手のひらの部分を革の手袋のようなもので固定して、それぞれの爪に覆いかぶさるようにして鋭い刃が伸びている。
そこまで長いものでもないので、気を付ければ普段から着けたままでも大丈夫そうだ。
元々はしつけられた犬や魔獣なんかに着けさせる武器らしい。
「なるほどね、まさにお前さんのために誂えられたような武器ってわけだ。ただこれを使いこなすにはそれなりの技術がいるぜ」
人間の手ならともかく俺は四足歩行もするし、前足と後ろ足の使い分けが人間とは違う。
つまり、単純に着けるだけで使えるわけじゃなく、ちゃんと工夫しないといけないってことだな。
「どうする? 試しに使ってみるか?」
武器屋のおやじが誘ってくれたので遠慮なく。
「がう!」
店の奥にあった試し斬り用の丸太。
その前に二つ足で立ち、大きく右手を振るう。
オーラはまだ込めない。
ザシュッという音とともに、幹の表面に細い傷が数本付いた。
金属片を複数手に着けてるわけだからもうちょっと重量があるかと思ってたけど意外と軽い。
それに自分の爪と一体化して、感覚的には何も着けずに腕を振るったのと変わらない。
「おっ、なかなか様になってるじゃねえか」
「けど、威力がまだまだ足りないねえ」
カリヌシとババアが交互に感想を述べる。
そりゃまあ、初めて使ったんだから当然だろうさ。
今度は軽くオーラを込めて……周ってやつで。
もう一度爪を振るう。
さっきよりも大きな音を立てて、深く鋭く丸太の表面を抉る。
やっぱり着け心地がいいな、まるで違和感がない。
「うん、まあまあだな。おやじ、これいくらだ?」
なんと、カリヌシがこの獣爪を俺に買ってくれた!
太っ腹だなカリヌシ。ありがとう、お前のことは忘れないよ(奢ってくれる間はね)
獣爪を装備したまま、俺たちは市場を後にした。
カリヌシとババアはまだ酒を飲みたそうだったが、俺が早めに宿に行こうと急かした。
さすがにあのペースで飲み続けるのはヤバいだろ……。
「で、宿はどこなんだい?」
「駅前のホテルを取ってあるよ」
カリヌシがそう言って、俺たちはバスに乗って駅前まで移動した。
ホテルに着いてチェックインする。
今日はペット同伴OKの部屋なので俺も大手を振って部屋に入り込めるのだ。
「明日から本格的に獣爪の訓練をするからな」
えっ。
「武器を手に入れたんだから、それをちゃんと使えるようにするのは当然のことさね」
……まさか。
「当然、ババアとの組手も再開だ。それまでゆっくり休めよ」
……俺の平和な夜はどこへ……。
俺はふてくされながらも、宿の柔らかい布団に転がった。
せっかく新しい武器を手に入れたというのに、こんな形で苦行が始まるなんて……。
いずれ使いこなす必要があるのは分かってるけど、せめて一日くらいは休ませてくれよ。
……と思っていたのに。
「ほら、さっさと起きな!」
ババアの怒号が響き渡り、俺の脳みそが一瞬で覚醒する。
……いや、目覚める前に布団ごと蹴り飛ばされたんだけど!?
何!? もう朝!? まだ外は暗いんですけど!?
「朝だから起こしてやったんだよ。甘えたこと抜かしてんじゃないよ」
くそ、容赦ねえ。
俺は身体を起こして、前足に嵌めたままの獣爪を見下ろした。
武器としては申し分ない。でも、俺がこれを最大限活かせるかどうかは、まだ分からない。
カリヌシは呑気に歯を磨きながら「がんばれよー」と他人事のように言う。
こいつ、俺が苦しむ姿を見て楽しんでねーか?
そして俺は屋外へと連れ出された。
駅前にもかかわらず人はまだ誰もいない。
寒い。眠い。帰りたい。
だが、そんな俺の気持ちを無視するかのように、ババアは容赦なく俺を見下ろしていた。
「まずは基本の動きを確認するよ」
基本の動きって、昨日試し斬りしたじゃん……。
ババアはニヤリと笑い、足元に転がっていた小石を軽く蹴り上げた。
石は空中でゆるやかな弧を描きながら、しかし猛スピードで俺の顔めがけて飛んでくる。
「……!」
俺は反射的に獣爪を振り上げ、石を弾き飛ばした。
カチン、と鋭い金属音が響く。
「おお、悪くないねえ。でも」
次の瞬間、ババアがさらに素早く動く。
さっきと同じように蹴り上げられた石が、今度は三つ。しかも同時にいろんな方向から。
俺は瞬時に二足で立ち上がり、両前足の獣爪を振るった。
石の一つは真っ二つに斬り裂き、もう一つは弾き飛ばした。
だが、最後の一つはかわしきれず、俺の額に直撃した。
「にいっ!」
痛ェ!
