『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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43-夏の終わりに、僕らが選んだ強さ ①

 夏の強い朝日が、スタジアムの屋根を一様に照らし始めていた。

 まだフィールドの半分は建物の影に覆われ、朝露に濡れた芝生が所々で鈍い光を反射している。空気はひんやりとして、前日の団体戦で生まれた熱狂が嘘のように静まり返っていた。

 

 遠くの木々からは、ポッポだろうか、あるいはスバメだろうか、小鳥のさえずりが微かに聞こえてくる。

 その乾いた鳴き声が、これから始まる個人戦の、どこか張り詰めた空気を一層際立たせているようだった。

 

 

 

 

 スタジアムの観客席、ライモン高校に割り当てられた一角は、まだまばらな人影しかなかった。

 長椅子が数脚、朝日を浴びて金属部分を鈍く光らせている。その傍らには、チームのクーラーボックスやスポーツバッグが無造作に置かれていた。

 

 スズモトがクーラーボックスの蓋を開け、冷えたペットボトルを取り出し始めた。

 慣れた手つきで部員たちの名前が書かれたボトルを選び、それぞれの席に配っていく。

 その動きはテキパキとしているが、いつもより口数が少なく、どこか表情が硬い。個人戦という言葉の響きが、彼女の肩にも静かな重圧を乗せているのかもしれない。

 

「まだ、眠いっすねえ」

 

 コウヌが大きなあくびをしながら、オーアサの肩に軽く頭を乗せた。

 オーアサも眠たげに目をこすりながら、それでもコウヌの頭を押し返すほどの気力はないようだ。

 二人は昨日の団体戦優勝の余韻と、早朝からの移動の疲れで、まだ半分夢の中にいるような顔つきだった。

 それでも、コウヌは時折膝の上で眠るマリルリを撫で、オーアサはブーピッグのボールをそっと撫でて、それぞれのやり方でパートナーとの意識を合わせようとしている。

 

 タケダは、長椅子の端に腰掛け、膝の上でケッキングのモンスターボールを両手で包み込むように持っていた。

 すでに額に鉢巻を締めており、長いまつげが朝日を受けてきらめいている。

 静かに目を閉じ、深く呼吸を繰り返している。その横顔は、普段の天真爛漫なおっとりとした雰囲気とは異なり、どこか神聖な儀式に臨む巫女のようにも見えた。

 

 サイトーは腕を組み、フィールド全体を見渡せる最後列の位置に立っていた。

 隣にはタブンネがちょこんと座り、生徒たちを時折心配そうに眺めている。

 彼女の視線は鋭く、スタジアム全体の空気、他の学校の選手たちの動き、その全てを捉えようとしているかのようだった。

 

 モーリは、待機エリアの最もグラウンドに近い手すりに寄りかかり、遠くの空を眺めていた。

 表情は静かで、何を考えているのか読み取りにくい。夏の朝の光が彼の横顔を照らし、その瞳の奥に、昨日のカザとの一戦が浮かんでいた。

 

「モーリくん」

 

 スズモトが、冷えたペットボトルをそっと差し出した。モーリは視線を動かさずにそれを受け取る。

 

「ん」

 

 短い言葉。それでも、二人の間には昨日までとは少し違う、確かなものが流れていた。視線が一瞬だけ交差し、互いに小さく頷き合う。それだけで十分だった。

 

 その静寂を破ったのは、リズミカルな打撃音だった。

 

 パンッ、パンッ、と乾いたミットの音が、待機エリアの隅から響いてくる。ムラナカだった。

 

 彼は他の部員たちの輪から少し離れた場所で、両手にミットを装着し、パートナーのエビワラーが繰り出すシャープなパンチをリズミカルに受けている。

 エビワラーの額には既に汗が光り、その拳は見るからに鋭く、ムラナカの構えるミットの芯を正確に捉えていた。

 ムラナカ自身もまた、その衝撃を受け止めながら、普段の穏やかな彼からは想像もつかないほど、その表情は真剣で、研ぎ澄まされていた。

 少し、気温が上がっていっているような気がした。彼らの周りから。

 

 スズモトとタケダが、そのいつもと違う気迫に満ちたムラナカの姿に気づき、声をかけるのをためらうように、心配そうな、それでいて何かを察したような視線を交わした。

 

 

 

 

 やがて、スタジアムの運営スタッフが、個人戦のトーナメント表を掲示板に貼り出した。その動きを捉えたサイトーが、静かに声をかける。

 

「トーナメントが出たぞ。確認に行く」

 

