びしょぬれタイガー   作:海砂

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第十九話 古城古城!

 ホテルの朝飯はおにぎりバイキングだった。

 うめぼし! おかか! シャケにこんぶ! ツナマヨにすじこに鶏そぼろ!!

 すべてが宝石のように輝いて見える。否、宝石よりも尊い。腹に入るからな。

 俺の目の前に並べられたおにぎりはどれも魅力的で、選べと言われても無理な話だった。

 目移りするとはこのことだ。

 ひとつひとつのおにぎりに目をやるたび、胃袋がぎゅうっと主張してくる。

 うめぼしのすっぱさを想像すれば口の中がじゅわっと反応し、おかかの香りを思い出せば鼻腔が震える。

 シャケの脂ののった味わい、甘じょっぱく味付けられたこんぶ、ツナマヨのコク、すじこのプチプチ、鶏そぼろのほろほろ、そしてそれらを包み込む炊き立てのご飯と香ばしい海苔。

 すべてが、今すぐ口に入れろと訴えてくる。

 米と塩と具材の三位一体。これはもう、一種の宗教と言っても過言ではない。

 結果、俺は悩むのをやめた。選ぶなんて愚かしい。全部取る。それが俺の正解だ。

 

「アンタそりゃちょっと食べすぎじゃないのかい」

 

 ババアが呆れたように言うが、そんな声はもはや耳に入らない。

 とにかく腹が減っていたし、何よりこのおにぎりまじうめえ。

 これまでの修行でボロボロになった身体が、炭水化物を欲していたのだ。あと塩気。

 人間(じゃないけど)、極限まで疲弊すると欲望に忠実になる。

 脂や糖ではなく、もっと根源的なものを求めるのだ。

 米。塩。水。火。

 自然の中で最も原始的でありながら、最も滋養に富んだものたち。

 俺の身体はそれを知っている!

 パリッと香ばしい海苔を噛みしめ、ほろっとほどけるご飯の温もりを舌に乗せる。

 その中心から、具材の旨みがじんわりと広がっていく。

 ああ、これだ。これが命の味だ。生きてるって実感する、魂のごちそうだ。

 これが日本人(人間じゃないけど)の原点にして頂点。

 

 どれも絶妙な塩加減と具材のバランスで、食えば食うほど幸せになっていく。

 俺のなかの何かが、確実に回復していくのを感じた。肉体的にも、精神的にも、魂レベルで。

 結局、全種類をたいらげた頃には、腹はパンパンになっていた。

 しばし口をつぐんで余韻にひたる。俺の中に今、七福神が舞い降りている。

 七種のおにぎり、それぞれが俺に福をもたらした。そして今、胃袋の中で宴を開いている。

 満腹の余韻に浸りながら、味噌汁をすする。

 出汁がきいた赤味噌の香りが、胃の中の騒ぎを落ち着かせてくれた。

 隣ではババアとカリヌシが会話を交わしていたが、その内容が妙に俺を現実に引き戻してくる。

 どうやら、のんびりしていられる時間はあまりなさそうだ。

 

「今日はもう修行はナシだ。ここへ来た本来の目的があるからな」

 

 カリヌシの声に、ババアが首を傾げる。

 

「ミエラ山だったっけかい?」

 

「ああ、昼の間に移動する。言っとくけどババアにも関係あるからな、ちゃんとついて来てもらうぜ」

 

「そりゃ構わないがねえ、いい加減何のことなのかもう少し教えとくれよ」

 

「……すぐにわかるさ」

 

 その一言は、まるで重石のようにテーブルに落ちた。

 俺は満腹のまま動きたくなかったが、なんだか胃の奥が少しだけ冷えていくのを感じた。

 きっと、この先に待っているものは……少なくとも、ただの観光ではない。

 

 

