『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~ 作:rairaibou(風)
文化祭が近づくと、学校全体の空気はどこかそわそわとしたものになる。
授業の合間にも、クラスの企画や出し物の準備についての話題が飛び交い、いつもより賑やかだ。
放課後になれば、廊下を行き交う生徒たちの手には看板やポスターの材料が増えていく。
運動場では体育祭のリレー並みに忙しそうに走り回る委員がいたり、教室では装飾を巡って揉めているクラスメイトがいたりと、あちこちで「文化祭モード」に入っているのが見て取れる。
そして、それはポケモンバトル部も例外ではなく。
☆
「で、今年は何をやりましょうか」
部室の机に肘をつきながら、スズモトが淡々と尋ねた。
ポケモンバトル部の部室には、部長のモーリを含め、スズモト、タケダ、オーアサ、コウヌの五人が集まっていた。
本来ならもう一人、ムラナカもここにいるはずだったが、彼は美術部との兼部で、今年の文化祭は美術部の方に専念することになっていた。
文化祭の準備期間はそちらが忙しく、今日はそもそも部室に顔を出してすらいない。
「そもそも去年は何やったんスか?」
コウヌが首を傾げると、タケダがため息混じりに答えた。
「去年は何もしてませんわぁ」
「えっ? 何も?」
「ええ、イイダ先輩が『別に何もしなくて良いんじゃない? 去年も何もしてないし』と言いまして、それで終わりましたの」
「それで終わるんですね」
オーアサが呆れたように言う。
「でも、さすがに今年は何かしないと、他の部活とのバランスが悪いんじゃない?」
「そうですわぁ。なので、何か企画を決めませんと!」
タケダの言葉に、コウヌが小さく首を傾げる。
「何か、バトル部らしいこと、ですか?」
「バトル部らしいこと、ねぇ」
モーリは腕を組みながら考えた。
すると、オーアサが手を挙げる。
「じゃあ、コウヌくんによる『ポケモントリミング教室』なんてどうでしょう?」
「えっ、俺?」
突然話を振られ、コウヌは目を丸くした。
「うん! コウヌくんって、ポケモンのトリミング得意でしょ? 文化祭で来た人たちに、基本的な手入れの仕方とか教えてあげるとか!」
「それ、ダメです」
コウヌは即座に拒否した。
「ええー、なんで?」
「俺、免許持ってません」
「えっ、免許いるの!?」
オーアサが驚いた顔をすると、スズモトが淡々と補足する。
「ポケモントリマーの仕事をするには、正式なライセンスがいるのよ。商業レベルじゃなくても、文化祭でやるなら申請が必要だし、それにコウヌくんに負担がかかるでしょ」
「あー……確かに、そっか……」
オーアサは少し残念そうに肩を落とした。
「じゃあ、他に何かいい案ある?」
「バトルやればいいのかな?」
スズモトがシンプルな案を出すが、すぐに首を振る。
「いや、やめとこう。色々とめんどくさいから」
「何が?」
「観客の安全確保、校内設備の保護、バトルのルール設定。全部こっちが準備しなきゃいけないし、それなりに広い場所が必要」
「そんなの、グラウンド使えばいいんじゃねぇの?」
「文化祭って、他のクラスや部活も場所使うでしょ。グラウンドはそっちのイベントで埋まってるし、バトルだけのために確保するのは難しいよ」
「なるほど、確かにめんどくせぇな」
モーリが少し考え込む。ほんの少しだが、イイダの気持ちがわかる気がした。
「何かバトル部らしいこと。バトル以外でできることはないか?」
その時、タケダが手を挙げた。
「では、ポケモンと触れ合う企画というのはいかがですの?」
「触れ合う?」
「ええ。例えば、ポケモンの手形スタンプラリー とか」
