『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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25-新人戦のその先へ

 秋が深まり、校庭の木々は赤や黄色に色づき始めていた。

 昼間はまだ少し暑さが残るものの、夕方になるとひんやりとした風が吹き、制服の上からでも肌寒さを感じる。

 体育館の外では、バスケットボール部やサッカー部が声を張り上げながら練習に励んでいた。

 

 秋は、多くの運動部にとって新人戦の季節だった。

 陸上部は新チームでの大会に向けて走り込みを重ね、野球部は一年生主体の試合で実戦経験を積む。

 そしてポケモンバトル部も、同じように秋の新人戦を迎えようとしていた。

 

 体育館の隅にある体育準備室は、湿った空気が漂っていた。

 部活動で使われる備品が雑然と並び、隅には折りたたまれた跳び箱が積まれている。

 モーリはサイトーと向かい合い、机の上に広げられた資料に目を落とした。

 

「個人戦だけどな、お前とムラナカは出さない」

 

 サイトーがはっきりとそう告げると、モーリは軽く頷いた。

 

「わかりました」

「去年の新人戦で結果は十分出してるし、今さら出る意味はあまりない。今年はタケダ、コウヌ、オーアサの三人に経験を積ませる」

 

 モーリは資料に目を走らせながら、小さく相槌を打つ。

 

「問題は団体戦のオーダーだ」

 

 サイトーは書類をめくり、モーリの顔をじっと見た。

 

「団体戦は五人制。先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の順で戦うが、特に大事なのは中堅と大将だ」

 

 指を二本立てる。

 

「中堅は試合の流れを作る役割だ。ここで勢いをつけることができれば、団体戦は一気に有利になる」

 

 モーリは書類から顔を上げ、サイトーの言葉に耳を傾けた。

 

「大将は、最後の試合を背負うポジション。プレッシャーが一番かかる」

 

 言葉を聞きながら、モーリは腕を組んで考え込む。

 

 大将は拮抗した勝負の際に重要となるポジションだ。

 相手チームとの実力が互角であれば、最後に最も強い選手を配置するのが定石になる。

 捨て大将という選択肢もあるが、今回の大会ではそこまで考える必要はなさそうだった。

 

 リオー高校のカザの顔が頭をよぎる。

 彼と戦うことになるかは分からないが、大将を担うのなら、それくらいの覚悟はしておいた方がいい。

 

「俺がやります」

 

 サイトーは少しだけ口元を緩めたが、それ以上は何も言わなかった。

 

「じゃあ、中堅は?」

 

 モーリは少し考え、それから迷わず答えた。

 

「ムラナカでいきます」

「理由は?」

「俺の次に強いからです」

 

 サイトーはしばらく考える素振りを見せたが、すぐに頷いた。

 

 モーリはペンを手に取り、次に副将の枠を考える。

 

 タケダはケッキングのパワーがあるので、チームに勢いをつけるために先鋒に置くのもいい。

 しかし、そうすると副将のポジションに一年生が入ることになってしまう。

 勝敗を決定づけるかもしれないポジションに経験の浅い一年生を置くのは気の毒だった。

 

「タケダさんは、副将ですね」

 

 ペンを置き、次に先鋒のことを考える。

 

 コウヌとオーアサのどちらを先に出すか。

 コウヌのマリルリは『ちからもち』の特性を持っている。

 同じレベルならば少し上回れる可能性がある。

 

「コウヌを先鋒にします」

 

 サイトーは楽しげに腕を組んだ。

 

「ちゃんと考えてるじゃねえか」

 

 最後にオーアサが次鋒となる。

 

 先鋒:コウヌ

 次鋒:オーアサ

 中堅:ムラナカ

 副将:タケダ

 大将:モーリ

 

 モーリは書類を見つめながら、自分が自然と「強弱」を考えていたことに気づく。

 

 普段のバトル部では、あまりそういう考え方はしないようにしていた。

 けれど、大会となれば話は違う。

 

 誰をどこに置くのが最も勝ちに繋がるか。

 

 それを考えた時、どうしても「誰が強くて、誰がまだ未熟か」という基準が頭をよぎった。

 部のリーダーとして当然の判断かもしれないが、少しだけ胸に重たさが残った。

 

 サイトーが書類をまとめる音が聞こえる。

 

「オーダーは決まったな」

 

 モーリは顔を上げ、深く息をついた。

 

「はい」

「じゃあ、部員たちに伝えて、しっかり準備しろよ」

 

 モーリは立ち上がり、書類を手に取ると、一礼して体育準備室を後にした。

 

 大会は、もうすぐ始まる。

 

 

☆

 

 

 バトル部の部室には、静かな空気が漂っていた。

 夕方の日差しが差し込み、机の上に配られた紙の文字がやわらかく浮かび上がる。

 部員たちはそれぞれのポジションが書かれた紙を手に、じっと目を落としていた。

 

 特に一年生のコウヌとオーアサは、自分の名前が書かれた欄を何度も見返している。

 

 モーリは部室の中央に立ち、腕を組んだ。

 

