『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~ 作:rairaibou(風)
インターハイ会場の巨大なスタジアムには、既に全国から集まった選手団の熱気が渦巻き始めていた。
アスファルトの照り返しはまだ穏やかだが、空を突き刺すような高層ビル群が、これから始まる一日の暑さを予感させる。
地方のそれとは明らかに質の違う、まとわりつくような熱気と湿気、そして絶え間ない喧騒が、ライモン高校のメンバーたちを包み込んでいた。
ライモン高校に割り当てられた観客席の一角で、メンバーたちはその圧倒的な雰囲気に少し気圧されながらも、静かにウォーミングアップを始めている。
開会式の開始を告げるアナウンスがスタジアムに響き渡ると、各校の選手たちが、それぞれのプラカードを先頭に整列を始めた。
『ライモン高校』のプラカードを持つのは部長のモーリだ。
変な話だよな、と、彼はしっかりと整えられた足取りで進みながら考える。
ヤマブキ出身の自分が、何故かこの地方の代表としてこのスタジアムにいる。そして、誰もがそれを疑っていない。
他のメンバーも、緊張した面持ちで、しかし胸を張ってその後ろに続いた。
フィールドへと足を踏み入れた瞬間、観客席からの膨大な視線と歓声が彼らを包む。その規模感に、メンバーたちは改めて全国大会の重みを実感していた。
☆
開会式が終わり、選手たちが一斉にそれぞれの試合会場へと移動を開始する。スタジアムは、一気に期待と興奮のざわめきに包まれた。
サイトーに引率され、ライモン高校のメンバーたちが団体戦の会場であるサブの対戦場へと向かう。
通路は、他校の選手たちでごった返していた。
その人混みの中から、聞き覚えのある、少しおどけたような声が飛んでくる。
「ライモンの皆さん。カントーに当てられて混乱してねえか?」
その声の調子と、どこかで聞いたよな言い回しに、モーリたちは一斉に振り向く。
声の主は、イイダだった。そしてその隣には、ツキシタとホージョーの姿も。三人とも私服姿だが、その出で立ちはかつてのものと変わらなかった。
「イイダ先輩!」
「ツキシタさん!ホージョーさんも!」
ムラナカやタケダ、スズモトが驚きと喜びの声を上げる。セラも、噂に聞いていた『ある意味伝説の先輩たち』の登場に、少しだけ目を見張っていた。
イイダが後輩たちに歩み寄る。
「いやぁ、別に会う予定はなかったんだけどさ。この暫定夫婦が、どうしてもっていうから」
そう言って、ツキシタとホージョーを親指で示した。
ホージョーが、持っていた手作りの横断幕を軽く広げながら、呆れたように返す。
「よく言うよ、誘ってきたのはあんたじゃないか」
その口調はぶっきらぼうだが、目元はどこか優しい。
イイダもそれにいつもの調子で肩を竦める。
「そりゃまあ、団体まで出たとなれば、見るくらいはね」
ツキシタが、静かに、しかし温かい笑みを浮かべる。
「久しぶり。君達の活躍、本当に嬉しいよ」
彼の声は穏やかで、後輩たちの緊張をすっと解きほぐすような響きがあった。
ムラナカやタケダが「ありがとうございます」と嬉しそうに返す。長い会話はないが、再会を喜ぶ温かい空気が流れた。
モーリも、ツキシタの言葉に静かに頷き返す。
「ありがとうございます」
「いや、本当にね、今でも驚きが引かないんだ。一時期は僕しかいなかったバトル部が、団体戦で全国だなんてね」
そして彼はぐるりとメンバーたちを見回したあと、モーリに優しく囁く。
「いい顔になったね、優れたリーダーの顔だよ」
その言葉をツキシタから引き出したことの価値を、モーリは知らないだろう。
