『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~ 作:rairaibou(風)
二月の空気は、まだ冬の名残を引きずっていた。
外気は冷たく、校舎の窓から吹き込む風が制服の裾をかすかに揺らす。けれど、ただ冷たいだけではない。
陽の差し方が、ほんの少しだけ柔らかくなってきた気がした。
木々の枝先は色を取り戻し始め、どこか乾いた空気の中に、春の気配が混じり始めている。
季節の変わり目。
そして、そんな時期に必ず訪れる、特別な日。
☆
「バレンタインだよ、バレンタイン! お前、靴箱、見たか?」
登校して間もなく、ミマの声が教室の空気を弾いた。
彼は相変わらずの調子でモーリの肩を叩きつつ、勝手に机の中を覗き込む。
「うわ、やっぱ入ってんじゃん。モテ男か?」
「いや、入ってただけだし」
モーリはわずかに肩をすくめてみせる。
朝の下駄箱にも、包装紙で包まれたそれらしきものがいくつか入っていたし、机の中にも三つ、いや四つか。
義理チョコか、ネタか、はたまた。
そこまで考えて、モーリはそれをやめた。
彼はそっとそれらを机の片隅に寄せ、ため息をひとつ吐く。
「で、まとめる袋とか持ってんの?」
と、ミマがどこからかビニール袋を取り出して差し出してきた。
コンビニで貰えるような普通の袋だが、今日に限っては、妙に気恥ずかしい。
「いらねぇよ」
「いやいや、必要だって。どれが誰のかわかんなくなるぜ」
ぼやきながら、モーリはビニール袋を受け取る。
ひとつずつチョコレートを入れていくその動作には、どこか業務的な無愛想さがあったが、それでも手元にかすかな迷いが混じっていた。
ミマは袋をじっと見つめたあと、ふと思い出したように口を開いた。
「そういやさ、お前んとこのバトル部、一年のコウヌっているだろ?」
「うん?」
「なんか、すごいことになってるらしいぞ。下駄箱も机も、溢れんばかりにチョコの山。本人より目立ってるって噂」
モーリは思わず吹き出しそうになった。
「良かったじゃん、あいつモテたいって言ってたし」
「でも本人は怯えてるらしいぞ。今、手持ちのマリルリが全部食う勢いなんだと。チョコもラッピングも紙ごと」
想像するだけで、情け容赦ない暴食が頭に浮かぶ。
モーリは吹き出すのをこらえながらも、少し笑顔を浮かべた。
そんな空気の中で、ミマが続ける。
「でもさ、お前がモテない理由がねえんだよな。そりゃ来るよ、チョコくらい」
「は?」
モーリが眉をひそめると、ミマは得意げに指を折って語り出した。
「まず、顔がいい。都会から来てる。成績もいい。アレがでかそう」
「ちょっと待て、その四番目なんだよ」
「直感」
「やめろ、そういうことは本人のいないところで言え」
「もう言ってるし」
「お前なあ」
呆れながらも、モーリはビニール袋を机のフックに掛ける。
机の上には、余った包み紙と折れたリボンが転がっていた。
「で、他には?」
「ポケモンが強い。あと、地元のオニドリルから女の子守った」
「それまだ引っ張る?」
ミマが「武勇伝は大事」と笑うその時。ふと、教室の入り口に人の気配があった。
スズモトだった。
彼女は制服の袖口をそっと握りながら、ゆっくりと教室の中に歩を進めてくる。
その視線はモーリと、彼の手元のビニール袋に向いていた。
言葉はない。けれど、確かな気配があった。
彼女は、無言のまま袋の中へと小さなチョコのパックをひとつ入れる。
目立たない、お徳用サイズのパック。けれど、その手の動きは慎重で、どこか決意めいていた。
ほんの一瞬だけ、視線が交差する。
「お疲れさま」
かすかな声だけが、耳に残った。
モーリが「ありがとな」と返した時には、スズモトはすでに自分の席へ向かっていた。
その背中を、モーリはしばらく見つめていた。
ミマはぽつりと呟いた。
「っぱ、モテ男だなあ」
先ほどよりは静かな、けれど確かな皮肉と羨望が混じった声だった。
モーリはその言葉に何も返さず、ビニール袋の中を、ただ見つめていた。
☆
放課後の部室棟は静かだった。
どの部活も活動しておらず、空気には、乾いた夕陽の色が満ちている。
靴音を響かせながら、モーリは気まぐれに、ポケモンバトル部の部室を訪れた。
鍵がかかっていると思っていたドアは、意外にも半開きだった。
