『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~ 作:rairaibou(風)
「お疲れさん」
観客席の一区画。
体育系部活の監督らしく短く切り揃えられた短髪のその男は、無事個人戦決勝に駒を進めた三年生に労いの言葉を投げていた。
私立リオー高校、ポケモンバトル部監督、ヤマサキからそのような言葉が出ることは珍しかった。彼は監督と生徒の間に徹底した上下関係を敷くことで有名だったから。
だが、その三年生はそれを特別不思議なことだとは思わなかった。何と言っても個人戦決勝だ。インターハイ出場も殆ど手中と言っていいだろう。このくらいのことを言われる権利はあると思っている。
「はい! ありがとうございます!」
「どうだ、相手の若いのは強かったか?」
「いえ! 幻惑されましたが最後はフィジカルの差でまくりました!」
正直なところ、三年生はギリギリな試合だったと思っていた。一歩間違えば大きなダメージをもらっていただろうから。
だが、それを、対戦における弱気な発言をするとヤマサキが怒ることをよく知っていた。
「ああそうだな、相棒に感謝することだ」
「はい!」
「よし、行け」
「はい!」
ヤマサキはそれだけ言って三年生との会話を終わろうとしていた。無駄な会話は必要ないと思っていたし、何より、生徒達が自分との雑談を望んでいないことに薄々気づいている。
だが、つい先程まで悩んでいたことをどうしても聞きたくなり、「おい」と、三年生を呼び止める。
「はい!」とバネ細工のように振り返った三年生に、彼は問うた。
「お前、なにか気づかなかったか?」
その言葉に、三年生は一瞬目を泳がせ、彼のこれまでの学校生活の中でなにか不手際があったのかと恐れた。
そんな様子を理解したのだろう、「ああ、いやいや」とヤマサキは手を振る。
「さっきの試合だ、さっきの試合のことだよ」
そう言われ、三年生はホッとしながら考えたが、特に思い当たることはなかった。
「いえ! 特には!」
「ああ、そうか、よし、頑張ってこい」
「はい!」
小走りに自らから離れていく三年生に、ヤマサキは小さくため息をついた。
その時だ、恐れ多くも彼の背後から声を投げるものがあった。
「監督の考えてること、当てましょうか?」
何も恐れぬ、若い声であった。
ヤマサキにはその声に心当たりがある。彼は先程より大きなため息をつきながら「カザ」と、その名を呼んだ。
「俺にはわかりますよぉ、監督ぅ」
どかりとヤマサキの隣に腰を下ろしながら、カザが下からヤマサキを覗き込む。
当然地毛の色ではない金髪に、高校一年生とは思えない堀の深い整った顔。男だろうと女だろうと懐かれて悪い気はしないかも知れないが、ヤマサキは「ほっとけ」と、目を逸らす。
「馬鹿は気楽でいいなあと思ってたでしょ」
その言葉に、ヤマサキは否定も肯定もしなかった。
だが、体育会系を纏める監督だ、もしそれが見当違いの言葉であれば、ぶん殴っていただろう。
幸いなことは、ヤマサキの普段の行いからか、周りにそれを聞く生徒がいなかったことだ。
それ幸いと、カザは一段階声のトーンを落として続ける。
「馬鹿だと、てめえが死んでたことにも気づかねえ」
「カザぁ」
ヤマサキは名前を呼ぶ口調でカザを窘めた。
「あまり言うもんじゃねえぞ、それが強みになることもある。現にあいつは、何も引きずらずに決勝に行く」
「そぉれが良くねえって話でしょうよ。あんなの、俺なら切腹もんですよ。監督もさあ、あんなの出すなら俺を出せばよかったんスよ、なぁにが一年は個人戦には出られないだよ。あんたのどこが鬼なんだって話ですよ。鬼なら出せよ、俺を」
「まあそう言うな。あいつらだって三年間頑張ってはきたんだ」
段々と、ヤマサキの口調も砕けてくる。
典型的な不良生徒であったが、ヤマサキはカザのようなトレーナーが嫌いではなかった。
故に、ヤマサキも疑問をカザに投げかける。
「しかし、不思議なのはライモンの一年だよ」
ちょうど反対側、ライモンの区画を眺めて続ける。
「向こうの女監督に聞いた話だと、カントーから来たんだとか」
