『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

51 / 65
43-夏の終わりに、僕らが選んだ強さ ②

 対戦場に、まずセラが姿を現した。一年生ながら準決勝まで駒を進めてきた彼の表情には、緊張と高揚が入り混じっている。

 反対側からは、リオー高校のエース、カザが悠然と歩いてくる。その金色の髪が夏の陽光を反射し、観客席から小さな歓声が上がった。

 

 中央で、二人は向き合う。

 高校生離れした体格のカザと、まだ体のラインに幼さを残しているセラのコントラストは、これからポケモンバトルが始まるのだという情報がなければ、異様な光景に見えただろう。

 

 審判が握手を促すと、カザは、少し顎を上げ、挑戦的な笑みを浮かべながら、しっかりと右手を差し出した。その堂々とした態度は、王者の風格すら感じさせる。

 

 対するセラは、その手を一瞥すると、どこか事務的に、形だけといった風に軽く握り返した。その指先は冷たく、カザとの間には明確な壁があることを示しているようだった。

 

「生意気そうな面だな」

 

 カザが、握手を交わしたまま、セラの顔を覗き込むようにして言った。その声には、面白がるような響きと、わずかながら相手の実力を探るような鋭さが混じっている。

 

 セラは、その視線を真っ直ぐに受け止め、表情を変えずに答えた。

 

「そうじゃなきゃ、ここまで来れないでしょ」

 

 言葉は短いが、その声には確かな自信と、カザに対する物怖じしない気概が感じられた。

 

 その言葉に、カザはふっと鼻を鳴らす。

 

「言うねえ。怖いものなしって感じだ。そのまま、モーリにも勝つつもりか?」

 カザの問いは、セラの真意を探るような、あるいは彼の闘志を試すような響きを持っている。

 

 セラは一瞬もためらわずに、しかし静かに、力強く答える。

 

「もちろん。あなたにも」

 

 その言葉には、カザだけでなく、トーナメントの頂点に立つであろうモーリへの明確な挑戦の意志が込められている。

 

 カザは、その答えに満足したように、あるいはその生意気さを気に入ったように、口の端を上げて笑った。

 

「そりゃあ、大変だぜぇ」

 

 その声は、どこか楽しんでいるようでもあり、同時に、これから始まる戦いの厳しさを予感させるものでもあった。

 

 二人は握手を解き、互いに鋭い視線を交わしたまま、ゆっくりとそれぞれのポジションへと離れていく。

 

 

 

 

 審判の腕が振り下ろされ、試合開始の合図がフィールドに響く。

 

 観客席のざわめきが一瞬遠のき、フィールド上の二人のトレーナーと二匹のポケモンに全ての視線が注がれる。

 

 セラは、カザが『つるぎのまい』や『こわいかお』といった技を撃ち、フィジカルに干渉してくることを警戒していた。

 ならば、先手を取る。クロバットの最大の武器であるその素早さを生かし、相手の行動を封じる一手。

 

「『ちょうはつ』!」

「『クラブハンマー』!」

 

 セラの声と同時に、クロバットがフィールドを疾駆する。

 カザは動じない。セラの狙いなどお見通しとばかりに、あるいはそんな小細工は意に介さないとばかりに、力強い声が重なっている。

 

 セラの『ちょうはつ』は、攻撃技を選択したシザリガーには意味をなさない。

 クロバットがシザリガーの懐に飛び込むよりも早く、赤黒い巨大なハサミが振り下ろされ、クロバットの華奢な体を強かに打ち据えた。

 

 クロバットが悲鳴を上げ、フィールドの端まで弾き飛ばされる。砂埃が舞い、一瞬その姿が見えなくなる。

 

 セラは自身の読みが外れたことに一瞬動揺したが、それはカザの単純さの証明だと気を張った。

 『ちょうはつ』が不発に終わる可能性は、想定の内だ。即座にプランBへと移行する。

 

「『きゅうけつ』!」

 

 体勢を立て直したクロバットが、再びシザリガーに向かって飛翔する。狙うは一転、接近戦。

 あくタイプの弱点であるむしタイプの技でありながら、同時に体力を吸収し、失ったアドバンテージを取り戻すための一手。

 

 シザリガーの硬い甲殻の隙間、わずかに覗く柔らかい部分にクロバットの牙が突き立てられる。シザリガーが苦悶の声を漏らし、その巨体がわずかに揺らぐ。

 

 手応えはあった。クロバットがシザリガーから離れ、再び距離を取る。セラも、クロバットも、ここからが本当の勝負だと気を引き締めた。

 

 次の瞬間、カザの鋭い声がフィールドに轟いた。

 

「『ハサミギロチン』!」

 

 その言葉に、セラとクロバットの動きが一瞬止まる。

 どうして、その選択ができる。

 

 シザリガーは、主のその指示を疑うことなく、その巨大なハサミを素早く、しかし確実に振り上げた。

 

 油断があったのだろうか。クロバットが回避行動を取るよりも早く、振り上げられたハサミがその体を強かに捉える。

 

 一撃必殺。抵抗の術はなく、クロバットはその場に崩れ落ちた。

 

 フィールドに静寂が戻る。勝負は、あまりにもあっけなく、そして残酷に決した。

 

 

 

 

 セラは唇を噛みしめ、ゆっくりとクロバットをボールに戻した。その指先が微かに震えている。

 

 カザはシザリガーを労うように軽くその巨体を叩くと、ボールに戻し、セラの元へと歩み寄った。その表情は、勝利の余韻に浸るでもなく、どこか飄々としている。

 

「まあ、悪くはなかったんじゃないか?」

 

