『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~ 作:rairaibou(風)
あれほど猛威を振るった夏の暑さが、まるで遠い昔の出来事のように感じられる秋。
インターハイという特別な祭りが終わり、濃密だったポケモンバトル部での日々とは対照的に、時間は驚くほど速く、そして静かに過ぎていった。
タマムシ大学からの推薦の話は、怖いぐらいスムーズに進んだ。
必要な書類が送られてきて、サイトー先生とトートク監督の間で何度か電話でのやり取りがあり、そして、オープンキャンパスへの招待状が、あっさりとモーリの手元に届いた。
断る理由も、立ち止まって深く考える暇さえもないまま、彼はカントー行きのチケットを手にしていた。
秋晴れの、ある週末。モーリは、一人でカントー行きの高速リニアに乗り込む。
指定された席に腰を下ろし、窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていた。
見慣れた地方の田園風景や低い山々が、リニアの加速と共に、あっという間に遠ざかっていく。
やがて車窓の景色は、徐々に建物の密度を増し、巨大なビル群がそびえ立つ、見慣れた故郷の景色へと変わっていった。
その光景を眺めながら、彼は推薦を受けると決めた自らの選択を静かに反芻する。
胸の内にあるのは、新たな世界への期待と、そして、まだ心のどこかに燻り続ける「本当に、これで良かったのか」という微かな迷い。
彼は、無意識にポケットの中を探り、スズモトから旅立つ前に渡された、手作りのお守りをそっと握りしめた。その不格好だが温かい感触が、ライモンでの日々を思い出させ、彼の心を少しだけ、落ち着かせてくれた。
☆
リニアの駅から乗り継ぎ、タマムシ大学に到着したモーリは、その広大なキャンパスに足を踏み入れた。
ガラス張りの校舎が秋の空を映し、手入れの行き届いた芝生の上を、どこかエリート然とした雰囲気の学生たちが行き交っている。
ライモン高校の、のどかで少し雑然とした空気とは全く違う、知性と合理性に満ちた空間。モーリはその違いを肌で感じ、わずかな場違いさと、新しい世界への期待が入り混じるのを感じた。
約束の時間通り、研究棟の前でトートク監督と合流する。監督は穏やかな笑みでモーリを迎え入れ、早速バトル部が練習しているという、大学併設の巨大なドーム型演習場へと案内した。
演習場の中は、温度、湿度が完全に管理され、フィールドの脇には巨大なモニターが設置されている。
そこには、練習試合を行っている学生たちのポケモンのデータがリアルタイムで表示されていた。
モーリは、その光景に圧倒される。ライモン高校の、グラウンドの隅っこに白線を引いただけのフィールドとは、あまりにも違う。
しかし、そこで繰り広げられているバトルを見ているうちに、モーリはすぐに別の違和感に気づく。
学生たちの指示は的確で、ポケモンの動きも洗練されている。しかし、その全てが、まるで教科書の戦術を完璧になぞっているかのように、合理的すぎるのだ。セオリー通りの技の選択、リスクを避けた立ち回り。
そこには、インターハイで感じたような、セオリーを度外視したギリギリの攻防や、圧倒的なパワーといったものは感じられない。まるで、かつての自分を見ているかのようだった。
練習が一段落し、トートク監督がモーリを演習場の隅にある監督室へと案内する。
監督は、モーリにコーヒーを差し出しながら、まずは彼の来訪と、推薦を前向きに考えてくれていることへの、心からの感謝を告げた。
「まずは、君が推薦を受けてくれたことを感謝する。君のようなトレーナーに来てもらえることを、我々は光栄に思っているよ」
その真摯な言葉に、モーリは少しだけ恐縮する。
監督はモーリの内心を見透かすように、静かに本題を切り出した。
「それで、どうだったかな、うちの練習は。君が期待していたような、リーグレベルの強者はいなかっただろう」
その言葉は、静かだったが、モーリの胸に鋭く突き刺さった。
まさしく、図星だった。自分がこの数時間、ずっと抱いていた違和感の正体を、この男は完璧に見抜いている。モーリは、自分の内心をすべて見透かされたような気がして、一瞬、言葉に詰まった。
監督は、そんなモーリの反応を待っていたかのように、静かに、しかしはっきりと説明を続ける。