 その言葉に、ライモン高校のレギュラーメンバーとスズモトが動き出す。ミット打ちを終え、エビワラーをボールに戻したムラナカも、汗をジャージの袖で拭いながら静かに続いた。

 

 

 

 

 掲示板の前は、既に多くの選手や関係者でごった返していた。自分の名前を探す声、対戦相手を確認して小さく息を呑む音、どよめき、そして安堵のため息。様々な感情が渦巻く中で、ライモンメンバーも人垣を縫ってトーナメント表へと近づく。

 

「あった」

 

 スズモトが小さな声を上げ指さした先には、トーナメント表の左端最上段に『ライモン高校 モーリ』の名前があった。

 

 そして、反対側の右端最上段には『リオー高校 カザ』。二人が順当に勝ち進めば、決勝で再び顔を合わせる組み合わせだ。

 

 モーリはカザの名前を確認すると、静かに、しかし力強く頷いた。その視線は、トーナメント表全体を冷静に、そして鋭く見据えている。

 

 セラの名前は、カザと同じ側の山にあった。彼がカザに、否、モーリにたどり着くには、幾度も強敵を打ち破らなければならない。

 団体戦の補欠という立場上、試合になれるために一年生ながら個人戦への出場が認められたセラは、その事実を噛みしめるように、トーナメント表を睨みつけていた。その唇がきつく結ばれている。

 

そして。

 

「あら」

 

 どこからか持参してきたのだろう。タケダが少しだけ開いた扇子で口元を隠しながら、小さく声を漏らした。

 

 モーリ、ムラナカ、タケダ。

 三人の名前が、トーナメント表の同じ山、同じブロックに固まって記されていた。それは、彼らライモン高校の主力同士が、決勝を待たずに潰し合う可能性が高いことを示していた。

 

「これは、面白くなりそうですぅ」

 

 タケダの言葉とは裏腹に、その瞳の奥には静かな闘志が揺らめいている。

 

 ムラナカは、自分の名前とモーリの名前が同じブロックに入り、順当に行けば準決勝で対戦することになる配置をじっと見つめる。

 彼の表情は硬く、先ほどのミット打ちで見せた気迫がさらに増したように見える。その目はモーリの名前を捉えて離さない。

 

 モーリも、また、その配置とムラナカの視線に気づいていた。

 言葉はなくとも、二人の間には緊張感が走っている。モーリは何も言わず、ただ静かにその視線を受け止める。

 ムラナカもまた、すぐに視線をトーナメント表に戻したが、その横顔は決意に満ちていた。

 

 スズモトは、マネージャーとして各選手の初戦の相手、試合時間、コート番号などを手際よくメモ帳に書き写していく。

 そのペンを走らせる合間に、彼女はムラナカのただならぬ雰囲気に気づき、モーリとムラナカの二人を交互に見ながら、心配そうな、それでいてどこか祈るような表情を浮かべている。

 

 夏の大会、二日目。それぞれの想いを乗せた個人戦が、静かに始まろうとしていた。

 

 

 

 

 夏の強い日差しが容赦なく照りつけるスタジアムの各フィールドでは、個人戦の熱戦が繰り広げられていた。

 観客席からの声援や、ポケモンの技がぶつかり合う乾いた音、審判の鋭い笛の音が、むせ返るような熱気と混じり合っている。

 

 ライモン高校のコウヌは初戦こそマリルリとの勢いに任せた力強いバトルで突破したものの、続く二回戦では経験豊富な三年生トレーナーの巧みな『いばる』戦術に翻弄され、惜しくもその進撃を止められた。

 

 オーアサもまた、ブーピッグとの新たな連携の兆しを見せながら初戦を勝利で飾ったが、二回戦で格上のシード選手と当たり、善戦むなしく敗退。

 

 一方、モーリはブニャットと共に、二回戦を危なげなく勝ち、次に駒を進めていた。その戦いぶりは、過度な派手さこそないものの、相手の戦略を冷静に見極め、ブニャットとの的確な連携で確実に勝利を掴んでいく。

 だが、それはすでにその会場で異常な光景とは映ってはいなかった。むしろそれはこの三年間の集大成を飾るにふさわしい光景のプロローグとして、観客を楽しませている。

 

 そして、ムラナカもまた、エビワラーと共に一戦一戦に鬼気迫る集中力で臨んでいた。

 彼の指示には普段以上の重みが乗り、エビワラーの繰り出すパンチはフィールドの空気を鋭く切り裂く。

 その気迫に満ちた戦いぶりは、観客席の仲間たちにも静かな緊張感を与え、試合を重ねるごとに彼の表情はより険しさを増し、その視線はトーナメント表の先、ただ一点を見据えているかのようだった。