 カザが、対戦場の中央で立ち尽くすセラに、軽い口調で声をかけた。そして、右手を差し出す。

 セラは、その差し出された手を一瞬見つめ、わずかに躊躇いながらも握り返した。先ほどの握手とは違い、カザというトレーナーに対して、得体の知れない畏怖の念を感じていた。

 

 その手のひらは、熱かった。

 

「『ハサミギロチン』ですか」

 

 セラの声は、かろうじて絞り出したような、かすれた響きだ。

 

「いい選択だったろ?」

 

 カザは悪びれる様子もなく、肩をすくめる。

 セラは納得できないといった風に首を横に振って答える。

 

「どうして、撃てたんですか。あなたは、モーリ先輩と戦いたかったんじゃないんですか。だったら、確実に、安全に決勝に行きたかったはずでしょう。あんな、運任せの戦略を、どうして」

 

 セラの言葉には、納得できないという感情と、カザの戦術への疑問が滲んでいた。彼にとって、一撃必殺の技は、追い詰められた者の取るべき最後の手段、あるいは格下の相手に遊ぶための手段だと思っていたのだ。

 当然、自分が格下だとは思っていない。

 

 カザは、セラのその問いに、ふっと息を吐くように笑った。

 

「お前さん、強そうだったからなあ。それに、俺はあんまりお行儀のいい方じゃないのさ」

 

 その言葉の真意を、セラはまだ完全には理解できなかった。

 ただ、カザという男が、自分の理解を超えた場所にいることだけは漠然と感じ取れる。

 理屈やセオリーだけでは測れない、何か得体の知れない力。それは、モーリの強さとはまた質の違う、背筋が震えるような感覚だった。

 

 強いのはモーリだろう。

 だが、モーリから、このような底知れなさを感じたことはない。

 

 セラは、握りしめた拳に力を込める。

 

「次は、負けません」

 

 その言葉に、カザは面白そうに目を細めた。

 

「あぁ。次があるといいなあ」

 

 そう言い残し、カザはセラに背を向け、リオー高校の待機エリアへと悠然と戻っていく。セラは、その広い背中を、悔しさと新たな決意を胸に、いつまでも見つめていた。

 

 

 

 

 カザがリオー高校の待機エリアに戻ると、数人のチームメイトが駆け寄り、彼の肩を叩いた。

 

「おめでとう、インターハイ内定だな」

 

 口々に祝福の言葉が飛び交うが、カザはそれらに軽く手を上げて応えるだけで、表情は険しいままだった。

 

 エリア全体の空気は、依然として重い。

 カザが準決勝でセラに勝利したとはいえ、ベスト四にリオーから残ったのはカザ一人。その事実が、選手たちの心に影を落としていた。特に三年生たちは、自分たちの代で結果を残せていないことへの焦りや不甲斐なさを隠せないでいた。

 

 カザは、そんなチームメイトたち、うつむき加減の三年生たちや自信を失っている二年生を見回すと、低い声で、しかし強い口調で言った。

 

「おめえら、いつまでボケっとしてんだ」

 

 その言葉に、数人の選手がハッとしたように顔を上げる。

 

「あのライモンの様子見ただろ。あいつら、来年も、いや、当分強えぞ。俺たちみてえにバトルばっかしてるわけでもねえのに、だ」

 

 カザの視線が一人ひとりを射抜くように動く。

 

「俺たちはバトルしか取り柄がねえんだ。だったら、こんなところでションボリしてる暇はねえだろうが。二年はもっと気張れよ。悔しかったら、死ぬ気で強くなるしかねえんだよ。三年もいつまでも落ち込んでんじゃねえよ、今日分かったことを後輩達に伝えてやれよ」

 

 彼の言葉には、普段の軽薄さとは違う、真剣な熱が込められていた。それは、チームを鼓舞するリーダーとしての言葉であり、同時に、彼自身の不甲斐なさに対する苛立ちの表れでもあったのかもしれない。

 

 その様子を、少し離れた場所からヤマサキが静かに見守っていた。

 荒っぽいが、その奥にあるチームへの想いと、勝利への渇望を、ヤマサキは確かに感じ取っていた。

 

 

 

 

 カザとセラの激闘の余韻がまだスタジアムにかすかに残る中、フィールド中央に、モーリとムラナカが静かに歩みを進めた。

 夏の陽射しが二人を真正面から照らしつけ、その影がフィールドにくっきりと長く伸びている。

 ライモン高校の待機エリアでは、スズモトたちが固唾を飲んでその姿を見守っていた。サイトーも腕を組み、静かにその対峙を見つめている。

 

 モーリは、対面に立つムラナカの姿に、ふと「なんだか、涼しそうだな」という意外な印象を抱いた。

 いつもより口数が少なく、どこか張り詰めた雰囲気で個人戦に臨んでいた朝とは違い、今のムラナカには余計な力みが感じられない。むしろ、その佇まいは湖面のようで、澄み切った静けさが漂っていた。それは嵐の前の静けさのようでもあり、あるいは、全てを受け入れ、覚悟を決めた者の穏やかさのようでもあった。

 

 そのムラナカが、穏やかな、しかしどこか決意を秘めた声で口を開いた。

 

「多分、これが最後になるんだろうね」

 

 モーリはその言葉の真意を測りかね、訝しげに聞き返す。

 

「最後?」

 

 ムラナカは静かに頷いた。その瞳は、真っ直ぐにモーリを捉えている。

 

「ああ。君と僕が、本気で戦う、最後の機会だ」

 

 モーリは眉をひそめた。

 

「何言ってんだ。バトルなら、いつでも」

 

 ムラナカはモーリの言葉を遮るように、静かに首を横に振った。

 

「そうじゃない。ただの練習や、気晴らしや、思い出を懐かしむようなバトルじゃない。こうして、お互いの全てをぶつけ合って、何かを掴み取ろうとする戦いは、きっとこれが最後になる」

