『蝋塗れの手で』~元ガチ勢の俺が、ぬるま湯バトル部に入った結果、皆と「課題」に向き合うことになった話~ 作:rairaibou(風)
秋風が吹く校庭の片隅に、赤く色づいた木々がさざめく。
寒い寒いと、まるで秋が存在しないかのように人は言うが、去年の凍てつくような冬を思い出せば、日中の風はまだ穏やかで、まだまだ十分に秋だと断言しても良かった。
グラウンドでは体育の授業を受ける生徒たちが走り回り、その様子を眺めるモーリの目にはどこか遠い思いが映っている。
ポケモンバトル部も、新しい体制での活動が本格的に始まっていた。
前部長のツキシタが引退し、代わってイイダが新部長として指揮を執ることになった。
やる気の見られないイイダの態度に顧問のサイトーなどは少し不満な様子を見せていたが、部員達にとってそれは慣れた光景であったし、今更自分達に熱血などに合わないと心の何処かで思っている。
緊張感など欠片もなかったが、緊張感が欠片もないなりに、彼らの一人一人はそれなりに緊張していた。
秋の新人戦が迫っている。
☆
地方、中規模スタジアム。
やはり小規模に区切られた区画の中で、ライモン高校ポケモンバトル部、大将のイイダは、相棒のバタフリーに指示を飛ばす。
「『サイコキネシス』!」
その指示を受け、バタフリーは触覚をレーダーのように使用し、対戦相手のニドリーノに念動力での攻撃を行った。
すでに『ねむりごな』で意識が朦朧としていたニドリーノは、トレーナーの「よけろ!」という漠然とした指示をすべて受け入れることはできず、それをモロに食らった。
「『サイコキネシス』!」
普段の余裕ある態度からは少し予想できないほど矢継ぎ早に、イイダはバタフリーに指示を出す。
バタフリーもまた羽ばたきを強め、明らかに焦りながら再度の攻撃を敢行する。
それはやはり動きの鈍いニドリーノに直撃し、彼はぐったりと地面に伏した。
「ニドリーノ、戦闘不能!」
審判が上げた旗に間違いはなく、対戦相手もそれに不満は無いようで、ニドリーノがボールに戻された。
「やったやった!」
それにまず喜んだのはマネージャーのスズモトであった。
クーラーボックスを肩にかけて区画の隅っこに立っていた彼女は、声を小さくするように努力しながらも、音を立てないようにぴょこぴょこと小さくジャンプしている。
「イイダ部長、素晴らしいですぅ」
ズボンの側面で手を拭きながら対戦相手との握手をするイイダの背を見ながら、タケダはゆっくりと拍手をしていた。
ムラナカは同じくイイダの背を眺めながら感慨深そうに唇を動かしている。
その光景を見守るモーリは、たしかにその表情自体は嬉しそうであった。否、実際に嬉しくはあるだろう。だが、それでもモーリの心の中には、どこか物足りなさが漂っていた。
一歩目の『ねむりごな』が遅れていた。
相手が眠った後は背後に回るように練習していたはずだった。
『サイコキネシス』攻撃の後には、焦らず相手の様子を見るほうがいいという話をしたはずだった。
運良く勝った。たまたま相手の相性が良いから勝っただけに過ぎない。
もし相手のタイプが苦手なでんきタイプだったらどうだっただろう。
もし相手がくさタイプのポケモンであったり、『ふみん』のポケモンであったらどうだっただろう。
もし相手がバタフリーよりも素早かったらどうだっただろう。
もし相手がジムリーダーだったら、どうだっただろう。
もし相手がジムバッジ所有者であったら、どうだっただろう。
そこまで考えて、モーリはハッとして目をつむり、それを忘れるように小さく頭を横に振った。
そんな事を考える必要は無かった。イイダはジムリーダーに挑戦するわけではなく、その義務もない。否、誰だって、ジムリーダーに挑戦する義務など無い。
どうして、そんな事を考えてしまったのだろうか。
