びしょぬれタイガー   作:海砂

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第二話 独立独立!

 やがて、ママが洞窟へと帰ってきた。

 

 その大きな顎にぶら下がっているのは、鹿のような四足の獲物だった。

 まだ血の匂いが温かく、体毛には森の湿った空気が染みついている。

 ママの狩りの腕は相変わらずすごい。うん、美味しそう。……いや、それはさておき。

 

 俺の前に立ったママは、まず一度くんかくんかと俺の体を嗅いで、次の瞬間思いっきり俺の横っ面をスパーンとひっ叩いた。

 

「ぎゃうっ!?」

 

 痛い……ひどい……!

 頬を押さえてスンスン言っているとママはすぐに顔を寄せて、舌でその痛みを舐め取るようにぺろぺろと舐めてくれた。

 相変わらず厳しくて優しい。いや、愛情表現が極端だよ、ママ。

 

 ふと視線を上げれば、洞窟の入口から少し離れたところで、黒髪のゴンとかいう子供がこちらをじっと見つめている。

 焚き火の明かりが遠くちらちらと彼の顔をも照らし、少しの緊張がその目の奥に浮かんでいた。

 ママが彼に気づいているのかどうかは分からない。

 ただ、焚き火はさっきよりも炎が勢いを取り戻していた。

 

 ママは鹿の胴体に噛みつき、切れ端を器用にちぎり取り、火の中へと放り込む。

 俺はその横でせっせと枯れ枝を拾ってきては、焚き火に追加していくのだ。

 地味な作業だけど、こういうの、実はちょっと好きだったりする。

 

 ……そういえば、ゴンはまだ何も食べてないよな。

 

 ママが焼いてくれた鹿の切れ端を口にくわえ、そのままゴンの元へ持っていった。

 その行動に、ママとゴン、両方が凍りついた。

 

 ママはぐるる、と低く威嚇の声を漏らす。

 俺の母親だし、当然といえば当然。でもさ、ゴンは悪い奴じゃないよ。

 

「オレは敵じゃないよ!」

 

 ゴンがすぐに両手を上げて、慌てて身を見せる。

 体勢を低くして、ママを威圧しないように注意してるっぽい。

 俺は彼の目の前に鹿の肉をぽとりと落とし、さっさとママの元へ戻った。

 

「がぁう」

 

 ゴンは悪くない。ママお願い、理解して。

 ママは俺の様子を見ている。

 表情が……というか、顔全体が、明らかに「あらやだこの子大丈夫かしら、阿呆なのかしら」って言ってる。

 まさか引いてる? ドン引きしている。 

 

 俺はもう一度ゴンのそばに近寄って、足元にすりんとすり寄った。

 ゴンはその場にしゃがみ、落ちた肉の切れ端を拾い上げて、ぱくりと口に入れる。

 そして俺の頭をなでてくれた。

 

「ありがとう、おいしいよ!」

 

 その笑顔に、ママの唸り声がぴたりと止まる。どうやら、ゴンの安全性を認めたらしい。

 野生動物が人間に懐くなんて、本来ならあってはならないこと。

 でも、それでも、彼は俺たちに無理やり近づこうとはしない。

 警戒心を持ちつつ、でも俺のことは信じてくれてる。

 

「ぎゃあ」

 

 ママ、俺はゴンと仲良くしたい。

 ママはこちらをじっと見つめている。

 

「ぎゃあ!」

 

 ママはふん、と鼻を鳴らし、肉を焼く作業へと戻っていった。

 

「……許してもらえた……のかな?」

 

「がぅ」

 

 俺とゴンは目を見合わせた。思わずお互い笑ってしまう。

 ママは引き続き鹿肉の塊を焼いている。

 

「……やったね!」

 

「がう!」

 

 

 

 俺とゴンは焚き火の前に座って、ぽかぽかと温まることにした。

 ママも特に咎める風でもなく、黙々と肉を焼き続けている。

 

 そういえば、ゴンが俺たちを見張っている理由、よくわからないんだよな。

 絶滅危惧種の観察とか? ま、そんなことどうでもいいけどさ。

 

「がう」

 

 実はね、ゴン……俺は、お前たちについていきたいと思っている。

 たとえママと離れることになったとしてもだ。

 なぜならば……もうお肉は嫌だああああああああああああああああああああああ!!!

 訂正しよう。肉でもいい。でも単に焼いただけの肉は嫌なんだ!

 オムライス食べたい。お刺身食べたい。

 カレー食べたいポテト食べたいエビフライ食べたい!!!

 人間世界のジャンクフード食べたぁい!!!

