『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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42-チーム ①

 夏の朝特有の強い日差しが、カーテンの隙間から差し込んでいた。

 部屋の床に細長い光の帯を作っている。

 窓を開ければ、遠くから本格的になってきた虫の声が聞こえる。

 じりじりと暑さを増していく空気と共に、それは流れ込んできた。

 

 

 モーリはゆっくりと目を開けた。

 隣ではブニャットが、すっかり安心しきった様子で丸まって眠っている。

 その穏やかな寝息が、部屋の静けさの中に小さく響いていた。

 モーリはしばらくその寝顔を眺める。

 

 しばらく天井の木目をぼんやりと眺めていたが、やがて今日が大会当日であることを思い出した。

 ゆっくりと息を吸い込む。

 昨夜は、なかなか寝付けなかった。

 目を閉じれば、大会の熱気や対戦相手の顔、そして仲間たちの期待のこもった視線が浮かんでは消え、落ち着かない夜を過ごしたのだ。

 

 ベッドから静かに起き上がり、窓の外に目をやる。

 見慣れた地方の、祖父母の家の庭。

 木々の緑が朝日に照らされて眩しい。

 

 ぽつりと「最後の、夏か」と呟いた言葉は、誰に聞かせるでもなく空気中に溶けていった。

 三年生。ポケモンバトル部の部長。

 その肩書が、ずしりとした重みを持って感じられる。

 ムラナカ、タケダ、あいつらを、そして新しく入ってきたコウヌやオーアサ、セラたちを、勝たせてやりたい。

 その思いが、胸の奥から静かに湧き上がってくる。

 

 それと同時に、ふとタマムシ大学からの推薦の話が頭をよぎった。

 ヤマサキ監督の言葉、担任の言葉。

 選べる道があるのは、恵まれている。でも、と彼は思う。

 リーグへの挑戦という、かつて自分が追い求めた道。

 そして、大学進学という現実的で、より確実に見える未来。

 そのどちらが今の自分にとって正しいのか、まだ答えは出せずにいた。

 

 枕元に置いたままだった端末を手に取る。

 スズモトからのメッセージが一件。

 

『おはよう!今日、力いっぱい応援するね!モーリくんなら大丈夫!』

 

 メッセージの最後には太陽のマークが添えられていた。

 彼女らしい、飾り気のないストレートな言葉。

 

 それだけで、強張っていた心が少しだけ解けるのを感じた。

 昨日の夏祭りの夜、繋いだ手の温もりや、花火の下で交わした言葉が不意に蘇る。

 頬が微かに熱くなった。

 

「ああ」と短く返信する。

 

 それだけで、今の気持ちを表すには十分な気がした。

 

 着替えを済ませ、部屋の隅で丸くなっていたブニャットの前にしゃがみ込む。

 モーリの気配に気づいたのか、ブニャットはゆっくりと目を開け、大きなあくびを一つした。

 

 モーリは何も言わず、その大きな頭や顎の下をそっと撫でる。

 ブニャットは心地よさそうにゴロゴロと喉を鳴らし、モーリの手に頭をすり寄せた。

 以前のような、どこか警戒するような素振りはもうない。

 

 当たり前のように、その温もりを受け入れている。

 

 モーリはブニャットの黒曜石のような瞳をじっと見つめた。

 

 言葉はない。

 

 だが、視線だけで、互いの覚悟のようなものが静かに伝わっていく。

 静かに、しかし確かな意志を込めて頷くと、ブニャットは小さく鳴いて応え、モーリの足元にすり寄った。

 

 腰のベルトに手を伸ばし、ブニャット、そしてガブリアス、ファイアローのモンスターボールの感触を確かめる。

 それぞれの重みが、今の自分を支える確かな力だと感じられた。

 

 リビングは、いつものように静かだった。

 祖母はまた今日から旅行だ。まだ起きていないのか、あるいはもう出かけた後なのかもしれない。

 テーブルの上に置かれたパンを一つ手に取り、牛乳で流し込む。

 玄関でスニーカーを履き、ドアノブに手をかける。

 大会へ向かう前の、ほんの短い静寂。

 

「行ってきます」

 

 誰に言うでもなく呟き、モーリはゆっくりとドアを開けた。

 夏の朝の強い日差しが、容赦なく目に飛び込んでくる。

 その眩しさに一瞬目を細めたが、すぐに顔を上げ、決意を新たにした表情で、モーリは会場へと続く道を歩き出した。

 

 

 

 