「イイダさん。おめでとうございます」
その考えを、再び脳の底に沈めるように、彼は馬鹿みたいに手を叩いてそう言った。
☆
「やったなお前ら! 祝杯だ! 飲め飲め!」
観客席、ライモン高校のために用意された一角で、ライモン高校ポケモンバトル部、顧問のサイトーは大きな笑顔を浮かべながら彼らを出迎えた。
彼女が手を差し出した観客席には十本弱のペットボトル入り飲料が並べてある。
数を数えてみれば、それが選手とその手持ちだけではなく、マネージャーのスズモトとフシギダネの分も用意してあることは、ポケモンバトル部に対するサイトーの姿勢や熱意を感じることができるだろうし、それらがすべて『おいしい水』であることからは、彼女の給与や財布の中身を感じることができる。
「ありがとうございます!」と、珍しくイイダが少し声を張りながら答える。
見て分かる通り、彼は少し興奮していた。
勝ちに飢えていたわけではない、彼はこれまでにそこそこ勝ってはいる。
だが、決して望んでいたものではないかも知れないが、部長という立場で、この部の団体戦初勝利を飾れたということは、さすがに彼も感慨深いようだ。
「いやぁ、まさか四人で勝てるとはなあ!」
『おいしい水』を持つ部員やポケモンたちと力強く乾杯を交わしながら、サイトーは少し声を潜めて言った。派手に喜ぶことは部の権利であろうが、それ以上の喜びの表現は失礼に当たるだろうという微妙な感覚を彼女は理解している。
「いやあ、まあ」と、イイダは少し頬を緩めて口ごもる。
同時に、モーリやムラナカ、スズモトもまた微笑みながらも口ごもっていた。
別に五人目のツキシタが居たとて大して変わりはないだろう、という言葉を出すべきではないという倫理観は共有している。
「はいぃ、ケッキングさんがいうことを聞かなかったときにはどうなるかとおもいましたぁ」
唯一ホッとした表情を見せながら、両手を添えてケッキングとペットボトルの乾杯を行うタケダのみがその事実を考えもしていなかった。
☆
モーリとムラナカは空のペットボトルを手に、歩きながらしばらく黙っていた。勝利の後、互いに心地よい疲れと少しの安堵を感じながらも、気持ちの中ではまだ何か引っかかるものが残っているようだった。
「チームが勝つと、嬉しいね」
ムラナカが突然、にっこりと笑顔を見せながら言った。
「うん、勝ててよかったな」
モーリは静かに答えたものの、その言葉には少し違和感を覚えていた。喜びの裏にある複雑な思いが、心の中に押し寄せてくる。
チームが勝利したことは嬉しい、それは本心だ。それにまるで自分のことのように喜ぶスズモトの姿を思い出す。だが、その勝利の内容は、彼にとって手放しに喜べるものではないようにも思えた。
「君って、なんでもないように勝つよね。冷静っていうかさ」と、ムラナカは羨ましそうに呟く。
「あー」と、モーリはその言葉に適当に相槌を打った後に「ああ、いや」と、慌ててそれを否定する。
「そんなことは、無いよ」
その言葉を発した瞬間、モーリは心の中で自分の感情を整理しようとした。
薄かった。勝利の実感が。自分が冷静に勝ったというよりは、ただ単に相手が力不足で、処理するだけの試合だったという思いが強かった。
尤も、この地方の学生アマチュアの大会だ、相手にレベルの高さを期待するほうが間違いなのだろう。
たどり着いたゴミ箱に、モーリとムラナカはそれぞれの空のペットボトルを投げ入れた。ゴミ箱の中で、プラスチックの音が響く。ムラナカは少し黙った後、目を上げて呟いた。
「僕はギリギリ勝ったって感じだった。まだまだ、君のようにはなれない」
モーリは、ムラナカが自分を褒めているのだと分かっていても、心の中でその言葉にどこか違和感を覚えていた。ムラナカの言葉の裏には、自分がどれだけ何気なく勝ってしまったのかという事実が見え隠れしている気がした。