「大会まで一週間。調整期間はそんなに長くない。だから、今やるべきことをはっきりさせる」

 

 そう言って、一人ずつ視線を向ける。

 

「タケダさん」

 

 タケダは椅子の背にもたれかかりながら、のんびりとした口調で応じる。

 

 

「ケッキングとのコンビネーションを安定させよう。もうそれだけ」

「んふふ、シンプルですわぁ」

 

 タケダはモンスターボールを指でくるくる回しながら、楽しげに微笑んだ。

 

「ムラナカ」

 

 ムラナカは背筋を伸ばし、落ち着いた口調で応じる。

 

「『ストーンエッジ』の精度を上げよう」

 

 ムラナカは紙を折りたたみ、軽く頷いた。

 

「そうだね、今のままだと少し荒いから」

「コウヌ」

 

 コウヌは背筋を伸ばし、真剣な表情でモーリを見つめる。

 

「はい!」

「『アクアジェット』『じゃれつく』を重点的にやろう」

 

「わかりました!」

 

 コウヌは拳を握りしめながら、何度も頷いた。

 

「オーアサ」

 

 オーアサは紙を机に置き、静かに顔を上げた。

 

「今の練習を反復していく」

「わかりました」

 

 オーアサは少し目を細め、机の上を指でなぞった。

 

「やることは決まった。明日からは、そこを重点的に調整していく」

 

 部員たちはそれぞれの紙を手に、言葉を噛みしめるように頷いた。

 大会まで、一週間。

 

 

☆

 

 

 地方、中規模スタジアム。

 

 会場にはすでに多くの選手たちが集まり、ロビーには各校のユニフォームを着た生徒たちが行き交っている。

 大型モニターには『高校ポケモンバトル新人戦』のタイトルが映し出され、アナウンスが開幕を告げていた。

 

 ロビーの端で、スズモトが掲示板に貼られたトーナメント表をじっと見つめている。

 

「順調にいけば、準決勝でリオー高校と当たるね」

 

 手元のメモにさらさらとペンを走らせながら、小さく呟く。

 隣ではタケダが腕を組み、興味深そうに表を覗き込んでいた。

 

「ほほぉ、面白くなりそうですわぁ」

 

 モーリもトーナメント表に目を向け、初戦の相手を確認する。

 公立の高校だった。最近大会に出るようになった学校らしく、名前を聞いたことがない。

 

「初戦はここか」

 

 後ろからムラナカが静かに歩いてきた。

 

「どんな相手ですか?」

「公立校。情報はあまりない」

 

 ムラナカは穏やかな表情で頷いた。

 

「油断はしない方がよさそうだね」

「そうだな」

 

 スタジアム内にアナウンスが響く。

 

「まもなく、団体戦の第一試合を開始します。選手の皆さんは準備をお願いします」

 

 モーリは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 

「よし、それじゃあ気楽に行こう」

 

 部員たちが頷く。

 

 いよいよ、団体戦が始まる。

 

 

☆

 

 

 中規模スタジアム、小分けに区切られた対戦スペース。

 その公立校は、一回戦の相手がライモン高校であったことに、まるでこの世の罪を全て背負わされたかのような不幸だと思っていただろう。

 

 もちろん、例えばリオー高校のような、明らかに学力よりもスポーツに力を入れているような私立高校に当たるよりかは幸いだったかもしれないが、それでも『夏のインターハイで個人戦ベスト八になった二年生が率いる新チーム』というものは、彼らのような存在からすればまるで想像もできない悪魔のように思えた。

 

 

 

 

「『ちきゅうなげ』!」

 

 公立高校、先鋒の二年生のワンリキーは、ライモン高校先鋒、コウヌが繰り出したマリルリ相手に素早く懐に入り込み、そのまま地面に叩きつけた。

 

 コウヌはその様子を見て少し顔を歪めたが、マリルリがワンリキーを睨みつけながら素早く起き上がるのを見ると安堵しながら指示を出す。

 

「『じゃれつく』!」

 

 相手の格闘タイプにフェアリータイプの攻撃が効果が抜群なことは、同級生にアドバイスされていた。

 

 起き上がりに苦戦しているワンリキーにマリルリが飛び込んだ。そのままポコポコと撫でるようなパンチを繰り返せば、いつの間にか相手のワンリキーは倒れている。

 

「やった! やったッスよ!」

 

 審判がコウヌに旗を上げるとすぐに、コウヌは飛び上がって喜び、マリルリに向かって手を広げた。

 そして、マリルリもそれを疑うこと無く彼のもとに飛び込み、喜びを爆発させる。

 くるくると回りながら染めた髪を揺らし、文字通りの破顔をしている。

 

 思い出してほしいが、彼はそもそもモテるためにこの部に入った。

 しかし、その姿は彼が思い描いていた『モテる男』とは程遠いだろう。

 だが、彼の願いは叶うことになる。

 

 そりゃそうだ、美容院の息子で見た目に気を使える髪を染めた男が、マリルリを抱きながら喜んでいるのだから。

 