 

 

 

 

 中規模スタジアム、対戦場、中央。

 

 因縁のジャージ、リオー高校の選手と向き合ったタケダは、静かに、それでいて力強く右手を差し出した。

 

「昨夜ぶり、ですねぇ」

 

 その右手の先、団体戦にてリオー高校副将であったその男は、わずかに躊躇しながらその右手を握った。

 

「一体どうしたんだ、あんた、昨日とは別人みたいだ」

 

 タケダは左手に持った扇子で口元を隠しながら答える。

 

「だって昨日とは別ですもの。昨日はチーム戦、今日は個人戦、お分かりになりますかぁ?」

 

 その雰囲気にわずかに背筋の凍った副将の右手を離しながら、彼女は続ける。

 

「お母様が言っておりました『戦場に仲間はいないと思え』と、わたくし、その見解には賛成ですぅ」

 

 扇子を畳む。

 

「皆様信じないと思いますが、最後の夏。わたくしは個人戦優勝を目指しております。あなたにも、モーリさんにも、カザさんにも勝利して、この地方、いいえ、私達はこの世界の女王として君臨するつもりでおりますぅ」

 

 その言葉に、副将の男はたじろいだ。とてもではないが彼女にそれを成すことはできないと思ったからだ。

 だが、タケダの目は明らかに本気だった。それをできぬとは微塵も思ってはいない、少なくとも結果が出るまでは、その曇りなき眼でそこを目指しているように見えたのだ。

 

 そして男は、息をのんだ。

 彼女にそれが成せないだって、どうしてそう思った。

 そんなの、やってみなければわからないのに。

 それに何より、彼女は去年の新人戦覇者。それを語るに十分な実績がある。

 

 そして男は、思い出した。

 

「あんたのおかげで、思い出したよ」と、演技っぽく語る。

 

「俺もそうだった。俺だって誰よりも強いと思ってた。あんたよりも、モーリよりも、カザよりも」

 

 にやりと笑う。

 

「最後の夏だ、それを証明しないと」

 

 それに笑いあい、二人は距離を離す。

 

 

 

 

「『ねこだまし』!」

 

 繰り出されたハリテヤマが、同じく繰り出されたケッキングの目の前で両手を鳴らす。

 ケッキングのようなポケモンと戦う時の定石だ、相手のやる気を怯ませて削ぎ『なまけ』を誘発させる。

 尤も、タケダとの出会いがなければここまで真剣にケッキングの対策を行うことはなかっただろう。

 皮肉にも、彼女への思いが、勝利を盤石にしている。

 

 だが、次の瞬間に、タケダが扇子を広げながら「はっきよい!」と叫ぶ。

 それに合わせてケッキングが両手を地面につく。

 副将はそれに驚く、どうして、うまくひるませたはずだ。

 

 まさか、と考える。

 

『なまけ』のタイミングをコントロールしているのか!

 

「『こらえる』!」

 

 慌てて繰り出したその指示よりも先に、タケダの指示が届く。

 

「『アンコール』!」

 

「やばい!」と思わず声を漏らした。

 

 それを食らったハリテヤマは、ゆっくりと拍手をする壊れた玩具のように手を叩くのみ。

 その対面のケッキングも、ぐったりと『なまけ』るが。その目はしっかりとハリテヤマを見据えている。

 

 知らない選択肢ではなかった。なかったが、まさがタケダがそのようにヘンテコな技術を持っているとは思わなかった。

 

「はっきよい!」

 

 メリハリのある動きで、ケッキングが再び前傾姿勢を取る。

 

「『ギガインパクト』!」

 

 ハリテヤマの『ねこだまし』は失敗に終わる。

 そして次の瞬間、ハリテヤマにケッキングが襲い掛かる。

 これまでのような体を浴びせるような攻撃ではない、肩口から相手に突き刺さるような攻撃。

 ケッキングとハリテヤマはそのまま地面と水平に吹き飛び、ようやく重力が思い出したようにハリテヤマを地面にたたきつける。

 

 見るからにすさまじい威力だった、思わず審判が、観衆が、その時対戦していたほかの選手も息をのむ。

 

 ハリテヤマの戦闘不能は明らかだった。

 

 

 

 

「そんな技術を、君はどこに隠してたんだ」

 