だが彼は、その言葉にをしっかりと受け止め、再度頭を下げる。
「ありがとう、ございます」
やがて、団体戦初戦の開始を告げるアナウンスが響いた。
ツキシタが最後に呟く。
「それじゃあ、僕たちはこれで。頑張って」
「ま、気楽にいけよ! 教育なんだからさ、あくまで」
「馬鹿言え、」
イイダもいつもの調子で手を振り、ホージョーがしっかりとそれを否定する。
先輩たちのその自然な激励に、メンバーたちの緊張が程よくほぐれる。
モーリが、仲間たちを代表するように先輩たちに一度だけ頭を下げ、そしてチームに向き直った。
「じゃあ、行こうか」
メンバーたちは力強く頷き、先輩たちに見送られながら、決意を新たにして試合会場へと向かう。
その背中には、夏の光が眩しく降り注いでいた。
☆
インターハイ初戦の相手は、ホウエン地方の私立高校だった。スポーツの実績もあり、ポケモンバトルに関しても力をつけている。何より沿岸都市であるカナズミを本拠地とするマンモス高校だ。
先鋒戦、オーアサがブーピッグと共にフィールドに立つ。
全国大会の独特のプレッシャーに、彼女の表情は硬い。
相手が繰り出したのは、あくタイプのグラエナ。その鋭い眼光は、明確にブーピッグを獲物として捉えている。
タイプ相性の不利は明らかだった。オーアサはブーピッグとの連携で善戦しようと試みるが、グラエナの素早い動きと的確な攻めの前に、徐々に、しかし確実に追い詰められていく。
最後はグラエナの強烈な『かみくだく』がブーピッグを捉え、フィールドに沈んだ。
ライモンは初戦を落とし、メンバーのもとに戻るオーアサの表情には、悔しさが滲んでいた。
続く次鋒戦、コウヌが「俺に任せてくださいッス!」とマリルリと共に勢いよく飛び出す。
相手は、マリルリにとって相性の悪い、くさタイプのジュカイン。その圧倒的なスピードと鋭い『リーフブレード』に、コウヌとマリルリは防戦一方となる。
追い詰められたときに、人間根っこの部分が出る。オーアサは固まり、コウヌは反発する。
それがどのような結果を招くかは、そのときにならないとわからないが。
コウヌが、やけっぱちに近い形で叫ぶ。
「『アイススピナー』!」
マリルリが足元に氷を纏い、コマのように高速回転しながら突撃する。意表を突かれたジュカインは、その奇襲をまともに受けてしまい、効果抜群のダメージでフィールドに倒れた。
「やったッス!」
逆転勝利にコウヌが歓喜の声を上げ、胸に飛び込んできたマリルリと抱き合う。
ライモンはタイに追いつき、勢いを取り戻した。
中堅戦はムラナカ。相手のチャーレムに対し、彼はあくまで冷静だった。
「『こころのめ』」
エビワラーが精神を集中させ、次の攻撃を必中させる。相手トレーナーはそれを警戒し、チャーレムに『まもる』を指示。
しかし、そして当然、それはムラナカの狙い通りだった。
相手が防御に徹したその一瞬の隙に、エビワラーは『こうそくいどう』で自身のスピードを最大限に高める。
そして、守りの解けたチャーレムに、高速移動から放たれる必中の『とびひざげり』がクリーンヒットした。見事な戦略で、ライモンはリードを奪う。
副将戦、タケダがケッキングと共にフィールドに立つ。相手は、じめん・エスパータイプのネンドール。
ケッキングの圧倒的なパワーをいなすのが得意な、厄介な相手だった。
相手トレーナーは、ケッキングの特性『なまけ』を徹底的に利用する。『まもる』や『みがわり』を駆使して巧みに時間を稼ぎ、じわじわとダメージを与えてくる遅延戦法。
タケダはなんとか突破口を見出そうとするが、相手の巧みな戦術の前に、ケッキングは持ち味を発揮できないまま敗北を喫した。