「君はさ」と、ムラナカが何かを続けようとした時、彼らの背後から軽い声が掛かる。
「よう、モーリ」
振り返ると、そこにはカザが立っていた。相変わらずの荒れた金髪に、着崩したワイシャツ。
彼は笑顔を浮かべながら、まるで昔からの友人かのように馴れ馴れしくモーリに近づくと、手を差し出してグータッチを求めてきた。
「見てたぜぇ、試合。相手はショボかったが、簡単に勝ったな」
モーリが困ったようにその手を軽く合わせると、カザは満足げにニヤリと笑った。次に彼はムラナカに目を向け、軽く会釈をする。
「エビワラーの奴よな。俺はリオーのカザ」
「ムラナカです。よろしく」
「知り合い?」と、ムラナカはモーリに少し困ったような視線を向ける。少なくとも彼にとっては苦手なタイプであるようだった。
「前の大会のときにちょっとね」と、モーリは軽くそれに答えた。
カザは、今度はモーリに向き直り、言葉を続ける。
「今回、ライモンと当たるなら決勝だ。俺はこの大会ずっと大将で行くようになってる。逃げんなよ、お前も大将で来い」
モーリはカザの自信満々な態度をじっと見つめた。カザはその目を避けることなく、さらに続ける。
「決勝で会おうや」
その言葉には何かが込められているような気がして、モーリは思わず黙り込んでしまう。
「ああそうだ」と、カザは付け加えるように言った。
「女マネちゃんの彼氏によろしくなぁ」
カザはその後、何も気にすることなく、肩をいからせながら立ち去った。
「彼氏?」と、ムラナカは首をひねる。
「スズモトさんに、彼氏いたっけ?」
彼はちらりとモーリに視線を向ける。
だが彼はそれに気づくこと無く「さあね」と答えた。
☆
「まあ、決勝に行けるメンツじゃないわな」
観客席の一角で、リオー高校の監督であるヤマサキは、中堅私立高校とライモン高校の試合を眺めながら、呆れるように笑いながら呟いた。
ライモン高校はモーリとムラナカが何とか勝利を収めたものの、残りの部員たちが負けてしまい、ライモン高校の団体戦は結果として敗北を喫している。
「悪くはないんだがなあ」
しかし、その内容については、意外と彼はライモン高校を評価していた。
言うことを聞かないケッキングを連れた少女は、確かにケッキングが言うことを聞かないという致命的な弱点を持ってはいるが、それはそのケッキングのレベルの高さの裏返しでもある。その試合でも敗北していたが、それも戦闘不能になったわけではなく、あまりのやる気の無さに審判が試合放棄を選択したためであった。
エビワラーを連れた背の高い少年は、トレーナーとの実戦にまだ慣れきっていない様子は見えるが、筋が悪いようには見えない。自分のチームにいたとすれば、少し発破をかければものになりそうだ。
バタフリーの少年は厳しいかも知れないが『ふくがん』と『ねむりごな』のシナジーを徹底している姿勢は、刺さる相手には刺さるかも知れない。
そして何より。
「ありゃあとんでもねえなあ」
簡易的な双眼鏡でモーリの表情を眺めながら、ヤマサキは呟く。
なんでもないような勝利だった。
まるでそこにあるオボンのみをつまむかのように、モーリとブニャットは勝利を手にした。
対戦相手のレベルは決して低くはなかった。仮にリオーの生徒が戦うのであれば「油断はするなよ」程度のアドバイスはするだろう。
だがそれでも、なんでもないように勝った。
その時、ヤマサキの隣に一人の人物がドカリと座り込む。カザだ。
「負けてんじゃねーよ」と、彼は頭を掻きながらつまらなそうに呟く。
「ま、でも仕方ねぇか。あのメンツじゃな」と、カザは続けた。
「あんまり油断するなよ」