部室内が、しんと静まり返る。
「ポケモンの、手形?」
コウヌが小さく呟くと、タケダは頷きながら説明を続ける。
「来場者の皆様に、私たちのポケモンの手形をスタンプとして押していただくんですの! 可愛らしいものから、ちょっとワイルドなものまで、いろんなポケモンの手形を集めるのは楽しいと思いますわぁ!」
「なるほど、すごく良いと思う! バトル部がバトルだけっていうのも、なんか違う気がするし」
スズモトもあっさりと受け入れた。
「じゃあ、それで決定でいいかな?」
モーリが改めて全員を見渡すと、特に反対意見は出なかった。
「では企画名は 『ライモン高校ポケモンスタンプラリー』 ですわぁ!」
「長いよ」
「では略して 『ポケスタラリー』!」
「こういうの略す必要ないんじゃないかな」
そんな会話が飛び交う中、モーリはホワイトボードに「ポケモンの手形スタンプラリー(決定)」と書き込んだ。
これなら、文化祭も気楽に楽しめそうだ。
☆
文化祭当日。
ライモン高校の敷地内は、いつもの校舎とはまるで違う雰囲気に包まれていた。
色とりどりの飾り付けが施され、教室の窓にはクラスごとの企画を知らせるポスターが貼られている。
廊下を歩けば、模擬店の呼び込みや音楽系の発表のリハーサルがそこかしこで聞こえてくる。
そんな賑やかな空気の中、モーリはクラスのカフェの入り口に立っていた。
『Welcome to 2-B Café!』
黒板にはそう大きく書かれ、周囲にはリボンや手作りの装飾が施されている。
さらに、カフェの客寄せ役として、入口の横にはモーリのブニャットが堂々と座っていた。
「お、ブニャットがいるじゃん!」
「でっか……え、なにこの貫禄……」
「めっちゃモフモフしてそう~!」
来場者が次々と足を止め、ブニャットの存在感に驚きながらも興味を示している。
とはいえ、ブニャット自身はいたってマイペースで、時折のびをしたり、尻尾をくねらせたりしているだけだった。
客寄せには使いたいが、食品の近くには置けない。
その結果、こうして店の外で看板猫ならぬ「看板ポケモン」として鎮座してもらうことになったのだった。
「モーリ、ちゃんとレジできてる?」
店内からミマが顔を出し、モーリの様子を窺う。
「ん、問題ないよ。お金の計算ぐらいできるし」
「頼もしいねぇ~。ま、トラブル起きたらすぐ呼んでよ」
そう言って、ミマは忙しそうに店の奥へ戻っていった。
ブニャットのおかげかどうかは知らないが、カフェは予想以上の盛況で、次々と来客が訪れていた。
レジ係のモーリも、思っていたよりもずっと忙しく、ほぼ休みなく注文をさばいていくことになる。
そんな中、「あれ?」 という声が聞こえた。
顔を上げると、スズモトがクラスメイトたちと一緒に店に入ってくるところだった。
「よう」
「……うん、こんにちは」
レジ横を通るスズモトと軽く挨拶を交わし、彼女はクラスメイトたちと共に席へ向かう。
「へぇ、結構ちゃんとしてるのね」
店内を見渡しながら、スズモトのクラスメイトが感心したように呟く。
装飾やメニューを眺めながら、他のクラスメイトたちも楽しげに話していた。
「文化祭のカフェって適当なイメージあったけど、ここはちゃんとしてるね」
「てか、入り口にいたブニャットやばくない? あれ、絶対ボスの風格あるよね」
「モーリのポケモンだよね? さすがの貫禄」
「まあな」
モーリは淡々と答える。
「食品の近くには置けないけど、せっかくだから客寄せ担当になってもらってる」
「納得の存在感」
スズモトたちは笑いながら席につき、メニューを開いた。
そこへ、トレイを手にしたミマがモーリの元へやってくる。
「モーリ、ちょっと手ぇ貸して」