 

 その思いを訴えたくて、俺はゴンの懐に飛び込んだ。

 

「え、え、何?」

 

 ゴンは少し戸惑った様子だったけどすぐに笑って、優しく俺の背中を撫でてくれた。

 その様子を見ていたママがちらっとこちらを見た……やきもち、焼いてる? 気のせいか?

 やがて、ママは焼けた肉の塊をどぉんと勢いよく俺たちの前に投げてきた。

 

「タイガ食べなよ。オレはそんなにお腹減ってないからさ」

 

 そうか? じゃあ遠慮なく。

 鹿の塊肉はミディアムレアで、表面は香ばしく、内側は肉汁たっぷり。

 さっきは肉がどうのって言ったけど、これはこれでうめぇんだよな。

 三分の二ほど食べたところで、ゴンの膝の上に残りを落とす。

 食えよ、ほら。

 

「……ありがと、タイガは優しいねっ!」

 

 ゴンもその肉にかぶりつく。

 同じ釜の飯とかいうけどさ、同じもんを食った奴はもうそれは仲間だ。

 

「ぎゃう」

 

 ゴンと一緒に行きたい。ゴンにその言葉は伝わらない。

 ひとまず、俺たちの監視をしている関係上、すぐにいなくなることはないはずだ、と思う。

 俺はゴンの服を咥えて引っ張り、洞窟の中の藁のベッドへとご招待した。

 

「ええ? いや、いいよ。ここはきみたちのベッドでしょ?」

 

 いいんだよ。虎はどこでだって寝れるからな!

 ママは元々ここではほとんど寝ないし、俺も大体ママのそばに引っ付いて寝るから、実はここで寝ることはあんまりないんだ。

 

「がう!」

 

 ゴンをベッドにどーんと突き飛ばす。

 藁が舞って、ゴンはその場にひっくり返った。うける。

 

「やったなー!!」

 

 そうしてしばらく遊んだあと、ゴンはベッドに横たわった。そこで寝ることに納得したらしい。

 俺は一人で焚き火のそばにいるママの元へと移動した。

 

「がぁう……」

 

 ママに声をかける。ママは振り返らない。

 

「がうっ」

 

 もう一度声をかける。ママはやっぱり振り返らない。

 だけど、その場におすわりして、俺はじっとママの背中を見ていた。

 やがて根負けしたかのように、ママは俺を振り返る。

 そして俺の頭をぺろりと舐めた。

 

 ママは、きっとわかってる。俺が旅立ちを考えていること。

 そもそも虎が自立するのっていつ頃だ?

 オッパイ飲んでる現状ではまだまだなんだろうとは思うけど。

 でも最悪、オッパイはなくてもいい。それはしゃーない。

 

「がう」

 

 ママ、俺ゴンと仲良くなったんだ。

 あいつと一緒に行きたいんだよ。

 

「がう」

 

 わかってる、危ないって言いたいんだよね。

 でも、俺とママはいつまで一緒に居られるかわかんないだろ?

 いずれお別れの時が来るなら……今のうちに、ママと離れられるようになっておきたいんだ。

 

「がう」

 

 お肉ももういらない。自分で取ってくるよ。

 火はなんとか、自分で探してみる。

 寝床にいい場所だって、自力で見つけ出すよ。

 

 

 ママは俺の頭から尻尾までぐいーんとひとなめにする。

 俺はその勢いに負けてころりと転がってしまった。

 まだまだ俺は弱っちいね。でも頑張るから!

 ママの首元にハグをする。ママ、大好き。

 だから今夜だけは、一緒に寝てね。

 

 

 翌朝、目が覚めるとママはもういなかった。

 お肉も焼けていないし、焚き火の火も消えている。

 多分、もうママとは会えない。なんとなくそんな気がした。

 

「タイガ?」

 

 ゴンの声で目を覚ました。その目にはまっすぐな優しさが宿っている。

 ついて行ってもいいかな。迷惑じゃないかな。

 彼の頭には、寝起きの証のように藁がわさわさと絡みついていた。

 俺は前足を伸ばし、そっと払ってやる。なんだか、弟を世話している気分だ。

 

「ゴン? これはどういう状況だ」

 

 声のする方を見れば、昨日のニンゲンのボスと、銀髪の子供がまた来ていた。

 あの二人……カイトとキルアというらしい。

 この二人のことはまだよくわからない。でも、不思議と怖くはなかった。

 最初から一度も、彼らから敵意や殺意のようなものは感じられない。

 人間なのに、どこか自然の風に近い匂いがする。

 

「なんか、仲良くなっちゃった。ね、タイガ?」

 

「がう!」

 

 元気よく返事をすると、カイトが頭を抱えた。うん、まあ、気持ちはちょっとだけわかるよ。

 

「……この虎の両親は戻ってこなかったのか」

 

「母親が戻ってきたよ。襲われたりもしなかったし、多分認めてもらえたんだと思う。母親の方は念が使えないみたいだった」

 

「そうか」

 

 何だか難しい話をしてるけど、とりあえず俺もその輪に混ざって座ってみた。ちょこん。

 そのとき、視界の端をひゅんっと何かが横切った。……ウサギだ!