ヤマサキは双眼鏡を傍に置き、配布されたトーナメントに記載されているリオー高校から伸びる直線に当然のように赤線を引きながら続ける。
「来年こえーぞあのチームは」
「どうだか」
ヤマサキの言葉にカザは背もたれながら笑ったが「まあ、確かに」と、頷いて続ける。
「ありえねー話じゃねえか。今のウチのメンツ、クソだし。なんなんだよ、あいつら。俺一人でどうにかしてるようなもんだ」
ヤマサキはそれを聞いて少し眉をひそめ、声を強めてカザに苦言を呈する。
「そんなこと言うなよ。仲間を批判してどうすんだ」
しかし、心の中ではカザをそこまで強く批判する感情はなかった。わからないでもない、新チームも悪くはないと思ってはいるが、カザとのレベル差は大きいだろう。
「お前がそう思うなら、お前がそのために動かにゃならんぞ」
「俺が動いたところでどーなることだか」
カザのその声が届いているチームメイトもいるかも知れなかったが、彼らは少なくともその場では声を荒げることはないようだった。
そして、彼は対戦場を後にするモーリを遠目に眺めながら呟く。
「あいつ、リオーに来ればよかったのに」
不思議と、その声質は彼に似つかわしくないような、おもちゃを羨ましげに眺める少女のようにも思える。
その言葉は、カザの心からの嘆きのように聞こえた。彼はモーリの実力に感心している一方で、その才能が他の場所で活かされていないことに、どこか不満を感じているのだろう。モーリが自分のチームに来てくれたなら、どれだけ楽になるかと考えていたに違いない。
ヤマサキは肩をすくめ、カザに冗談めかして言った。
「でもな、もしモーリがウチにいたら、お前は二番手だよ」
カザはその言葉に一瞬顔をしかめたが、すぐにニヤリと表情を変えて返す。
「それは明日わかることでしょ」
ヤマサキは、それが翌日の個人戦のことを指していることを理解し、肩をすくめた。
☆
新人戦初日、団体戦においては当然のようにリオー高校が優勝したその翌日。
個人戦においては、二年生よりも一年生の活躍が目立つ小さな波乱が目立っていた。
ライモン高校のモーリが勝ち抜けていることはすでにその会場では不思議には思われていなかった。彼は夏の大会で三年生に混じってベスト四に入ったトレーナーであるし、不気味なほどに場馴れしているその立ち回りを、新人戦に出るような彼らが咎められるはずもない。
そして、リオー高校のカザの活躍もまた、当然のように受け入れられている。
新生リオー高校ポケモンバトル部の大将にして未だ無敗の彼は、まるでそれが当然であるかのように圧倒的に、僅かな綻びも見せないほど大胆に対戦相手を叩き潰していた。
彼らが活躍していることが不思議に思われていないのならば、一体誰が小さな波乱を巻き起こしているのか。
それは、ライモン高校の一年生、ムラナカであった。
☆
張り出されたトーナメント表を見つめるムラナカは、そこに並ぶ名前に目を止めた。自分の名前、そしてその傍に、モーリの名前が並んでいる。息を呑む音が自分の中で小さく響いた。
意識していないわけではなかった。トーナメント表をひと目見たその時から、モーリが順当に、そして自分が奇跡的に勝ち進むことがあれば、このタイミングでぶつかることを理解していたつもりだった。
だが、実際に自分が彼と戦うという立場になると、途端にその理解が不安となって襲ってくる。
モーリは強い。それは誰もが知っていることだ。夏の大会での彼の立ち回りは、まさに「場馴れ」そのもので、三年生のトレーナーたちを相手にしても全く引けを取らなかった。モーリとブニャットのコンビネーションは圧倒的で、その冷静な判断力と戦略的な思考は、ただの一年生とは思えないほどだった。
それに比べて、自分はと、彼は思う。自分がモーリに勝てるかどうかなんて、冷静に考えるまでもない。彼と対戦して勝てた試しなどほとんどないし、今回も結果は目に見えているかもしれない。
