教室の扉を開けると、既に授業が始まっていて一斉にクラスメイトの視線を集めてしまった。居心地が悪く足早に自分の椅子へと向かう。
その途中…
「カネイトってさ、
誰かが小さな声でそう呟いた。
(なんの話だろう)
気にはなったものの授業中という事もあり大人しく自分の席に着く。それから前の席の彼が「仕事おつかれ」と軽く話しかけてきたくらいでその日は何も起こらずに学校が終わった。休み時間のたびにどこからか視線を感じたけれど結局、俺に話しかけにくるクラスメイトは彼以外誰一人としていなかった。
(寂しいような仕方ないような)
誰だってクラスで浮いている人には話しかけずらいものだろう。
「どうしたんですか?そんな暗い顔をして」
隣を歩くアマツカが俺を見上げて聞いてくる。
俺は「してた?」と首を傾げた。
「はい。体調悪いんですか?それなら」
首を横に振る。体調は特に悪くない。背を後ろに反って伸ばしこれ以上アマツカに心配かけないよう気合を入れ直す。
「あっ本当にデート期待してました?」
「まぁね」
一応、近場で良さげなお店は探しておいたけれど…見渡すと普通の住宅街。人の気配は無く、電柱や壁などが崩れたり倒れたりしている。それを治すための業者さんが行き交い普段なら閑静な住宅街なのだろうが今は少し騒がしい。
おそらくここがネズミの新たな被害現場なのだろう。行くにしてもどうしてここなんだ、とため息を吐く。
「仕方ないじゃないですか。私たちが遊んでいる間にまだ誰か襲われたら…嫌ですから」
(…犯人は現場に戻るっていうけど)
あれはネズミであって人じゃない。一回目の被害現場にネズミが戻ってきたという報告も無かったので今回も戻ってくる事は無いような気がする。
それでも何かしないと気が済まないのが
「付き合うよ。何すれば良いの?」
「今ここにいる業者さんに聞き込みましょうか。教会も警察も色々と調べた後だとは思うんですけど」
頷いて、聞き込みを開始する。
結局、一時間ほど聞き込みをして聞けた話はどれも既存の物と変わりなく、証言の信憑性を高める以上の成果はなかった。
「やっぱりそうですよね」
鋭い爪に裂かれた傷から獣型の神性体、今巷を騒がれているネズミの化け物だろう、という何度目かの証言を聞いたアマツカはお礼を言って立ち去り肩を落としていた。
これといって捜査が進展しそうな話は出ていない。
「もっと聞き込みの範囲を広げてみましょうか」
「どこいくの?」
「近くの商店街の方は警察の方が防犯カメラのチェックをして、近辺の住宅街は教会の方達が聞き込みをしているので私たちはそれ以外になりますね」
そう言ってアマツカはスマホで地図を開く。商店街と近くの住宅街を除いた場所…
「川か」
「ランニングをしている人とかに聞き込みですかね?」
「いや。聞き込むのにちょうど良い人がいる」
アマツカは「そんな人居ましたっけ」と首を傾げていた。
その後、河川敷を歩いて進み橋の下へと辿り着く。
そこはホームレスの溜まり場。普通に暮らしていたら近寄らない場所。
ドラム缶で作られた焚き火が揺れる。その周りで服を着込んだ人々が俺たちを怪訝そうにジッと見ていた。時折、木の破裂する音と共にドラム缶から火の粉が飛んでいく。
「ジャック」
伸びっぱなしの髪がうねり顔を隠した男性が声をかけてきた。声からして俺の探していた知り合いだ。
それから俺たちは少しドラム缶の辺りから離れた所で立ち話を始めた。
「久しぶり、おっさん。すっかり変わって誰だか分かんなかったよ」
「まぁな。ジャックも…変わったな。そっち側に着いて」
この異端審問官の黒いフード付きコートの事だろう。
苦笑いを浮かべて「まぁね」と返す。
「変わらざるを得ない。そんな状況になった。危うく俺もそっち側だったよ」
あのまま、あの部屋から飛び出していたら…きっと俺はここにいた。
肩をすくめる俺におっさんは「それは危なかったな」と小さく頷きながら言う。
「ジャックはまだ若い。変われるなら変わった方がいい」