 一回戦、彼らは先鋒、次鋒、中堅の三連勝により、あっさりと突破した。

 

☆

 

 二回戦、そこそこの私立高校を相手にしても、彼らの勢いは止まらない。

 

 コウヌとマリルリが対戦相手のドンメルを『アクアテール』で下した後、次鋒戦のオーアサとバネブーの相手は、二年生のヘルガーだった。

 

 バネブーのエスパー技は、悪タイプのヘルガーには一切通じない。

 

「『ほのおのキバ』!」

 

 相手のトレーナーの指示で、ヘルガーが鋭い牙を光らせて突っ込んでくる。

 

「『リフレクター』!」

 

 オーアサの声とともに、バネブーの周囲に光の壁が展開される。

 だが、それでもヘルガーの攻撃は強く、バネブーは大きく後退した。

 

 オーアサに焦りが見え始める。

 

「『かみくだく』!」

 

 ヘルガーがさらに詰め寄る。

 バネブーはなんとか耐えようとするが、一撃で大きく体力を削られた。

 

 オーアサの指示でバネブーが『サイケこうせん』を放つが、悪タイプ相手には無意味だった。

 

 最終的に、オーアサはなすすべもなく敗北する。

 

 

☆

 

 

 オーアサはバネブーをボールに戻し、静かに息を吐いた。

 コウヌが駆け寄り「大丈夫か?」と声をかけるが、オーアサは少しだけ視線を落とす。

 

「……うん。でも、やっぱり悔しい」

 

 それだけ言うと、無理に笑顔を作った。

 

 モーリはその様子を遠くから見ていた。

 オーアサがコウヌと対照的な結果になったこと、そしてそれを悔しがっていること。

 

「……」

 

 気づいてはいたが、どう声をかければいいか分からなかった。

 

 二回戦、大将のモーリは逃げ腰の対戦相手を難なく倒し、三勝二敗で勝ち上がった。

 

 

☆

 

 

 観客席の一角、リオー高校のチームが陣取るエリアには、試合の熱気が満ちていた。

 大会の雰囲気に呑まれることなく、リオー高校の選手たちはそれぞれの試合を分析し、次の対戦相手であるライモン高校のバトルを観察している。

 

 カザはフェンスに肘をつき、フィールドを見下ろしていた。

 試合はすでに終わっており、バトル部の選手たちが退場していくところだった。

 

「なるほどな」

 

 カザの背後では、チームメイトが小さく舌を打つ。

 

「あのライモン高校ってさ、モーリ以外にも結構やるやついるよな」

 

 カザは視線を動かさずに応じた。

 

「中堅のエビワラーは安定してるし、先鋒の一年もなかなか良い動きだったな」

 

 コウヌのマリルリは、単純なパワーで試合の流れを引き寄せる力がある。

 この試合でも、『ちからもち』による強烈な攻撃で押し切っていた。

 

「ま、でも次鋒と副将は穴だろ?」

 

 別のチームメイトが口を挟む。

 試合を見ていた彼らにとって、敗北したオーアサと目立った活躍のないタケダは、チームの弱点に映ったのだろう。

 

「今はな」

 

 カザは即答した。

 

「次鋒の一年は、来年には良くなってるかもしれねえ」

「え、負けてたじゃん。ヘルガー相手に何もできなかっただろ」

「それでも、とっさに『リフレクター』を選択できてた。バネブーの動きも、悪くなかった」

「はあ?」

 

 チームメイトの一人が首を傾げるが、カザは気にせず続けた。

 

「最後はテンパってたが、対応が遅れてたわけじゃねえ。相手が悪かっただけだ。相手の手持ち次第じゃ、あいつも普通に勝ってたかもしれねえよ」

 

 カザは試合中のオーアサの動きを思い返す。

 タイプ相性のせいで押し負けたが、それでも場を立て直そうとした判断は評価に値する。

 まだ戦力としては未熟だが、来年以降は変わる可能性がある。

 

「ケッキングの姉ちゃんは、穴だわな」

 

 そう言いながら、カザは片手で顎を掻いた。

 

「ああ、副将の」

「そう」

 

 カザは苦笑した。

 

「どこで見つけてきたのかは知らねえが、ケッキングは相当レベルが高ぇ。そんなポケモンが、あんな見るからに初心者トレーナーの指示を素直に聞くと思うか?」

「ああ」

 

 チームメイトも納得したように頷く。

 

「この大会でも、あいつはまだ目立った結果を残してねえ。倒れたわけじゃねえが、起き上がったわけでもない」

 

 実際のところ、タケダのケッキングは強力なポケモンだ。

 しかし、特性『なまけ』の影響で攻撃タイミングが制限される上、タケダ自身がそれをうまく扱いきれていない。倒れてはいないが、起き上がってもいないのだ。

 そこを突けば、一勝は確実に取れるはずだ。

 

「一勝は確実かあ」

 

 チームメイトの一人がぼそっと呟いた瞬間、カザがその背中をバシッと叩いた。

 