 

 その言葉と、彼の澄んだ瞳の奥にある揺るぎない決意に、モーリはハッとする。これが、ムラナカがこの個人戦に懸けてきた想いの正体なのだと。そして、彼が自分とのこの対戦を渇望していた理由を、ようやく理解した。

 

「ああ、そうか。そうだな、そうだ」

 

 言葉を探すように、しかし確信を持ってモーリが頷くと、ムラナカの口元に微かな、本当に微かな笑みが浮かんだ。

 

「一年生の時、初めて君と手合わせした時のことを覚えてるか。 あの時からずっと、僕は君の背中を追いかけてきた。君は僕の憧れで、導き手で、守護者でもあった。だけど、今日は、君を越えたい。トレーナーとして、この場所で」

 

 その言葉には、長年抱いてきたモーリへの敬意と、それを乗り越えようとする強い意志が、静かに、しかし熱く込められていた。

 

 モーリは、ムラナカをじっと見上げて、答える。

 

「やってみろよ」

 

 モーリとムラナカが、静かに右手を差し出し、フィールドの中央で固く握り合った。

 

 互いの手のひらから伝わる温度は、特に熱くも冷たくもない、普段と変わらないもの。

 お互いが、そう思っている。

 しかし、その握られた手の強さ、そして交わされる視線には、言葉以上の想いが、確かに込められていた。

 

 握手を解き、二人はゆっくりとそれぞれのポジションへと離れていく。フィールドに、静かで熱い闘志が満ちていく。夏の太陽が、二人の戦いの始まりを告げるかのように、より一層強く照りつけていた。

 

 

 

 

 試合開始の合図がフィールドに響いた。

 

 モーリはブニャットを繰り出す。その黒曜石のような瞳が、静かにムラナカと、その隣に立つエビワラーを捉えた。

 

 対するムラナカのエビワラーもまた、これまでのどの試合よりも鋭く、研ぎ澄まされた構えでブニャットを見据えている。

 

 フィールドには、夏の陽射しと、観客の息をのむ音だけが満ちていた。

 

 両者は動かない。

 

 ブニャットは低く身構え、エビワラーは軽快なフットワークを刻みながらも、互いに不用意な一歩を踏み出さない。

 

 モーリの脳裏には、エビワラーの『はやてがえし』の鋭さが焼き付いていた。ブニャットの俊敏性を活かした奇襲が、逆に致命的な一撃を誘発する可能性。その思考が、モーリの指示を慎重にさせる。

 

 ムラナカもまた、ブニャットの『ねこだまし』そして『みがわり』や『ちょうはつ』といった補助技を深く警戒していた。

 これまでの対戦で何度も苦しめられたパターン。同じ轍は踏まないという強い意志が、その構えに滲んでいる。

 

 じりじりと、しかし確実に互いの間合いが詰まっていく。ミリ単位での読み合い。観客席の仲間たちも、その異様なまでの静寂と緊張感に言葉を失っていた。

 

 膠着状態を破るため、モーリは思考を巡らせる。

 

 ブニャットの物理攻撃の主力技である『じゃれつく』で一気にダメージを奪いたい。しかし、ムラナカがそれを読んでエビワラーに『カウンター』を指示する可能性が脳裏をよぎり、踏み切れない。

 

 ムラナカは物理攻撃を警戒している。なら、その裏をかく。

 

「『ハイパーボイス』」

 

 モーリの声がフィールドに響く。ブニャットが大きく息を吸い込み、衝撃波を伴う大音声をエビワラーに向けて放った。

 

 特殊技である『ハイパーボイス』にはカウンターのショートパンチは届かない。

 これまでムラナカ達には見せたことのない、文字通りの裏芸だ。

 

 不意を突かれたエビワラーが、苦悶の表情を浮かべ、大きく後退した。ムラナカの表情にも一瞬動揺が走るが、すぐに冷静さを取り戻す。

 

「『こころのめ』!」

 

 大きなダメージを受けたエビワラーだが、ムラナカはよどみなく指示を出す。エビワラーが精神を集中させ、次の攻撃を必中させるための準備に入る。その瞳が鋭くブニャットを捉えた。

 

「『まもる』」

 

 ブニャットが後ろ足に力を入れ、防御態勢を取った。

 当然『とびひざげり』を警戒している。

 

 しかし、ムラナカはそれすらも読んでいた。彼の狙いは、『まもる』を使わせた後の硬直、あるいは『まもる』が解けた瞬間。

 

「『こうそくいどう』!」

 

 ムラナカの声が鋭く飛ぶ。エビワラーは『とびひざげり』を繰り出すことなく、驚異的なフットワークでフィールドを駆け、ブニャットの死角へと回り込もうとする。

 

 ブニャットは、反応が遅れた。

 

「『とびひざげり』!」

 

 そして、ついにエビワラーがブニャットの背後に回り込み、必殺の『とびひざげり』を繰り出す。その膝が、ブニャットの巨体を捉えようと迫る。

 

 その瞬間、モーリの口から、冷静な、しかし確信に満ちた指示が飛んだ。

 

「『でんこうせっか』!」

 

 ブニャットが、エビワラーの『とびひざげり』が到達するよりもほんのわずかに早く、電光石火の速さでエビワラーの懐に飛び込み、前足でのショート猫パンチをエビワラーのあごに叩き込む。

『とびひざげり』の体勢に入っていたエビワラーは、その不意の一撃に体勢を崩し、技を繰り出すことなくフィールドに倒れ込む。その瞳からは、信じられないといった光が消えていく。

 

 戦闘不能は明らかだった。

 

 

 

 

 静まり返ったフィールドに、審判の声が、夏の終わりの夕暮れのように、どこか寂しさを伴って響き渡った。

 