 朝の空気に、まだ湿気を含んだ夏の風が混じっていた。ライモン高校の面々を乗せた貸切バスが、スタジアム併設のロータリーに滑り込むと、扉がゆっくりと開いた。

 

 貸し切りのバスだなんて贅沢なものだ、だが、一年生を含む二十数人が参加しているとなればそこまで不思議なものではないのだろう。若干学校側が先走りすぎた感じもあるが。

 

 

 

 

 

 

 バスを降りたモーリは、まず空を仰いだ。真っ青な夏空に、白い雲が少しだけ浮かんでいる。その下、すでに駅前にはいくつもの学校の選手団が集まりはじめていた。揃いのジャージに身を包んだ強豪校、緊張で顔がこわばった初出場らしき選手たち、応援グッズを抱えた保護者たち、それぞれの思いが交錯する空間に、自然と体が引き締まる。

 

「熱い、ですねぇ……」

 

 タケダがぽつりと呟いた。

 

「去年より人、多いんじゃない?」とスズモトが笑う。その手にはクーラーボックスと、戦略ノートが詰まったバッグ。テキパキとした動きは、緊張を隠すためのものでもあった。

 

 受付を済ませた一行は、通路を抜けてスタジアム内部へと足を進める。

 

 通路の先に広がる観客席の一角。毎年同じように与えられた場所であるはずなのに、今年はなぜか特別な重みがあった。陽射しの角度も、風の抜け方も、どこか違って感じられる。三年生たちはそんな空気の変化を敏感に感じ取りながら、自然と足を止める。

 

 その一角にたどり着くと、自然とメンバーは座る位置を決め、軽く体をほぐしたり、水分を摂ったり、それぞれのルーティンに入っていった。

 

 モーリは荷物を置くと、しばらくのあいだ黙って椅子に腰を下ろし、対戦場を見つめていた。モンスターボールを指先でなぞるように触れながら、口元は静かに結ばれている。

 

 その隣で、スズモトはドリンクの本数を確認しながら、「モーリくん、水は多めに持ってきたからね」と声をかける。

 

「ああ、ありがとう」

 

 返事は短くとも、その声にこもる安心感に、スズモトは微笑んだ。

 

 ムラナカは壁際でストレッチをしながら、エビワラーのボールをしばらく見つめていた。タケダはケッキングのボールを撫でながら、「今日は、思いっきりいきましょうねぇ」と小声で語りかけている。

 

 コウヌはオーアサとセラに冗談を飛ばしていたが、内心の緊張が隠しきれず、ジュルジュルとズボンの裾をしゃぶっているマリルリに気づかない。

 

 セラは部屋の端に立ち、腕を組んで静かに他校の選手たちの様子を見ている。補欠であっても、彼の中の火は決して消えていなかった。

 

 そして、手続きを終えたサイトーが。

 

「全員、いるな? 少し話すぞ」

 

 声に応じてメンバーが集まり、半円を描くようにしてサイトーを囲んだ。その傍らでは、タブンネが静かに立っている。

 

「いよいよ最後の夏大会だ。三年生にとっては、これが高校生活の集大成になる」

 

 言葉は穏やかだが、そのひとつひとつがまっすぐに心へ届く。

 

「だが、気負いすぎるな。お前たちがこれまで積み重ねてきた練習、築き上げてきたチームの絆、それを信じろ」

 

「モーリが部長になってから、このチームは強くなった。それは、お前たち一人ひとりが、自分の役割を理解して努力してきたからだ」

 

 その言葉に、モーリは一瞬だけ目を伏せた。だがすぐに顔を上げ、全員の視線に応えるように頷く。

 

「相手がどこであろうと、やることは一つ。自分たちの力を出し切ること。そして、何よりも、この舞台を楽しむことだ」

 

 タブンネが「タブンネ~」と小さく鳴き、メンバーたちに小さくお辞儀をする。空気が、少し和らぐ。

 

「何かあれば言え。一人で抱え込むな。私も、タブンネさんも、全力でお前たちを支える」

 

 言い終えた瞬間、室内に穏やかな拍手が広がった。

 

 その後、スズモトが端末を手に声を上げる。

 

「みんな、トーナメント表出たみたいだよ!」

 

 控室を飛び出し、廊下の掲示板へと向かう一行。ライモン高校の初戦の相手校の名がそこにあった。

 

「ここか……データは少ないけど、油断はできないな」

 

 モーリの言葉に、セラが「決勝まで行けば、リオーと当たるってことか」とぽつりと呟く。誰もが無言でその名前を見つめた。

 