「まだまだだねえ」
ババアは腕を組んで満足そうに頷く。
それを見てカリヌシがゲラゲラと笑う。
「なんだよ、その間抜けな声は! もっとしっかりしろよ!」
カリヌシは面白半分に見物しているが、ババアは冷酷だった。
「戦いの最中に『予想外の攻撃』なんてものはないさね」
そう言うと、今度はババア自らが俺に向かって突進してきた。
ちょ、ちょっと待ってまだ心の準備が!
「甘い! 戦場にそんな余裕はないよ!」
ババアの拳が目の前に迫る。
とっさに四足歩行に戻り、体を低くして回避した。
「反応は悪くないねえ」
ババアは俺の横をすり抜け、その勢いのまま地面を蹴って跳躍した。
次の瞬間、振り下ろされる足!
俺はとっさに両前足をクロスさせてババアの蹴りを受け止める。
ズンッと全身に衝撃が走り、俺の足元の地面がめり込んだ。
「おおっと、踏みつぶされるとこだったなあ!」
カリヌシの呑気な声が聞こえる。
イラっとした。
「バーカ、自力でなんとかしろっての。訓練なんだから」
くそっ、どうにかしないと!
俺はババアの足を弾くように両腕を振り上げ、反撃に出る。
獣爪がババアの足に向かって鋭く振るわれる。
だがしかし。
「おおっと」
ババアは軽々と俺の攻撃をかわし、体をくるりと回転させると今度は裏拳を放ってきた。
「ぎゃん!」
顔面にまともに食らった俺は、数メートル吹き飛ばされる。
地面を転がりながら、俺は思った。
このババア、やっぱり強ェ!!
何度も吹き飛ばされ、息が上がる。
それでも、俺はちゃんと立ち上がり続けた。
「おやおや、もう音を上げたかい?」
俺は深く息を吸い込み、フッと吐き出して再び構えを取る。
確かにババアは強い。だが、俺が完全に敵わないわけじゃない。
ここまでの戦いで、なんとなく分かってきた。
ババアの動きは確かに速いが、一つの動作の前には必ず一瞬の『溜め』がある。
俺は四足歩行に切り替え、地面を蹴った。
ババアがわずかに目を細める。
「ほう?」
今度は正面から突っ込むのではなく、途中で急カーブを描くように横へ滑る。
ババアが腕を振り上げた瞬間、俺はさらに踏み込んで獣爪を振り下ろす――が。
「甘い!」
ババアの拳が、俺の腹に突き刺さる。
「ぎゃっ!」
またしても吹き飛ばされる俺。
しかし。
ババアは驚いたように自分の手の甲を見た。
そこには、俺の獣爪がほんの僅かにかすめた傷が刻まれていた。
「ほお……」
ババアがニヤリと笑う。
「ようやく少しは見どころが出てきたじゃないかい」
俺はぜえぜえと息を切らしながらも、拳を握り締めた。
ババアは確かに強い。
でも、この獣爪があれば、俺にもまだ可能性があるかもしれない。
よし、もう一回だ!
俺は気合を入れ直し、再び獣爪を構える。
カリヌシがニヤニヤしながら言った。
「お、やる気じゃん」
うるせぇ、お前は黙れ!
ババアはそんな俺を見て、満足そうに笑った。
「いいねえ……なら、もう少しレベルを上げてあげようかねえ」
……は?
「次はちょっとばかし『本気』でいくからね」
そう言った瞬間、ババアの気配が一変した。
まるで獣が獲物を狩る直前のような、鋭く研ぎ澄まされた空気が流れる。
こいつはヤバい!