「二勝だ」

 

 ニヤリと笑いながら、カザは指を二本立てる。

 

「大将戦は俺が勝つ」

 

 その言葉には、一片の迷いもなかった。

 チームメイトにとって、その言葉は頼もしかった。

 相手は二年生でインターハイベスト八に残った強豪も強豪だ。

 その相手にここまで簡単に啖呵を切れるとは。

 

「お前って本当にすごいよな」

 

 感嘆したような声に、カザは笑いながら肩をすくめる。

 

「戦う前から負けることを考えるんじゃねーよ」

 

 カザは拳を握り、軽く叩くように開いた。

 

「相手は人間とポケモンで、二対二のタイマンだ。何が起こるかわかりゃしねえんだ」

 

 チームメイトたちがカザの言葉に少し気圧されたように黙る。

 カザはそんな彼らを見回し、にやりと笑った。

 

「ま、やるだけやるさ」

 

 そう言い放つと、彼は試合開始のアナウンスを聞きながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

☆

 

 

 中規模スタジアム、対戦場

 区切られた対戦スペースは、残り二つとなっていた。 

 準決勝、二つ目の試合、リオー高校対ライモン高校。

 公立高校が新人戦のベスト四に残ることは当然珍しいことなのだが、観客席はそれをもはや当然と思っていた。

 

「緊張しなくて良い」

 

 先鋒のコウヌの背中に手を当てながら、モーリは囁いた。

 

「お前とオーアサは良くやってる」

 

 それに頷くコウヌに、タケダがさらに横から声を上げる。

 

「そうですぅ! わたくしが一年生だった頃に比べたら快挙ですぅ!」

「タケダさんは今回の大会もそう」

 

 そう突っ込んだムラナカが続ける。

 

「ここまでこれたのは君達一年生のおかげだから、相手に胸を借りる気持ちで行ってくればいいよ、二敗しても良い、後は僕達がなんとかするから」

 

 二年生の言葉にコウヌは頷き、マリルリと共に一歩踏み出した。

 すでに増えつつある黄色い声援が、彼らを迎える。

 

 

☆

 

 

 対戦場を仕切るフェンスに長い脚をかけ、軽くストレッチをしながら、ムラナカはモーリに呟く。

 

「なんとかするさ」

 

 コウヌ、オーアサが強豪リオー高校の二年生に転がされ、後がなくなったライモン陣営は、中堅のムラナカが敗北すれば負けが決定するという状況だった。

 

 ムラナカのセリフは強かったが、その声が僅かに震えていることに気づいたのはモーリだけだっただろう。あるいはタケダも気づいていたが何も言わなかったか。

 

「どういう結果になったとしても、責任に思うことはない。この順番を決めたのは俺なんだから」

 

 モーリのその言葉に、ムラナカはにこりと笑い、今度は震えぬ声で答える。

 

「だからこそ、だよ。単純な算数ができれば、こんな状況になりえたことはわかるさ」

 

 

☆

 

 

「『ねむりごな』!」

「『バレットパンチ』!」

 

 対戦相手のビビヨンは、対戦上に現れるやいなや、エビワラーに向かって『ねむりごな』を放った。

 それが届くよりも先に、エビワラーの銃弾のような拳がビビヨンに届く。

 

 わずかにダメージを与えたが『ねむりごな』によりエビワラーの足が鈍る。

 そこに、相手が畳み掛けた。

 

「『エアスラッシュ』!」

 

 対戦相手はすでに自分の戦い方を確立している。

 速攻を仕掛け、相手が自分のペースを思い出す前に潰すのだ。

 

「『エアスラッシュ』!」

 

 空気を切り裂く攻撃が、二回連続でエビワラーに襲いかかる。

 二度の攻撃に、エビワラーの意識が戻る。二度の攻撃をなんとかこらえている。

 

「『こうそくいどう』!」

 

 ファイティングポーズを取ったまま、エビワラーがフットワークでビビヨンの周りを回る。

 

「『ねむりごな』!」と、相手がビビヨンに指示し、彼女が羽を振るよりも先に、エビワラーがジャンプしてビビヨンの側面から拳を振り上げる。

 

 ムラナカは、そのような戦法を取る相手には慣れていた。

 

「『ストーンエッジ』!」

 

 岩のように固められた拳が、ビビヨンの羽を叩く。

 一度大きく揺れたビビヨンは次第に羽の力を失い、もう片方の羽で強く羽ばたくが、高度を失いフィールドに力なく落ちる。

 

 すでに対戦が成り立たないことは目に見えていた。

 

 

☆

 

 

 

「お疲れ様ッス!」

 

 コウヌが駆け寄り、ムラナカの手を握る。

 ムラナカは少し息を整えながら、穏やかに微笑んだ。

 

「ありがとう、なんとか勝てたよ」

 

 オーアサも少し興奮気味に言う。

 

「エビワラーの『ストーンエッジ』、めちゃくちゃキレがありました!」

「うん、調整がうまくいったみたいだね」

 

 ムラナカは肩を軽く回しながら言った。

 

