びしょぬれタイガー   作:海砂

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第十三話 記憶記憶!

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 毎日コソ泥やスリをして暮らしていた。

 まだ子供だったおれはそうやって日々を生き延びるしかなかった。

 この町から外に出たこともない。その必要もない。

 食うだけでも精いっぱい。

 

 大きくも小さくもない、どこにでもある田舎町。

 広い公園に行けば好きなだけ水は使える。

 クソ汚いトイレの水だが、それでもおれには十分だ。

 そんな公園だっておれにとってはメシのタネだ。

 この公園に集まるガキを連れたジジババは金を持っている。

 おれだけが知っている。

 スリにはもってこいだ。

 

 クソ暑い夏の日も、凍り付くほど寒い冬の日も、俺はその公園を中心に生活していた。

 無駄に集まるガキどもからも小銭をかすめ取ることができる。

 無邪気な顔をしたガキどもは大人どもが思っているよりずっとしたたかで、時期によっては大人よりも金持ちだった。

 自分だけの財布を持ち、拾った金もそれに入れる。

 もらった小遣いを後生大事にしまい込み、それを肌身離さず身に着けている。

 

 時には隙を見て、たまには暴力で、その小さな金を奪い取る。

 一つ一つはしょぼい金だとしても、集めればそれなりの金になる。

 大人から頻繁に、あるいは大金を奪うと、それがばれれば力を持たないおれはすぐにここを追い出されるだろう。

 だがガキなら黙らせることもできる。

 基本はスリ。ばれたら脅す。

 大人にばれたらお涙ちょうだい。財布を返し、食い物を恵んでもらう。

 もちろんボコられたことも一度や二度じゃない。

 そんな時は血まみれになりながらひたすら土下座。

 プライドなんてものはなかった。そんなものがあったらここまで生きてこれなかった。

 

 時にはうまく立ち回れることもあった。

 ガキどものジジババが、自分とこのガキがたかられているとは夢にも思わずに、おれになけなしの金を恵んでくれることもあったのだ。

 そんな時は心の中でほくそ笑む。

 そしてまたスリをする。

 

 

 そんな毎日を過ごしていたある日のこと。

 俺は一組の兄妹に目を付けた。

 おれでも殴り倒せそうなヒョロい兄と手をつないでいる、軽く蹴るだけで十メートルは吹っ飛んでいきそうな小さな小さなガキ。

 妹の方はガキすぎて金目のものは持っていないだろうが、兄貴の方は何かしら持ってるだろう。

 まずは兄貴の懐を探って、もしばれたら妹を奪い取って人質にすればいいか。

 

 おれはさりげなくその兄妹に近付く。兄の横を通り過ぎる。気づかれないように手を伸ばす。

 その手はがっちりと、兄に掴まれていた。

 失敗を悟り、ターゲットを妹へと切り替える。

 おれはその時、妹の方をちらりと見ただけだった。

 その瞬間世界が反転し、気づいたらひっくり返って空を見上げていた。

 

「だいじょぶ?」

 

 妹がおれの顔を覗き込んで声をかけてくる。

 

「ライラ、そいつに話しかけるな。クソが感染(うつ)る」

 

 兄が妹をかばうように立って、おれを見下して言う。

 

「うつる?」

 

 妹が兄を見上げて尋ねる。

 

「ああ、そいつはクソだ。だから近づくな」

 

 兄はそう言って妹の手を引き歩き出す。

 

「おい! 待てよ!」

 

 慌てて後を追い、兄の方に手を伸ばす。再びおれの視界がぐるりと回り、さっきと同じように地面に転がっていた。

 

「しつこいな、やめておけ」

 

「おけ!」

 

 おれがそいつらを追えたのはそこまでだった。

 

 

 ところが。

 翌日から、そいつらは同じくらいの時間に公園を訪れるようになった。

 妹の方が、おれを見つけると駆け寄ってくるようになったのだ。

 

「いた!」

 

「……またお前か」

 

「そいつはおれのセリフだな。仕事の邪魔すんじゃねぇよ」

 

 実際、こいつらがそばにいると仕事にならない。

 最初はカモフラージュになるかと思ったが、目の前で手を出そうとすると兄がおれの手首を握る。

 いつでもお前を投げ飛ばせるんだぞ、と、その目が語っていた。

 

「ライラ、行くぞ」

 

「あーい」

 

