『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~ 作:rairaibou(風)
公立、ライモン高校
終業式の日。朝の空はどんよりと曇っていて、雲の切れ間から差し込む光は、まだ冬の名残を引きずっているようだった。
校門前では、生徒たちが普段よりやや早足で校舎へと向かっていく。誰もが荷物を少なくしていて、教科書ではなく、色とりどりの紙袋やファイルが手にある。
校舎のガラス戸が開くたびに、冷たい風が吹き込む。けれどその中にも、春の匂いがほんのわずかに混じっているようだった。
学校の廊下は、いつもより静かだった。掲示板には進級や新年度の案内が貼られ、各教室のドアには「成績表配布」の文字が記されていた。
☆
教室の窓は半分開いていた。風が入り込み、誰かの机に置かれたプリントがひらりと揺れる。春の匂いはまだ少し冷たくて、でもその奥に確かに芽吹きの気配を含んでいた。
モーリが教室に入ると、何人かの生徒がすでに席に着いていて、終業式前の空気をだらだらとまとっていた。誰かがロッカーを片づけ、誰かが机の上に教科書を積んでいる。少し浮ついたような、それでも確かに終わりの気配があった。
「おー、部長様のお出ましだ」
ミマが自分の椅子に腰かけたまま、モーリに向かってひらひらと手を振る。
「うるせえよ」
「いやだなあ、ツンケンしちゃって。ま、気持ちはわかるけどね」
ミマは伸びをしながら、天井を見上げる。
「なんかさ、実感わかないんだよな。来年、俺ら三年生なんでしょ?」
「そうだな」
「まだまだ『今』が続いていくと思ってたけど、急に“あとちょっと”って感じがする。二年後には大学生、三年後には二十歳だ。俺ら、そんなに大人だったっけ?」
「さあね」
モーリはそれ以上答えず、自分の席に向かおうとした。
だが、腰のモンスターボールがわずかに揺れた瞬間、彼は足を止める。ブニャットが外に出たがっているのが、感覚としてわかったのだ。
静かにボールを取り出し、指先で弾く。ブニャットが教室に現れる。
特に誰に挨拶をするでもなく、ブニャットは教室を一瞥し、ひょいと掃除用具入れの上に飛び乗った。
その場で香箱座りになり、窓からの風に目を細める。
誰も驚かないし、誰も騒がない。
その姿は、もともとそこにあるもののように、教室の景色にすっと溶け込んでいた。
☆
体育館に集まった全校生徒の列は、整然としていた。けれどその内側には、どこか弛緩した空気が漂っている。終業式という名の『通過点』を、誰もが知っているからだ。
壇上から響く校長の声は、響いてはいるが、誰かの心に届いているかは怪しかった。生徒たちの多くは前を見てはいるものの、意識は別の場所に浮かんでいるようだった。
モーリもまた、そのひとりだった。
整列の列の中で、彼は顔を上げたまま、遠くの体育館の天井を眺めていた。照明の光が、雲間から差し込む太陽のように白く、冷たく広がっている。
スピーカーから流れる進路の話、学年の振り返り、目標設定。
それらを『聞いているふり』をしながら、モーリは静かに思う。
本当に、三年生になるんだな。
思えばこの一年で、いろんなことがあった。バトル、部活、合宿、文化祭。そして、誰かとの言葉や、交わしたまなざし。
自分は、少しは変われただろうか。
そんな問いを、自分の中で繰り返す。
そのとき、壇上から聞き覚えのある言葉が聞こえてきた。
「……そして、我が校のバトル部からは、全国インターハイにおいてベスト八という快挙を成し遂げた生徒もおりました」
拍手が起こる。何人かが、ちらりとモーリの方を見る。
けれどモーリは、ほとんど反応を見せなかった。
まっすぐ前を見据えてはいるものの、その目は少し焦点が合っていない。
拍手の音も、壇上の言葉も、どこか遠くに感じる。
自分が立っていた舞台、あの夏のインターハイの光景。観客席、シザリガー、ケッキング、強烈な技の応酬。それらが心の中でゆっくりと浮かんでは消えていく。
それでも今、自分の中にあるのは誇らしさというより、むしろ静かな問いだった。
あの舞台で何を掴んだのか。何を得て、何を見落としたのか。
そんなことばかりが、頭の中でぐるぐると回っていた。
式は進んでいる。
けれど、モーリの時間は、少しだけ違う場所にいた。
ただの通過点として終わるはずだった終業式の中に、ふと立ち止まってしまう瞬間がある。