 ハリテヤマをボールに戻した副将は、タケダの右手を握りしめながら問うた。

 

「この技術があれば、昨日俺に勝ってたかもしれないじゃないか」

 

 答えぬタケダに、男は背筋を凍らせながら続ける。

 

「まさか、タケダさん。君は手を隠したのか、モーリがカザに勝つと確信し、今日のためにあの戦術を温存したのか」

 

 末恐ろしい、悪魔のような女だと思った。

 だが、タケダはそれに首を振る。

 

「いいえぇ、わたくしはしっかりと昨日も全力でしたぁ」

「じゃあ、あの戦術はいつ」

「今朝ですぅ」

 

 扇子で体を冷やしながら、タケダは何でもないことのように言った。

 

 一瞬、副将の男の思考が止まる。

 やっぱり、悪魔のような女だと思った。

 

「俺、あんたにふさわしい男じゃないかもしれない」

 

 副将の男はがっくりと肩を落としたが、タケダは手を振りながらそれに答えた。

 

「それを決めるのは、わたくしですからぁ」

 

 熱気のためだろうか、赤くなった頬を、扇子の風が冷ましていた。

 

 

 

 

 午前中の熱戦が一旦途切れ、スタジアムには昼休憩の穏やかな時間が流れていた。

 夏の太陽は容赦なく照りつけているが、ライモン高校の待機エリアとなっている観客席の一角は、屋根の影に入り、いくらか過ごしやすい。

 

 それでも、部員たちの間には、どことなく午前中の試合の緊張感が尾を引き、普段の昼休みのような和やかな雰囲気とは少し違っていた。

 誰もが口数は少なく、それぞれが自分の世界に入り込んでいるかのように静かだ。

 

 

 コウヌとオーアサは、そんな先輩たちの邪魔をしないようにと、待機エリアの隅の方で小さな声で会話を交わしていた。

 

「なあ、オーアサ。今日の先輩たち、なんか昨日と雰囲気違くねぇか?」

「そうですね、特にムラナカ先輩と、タケダ先輩も」

 

 オーアサが心配そうに眉を寄せる。昨日の団体戦優勝の喜びとは明らかに異なる、張り詰めた糸のようなものが、上級生たちの間に感じられた。

 

「まあ、無理もないさ」

 

 ふいに、二人の背後から声がかかった。サイトーだった。彼もまた、モーリたちの邪魔にならないように、そっと二年生たちの会話に加わる。

 

「三年生にとっては、これが最後の夏の大会だ。特にタケダとムラナカにとっては、今日がモーリと本気でポケモンバトルができる最後の日になるかもしれない。尤も、そこまでたどり着ければだが」

 

サイトーの言葉に、コウヌとオーアサは息を呑む。

 

「それに」と、彼女は言葉を続け、視線をモーリ、ムラナカ、タケダが集まっている方へと向けた。

 

「モーリっていう、とんでもなく高い目標がすぐ近くにいる。そりゃあ、燃えない方がおかしいだろう」

 

 その言葉には、彼らを見守ってきた顧問としての実感がこもっていた。だが、すぐにいつもの調子で付け加える。

 

「私は個人戦やったことないからなあ、少しうらやましくもある」

 

その時だった。

 

「あの」

 

 少し離れた場所で一人、パンをかじっていたセラが、不意に立ち上がった。

 彼はここまで一年生ながら危なげなく勝ち進んできている。その表情には、緊張よりもむしろ、ある種の自信と挑戦心が浮かんでいた。

 

 彼はまっすぐにモーリを見据えると、はっきりとした口調で言った。

 

「勝っても、いいんですよね?」

 

 その言葉は、静かな待機エリアに思いのほか大きく響いた。

 

「先輩にも、カザにも。俺、勝ちますよ」

「おい馬鹿、ダイちゃんお前!」

 

 コウヌが慌ててセラを止めようとするが、セラはモーリから視線を逸らさない。

 

 その挑戦的な言葉を受けたモーリは、しかし、表情を変えることなく静かにセラを見返した。そして、一拍置いてから、ふっと口元を緩める。

 

「ああ。遠慮はするなよ」

 

 その声は穏やかだったが、確かな力強さがあった。

 だって、自分もそうだったから。

 

 モーリのその言葉に、最初に反応したのはタケダだった。

 

「あら、セラさぁん。決勝の相手がモーリさんとは限りませぇん」

 

 扇子で優雅に口元を隠しながらも、その瞳は鋭くセラを射抜いていた。

 