 すると。

 

「わたくしも続きますぅ!」

 

 勢いよくタケダの声が響き、全員の視線が一斉に彼女へ向いた。

 タケダは拳を握り、勢いよくハチマキを締め直している。

 

「お母様が言っておりました! 『いいところで勝てば全部チャラ!』 と!」

「まあ、そうなんだけどね」

 

 ムラナカが苦笑して突っ込む。

 

 モーリはタケダに何かポジティブな言葉をかけようとしたが、うまく言葉が見つからず、結局苦笑いするしかなかった。

 だが、こういう場面で変に気負わず、いつも通りに振る舞えるタケダの存在が、今のバトル部にとって大きな支えになっているような気がした。

 

「んぅ目にもの見せてやりますわぁ!」

 

 タケダは意気揚々とフィールドへ向かう。

 その背中を見送りながら、モーリは小さく息を吐いた。

 

 

☆

 

 

 意気揚々と繰り出されたケッキングは、たしかに一瞬だけやる気のある視線をハリテヤマに向けたように見えたが、しかしその視界が『ねこだまし』によって爆音とともに塞がれると、明らかにもうどうでも良くなったように欠伸した。

 

「ケッキングさぁん!」

 

 タケダが気を入れるように叫ぶが、やはりそれは届いてるふうではない。

 

 おそらくだが、このまま放置していれば『戦意喪失』として勝利することが出来ていたのだろうか。

 しかし、対戦相手とハリテヤマは、そのような勝利を良しとはしていなかった。否、というよりも、相手を叩き潰す以外の勝利の仕方を知らなかったのかもしれない。

 

「『つっぱり』!」

 

 一度、二度と、ハリテヤマの張り手がケッキングに叩きつけられる。

 ケッキングはそれに少しうっとおしそうな表情を見せるが、いつもと同じでそれに敵意を剥き出しにするわけではない。

 だがいつもと違ったのは、ケッキングの体が僅かに後退していることだ。

 

 そこは流石というべきかリオー高校の副将とそのハリテヤマは、単純なパワーだけならばカザとそのシザリガーにも劣らない。

 

「『つっぱり』!」

 

 少しずつラインを下げるケッキングは、やはり動かず欠伸をしたが。その時、ケッキングの張り手が顎に入り、わずかにポウッと意識がふんわりとする。

 その時、彼は本能的に右手を振って、ハリテヤマの『つっぱり』をいなす。

 

 その視線がハリテヤマに向いたこと、体勢が僅かに前傾姿勢になったことを、タケダは見逃さなかった。それは僅かではあるが彼女の成長だっただろう。

 

「はっきよい!」

 

 掛け声に合わせて、ケッキングが前傾姿勢のまま片方の拳を地面に着ける。

 突然の大声だったが相手も剛の者、ハリテヤマは両足を踏みしめ迎撃の姿勢を取った。

 

「『ギガインパクト』!」

 

 もう片方の拳を地面についてから、ケッキングが一気に放たれる。

 

「『あてみなげ』!」

 

 突進するケッキングを一身に受け止めたハリテヤマは、勢いを利用してそれをぶん投げてやろうと腰の毛皮を掴もうとしたが、それが届かない事に気づいた頃には、彼の体はぶわりと宙に浮いている。

 

 巨体の突進の勢いそのままに、ケッキングはハリテヤマを突き飛ばした。

 

 おおよそ考えられる限り、彼に宙を舞うという経験はなかった。

 受け身の取り方は知識としては知っているが、地面に叩きつけられた時に、自分の体重というものは、想像している以上に自分への負担が大きいということだった。

 

 起き上がろうとした、しかし、地面が傾き、まるで壁に押し付けられているような感覚を覚えた頃には、相棒であるトレーナーが自身に駆け寄っていることに気づいた。

 

 

☆

 

 

「やったりましたわぁ!」

 

 ライモン高校側のコーナーに戻ったタケダは、誰かに声をかけられるより先にそう宣言した。

 尤もそれは、モーリ達がケッキングの破壊力に言葉を失っていることが主な原因だったが。

 

「ま、まあとりあえずお疲れさま」

 

 ムラナカは笑顔を引きつらせながら、タケダの肩を叩く。

 

「ほとんど災害ですねあれ、ハリテヤマがポーンって飛んでましたよ、ポーンって」

 

 オーアサもその瞬間は自身の成績のことなど吹き飛んでいた。

 

「モーリさん!」と、タケダは笑顔のままにモーリを見る。

 

「勝ちをつなげたわたくしから、あなたにバトンタッチですわぁ」

 

 その言葉とともに、タケダが右手を差し出す。

 

 モーリは一瞬だけ、彼女の手を見つめた。

 

 それから、口元に小さく笑みを浮かべ、しっかりとその手を叩く。

 

「任せろ」

 

 モーリは一歩、フィールドへと向かって踏み出した。

 

 

☆

 

 

