びしょぬれタイガー   作:海砂

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第二十話 再会再会!

 最初に簡単な自己紹介を済ませた後、俺たちはそれぞれに思い思いの時間を過ごし始めた。

 和やかというよりは、互いの存在を確かめ合いながらも、どこかぎこちなく。

 慎重に距離を保っているような雰囲気だった。

 部屋に漂っていたのは、まだ完全には溶け合っていない空気。

 静かだが、決して緊張がないわけではない。

 誰もがそれぞれの呼吸を確かめるように、場に馴染もうとしていた。

 

 俺たちが集まってからしばらくして、ひときわ存在感のある男が部屋に入ってきた。

 分厚い胸板に、無骨な腕。肩で風を切るように歩いてくるその男の名はモラウ。

 濃いサングラス越しに視線を泳がせながら、ゆったりとした足取りで俺たちに近づいてくる。

 

「やっと来たな」

 

 ノヴの軽口に、モラウはにやりと笑った。

 俺の前に屈み込むと、彼は大きな手でぽんぽんと頭を撫でてくれる。

 なかなか悪くない手つきだ。

 ふふん。俺が可愛いからに決まっている。

 老練なハンターたちの中に混ざっても、俺のチャームは健在ってわけだ。

 

 やがてそれぞれが落ち着くと、ノヴは再び読書に没頭していた。

 彼の座る椅子はやや古びていたが姿勢は正しく、まるでどこか書斎の主のような佇まいだった。

 分厚い本のページを一枚一枚、丁寧にめくりながら、周囲の喧騒をものともせず知識の海に没頭している。

 彼の周囲には目に見えない結界でも張られているかのような、独特の空気があった。

 誰一人として、彼に軽々しく声をかけようとしない。

 それほどに集中した気配が漂っていたし、単純に声をかけたら面倒なことになりそうな気配もあった。

 

 一方で、カリヌシとシュートは早くも打ち解け始めていた。

 彼らの会話は低く、しかしときおり噴き出すような笑い声が聞こえる。

 話の内容までは聞き取れなかったが、互いに相手を信頼し始めているのが伝わってくる。

 初対面にもかかわらず無理のない自然な距離感で話し込めるのは、彼らの人柄ゆえだろう。

 どちらも表には出さないが、心の奥に誠実さを抱いている。

……そんな似た気質が、共鳴していたのかもしれない。

 そこには緊張感よりも、むしろ心地よい空気が流れていた。

 

 ババアはというと、大きく開け放たれた窓辺に佇んでいた。

 風が吹き込むたびに彼女の白髪が揺れる。

 組んだ腕には、年輪を刻んだようなしわが深く刻まれていた。

 だが、その背中には圧倒的な存在感と静かな気迫が宿っている。

 彼女の目が見据えているのは、空と森の境界。

 風に揺れる木々の影が、まるで何かの予兆のように揺らめいていた。

 その背中には、長年の経験が織りなす達観と、何かが始まる気配を察知する緊張感が同居していた。

 

 そして俺はというと、ナックルの膝にすっかり身を預けていた。

 頭を撫でられながら、思わず目を細める。

 彼はいつも持ち歩いているのか、スリッカーブラシにピンブラシ、豚毛、ラバー……

 まるでプロ仕様のグルーミングセットを取り出して、俺の毛並みを丹念に整えてくれる。

 まずはスリッカーブラシで全体を梳かし、毛の絡まりを取り除く。

 次に豚毛ブラシで表面を優しく撫でるように整え、艶を出す。

 ラバーブラシでは静電気を抑えつつ、皮膚へのマッサージ効果も狙う。

 そして仕上げにピンブラシ。

 うっとりするほどの手際に、思わず喉が鳴る。

 これが至福でなくて何だというのか。

 その一連の手際の良さといったら、うっとりするほかない。

……ああ、もう一生ナックルの相棒になりたい。本気でそう思った。

 それともナックルに弟子入りしようかな。

 

「誰か来たみたいだねえ」

 

 その至福のひとときを破ったのは、ババアのつぶやきだった。

 静かながらも、明瞭な声。その言葉は、部屋の空気を一瞬で引き締める。

 一斉に皆が窓へと視線を向け、その場に集まってくる。

 俺も思わずナックルの膝を飛び降り、窓辺へ駆け寄った。

 窓の外には俺の目にも遠くにふたつの人影が見える。

 ゴンと、キルア。あの二人だ!