 さらに、それまで黙って自分の世界に入り込んでいたムラナカも、ぴくりと肩を動かし、タケダの言葉に無言で、しかし力強く頷いた。その視線は、モーリと、そしてセラへと向けられている。

 

 その場の空気が、一瞬にして変わった。

 

 先輩たちの静かだが燃え盛るような闘志を目の当たりにして、コウヌとオーアサはゴクリと息を呑む。サイトーも、そしてスズモトもまた、彼らのその気迫に、思わず背筋が伸びるのを感じていた。

 

 午後の戦いは、さらに激しさを増すだろう。誰もが、それを予感していた。

 

 

 

 

 夏の太陽がスタジアムに容赦なく照りつけ、陽炎がフィールドの向こう側を揺らめかせる。

 個人戦も終盤に差し掛かり、勝ち残った者たちの間には、独特の緊張感が漂い始めていた。

 ライモン高校の待機エリアでは、スズモトが祈るように両手を組み、コウヌとオーアサも固唾を飲んでフィールドを見つめている。

 

 中規模スタジアム、第二コート。準々決勝。

 ライモン高校、モーリ、対、ライモン高校、タケダ。

 

「今日この日を、楽しみにしておりましたぁ」

 

 額に汗と鉢巻、口元を扇子で隠しながら、タケダは右手をモーリに差し出す。

 その言葉の真意をモーリが探ろうとするより先に続ける。

 

「あなたに助けていただいたあの日、ケッキングさんと出会えたあの日からずっと、わたくしはあなたを尊敬しておりましたぁ。あなたは立派な人間で、立派な男で、立派なトレーナーさんでしたぁ」

「そりゃあ、どうも」

 

 タケダの手のひらは、まるでマグマッグのように熱く感じられる。

 

「お母様は言っておりました。『尊敬は戦って越えろ』と」

 

 タケダが右手をほどく。

 

「どうかご覧になってくださいませ、これがわたくしたちの『おんがえし』ですぅ」

 

 

 

 

 対戦場中央。ケッキングとブニャットが睨み合って動かない。

 

 観客達はその光景にざわめき始めていた。ごろりと寝そべるケッキングはいつも通りだが、モーリとブニャットはこの日、否、この三年間、スピーディな展開で勝負を決めてきたはずだ。

 

 じり、じり、とブニャットはケッキングとの間合いを詰めつつ、それでいて重心は後ろ。いつでも距離をとれる体制を取る。

 明らかに戦局を持て余している。踏み込むべき間合いが見当たらない。

 

 ブニャットと同じく、モーリもまた、はっきりとした指示を出せないでいた。

 

 先ほどの試合、タケダとリオー高校の副将が見せた試合が頭にちらついている。

 あの試合、タケダは明らかにケッキングの『なまけ』と『やるき』のタイミングをコントロールしているように見えた。

 到底聞いたことのない技術ではあるが、それは仕方のないことだろう。おおよそ彼の耳に届く範囲、ポケモンリーグの実戦例において、ケッキングというポケモンを真面目に攻略しようとした記録はない。

 ホウエン地方のジムリーダーが使用している記録はあるが、それも挑戦者の技量を試すためのものに過ぎないからだ。

 

 なんか変な技術使ってる。

 それ以上に形容しようがない。

 故に、安易に攻め込めない。

 

 怖いのは『ちょうはつ』を打たれて単純なフィジカルの勝負に持ち込まれること。そうなればブニャットがケッキングに叶うはずもなく『なまけ』の差を持ったとしてもきついだろう。

 

 先に『ちょうはつ』を打てばいいかもしれないが、それに合わせて『ギガインパクト』を放たれれば勝負は一気に決まるだろう。

 先ほどの試合で見せた『アンコール』も怖い、安易な補助技や『ねこだまし』は打てない。

『まもる』もあるが、果たしてあの巨体の『ギガインパクト』を防げるのかというと疑問だ。

 

 悩んでいる間に時間は過ぎていく、あわよくばケッキングの集中が切れてくれればとそれを願うが、寝ぼけながらもこちらをじっと見つめるケッキングの目からはその様子はない。

 

『要するに『人間力』が高えってことだよ』

 

 タケダをそう評したカザの言葉が、今になってすっと胸に落ちる。

 

 その時だ、ピクリと、ケッキングが動いた。

 

「『みがわり』」

 

 攻撃を読んだモーリが指示を飛ばす。

 

 ブニャットがサイドにステップしながら『みがわり』を作り出す。

 これで攻撃をしのぎ『なまけ』のターンで戦略をと彼は考えた。

 しかし、立ち上がったケッキングが振り上げた手には鋭く、美しく彩られた爪があった。

 