勝負の行方は、大将戦に委ねられる。
モーリが、ブニャットのボールを手に、静かにフィールドへと歩みを進める。
ミナモ学園の大将が繰り出したのは、はがね・いわタイプのボスゴドラ。
その鋼鉄の巨体は、ノーマルタイプのブニャットの攻撃を半減できる、明確なモーリ対策だった。
だが、モーリはそれに表情を変えない。
自分達が『対策される側』であることは理解していた。
モーリは焦らない。その状況すら楽しむかのように、静かに指示を出す。
「『いかりのまえば』」
ブニャットがボスゴドラの懐に飛び込み、そのHPを容赦なく半分削り取る。ボスゴドラの反撃は、冷静に繰り出した『まもる』で受け流した。
「『いばる』」
さらにモーリは、相手に『いばる』を使い、攻撃力を上げる代わりに混乱状態へと陥れる。
攻撃力が上がり、混乱したボスゴドラが、自らの巨体に強烈な一撃を叩きつけてしまう。その隙を、モーリは見逃さない。
「『イカサマ』」
ブニャットの巨体が器用にボスゴドラの足元を掬い、前に出ようと踏み込んでいたボスゴドラは勢いそのままに地面に激突する。
相手自身の、高められた攻撃力を利用して、ボスゴドラに特大のダメージを与える。
この狡猾で、しかし見事なコンボの前に、鉄壁を誇ったボスゴドラが、ついにフィールドに崩れ落ちた。
審判の「戦闘不能!」の声が響き渡る。
ライモン高校の勝利。それは、創設以来初となる、インターハイ団体戦での歴史的な一勝の瞬間だった。
ライモンのメンバーたちは、一瞬の静寂の後、爆発的な歓声を上げる。
サイトーは固く拳を握りしめ、スズモトは喜びの涙を浮かべていた。観客席の先輩たちも、立ち上がって惜しみない拍手を送っている。
モーリは、仲間たちの歓声を受けながら、静かにブニャットをボールに戻した。
☆
ところが、次の試合は散々たるものだった。
二回戦の相手は、ジョウト地方の名門私立『キキョウアカデミー』
全国大会の常連であり、その強さは膨大なデータに基づいた緻密な分析と、それを完璧に実行できる選手層の厚さにあった。
試合開始前、キキョウアカデミーの選手たちは、各々が手にする薄型の端末に視線を落とし、ライモン高校のデータを最終確認している。
地方大会、そして先ほどの初戦の映像。
その動きの一つ一つが、既に彼らに丸裸にされている。
ライモン側のオーダーが発表されても、相手校のメンバーは誰一人表情を変えない。全て想定内、と言わんばかりの、不気味なほどの落ち着きぶりだった。
先鋒のオーアサがブーピッグと共にフィールドに立つ。
相手が繰り出したのは、あく・ゴーストタイプのミカルゲ。ブーピッグのエスパー技を完全に無効化する、悪夢のような相性だった。
オーアサはブーピッグとのテレパシーのような連携で活路を見出そうとするが、相手はそれすら読んでいたかのように巧みに間合いを詰め、的確に弱点を突いてくる。
オーアサは、何もできないまま敗北を喫した。
続く次鋒戦、コウヌのマリルリに対しても、相手はでんきタイプのサンダースを繰り出す。
その圧倒的なスピードでフィールドを駆け回り、マリルリのパワーを一切発揮させない。
追い詰められたコウヌがやけっぱちで放った『じゃれつく』も、サンダースは冷静に見切り、強烈な『10まんボルト』でカウンターを合わせた。
マリルリは、その電撃に耐えきれず、フィールドに沈んだ。
中堅はムラナカ。相手のゴーストタイプのムウマージに対し、彼らは何とかダメージを与えようとするが、相手はムウマージは巧みな『かなしばり』や『みちづれ』でエビワラーの攻撃を制限し、特殊技でじわじわと体力を削っていく。