 たしかにその名前は、自分たちから最も遠いところ、反対側にあった。

 

 やがて開会式のアナウンスが流れる。

 

 ユニフォームに着替えたライモン高校の選手たちが列を作り、モーリを先頭にフィールドへと向かう。その背中に、ひときわ強い朝日が降り注いでいた。

 

 

 開会式が終わり、スタジアムの各バトルフィールドでは一斉に試合開始のホイッスルが鳴り響いた。

 観客席のざわめきが一層増し、熱気がグラウンド全体を包み込む。

 

 ライモン高校の初戦の相手は、春の大会で一度対戦経験のある公立校だった。

 データが少ない相手ではないが、サイトーは「油断するなよ、初戦が一番硬くなることもある」とメンバーの気を引き締める。

 

 先鋒としてフィールドに立ったオーアサは、緊張した面持ちだった。

 それでも隣に立つブーピッグの背を一度だけ優しく撫でると、覚悟を決めた表情になる。

 相手が繰り出したのは、ノーマルタイプのムクバード。

 

 試合開始の合図と同時に、オーアサは目をこらし、ブーピッグと意識を集中させた。

 次の瞬間、相手トレーナーが指示を出すよりも早く、ブーピッグが的確な位置取りで相手の突進をかわした。

 

 「『サイコキネシス』!」

 

 オーアサの澄んだ声とほぼ同時に、ブーピッグの額の真珠が強く輝く。

 強力な念動力がムクバードを捉え、一撃で戦闘不能にした。

 呆気にとられる相手トレーナーを尻目に、オーアサは小さく息をつく。

 

 スズモトやタケダから「すごい!」と声が飛ぶが、オーアサ自身はまだ今の連携の速さに少し戸惑っているようだった。

 

 続く次鋒戦、コウヌは「よっしゃー!俺の番ッスね!」とマリルリと共に勢いよく飛び出していく。

 

 相手はひこうタイプのオニドリル。

 試合開始とと同時に、コウヌは持ち前の勢いで攻め立てる。

 

 しかし、経験豊富なオニドリルは巧みに攻撃をかわし、上空からコウヌらの隙を待つような構えだ。

 

 一瞬、コウヌに焦りの色が見えたが、練習の成果を思い出したようにニヤリと笑う。

 

「『アイススピナー』!」

 

 マリルリが軽快なステップを踏み、足元に氷のエネルギーを集中させる。

 そのままコマのように回転しながらオニドリルに突撃し、効果抜群の一撃を叩き込んだ。

 勝利のホイッスルが鳴ると、コウヌはマリルリを抱きしめる。

 

「見たかー!これが俺たちの新技ッスよ!」

 

 観客席の一角、特に華やかな応援団がいる方向にアピールするのを忘れなかった。

 

 

 中堅のムラナカは、いつも通り冷静にエビワラーとフィールドに立つ。

 相手はゴローン、タイプ相性は悪くないが、その見た目通り硬い防御力を持つ相手だった。

 

 ムラナカは焦ることなく、じっくりと相手の動きを見極め、エビワラーに的確な指示を送る。

『ビルドアップ』で着実に能力を上げ、相手が痺れを切らして放った『いわおとし』をしっかりと耐えた。

 

「『インファイト』」

 

 冷静な指示だった。

 エビワラーの拳から放たれた鋭い連打がゴローンを打ち砕き、ライモン高校は危なげなく一回戦を突破した。

 

 

 短い休憩を挟んで行われた二回戦。

 相手はスポーツ古豪の私立高校だったが、やはりライモン高校は試合を優位に進める。

 

 二勝で迎えた副将戦。お揃いのハチマキを締めたタケダとケッキングがフィールドに現れる。

 

 だが、ケッキングは相変わらず、フィールドに現れるなり大きなあくびをして寝そべってしまった。

 

「ケッキングさぁん、起きてくださいぃ」

 

 タケダの懇願も空しく、相手のヤミラミが『おにび』や『あやしいひかり』で執拗にケッキングを攻め立てる。

 観客席からもため息が漏れ始めたその時、タケダの鋭い声が響いた。

 

「はっきよい!」

 

 その掛け声に、それまで微動だにしなかったケッキングがむくりと巨体を起こす。

 眠たげだった目がカッと見開かれ、ヤミラミを睨みつけた。

 

「『じごくづき』!」

 