「『みだれひっかき』!」

 

 それは、彼女らが考えに考え抜いた末の対策。

 

 振り下ろされた右手がまずは『みがわり』を、そして、巨体に似合わぬ素早さで振りぬかれた左手がブニャットを襲った。

 まるで木の葉のように舞うブニャットは、何とか空中で姿勢を整えて着地する。

 だが、体毛がえぐれた跡が痛々しい。

 

「『いかりのまえば』!」

 

 二発で『なまけ』て地面にごろりと寝そべるケッキングに、ブニャットとびかかり前歯を突き立てる。

 どれほどのダメージがあるのだろうか、ケッキングはわずかな動きでブニャットを振り払うのみ。

 だが、タケダは扇子をブニャットに向けて叫ぶ。

 

「はっきよい!」

 

 ケッキングが前傾姿勢を取る。

 

 体力は削っている、だが、次の一撃で決めきれるかはわからない。

 モーリの脳裏に、選択肢が浮かぶ。

『まもる』で『みだれひっかき』などの小規模な攻撃を防ぐ。だが、もし『ギガインパクト』を選択されれば、ブニャットがこのスタジアムの外まで吹き飛びかねない。

『ちょうはつ』で相手の『ちょうはつ』や『アンコール』を封じ、フィジカルの勝負を避ける。

 

 そして、もういくつか、と考えを巡らせたところで、ケッキングが右の拳を地面についた。

 

「『ギガインパクト』!」

 

 ブニャットに向かってケッキングが突っ込む。

 その分厚い胸板で押しつぶすようにブニャットにぶちかました。

 質量の差がありすぎる、もはや肉がぶつかる音すらない。

 

 吹き飛ばされたブニャットは、しかし、四肢を地面に突き立てるようにして吹き飛ぶのを『こらえる』

 わずかに、モーリの指示が早く、そして的確だった。

 

「『じたばた』!」

 

 ブニャットが最後の力を振り絞ってケッキングに突っ込む。

 それを眺め、ケッキングは両手を広げて迎撃の姿勢を取った『なまけ』ずに。

 

 ブニャットの渾身の『じたばた』が、ケッキングの巨体に突き刺さる。

 鳩尾を的確に捉えたその一撃は、ケッキングの屈強な肉体をもってしても、無視できないダメージを与えていた。

 観客席が息をのむ。タケダが扇子を握りしめる手に、汗が滲んだ。

 

 ケッキングは、ブニャットの捨て身の攻撃を受け止めながらも、まだ倒れない。その目には、まだわずかに闘志が見えたような気がした。

 彼は、一度だけちらりとタケダに振り返り、そして、意識を手放した。

 

 その巨体がぐらりと揺れ、膝がわずかに折れ曲がる。

 地響きにも似た音を立てて、ついにケッキングはその場に崩れ落ちた。巨体がフィールドに横たわり、もう動かない。

 

 スタジアムが一瞬の静寂に包まれた後、審判の鋭い声が響き渡った。

 

 

 

 

 モーリは激しく消耗したブニャットをボールに戻すと、ゆっくりと対戦場の中央へと歩み寄った。

 タケダもまた、フィールドに横たわるケッキングを労わるようにボールに戻し、モーリと対戦場中央で向き合う。

 その額には汗が光り、肩はわずかに上下していたが、その表情は不思議と晴れやかだった。

 

「モーリさん」

 

 タケダが先に口を開き、深々と頭を下げた。その声には、悔しさよりも感謝の念が込められている。

 

「本日は、ありがとうございました。そして、これまで、本当にありがとうございました」

 

 顔を上げた彼女の瞳は潤んでいたが、その奥には確かな光が宿っていた。

 

「わたくし、いつの間にか、ポケモンを持っていなかった日のことが遠くのことのように思えていますぅ。そして、あの時、あなたがあのドラゴンからわたくし達を守ってくれなければ、わたくしがこうしてポケモンバトル部にいて、ケッキングさんと出会い、この舞台に立つこともありませんでした」

 

 タケダの言葉は、訥々としていたが、一言一言に実感がこもっている。

 

「そして、入部してからも、右も左もわからなかったわたくしに、バトルの基本から、ケッキングさんとの向き合い方まで、本当にたくさんのことを教えてくださいました。今日のこの試合も、あなたがここまで導いてくださったおかげです。心から、感謝しておりますぅ」

 