「ん?」
「注文取りに行ってくんない?」
「俺、レジ係だろ」
「いいじゃん、文化祭なんだし。ほら、スズモトたちのとこ行ってきなよ~」
モーリはミマの表情を見た。
めちゃくちゃニヤニヤしている。
こいつ、わざとだな。
モーリは内心でため息をつきながら、それでも逆らうのも面倒だったので、メモとペンを受け取った。
「わかったよ」
クラスメイトたちの笑い声が聞こえる中、モーリはスズモトのテーブルへと向かった。
テーブルに近づくと、ちょうどスズモトがクラスメイトたちにからかわれているところだった。
「ねえねえ、スズモト、せっかくだしモーリくんに注文しなよ」
「そうそう『特別』にお願いしてみたら?」
「は?」
スズモトが戸惑った顔をすると、クラスメイトたちはニヤニヤと笑い合いながら、さらに煽る。
「ほらほら、ちゃんと名前呼んでお願いしなきゃ~」
「いい機会じゃん? ねっ!」
「そ、そんなことしなくても」
「ん~? できないの?」
「じゃあじゃあ、私がやろうかな!」
スズモトは何か言い返そうとしたが、クラスメイトたちは一切容赦しない。
しびれを切らしたように、スズモトは息を小さく吸い込むと。
「……モ、モーリくんを、ください!」
顔を真っ赤にして言った。
沈黙。
モーリは「○○ください」と言われることにそもそも慣れていない。
レジ係としてずっと会計ばかりしていたので、面と向かって注文をされるのはこの日初めてだった。
しかも、それがこんな言われ方とは。
スズモトは自分の言葉の恥ずかしさに耐えきれず、視線を逸らしている。
クラスメイトたちは耐えきれず吹き出す。
「言ったーーー!!」
「スズモトが、スズモトが言った!!」
「まさかほんとに言うとは……!」
「……っ、もう!!」
スズモトは顔を隠しながら、テーブルに突っ伏した。
モーリは、それを無言で見下ろしながら「普通に返事するのは癪だな」と、考える。
どうせならこの集団の思惑を上回りたいし、何より文化祭という独特の熱っぽい雰囲気が、彼に一歩踏み込ませる。
彼はトレイをテーブルに置きながら、ふと口を開いた。
「これが終わったらな」
言った瞬間、モーリ自身も「あ?」と頭の中で引っかかった。
クラスメイトたちは一瞬固まった後。
「キャーーーー!!!」
と、まるでドラマの告白シーンを見たかのような大騒ぎを始めた。
「ちょっ、え!? え!? 今の何!?」
「これが終わったらって、どういう意味!? どういう意味ーー!!?」
「いやいやいや、なにこの空気!? なんか青春してない!?!?」
スズモトは一瞬動きを止め、それから信じられないものを見るようにモーリの顔を見上げた。
「……っ!?」
モーリも、自分で言った言葉の意味を理解して、じわじわと顔が熱くなる。
「……いや、違う」
無意識に言葉を探しながら、トレイを持ち直し、踵を返す。
「深い、意味は、ねえ」
そう呟いて、モーリは足早にカウンターへ戻っていった。
後ろではスズモトが、顔を両手で覆っているのが見えた。
☆
厨房から立ちのぼる湯気が、ほのかにコーヒーの香りを運んでくる。
文化祭も中盤に差し掛かり、開店直後の混雑は落ち着いてきていた。
「モーリ、交代の時間だよ~」
ミマがカウンターに近づきながら声をかけてくる。
片手には新しいエプロンがあり、それを次の担当に渡す準備をしている。
「お疲れ! いや~、いいもん見せてもらったわぁ」
モーリはエプロンの紐をほどきながら、怪訝そうにミマを見た。
「……何が」
「ん~? 何がって?」
ミマはニヤニヤと笑いながら、まるで答えを知っているのにわざと知らないふりをするような仕草を見せる。