ムラナカの冷静な戦術も、ゴーストタイプの掴みどころのなさと、相手トレーナーの狡猾な采配の前に、徐々に崩されていった。
そして、副将のタケダ。彼女のケッキングに対し、相手はかくとうタイプのローブシンを繰り出してきた。
パワーとパワーのぶつかり合いになるかと思われたが、相手の狙いは違った。ローブシンは、ケッキングが攻撃できるターンには必ず『まもる』で攻撃を完全に防ぎ、特性『なまけ』で動けないターンに、的確に『ビルドアップ』で能力を上げ、着実にダメージを与えてくる。
タケダの「はっきよい!」の掛け声も、空しく響くだけだった。ケッキングはその圧倒的な力を一度も振るうことなく、フィールドを去ることになった。
☆
先鋒、次鋒、中堅、そして副将。ライモン高校のメンバーが、次々とフィールドに散っていく。
キキョウアカデミーの選手たちは、その誰に対しても、まるで教科書の解答をなぞるかのように完璧な対策を用意していた。
ライモンの選手たちは、自分たちの得意な戦い方を、自分たちが最も輝ける土俵にすら、上がらせてもらえず、チームの敗北は、既に決している。
その重苦しい空気の中、大将のモーリが静かに立ち上がった。ブニャットのボールを手に、彼はゆっくりとフィールドへと歩みを進める。
キキョウアカデミーの大将、三年生のキャプテンが、はがね・じめんタイプのハガネールを繰り出す。
その鋼鉄の巨体は、ノーマルタイプのブニャットの攻撃を容易く受け止める、明確なモーリ対策だった。
だが、初戦と同じく、モーリは『いかりのまえば』で体力を削ったのちに手練手管でハガネールを翻弄した。
尤も、相手もそこまで必死ではなかったのだろう。すでに勝利は確定しているし、彼らの感覚からすればここで手の内を明かしたくはないのかもしれない。
だが、モーリからすれば彼らの『対策』はぬるいように思えた。単純にタイプ相性を合わせただけの浅い対策だ。技構成や戦略にまで気を張っているようには思えない。
だが、現実としてライモン高校は敗北した。それは彼の中の『限界』であったのかもしれない。
☆
観客席の一角、ライモン高校の待機エリアに戻ってきたメンバーたちの間には、静かな、しかし決して重苦しくはない空気が流れていた。
悔し涙を流す者はいない。むしろ、その表情にはどこかやり切ったという清々しさと、「よくやった」「ここまで来れた」という達成感が漂っていた。
「マジで、レベルが違ったッスね」
コウヌが、どこか感心したように呟く。
「ええ。でも、わたくしたち、全国の舞台で、あの強豪校と戦えましたのね。悔しいですけれど、なんだか、少しだけ誇らしいですわぁ」
タケダの言葉に、ムラナカも静かに頷いた。
「彼らの準備は完璧だった。僕たちの戦術は、ほとんど全て読まれていたと思う。それでも、モーリが一勝をもぎ取った。チームとして、よくやったんじゃないかな」
その時だった。
「お疲れさん。まあ、相手が悪かったな」
聞き覚えのある声に振り返ると、ツキシタ、ホージョー、イイダの三人が、少し心配そうな、しかし温かい眼差しで立っていた。
ホージョーが、腕を組みながら言う。
「あんたたち、いい顔してるよ。負けた奴の顔だけど、腐ってはないわね」
ツキシタも、静かに、そして優しく言葉を継いだ。
「お疲れ様、みんな。最後まで、君たちらしい戦いだったと思うよ。特にモーリ、最後の一勝は、チームにとってすごく大きな意味があったはずだ」
先輩たちの、責めるでもなく、ただ健闘を称えるその言葉に、メンバーたちの表情が少し和らいだ。
モーリもまた、そんな仲間たちの様子を見ながら、静かに息を吐いていた。
おおむね、自分も同じことを思っていた。