軽くノックしながら中に入ると、すぐにソファーに座る人影が目に入った。
「……あれ」
そこにいたのはイイダだった。
分厚いパーカーの上からさらにベンチコートを羽織り、ソファーに体を埋めるようにして座っている。
「うわ、来た。モーリかよ。めずらしいな」
「そっちこそ、何してんですか。今日は活動ないでしょ」
「んー、まあ。ちょっと静かなとこでサボりたかっただけさ。推薦組はこの時期、居場所がないんだよ」
苦笑いしながらイイダが言う。
その横で、モンスターボールがひとつ、ぱちんと音を立てて開いた。
「うおっ」
中から飛び出したのはブニャットだった。
ブニャットは目を細めながらソファーへと近づき、イイダの膝をぐいと押してどかし、空いた中央に堂々と陣取る。
「おい、マジで……。譲るけどさあ」
文句を言いながらも、イイダは素直に端へずれる。
ブニャットはすっかり落ち着いた様子で、ソファーに体を沈めていた。
「……決まったんですか」
モーリの問いに、イイダは少し意表を突かれたように顔を上げた。
「ああ。クチバにある工業大。推薦でな」
「へぇ……意外と、大人しいんですね」
「そりゃ、俺だってやるときはやるさ。コツはな、減点されることをしない。それだけ」
モーリは思わず吹き出しそうになる。
「それ、先生に言われたことじゃなくて、イイダさん自身の言葉ですか?」
「もちろん自分で編み出した金言だよ。笑うなって、ついでに言っとくと、お前も似たようなもんだろ? うまいこと推薦、もらったらしいじゃねえか」
「……まあ、そうですけど」
モーリは視線を逸らす。
その話題になると、どうにも表情が固くなるのが自分でもわかった。
「堂々としてりゃいいさ。お前が推薦で決まろうがなんだろうが、それにケチつける奴がいたら、こう言ってやればいい。『じゃあバトルで勝てますか?』ってな。ほとんどの奴が、黙るだろうよ」
「……へえ」
言いながらも、モーリの口元にわずかな笑みが浮かぶ。
イイダの言い回しはいつだって荒いけれど、心のどこかに刺さる。
「タマ大の推薦なら、共通テストもそれなりに頑張んなきゃなんねえんだろ? いいなー、お前はまだ戦ってて。俺はもう、年明けからダラダラだぜ」
「それはそれで羨ましいですけどね」
そんなやりとりを交わしながら、ソファーには静かな時間が流れる。
部室の窓からは夕焼けが差し込み、床の上に長い影を落としていた。
ふと、モーリが口を開く。
「……あの、ひとつ聞いてもいいですか」
「ん?」
「秋合宿のことなんですけど。トミノさん、来たじゃないですか。あれ、イイダさんが仕掛けたって聞いて」
「あー……」
イイダは頬をぽりぽりと掻いた。
その様子は、どこか照れくさそうだった。
「別に俺が、あくせく働いたってほどのもんじゃねえよ。サイトー先生に『こんなんやれたら楽しいんじゃないっすかね』って、軽く話しただけ。先生が食いついてくれて、いろいろ段取りつけてくれたってだけの話だ」
「……でも、もう引退する立場じゃないですか。自分が関わらない時期のことまで考えてくれてたってのが、ちょっと意外で」
モーリがそう言うと、イイダは少し目を伏せて、言いづらそうに言葉を探す。
「なんていうかさ。せっかくだったからよ、お前にも、ちゃんと強くなってほしかったんだよ」
モーリは目を瞬いた。
「俺?」
「ああ。お前みたいなやつが、こんな田舎の学校でくすぶってるの、もったいねえだろ。インターハイでも、タマムシ大学でも、リーグでも、どこでもいいからさ、堂々と行きゃいいんだよ。恥じるこたあねえ」
そこまで言って、イイダは少しだけ声を低くする。
「お前みたいなのはさ、どんどんどんどん高みに行けば良いわけ。そしたら俺みたいなのはさ『ああ、やっぱりあいつは凄かったんだな』って思えるわけよ。それが自慢になるわけ、指標になるわけ、救いになるわけ」
一拍置いて、続ける。
「燻るなよ、お前みたいなのは」
言い終えたイイダの顔には、確かにほんのわずか赤みが差していた。
自分でも照れているのだと悟ったのか、すぐに手を振って誤魔化そうとする。
「いや、違う違う。なんでもねえ、忘れろ」
けれど、モーリは忘れなかった。
ゆっくりと立ち上がり、頭を下げる。
「……ありがとうございます」
その声は真っ直ぐで、まっすぐだった。
イイダは驚いた顔を見せ、それから少しだけ、くしゃっと笑った。