 やがて、ムラナカがエビワラーをボールに戻し、ゆっくりとモーリの方へ顔を向けた。その表情には、悔しさと、しかしそれ以上に何か吹っ切れたような清々しさがあった。

 彼は汗を袖で拭うと、モーリに向かって静かに右手を差し出す。

 

「流石だね、モーリ。最後の連携は正直、自信あったんだけどなあ」

 

 その言葉には何のてらいもなかった。

 ムラナカの言う最後の連携とは、エビワラーの『こころのめ』をあえて見せ球にし、相手が『とびひざげり』を警戒して防御行動を取ることを誘い、その隙に『こうそくいどう』で意表を突き速度を上げ、必殺の『とびひざげり』を叩き込む。

 彼がこのモーリとの対戦のために温めてきた秘策だった。これまでの練習試合や公式戦でも、モーリたちには一度も見せたことのない、まさに切り札と呼ぶべき連携だった。

 

 モーリは、ムラナカの言葉を静かに受け止め、彼の瞳を真っ直ぐに見返す。

 

「よく練られた戦略だったと思う。もし俺達が一年生の時に初めて戦っていたなら、間違いなく引っかかってた」

 

 モーリは一度言葉を切り、そして確信を込めて続ける。

 

「だけど、警戒したんだ。今のムラナカなら、ただ『こころのめ』からの『とびひざげり』だけで終わるはずがない。きっと、あの頃よりずっと強くなってると思ったから」

 

 モーリのその言葉に、ムラナカは大きく息を吐いた。その表情には、驚きと、そしてこみ上げてくる感情を抑えきれないような複雑な色が浮かぶ。

 

「そうか。そっか」

 

 彼は一度うつむき、再び顔を上げた時、その目には涙が滲んでいた。しかし、それは悲しみだけの色ではない。

「嬉しいよ。そう言ってもらえると、本当に、嬉しい。そして、ちゃんと、悔しい。心の底から、悔しいよ」

 

 その言葉には、モーリに認められたことへの喜びと、それでも勝てなかったことへの純粋な悔しさ、そして全力を出し切った者だけが感じられる清々しさが込められていた。

 

 モーリもまた、ムラナカのその言葉を受け止め、静かに頷き、その手を強く握り返した。二人の間には、勝敗を超えた確かな絆と、互いへの深い敬意が流れている。

 

 観客席の仲間たちが、その光景を感動と共に見守っていた。誰かが小さく拍手を始めると、それはやがてスタジアム全体へと広がっていった。

 

 

 

 

 モーリとムラナカがライモン高校の待機エリアに戻ってくると、仲間たちの視線が一斉に彼らに注がれた。

 それは称賛の色を帯びていたが、同時に、先ほどまで熱戦を繰り広げたムラナカへの気遣いも含まれており、エリアには少し複雑な空気が漂っていた。

 皆、言葉を選ぶように口を噤んでいる。

 

 その沈黙を破ったのは、ムラナカ自身だった。

 

 まだ汗の引かない顔で、しかしその表情はどこか吹っ切れたように晴れやかだ。彼はモーリの前に進み出て、言葉を出す。

 

「モーリ、決勝進出、おめでとう」

 

 その声は静かだったが、偽りのない祝福の響きが確かにあった。

 ムラナカのその一言で、待機エリアの空気がふっと和らぎ、他の部員たちも堰を切ったようにモーリに駆け寄る。

 

「モーリ、改めて、インターハイ出場内定、そして決勝進出おめでとう! 本当によくやった!」

 

 サイトーが、やや興奮した面持ちでモーリの肩を力強く叩く。

 

「おめでとうございます!」

「モーリ先輩、決勝も頑張ってください!」

 

 コウヌやオーアサ、セラたち一年生も口々に祝福と激励の言葉をかける。彼らの目には、憧れと尊敬の色が強く浮かんでいる。

 

 タケダもそれに続く。

 

「モーリさん、この地方の代表として、そしてわたくしたちライモン高校の誇りとして、全国の舞台でもその力を見せつけてくださいまし! まずはこの決勝、必ず勝利ですわ!」

 

 スズモトが、モーリの隣にそっと立ち、彼の瞳をまっすぐに見つめる。

 

「モーリくんなら、大丈夫。私たちは、いつでもモーリくんを信じてるから。……ムラナカくんの想いも、きっと力になるよ」

 

 その声は静かだが、揺るぎない信頼と、仲間への深い愛情が込められていた。

 モーリは、仲間たちの言葉と視線を一つ一つ受け止め、静かに、しかし力強く頷く。

 

「ああ。行ってくる」

 

 その短い言葉には、感謝と、決勝への決意が凝縮されていた。ムラナカもまた、そのモーリの姿を静かに見守り、小さく頷いた。

 

 

 

 

 一方、スタジアムの反対側、リオー高校の待機エリアは、ライモンとは対照的な空気に包まれていた。

 団体戦での敗北、そして個人戦でもカザ以外のメンバーが決勝に進めなかったことへの悔しさが色濃く漂う。

 部員たちの間には、ある種の悲壮感と、それでもエースであるカザへの最後の望みを託すような、切実な期待感が満ちていた。

 

 カザが一人、静かに集中力を高めている。その周りを、リオー高校のチームメイトたちが囲むようにして集まっていた。

 

 チームメイトの一人、カザと同学年で、彼のことをよく理解している男が、カザの肩に力強く手を置いた。

 

「カザ、頼むぞ! 俺たちの分まで、あのライモンの七つ野郎を倒してくれ!」

 

 他の部員たちも続く。

 

「お前ならやれる!」

「リオーの強さを見せてやれ!」

「カザさん、信じてます!」

 