だが、と、ムラナカは腰にセットしたモンスターボールを撫でる。
たった一つだけ、彼らに勝てるものがあると思う。
モーリとブニャットは確かに強い。だが、二人の間には、どこかよそよそしい距離感があるように感じられた。ブニャットはモーリの指示に従い、見事な技を繰り出すが、そこには信頼というよりも、ただの命令と従属のような関係性が感じられる。
それに比べて、自分とエビワラーとの間には、もっと強いものがあると信じていた。
お互いを信じて戦う力。それは戦術や経験では補えない部分かもしれないが、モーリたちにないものが自分たちにはある。
全く勝てないわけではない、のかも知れない。
ムラナカは息を整え、モンスターボールに軽く指を這わせた。その感触が心の中に広がる。今まで、何度もエビワラーと共に困難を乗り越えてきた。技の精度や反応は決して完璧ではないが、エビワラーはどんな時でも力を尽くしてくれた。
モーリに勝つことを考えるよりも、エビワラーと共に全力を尽くすことだけを考えよう。
ムラナカは静かに歩き出した。対戦場へ向かうその足取りは、初めの不安とは裏腹に、次第にしっかりとしたものになっていった。
☆
観客席、ライモン高校のために用意された一角で、ライモン高校ポケモンバトル部の面々は、モーリとムラナカの試合が始まるのを静かに待っていた。
「二人とも、誰も応援に来なくていいなんて言ってたけど、なんだか気まずいね」
スズモトがクーラーボックスの上に腰掛けながら、ぼそりと呟いた。手元のペットボトルをいじる動きがどこか落ち着かない。
二人の対戦が決まってから、妙にソワソワしていた彼らを、二人共が制した。
勿論それは、もし応援にいかなければならないのならばどちらかの対面にいなければならないという状況を彼らが案じたものかも知れないが、特にムラナカは、強い意志を持ってその意見をしていたようだった。
「まあ、そう言われちゃったからには仕方ないだろ」
イイダが腕を組んだまま答えた。その視線は遠くに見える対戦場を捉えていたが、どこか落ち着きのない様子が見て取れる。
「でも気になりますわぁ、どちらが勝つんでしょう」
タケダの言葉に、スズモトが小さく頷いた。
「うん。二人ともすごく頑張ってるからできればどっちも勝ってほしいけど、そうはいかないもんね」
イイダが軽く息を吐いて、少しだけ笑った。
「頑張ってんのはムラナカだと思うけどよお。モーリじゃないか、やっぱり」
そう言う彼の口調はどこか冷静で、それでいて、どこか諦めのようなものを含んでいる。
「俺はモーリには勝てないけど、ムラナカにならたまに勝てるし」
「おい、あまりに後ろ向きすぎる理由だな」
それをたしなめるサイトーに、イイダは肩をすくめて答える。こころなしか、彼の方に止まるバタフリーも、それにバランスを取りながら肩をすくめるような動きをした。
「だって、俺達モーリに『ねむりごな』当てたこと無いですもん。毎回毎回先手打たれてさ、こっちがそれを対策したときだけ攻撃してくる」
スズモトはイイダの言葉を聞きながら、少し複雑そうな顔をした。
「でも、ムラナカ君だって、この大会ですごく成長したと思うよ。最近はエビワラーとのコンビネーションも良くなってきてるし」
「まあ、それもわかるけどさ」
イイダは更に肩をすくめた。
「ムラナカも悪くはないんだ。けど、やっぱりモーリのほうが場馴れしてるし、判断が速い。それに、なんだかんだ言っても、あいつとブニャットのコンビネーションはえげつねえよ、普段はそんなこと無いのによお」
「確かに、そうですけど」
スズモトは頷いたものの、どこか言葉が詰まる。
その様子を見たタケダが、いたずらっぽく笑いながら口を開いた。