「へえ、だけど、カントー飯食ったからバトルが強くなるわけじゃないっしょ」
「それはそのとおりだが」
彼は首をひねりながら顎に手をやった。あまり整えてるとは言えない白色混じりの中途半端なあごひげをなぞる。
「まあ、バッジは持ってるんでしょうよ」と、カザは一つ欠伸をした。
「少なくとも何も知らないってわけじゃないでしょうし」
「まあなぁ」
ヤマサキはそれでも何か腑に落ちないような表情だった。
彼とてこの業界が短いわけではない、目の前で見た対戦の違和感がそのようなロジックで払拭できるものではないことを理解できている。
「よっ、と」
カザは立ち上がり、汗に濡れた髪をかきあげながらヤマサキに背を向ける。
「ま、ちょっくら聞いてきますよ」
「おい、問題を起こすなよ」
「分かってますって」
彼の腰元には、コンコンとノックされたモンスターボールが、一つ。
☆
決勝戦が始まろうとしているところだった。
公立高校の一年生というイレギュラーはあったが、結局のところ決勝戦は、私立高校三年生の対決だ。
それでも、その試合がこの地域ではレベルが高いであろうことは間違いなく、参加者たちは皆それを見ようと観客席に戻っていた。
さしてバトルに興味があるわけでもない他校のマネージャー女子たちがモーリに視線を投げかけてもいたが、それも男子トイレの中にまで及ぶわけではなかった。
中規模スタジアムの男子トイレは、モーリが思っているよりも綺麗に保たれている。
だが、モーリは別に用を足したいわけではない。当然、煙を吸い込みたいわけでもない。
ただ、彼は決勝戦をまじまじと眺める気分には慣れなかった。
尤も、バトル部の面々はそれを咎めなかった。
もしかすれば自分が立っていたかも知れない舞台だ、悔しくて悔しくて、それを眺める気にはなれない、と、思っていた。
しかし、それがモーリの心境を的確に表しているとは限らなかったが。
「よう」
特に必要のない手洗いをしていたモーリの背後から、彼に声をかける者がいた。
彼が洗面台の鏡越しにそれを確認すると、そこには金髪があった。
「ライコーのモーリだろ?」
ワイシャツは着崩され、ベルトの位置は低い。
警戒心を解くためだろうか、口元には笑顔が浮かんでいるが、その目つきは鋭かった。
「そうだよ」と、振り返りながら彼は答える。ムラナカほどではないが、わずかにそれを見上げた。
「リオーのカザ。多分同学年だ」
彼は右手を結んでモーリの前に出した。それは握手でもなく、タッチでもなく、彼らのような人間だけが使う良くわからないコミュニケーションツール。
だが、モーリは何も思うこと無く同じく右の拳を突き出してそれに対応した。
ちらりと腰元を見やれば、彼の腰元にはボールがあった。
そして、モーリは自身の手持ちであるブニャットが、今は観客席で撫でられていることを思い出す。
彼はできるだけ自然を装いながら左手を胸元にやって、そこに笛があることを確認した。
「そうビビんなよ、挨拶しに来ただけだ」
視線がモンスターボールに向かったことに気づいたのだろう。彼は歯を見せながら笑った。
「準決見てたぜぇ、ウチのカミサワを追い詰めるたあな、やるじゃん」
カミサワ、というのは、モーリが先程戦った三年生のことだ。
「そりゃどうも」
「あいつさ、たまにカントーに遠征に行ってジム巡ってんのよ、今はバッジ四つ持ってるんだとさ」
「へえ、どおりで」
モーリは適当に相槌を打つと、できればその場を後にしようと視線を扉に向ける。
だが「おっと」と、カザが扉にもたれかかってそれを阻止した。
そして、彼はモーリを覗き込んで問う。
「お前、なんで抗議しなかった?」
その言葉に、モーリは視線を扉からカザの目に向ける。
一瞬、カザはその視線に目を泳がせた。
だが、すぐさまに今の状況は明らかに自分に優位であると思い出し、再び目線を合わせる。
「あの時、お前のブニャットは戦闘不能じゃ無かったろ。『こらえる』だ、ありゃあ」
モーリは、それを否定しない。
確かに、あの時ブニャットは『マッハパンチ』を食らった。
だが、モーリらはそれを読んでいた。