☆
部室のドアが、静かに軋んだ。
微かな音だったが、モーリの耳にははっきりと届いた。
振り返るより先に、気配でそれが誰かを悟る。
空気の密度が変わったような、静かに満ちてくる気配だった。
「……あ」
姿を見せたのは、スズモトだった。
白いマフラーを首元に巻いたまま、少しだけ赤くなった頬が、かすかな冷気を語っている。
手には、小さな紙袋が握られていた。
「おう。お姫様のおな〜り〜」
と、イイダがどこか読んだように声を上げた。
ソファーから立ち上がり、ふざけた調子で手をひらひらと振る。
「はいはい、俺はどこでも邪魔者ですよ」
そんな言葉を残して、スズモトの横をすり抜けて出ていく。
けれどその背に向けて、モーリは深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
イイダは振り返らずに片手を上げ、廊下の静寂に消えていった。
ドアが閉まり、再び、部室に静けさが戻る。
それでも、そこにいる空気だけは、やわらかに温まっていた。
「……ちょっとだけ、渡したいものがあって」
スズモトの声は、冬の終わりの空気のようだった。
冷たいのに、ほんの少しだけあたたかい。
小さな紙袋を差し出す。
リボンはきゅっと結ばれ、少しだけ歪んでいるけれど、それがどこかいとおしかった。
「……これ、あたしから」
モーリは少し驚いたように、目を瞬いた。
さっきの教室でのやりとりとは、明らかに空気が違っていた。
「……あのときのチョコと、別?」
「うん。あれは……なんか、勢いというか……その」
スズモトは手袋の指先をぎゅっと握りながら、うつむく。
リボンを結んだ手は、冷たさのせいか少しだけ震えていた。
モーリは、そっと紙袋を受け取る。
想像していたよりも、少しだけ重かった。
けれど、その重みがなぜか心地よかった。
「中は、普通のやつ。ガトーショコラと……あと、クランチも少し」
「へえ……ありがとな」
「ううん……返事とか、そういうのは、別に」
「それは、無理かな」
モーリは照れくさそうに笑いながら、紙袋を大事そうに机の上に置いた。
「もらっておいて、黙ってるわけにはいかないし」
「……ふふ、じゃあ。三倍で返してもらうね」
「……やっぱ高いな」
二人の間に、やわらかい沈黙が落ちる。
窓の外では夕陽がわずかに朱色を差し始めていた。
その光が部室の窓を通って差し込み、紙袋のリボンをほんのりと照らしていた。
「……あたしさ、」
スズモトがふと、目を伏せたまま呟く。
「モーリ君が、今、どういう気持ちでいるかは、なんとなくわかってるつもり。だから……応援とか、急かしたりとか、そういうのはしないつもり」
彼女はゆっくりと顔を上げ、まっすぐにモーリを見つめた。
「でも、どんな答えを出すにしても……ちゃんと、自分で決めてね」
その言葉には、やさしさと、信じているという静かな強さが宿っていた。
モーリは、そのまなざしに目を伏せ、そしてまた顔を上げて、頷いた。
「……わかってる」
その時、ソファーで丸くなっていたブニャットが、ふと目を開けて小さくあくびをした。
長くて鋭い牙がちらりとのぞき、またすぐにぺたんと目を閉じる。
スズモトはその様子に小さく笑い、立ち上がる。
「……じゃ、あたし帰るね」
「送るよ」
彼の声に、スズモトはほんの一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐに優しく笑って、小さくうなずいた。
「……うん」
その返事を確認してから、モーリはソファーで丸くなっていたブニャットの頭を軽く撫でた。
「ほら、帰るぞ」
ブニャットはぐるりと尻尾を一振りしてから、のそりと立ち上がり、モーリを見上げる。
その目には、どこか満足げな光が宿っていた。
モーリはボールを取り出し、ブニャットをそっと戻す。
スズモトはその様子を見守っていたが、何も言わなかった。
ただ、彼女の手にある紙袋が、ほんの少しだけ強く握られた気がした。
「行こうか」
モーリが言うと、スズモトはうなずく。
そして二人は、並んで部室をあとにする。
ドアを閉める直前、夕陽の色を映した窓ガラスに、白いリボンが静かに揺れていた。
次回未定
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