『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~   作:rairaibou(風)

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53-それぞれの明日

 三月の空気は、まだ冬の名残をかすかに含んで冷たい。けれど、窓から差し込む太陽の光は、ひと月前とは違う、柔らかな色をしていた。通りの街路樹の枝には、長い眠りから伸びをするように、小さな緑の芽が覗き始めている。

 

 別れと、そして始まりの朝。卒業式当日。

 

 モーリはクローゼットから取り出した、ライモン高校の制服に袖を通した。

 

 何度も着て、少しだけくたびれたその制服に、この三年間で経験した、数えきれないほどの出来事が染みついているように感じられる。

 

 鏡に映る自分の姿を見る。カントーから逃げるようにしてこの街に来た、あの頃の自分とは、もう何かが決定的に違う。その変化を、彼は静かに、そして少しだけ誇らしく受け止めていた。

 

 家を出て、いつもの待ち合わせ場所である、通学路の途中にある小さな公園へと向かう。

 そこには既に、同じように制服に身を包んだ、少しだけ緊張した、しかし晴れやかな表情のスズモトが待っていた。

 二人は、どちらからともなく、自然な笑みを交わす。特別な言葉はいらない

 

「行こうか」

 

 そうモーリが言うと、スズモトもうなづく。

 二人は、最後の通学路を、一歩一歩、その景色を確かめるように、並んで歩き始めた。

 

 学校へと続く道は、満開の桜並木になっている。風が吹くたびに、薄紅色の花びらが、まるで二人を祝福するように、はらはらと舞い落ちた。

 

「なんだか、あっという間だったね」

 

 ふと、スズモトが、どこか感慨深げに呟いた。

 

「ああ。本当に、あっという間だった」

 

 ただそれだけの、他愛ない会話。しかし、その短い言葉の中には、この三年間で共有した、全ての喜び、悲しみ、そして成長が凝縮されている。

 

 二人は、言葉少なげに、しかし互いの気持ちを確かめ合うように、最後の時間を共有しながら、思い出の詰まった校門へと向かった。

 

 

 

 

体育館で行われる、厳かで、しかしどこか温かい卒業式。

 校長先生の長い祝辞、在校生からの送辞。式は、滞りなく進行していく。

 モーリは、卒業生たちが並ぶ席の一番端で、その光景をどこか他人事のように、しかし感慨深く眺めていた。

 

 やがて、式の終盤、司会の先生が、静かに、そしてはっきりとした声で告げた。

 

「卒業生代表、答辞。モーリ・モトマサ君」

 

 その名が呼ばれた瞬間、会場に、ほんのわずかな、しかし確かなどよめきが広がる。

 モーリは、ゆっくりと立ち上がり、壇上へと向かった。仲間たち、先生たち、そしてスズモトの視線が、一身に注がれているのを感じる。マイクの前に立ち、深く息を吸い込んだ。

 

 彼の答辞は、決して流暢なものではない。時折言葉に詰まりながらも、彼は、自らの三年間を、誠実に、そして不器用に紡いでいく。

 

「ただいま、校長先生より、温かいお言葉を賜りました、卒業生一同、心より、御礼申し上げます」

 

 丁寧な一礼の後、彼はゆっくりと顔を上げる。

 

「三年前の春、少し大きな制服に身を包み、不安と期待を胸に、この体育館にいた日のことを、昨日のことのように思い出します。あの頃の私たちは、これから始まる高校生活という、未知の海に漕ぎ出す、小さな船のようでした」

 

 彼は一度、客席に座る仲間たちに、そっと視線を送る。

 

「私は、このライモン高校に、逃げるようにしてやってきました。八つ目のジムバッジ取得ができず、すべてに絶望していたからです。私は、ポケモンバトルからは引退するつもりでした」

 

 その衝撃的な言葉に、体育館が少しざわめく。

 

「私にとって、この三年間は、自分の『居場所』を探し続けた時間でした」

 

 その言葉に、体育館の空気が、ほんの少しだけ動いた気がした。

 

「それはきっと、ここにいる誰もが同じだったと思います。教室で、部活動で、あるいは、何気ない日常の中で。私たちは、迷い、悩み、時には立ち止まりながらも、互いに支え合い、それぞれの『強さ』の意味を見つけようとしてきました」

 

 彼は一度、客席に座る仲間たちに、そっと視線を送る。スズモト、ムラナカ、タケダ。彼らの顔が、脳裏に浮かぶ。

 

「私は、ポケモンバトル部という場所で、勝ち負けよりも、もっと大切なことを学びました。本当の強さとは、一人で立つことではなく、隣で支えてくれる友人、背中を追いかけてくれる後輩、そして、道を指し示してくださった先輩がいて、初めて生まれるものだと知りました」