「我々の役目は、バトルを研究や他の分野に活かしたいと考える、別の才能を育てることなんだ。例えば、新種のポケモンを求めて危険な秘境へと向かう研究者の護衛、あるいは研究者自身が、自らの調査を守るためのバトル技術。我々の目的は、そういう専門的な分野で力を発揮できるトレーナーを育てることなんだよ」
モーリは、その言葉に、大学でバトルをすることの新たな意味と可能性を感じ始めていた。そして、意を決したように、自らの意志で問いを投げかける。
「では、在学中に、ポケモンリーグに挑戦することは、可能なのでしょうか?」
その言葉に、トートク監督は一瞬、意外そうな表情を浮かべる。モーリがリーグから距離を置いていると聞いていたからだ。しかし、その表情はすぐに、喜びに近い、温かいものへと変わった。
「もちろん、可能だ。いや、むしろ、我々にとってもそれは願ったりかなったりだよ」
監督は、モーリのその問いを、心から歓迎するように頷いた。
「大学としても、在学生がリーグという最高の舞台で活躍することは、この上ない名誉であり、非常に価値のあることだと考えている。君がリーグを目指すのであれば、我々はそれを止めるどころか、むしろ全力でサポートするつもりだ」
「……いいんですか」
モーリは、思わず聞き返した。学業との両立、部の方針。様々な懸念が、彼の頭をよぎる。
トートク監督は、そんなモーリの不安を払拭するように、穏やかに、しかし力強く言った。
「何も遠慮することはない。君がこの大学で学びながら、同時にリーグの頂点を目指すというのであれば、それは誰にも真似のできない、君だけの挑戦になる。大学は、その挑戦を全力でサポートする。約束しよう」
そして監督は、少し楽しげに、窓の外で片付けをしている学生たちに視線を送りながら付け加える。
「もっとも、今日の練習は、君が見に来るということで、うちの学生たちも、いつもより少し硬くなっていたようだがね。インターハイ個人戦優勝、そしてカントーのジムバッジを七つ持つ君は、彼らにとっても憧れであり、目標なのだよ」
さらにその視線を慈愛に満ちたものにしながら続ける。
「君がリーグに挑戦するとなれば、あいつらも喜ぶだろう。頭のいい変人ぞろいだが、気の良い奴らだ」
その言葉は、モーリに、この場所が単なる「レベルの低い場所」なのではなく、自分とは違う価値観と目的を持つ「もう一つのトップレベルの世界」なのだということを、静かに、しかしはっきりと理解させた。
大学でバトルをすること。それは、リーグとは違う、新たな可能性と意味を持つ道なのかもしれない。モーリの心の中にあった迷いが、少しだけ形を変え始めていた。
☆
大学見学が終わり、モーリは自然と、大学のすぐそばにある大型書店へと足を向ける。何かを考えたり、気持ちを整理したりする時、彼は昔から、自然と本屋に向かう癖があった。
ポケモン関連の新刊コーナーを眺めていると、不意に、しかし聞き慣れた、少しだけトーンの高い声が背後から飛んでくる。
「相変わらずね、あんた。何かあると、すぐ本の中に逃げ込むんだから」
振り向くと、そこにいたのはレイカだった。
彼女は、ファッション雑誌の棚に軽く寄りかかり、腕を組んで、悪戯っぽく、しかし全てを見透かしたような笑みを浮かべている。最後に会った、あの夏の気配をまだ引きずったような彼女とは違い、今は落ち着いた秋色のコートに身を包み、少しだけ大人びた雰囲気を纏っていた。
モーリは驚きを隠せない。
「レイカ……なんで、お前がここに」
「お母さんから、あんたが今日タマムシに来るって聞いてたのよ」
レイカはあっさりと答える。そして、彼女はモーリの癖を完璧に読んでいた。
「どうせ、見学終わった後は、ここに来るだろうなって。昔から、そうだったじゃない」
二人は、どちらからともなく、書店の中を並んで歩き始める。その距離感は、数ヶ月のブランクなど感じさせないほど、自然なものだった。
レイカは、モーリの表情に浮かぶ、まだ整理しきれていない迷いを、すぐに見抜く。
「で、どうだったのよ。タマムシ大学は。あんたの好きそうな、小難しい理屈ばっかりこねてる連中ばっかりだったんじゃないの?」
その少し意地悪な、しかし的を射た問いかけに、モーリは苦笑いを浮かべるしかない。二人の間には、言葉にしなくても互いの考えていることが分かってしまう、長年の幼馴染ならではの空気が流れていた。