 観客席に響く歓声は、どこか落ち着いていた。

 盛り上がっていないわけではない。むしろ、熱気は十分にある。

 ただ、それは新鮮な驚きや期待に満ちたものではなく『またこの二人か』 という慣れと『結局この二人が残るんだな』という納得に満ちたものだった。

 

 良く考えれば、これは高校一年生と二年生が中心の新人戦。

 しかし、更に良く考えれば——

 

 二人とも、すでにインターハイの舞台を経験している。

 

 この新人戦の大将戦が、彼らにとって『当たり前の舞台』になっていることに、誰もが納得していた。

 

 モーリとカザは、中央のバトルフィールドで向かい合う。

 審判が進み出て、形式的な握手を促す。

 

 モーリは無言で手を差し出した。

 カザもそれを見て、口角を少し上げながら、軽く手を握る。

 

「お前とも長い付き合いだ」

 

 握手を交わしたまま、カザが言った。

 

「多分、来年もな」

 

 モーリはそれに何も言わず、静かに頷いた。

 

「いいチーム作ったな」

 

 カザはふと視線を横に流し、ライモン高校のベンチにいるタケダの方を見る。

 彼女は遠くからこちらに向かって大きく手を振っていた。

 

「ウチのハリテヤマを吹き飛ばすたあ、偶然にしても出来すぎだ」

 

 モーリは一瞬考え、それからゆっくりと首を横に振る。

 

「タケダさんは、頑張ってるよ」

 

 カザの目をまっすぐに見つめ、言葉を続ける。

 

「偶然じゃない」

 

 その言葉に、カザは一拍置いてから、わずかに肩をすくめる。

 

「そうかい、そりゃあ、悪かった」

 

 カザはモーリの顔をじっと見た。

 

 目つきが、ほんの少し変わった気がした。

 言葉の端々に感じる雰囲気も、以前とは微妙に違う気がする。

 

 けれど、あえてそれは口にしなかった。

 

 カザはモーリの手を離し、指をポキポキと鳴らしながら、ゆっくりと後ろへ下がる。

 

「お前に勝つ、それが俺の存在意義だ」

 

 その言葉は、あくまで軽い調子だった。

 だが、それが本気であることは、誰もが知っている。

 

 モーリも、同じように一歩引き、ブニャットのモンスターボールを指先で回しながら、小さく息をつく。

 

「いい試合を、しよう」

 

 カザはそれを鼻で笑った。

 

 

☆

 

 

 静寂がバトルフィールドを包んでいた。

 

 ブニャットとシザリガーが向かい合い、モーリとカザもまた微動だにせず対峙する。

 

 どちらもスキを見せない。

 

 シザリガーはじっとブニャットを睨み、いつでも動けるように爪をゆっくりと開閉している。

 ブニャットもまた、しなやかな体を低く沈め、相手の動きを見極めていた。

 

 どちらが先に仕掛けるか。

 

 ほんのわずかな呼吸の間に、戦術の読み合いが繰り広げられる。

 互いに経験のあるトレーナー同士だからこそ、単純な動きが命取りになることを理解していた。

 観客席は、その対峙に息を呑んでいた。明らかに上質な、まるでプロのような読み合いの応酬があるように思えた。

 

 最初に動いたのはブニャットだった。

 

 素早い踏み込み。

 狙いは至近距離からの攻撃。

 

 カザはそれを見た瞬間、選択を決めた。

 

「『インファイト』!」

 

 彼らは『ねこだまし』を読んでいた。

 そしてなおかつ、それを背景においた補助技の選択肢も考えられる。

 それならば、デメリットのある大技で立ち向かう。

 怯めば小さなダメージと引き換えに大技を打たずにすむ。もし補助技であれば、なにかが起こる。

 

 シザリガーの巨体が弾かれたようにブニャットへ突っ込む。

 しかし、ブニャットの動きが変わった。

 

「『あまえる』」

 

 両耳を伏せ、尻尾を小さく巻き込む。

 表情が一瞬、怯えたように変わる。

 

 その変化に気づいたときには、シザリガーの拳がブニャットを捉えていた。

『インファイト』が直撃する。

 鋭い打撃が次々とブニャットの体を揺らし、弾き飛ばす。

 だが、ブニャットが寸前に見せた弱みに、シザリガーの踏み込みが甘くなった。

 

 ブニャットは地面を転がるが、すぐに立ち上がる。

 

 カザは瞬時に状況を理解する。

『ねこだまし』を餌に『あまえる』で変化をつけてきた。

 シザリガーの攻撃が弱まっている。

 だが、それでも十分なダメージを与えたはずだった。

 

『インファイト』によって、シザリガーはわずかにバランスを崩す。

 攻撃に全力を注いだ分、反動が残る。

 

 カザはすぐに次の行動へ切り替えた。

 

 相手に行動の余裕を与えない。

 このまま押し切る。

 

 プランは決まっていた。

 トドメは『アクアジェット』単発。

 じたばたを許さず、こらえるも封じる。

 そして、いちゃもんによるアクアジェット封じも許さない。

 

 この選択では、必ず一回ブニャットに先手を取られる。

 だが、それを考えても仕方がない。

 動いてから考えるしかない。

 