カウンターの下にエプロンをしまい終えたモーリに、軽く肘で小突きながら言った。
「さっさと提供されてきなぁ~?」
その言葉に、モーリは手を止める。
ミマの表情には「わかってるくせに」とでも言いたげな色が浮かんでいた。
意味を考えたくなくても、脳裏に浮かぶのはさっきのスズモトの姿。
真っ赤な顔で、ぎこちなく言わされたあの一言。
「……言ってろ」
ぼそりと呟くように返事をして、モーリはカウンターを離れた。
教室を出る前に軽く店内を見渡したが、スズモトの姿はもうどこにもなかった。
さっきまでいたはずなのに、いつの間にかカフェを後にしていたらしい。
すでに別の客が席についており、さっきまでのやり取りがまるで夢だったかのように感じる。
「午後からはバトル部のスタンプラリーだろ? ちゃんと働けよ~?」
ミマの声が背後から響く。
「……おう」
軽く片手を挙げながら返事をすると、モーリは人混みの中へと足を踏み出した。
☆
午後に入り、文化祭はますます盛り上がりを見せていた。
校内を歩く生徒や来場者の手には、何枚ものチラシやスタンプ台紙が握られている。
『ライモン高校ポケモンスタンプラリー!』
そう大きく書かれたポスターが、昇降口や廊下の掲示板に貼られていた。
この企画は、バトル部の部員とポケモンを校内で探し出し、スタンプを集めるというもの。
校舎のあちこちに点在する部員たちを見つけてスタンプを押してもらう形式で、子どもから大人まで気軽に楽しめる。
「ほら、次は中庭のスタンプポイントだって!」
「お兄ちゃん、早く行こう!」
小さな子どもたちが、スタンプ台紙を手に走り回る。
一般の来場者だけでなく、生徒たちも参加しており、すでにかなりの人気企画になっていた。
「思ったより盛り上がってるな」
モーリは腕を組みながら、廊下の隅で様子を眺めていた。
バトル部といえばバトルがメインだったが、こういう形でポケモンと関わるのも悪くないのかもしれない。
そんなことを考えながら、スタンプを押すために自分を探している参加者がいないかと辺りを見回した、その時だった。
「おう、モーリ」
落ち着いた声が背後から届く。
振り向くと、そこに立っていたのはカザだった。
がっしりとした体格に、派手な金髪。
派手なジャケットの上から適当に腕を組みながら、彼は校内の賑わいを見渡し、ふっと鼻を鳴らした。
「なんかぬるいことやってんなあ」
カザの視線の先には、楽しげにスタンプを集める子どもたちや生徒たちの姿があった。
スタンプ台紙を握りしめ、あちこちを駆け回る参加者たちを見ながら、彼は呆れたように肩をすくめる。
「バトル部の文化祭といやあ、バトルだろうがよ」
モーリはため息をつきながら腕を組み、面倒くさそうに言った。
「バトルは色々めんどくさいんだよ」
「は?」
カザが顔をしかめる。
「せっかくお前と戦えると思ったのによお」
唇を歪ませながら、少しだけ悔しそうな表情を浮かべる。
彼にとってバトルとは、自分を証明するための手段であり、何よりも楽しいものだった。
それがこうして文化祭の名のもとに『スタンプを集める遊び』 に変わってしまっているのが納得いかないのだろう。
「公立はこれだから」
カザは呆れたように言いながらも、腕を組んでスタンプラリーの様子を眺めていた。
スタンプ台紙を持った子どもたちが、笑顔で部員たちの元を巡る姿は、彼にとって見慣れない光景だった。
「で、お前も押すのか?」
「ん?」
「スタンプ。バトル部員だろ?」
モーリは視線を落とし、腰にぶら下げたスタンプを軽く叩いた。
「一応な」
「ほーん……」
カザは少し考えるような素振りを見せた後、ふとブニャットの方へ目を向けた。
「……じゃあ、これでいいわ」
