『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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52-別れを惜しむように

 二月の中旬、ある休日の昼下がり。

 

 モーリは下宿先の祖父母の家で、一人で携帯端末を操作していた。部屋はしんと静まり返り、外の冷たい風の音だけが、時折聞こえてくる。

 

 実は、彼は既にタマムシ大学の推薦入試における、共通試験の成績によるいわゆる「足切り」を突破していることを知っていた。

 

 しかし、そのことを仲間たちに言い出すのは、なぜか少し躊躇われた。皆の結果が出るまで、自分のことだけを報告する気にはなれなかったのだ。

 

 その時、静寂を破るように、モーリの携帯端末が軽快な通知音を立てる。画面に表示されたのは、三年生たちのグループチャットの更新通知。

 最初に、タケダからのメッセージが、華やかなスタンプと共に弾けるように表示された。

 

『皆様、ご報告ですわ! わたくし、合格しておりました!』

 

 その報せに、グループチャットが沸く。ムラナカ、スズモト、そしてモーリも、祝福の言葉とスタンプを送った。

 少しして、今度はムラナカが、安堵の滲むメッセージを送る。

 

『僕も、なんとか受かってたよ。一安心』

 

 再び、チャットが祝福の言葉で満たされる。

 さらに数分後、少しの間を置いて、スズモトからの、短く、しかし喜びが伝わるメッセージが投稿された。

 

『私も、受かってた』

 

 皆の合格を知り、モーリは、ようやく自分の結果を報告する覚悟を決める。彼は、一言だけ、メッセージを打ち込んだ。

 

『俺も、受かってた』

 

 その報告に、グループチャットは、今日一番の盛り上がりを見せた。

 祝福のやり取りが一段落した頃、モーリの端末が、再び、しかし今度は静かに、個別の通知を知らせる。

 

 スズモトからの、プライベートメッセージだった。

 

 モーリが、わずかな緊張と共にそのメッセージを開くと、そこには、短い、しかし、これまでの二人の関係の、その全てが凝縮されたような言葉が書かれていた。

 

『今から、モーリ君の家、行っていい?』

 

 その問いに、モーリの心臓が、トクン、と少しだけ大きく脈打つ。離れ離れになる未来が決定した今、彼女が何を思っているのか。その全てを理解したわけではない。

 

 しかし、彼女が何かを求めていること、そして、自分もまた、同じように彼女を求めているであろうことを、なんとなく、しかし確かに予測していた。

 

 彼は、ごくりと喉を鳴らし、一言だけ、返信を打ち込む。

 

『待ってる』と。

 

 

 

 

 夕暮れ時。

 

 モーリの下宿先の、古いチャイムが、来訪者を告げた。

 

 ドアを開けると、そこには、少しだけ緊張した面持ちのスズモトが立っていた。彼女は、小さなコンビニの袋を、ぎゅっと握りしめている。

 

「どうぞ」

 

 モーリは、彼女を部屋に招き入れた。

 二人は、こたつテーブルを挟んで向かい合って座る。どちらからともなく、言葉を探すが、うまく出てこない。部屋には、合格の喜びの余韻と、しかしそれとは裏腹の、未来への不安が入り混じった、静かで気まずい沈黙が流れていた。

 

 スズモトが、買ってきたペットボトルのお茶を、そっとテーブルの上に置く。その手つきは、少しだけ震えていた。

 

 モーリは、その震える指先に、彼女の不安の色を見たような気がした。そして、それはきっと、自分も同じなのだろうと思う。

 

 喜びと、寂しさと、そして未来への、漠然とした不安。

 

 言葉にすれば陳腐になってしまいそうな、その複雑な感情が、狭い部屋の中に、静かに満ちていた。

 

 

 

 

 部屋には、コンビニの袋から取り出された、ささやかなお祝いのケーキと、ペットボトルのお茶が置かれている。

 昼間のグループチャットでの盛り上がりとは違う、二人だけの静かな祝勝会。

 テーブルを挟んで向かい合い、二人はぎこちなく「おめでとう」と互いの合格を祝い合った。

 

「タマムシ大学、すごいね、モーリ君」

「スズモトこそ。コガネ大学なんて、推薦使わなきゃ俺には絶対無理だ」

「そんなことないよ」

 

 そんな他愛ない会話。

 しかし、その言葉の端々には、互いの努力を認め合う、温かい敬意が込められていた。

 だが、その会話が途切れた瞬間、部屋に静かな、そして少しだけ不安な空気が漂い始める。

 