 

 狩りの時間だヒャッホウ!

 

 俺は一気に全神経を集中して跳ね起きると、そのまま地を蹴って駆け出す。

 唐突な俺の動きに、ニンゲンたちがわたわたと慌てる声が背後で飛び交った。

 でももう遅い。俺は完全に狩猟モードだ。

 

 木陰の奥に逃げようとする白い影を、一直線に追い詰める。

 跳ねるタイミング、軌道、呼吸……すべてが見える。狩れる!

 

 そして、ばしゅっと音がして、俺の前足がウサギの動きをぴたりと止めた。手応えあり!

 

 意気揚々と獲物をくわえて戻ると、銀髪の子——キルアが吹き出していた。

 

「やべ、ウケる。オレら三人ともコイツに振り回されっぱなしじゃんか」

 

「全くだな。将来大物になるかもしれん」

 

 カイトが焚き火の跡に目をやって、ライターを取り出した。

 ぱちり、と火がつき、再び炎が揺れ始める。

 その中に、仕留めたウサギを放り込んだ。

……ちょっと待て。どうやって取り出そう?

 俺の角はママみたいに長くないから、焼けた肉を刺して引っ張るなんて芸当はできない。

 

「タイガ、これ使いなよ」

 

 ゴンが少し太くて長い木の枝を木からへし折って持ってきてくれた。

 ちょうど焼けた頃にこれでつついて転がせばいいか。

 

「やはり飛び出す瞬間に凝で足を覆っているな。自然界で暮らすうちに無意識で念能力を身に着けたのかもしれん。あまり例があるわけじゃないが、全くないわけでもない」

 

 カイトが何か言ってる。

 でも俺は目の前のウサギをなんとかしなきゃいけないんだ!

 ゴンに木の枝でつついてもらって、俺がそれを前足で押さえて木から引き離す。あちち。

 

「がう!」

 

 焼けた焼けた!  早く食べよう!!

 

「タイガは生肉は好きなの?」

 

「ぎゃう」

 

 そんなわけあるかい。肉は焼くもんだ。

 皮の残った部分は上手にちぎって、余った毛はペッと吐き出す。

 そうして、うっとりと目を細めながら焼きたてのウサギ肉にかぶりついた。

 うん、うまい。これだよ、これ。

 俺だって、自分のメシくらい自分で調達できるんだ。

……まあ、イノシシとかはまだちょっと無理だけどな。

 

「さて、コイツをどうするかだな……自然界に放つには持っている力が脅威すぎる。一旦オレたちが保護するのが妥当だろうが、そのあとをどうすべきか。動物園、なんてわけにもいかないしな。全くもって面倒だ」

 

 カイトと呼ばれているボスニンゲンは、俺のことを邪魔者扱いしている気がするよ。

 んで今さら気が付いたんだけどさ。

 俺、こいつらが話している内容はよくわかんないんだけど言葉自体は理解できているみたい。

 俺の言葉を伝える方法はないんだけどね、ぎゃあとかしか言えねーし。

 

「いっそのこと飼っちまえば? 目の届くところに置いてずっと監視しとくってのはアリだろ。最悪ウチの敷地に置くってのもいけるかもな。多分オヤジとかこういう獣好きそう」

 

 銀髪の子、キルアがにやっと笑う。

 その『ウチ』ってのがどうもヤバい家らしくて、カイトも渋い顔をしていた。

 

「キルアの家……ゾルディックか。ゾルディック一族の敷地なら問題はそう起こらないだろうが、あくまでそれは最終手段だな。だろ?」

 

「ああ。できれば家にゃ帰りたくねーし、何か問題が起きたときに実家を頼るってなんかちょっとカッコ悪りーもんな」

 

 あっという間にウサギ一羽、ぺろりと食べちゃった。ゴンの分も残さずに。

……まあ、いいか。こいつらだって、自分でメシくらいどうにかできるだろ?

 ニンゲンなんだし。

 

「ひとまず連れて帰ろう。お母さんと引き離すのはかわいそうだけど……タイガ、オレたちと一緒に来る? 来てもいい?」

 

 ゴンが俺の目を真っすぐ見て、問いかけてきた。

 その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなる。うん、もちろん。

 俺は一歩前に出て、尻尾をピンとまっすぐ立てて。

 行こう、お前たちと一緒に!

 

 そして、いつかきっと、ハヤシライスとグラタンを食べるんだ!

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