モーリが目を細める。
「お前、ブニャットのスタンプでいいのかよ」
「別に。適当に埋めときゃいいんだろ」
そう言いながら、カザは台紙を差し出し、ブニャットの手形スタンプを押してもらう。
しかし、手元を確認することもなく、そのままポケットに突っ込んだ。
「まあ、お前がバトルしてくれないなら帰るわ」
モーリは呆れたように肩をすくめる。
「なんでだよ、もっと回ってけばいいだろ」
「んまあ、適当に女引っ掛けてもいいけど、どうも居心地が悪いわ」
カザは軽く頭をかきながら、文化祭の喧騒を眺めた。
「実はさっきお前んとこの女監督に見つかってよお」
「……サイトー先生に?」
「おう。あのねーちゃん、うちの監督と仲いいからややこしんだわ」
モーリは目を細めた。
「別に悪いことしてるわけじゃないだろ」
「いや、まあな。けど、なんか俺が文化祭に来てるのバレんの、あんま気分良くねえんだよ」
カザは鼻を鳴らし、ポケットに突っ込んだままの手で軽く手を振った。
「ってことで、俺は行くわ。じゃーな」
そう言い残し、彼は振り返ると人混みの中へと歩き出した。
──が、その途中で何かを思い出したように、再び足を止める。
「そういや、お前、秋の新人戦さ」
カザは振り返り、モーリを見やる。
「流石に個人戦は出ねえんだろ」
モーリは軽く首を傾げた。
「まあ、多分出ない」
カザは少しだけ考え込んだ後、口の端を持ち上げる。
「俺も、まあ今更出てもしゃーないよな」
モーリは小さく頷く。
「ムラナカも多分出ないから、タケダさんくらいじゃないかな、二年で出るの」
「ああ、あの謎ケッキングの」
カザは苦笑しながら腕を組んだ。
「まあ、団体戦でやり合おうや」
モーリはほんのわずかに口角を上げる。
「……おう」
それを聞くと、カザはもう一度軽く手を挙げ、今度こそ人混みの中へ消えていった。
モーリはカザの背中を見送りながら、ポケットに押し込まれたままのスタンプ台紙を思い浮かべる。
「……なんなんだよ、あいつ」
呆れ半分、苦笑半分で小さく呟くと、また別の参加者がスタンプを求めて近づいてくるのが見えた。
モーリは気を取り直し、台紙を受け取るために手を伸ばした。
☆
文化祭の喧騒も、夕方が近づくにつれ次第に落ち着きを見せ始めていた。
生徒たちの声はまだ賑やかだが、来場者の数は少しずつ減り、屋台の食材も売り切れが目立ち始めている。
バトル部のスタンプラリーも、大方の参加者が台紙を埋め終わったのか、人の流れが穏やかになっていた。
モーリはブニャットの前にしゃがみ込み、タオルを取り出した。
「頑張ったな」
そう言いながら、ブニャットの肉球についたインクを拭っていく。
ピンク色の肉球は、何度もスタンプを押したせいで少しインクが染みついていた。
けれど、ブニャット自身は特に気にする様子もなく、モーリが拭くのを大人しく受け入れている。
「お前、意外とこういうの平気なんだな」
大人しくしていたのはインクを拭かれる間だけではない。
文化祭の間、何度も子どもや学生たちに触られながらも、機嫌を損ねることなく対応していた。
モーリの知る限り、ブニャットは気まぐれな性格だったが、こういう場面では意外と我慢強いらしい。
「……えらいな」
そう呟きながら最後のインクを拭き取り、タオルをポケットに押し込む。
自分の手も少し汚れていたが、それはブニャットの肉球にインクを塗るたびに指先に付いたものだった。
ふと顔を上げると、隣でタケダが片手を広げて眺めていた。
左手が、異様なまでに赤く染まっている。
「タケダさん、それどうしたの」
「あら、お気づきになりましたぁ?」
タケダは楽しげに微笑みながら、指先をひらひらと動かしてみせる。