 ブニャットが再びしなやかに跳ねる。

 

「『インファイト』!」

「『あまえる』」

 

 シザリガーはすぐに動く。

 拳がブニャットを叩く。

 今度は吹き飛ばず、その場で耐えた。

 

 カザは勝利を確信した。

『あまえる』を二発打たれているとはいえ、

 指示を出す。

 

「『アクアジェット』!」

 

 シザリガーが勢いよく水流をまとい、突撃する。

 その体当たりがブニャットを正確に捉えた。

 ブニャットの体がぐらつく。

 

 モーリは静かに見つめる。

 

 しかし、ブニャットの右足は折れず、地面を踏みしめる。

 

 カザの目がわずかに見開かれた。

 

 ブニャットが体勢を整え、全身を震わせる。

 全力で弾かれた反動を、そのまま爆発させる。

 

「『じたばた』」

 

 弾けるような速度で、シザリガーへぶつかる。

 

 シザリガーの巨体が、大きく揺れた。

 そのまま踏みとどまろうとしたが、足が僅かにふらつく。

 

 カザはシザリガーの動きを見た瞬間、確信する。

 

 倒れる。

 

 シザリガーが、膝をついた。

 そのまま力なく地面に崩れ落ちた。

 

 

☆

 

 

 モーリとカザは、バトルフィールドの中央で向かい合った。

 遠くで歓声が響いているが、その音は二人の間には届いていないかのようだった。

 

 モーリが手を差し出す。

 カザも迷うことなくその手を握る。

 

 次の瞬間、カザの指が強く締まる。

 モーリはわずかに眉を寄せた。

 

「てめぇ、何しやがった」

 

 静かな、しかし重みのある声だった。

 怒りではない。だが、その言葉には確かな圧があった。

 

 カザは手を離さない。

 そのまま、まっすぐモーリの目を見つめる。

 

「『アクアジェット』、確かに踏み込みは甘かった」

 

 モーリは目を伏せ、言葉を探した。

 

「けどな、それでも手応えはあったんだ」

 

 カザの声に、苛立ちとは違う感情が滲む。

 シザリガーの一撃は、確かにブニャットを捉えた。

 削り切るはずだった。

 

「なんだ、どうして耐えられた」

 

 モーリは、何かを言おうとした。

 けれど、出てこない。

 

 彼自身にも、わからなかった。

 

 ブニャットが耐えた理由を、理屈では説明できない。

 感覚としてはわかる。だが、それを言葉にするのは難しかった。

 

 モーリは沈黙したまま、カザの視線を受け止めていた。

 

 カザはじっとモーリを見つめていたが、やがて、ふっと肩の力を抜く。

 

「……まあ、いい」

 

 短くそう言うと、握っていた手を離した。

 

 モーリの手に、わずかに残るカザの熱。

 だが、その熱がすぐに消えていくのを感じる。

 

 カザは一歩、モーリから距離を取ると、視線を少しだけ上げた。

 

「本番は、来年だ」

 

 それだけを言い残し、踵を返す。

 

 

☆

 

 

 モーリがライモン高校のコーナーへと戻ると、部員たちが次々と駆け寄ってきた。

 

「モーリ先輩、マジでカッコよかったッス!」

 

 モーリはその拳に軽く拳をぶつけ、短く答える。

 

「ありがとよ」

 

 ムラナカが少し遅れて歩み寄ってきた。

 

「お疲れ、モーリ」

「まあな」

 

 そう答えながら、モーリは無意識に視線を落とした。

 足元にはブニャットが座り、尻尾を揺らしている。

 

「お疲れ」

 

 モーリがそう言うと、ブニャットは満足げに喉を鳴らした。

 

 勝った。

 

 ——はずなのに。

 

 モーリの中には、どこか釈然としない感覚が残っていた。

 

 なぜ、ブニャットはアクアジェットを耐えられたのか。

 カザの問いは、モーリ自身にも突き刺さっていた。

 

 

☆

 

 

 リオー高校のコーナーには、敗北の静けさが漂っていた。

 

 スタジアムの熱気はまだ残っている。

 しかし、彼らの周囲だけは、どこか別の空気が流れているようだった。

 

 カザは、軽く息を吐くと、拳を握りしめた。

 

「……悪かったな」

 

 静かな声で、そう言った。

 それは言い訳ではなく、ただの事実だった。

 

 チームメイトの何人かがカザを見た。

 だが、誰も責めるような表情はしていなかった。

 

「カザ、お前が謝ることじゃねえよ」

 

 そう言ったのは、先鋒を務めたチームメイトだった。

 他のメンバーも、それぞれ小さく頷く。

 

「……あれは仕方がない」

 

 確かに、モーリとのバトルは紙一重だった。

 どちらに転んでもおかしくなかった試合。

 だからこそ、誰もカザを責めることはしなかった。

 

 ——しかし。

 

「……いや、俺は相手を舐めてた」

 

