『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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28-選べない場所にて

 冬の夕暮れは、思ったよりも静かだった。

 

 高架を走るリニアの窓から見えるのは、雪が消え残る歩道、街路樹に結ばれたままのクリスマスのリボン。

 大通りの端にはイルミネーションの名残がちらほらと残っていて、赤や青の電球がまだ点いたまま瞬いていた。

 

 年の瀬。町が慌ただしさを纏う一方で、車内は落ち着いた暖かさに包まれていた。

 乾燥した空気とヒーターのぬくもりが入り混じり、どこかまどろむような匂いが漂っている。

 

 

 

 

 リニアの車内は、静かだった。

 冬休みも終盤に差し掛かり、乗客の姿はまばらだ。指定席の列には誰も座っていない車両もある。

 

 モーリは通路側の席に腰を下ろし、隣の窓際にブニャットを座らせていた。

 膝に乗せるには重すぎる六十キロを超えるこの相棒は、冬用のコートを着込んだ人間よりもどっしりとしていて、座席のクッションをいびつに沈ませていた。

 

 それでも、ブニャットは何か文句を言いたげに鳴くこともなく、窓の外をじっと見ている。

 車窓に流れるのは、葉を落とした街路樹、光の消えた看板、雪が中途半端に積もった道路。都会のすぐ外側にある、どこか寂れた景色だった。

 

 暖房が効いている車内は、少しだけ眠気を誘う温度だった。

 そのせいか、隣でブニャットが小さくまばたきをして、鼻先をシートに預けている。

 

 去年の冬、モーリは帰らなかった。

 別にトラブルがあったわけじゃない。ただ、なんとなく、必要を感じなかった。家に戻る理由がなかった。

 

 けれど今年は、違う。

 

 理由が、ある。

 話さなければいけないことがあった。

 

 リニアの電子案内が『ヤマブキシティ、まもなく到着です』と告げた。

 モーリは足元に置いたカバンの取っ手に手をかける。ブニャットがわずかに顔を上げる。

 

 大学の推薦の話が、頭の中に浮かぶ。

 タマムシ大学、名の知れた、安定した進路。先生たちも、部のメンバーも、あるいは家族も、きっと「良いこと」だと口を揃えて言うだろう。

 

 だけど、自分はまだ、それを「良いこと」だと信じきれていなかった。

 

 モーリは小さくため息をついた。

 駅が近づくにつれて、ブニャットの耳が少し動いた。彼も、空気の変化を感じているのかもしれない。

 

 もうすぐ到着する。

 帰りたかったわけじゃない。でも、行かなくちゃならなかった。

 

 

 

 

 駅を出たところで、母親が手を振っていた。

 毛糸の帽子に厚手のコート。冬らしい格好をした母・エミは、モーリを見つけるといつも通りの声で言った。

 

「モトマサ、おかえり!」

 

 少しだけ手を上げて応える。ブニャットが母を見上げて、短く鼻を鳴らす。

 

「ふふっ。ブニャットもおかえり。変わらず丸いね」

 

「まあ、な」

 

 駅前の風は冷たくて、アスファルトの影には霜が残っている。

 歩き出してすぐ、エミが笑いながら言った。

 

「夏にも会ったけど、やっぱり、年越しで帰ってきてくれると違うね」

「うん」

 

 短く答えながら、モーリはポケットの中で手を握った。

 

 道すがら、エミはいくつか近所の話をしていた。

 新しくできたスーパーの話。向かいのマンションに引っ越してきた若い夫婦の話。

 

 モーリはそのどれにも、うなずくだけだった。

 会話が途切れても、エミはとくに気まずさを見せるわけではない。むしろ、そういう沈黙には慣れている様子だった。

 

 実家のマンションに着くと、エントランスの飾りが正月仕様に変わっていた。しめ縄と門松。小さなダルマッカの置物もあった。

 

 鍵を開けてドアを開くと、懐かしい空気が流れ込んでくる。

 ファンヒーターの香りと、少し乾いた室内の匂い。家具の配置も、廊下の壁の小さな傷も、昔のままだった。

 

「ただいま」

 