俺の本能が警鐘を鳴らす。
だが、ここで逃げるわけにはいかない。
俺は再び戦闘態勢に入る。
ババアの本気。それがどれほど恐ろしいものか、俺はまだ理解しきれていなかった。
「さあ、いくよ」
ババアが地面を蹴ると、まるで目の前からかき消えたかのように、その姿が一瞬で消えた。
気配が後ろからくるのを感じた俺は、反射的に獣爪を振り向きざまに振るった。
ガキンッ! と鋭い音が響く。
……が、俺の爪は完全に弾かれていた。
ババアの腕にまとわりつくように、オーラがうっすらと見える。
「反応は悪くない。でも、それだけじゃ足りないよ」
ババアの拳が一直線に突き出される。
このままじゃまともに喰らう!
俺は思い切って後方へ跳躍した。
寸前でババアの拳が俺の鼻先をかすめ、地面に衝突する。
砂煙が舞い上がり、地面には拳の形そのままの深い窪みができていた。
え、何あの威力……こわ。
「ふむ、なかなかしぶといじゃないか」
ババアがゆっくりと拳を振りほどきながら、俺を睨む。
その目はまさに、狩りを楽しむ獣そのものだった。
マズい、今のままじゃ勝てる気がしない。
どうする……?
とにかく、真正面からやり合うのは愚策だ。
ならば、俺にできるのは。
ババアの次の攻撃を待つ。
「次はどう避けるつもりかねえ?」
ババアが再び踏み込む。
速い!
だが、今度は俺も動く。
ババアが拳を振るうその瞬間、俺は地面に向かってオーラをのせた爪を叩きつけた。
地面が抉れ、土埃が舞い上がる。
視界を奪い、俺はすぐさま四つ足に戻り、ババアの背後へと回り込む。
「ほお?」
ババアの驚いたような声が聞こえる。
今だ!
俺は全力で爪を振るった。
オーラを込めて、渾身の一撃を!
「甘いねえ」
ババアはわずかに体を捻ったかと思うと俺の攻撃を紙一重で回避し、そのまま逆の腕で俺の胴に拳を叩き込んできた。
「ぐふっ!」
強烈な衝撃が体を駆け抜ける。
呼吸が止まり、俺は吹き飛ばされて地面に転がった。
くそ、駄目か……!
「……だけど、少しは成長したみたいだねえ」
ババアが腕を組んでニヤリと笑う。
カリヌシもどこか感心したように頷いていた。
「いやー、ババアと普通に戦えてるの、すげぇよ、お前さん」
「ぐ……るる……」
まだ終わってねぇ!
俺は体を起こし、再び構えを取る。
息は上がってる。 体も痛む。
けど……まだやれる!
ババアの動きを見極める。
攻撃は速く、強く、そして正確だ。
でも、その中にもきっと必ず『隙』があるはずだ。
「……ふうん?」
俺の眼光が鋭くなったのを感じ取ったのか、ババアが少しだけ表情を引き締めた。
「いいねえ……じゃあ、これで最後にしようかねえ」
ババアの気配が変わる。
先ほどよりもさらに研ぎ澄まされた、殺気を孕んだ動き。
俺は全神経を研ぎ澄ませた。
ババアの足が動く。
次の瞬間。
速い!
だが、見えた!
ババアの拳が繰り出される直前、わずかに肩が動く。
そこだ!
俺は最小限の動きでその攻撃を回避し、反撃に出る。
獣爪を振るい、ババアの腕を狙う。
金属の爪が閃き……。
「おおっと」
ババアはぎりぎりで体を引き、回避。
しかし。
「……!」
ババアの服の袖が、裂けた。
ババアは驚いたように自分の腕を見る。
カリヌシが口笛を吹く。
「やるじゃねえか」
俺は悔しさを滲ませながらも、同時に確信した。
この獣爪……使いこなせれば、ババアにだって通じるんだ。
ババアは満足そうに頷いた。
「よし、今朝はここまでにしとこうかねえ」
やっと終わった!
俺はその場にへたり込む。
もう、全身が限界だった。
気が付くとすでに日はのぼり、ちらほらと人の姿も見え始めていた。
「ふん、まったく。少しはマシになったけど、まだまだだねえ」
ババアはそう言ってホテルへ向かって歩き出す。
カリヌシも俺の背中を軽く叩いて、へらっと笑った。
「ま、これからが本番ってことだな」
やめろ、そういう不吉なこと言うな。
俺は疲れ果てた体を引きずるようにして、宿へと戻った。