あの時後ろ足を踏ん張らせたのは攻撃のためでは無い、確実に来るであろう攻撃を『こらえる』ためであったのだ。
「審判がカスだったな」と、カザは続ける。
「カスな負け抜け審判だったから、アレを戦闘不能だと判断した。だが『こらえる』からの『じたばた』や『きしかいせい』は、それこそヘラクロス捕まえているガキでもわかる連携だ。あんなことされたら、俺なら暴れる」
それは間違いないだろう。
「勝ってたろ、あれ、なあ? 誰にも言わねえから、教えてくれや」
信用はできなかったが、同意を求める声に、モーリは諦めて答える。
「勝ってたよ、相手に引き出しがなければね」
「引き出しぃ?」
「あのカイリキーが『バレットパンチ』を覚えてない限りは」
「『バレットパンチ』? 覚えるのか?」
「理屈ではね」
そう言われ、カザは首をひねった。
そして、モーリが思っていたよりも早く正解にたどり着く。
「なるほどな、確かに『バレットパンチ』で先手を取られりゃ、せっかくの速さも無駄になる」
『バレットパンチ』は『マッハパンチ』と同じく電光石火の先手が魅力の技だ。
確かに技を『こらえる』事ができたブニャットの『じたばた』は強力だが、どれだけ小さな攻撃でも先手を取られてしまえばギリギリの体力が無駄になる。
あの場面、先制技があればモーリのプランは崩れ去っていたのだ。
そして、カザはあることに気づき、目を見開く。
「『いちゃもん』か!」
それが、モーリが引いていた勝利へのレールであったのだ。
『いちゃもん』で『マッハパンチ』の連続を封じ、確実に『じたばた』を通すための。
残念ながらカザはあの時『いちゃもん』の意図には気付けなかった。当然それはカイリキーが『バレットパンチ』を覚えることを知っていたからではない。
「お前、頭がいいんだな」と、カザは少し口角を引きつらせながら呟いた。
「お前の賭けは成功してたよ、あいつのカイリキーが『バレットパンチ』を打ってるところなんて見たことねえ」
「そうかい」
カザの称賛にそう返したモーリの言葉に、彼は違和感を覚えた。
普通は、喜びか後悔があるはずだった。
だってそうだろう、この大舞台で決め打ちした賭けに成功したのだから、それに喜ぶか、もしくは、それでも審判の裁量によって負けてしまった不幸を悔しがるべきだ。
「まだ何かあるな」と、カザはモーリを睨みつける。
「答えろ、何を隠してやがる」
ガツン、と、彼はトイレのドアを軽く蹴った。
そんなことをせずとも、例えば頭を下げて教えを請えばモーリはそれを教えるかも知れなかったが、それは仕方がない、自らの要求の通し方について、そういうことをするしか知識がないのだ。
モーリは鼻を鳴らしてそれに答える。
「昨日の団体戦、あの人はケーシィに『マッハパンチ』で攻撃したんだ」
カザは昨日の光景を思い出す。
確かに、あのカイリキーはライコーの三年生のケーシィに『マッハパンチ』で攻撃した。取るに足らないバトルではあったが、自らが出場していない団体戦で先輩たちが大恥をかくかも知れなかったバトルだったから、記憶の片隅にはある。
だが、それが繋がらない。
「それがどうした?」
「もし『バレットパンチ』を覚えているなら、十中八九そっちを選ぶ場面だ。エスパータイプやゴースト、フェアリータイプとの対面で先制を取るための技なんだから」
カザはリアクション無くそれを理解した。
確かに、エスパータイプに対してかくとうタイプの技のこうかはいまひとつだ。
どれだけ格下であろうと『バレットパンチ』を打たない理由はない。
「ますますわからねえよ」と、彼は首を横に振った。
「じゃあもう勝ちじゃねえか。個人戦で、相手はリオーの三年生で、バッジを四つ持ってるんだぞ、それをあんな風にされて、なんで黙ってるんだよ」
「言ったところで、どうにかなるもんじゃないだろ。無駄な時間使ってる間に『いちゃもん』の効果は切れる、そうしたら『マッハパンチ』されて終わりだ」
「そうは言ってもよ」
「あの試合は審判に『戦闘不能と判断された』僕達に非があるんだよ」
「オイオイまじかよ。信じらんねえ」