 靴を脱ぎながら言うと、すぐ近くから返事が返ってきた。

 

「おかえり、モトマサ」

 

 エミの声は変わらない。

 

 リビングの方からは、テレビの音が聞こえていた。

 ドアの奥、ソファにもたれかかっている父、モトハルが、チラリとこちらを見て一言だけ言う。

 

「おう」

 

 それだけ。

 けれど、モーリは特に気にする様子もなく、軽くうなずいて通り過ぎた。

 

 ブニャットが玄関からまっすぐリビングの隅へ向かっていく。

 その先には、まるくなって眠っていたコラッタがいた。

 

 ブニャットが鼻を近づける。コラッタが目を開け、しばらく見つめ合う。

 やがて、二匹は何も言わずに、そのまま並んで座った。

 

 モーリは、その様子を少しだけ離れた場所から見ていた。

 気づけば、ほんの少しだけ、口元が緩んでいた。

 

 夏にも来た家。

 でも、今日は少しだけ違う気がした。

 

 空気の温度でも、家具の配置でもなく。

 自分がここに何をしに来たかを、ちゃんと知っているから。

 

 モーリはブニャットに目を向けた。

 ブニャットは、何かをわかっているような、そうでもないような顔で、じっとテレビの音に耳を傾けていた。

 

 

 

 

 食事が終わったリビングには、湯気の残る湯のみと、こたつのぬくもりと、テレビの音だけが残っていた。

 年末特番の、スポーツ名場面集。誰がいつ勝ったかを並べ立てる実況の声が、壁にぶつかってしずかに広がっていく。

 

 モーリは湯のみを両手で包んだまま、言葉を探していた。

 目の前に座る母、エミは、優しく笑みを浮かべて彼を見ている。父、モトハルはこたつの端でテレビを見ていたが、実際に画面を見ているかどうかは分からない。

 

「推薦の話、サイトー先生から聞いたよ」

 

 エミの声はあくまで明るく、誇らしげだった。

 

「タマムシ大学だなんて、すごいじゃない。がんばってきたもんね」

 

 モーリは、軽くうなずいた。

 けれど、その一言を押し出すのに、想像以上の力がいった。

 

「うん」

 

 そのまま湯のみの縁を親指でなぞる。何か言わなければと分かっていながら、言葉がすり減っていく。

 

「でも、まだ、決めたわけじゃないから」

 

 ふと、こたつの端で丸まっていたブニャットが寝返りを打った。

 その動きに助けられるように、モーリは視線を床に落とす。

 

「そうなの?」

 

 エミの声は、少しだけ驚いていた。

 ただし、それは責めるようなものではない。ただ純粋に『意外』と思っただけのような声音だった。

 

 モーリは、言葉をつなげることができなかった。

 何が引っかかっているのか、自分でも正確には分からない。ただ、胸の奥に冷たい違和感があった。

 

 リーグに向かって突き進んでいた自分が、その実績で大学に推薦されている。

 まるで、理想と正反対の方向に、静かにスライドしていくような感覚。

 

 モーリは、リーグトレーナーという存在を、かつて『孤高』だと思っていた。

 どこか無頼で、型にはまらず、自らの信念だけを道しるべにするような生き方。

 そんな姿に憧れていたのに。

 推薦、『評価されたこと』のはずなのに、それがどこか、ぬるく、決められたルートに感じてしまう。

 

 そのとき、モトハルが湯のみを置いた音が、カタン、とテーブルに響く。

 テレビの音も、母の視線も、その瞬間に静止した。

 

「お前がバトルで、あのタマムシ大学から声をかけられた」

 

 声は低く、そして慎重だった。

 

「私からすれば、それだけで立派なことだ」

 

 その言い方に、モーリはわずかに眉を動かした。

 父が自分の過去を語ることは、滅多になかった。

 けれど、今の言葉の中には、それが含まれていた。

 

 父もまた、かつてはバトルで生きようとしていた。

 そして、自分の父、つまりモーリから見れば祖父の期待に、最後まで応えられなかったことを、モーリは知っている。

 学業の道に進み、手堅く人生を立て直した父は、それでもずっとどこか距離を置いたままバトルと向き合っていた。

 