 

 その言葉を、スズモトは、溢れそうになる涙を必死に堪え、しかし、この上なく誇らしげな笑顔で聞いていた。

 ムラナカとタケダもまた、それぞれの席で、モーリの成長と、自分たちの過ごした三年間を噛みしめるように、その姿を静かに見つめている。

 

 モーリは、壇上から、この体育館にいる全ての人々を見渡した。そして、最後の言葉を、ゆっくりと、しかし確かな声で紡ぎ始める。

 

「このライモン高校で得た、数えきれないほどの思い出と、仲間という宝物を胸に、私たちは、今日、ここから旅立ちます。在校生の皆さん、先生方、そして、今日まで私たちを支え続けてくれた、家族へ。心からの、感謝を。本当に、ありがとうございました」

 

 割れんばかりの拍手。

 

 

 

 

 卒業式と、それに続く最後のホームルームが終わった後の、三年生の教室。

 

 ほとんどの生徒は、名残を惜しみながらも、あるいは解放感に浸りながらも、すでに教室を後にしている。机や椅子が不揃いに並び、黒板にはまだ「卒業おめでとう」の文字が残っていた。

 

 モーリは、自分の席で、荷物をまとめるでもなく、ただぼんやりと、窓から差し込む夕陽に照らされた、誰もいない教室を眺めていた。

 

 そこに、「よぉ」と、軽い声がかけられる。声の主は、同じく教室に残っていた、クラスメイトのミマだった。

 ミマは、モーリの前の席に、くるりと椅子を逆向きにして腰かける。

 

「いやー、お前の答辞、マジでビビったわ。いきなり『逃げてきました』だもんな。普通、言わねえだろ、あんなこと」

 

 そのからかうような、しかしどこか感心したような言葉に、モーリは「うるせえよ」と、照れくさそうに返す。

 二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。ミマは、その沈黙を破るように、自分の未来について語り始めた。

 

「俺、春から消防学校なんだわ。しごかれるんだろうなあ」

 

 そして、彼は少しだけ真剣な表情で、モーリに頼み事をする。

 

「もし、救助のためにポケモンを持つことになったらさ、そん時は、色々教えてもらってもいいか?」

 

 モーリは、その言葉に、驚き、そしてすぐに力強く頷いた。

 

「もちろん。いつでも連絡しろよ」

 

 ミマは、その答えに「サンキュ」と笑うと、今度はモーリの未来について、軽い口調で問いかける。

 

「で、お前は、どうすんだ? タマムシ大学で、お勉強しながら、リーグも目指しちゃう感じ?」

 

 モーリは、少しだけ照れくさそうに「まあ、そんなとこ」と答える。

 ミマは、その答えに「マジかよ」と、心底面白そうに笑った。

 

「大学行きながら、リーグもってか。欲張りだなあ、お前。でも、まあ、お前らしいや」

 

 その、友人としての温かい理解と肯定に、モーリは、ミマに、そして彼の選んだ道に、心からの敬意を込めて言う。

 

「お前のほうが、凄いよ。誰かの役に立つために、戦うんだから」

 

 その言葉に、今度はミマが、少しだけ照れくさそうに、しかし嬉しそうに笑った。

 

 ミマは「じゃあな」と、軽く片手を上げ、今度こそ本当に教室を去っていく。

 

「また、どっかで会ったら、飯でもおごれよな、チャンピオン」

 

 モーリは、その背中に「ああ」とだけ返す。

 一人になった教室で、モーリは、ミマの、そして自分自身の、それぞれの未来に思いを馳せる。

 バトルだけではない、ここで過ごした何気ない日常もまた、自分を形作った、かけがえのない時間だったのだと、彼は改めて実感していた。

 

 

 

 

 式とホームルームが終わり、モーリ、スズモト、ムラナカ、タケダの四人は、自然と、あのグラウンドの隅にある、ポケモンバトル部の部室へと向かった。

 部室の扉を開けると、クラッカーの弾ける音と共に、後輩たちの「卒業おめでとうございます!」という元気な声が、四人を包み込む。

 部室の中は、拙いながらも心のこもった飾り付けがされ、黒板には、部員全員と、そのパートナーたちの似顔絵が、カラフルなチョークで描かれていた。その中央には、「ありがとう、三年生!」という大きな文字。

 

 オーアサが、少し緊張した面持ちで、しかしこの場を仕切ろうという責任感を滲ませながら、会の進行役を務めていた。

 彼女の少しだけ上ずった声での合図に、後輩たちが、感謝の言葉と共に、手作りのアルバムや、寄せ書きのされた色紙を、一人ひとりに手渡していく。

 

「モーリ先輩、これ、俺たちの気持ちッス!」

 