だが、彼の視線は、その達成感の輪から少しだけ外れた場所、一人で腕を組み、険しい表情でフィールドを睨みつけているセラの姿を捉えていた。
その瞳にあるのは、悔しさというよりも、相手のやり方への、純粋な怒りに近いもののように見える。
モーリは静かに立ち上がると、セラの隣に歩み寄った。
「セラ、ちょっといいか」
セラは、モーリの存在に気づくと、ハッとしたように視線を逸らした。
しかし、モーリの静かな眼差しに、何かを諦めたように小さく頷き、二人で待機エリアの隅、人のいない通路へと移動する。
「すみません」
先に口を開いたのはセラだった。
その謝罪は、なんとなくだが満足感があったあの場の雰囲気の中で、自分がそれを乱していたという自覚の表れだろう。
そして、それを見抜かれていると感じたセラは、すぐさまにその不服をモーリに吐露する。
「相性有利なメンバーを被せただけじゃないですか」
その声は、静かだが強い怒りを帯びている。彼は悔しげに、近くの壁を拳で軽く叩いた。
「対策だって、大したものじゃない。現にモーリ先輩への対策は甘かった。一人が一匹のポケモンしか繰り出せないこのルールなら、部員を抱えている私立がより有利だ」
概ね、セラの言っていることに間違いはなかった。
そして、ジムバッジをいくつも手にしている彼には、相手の粗も当然見えている。
「こんなの、トレーナーの実力じゃない、組織のパワーだ」
モーリは、その言葉を遮ることなく、静かに聞いていた。
「お前は間違ったことは言ってない」
やがて、静かに応じる。
「だが、この世代のチームの戦略を、もっと多様なものにすることができなかった俺の指導力不足でもある」
その言葉に、セラは顔を上げた。そこには驚きと、自らの発言が結果的にモーリを責めているかもしれないという焦りがある。
「そんなことはないはずです。現に先輩は、この薄い選手層で地方を勝ち抜くチームを作った。コウヌさんやタケダさんが、全国で通用するトレーナーになるなんて、俺は想像もできなかった」
「いや、それも含めてだ」
モーリは、セラの目を真っ直ぐに見つめ返す。
「確かに組織力で決まった面もあるかもしれない。だが、それを言い訳にできるほど、俺たちの『実力』があったわけでもなかった」
そして、モーリは「それに」と、一拍おいてから、続けた。
その声には、怒りも、悔しさも、そして達成感とも違う、もっと穏やかで、確かな感情が込められていた。
「どういう結果であれ、俺は楽しかった」
セラの目が、その言葉にわずかに見開かれた。彼が何かを言い返す前に、モーリは静かにその場を後にする。
一人残されたセラは、モーリの最後の言葉を、ただ胸の中で反芻していた。
☆
団体戦の敗北、仲間たちの想い、そしてセラの静かな闘志。様々な感情と思考を整理するため、モーリは「少し、頭を冷やしてくる」とスズモトにだけ告げ、一人で待機エリアを後にした。
コンコースは、まだ試合の熱気と人の往来でざわついている。
様々な学校のジャージ、応援団の声、売店の呼び込み。
その喧騒が、今のモーリにはどこか遠い世界の出来事のように感じられた。
彼はその流れに逆らうように、自販機が並ぶ少し開けた休憩スペースへと足を向けた。
別に喉が渇いているわけではない。ただ、一人になるための、口実が必要だった。
その時だった。
すぐ近くの売店で、一人の少女が店員と何やら話しているのが目に入る。プラチナブロンドの長い髪に、透けるような白い肌。
シンプルな制服だったが。その立ち姿は周囲の学生たちとは明らかに違う、どこか大人びた雰囲気を纏っていた。
彼女は流暢な言葉で話しているが、差し出しているトレーナーカードが海外仕様なのか、決済端末が何度か無機質なエラー音を発している。