それでも式は続き、生徒たちの時間は、前へと進んでいく。
☆
教室に戻ると、少しだけ空気が柔らかくなっていた。
机を拭く音、プリントを仕分ける音、荷物をまとめるチャックの音。終業式のあとの教室は、いつもより静かで、どこかしら『これで一区切り』という空気に包まれている。
誰かがロッカーを空にし、誰かが誰かにメモ帳を渡し、春から別の学校に進むという話が、ささやくように耳に届く。
モーリは席についたものの、ふと教室を見渡した。
ブニャットの姿がない。
掃除用具入れの上。いつもならそこにいるはずの白い塊が、今日は見当たらなかった。
机の上には成績表の封筒と、数枚の配布プリントが載っている。けれど、あのでかい身体が視界にないだけで、教室のバランスが少し崩れて感じた。
「珍しい、どっか行ったか」
ぼやくように呟いて、扉を押し開ける。
廊下にはまだ何人かの生徒がいて、進級ポスターを見ていたり、担任に呼び止められていたりした。中庭のほうでは、下級生らしき数人が写真を撮ってはしゃいでいる。
だが、ブニャットの姿は見えない。
とはいえ、モーリの足取りは焦ってはいなかった。いつものことだ、と思っているから。あいつは気まぐれで、自分の居心地の良い場所を見つけるのが得意だ。
だからこそ、探すというよりは『思い出すために歩いている』といった方が近かった。
☆
職員棟の廊下に差し込む西日の角度が、いつもより低い。
その一角に、ぽつんと列ができていた。
制服のままの女子生徒たちが三、四人、等間隔に並んでいる。その前で、タブンネがちょこんと立っていた。
順番が来た生徒がしゃがみ込み、タブンネにそっと触れる。あるいは、軽く抱きしめる。そのたびに、生徒たちは不思議そうな顔をして、けれどどこか満ち足りたように立ち去っていく。
「なんか、ほんとに楽になる……」
「ついでに成績のショックも癒してくれたらいいのにね」
「それは私らが頑張るべきでしょ……でも、ちょっと元気出たかも」
タブンネは何も喋らない。ただ、ぬくもりを持ってそこにいるだけだった。
「お前ら、やることやったらさっさと帰れよ」
その横でそう呟くサイトーに、モーリが声を掛ける。
「ブニャット、見ませんでしたか」
サイトーはそれに少し驚いたような顔をした。
「いや? 見てないな、はぐれたのか?」
モーリは肩をすくめるようにして答える。
「まあ、気まぐれですから」
サイトーは腕を組み直し、しばらくモーリの顔を見つめていた。表情に大げさな動揺はないが、視線の奥にあるものは、年長者らしい静かな心配だった。自分の教え子が何かを抱え込んでいるときの、それに近い眼差しだ。
「人数集めて探そうか?」
「いえ、大体わかる気がするんで」
そのやり取りに、サイトーは目を細めて微笑む。
「お前ら、変わったな」
ちょうどそのとき、タブンネがこちらを見て、小さく手を振ったように見えた。
モーリは少しだけ目を丸くし、照れ隠しのように手を軽く上げて返す。
「それじゃあ、また」
モーリは短くそう言って、職員室から離れた。
☆
部室の扉を開けると、空気が少し暖かかった。
ソファの上に、ブニャットがいた。
丸くなっているわけでもなく、寝そべっているわけでもない。まるでこの場所の主のような顔で、半分だけ閉じた目でこちらを見ている。
その隣には、イイダがいた。
ブニャットの尻尾をうまく避けるようにしながら、ソファの端に寄りかかっている。
足を組み、片手でスマホをいじっていたが、モーリの気配に気づくとゆっくりと顔を上げた。
「なんだ? 今日部活ないだろ?」
言葉の調子はいつもの軽さだが、その声にはどこかしら懐かしさを含んでいる。
「それは先輩も一緒でしょ」
モーリは扉を閉めながら苦笑して応じた。
「まあまあ、硬いこと言うなよ」
イイダは肩をすくめて、ソファの背にもたれ直した。
「そもそもなんで鍵開けられるんですか」
「一応前任の部長だぞ」
得意げに言うその顔は、どこかしら子どもっぽい。けれど、それがイイダらしかった。
「先輩たちの代はもう卒業してるじゃないですか」
「ああ、それね、ちょっとばかし忘れ物の確認してきたのとさ、この間の送別会のお礼」
そう言いながら、イイダはカバンの中をごそごそと探り、少ししてから大きめのお徳用お菓子セットを取り出した。袋は少しシワが入っていたが、ちゃんとラッピングされている。
それを机の上にぽんと置いて、手をパンと叩く。