 部屋に戻るとすぐに荷物をまとめて出発する。

 俺たちはホテルを後にし、カリヌシの案内でバスに乗り込んだ。

 朝食をたらふく食ったばかりの俺は、心地よい揺れに身を任せる。

 そしてぼうっと窓の外の景色に目を向けていた。

 窓の外には、緩やかにうねる山道と、それに沿って流れる川が見える。

 あの川の向こう側もNGLなんだろうか。地図を見たことないからよく知らんけど。

 

 

 バスはしばらく街を走り、やがて舗装された道を外れて山道へと入る。

 空気はがらりと変わった。

 市街地のざわめきが徐々に遠ざかり、代わりに鳥の声や葉擦れの音が耳に届いてくる。

 周囲には濃い木々が生い茂り、昼間にも関わらずほの暗い。

 次第に民家もなくなり、道がどんどんデコボコになってくる。

 徐々に道は狭くなり、バスはやがて終点にたどり着いた。

 

「ここからは歩きだな」

 

 カリヌシがそう言って、俺たちはバスを降りる。

 足元には湿った落ち葉。鼻腔に木と土と草の匂いが満ちる。なんだか少し懐かしい。

 

「へえ、なかなか雰囲気のある場所じゃないかい」

 

 ババアが周囲を見回しながら言う。

 確かに、鬱蒼とした森と草が入り混じる光景は、何かが潜んでいそうな気配を漂わせていた。

 

 カリヌシが先頭を歩き、俺とババアがその後に続いた。

 岩がゴロゴロと転がっていて、二足歩行ではバランスを取りにくい。

 だが、俺には四つ足という利点がある。軽やかに岩場を飛び越え、時には斜面を駆け上がる。

 俺の故郷の森によく似ている気がする。体が自然と動いた。

 

「へえ、山道だとお前さんの方が有利みたいだねえ」

 

 ババアが感心したように言う。

 

「当然だろ。こういう場所ではこいつら獣の本領発揮ってやつさ」

 

「ふむ……なら、ついでに鍛えてみるかい?」

 

 は?

 

 次の瞬間、ババアが素早く地面の小石を蹴り上げた。またこれかよ!

 

 反射的に獣爪で弾こうとしたが、今回の石は妙に軌道が読めない。

 空中でぐねぐねと動き、俺の鼻先をかすめて飛んでいった。

 

「念能力者との戦いではね、攻撃はいつも物理法則に従っているとは限らない。覚えとくことだね」

 

 ぐぬぬ、くやしい。

 

「まだまだだねえ」

 

 ババアはニヤリと楽しそうに笑っている。カリヌシは後ろで苦笑しながら肩をすくめた。

 

「遊んでる暇はねえ。さっさと行くぞ」

 

 再び歩を進める俺たち。

 森の奥へ奥へと進んでいくと、やがて木々の間から石造りの建物が姿を現した。

 それはまさしく、古城と呼ぶにふさわしい風貌をしていた。

……なんでこんな、他に何もない森の中に城建てたんだろ? ポツンと一軒城。

 門は開いており、三人とも無言で中へ入る。

 

「誰だ!」

 

 中を進むと大広間にはすでに二人の男たちがいた。

 彼らは即座に反応し、俺たちに対して身構える。

 一人は学ランのような服を着たヤンキー風の男。

 もう一人はエリを付けた和服のような衣装に、細かい三つ編みのブレイズヘアをひとつに束ねたヒョロ長い男。

 いずれも只者ではない気配を纏っていた。たぶん念能力者なんだろう。

 

「カイトの連れだ。キルアにこの場所を聞いてきた」

 

 カリヌシがそう言うと、二人の表情から緊張がほどける。

 奥の部屋からもう一人、眼鏡をかけた黒髪の男が姿を見せた。

 神経質そうな顔立ちで、こちらに視線を向ける。

 

「君たちのことは聞いている。彼らはまだ到着していないのでもうしばらく一緒に待ってもらうことになるが構わないか」

 