「ケッキングさんが怠けて、めったにスタンプしてくれませんでしたので。自分の手の方でスタンプしてましたわぁ!」
「なんでそうなる」
しかも、それが意外と人気だったのか、子どもたちの間では『伝説の手形』みたいな扱いになっていたらしい。
「まあ、思ったより盛り上がったな」
モーリは腕を組みながら、文化祭の名残が残る校内を見渡した。
「スタンプラリーでよかったな。片付けが楽だった」
タケダが「確かに!」と頷く。
「バトルイベントだったら、もっと大変でしたわねぇ」
「めんどくさい手続きとか、片付けとか……それ考えたら、まあ悪くない選択だったな」
モーリは腕を組み、祭りの終わりかけた校内を眺めた。
それぞれのクラスや部活も、片付けの準備に入り始めている。
☆
文化祭が終わり、学校全体が『祭りのあと』という雰囲気に包まれていた。
各クラスや部活動のブースでは、使い終わった装飾や備品の片付けが進み、廊下には撤去作業を終えた生徒たちの談笑があちこちで響いている。
モーリもバトル部のテントの解体を終え、荷物を片付けていた。
ブニャットはすでにモーリの隣に座り込み、尾をゆっくりと揺らしている。
「終わったな」
腕を伸ばしながら呟いたその時、後ろから聞き慣れた声がした。
「お疲れさま」
振り向くと、スズモトが立っていた。
制服の袖をまくり、荷物を肩にかけながら、少し息をつく。
「文化祭、思ったより忙しかったね」
モーリは軽く頷いた。
「まあな。カフェも、スタンプラリーも、なんだかんだ人が来てたし」
昇降口へ向かう道を並んで歩く。
空は茜色から深い藍へと変わり始め、遠くで部活動の後片付けをする声がかすかに聞こえた。
「楽しかった?」
スズモトが問いかける。
モーリは少し考える。
「そこそこ」
「そっか」
スズモトは微笑み、前を向く。
「私は、結構楽しかったかな」
モーリは横目で彼女を見る。
「そうなのか?」
「うん。今年が最後の文化祭だから」
言葉の意味を理解し、モーリは静かに頷く。
来年は三年生。受験のことを考えれば、こんなふうに思い切り楽しむ余裕はなくなるのかもしれない。
「そういや、スズモトは進学するんだよな」
「うん」
スズモトは小さく頷いた。
「コガネシティの大学を目指してる。ポケモンリーグに関わる仕事がしたいし、外国語も勉強しないとね」
モーリは意外そうに目を瞬かせる。
「そういえば俺、スズモトのこと何にも知らないね」
モーリが何気なくそう呟いた瞬間、スズモトの足が止まった。
モーリも気づいて立ち止まり、横を見る。
スズモトは少し頬を赤く染めながら、モーリの顔をちらりと見た。
彼女が何かを言おうとした、その瞬間。
モーリも、自分が口にした言葉の意味を理解し、わずかに顔を赤くした。
「……えっと、いや、そういう意味じゃなくて」
「……わかってるよ」
スズモトはそっぽを向きながら、小さく笑った。
秋の空は、いつの間にか薄暗くなり始めている。
涼しい風が吹き抜け、二人の間の静寂を少しだけ長引かせた。
二人の足音だけが、夜の道に響く。
遠くで、自転車のブレーキ音が聞こえた。
角を曲がれば、やがてそれぞれの帰る道に分かれる。
モーリは、スズモトの横顔をちらりと見る。
「また、明日な」
短く言うと、スズモトも頷いた。
「うん。また明日」
その言葉を最後に、それぞれの道へと足を進めた。
文化祭が終わり、学校にはまたいつもの日常が戻る。
それでも、今日のことはたぶん、少しだけ違う形で記憶に残るのだろう。
モーリは前を向き、歩き続けた。
次回4/27 18:01予定
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