 沈黙を破ったのは、スズモトだった。彼女は、湯気の立つカップを見つめたまま、ぽつりと呟く。

 

「やっぱり、寂しく、なるね」

 

 その言葉にモーリも「ああ」と、静かに頷く。

 再び、沈黙が訪れる。

 それを再び破ったのは、やはりスズモトだった。

 

 スズモトは、自分の不安を正直に口にする。

 

「モーリ君は、カントーで、きっとまた、すごい人たちにたくさん会うと思う。あたしのこと、忘れちゃったりしないかなって」

 

 モーリは、その言葉に、少し驚いたように顔を上げる。そして、彼女の不安を打ち消すように、自らの不安を初めて口にした。

 

「そんなこと、あるわけないだろ。俺の方こそ、スズモトがいないと、また昔みたいに、一人で突っ走っちまうかもしれない。それが、怖いし。コガネ大学にも、俺より楽しい男がいるんじゃないかって」

「そんなことないよ、モーリ君より優しい男の人なんて、絶対に、いない」

 

 モーリは意を決したように、立ち上がった。彼は、自らのベルトに装着された、ファイアローのモンスターボールを手に取り、それをスズモトの前に、そっと差し出す。

 

「なあ、スズモト。お前に、こいつを預かっててほしいんだ」

 

 スズモトは、その突然の申し出に、言葉を失う。

 

「え? ファイアローを? なんで?」

 

 モーリは、自らの根本的な不安を、不器用な言葉で告げる。

 

「俺は、カントーに行く。お前のそばに、すぐにはいてやれない。何かあった時に、俺が守ってやれないのが、怖いんだ。ファイアローがいれば、大抵のことは何とかなるはずだ」

 

 その言葉に、スズモトの瞳が、大きく見開かれる。彼の、あまりにも真っ直ぐで、重すぎる愛情。

 しかし、彼女は、悲しい顔ではなく、むしろ、困ったように、そして愛おしそうに微笑んだ。

 彼女は、差し出されたボールを、両手で優しく押し返す。

 

「気持ちは、すっごく嬉しいよ。でも、いらない」

 

 戸惑うモーリに、彼女は、これまでで一番、強く、そして優しい瞳で告げる。

 

「ファイアローは、モーリ君のポケモンだもん。それに、あたしは、モーリ君が思うほど、弱くないよ。あたしには、あたしのパートナーがいるから、大丈夫」

 

 モーリは、その言葉に、自分が彼女の「強さ」を信じきれていなかったことに気づき「そうだな。ごめん」と、照れくさそうに呟き、ボールをしまった。それでもなお残る心配を、別の形で口にする。

 

「でも、何かあったら、絶対に、すぐに逃げろよ」

 

 その真剣な言葉に、スズモトは「うん」と、力強く頷いた。

 そして、モーリは、遠距離恋愛になる未来への、自分なりの覚悟を示す。

 

「毎日、連絡する」

 

 スズモトもまた、その言葉に「うん、私も、毎日する」と、目に涙を浮かべながら、しかし嬉しそうに微笑んで同調した。

 

 しばしの沈黙の後、モーリは、意を決したように、しかしどこか照れくさそうに、視線を逸らしながら、不器用に切り出す。

 

「今日、いや、いつもなんだけど、親、いないから。泊ってけよ」

 

 そのあまりにも不器用な誘いに、スズモトは、顔を耳まで真っ赤にしながら、しかし、その言葉を待っていたかのように、小さな声で、しかしはっきりと答える。

 

「うん。私も、親に、泊まってくるって、言ったから」

 

 二人の視線が、ようやく交差する。

 

 モーリは、テーブルの上に置かれていたスズモトの手に、そっと自らの手を重ねた。驚いて少しだけ震える彼女の指に、自分の指を、一本、また一本と、ゆっくりと絡めていく。

 その温かさが、二人の間にあった最後の、そして一番の不安を、静かに溶かしていくようだった。

 

 モーリは、絡めた指にわずかに力を込めて、彼女を自分の方へと引き寄せる。

 どちらからともなく、顔が近づいていく。

 目の前にある、潤んだ瞳。そこには、未来への不安と、それを上回る、モーリへの確かな愛情が映っていた。

 

 そして、二人の唇が、静かに重なった。

 

 それは、これまでのどんなものよりも、深く、そして長い。互いの存在を、その温もりを、そして離れていても決して消えないであろうこの想いを、確かめ合うような、祈りにも似たものだった。

 

 窓の外の月明かりが、静かに二つの影を、一つに重ねていた。




次回は8/14 8:01に投稿予定です

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