 彼らの声には、これまでのカザの圧倒的な戦いぶりを見てきたからこその、純粋な信頼と、最後の望みを託すような切実な期待が込められていた。

 それは、時にチーム内で孤立することもあったカザが、この三年間で、彼なりに築き上げてきた仲間たちとの絆の証でもあった。

 

 彼は、仲間たちの声にゆっくりと顔を上げる。

 その表情には、いつもの不敵な笑みはなく、むしろ静かで真摯な、そして全てを背負う覚悟を決めたような決意が浮かんでいる。

 彼は多くを語らず、ただ力強く頷き、シザリガーのモンスターボールを強く握りしめた。

 ヤマサキが、その様子を少し離れた場所から見守っている。彼の表情は厳しくも、どこか温かい。カザの成長と、チームの変化を、彼は静かに受け止めていた。

 

 スタジアムの照明がフィールドを照らし、決勝戦の開始が刻一刻と近づいてくる。夏の終わりの夕暮れが、二人のエースの最後の戦いを静かに待っていた。

 

 

 

 

 夕暮れが迫り、スタジアムの照明が一層強くフィールドを照らし出す中、モーリとカザが、フィールドの両端からゆっくりと中央へ歩みを進めた。

 観客席の熱気は最高潮に達し、ライモン高校、リオー高校、それぞれの仲間たち、そして多くの観客が固唾を飲んで二人を見守っている。

 

 フィールド中央で、二人は数歩の距離を置いて向き合った。学生審判が緊張した面持ちで二人の間に立つ。

 

 カザは、いつものような不敵な笑みではなく、むしろどこか挑戦者のような、あるいはこの瞬間を待ち望んでいたかのような真摯な表情を浮かべていた。

 その瞳には、モーリという好敵手への敬意と、勝利への渇望が静かに、しかし力強く燃えている。

 

 カザが先に口を開いた。声は低く、しかしスタジアムの喧騒を貫くように響く。

 

「飽きねえよなぁ、俺達も」

 

 少しの間を置いて、その表情にどこか吹っ切れたような、あるいは覚悟を決めたような色が浮かぶ。

 

「昨日の団体戦、お前らに負けて、正直、ムカつくくらい悔しかったぜ。だがな今日、ここで借りは返す。そして、俺達がこの地方の最強だってことを証明する」

 

 モーリもまた、カザの言葉を真っ直ぐに受け止める。その表情は静かで、揺るぎない決意を秘めている。仲間たちの想い、これまでの戦いの記憶、そして自分自身の成長。その全てを胸に、カザと対峙する。

 

「この地方の最強なんて称号に、俺は興味がない」

 

 そして、一つ息を吐いて続ける。

 

「だけど、お前には勝ちたい」

 

 二人の間に、言葉以上の想いが交錯する。互いの実力を認め合い、この一戦に全てを懸ける覚悟。それは、単なるライバル意識を超えた、強者同士だけが理解し合える特別な感情だった。

 

 カザがふっと息を吐き、ほんのわずかに口角を上げる。

 

「言うじゃねえか。それでこそ、俺が倒す価値があるってもんだ」

 

 学生審判が、やや上ずった声で告げる。

 

「両選手、握手を!」

 

 モーリとカザが、力強く右手を差し出し、フィールドの中央で固く握り合った。その手のひらからは、互いの闘志と、この一戦にかける熱い想いが伝わってくる。

 

「いい試合をしよう」

 

 モーリの言葉、いつもはそれを拒絶していたはずの言葉が、なぜかカザの中にすっと入ってくる。

 カザは一つぐっとモーリの手を握り返して答える。

 

「そうだな、いい試合にしよう」

 

 握手を解き、二人は鋭い視線を交わしたまま、ゆっくりとそれぞれのポジションへと離れていく。スタジアムの空気が、まるで爆発寸前のように張り詰めていく。決勝戦の火蓋が、今、切られようとしていた。

 

 

 

 

 夕暮れの光とスタジアムの照明が交錯し、フィールドに立つ二匹のポケモン、ブニャットとシザリガーをドラマチックに照らし出す。

 

「『ねこだまし』!」

「『ダブルアタック』!」

 

 モーリの指示とほぼ同時に、カザも声を張り上げる。ブニャットが低い姿勢から俊敏に飛び出し、シザリガーの巨体にその鋭い前足を叩き込んだ。

 シザリガーの動きが一瞬、確かに止まる。

 瞬間的には読み勝ちだ、しかし、モーリの背筋に緊張が走った。

 カザの狙いは明白だ。ブニャットの『みがわり』を警戒し、連続攻撃でそれを確実に破壊するつもりだ。

 

「『ちょうはつ』!」

「『ダブルアタック』!」

 

 モーリは畳み掛けるように、シザリガーの補助技を封じるため『ちょうはつ』を指示。

 だが、カザは再び『ダブルアタック』を重ねる。シザリガーの赤黒いハサミが唸りを上げ、主の気迫に応えるかのように、二度目の攻撃をブニャットの脇腹、急所へと的確に叩き込んだ。

 

 ブニャットが苦悶の声を漏らし、その巨体が大きくよろめく。砂埃が舞い、フィールドの空気が一瞬にして張り詰めた。

 

 会場全体が、序盤からの激しい攻防と、息つく暇もない試合展開の速さに息をのむ。モーリもカザも、そして観客たちも、この決勝戦が尋常ではないペースで進んでいることを肌で感じ取っていた。

 

 モーリは、ブニャットが大ダメージを負ったことを冷静に受け止めつつも、『ちょうはつ』が通ったことに一縷の望みを繋ぐ。

 これでシザリガーは攻撃技しか繰り出せない。カザもまた、補助技を封じられたことを表情に出さず、しかしその瞳の奥で次の手を思考しているのが見て取れた。

 

「『こらえる』!」

「『こごえるかぜ』!」

 