☆
本屋を出て、駅へと向かう雑踏の中を、二人は並んで歩いていた。レイカは、モーリの横顔に浮かぶ、どこか考え込んでいるような表情を見逃さない。
「で、結局どうだったのよ、タマムシは。あんた、本当に行くって決めたんでしょ? 何を今更、難しい顔してるわけ?」
その単刀直入な問いに、モーリは「決まってるだろ」と静かに答える。彼の決意は、もう揺らいではいない。
モーリは、話を切り替えるように、しかしどこか心配そうに、レイカに問いを返す。
「トキワジム、残念だったな」
レイカは、その言葉に一瞬だけ驚いたような顔をするが、すぐに「ああ、あれ」と、いつもの不敵な笑みを浮かべた。
「有名人はつらいわね。そんな情報まで、筒抜けなんだから」
彼女は、あっけらかんとした口調で、敗北の事実を認める。
「まあ、負けは負けよ。単純に、相手が強すぎた。それだけ」
その態度には、モーリが予想していたような、落ち込んでいる様子は微塵も感じられなかった。
モーリが、その様子に少し戸惑っていると、レイカは、自らの敗因を分析するように、静かに語り始めた。
「ジムリーダーに言われたわ。『君のバトルからは、君自身の気持ちが見えなかった』って。何のために戦ってるのか、伝わってこないってね」
彼女は、その言葉の意味を、一人でずっと考えていたことを、ぽつり、ぽつりと語り始める。
「たぶん、あたし、あんたに勝つことばっかり考えてて、自分のために戦うってことを、忘れてたみたい」
その告白は、モーリの胸に深く突き刺さる。それは、かつて彼自身が抱えていた問題と、どこか似ていたからだ。
しかし、彼女の言葉に、絶望の色はない。むしろ、その表情は、何かを吹っ切ったように晴れやかだった。
「でも、おかげで目が覚めたわ。本気でぶつかって、それでも届かない相手がいるって、最高じゃない? あたしは、まだまだ『あたしのために』強くなれるってことなんだから」
その瞳には、次なる挑戦への、純粋で力強い闘志が燃えている。彼女は、モーリの不在によってではなく、自らの敗北と向き合うことで、本当の「強さ」への道を見つけたのだ。
レイカは、立ち止まっているモーリに向き直り、その胸を人差し指でトン、と突く。
「あんたは、あんたのやり方で強くなった。あたしは、あたしのやり方で、もう一度リーグに挑む。だから、あんたも自分の選んだ道に、中途半端な顔してんじゃないわよ」
それは、慰めでも、同情でもない。同じ高みを目指す、対等なライバルからの、何より力強いエールだった。
☆
ヤマブキシティの駅。リニアの発車時刻が近づき、二人の間に、別れの空気が流れる。
レイカは、人混みの中、少しだけ寂しげに、しかしすぐにいつもの不敵な笑みを浮かべて、モーリに最後の言葉を告げた。
「あんたにその気があるのなら、リーグで待ってるわ」
その言葉は、彼の選んだ道を尊重しつつも、ライバルとしての関係は終わらないという、彼女からの静かな挑戦状。
モーリは、その言葉に「ああ、楽しみにしてる」と、静かに、しかし力強く応える。
レイカは、その返事に満足げに頷くと、一度だけ小さく手を振り、振り返らずに人混みの中へと消えていった。
一人、帰りのリニアに乗り込んだモーリは、窓の外を流れるカントーの夜景を眺めていた。
レイカとの再会、そして彼女の力強い言葉が、彼の心の中にあった最後の迷いの欠片を、完全に消し去っていた。
大学で学ぶことも、リーグに挑戦することも、どちらも「逃げ」ではない。ライモンで得た仲間との絆も、カントーで競い合ったライバルとの記憶も、全てが自分の「強さ」になる。彼は、自らが選んだ道を、胸を張って進んでいこうと、改めて固く決意する。
モーリは、ポケットからスマホを取り出し、スズモトに短いメッセージを送った。
『こっちでの用事、全部終わった。ちゃんと、前に進めそうだ。ありがとう』
そのメッセージには、今日の出来事の全てと、彼女への感謝、そして未来への決意が込められている。
送信ボタンを押すと、彼はふっと息をつき、シートに深く体を預ける。窓の外には、無数の星のように、カントーの街の灯りがどこまでも広がっていた。
次回は8/10 8:01に投稿予定です
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