少女は特に困り果てた様子もなく、ただ「あー、やっぱりダメか」とでも言うように、軽く首を傾げていた。
モーリは、自分が持っているカントーのトレーナーカードなら使えることを知っていた。
一瞬、関わるべきか迷う。だが、その少女のどこか掴みどころのない雰囲気と、自分と同じようにこの喧騒から浮いているような佇まいに、無意識のうちに足が前に出ていた。
「俺ので」
そう言って、少女の隣から自分のトレーナーカードを端末にかざす。軽快な電子音と共に、会計は一瞬で終わった。
少女は驚いた顔でモーリを見つめ、それから悪戯っぽく、人懐っこい笑顔になった。
「ありがとう! マジ助かった!」
次の瞬間、彼女は感謝を示すように、ごく自然な仕草でモーリの体に腕を回し、軽く抱きついた。
その予期せぬ行動と、ふわりと香る甘すぎない香水の匂い、そして距離の近さに、モーリの思考が一瞬停止する。
彼女はすぐに身を離し、悪びれる様子もなく笑った。
「あたしはミチバタ。つい最近までガラルにいたからさ、こっちのシステム、まだよく分かんなくて」
モーリは彼女から少しだけ距離を取った。心臓が、まだ少しだけ速い。
「観光でバトルを見に来たのか?」
「いや、違う違う」
ミチバタは買ったばかりのジュースのボトルを軽快に回しながら、微笑んで答える。
「明日の個人戦、出るよ」
そして、ふと真顔になり、モーリの瞳を覗き込むようにして言った。
「あんたも、ちょっと退屈してたでしょ? モーリ」
その言葉と、呼び捨てにされたことに、モーリの空気が一変する。彼女はなぜ自分の名前を。そして、なぜ自分の心の内を見透かしたようなことを言うのか。
ミチバタは続ける。
「去年、この大会でバッジを七つも持ったブニャット使いが脚光を浴びたって、噂で聞いてたんだ。さっきのトレーナーカード、七つのキレーな輝き、見ちゃった。この会場に、プロ一歩手前の実力者なんて、そう大勢いるわけないじゃん?」
彼女の瞳は、全てを見透かしているかのように細められていた。その口調はラフだが、思考は驚くほど鋭利だ。
「今行ってるハイに、バトル部はないんだ。あたしちょっとやってるからさ、個人として頼まれて出てるだけ」
モーリは、彼女がただ者ではないことを改めて認識する。警戒心が、胸の内で静かに鎌首をもたげた。
「君も、バッジを集めてるのか?」
その言葉にミチバタは「ううん」と首を振って返す。
「うちの一族はさ、ヨロイ島のマスタード師匠んとこで修行すんのが決まりなんだよね」
マスタード。その名は、モーリも文献で読んだことがある。ガラル地方の伝説的なチャンピオンにして、トレーナー育成者だ。
ミチバタは、モーリを自分と同じ『退屈を共有する仲間』だとみなしたかのように、どこか楽しげに続ける。
「だからさ、分かるんだよ。こういう高校生のお祭り、レベルが違いすぎて、ちょっと退屈じゃない?」
その言葉は、確かに彼女やモーリにとっては正しい意見に聞こえるかもしれない。
しかし、モーリはそれを静かに、しかしはっきりと否定した。
「そんなことはない。俺は、みんなと強くなるのが、楽しかったよ」
その言葉には、嘘偽りのない実感がこもっていた。カントーを離れ、この地方に来て、仲間たちと過ごした時間。
それは、決して退屈などではなかった。
「あんただって、ヨロイ島で同じような経験をしたはずだろ?」
モーリのその問いに、ミチバタは一瞬きょとんとし、それから面白そうに口の端を上げた。
その時、スタジアムに団体戦決勝の開始を告げるアナウンスが響き渡る。
「それじゃあ」
モーリはそれを口実に、ミチバタに背を向けた。
「じゃあ」