「私は、そういう目でお前を見ることはない」

 

 その言葉は、思った以上にやさしかった。

 責めるものでも、突き放すものでもない。ただ静かに、そこに置かれた言葉。

 

 けれど。

 

 モーリの中に、その言葉は少しだけ深く突き刺さった。

 まるで、自分の中の後ろめたさ、中途半端な実力で、誇りを持てないまま推薦を得たこと、を、すべて見透かされたような気がした。

 

 何も返せなかった。

 ただ湯のみの湯気だけが、じっと、手の中で揺れていた。

 

「夏までには、決めるつもり」

 

 ようやく絞り出した声に、父は頷いたかどうか分からない。

 湯のみを手に取り、何も言わずに口をつけた。

 

 エミは、柔らかく笑っていた。

 

「モトマサが納得できる答えを選べば、それでいいと思うよ」

 

 テレビでは、誰かのバトルシーンが流れていた。

 鮮やかなフィニッシュブローに、観客が湧き上がる。実況が熱を帯びる。

 

 けれど、ソファにいる三人の中で、それを見ていた人間はいなかった。

 

 モーリは、ただブニャットの寝息を聞いていた。

 

 

 

 

 扉を開けたとき、ほんのわずかに空気が揺れた。

 その中に、かすかに埃の匂いが混じっていた。

 

 モーリの部屋は、あの夏に来たときと何も変わっていなかった。

 壁に貼られたままのカレンダー。使われていないデスク。メモを挟んだままの棚。

 ポケモンリーグのポスターだけが、時間の重みに耐えられなかったのか、端がめくれていた。

 

 電気をつけると、淡いオレンジの明かりが部屋全体を照らした。

 その光の中で、モーリは引き出しを一つ開ける。

 

 中から出てきたのは、旅用のパスケースだった。

 表面の合皮はすり減り、角の縫い目が少しほつれている。

 最初の旅に出たときから、ずっと使っていたものだった。

 

 手のひらで包み込むと、体温でわずかに柔らかくなった。

 無言のまま、それを机の上にそっと置く。

 

 あの頃は、どこへでも行ける気がしていた。

 目的地のことなんて、ろくに考えたこともなかった。ただ「進んでいれば大丈夫だ」と信じていた。

 

 今、その感覚は少し遠くにある。

 進む先は、いくつもあるように見えて、どれも決め手に欠けている気がする。

 選ぶことが、進むこととイコールじゃない、そんな風に思う自分がいる。

 

 机の端に腰を下ろして、モーリはゆっくりと息を吐いた。

 この部屋は変わっていない。

 けれど、自分は少しだけ変わったのかもしれない。

 

 廊下の方から、意外と軽い足音が聞こえたかと思うと、ドアがゆっくり押し開けられた。

 

 ブニャットだった。

 

 当然のように入ってきて、何の躊躇いもなくベッドの上に飛び乗る。

 その重さにマットレスが大きく沈む。ブニャットはモーリに一瞥をくれただけで、さっさと丸まり始めた。

 

「お前な、もうちょっと人の部屋っぽい扱いしろよ」

 

 文句のような、挨拶のような声だった。

 ブニャットは返事もせず、ただ尻尾をひと振りして、それきり動かなくなった。

 

 モーリは立ち上がり、明かりを少しだけ絞った。

 蛍光灯の代わりに、机の端のスタンドだけをつけて、柔らかな影が部屋を包む。

 

「夏までには、な」

 

 誰にともなく呟いた。

 リビングで口にした言葉を、今度はもっと静かに、自分のためだけに繰り返した。

 

 そのとき、ベッドの上で、ブニャットが軽くまぶたを開けた。

 けれどすぐにまた、何事もなかったかのように目を閉じる。

 

 言葉はいらなかった。

 ブニャットが隣にいてくれること。それだけで、今夜は十分だった。

 

 モーリはスタンドのスイッチを切った。

 薄闇の中、静かな寝息が部屋に溶けていく。

 カーテンの隙間から差す街の光が、床に揺れていた。




次回5/5 18:01予定

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