「まあ、私てっきり、スズモトさんはモーリさんを応援していると思いましたぁ」
突然の言葉にスズモトは一瞬目を丸くし、それから慌てて首を振った。
「そ、そんなことないよ! どっちも、頑張ってほしいだけで」
その後に少し沈黙し、僅かに顔を赤くする。
「ほんとうですかぁ」
タケダはコロコロと笑いながら、冗談めかした声で言いながら続ける。
「私はバランスを取るためにムラナカさんを応援しますぅ」
その軽口に、スズモトは顔を赤くし少し困ったような笑顔を浮かべながら黙り込む。
一方、顧問のサイトーは腕を組み、遠くの対戦場を見つめていた。彼女は、二人のやり取りに苦笑しながら話に加わる。
「どっちが勝つにしても、それは良いことさ。二人ともここまで来たんだから、勝っても負けても、今後の自分たちの糧になる。そんな試合ができるんだから、幸せなことなんだぞ、それは」
「まあ、そうっすね」
イイダが頷きながら、少しだけ目を細める。
「でも、どっちにしてもツキシタさんがいたらうるさかっただろうな。死ぬほど興奮してぶっ倒れたかも」
スズモトとタケダが顔を見合わせ、くすくすと笑う。
「うん、確かにツキシタ先輩だったら、きっと全力で二人とも応援してたよね」
「いや、それだけじゃ済まないでしょ。きっと応援しながらアドバイス飛ばしまくってるよ」
そんな言葉を交わしながら、彼らの視線は再び対戦場に向けられる。
ライモン高校の二人の一年生が、対戦場の中央に集まろうとしていた。
☆
対戦場の中央で、モーリとムラナカは無言のまま学生審判の指示に従い、向かい合った。
モーリが手を差し出す。ムラナカは少し躊躇したが、自分の手を重ねた。ふと、彼はモーリの手の感触に気づく。
乾いていた。
どこにも湿り気は感じられない。これほど冷静な手の平があるのかと思うほどだ。
自分の手に意識を向ける。少し汗ばんでいることに気づいた。
握手した瞬間、モーリにそれが伝わったのではないかと考え、思わず目を伏せる。自分の中で否応なしに湧き上がる劣等感と、それでも消えない競争心。手のひら一つで、ここまで違いがあるのかと思い知る。
けれど、この場に立った以上は戦わなければならない。
否、そうではない。
望んでいたはずだ、こうなることを。
ムラナカにとって、この試合は自分を試す場所でもあった。言葉にしなければ、この想いは消えてしまうような気がして、勇気を振り絞る。
「君に勝ちたい」
握手したまま、ムラナカはそう告げた。普段の彼なら口にすることのない、不器用で率直な言葉。モーリに対して、心から湧き出た願いを押し出すようにして発したものだった。
モーリはその言葉に、一瞬だけ目を大きく開く。そしてすぐに軽く頷き、手を離した。
「いい試合をしよう」
その言葉を口にしながら、モーリは自分の平凡さを少し恥じた。
もっと気の利いた返答があるはずだった。しかし、ムラナカの思いに対して、自分が返すべき言葉はこれ以外に浮かばなかったのも事実だ。
否、そうではない。
その言葉に、強く言い返すだけの実力を、彼はムラナカから感じられなかったのだ。
そして、モーリは心の奥底にある感覚に震えていた。ムラナカの言葉に込められたのは、純粋な尊敬と、恐れと、それに打ち勝つ勝利への渇望だった。それはモーリにとって刺激的で、同時に自身の中に眠る何かを目覚めさせるものでもあった。
彼は自分の胸に沸き上がる思いを飲み込む。自分は、やはり負けたくないのだ。どんな場であれ、どんな相手であれ。目の前に立つムラナカの真摯な眼差しを受け止めながら、その思いがより一層強くなるのを感じた。
二人は同時にモンスターボールを手に取り、審判の指示に従って距離を取る。会話はそこで途切れたが、無言のまま向き合う彼らの間に、熱が立ち込める。