 二人は並んで歩いている。

 並んで歩きながら、何かを話しているようだった。

 時折立ち止まりかけて、顔を見合わせながら言葉を交わす。

 しかし歩みは迷いなく、こちらに向かっていた。

 

 気がつけば、俺の身体は勝手に動いていた。

 とにかく、走り出していた。

 全力で城の入り口から外へ飛び出し、黄昏の中を駆け抜ける。

 

「え、えっ? タイガ!? 何でここに?」

 

 ゴンの驚いた声に、胸の奥がちくりと痛んだ。

……そうか、ゴンには俺のことを何も言ってなかったんだな、キルア。

 まあいいさ。でも、俺は置いていかれたくなかったんだ。

 俺だって、立派な当事者なんだからな。

 それに、ナックルが少しだけ教えてくれた。

 今、何が起きているのか。そして、これから何が始まるのか。

 

 俺はピンと尾を高く掲げ、ふたりの足元を駆け回る。

 喜びと少しの不安が胸の奥で入り混じって、ざわざわと騒いでいた。

 

 

 二人を引き連れ再び城へと戻ると、全員が集合していた。

 特に合図もなく、ただ無言のまま視線が交わされる。

 

「こっちだ」

 

 シュートの短い一言で、俺たちは城の奥深くへと足を踏み入れる。

 案内されるままに進んだ先は、地下へと続く石造りの階段だった。

 一段一段、階段を下りるごとに空気が冷たく湿っていく。

 地下室は広かったが、空虚だった。

 かつて倉庫として使われていたらしいが、今は廃墟同然。

 部屋の隅に置かれている古びた木箱が空間の寂しさを強調している。

 

「本当にいいんだな?」

 

 沈黙を破ったのは、シュートだった。

 彼の目は真剣で、声には苦悩と迷い、そして警告が混ざっていた。

 ゴンとキルアに向けられた彼の問いかけは、覚悟を試すものでもあった。

 

「ここにカイトがいる。もう、お前達の知っている彼ではないぞ」

 

 言葉の重みが、空気をさらに沈ませる。

 ゴンは数秒間、視線を地面に落とし、それから静かに一歩前に出た。

 

「大丈夫。絶対オレ達が治してみせる」

 

 皆が囲んでいたのは、小さな鳥かごだった。

 中からはずっと、木造の家が軋むようなピシピシという音が聞こえていた。

 それは、生き物の気配でありながらもどこか異質な、不穏な音だった。

 

 ガシャン。鳥かごの扉が開く乾いたその音が、地下の空間に冷たく反響した。

 中から這い出してきたのは、小さな、小さな人影だった。

 俺よりもはるかに小さく、まるで小鳥のようなサイズ。

 人間とは思えないほど、縮んだ体。

 だが目を凝らせば、その形は間違いなく『ヒト』だった。

 

「『暗い宿(ホテル・ラフレシア)』 ある一定以上のダメージを敵に与えるとそいつを(ここ)に閉じ込めることができる。全身でも、一部でも」

 

 説明する声に、誰も返事をしなかった。ただ目の前の存在に神経を集中させていた。

 その『ヒト』は、まるで関節の動く人形のような不自然な動きで地面を這い立ち上がると、少しずつ体が大きくなっていった。

 皮膚が伸び、骨格がきしみ、衣服も同時に大きくなっていく。

 

「籠から出ると元の大きさに戻る。用心してくれ、念は使えないが……それでも手強(てごわ)い」

 

 関節が折れ曲がるたび、びくりと不自然に震える。

 まるで機械のようなそれは、しかし確かに人の形をしていた。

 その異形が完全な姿に戻ったとき……俺は、息を呑んだ。

 