 兄の手を引いて、妹が駆けていく。

 兄はおれが見えていないかのように振る舞った。

 いや、実際見えていなかったのかもしれない。

 おれの顔などろくに見てもいなかったのだから。

 それが悔しくておれは何とかして奴の目を引こうとしたが、奴はおれをいないものとして扱った。

 いつも一緒だった二人の世界におれが入る余地はなかった。

 

 

 しかし一週間、一か月と毎日会ううちに、だんだんと変化が出てきた。

 

「よう」

 

 最初は、挨拶だった。

 ある時、妹よりも先に兄の方がおれに声をかけてきた。

 別にそれだけなんだけど。なんだかおれは無性にうれしかったのを覚えている。

 

「またお前らか」

 

「おい、ライラ。ちょっとあっちで遊んでろ」

 

「はーい」

 

 兄はおれから少し離れたところへ妹を連れて行く。

 そして二人でなにやらしゃがみ込んで話し始めた。

 おれはその隙に近づこうとしたが、すぐに兄が戻ってきてしまった。

 

「お前に話がある」

 

「お前じゃねぇよ。おれの名は……」

 

 おれが名乗ろうとするのを遮って、兄はおれの胸倉を掴むとそのまま持ち上げた。

 見た感じヒョロいくせにすごい力だ。

 

「……ぐっ! 放せ!」

 

「お前、いつまでこんなことやってる? まじめに働く気はないのか?」

 

 兄は手を緩めおれを地面に降ろした。

 

「家もねえおれみてえなガキが働けるところなんてあるかよ!」

 

 おれはせきこみながら首元を緩める。

 

「てめえらみたいに恵まれたガキどもにはわからんだろうがな!!」

 

 そのおれの言葉を聞いて、兄は軽く眉をひそめた。

 

「……働く場所ならオレが紹介してやれる。住む場所がないのならオレの家に来るといい、部屋は空いてる」

 

 言われたことの意味が一瞬分からなかった。

 働く場所がある、そこまではギリ理解できる。だけど家に来てもいい?

 

「てめえらの親が許さねえだろうが。おれみてえな盗人が家に上がるなんてよ」

 

「うちにいるのはオレと妹だけだ。オレが働いて妹も養っている」

 

 ひょろりと背だけは高いが、兄はおれと同じくらいの年齢だと思う。

 いっててもせいぜい十四、五歳くらいだろう。おれは確か十二歳。

 その年齢で、働けて、家を借りられて、メシも食える……そんなことが、この世の中にあるのか?

 

「別に裏稼業でもなければ犯罪でもない、ただの肉体労働だ。賃金をもらうようになれば家賃もいくらか支払ってもらうが、それまではタダで住んでいいし大したもんじゃないがメシだって食わせてやる」

 

 なんだよ、こいつ。なんでだよ。

 なんでおれみたいなヤツにそこまで言ってくれるんだよ。

 

「……ライラが、お前を気に入っているからな」

 

 ライラってのは、あっちで地面に絵をかいて遊んでいる妹の名前だ。

 たったそれだけで、まだ名前すら知らないおれのことを信じるのか?

 

「あいつはまだガキだが、人を見る目はある。本当にやばい奴にはなついたりしないし、そもそも最初から近寄りすらしない。それが、初めてお前に会った時から毎日、お前に会いに行く公園に連れて行けと言われて大変だった」

 

 兄は静かに、ゆっくりと言葉をつなぐ。

 

「お前の事情を詳しく聞いたりはしない。……ここにいるよりはずっとマシなんじゃないのか? だまされたと思って働いてみないか」

 

 おれをまっすぐ見つめる兄の目を見れば、その言葉にウソはないと確信できた。

 こいつは本気で、おれを助けようとしている。

 今まで、そんな奴は一人だっていなかった。

 

「本当に……本当に、いいのか」

 

「条件は二つ、まじめに働くことと、ライラの遊び相手になることだ。この二つを守れないようであればすぐに出て行ってもらう」

 

「……わかった。本当に、感謝する」

 

 そしておれは初めて心から他人に頭を下げた。

 

「今日からお前は……オレたちの家族だ、いいな?」

 

「ああ!」

 

 こうしておれにとって、人生で初めての『家』ができたのだった。

 

 

 

「あんたのことは何て呼べばいい?」

 

 一人遊びをしているライラの元へ近づきながら、おれは兄に尋ねる。

 

「カイトだ。お前の名前は?」

 

「カリヌシ、カリヌシだ。よろしく、カイト!」

 

「よおしく!」

 

 おれたちの話を聞いていたライラが顔を上げて笑顔で手を挙げる。

 

「ああ、よろしくな、ライラ」

 

 

 

 これが、おれが最初に救われた記憶。

 

 

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