息を漏らす。

 

「最後のブニャットさんの『じたばた』、あれ、もう少しで落とせたんじゃありませんの?」

「惜しかったよな!」

 

 続けてムラナカも前のめりになりながら言う。腕を組み、真剣な表情をしていたが、その声色には興奮が滲んでいる。

 

 スズモトも小さく手をたたきながら静かに頷く。

 

「やっぱりモーリ君、すごいね。ガブリアスとファイアローの攻撃、迫力あったし、ブニャットとの連携も完璧だったと思うよ」

「完璧なら勝ってたよ」

 

 モーリは曖昧に笑いながらそう答えたが、周囲の雰囲気はまだ熱を帯びていた。

 

「いや、でも、実際めちゃくちゃ強かったッスよ!」

 

 コウヌが興奮気味に続ける。

 その言葉に、オーアサも頷く。

 

「冷静に考えて、バッジ七つってこういうことなんだね」

 

 彼女の言葉に、周囲の部員たちが改めて感心したように頷き合った。

 

「モーリさん、やっぱり本物ですわぁ」

 

 そんな無邪気な称賛を浴びながら、モーリは静かに口を結んだ。

 彼らの視点では、これは「惜しい試合」だったのかもしれない。

 だが、モーリ自身はそうは思えなかった。

 

 狭い戦略の中でやりくりし、最後は相手の想定内で敗れた。

 本当に強いトレーナーなら、あのムクホークを倒せていたはずだった。

 

 モーリは胸の奥にくすぶる悔しさを飲み込みながら、笑顔を作る。

 

「ありがとう。でも、まだまだだよ」

 

 部員たちの称賛が響く中、モーリは静かにトミノの方を見やった。

 彼はノートに何かを書き留めると、眼鏡を軽く押し上げ、穏やかな視線をモーリに向けていた。

 

 

 

 

 トミノはノートにメモを取り終えると、静かにページを閉じた。

 

「さて、みんな。手合わせはここまでにしようか」

 

 彼はゆっくりと視線を巡らせながら、穏やかな口調で続ける。

 

「短い時間だったけど、君たち一人ひとりの動きをしっかり見させてもらったよ。みんな、それぞれ良いところがあったし、もっと伸ばせる部分もある」

 

 彼の後ろでは、白いジャージを羽織った彼の妻が、既に回復道具を片付けながら微笑んでいる。

 

「ここからは、それぞれに合った練習メニューを組んでいく。明日の昼には最後の総まとめをしたいから、今日はできるだけ多くのことを吸収していこう」

 

 その言葉に、部員たちは緊張した面持ちで頷いた。

 

「まず、一年生組のコウヌ君とオーアサさん」

 

 名前を呼ばれた二人が顔を上げる。

 

「君たちはまだバトル経験が少ない。だから、とにかく数をこなしてもらう。僕の妻と実戦形式を繰り返して、試合勘を身につけよう」

「えっ、先生の奥さんと?」

 

 コウヌが驚いたように目を瞬かせると、トミノの妻は静かにボールを掲げて微笑んだ。

 

「はい、私が相手をしますよ」

 

 オーアサは警戒したように彼女を見たが、タブンネとハピナスが並んで現れると、すぐに表情が変わった。

 

「なんか、見た目は可愛いけど」

「そう見えるだろうけど、侮っちゃいけないよ」

 

 トミノはクスリと笑いながら肩をすくめた。

 

「彼女は、僕がリーグで戦っていた頃、ポケモンたちのケアを専門にやってた。リーグトレーナーじゃないけど、試合の流れを読む力は確かだよ」

「なるほど」

 

 コウヌとオーアサは神妙な面持ちで頷き、それぞれマリルとバネブーのボールを手に取った。

 

「よろしくお願いします!」

「はい、手加減はしませんからね」

 

 優しい微笑みを浮かべながら、トミノの妻は二人をバトルスペースへと誘導した。

 

「次に、ムラナカ君」

 

 ムラナカは一瞬背筋を伸ばし、真剣な表情を作る。

 

「君のエビワラー、いいパンチを持っている。でも、打撃の幅をもっと広げた方がいいと思う」

 

 トミノはそう言いながら、彼の方へ歩み寄った。

 

「『てつのこぶし』とまではいかなくても、『いわ』くらいの硬さに拳を固めることができれば、攻撃の選択肢が増えるはずだ。『ストーンエッジ』の習得を目指そう」

「俺にできますか?」

「もちろん。エビワラーは格闘技の達人だけど、石のように固い拳を持つこともできる。打撃の質を変えることで、これまでとは違う戦い方ができるはずだよ」

 

 ムラナカはその言葉をじっと噛み締めるようにしながら、ゆっくりとエビワラーのボールを手に取った。

 

「やってみます」

「いい返事だね。最初は感覚を掴むところから始めよう」

 

 トミノは満足げに頷き、次の人物へと視線を移した。

 だが、ムラナカはそこでふと思い出したように口を開く。

 

「あの、先生」

 

 トミノが「ん?」と振り返ると、ムラナカは少し恥ずかしそうに、だが真剣な顔で続けた。

 

 「練習が終わったら。サイン、もらえますか?」

 

 ムラナカは少し頬を赤らめたが、トミノは驚いたように目を丸くし、そしてすぐに笑う。

 

 「嬉しいな。もちろん、喜んで書くよ」

 

 ムラナカはこくりと頷き、それを聞いたタケダが「まあ、わたくしもいただいて損はないかもしれませんわぁ」と呟いた。

 

 そして、トミノは次の人物へと視線を向ける。

 

「タケダさん」

「はい!」

 

 タケダは姿勢を正し、微笑みながら待機していた。

 

「君のケッキングは、確かに力強い。君の指示を聞かない根本的な問題はあるんだけど。それに加えて、君がまだ指示を出すことに慣れていないように見えた」

「それは、否定できませんわぁ」

 

 タケダは苦笑いを浮かべる。

 

「そこで、まずはポケモンに的確な指示を出す練習をしよう」

 

 そう言いながら、トミノは自身の腰のボールを手に取った。

 

「君には、僕のヤドランを貸すよ」

「えっ、よろしいのですかぁ?」

「もちろん。ヤドランは指示に対して素直に動くし、トレーナーの意図を汲み取るのが得意なポケモンだからね。まずは彼に指示を出すことで、トレーナーとしての感覚を養おう」

 

 そう言ってボールを放ると、のんびりとした様子のヤドランが姿を現した。

 

「ヤドランさん」

 

 タケダは興味深そうにヤドランを見つめた。

 その横で、ケッキングがすこし憮然とした表情をしている。

 

「これで、ケッキングさんにも伝わるような指示ができるようになるかもしれませんわぁ!」

「その意気だね。さっそくやってみようか」

 

 トミノが優しく微笑みながら促すと、タケダは元気よく頷いた。

 

 そして、最後にトミノの視線がモーリへと向く。

 

「モーリ君」

 

 モーリは自然と背筋を伸ばした。

 

「君の課題については、少し話してからにしよう」

 

 そこまで言って、トミノは一度区切った。

 

 部員たちの視線が、モーリとトミノの間に集中する。

 

 モーリ自身も、何を言われるかは、確信を持てないでいる。

 

 だが、実際に言葉として聞くことが、妙に怖かった。




次回4/19 18:01予定

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