 タケダの指示と同時に、ケッキングが右の貫手をヤミラミの喉元に突き立てる。

 それはどちらかと言えば相手の一点を攻めるような攻撃のはずだったが、ヤミラミはなす術もなく吹き飛ばされ、フィールドに叩きつけられる。

 

 その圧倒的なパワーに、会場全体が息を呑む。

 

「やりましたわぁ!」

 

 タケダが両手を突き上げて喜ぶ横で、ケッキングは再び大きなあくびをして寝転がった。

 

 結局のところ、三回戦を終えるまで、大将のモーリの勝敗が試合を左右することはなかった。

 

 

 地方大会二日目。朝から雲ひとつない晴天が続き、夏の日差しはスタンドのコンクリートをじわじわと熱していた。観客席の一角に設けられたリオー高校の待機エリアでは、ヤマサキ監督が腕を組み、遮るもののない視線でフィールドを見つめていた。

 

 彼の目は鋭く、それでいて冷静だった。まるでフィールド全体を俯瞰するように、その動きを一瞬も逃すまいという意志を湛えている。無言で立つ姿は一見無表情にも見えたが、時折その眼差しが微かに揺れ、わずかに口元が引き締まることがあった。

 

 背後には控えのベンチで水を飲む選手たちや、ノート片手に作戦を確認するレギュラー組の姿もある。だが、ヤマサキは誰にも言葉をかけず、ただ一人でその光景と向き合っていた。

 

 視線の先では、ライモン高校の副将戦が行われている。

 

「……ケッキングの奴、またやりやがったか」

 

 横で観戦していたカザが低く呟く。

 

 タケダとケッキングのコンビが、爆発的なパワーで相手のヤミラミを叩き潰した瞬間だった。会場がどよめき、実況の声も一段高くなる。リオー高校の数名の部員たちが思わず息を呑むのが分かった。

 

 だがヤマサキは、その様子を見ても眉一つ動かさず、手元のメモ帳にペンを走らせる。

 

「意思疎通は完全に改善している、掛け声をかけないといけない甘さはあるが。面白いじゃないか」

 

 その目はタケダだけでなく、彼女の後ろで小さく拳を上げているモーリにも向けられていた。

 

「どう思う、カザ。今のライモンは」

 

 問いかけに、カザはしばらく黙ったまま前を見据えていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「確かに、去年とは違うな。あの二年の女子とチャラいの、明らかに動けるようになってる」

 

「オーアサとコウヌか。あの二人は、春の頃に比べて連携の質が一段上がっている。特にオーアサ、あの子は言葉が要らないタイプだな。指示の間がいい。うまくコツを掴んでいるんだろう」

 

 そう言いながら、ヤマサキは別のページに短く『連携速度向上』と書き込んだ。

 

「個々のレベルも上がっているが、チームとしてのまとまりも出てきた。特に、モーリ以外のメンバーの成長が大きい」

 

 その言葉に、カザは一瞬、表情を曇らせた。だが、すぐに顔を上げると、リオー高校のレギュラー陣が座る一角を顎でしゃくった。

 

「それは、あいつらも同じだろ。俺たちだって、この一年、モーリに勝つためだけにやってきたんじゃねえ。チームとして強くなるために、全員でやってきたんだ」

 

 その声には、以前の彼にはなかった、仲間への信頼と、リーダーとしての自覚が確かに滲んでいた。

 

 育ちに恵まれず、常に自分一人の力で道を切り開いてきたような男が、今、チームメイトの努力を認め、それを誇るような言葉を口にしている。

 

 その変化に、ヤマサキは内心で深く頷いた。リオーの他の選手たちも、カザのその言葉に、驚きと、そして少しの誇らしさを感じて彼を見つめている。

 

「そうだな。ならば、決勝でその成長を見せてもらおうか」

 

 カザは不敵な笑みを浮かべ、応える。

 

「当然だ。ライモンだろうが何だろうが、俺たちが勝つ」

 

 その瞳には、決勝でのライモン、そしてモーリとの対決に向けた、揺るぎない闘志が燃え上がっていた。

 

 

 昼休憩を挟み、スタジアムには午後の日差しが容赦なく照りつけていた。

 準決勝の相手は、これまでの公立校とは明らかに雰囲気の違う、古豪として知られる私立校。

 

 先鋒に立ったオーアサは、ブーピッグとのコンビネーションに明らかな変化が生じていることに気づいていた。

 