カザは呆れ返った。だが、そこにはわずかにモーリに対しての尊敬も存在している。
「まあ、分かった。分かったよ。信じられねえが、お前がそう言うならそうなんだろうよ」
ようやく、彼はトイレのドアから体を離す。
そして、その意図を理解するようにドアノブに手を伸ばすモーリに、一つ、何でもないようなことのように問うた。
「お前さ、バッジいくつ持ってんの?」
その言葉に、モーリは一瞬だけ動きを止めたが、すぐさまドアノブに体重をかけようとした。
だが、再びカザが右手でドアに体重をかけ、それを阻止する。
「俺はジョウトバッジを三つ持ってんだ、別に恥ずかしがることはねえよ。お前の実力が今の俺より上なことは認める、少なくたって馬鹿にやしねえさ」
馬鹿にはしない。
それは、プライドのやりくりで人生を生きているカザにとっては最大限の譲歩であった。
だが、モーリはそれに首を振る。
「それは言えない」
「なんでだよ、別にいいじゃねえかそれくらい」
それくらい、という言葉。
モーリはガザに背を向けたまま答える。
「ジムバッジは、数を誇るものじゃないんだ」
カザは、その言葉の真意を理解することはできなかった。
だが、明らかに。
それは明らかに、モーリが彼と自分達に明確ななにかのラインを引いた言葉であるように思えた。
そして、それは当たっている。
カザは、とっさにモーリの背後から彼のシャツの襟元を掴み、正面に引き寄せた。
それは、本当に本能的な行動であった。
彼は自らのプライドがとんでもなく傷つけられた、否、圧倒的な力で真上から踏み潰されたような気がした。
覗き込んだモーリの瞳には、わずかの怯えもなかった。この状況で。
そして、ようやく彼の前頭葉が本能を抑える。
「あ、あぁ、わりぃ」
パッ、と、彼は襟元から手を離した。
「すまねぇ、悪い癖だ。ついカッとなって」
出会って初めて、彼は眉尻を下げた。
「忘れてくれ、そんなつもりはなかったんだ。ほんとごめんな、人には聞かれたくねえこともある」
襟についたシワは僅かだった。
モーリはそれを少しだけ直して答える。
「いや、良いんだ。俺も良くないことを言ったと思う」
「喧嘩しようってんじゃないんだ。ただ、ちょっとお前のことが気になってな」
「いいよ、俺も、分かってる人と話せて楽しかった」
とりあえずの和解をしてトイレを出ようとしたモーリに、カザはもう一つだけ問う。
「そういやさ、お前んとこの女マネ、彼氏いんの?」
即答ではなかった。
一歩二歩、歩みを進めて。モーリは背中越しに答える。
「いるよ」
☆
「長かったな、試合終わったぞ」
ようやく観客席に戻ってきたモーリに、サイトーが言った。
他のバトル部の面々は、対戦場中央で握手を交わす二人のトレーナーに夢中になっている。
「ええ、だろうなと思ってました」
カザと別れて少ししてから、ひときわ大きな歓声が生まれたのを聞いている。
「惜しかったなあ、優勝したのリオーの三年生だぞ」
「そうですか」
「実質二位だな」
そう微笑むサイトーは、ふと、彼の襟元に目をやる。
「何かあったか?」
自然に、少し、声のトーンを落とした。
僅かだが、そこにはシワがあった。
だが、モーリは首を横に振る。
「いや、少し話しただけですよ」
☆
「改めて、今日は大活躍だったね」
日が落ちようとしていたが、時間的には夜と言ってもいいだろう。
サイトーの奢りによるファミレスでの残念会を経て、彼らは帰路についていた。
ムラナカらと別れ、モーリはスズモトと並んで歩いていた。
「モーリ君はこの後バス乗るんだっけ?」
「そう、俺んち山の方だから」
「大変だねえ」
「慣れるとそうでもないよ」
もう少し無言で歩いた後に、あ、と、モーリは思い出して彼女に問う。
「スズモトさんってさあ、彼氏いるの?」
えっ、と、スズモトはそれに驚いた声を上げる。
そして彼女は、落ち始めた日に負けないほどに顔を赤くして答える。
「い、いない、よ……」
「ああ、そう」
モーリは、それに気づかなかった。
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