「ああ、構わねえよ。お前さんは?」

 

「ノヴだ。ハンターでキメラアント討伐隊の一員です」

 

 そう名乗ると、ノヴは話を打ち切るように本を開いた。

 あまり会話はしたくないタイプなのか、そもそも俺たちに興味がないのか。

 

「お前さんらは?」

 

 カリヌシが残りの二人にたずねると、学ランの男が口を開いた。

 

「オレらも討伐隊のメンバー……っす。ゴンやキルアとはメンバーの座を賭けて、タイマンで勝負した仲っす」

 

 妙にかしこまった言い方だ。

 見た目はヤンキーだが、年長者には敬語を使うというルールをしっかり守っているらしい。

 いや、ヤンキーだからか。縦社会だもんな。

 でも、さっきからその男、やけに俺の方をチラチラ見てくるんだよな。

……なんだよ、気になるじゃんか。

 

「がう」

 

 俺の方からヤンキーに声をかけてやった。

 

「おう、なんだテメーは! 可愛いなコラ!」

 

 ヤンキーは俺の目の前にしゃがみ込むと俺の胴をわしゃわしゃと撫でる。

 けして強すぎず、かといって弱すぎず、絶妙な力加減で気持ちいい。やるなコイツ!

 わしゃわしゃ。

 なんだこの安心感は。こいつ……まさかどんな獣でも懐かせることのできる念能力『動物対話者(ムツゴロウさん)』の持ち主……!?

 いやそんなのあるか知らんけど。あるとしたら相当な猛者だ。

 俺の毛並みが今、前代未聞の整い方をしている。

 

「うひょ~、ふわっふわだな! ……って、名前とかあんのかコラ?」

 

 そのまま俺の顔を覗き込んできたヤンキーの目は、思った以上に真っ直ぐだった。

 威圧感も警戒心もない。なんだったら好意すら感じる。

 

「そいつの名前はタイガだ。カイトの弟子でもあり、おれの弟子でもあり、そこのババアの弟子でもある」

 

 カリヌシがそう説明すると、ヤンキーがへえ、じゃあテメーもハンターを目指すのか? などと声をかけてくる。

 

「タイガ! 覚えたぜ、よろしくな!」

 

「がう」

 

 とりあえず威嚇じゃない方のがうを返しておいた。

 その様子を、ヒョロ長い方の男がじっと見ていた。

 何も口には出さないが、観察されてる感じがする。俺の獣耳センサーがそう言ってる。

 ぴょんと飛び跳ねてソイツのそばに近付いたら、ソイツも同じだけぴょんと跳ねてから後ろへ後ずさった。

……なんでよ。

 ヒョロ長は俺と目を合わせようともせず、手を組んで顎にあて、何やら独り言のように呟いていた。

 

「跳躍力、俊敏性、知能指数……なるほど、これが“獣型念能力者”か……」

 

「がう?」

 

 なんだそれ。なんか勝手に俺の解釈を始めたぞ。

 

「そうそう。自然界に置いとくにゃちと危険だからな、カイトが連れ出してきたらしい」

 

 そしてカリヌシはヒョロ長となんか話し込み始めてしまった。

……違うな、ヒョロ長の思い込みが面白くておちょくってる感じだな。

 カリヌシは時折ニヤつきながら適当な相槌を打ち、あきらかに会話を引き伸ばしている。

 ヒョロ長はそれに気付く様子もなく、得意げに身振り手振りを交えて考察を語っていた。

 その横で俺はというと、まだヤンキーの撫で撫でから抜け出せずにいた。

 いや、抜け出そうと思えば抜け出せるんだが、正直、心地よさの方が圧勝だ。

 撫でる手つきがプロ級なのである。なんだこの癒し空間。

 

 ババアが一人つまらなそうに窓に近寄ると、大きく開け放つ。

 空は青く晴れ渡り、眼下には森が広がっていた。

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