 相手のペルシアンがボールから繰り出された瞬間にブーピッグに飛びかかってきた時、わずかに前足が動いていたため、オーアサは『ねこだまし』を予感した。

 無意識のうちに『まもる』の指示が頭に浮かんだ。だが、それは口に出すにはあまりにも遅すぎた。

 だが、その瞬間ブーピッグは両腕を前に出して念動力を使用し、ペルシアンの攻撃から身を『まもる』

 

 指示のない攻撃だったので、相手も、そしてオーアサも驚いていた。

 だがその瞬間に彼女はチャンスだと思った。相手もペルシアンも呆気にとられていたからだ。

 そう思ったその時、ブーピッグが一歩踏み出した。

 そしてオーアサの頭の中にポジティブな感情が流れ込んでくる。それは言葉でも音楽でもなかったが、とにかくアグレッシブなものだった。

 

「『サイコキネシス』!」

 

 その感情に逆らわずに、彼女は攻撃の指示を出していた。

 ブーピッグの右手がペルシアンに向けられ、そこから放たれた念動力がペルシアンを吹き飛ばす。

 端から見ればそれは、とんでもなく研ぎ澄まされた連携のように見えただろう。

 だが、決してそうではなかった。むしろオーアサはとっさの判断に弱いタイプだ。

 その証拠に、その光景に最も戸惑っているのはオーアサ本人だった。

 そして再び彼女に流れ込んでくるポジティブな感情。

 ブーピッグの背中が、小刻みに揺れていた。

 

 その後、コウヌが『やけど』に翻弄されまくったことを除けば、ムラナカもタケダも危なげなく勝利し、ライモン高校は決勝進出を決めた。

 

 

 

 

 準決勝の先鋒戦が終わったフィールドから、ライモン高校のレギュラーメンバー全員が観客席の一角へと戻ってきた。オーアサはブーピッグのモンスターボールを手にしながら、仲間たちとともに歩いていたが、どこか浮かない表情をしている。

 

「オーアサさん、すごかった!」

「ナイス勝利ッスよ!」

 

 コウヌやスズモト、タケダたちが口々に賞賛の声を上げる。

 オーアサは小さく微笑み「ありがとうございます」と返すが、その声にはどこか引っかかりがあった。

 

 ブーピッグのボールを指でそっとなぞりながら、彼女はひとつ深く息をつく。

 

 さっきの、あれは何だったんだろう。

 

 指示を出すよりも先に、ブーピッグが反応していた。相手の技を読んだかのような動き、迷いのないタイミング。オーアサ自身の頭に、ふと浮かんだ指示が、言葉になる前に実行されたような、そんな感覚。

 

「ぶーちゃん。何をしたの?」

 

 小さな声でそう呟く。周囲の喧騒から一歩離れ、観客席の隅のベンチに腰を下ろす。彼女の背後に、ひとつの影が差した。

 

「オーアサ」

 

 静かながらも、確信に満ちた声。振り返ると、モーリが腕を組みながら立っていた。

 

「モーリ先輩」

 

 少し驚いたように彼女が顔を上げると、モーリはごく自然に隣に立ち、視線をブーピッグのボールへと落とす。

 

「あの、さっきの試合で、ちょっとおかしなことがあって」

 

 オーアサは迷いながらも口を開く。

 

「私が指示を出す前に、ぶーちゃんが先に動いたり、逆に、私が考えてたことを、そのまま実行されたり。あと、なんていうか、ぶーちゃんの気持ちが、頭の中に流れ込んでくるような感覚がして」

 

 不安、驚き、そしてどこか期待に満ちた声。モーリはしばらくそれを黙って聞いていたが、やがて小さく頷いた。

 

「多分、それはテレパシーに近い連携の兆しだと思う」

 

 はっきりと言い切るその声に、オーアサは驚いたように目を見開く。

 

「俺も昔、ヤマブキジムでエスパー使いと戦ったことがある。あのとき、初めて気づかされたんだ。ポケモンとの連携が、声やジェスチャーだけじゃないって」

 

 モーリは少し遠くを見つめるように言った。

 

「言葉じゃなくても、気持ちが伝わることがある。相手の考えてることや感情が、ダイレクトに感じられる。そういう絆を築けるトレーナーとポケモンは、確かにいる」

 

 一拍置いて続ける。

 

「お前とブーピッグは、その入口に立ってるんだと思う。戸惑うのは当然だ。でも、その感覚を怖がるな。今はまだ曖昧でも、もっと向き合って、感覚を確かめていけば、きっと見えてくる」

 

 そう言って、モーリはオーアサの肩を軽く叩いた。

 