 モーリは、シザリガーの次の一撃を耐え凌ぎ、反撃の機会を窺うためブニャットに『こらえる』を指示。

 しかし、カザはその読みをさらに上回っていた。

 

 シザリガーの口から放たれた冷気を帯びた風がブニャットを包み込む。

 あえてシザリガーの強みではない特殊攻撃を与えることで『こらえる』を不発に終わらせると同時に、ブニャットの足元を瞬時に凍てつかせ、その生命線である俊敏さを奪った。

 

 ブニャットのスプリントが失われ、その動きが目に見えて鈍くなる。

 

 モーリの思考に、一瞬の空白が生まれる。素早さを奪われ、大ダメージを負ったブニャット。それは、紛れもない窮地だった。

 

 彼は奥歯を噛み締め、天に祈るような気持ちで、最後の望みを託した。

 

「『さいみんじゅつ』」

「『インファイト』!」

 

 ブニャットが力を振り絞り、揺らめくような催眠波をシザリガーに向けて放つ。

 それは奇跡的に、シザリガーが次の攻撃に移るよりも早く命中し、シザリガーの巨体がゆっくりと眠りに落ちていく。

 シザリガーの猛攻が止まる。

 

 しかし、カザを心配させまいとするかのように、あるいは主の静かな叱咤に応えるように、シザリガーはすぐにその重い瞼をこじ開けた。

 

 シザリガーが目を覚ました瞬間、モーリは賭けに出る。

 

「『みがわり』!」

「『こごえるかぜ』!」

 

 再びカザは『こごえるかぜ』を指示するが、モーリの指示がわずかに早く、ブニャットの前に『みがわり』の幻影が出現する。

『こごえるかぜ』の冷気が『みがわり』を捉えるが、その威力では完全に消し去ることはできず、ブニャットの本体は守られた。

 

 そして、この『みがわり』の代償としてブニャット自身の体力はさらに削られ、次の布石となる。

 

「『じたばた』」

「『アクアジェット』!」

 

 体力が残りわずかとなったブニャットが、捨て身の覚悟で渾身の『じたばた』を繰り出す。シザリガーは先制技の『アクアジェット』で身代わりを破壊し、ブニャット本体に迫る。

 

 だが、ブニャットの破れかぶれの『じたばた』が、シザリガーの巨体に突き刺さった。

 

 シザリガーが苦悶の声を上げ、その巨体がグラリと揺れ、膝をつく。

 

 しかし、カザを悲しませまいとするかのように、あるいは最後の意地を見せるように、驚異的な精神力で持ちこたえた。

 

 カザ、モーリ、そのどちらも、それに動揺はしない。

 そのようなことが起こっても、おかしくはないのだ。

 

「『アクアジェット』!」

「『でんこうせっか』!」

 

 カザがシザリガーに『アクアジェット』を指示。モーリもまた、ブニャットに最後の指示を出す。

 

 二匹のポケモンが、フィールド中央で激しく衝突する。

 

 一瞬、シザリガーの『アクアジェット』の方が早く見えた。

 

 しかし、次の瞬間、ブニャットの『でんこうせっか』が、シザリガーの鎧のわずかな隙間、守りの薄い急所を的確に捉えていた。

 

 シザリガーの巨体が、ゆっくりと、しかし確実に傾いていく。その瞳から力が抜け、そして、ついにフィールドに大きな音を立てて倒れ込んだ。

 

 審判がシザリガーの戦闘不能を確認し、力強く右手を上げる。

 その声が響き渡った瞬間、スタジアム全体が割れんばかりの大歓声に包まれた。

 

 

 

 

 割れんばかりの歓声がスタジアムを包み込む中、モーリは大きく肩で息をしていた。

 夏の夕暮れの光と、眩いスタジアムの照明が入り混じり、汗の浮いた額を照らし出す。

 

 ブニャットはその場に座り込み、荒い息遣いを繰り返していたが、モーリを見上げるその瞳には、確かな達成感と安堵の色が浮かんでいた。

 

 モーリはゆっくりとブニャットの元へ歩み寄り、その大きな頭を力強く、そして優しく撫でた。

 

「よくやった。本当に、よくやったな」

 

 その声は、ブニャットにだけ聞こえるほど小さかったが、言葉にならない感謝と、揺るぎない信頼が込められている。

 ブニャットは小さく喉を鳴らし、モーリの手にそっと頭をすり寄せた。

 

 フィールドの反対側では、カザが倒れたシザリガーの、その赤黒い甲殻を労わるようにそっと撫でていた。

 その表情には、隠しきれない悔しさが深く刻まれている。しかし、取り乱したり、荒れたりする様子は微塵もなかった。

 

 シザリガーをボールに戻すと、カザはゆっくりと立ち上がり、モーリの方へ視線を向けた。その足取りは重いが、敗者としての潔さが、彼の全身から滲み出ている。

 

 モーリが、まだ息を整えながらも、カザに歩み寄り、右手を差し出した。

 

 カザは一瞬だけ、その手とモーリの顔を交互に見つめ、そして力なく、しかし確かにその手を握り返した。

 

「いい試合、だったのかなあ」

 

 その声は誰にも聞こえないほど小さく、絞り出すようだった。悔しさと、それでも相手を称えようとする複雑な感情が、その一言に凝縮されている。

 

 モーリもまた、多くを語らない。ただ、カザの手を強く握り返し、その視線を真っ直ぐに受け止めた。

 

「ああ、間違いなく、良い試合だったよ」

 

 互いの手のひらから、言葉以上のものが伝わる。激闘の熱、互いへの敬意、そしてライバルとしての絆。

 