 カイト。それは間違いなく彼だった。

 かつての面影はかすかにしか残されていない。

 体中は傷だらけで、帽子は失われ、顔には生気がなかった。

 口からはぎしゅ、ぎっ、と歯ぎしりのような音が絶え間なく漏れている。

 その音が、部屋の空気を削り取るように冷たく、鋭く響いた。

 

「おそらく……兵隊蟻の訓練に利用されていたんだと思う。近づく奴を機械的に攻撃してくる」

 

 誰かの声がそう告げた。

 この場にあるのは、圧倒的な沈黙と重苦しい空気だけ。

 ゴンの拳が震えているのが見える。

 キルアは歯を食いしばり、目を逸らさないようにしていた。

 

 目の前にいるのは、間違いなくカイトだ。

 でも……あんなの、あんなのカイトじゃない。

 

「カイト……」

 

 ババアが小さくつぶやいた声は、悲しみと戸惑いに満ちていた。

 

「カイト、もう大丈夫。大丈夫だよ」

 

 ゴンがカイトの方へ一歩踏み出す。

 その優しい声と同時に、カイトの拳が鋭く突き出された。

 鈍い音が響き、ゴンのこめかみに赤い線が走る。

 血が流れ出すのを感じながらも、彼は怯まずに言った。

 

「あの時以来だね、カイトに殴られるの」

 

 ゴンは再びカイトに近付いていく。

 

「あれは、痛かったなァ」

 

 殴られる。

 近づく。

 殴られる。

 近づく。

 殴られる。

 

 ずっと無言で、何度も何度も繰り返す。

 

「いいのか、このままやらせておいて。ゴンも念でのガードは出来てないんだろう?」

 

「大丈夫……ゴンなら気付くよ。…………もしかしたら、もうわかってるかもしれない。その上で……」

 

 モラウとキルアが会話をしているその間にも、ゴンは殴られ続けていた。

 音が石造りの部屋に硬く、鈍く響く。

 決して弱くない。むしろ、強烈な拳だと思う。

 それでもゴンは、耐えている。

 

「……たしかにな……反射が避けようとか防ごうとするとこを力ずくで抑えてわざと攻撃を喰らってる感じだ」

 

 カイトの攻撃はシンプルで、あれならきっと俺にだって避けられる。

 ゴンに避けられないはずがない。

 なのに、彼は殴られることを選んでいる。

 

 俺と、カリヌシと、ババアと、キルアは、カイトを見つめていた。

 残りは、ゴンの方を。

 何度も何度も殴られて、ふいにある一撃を、ゴンは体勢を低くして躱す。

 そしてそのまま、ゴンはカイトを抱きしめた。

 

「ごめんね、カイト。オレ達のせいで、こんな……」

 

 カイトの動きが止まる。

 

「少し……休んでいいよ。後はオレ達に任せて」

 

 ゴンがゆっくりとカイトから身を離すと、カイトの上に何かが浮かび上がった。

 それは上半身だけのピエロのような、ロボットのような不気味な存在。

 操り人形のように指先から糸を引いて、その糸はカイトの四肢へとつながっている。

 

「LV2。カイトに触れると発動するようだ。ゴンには見えてねーだろうが」

 

 ナックルが説明する。

 ゴンには見えない……? あれは、念能力じゃないのか?

 

「クリアするにはかなり高度な戦闘技術が必要になる。カイト自身の念はオレの能力で封じてあるから……あれは、カイトを操っている者の念能力。気をつけろよ、もう一度触れると攻撃してくる」

 

「どうすれば……どうやって止めたの?」

 

 ゴンの問いに、シュートが目を伏せて答える。

 

「……相応の深手を彼に与えた……。やむを得なかったとはいえ、すまない」

 

 ゴンは黙っていた。

 そして、震える視線でカイトの全身を見つめ、そして背を向ける。

 

「カイト、もうちょっと待ってて。すぐに戻す」

 

 キルアのそばに戻ると、ゴンは決意を込めた表情でこう言った。

 

「キルア。あいつは……オレ一人でやる」

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