「それと、それに関する本がいくつかある。少し古いものだが、今度貸してやるよ。役に立つはずだ」

 

 オーアサはボールを見つめ、そしてゆっくりと頷いた。

 

「テレパシー。ぶーちゃんと、私が」

 

 それは意外なことではあったが、しかし、それは嫌なことではなかった。

 

「ありがとうございます、モーリ先輩。なんだか、すごく道が開けた気がします」

 

 明るい笑顔でそう言った彼女を、遠くから見ていたスズモトが、ふと小さく笑みを漏らす。

 

 

 

 

 観客席には、熱気の余韻がまだ残っていた。

 モーリたちも、緊張と安堵の入り混じる表情を浮かべながら座っている。

 だが、フィールドから視線を外す者はいない。観客たちのざわめきが次第に高まり、その理由はすぐに明らかになった。

 

 リオ―高校、大将戦。すでにリオーは三勝して勝利を決めている。だが、消化試合とは思えない熱視線が、今まさに一人の男へと注がれていた。

 

 カザ。

 

 リオ―の大将であり、あらゆる意味でこの大会の象徴とも言える存在。

 

 黒のユニフォームに身を包み、悠然と歩くその姿はまるで誰にも止められない獣のようだった。手にしたモンスターボールから繰り出されたのは、威圧感すら纏う巨体のシザリガー。

 

 全身を覆うような赤黒い甲殻。鋭く尖ったハサミ。動くだけで空気を震わせるような存在感。

 

 それはここ数年の大会ではおなじみの光景のはずだったが、スタジアム全体が、一瞬、言葉を失った。

 

 相対する他地方の強豪校のトレーナーも、決して侮れる相手ではないはずだった。だが、その顔に浮かぶのは、驚愕と緊張、そして明らかな怯えだった。

 

 開始のホイッスルが鳴った瞬間、カザの声が響いた。

 

「『クラブハンマー』」

 

 たったそれだけだった。だが、次の瞬間、シザリガーの巨体が疾風のように動く。凄まじい勢いで相手ポケモンに肉薄し、鋭く振り下ろされた『クラブハンマー』が、まるで雷鳴のような音を立てて炸裂した。

 

 一撃。

 

 相手のポケモンが崩れ落ちる。レフェリーがあわてて試合終了を宣言するまで、観客席は一瞬、静まり返る。

 

 そして、次の瞬間、爆発のような歓声が会場を揺らした。

 

 カザは、吠えず、拳も振り上げなかった。ただ、淡々と相手に一礼し、シザリガーをボールに戻す。

 

 その姿に、絶対的な王者の風格があった。

 

 ライモン高校の控え席。試合を終えたばかりの仲間たちが、その光景を茫然と見つめていた。

 

「強すぎる」

「無茶苦茶ですわぁ」

 

 コウヌとタケダが呟くように漏らす。

 

 モーリは何も言わず、じっとフィールドに視線を送っていた。心臓が、鼓動を早める。体の奥から、何か熱いものがせり上がってくる。

 

 その男と戦わなければ、この夏は終わらないのだろう。

 

 その時、ふと視線を感じた。フィールドを離れようとしていたカザが、こちらを振り返る。

 

 にやりと笑った。

 

 その挑発とも取れる笑みに、モーリは口角をほんのわずかに上げて応える。

 

 隣に座っていたスズモトが、モーリの手をそっと握る。驚いて彼女を見ると、スズモトは不安げな表情を浮かべながらも、まっすぐに彼を見つめていた。

 

「モーリくんなら、勝てるよ」

 

 その声は震えていなかった。

 

 静かな闘志が広がっていく。

 

 次は決勝。

 

 そのチームに、真正面からぶつかっていく。

 

 

 

 

 三位決定戦が終わり、スタジアムには決勝戦を待ちわびる観客たちの期待感が充満していた。

 それまでの試合でまばらだった観客席は、いつの間にかそれなりに埋まり、それなりに熱気に包まれている。

 

 特に、モーリとカザという、この地方の高校ポケモンバトル界を賑わせてきた実力者同士の激突に、会場全体の注目が集まっていた。

 一般の観客だけでなく、他校の選手や関係者、中にはスカウトらしきスーツ姿の大人たちの姿もちらほらと見える。

 

 夕暮れが近づき始め、スタジアムの照明がゆっくりと灯り始める。

 昼間のじりじりとした暑さが和らぎ、決戦にふさわしい、引き締まった空気がフィールドを包み込んでいた。




次回は7/21 8:01に投稿予定です

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