 カザはすぐに手を離すと、一度だけフィールドの土を睨みつけ、そして俯きながらリオー高校の待機エリアへと静かに去っていく。

 その広い背中からは、言葉にできないほどの悔しさと、それでも何かを貫き通したような、孤高の気配が漂っていた。

 

 モーリは、そのカザの背中を、複雑な想いを胸に静かに見送った。

 夕暮れの風が、フィールドに残された二人のトレーナーの汗を、静かに乾かしていった。

 

 

 

 

 モーリが、まだ戦いの興奮冷めやらぬ面持ちでライモン高校の待機エリアに戻ってくると、仲間たちが一斉に駆け寄り、彼を熱狂的に迎えた。

 

「モーリくん」

 

 スズモトが、潤んだ瞳でモーリの前に立つ。言葉にならない感情で胸がいっぱいになっているのだろう、それでも精一杯の笑顔で、声を絞り出す。

 

「おめでとう! 本当に、本当にすごかったよ!」

 

 その瞳には、モーリへの揺るぎない信頼と、共に戦い抜いた仲間としての純粋な喜びが溢れていた。

 

「やったな」

 

 ムラナカが、まだ自身の試合の疲労も残る中、力強くモーリの肩を叩いた。その表情は晴れやかで、心からの称賛が込められている。

 

「モーリさん、素晴らしいご活躍、そして優勝おめでとうございますわ! まさにこの地方の、いえ、わたくしたちライモン高校の誇りですぅ!」

「モーリ先輩、マジでカッコよかったです! 俺、感動しましたッス!」

「優勝おめでとうございます」

 

 コウヌやオーアサたち一年生も興奮冷めやらぬ様子でモーリを取り囲み、口々に祝福の言葉を述べる。

 

 セラも、普段のクールな表情を崩し、どこか熱っぽく、そして尊敬の眼差しでモーリを見つめていた。

 

「モーリ先輩、さすがですね」

 

 サイトーもまた、いつもの厳しい表情を崩し、満足そうな、そしてどこか誇らしげな笑みを浮かべてモーリの健闘を称える。

 

「よくやった、モーリ。お前は最高のキャプテンであり、このチームを優勝に導いた最高のトレーナーだ。本当に、おめでとう」

 

 その隣では、タブンネも嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ね、小さな手でモーリに祝福の拍手を送っていた。

 

モーリは、仲間たちの熱い祝福の言葉と笑顔に囲まれ、照れくさそうに、しかし確かな喜びを感じながら、一人ひとりの顔を見回した。そして、静かに、しかし万感の想いを込めて言った。

 

「ありがとう、ベタだけど、みんながいたから、勝てたんだと思う」

 

 その言葉には、仲間たちへの深い感謝と、チームとして掴んだ勝利への、確かな実感が込められていた。夏の終わりの空気が、彼らの絆を祝福するように、優しく流れていった。

 

 

 

 

 ゆっくりとした足取りでカザが待機エリアに姿を現した。その表情からは感情が読み取りにくく、ただ深い疲労と、内に秘めた悔しさが滲んでいる。チームメイトたちが一斉にカザに視線を向けた。

 

 誰かが「カザ……」と声をかけようとしたが、その声は途中で消え入り、言葉にならない。

 

「すまねえな、お前らの見本になれなかった」

 

 カザがそうぽつりとつぶやくと、チームメイトの一人が声を上げる。

 

「そんなことねえよ、良い試合だった。ただ、負けただけだ」

 

 その言葉に、チームメイトたちが頷く。悲壮感はなかった、だが、彼らにはそれを受け入れるのに時間をかけねばならないだろう。

 

 カザは、そんな仲間たちの視線を浴びながらも、まっすぐヤマサキの前に進み出る。

 その背中には、敗北の重圧と、それでもなお失われないエースとしての矜持が感じられた。

 

 ヤマサキは、腕を組み、静かに、しかし鋭い視線でカザを見つめている。その表情は厳しく、しかしどこかカザの戦いを労うような温かさも宿っていた。

 

 彼は静かに、しかしその言葉には確かな重みを含ませて口を開いた。

 

「一つだけ聞かせろ。なぜだ? なぜ、あの『ハサミギロチン』を使わなかった? お前のシザリガーなら、あの状況でも一撃必殺を狙えたはずだ」

 

 それはあの試合でヤマサキが感じていた、ただ唯一の気がかりだった。

 一撃必殺の『ハサミギロチン』それを躊躇なく撃つことのできるのは彼らの強みの一つであったはずだ。

 

 カザは、ポケットに手を突っ込んだまま、夕闇に染まるスタジアムの照明をぼんやりと見上げた。その横顔には、悔しさと、しかし何かを貫き通したような、複雑な、だがどこか清々しさすら感じられる表情が浮かんでいる。

 

「俺たちの三年間が、あんな運任せの技で終わってたまるかよ」

 

 その言葉には、彼なりのトレーナーとしての矜持と、チームへの想い、そして好敵手であるモーリへの、言葉にはならない敬意が込められていた。

 それは、単に勝利を求めるだけではない、カザ自身の成長の証でもあった。

 

 ヤマサキは、カザのその言葉を黙って聞いていた。その表情は厳しくも、どこかカザのその決断を理解し、受け止めている。

 

 カザが、ふとヤマサキ監督の方を向き、どこか自嘲するような、あるいは純粋に問いかけるような、それでいてわずかな不安を滲ませた表情で続ける。

 

「なあ、監督。俺は、間違ってるか?」

 

 ヤマサキは、一瞬の間を置いてから、カザの肩に力強く、そして温かく手を置いた。その声には、確かな信頼と、弟子への深い愛情が込められている。

 

「いや、お前は正しいトレーナーだよ。誰が何と言おうと、俺が保証する」

 