ミチバタの声が、背後から追いかけてくる。
「『また』会おうね、モーリ」
その声は、楽しげで、しかし確かな挑戦の意図を込めて、夏の終わりの喧騒に溶けていった。
モーリは振り返らず、ただ、その言葉の余韻を胸に、仲間たちの待つ場所へと歩き出した。ミチバタという、新たな、そしておそらくは強大なライバルの存在を、その背中に感じながら。
☆
インターハイ会場の喧騒から少し離れた、静かな公園のベンチ。夕闇が迫り、スタジアムの照明が遠くで滲んで見える。その中で、トミノとモモナリは向かい合っていた。
モモナリは首を横に振り、一つため息を吐く。
「参ったなあ、ちょっと会ってお話をしたいだけなのに」
トミノが、静かだが強い口調でモモナリを牽制する。
「君の言う『お話』が、何を意味しているのかは分からないけどね。彼は明日、大事な個人戦を控えているんだよ」
モモナリは、その言葉を意に介さないように、飄々とした態度で肩をすくめた。
「別に、バトルになったっていいじゃないですか。今日バトルして、明日もバトルする。ただそれだけの話でしょ、トレーナーってのは」
トミノは、その返答に確信を深め、きっぱりと言い放つ。
「それを聞いたからには、ますます彼と会わせるわけにはいかないなあ」
モモナリが、面白そうに目を細めた。
「へえ。えらく肩入れしますね、あの子に」
「そりゃあね。彼は、僕にとって大切な生徒の一人だから。若く、繊細で壊れやすく、何より、才能がある」
モモナリが、右手でベルトに装着されたモンスターボールを、トントン、と軽く叩きながら問う。その仕草は、静かな威圧感を放っていた。
「それで、どうやって僕を止めるつもりなんです? 力ずくで、とは言いませんよね」
トミノは、その挑発に動じず、穏やかな笑みを浮かべる。
「いやいや、まさか。そんなこと考えもしない。ただ、君のために、ささやかな飲み会をセッティングしておいたよ。そろそろみんな集まる頃だ。クシノ君とキリュー君も、君を待ってる」
旧知のリーグトレーナー仲間たちの名前に、モモナリは一瞬だけ眉を動かすが、すぐにつまらなそうに鼻を鳴らす。
「うーん、そのメンツとはいつでも飲めるし。正直、彼と『お話』をするほうが、今の僕には魅力的かなあ」
トミノは、モモナリのその反応すら読んでいたかのように、静かに、しかし決定的な言葉を告げた。
「そうかい。一応、シバさんとワタルさんも、顔を出してくれるらしいんだけど」
その名前に、モモナリのモンスターボールを叩いていた指が、ぴたりと止まる。彼の表情が明らかに変わった。
トミノは、ダメ押しのように、穏やかな口調で付け加える。
「あとは、カリンさんも来てくれるって話になってるんだけどね。君が来ないと、がっかりするんじゃないかな」
モモナリは、しばらく無言で天を仰いだ後、観念したように、深いため息とも、簡単な諦めの息ともつかない息を吐いた。
「そりゃあ、行きますよ」
トミノは、その返答に満足そうに頷き、どこか申し訳なさそうに、しかし計画通りといった笑みを浮かべる。
「ごめんねえ。僕が君を止めようと思ったら、こういう大人気ないことをするしかないからねえ」
モモナリは、トミノに背を向け、飲み会の会場があるであろう方向へ、少しだけ不機嫌そうに、しかし潔く歩き出す。
一人残されたトミノが、インターハイ会場の照明が輝くスタジアムの方を静かに見つめる。彼の瞳には、モーリという若きトレーナーの未来を案じ、見守る、指導者としての深い想いが浮かんでいた。
次回は7/30 8:01に投稿予定です
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