 そう呟いたのは、中堅として戦ったメンバーだった。

 視線を落としながら、拳を握る。

 

「相手の優位に立ってると思ってた。格闘タイプが『ストーンエッジ』を持ってるかもしれないなんて、基本なのに……」

 

 悔しげな声だった。

 勝てると思っていた試合。

 だが、ムラナカのエビワラーに逆転を許した。

 

「俺も同じだ」

 

 副将だった選手が言葉を継ぐ。

 

「『ギガインパクト』は警戒できたはずだった。だけど、どこかで相手を舐めてた」

 

 ケッキングの力を過小評価していた。

 その結果、油断し、試合を落とした。

 

 誰もカザのせいにはしない。

 それでも、全員がそれぞれの敗北を噛み締めていた。

 

 カザは静かにその言葉を聞きながら、腕を組んだ。

 

 そして——自分自身の胸に、敗北の実感がじわりと広がっていくのを感じていた。

 

 力不足。

 

 チームとしても、自分個人としても。

 

 ライモン高校は強かった。

 けれど、本当にそうか?

 

 ライモン高校が強かったのではなく、リオー高校が足りなかったのではないか?

 

 カザは唇を噛むと、拳を握りしめたまま、静かに空を仰いだ。

 

 

☆

 

 

 ライモン高校の決勝戦は、驚くほどあっさりと終わった。

 

 相手は公立の進学校。

 バトル部は存在するものの、活動の中心はあくまで学業。

 彼らにとって新人戦は「経験を積む場」であり、「勝つこと」が目的ではなかった。

 

 その結果、試合は拍子抜けするほど一方的だった。

 

 先鋒のコウヌが勢いに乗り、中堅のムラナカは難なく相手を突破し、副将のタケダが試合を決めた。

 

 モーリの出番は、ついになかった。

 

 こうして、ライモン高校の団体戦優勝が決まった。

 

 

☆

 

 

 試合が終わり、リオー高校のバトル部員たちが帰路につく。

 選手たちは皆、それぞれの思いを胸に抱えながら会場を後にしていた。

 その後ろ姿を、ヤマサキは腕を組みながら見送る。

 

「おーい、さっさと帰れよー。明日は個人戦だからな」

 

 冗談めかした声でそう言ったが、部員たちは苦笑いしながら軽く手を振るだけだった。

 

 その中で、一人だけ、まだ帰らずに残っていた。

 

 カザだった。

 

 ヤマサキが目を向けると、カザはポケットに手を突っ込みながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「お、どうした? 早く帰らないと親が心配するぞ」

「どーせ家にゃいねーよ」

 

 カザは肩をすくめ、スタジアムの天井を見上げた。

 

 ヤマサキは小さく笑ったが、カザの表情がどこかいつもと違うことに気づく。

 

「俺さ」

 

 カザは拳を握りしめる。

 

「自分の不甲斐なさが、なんか、嫌なんだよ」

 

 ヤマサキは黙って彼の言葉を待った。

 

「でも、今日の試合、準決勝までは何一つ問題がなかった。何なら準決勝でも問題はなかった。勝負があっちに触れただけでな」

 

 ヤマサキは事実を淡々と述べた。

 

 カザは首を振る。

 

「そういうことじゃねえんだよ」

 

 静かに言いながら、カザは深く息を吐いた。

 

「俺はさ、今までは俺だけが強ければいいと思ってたし、俺だけが強くなればいいと思ってたんだ」

 

 ヤマサキは腕を組んだまま、じっとカザの言葉を聞いていた。

 

「だけど、なんでかはわかんねえけど、それだけじゃ駄目な気がするんだよ」

 

 カザの目が、遠くの何かを見つめるように細められる。

 

「ライモンの連中はさ、ほとんどガキみてえなもんだったのに、強くなってるんだよな」

 

 去年、エビワラーやケッキングのトレーナーは、少なくともカザにとっては視界に入れるほどのものではなかった。

 だが今はどうだ、彼らは強豪リオー高校のレギュラーに、勝利を収めている。

 その差はなんだ。

 

「だからなんつうか、俺だけじゃなくてさ、皆が強くならないと、意味がないような気がするんだよ」

 

 カザの言葉を聞いたヤマサキは、一瞬、目を見開いた。

 

 この男は、どこまでも個人主義だった。

 勝ちたいのも、自分のため。

 強くなりたいのも、自分のため。

 そんなカザが、今、チームのことを考えている。

 

「皆を強くしたいんだよ。せっかくバトル部にいるんだからさ」

 

 カザは少しばかり気恥ずかしそうに笑う。

 

「ただ、どうやったら皆が強くなれるのか、俺にはわかんねーんだよ」

 

 ポケットに入れていた手を抜き、髪を掻き上げる。

 

「……あんたはそれが仕事なんだからさ、なんとかしろよ」

 

 そう言うカザの表情は、どこかすっきりとしていた。

 

 ヤマサキは、しばらく黙っていたが、やがて口の端を上げた。

 

「任せろ」

 

 その一言だけを、力強く返した。




次回4/29 18:01予定

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