 その言葉に、カザの瞳が一瞬潤む。しかし、彼はそれを隠すようにすぐに視線を逸らし、乱暴に自分の頭を掻いた。

 

「あんたに保証されてもなあ」

 

 だが、その表情はどこか救われたように、そして少しだけ誇らしげに見えた。彼の胸の内にあったわだかまりが、ヤマサキのその一言で、少しだけ溶けていったのかもしれない。

 

 

 

 

 表彰式が終わり、熱戦の興奮もようやく落ち着きを見せ始めたスタジアムには、夕闇が迫っていた。

 空はマジックアワーの淡いグラデーションから深い藍色へと移り変わり、スタジアムの照明が一層その明るさを増している。観客の姿もまばらになり、祭りの後のような静けさと、どこか名残惜しい空気が漂っていた。

 

 ライモン高校のメンバーたちが、それぞれの荷物を持ち、連れ立ってスタジアムの出口へと向かう。

 夏の終わりの涼しい風が、彼らの火照った頬を心地よく撫でていった。手には、優勝トロフィーやメダル、そして仲間たちと分かち合った数々の思い出が握られている。

 

 ふと、モーリが誰に言うでもなくぽつりと呟く。

 

「そういえば、結局、トートクさん、来なかったですね」

 

 その言葉に、隣を歩いていたサイトーが「ああ、そういえばそうだな」と、少し不思議そうに頷く。

 

「決勝が終わってから挨拶に来るかと思っていたが、まあ、他にも有力な選手はいただろうし、そっちの視察に行ってるんじゃないか? あの人も忙しいだろうからな」

 

 サイトーは、特に気にする風でもなく、どこか納得したようにそう結論付けた。

 

 その会話を聞いていたムラナカが、モーリの背中を軽く叩き、ニヤリと笑いながらからかうように言う。

 

「まあ、モーリの場合はもう『内定』ってことなんじゃないの? わざわざ挨拶に来る必要もないくらい、監督の中では決まってるんだろ」

 

 モーリは、ムラナカのその言葉に一瞬顔をしかめるが、すぐにいつものように軽く肩をすくめてみせた。その表情には、照れと、まだ答えの出ない進路への複雑な思いが混じっている。

 

 スズモトが、そんなモーリとムラナカのやり取りを微笑ましそうに見守っていた。タケダやコウヌ、オーアサ、セラたちも、それぞれの表情で夕暮れの道を歩いている。その顔には、大会を戦い抜いた達成感と、これからの日々への期待が浮かんでいた。

 

 

 

 

 時間が少しだけ遡る。

 

 決勝戦が終わり、スタジアムがまだ勝者への歓声と敗者への労いの拍手に包まれていた、そのすぐ後のこと。

 

 中規模スタジアムの喧騒から少し離れた、夕闇に沈み始めた簡易的なバトルフィールドに、二つの人影があった。

 

 一人は、タマムシ大学ポケモンバトル部監督、トートク。

 もう一人は、そのトートクが半ば強引にここに連れてきた男だった。

 

「決勝戦が終わる前に、あんたに気づけて良かったよ」

 

 トートクが、やや疲れたように、しかし安堵の息を吐きながら言った。その視線の先には、飄々とした佇まいの男、モモナリが立っている。

 モモナリは、夕暮れの空を見上げながら、どこか面白そうに口の端を上げた。

 

「やけに嫌われてるねえ、僕は」

 

 トートクは答えず、バトルフィールドの中央、モモナリの対面へとゆっくりと歩を進める。その足取りには、確かな覚悟が滲んでいた。

 

「職業上、いや、最低限のマナーとして、選手の過去や関係者は把握することにしてるんでね」

 

 静かだが、有無を言わせぬ響きが、その声にはあった。

 

「彼は今、大切な時期なんだ。選手として、学生として、そして何より一人の人間として。一人の教育者として、今、あんたに会わせるわけにはいかない」

 

 その言葉に、モモナリは楽しげに、しかしその瞳の奥に鋭い光を宿して苦笑いした。

 

「それで、わざわざ僕をこんな寂れたバトルフィールドに誘い出した、というわけだ。どこでもいいのに、バトルなんて」

「まさか、あんたが本当にこの誘いに乗ってくれるとは思わなかった。俺がリーグで現役だったのはもうずいぶんと昔の話だし、今のあんたの相手にはならないだろう」

 

 トートクの言葉には、自嘲と、しかしそれを上回る強い意志があった。

 

 モモナリは、そのトートクの覚悟を見透かすように、ふっと笑みを深めた。

 それは、かつての友人との再会を楽しむような、慈悲に似たもの。

 

「いいやぁ、君と戦えるなら、少しくらい『期間』が伸びたって構わないさ」

 

 その瞬間、モモナリの全身から放たれる威圧感に、トートクの額にじわりと汗が滲んだ。 カントー・ジョウトAリーガーとしての、本物の強者の気配。それは、ただそこに立っているだけで、周囲の空気を、理を歪ませるほどの力を持っていた。

 

 トートクは、意を決して、しかし声は震わせずに言う。

 

「もし、万が一にも俺が勝つことがあれば、彼に会うのは、せめて一年後にしてほしい」

 

 モモナリは、その条件に満足そうに頷く。

 

「なるほど、そういうことなら、君に勝てば、一年以内に会ってもいいってことか」

 

 はは、と乾いた笑い声を上げると同時に、モモナリの手からモンスターボールが放たれる。

 

 バトルフィールドに、突如として砂塵が巻き起こり、夕暮れの空気を一変させた。その砂嵐の中心で、モモナリの影が不気味に揺らめいている。彼の戦いは、既に始まっていた。

 




次回は7/26 8:01に投稿予定です

投稿頻度はどの程度がいいですか?

  • これまで通り二日に一回
  • 毎日投稿
  • 週一
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。