ムラナカがボールを投げる。その軌道を追うように、モーリもまた自分のボールを投げた。それぞれの相棒が対戦場に現れる。
ブニャットとエビワラー。
二匹のポケモンが、互いの相手をじっと睨みつける。
戦いは始まっている。
「『ねこだまし』」
「『きあいパンチ』!」
集中力を高めようとしたエビワラーにブニャットが飛びかかり顔面を小さく叩いた。
出鼻をくじかれ、エビワラーの集中力が途切れる。
だが、エビワラーの『するどいめ』はブニャットを逃さない。
モーリ達は追撃を諦めて距離を取った。
一連の行動に、観客席はわずかにどよめく。
序盤から大技を仕掛けたエビワラーに、セオリー通りの動きをしたブニャット。
なんでもないような動きに見えた、そして、なんなら大味なやり取りにも思えた。
だが、そのやり取りに、モーリとブニャットは僅かな焦りを感じている。
ブニャットのようなポケモンと対峙するならば初手の『ねこだまし』は当然警戒せねばならない選択肢だろう。ほんの少しでもダメージをもらわないようにするのであれば『まもる』などの行動だ。
だが、ブニャット側はそれに対して『つめとぎ』などで機会を伺う事ができる。その瞬間の優位はブニャットにあるのだ。
ムラナカの行動は、そのような優位性を吹き飛ばす選択肢だった。もしブニャットが機会を伺えば、すぐさまに『きあいパンチ』が飛んできただろう。そしてそれは、ブニャットとエビワラーのレベル差を考えたとしても、勝負を決めかねない一撃だった。
勿論それは、ムラナカがモーリとブニャットのコマンドを良く知っていたことが要因の一つしてはあるだろう。実際、部活動の際にそのような話をしていたかも知れない。
だが、今彼がここでそれを発揮できたことは事実なのだ。
にらみ合いの一瞬、モーリは考えを巡らせる。
『きあいパンチ』の選択肢があるのならば『ちょうはつ』や『いばる』を不用意に打つことは難しい。それらをうって運が悪ければ一気に勝負が決まるだろう、そのような運否天賦に運命を託す相手ではないはずだ。
『みがわり』は無くはないだろう。だが、その選択肢はいたずらに勝負を長引かせるだけになりかねない。
もう一度、考えを巡らせる時間があった。
ムラナカは相手の出方をじっと眺めている。
だがこの場面、ムラナカは相手に時間を与えるべきではなかったのだ。
格上にして実際にレベルに差のある相手に『きあいパンチ』の選択肢をちらつかせることで少なくとも『読み合い』の領域には持ち運んだのだ。
それならば、ここは畳み掛けるべきなのだ。
考えなければならないと相手に思わせることには成功した、それならば、ここは畳み掛け、畳み掛け、相手の考えがまとまるよりも先に勢いを押し付けるべきだった。
だが、彼は相手の様子をうかがった。それは若さか、否、実は今この瞬間こそ、自分が戦局を握っているのだという感覚がなかった。ひとえにそれは、彼がモーリとブニャットに対して抱える畏怖によるものであった。
勝利への道をつなげたモーリがブニャットに指示を出す。
「『つばめがえし』」
途端、踏み込んでエビワラーに襲いかかるブニャット。
だが、あれだけ様子をうかがっていたムラナカには、それを返す準備がある。
「『ローキック』!」
ブニャットの爪がエビワラーの肉体に食い込む僅かに寸前、エビワラーのキックがブニャットの後ろ足を捉える。
風を切るような『つばめがえし』の大きなダメージに、エビワラーは膝をつく。だが、戦闘不能になっているわけではない。
対するブニャットも、わずかに後ろ足を引きずっている。
だが、ブニャットは前足を踏み込んだ。
想定していた光景に、ムラナカが更に叫ぶ。
「『とびひざげり』!」
膝をついた低い姿勢は、むしろ好都合だった。
向かってくるブニャットに対し、エビワラーの膝が襲いかかる。