卑屈な笑みを浮かべながらそう言ったおっさんの口調は昔と変わっていない。
「まぁ立場は変わったけど、心が昔のままだ。ここで生きるっていう覚悟が足りない」
異端審問官として続けていくのか、もっと安全な所で働くのか。俺はまだ決めかねている。
「…何もしてこなかった過去を見ず、何もなし得なかった今の自分すら忘れ、馬鹿になってこれからの自分を信じろ。きっと神は見てる」
そう言っておっさんは服から最早懐かしさあるペンダントを引っ張り出す。もう既に灰になって朽ちた教会のシンボルだ。
「取り残されたけど今に満足してるよ」
それがおっさんの覚悟らしい。
俺は頷く。
「それより、こんな所に世間話なんてしに来たんじゃ無いだろ?」
それからおっさんは俺の後ろに引っ付いているアマツカの方を見てニヤリと笑う。
「なんだ?人目のつかない場所でも探してたか?ベタだな、今どき橋の下って」
「違う。最近巷を騒がしてるネズミの化け物について何か知らないか、を聞いて回ってるんだ」
おっさんは「何も知らんな」とすぐに答え首を横に振る。それからドラム缶の方を指差して
「あいつらにも聞いてこようか?」
と尋ねてくる。
「…俺としては聞かなくていいと思うが…どうする?」
後ろのアマツカに視線を向ける。
アマツカは首を横に振り「聞かなくていいと思います」と答えた。
「じゃあ邪魔した。おっさんも元気で!」
「おうおう。ジャックも気を付けてな」
お互い手を上げ笑顔で川から離れる。
それから俺はため息を吐き出した。
「…あれは何か隠してるだろうね」
そう呟く。
おっさんが絡んでいるという事は過去の教会がらみという線すら出てきてしまう。知りたくなかった。
「まぁ何も知らないわけ無いですからね」
俺は「だろうね」と頷く。
野晒しの家に深夜の徘徊。人を襲うネズミならおっさん達は絶好の狙い目だろう。おまけに社会から離れた所にいるので異端審問官や警察もすぐには対応しづらい。
俺が異端審問官と気付けばネズミの情報を聞いてくる方が普通。なのにネズミの話を聞いても怖がる素振りすら無かった。
「あれがおっさんなりの覚悟って事かなー」
「ああいう人ほど大そうなこと言いますよね」
アマツカは冷めた調子で言う。
「辛辣だな」
どうやら先ほどのセクハラでアマツカからおっさんの好感度はマイナスらしい。
まぁもう多分一緒に会いに行く事は無いだろうからいいか、と苦笑いを浮かべる。
「私また夜、ここへ見にきてみます」
俺は思わず耳を疑った。「え」とアマツカの方を見る。
その瞬間、突然近くから爆発音のような音が響いた。
「なに!?」
近くの交差点の方からだ。お互いその音の方向へと走り出す。
この町でこの轟音、おそらく…
逃げ惑う人の波を掻き分けて進む。
「出たか!」
やはりネズミの邪神がいた。民家に火の手が上がり、近くにひしゃげた車の黒い残骸が転がっている。
「チュッチュッ」
ネズミは頭を炎に赤く照らされながら小さく鳴いて鼻を空へ高く上げている。何かを探しているように見える。
時間としては前回よりも前々回の方が近い夕方の時間帯。空の端で赤と紺の二色が混ざっている。
幸い大方の人が逃げ終えたらしく、先ほどまで聞こえていた叫び声がネズミを見つける頃にはうっすらと背後からしか聞こえなくなった。偶然、この辺りには人が少なかったようだ。
「誰も…いない?」
「隠れましょう」
俺は頷き、二人で瓦礫の側からネズミの様子を伺う。
これでネズミが逃げた先、隠れ家的なものを見つけられれば準備を十分に整えた異端審問官達が突入し葬り去ってくれる事だろう。そこに未熟な俺の出る幕はない。
しばらく上を向き続けていたネズミが頭を下ろし… 血のような赤い瞳がこちらを見た。
(バレた!?)
咄嗟に身を隠したものの目があったような気がする。
「離れよう」
俺は呟いてアマツカの手を取り瓦礫に沿って歩き出す。
俺たちがその場から数歩進んだ所で先ほどまでいた場所が吹き飛び…
「チュッチュッ」
ネズミが瓦礫から顔出し怯む俺たちの方を真っ直ぐ見ていた。