 コウヌが、涙を堪えるように鼻をすすりながら、分厚いアルバムをモーリに手渡した。

 

 そして、一通りの贈呈が終わると、オーアサとセラが、改めて三年生の前に進み出る。

 オーアサは、深く息を吸い込むと、新部長としての、初めての公式な報告を始めた。

 

「秋に行われました、新人戦の結果を報告します。団体戦は、決勝でリオー高校に敗れ、準優勝でした。ですが」

 

 彼女はそこで一度言葉を切り、隣に立つセラに視線を送る。

 セラは、その視線に応えるように一歩前に出て、静かに、しかし確かな誇りを込めて告げた。

 

「個人戦では、俺が優勝しました」

 

 その報告に、モーリたち三年生は、既に知っていたその結果ではあったが、改めて後輩たちの口から、その成長と誇りを直接聞き、感慨深げな、そしてこの上なく誇らしげな表情を浮かべた。

 オーアサとセラは、その報告に続けて、今度は未来へ向けての、力強い目標を宣言する。

 

「先輩たちが残してくれた、団体戦地区大会優勝という大きな記録を、今度は、俺たちが超えてみせます。必ず」

 

 その言葉に、部室は、温かい拍手と、期待に満ちた熱気に包まれた。

 和やかで、少しだけ切ない時間が、ゆっくりと流れていった。

 

 

 

 

 会が和やかに終わろうとした、その時だった。それまで静かに後輩たちの言葉に耳を傾けていたムラナカが、意を決したように立ち上がる。

 

「なあ、モーリ。最後に、もう一度だけ、お前と本気で戦いたい」

 

 その言葉に、タケダもまた、強く頷きながら続く。

 

「わたくしも、ですわ。この三年間で、どれだけ成長できたか、モーリさんに見ていただきたいのです」

 

 その真剣な申し出に、それまで和やかだった部室の空気が、一瞬にして、心地よい緊張感に包まれる。後輩たちは、固唾をのんで、モーリの返事を待った。

 モーリは、二人のそのまっすぐな瞳を見て、最高の笑顔で答える。

 

「ああ、やろうか。……最後のバトル」

 

 部員たちは、夕暮れのバトルフィールドへと、最後の戦いを見届けるために、一斉に移動を始めた。

 

 

 

 

 全ての行事が終わり、仲間たちと、グラウンドの隅にある、思い出の詰まった部室に別れを告げた後。

 

 モーリとスズモトは、二人きりで、夕暮れの帰り道を歩いていた。

 

 今週中には、スズモトも、ムラナカも、それぞれの大学がある地方へと旅立つことになっていた。

 

 後、なぜかタケダもこのタイミングでカロスに短期留学に行くそうだ。

 

 実家に戻るだけのモーリとは違い、この一緒に帰る道も、もう数えるほどしかない。

 

 学校へと続く道は、満開の桜並木になっている。風が吹くたびに、薄紅色の花びらが、まるで二人を祝福するように、はらはらと舞い落ちる。その光景は、三年前、この町に来た日と同じなのに、モーリの目には、全く違う、温かい色に見えていた。

 

 モーリのライモンのアパートにたどり着く。二人だけの空間に、卒業という現実が、改めて重くのしかかった。

 二人は、これから始まる、カントーとコガネでの、遠距離恋愛について話す。不安がないわけではない。しかし、それ以上に、互いを信じる気持ちと、未来への期待の方が大きかった。

 

「きっと、大丈夫だよね」

「ああ、大丈夫だ。俺たちなら」

 

 モーリは、そこで、少しだけ照れくさそうに、しかし真剣な表情で、一つの提案をする。

 

「なあ、スズモト。心配だから、毎週、手紙を書いて、ファイアローに届けさせる。文通、しないか?」

 

 それは、彼が、スズモトの「自分の力で大丈夫」という言葉を受け入れた上で、それでもなお、彼女のそばにいたい、彼女を守りたい、という想いを形にした、彼なりの精一杯の愛情表現だった。

 スズモトは、そのあまりにも不器用で、しかし、この上なくロマンチックな提案に、一瞬、目を丸くする。そして、すぐに、今日一番の、満開の笑顔を咲かせた。

 

「うん! すごく、いい! ただファイアローに守ってもらうだけより、ずっと、ずっといい!」

 

 その約束が、二人の間の最後の不安を、完全に消し去った。

 

 モーリとスズモトは、強く、手を繋ぎ直す。

 物語は、彼らの「高校生活」の終わりと、それぞれの「新たな始まり」を祝福するように、舞い散る桜の花びらの中で、静かに、そして希望に満ちて、幕を閉じた。




次回は8/16 8:01に投稿予定です
次が最終回です

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