 言い終えると、タケダは再び深く頭を下げた。その姿からは、モーリに対する純粋な尊敬と感謝の気持ちが痛いほど伝わってくる。

 

 モーリは、その言葉を静かに受け止めていた。タケダの真摯な想いが、彼の胸にもじんわりと広がっていく。彼はゆっくりと手を差し出した。

 

「顔を上げてください、タケダさん」

 

 タケダが顔を上げると、モーリは穏やかな、しかし真剣な眼差しで彼女を見つめた。

 

「俺の方こそ、ありがとう。今日のタケダさんとケッキングさんは、本当に強かった」

 

 その言葉に嘘はなかった。今日のタケダの戦いぶりは、モーリの予想を遥かに超えていた。

 

「正直、驚いたよ。この三年間で、タケダさんがここまで強くなるとは思っていなかった。ケッキングとのコンビネーションも、おそらく、誰も見たことがないような新しい段階に踏み込みつつあると思う」

 

 モーリは一度言葉を切り、タケダの瞳を真っ直ぐに見据えて続けた。

 

「それは、タケダのポケモンへの愛情と、諦めない心の強さがあったからだと思う。俺は、トレーナーとして、そして一人の人間として、タケダさんのその強さに敬意を表する」

 

 タケダの瞳から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。しかし、彼女はそれを拭おうとはせず、むしろ誇らしげに微笑んだ。

 

「もったいない、お言葉ですぅ」

 

 モーリもまた、軽く微笑んでタケダの手を握り返した。その手のひらからは、タケダのバトルの熱と、そして彼女の感謝の気持ちが確かに伝わってきた。

 

 

 

 

 夏の太陽は対戦場を真上から照りつけ、観客席の一角、リオー高校の待機エリアにもその熱気がじりじりと伝わってくる。

 準々決勝がすべて終了し、短い休憩時間が設けられていたが、エリア全体には試合の疲労感と、予想外の苦戦に対する焦りが混じった重苦しい沈黙が漂っていた。

 選手たちは口数少なく、うつむき加減でスポーツドリンクを喉に流し込んだり、タオルで滴る汗を拭ったりしている。

 床には飲みかけのペットボトルや、汗で濡れたタオルが力なく散らばっていた。

 

 ベスト四の組み合わせはライモン高校からモーリ、ムラナカ、セラ、そしてリオー高校からはカザただ一人。

 その現実は、前年度団体戦優勝校としての彼らのプライドを静かに、しかし確実に揺さぶっていた。

 特に、団体戦レギュラーでもあった三年生が、ライモンの一年生であるセラに準々決勝で敗れたという事実は、チーム内に大きな衝撃と動揺を広げている。

 その三年生は、今はベンチの隅で一人肩を落とし、誰とも目を合わせようとせず、唇を固く噛み締めていた。

 

 カザは、そんなチームの空気を背中で感じながら、腕を組み、一人静かにフィールドの向こう側を見つめていた。その鋭い視線の先には、ライモン高校が控える観客席の一角があった。

 

「カザ」

 

 声をかけてきたのは、団体戦のレギュラーでこそないが、カザと同学年の男だった。

 彼の険しい表情には、隠しきれない焦りの色が浮かんでいる。トーナメント表のコピーを握りしめたその手が、小さく震えていた。

 

「あのライモンの一年、セラってやつ、見てたか?」

 

 カザは、フィールドから視線を動かさずに、静かに頷いた。

 

「見てたさ、それ以外試合がなかった」

 

 その声には、いつものような軽口や挑発の色はなく、ただ事実を認めるかのような淡々とした響きがあった。

 

「あいつ、ホウエンでジムバッジ五つ持ってるって話だ。俺はお前を信じてるけど、何でライモンばっかり」

 

 チームメイトの声は、不安に揺れていた。

 カザは、その言葉に初めてゆっくりとチームメイトの方を向き、ふっと鼻で笑う。

 

「バッジってのは数を誇るもんじゃねえんだ。そんなこともまだ分かんねえのか、お前は」

 

 表面上はいつもの彼らしいぶっきらぼうな物言い。しかし、その瞳の奥には油断も慢心もなく、セラというトレーナーの実力を冷静に見極めている真剣な光が宿っていた。

 

「だがまあ、ウチの一年を転がすような楽な試合にはならねえだろう」

 

 チームメイトは、カザのその言葉と表情から、彼が既にセラとの戦いを見据え、全神経を集中させていることを感じ取り、ゴクリと息を呑んだ。

 カザの周りの空気だけが、妙に張り詰めているように感じられる。

 彼はカザの隣から去った。

 