足にダメージを与えている、エビワラーのほうが早いはずだった。
しかし。
「『でんこうせっか』」
膝が届くより先に、ブニャットの体当たりがエビワラーの体に、『つばめがえし』でダメージを追った部位を強く打ち付ける。
エビワラーの体が大きく崩れる。
☆
対戦を終え、観客席に向かう帰り道。モーリとムラナカは隣り合わせで歩いていた。
その途中、他の高校の生徒たちが二人を称える声もあったが、二人はそれに気の利いた返しはできずにいる。
ムラナカが、ちらりとモーリの横顔を見た。その表情はいつものように無表情とも言える落ち着いたものだ。ついさっきまでバトルをしていただなんて、誰が信じるだろう。
「やっぱりモーリは強いよ」
ふと漏れたその言葉は、悔しさを含んでいたが、同時に不思議と清々しさもあった。ムラナカは視線を前に戻しながら続ける。
「何やっても届かない感じがする」
モーリは少し歩調を緩め、視線をムラナカに向けた。
「そんなことない。良い動きだったよ」
ムラナカは苦笑した。頑張っていたことを認められるのは嬉しい。だが、それでも結果は変わらない。負けた事実が重くのしかかる。
「結果は僕の負けだよ、あの時と同じようにね」
モーリは一瞬言葉に詰まりかけた。ムラナカがそう言ってしまうのも無理はない。だが、彼は初めて出会ったあの日に比べれば格段に上達していた。
「今日は、何かあれば負けてたかも知れない。少なくとも、焦った場面はあった」
それは全くの嘘ではないが、全面的な真実とも言いがたかった。
ムラナカは歩きながら小さく首を振る。
「そう思えるのがすごいんだよ。僕なんか、負けたことで頭がいっぱいだってのにさ」
その言葉に、モーリは短く息をついた。どう返していいか分からないまま、しばらく沈黙が続いた。
やがて観客席の一角が見えてきた。ライモン高校の部員たちが、彼らの帰りを待ち構えている。スズモトが一番に立ち上がり、手を振った。
「お疲れさま! 二人とも、本当にすごかった!」
彼女の明るい声に続けて、タケダが笑顔で言った。
「どちらも良い試合でしたぁ。 特にムラナカさん、なんか今日いつもより動きが良かったんじゃないですかぁ」
ムラナカはタケダの言葉に少し照れくさそうに笑い、軽く頭を掻いた。
「いや、そんなことないよ。結果はあれだし」
「いえいえぇ、結果は結果ですわぁ。私のお母様も『結果を見るのが一流、過程も見るのが超一流』と言っておりましたぁ」
「お母さん何者?」
そのような様子を眺めながら、イイダが軽く手を挙げて少し茶化すように呟く。
「まあ、俺なら初手でやられてたな。ムラナカ、結構やるじゃん」
その言葉に、ムラナカは小さく笑い、肩をすくめた。
「ありがとうございます。でも、僕の『結構やる』くらいじゃ、モーリには勝てなかったです」
その言葉を聞いて、スズモトがモーリに向き直った。
「モーリ君も、すごく良かったよ。あんな風に冷静に戦えるのって、やっぱり尊敬しちゃうな」
モーリはスズモトの言葉に軽く笑みを返したが、心の中では何とも言えない感覚が広がっていた。
他の部員たちがムラナカを中心に称える姿を見ながら、どこかでそれでいいと思っている自分がいた。今日、頑張っていたのはムラナカの方だった。その奮闘を称えられるのは、正しいことのように感じた。
どちらかと言うと、自分は頑張っていない。
モーリは静かに息をつき、椅子に腰を下ろした。ムラナカの悔しげな笑顔が脳裏に残る。負けてもなお、自分を高めようとする姿勢。それが強いということなのだと改めて思った。
他の部員たちの笑い声を背に受けながら、モーリは次の戦いに向けて心を整えようとしていた。
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