「先輩って意外とそういうのマメですよね」
モーリは少し驚いたような表情で呟く。
「まあ、ツキシタ部長の下に居たからな。こういうことしないと気がすまないんだよ」
イイダは天井を見上げながら、どこか遠くを見る目をした。
「何時頃向こうに行かれるんですか?」
モーリが少し遠慮がちに尋ねると、イイダは腕時計をちらと見てから答えた。
「明日」
「さみしくなりますね」
言った本人も、それがどれほど本音だったかはわからなかった。
「なーにを、心にもないことを」
イイダは笑って、ブニャットの頭を軽く撫でた。ブニャットはそれに対して小さく鼻を鳴らし、満更でもなさそうに目を細めた。
「じゃあ、帰るか。来年からここはお前専用だなぁ」
立ち上がりながらぽつりと言ったその言葉に、モーリはふと胸の奥に小さな熱を感じた。
「イイダ先輩」
「ん?」
「お疲れ様でした。そして、ありがとうございました」
モーリは深く頭を下げた。
イイダの背中越しに、その姿勢をしばらく保った。
イイダは一瞬きょとんとした顔をして、それから口元を緩めた。
「うん、まあ、どれのこと言ってるかわからんけど、お前もいい感じの部長になったな」
「まだまだですよ」
「そのくらいが良いんだよ。俺もツキシタ部長も完璧じゃなかったし、そんなもんだよ。部活なんて『教育の一貫』なんだからさ」
ドアノブに手をかけたイイダが、もう一度だけ振り返る。
「一年はいってきたらまた大変だと思うけど、まあ、気を抜いていこうや」
「はい」
扉が閉まり、静けさが戻る。
空気が少しだけ、柔らかくなった気がした。
モーリはソファに沈み込んでいたブニャットに、軽く声をかける。
「帰るぞ」
ブニャットは一度鼻息を鳴らし、それから重たい体を持ち上げ、ソファを降りてモーリの足元へと歩み寄ってきた。
その足取りは、どこかゆっくりで、だけど確かなものだった。
☆
校門前には、春の夕暮れの光が差し込んでいた。
モーリの隣には、ブニャットがいる。
彼は少しだけ足を止め、校舎から出てくる人影を探していた。
やがて、スズモトが現れる。
カバンを肩にかけ、制服の襟元を風から守るように軽く手で押さえながら、まっすぐこちらへと歩いてきた
「ブニャット、すぐ見つかったんだね」
声をかけるスズモトは、モーリを見上げて笑う。
「ああ、だいたい居場所はわかってたから」
モーリが答えると、スズモトは小さく頷いた。
「うん、そうだと思った」
それきり、二人は何も言わず並んで歩き出す。
校門を抜けた先の坂道を、夕陽を背にして降りていく。ブニャットがモーリの一歩後ろを、重たそうな足取りでついてきた。
道の向こうから、見慣れた顔ぶれが近づいてくる。
コウヌとオーアサだ。
コウヌはマリルリをしっかり抱え、オーアサのそばにはブーピッグが寄り添っている。
コウヌとオーアサがモーリたちに気づき、手を振る。
「先輩、お疲れさまでーす!」
コウヌはマリルリを抱えたまま、声を張って笑った。
「これからウチの美容院でブーちゃんのトリミングするんスよ! 姉ちゃんが帰ってきてるんで!」
コウヌが無邪気にそう言って、モーリとスズモトに手を振る。
「この子、毎回ちょっと緊張してるんですけどね」
オーアサが笑いながら言った。ブーピッグはやや不安げに鼻を鳴らしている。
二人はそれに手を振って応え、また歩き出した。
空にはうっすらと雲が広がっていて、でも光はまだ暖かかった。
並んで歩く足音が、少しだけ近づいた。
モーリは、ちらりと横を見る。
スズモトの手が、ほんのわずかに自分の手の近くを歩いていた。
何も言わず、そっと触れる。
スズモトは驚かず、むしろ自然にその手を受け入れた。
指先がそっと重なり、次第に、絡まっていく。
モーリは少しだけ息を呑んだ。ぎこちないながらも、手の中にある温もりは確かで、どこか落ち着くものだった。
スズモトの指も、少し緊張しているように見えたが、それでも離れる気配はない。
指と指が、互いの存在をたしかめるように絡み合った。
互いに目を合わせることはなかったけれど、それぞれの顔がほんのりと赤らんでいるのは、春のせいだけじゃなかった。
春の風が、二人の間を抜けていく。
何も特別なことが起きているわけじゃない。
でも、それでも、いいと思えた。
次回未定
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