 その時、ヤマサキが静かな足取りでカザの隣に立った。彼もまた、フィールドに鋭い視線を向けたまま、重々しく口を開く。

 

「空気が重いな、うちの連中は。少し浮足立っているようだ」

 

 カザは肩をすくめ、短く応じた。

 

「まあ、結果が結果だからな。ライモンが三人も残ってる」

 

 その言葉には、わずかな苛立ちと、それでも現状を受け入れようとする響きがあった。

 

「なあ、あんたあいつらをもっと強くしてやることはできなかったのかよ」

 

 その言葉は、確かに、確実にヤマサキを責めるものだった。

 だが、彼はそれに不満を覚えることはなかった。それは、カザの立場からすれば当然の疑問だっただろうから。

 

「弱かったか? あいつらは」

「いいや、少なくとも、見違えるように強くはなってたよ」

 

 彼はメンバーたちを眺めて続ける。

 

「すまねえ監督、言い過ぎた」

「いや、構わん。お前たちの言いたいこともわかるし、正直、自分の実力不足も感じているよ」

 

 ヤマサキはふっと息を吐き、諭すように、しかしその声には確かな厳しさを込めて言った。

 

「一年を相手に油断だけはするなよ」

 

 カザは、その言葉に黙って頷いた。そして、どこか挑戦的な、しかし確かな覚悟を秘めた光を目に宿してヤマサキを見返す。

 

「歳で強さが決まるわけじゃねえ。『俺達』がその証明だ。やることは変わらねえ、俺は、あいつを叩き潰すだけだ」

 

 その声には、揺るぎない決意があった。

 

 ヤマサキは、カザのその言葉と眼差しに満足そうに頷く。彼の目に油断の色はなく、むしろ準決勝、そしてその先の決勝への闘志が静かに、しかし力強く燃え上がっていることを確認した。

 

 カザは再び対戦場に視線を戻し、自分たちが戦うであろう場所を睨みつけるように見つめる。

 その広い背中からは、リオー高校のエースとしての、そして一人の強者としての矜持が、夏の陽炎のように揺らめきながら立ち昇っていた。

 

 

 

 

 夏の陽射しは依然として強く、観客席の影の中でもじっとりとした暑さが肌にまとわりつく。

 準決勝を前に、勝ち残ったモーリ、ムラナカ、そしてセラの三人は、それぞれのやり方で静かに集中力を高めていた。

 他の部員たちも、彼らの邪魔をしないように、言葉少なに見守っている。

 

 スズモトがクーラーボックスから取り出した冷たいスポーツドリンクを、そっと三人に手渡していく。

 

 一人ひとりの名前を小さく呼びながらボトルを差し出す彼女の声には、祈るような響きがあった。

 三人はそれぞれ無言で受け取り、軽く頷くだけ。

 ボトルを握る手に汗が滲む。会話は、ほとんどなかった。ただ、互いの緊張感だけが、静かに伝播していく。

 

 やがて、スタジアムに準決勝開始を告げるアナウンスが流れ始めた。

 

 最初に、セラがゆっくりと立ち上がった。表情は硬く、その瞳にはカザという強大な壁に挑む覚悟と、それに勝利しようとしている自身を奮い立たせる自信が宿っている。

 彼は誰に言うでもなく、一度だけ短く息を吐くと、フィールドへと続く通路へ向かって歩き出した。

 

 そのセラの背中を見送る間もなく、ムラナカもまた、音もなく立ち上がった。

 彼は視線をゆっくりとモーリ本人へと移す。言葉はない。だが、その鋭い眼光が、これまでの全てをぶつけるという強い意志を物語っていた。

 

 モーリもまた、無言で立ち上がる。ムラナカと視線がぶつかり合う。火花が散るような、濃密な時間が流れた。

 

 三人がそれぞれの戦いの場へと向かおうとした、その瞬間。

 

 それまで固唾を飲んで見守っていたタケダが、まるで堪えきれなくなったように、両手をメガホンのように口元に当て、声を張り上げた。

 

「皆様! がんばってくださぁい!」

 

 その声は、緊張に満ちた待機エリアの空気を震わせる、他の部員たちの胸にも熱いものを灯した。

 

 セラはそれに苦笑いし、ムラナカは力強く頷き、モーリは微かに口元を緩めた。

 

 そして三人は、それぞれの決意を胸に、準決勝のフィールドへと足を踏み出していった。




次回は7/24 8:01に投稿予定です

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