飛行船が目的地にたどり着くまでに、一日半という時間を要した。
その長い空の旅のあいだ、カイトはずっと俺のそばにいてくれた。
貨物室という閉ざされた空間で、俺だけのために付き添ってくれていた。
人間にとってはきっと退屈な場所だろうに、一言の文句もなく。
ただ静かに、時には本を読みながら、時には俺の毛を撫でながら。
申し訳ない。けど、一緒にいる時間、俺は嫌じゃなかった。
そして着いたのが、ヨークシンの街外れにある空港だった。
ここからさらに都心部に向かうための準備として、俺はとある服を着せられた。
襟のついたシャツのようでいてベストのような、不思議なハーネス。
白地に黒い革の縁取り、首元には赤いリボン。
人間で言えばおめかしってやつだろうか。
鏡があればきっと自分でも見とれてしまうレベルで、我ながらめっちゃカワイイ。
背中の中心にはリードを繋ぐための金具があり、そのリードの先端をカイトが握っている。
べつにこんなもので繋がなくても、俺はどこにも逃げたりしないのに。
けど、これから人の多い場所に行くわけだし。
これが周囲の人間の安心につながるなら、それも仕方ないだろう。
俺たちが向かったのはサザンピースという場所。
ヨークシンのなかでも特に有名なオークションハウスらしい。
そのすげーでっかいビルは本当に圧巻だった。
見上げても見上げても終わりの見えないほど高く、俺が暮らしていた洞穴の断崖の何倍もある。
周囲には同じような高層建築が林立し、木々の枝の代わりにガラスと鋼鉄の壁が空を切り取っていた。
街というより、これはもう一種の森だ。
鉄と光の森。人間が作り込んだ大自然。
はじめは、例によって俺は外で待つことになるのかと思っていた。
だけど、今回はちょっと違った。カイトは俺を連れて建物の中へと進んだのだ。
彼にとってはこの建物の中での任務がある。でも、俺のことも放ってはおけない。
そのせいか、俺は立派な服を着せられ、堂々と彼の隣に並んで歩いていた。
案内されたのはビルの奥まった部屋。
そこに集まったみんなが注目していたのは、なんと『虫の足』だった。
……そう、虫の足。
けれど、それは普通の虫のサイズとは桁違いだった。
俺の前脚と同じくらい。
つまりは、俺くらい……いや、それ以上のサイズを持った化け物サイズの昆虫だ。
冗談じゃない。森で見かけたこともないし、見たくもない。怖!
カイトたちは、その巨大な足の一部を譲ってもらい、本体の調査に乗り出すらしい。
そのやりとりの最中、俺はというと、案内してくれたスタッフの視線にひたすら怯えていた。
やたらとジロジロ見られる。なんか変だ。いや、変じゃなかった。ヤバかった。
交渉が一段落ついたあと、今度は俺が高額で売り飛ばされそうになったのだ。
億単位の値段がつけられていたらしい。マジかよ。億て。
カイトがしっかりと断ってくれたからいいものの、下手をすれば俺、競りにかけられてたぞ。
でも俺だったら億もらえるなら喜んで身売りするところだったね。貧乏性。
そんなこんながあって、オークションハウスをあとにした俺たちはまた移動だ。
今度は二手に分かれる。
さっき譲ってもらった昆虫の一部を分析するグループ。
それと、実際にこいつが見つかった場所の調査をするグループだ。
俺やカイト、ゴン、キルア他数人は後者。
場所はこの街からさらに南に行ったところにある海岸沿いの小さな村らしい。
一日に一本しか出ていない乗り合いバスに揺られて、俺たちはその村へと向かった。
バスに貨物室なんてものはないので、俺はおとなしくカイトの足元に伏せていた。
同じバスに乗っていた親子連れが俺を見てしきりに「カワイイ、ぬいぐるみみたい」と話している。
……悪い気はしない。ふふん。俺、アイドル扱い。
その横でカイトと、名前を忘れちゃったけどよく「ヤハハハ」って笑う人が村について真面目に話し合っている。
ゴンとキルアは窓の外に目を向け、車や草原を眺めながらはしゃいでいる。
あとの二人もなんか話してる。
それぞれがそれぞれの時間を過ごす中……俺だけが、次第におかしくなってきた。
……酔った。
車に酔った。
頭がぐらぐらする。お腹の中が渦を巻いてるみたいだ。
舌がでろんと勝手に口から垂れ下がる。ハァハァと呼吸も荒い。
「おい、大丈夫か」
大丈夫だ、問題ない。ちょっと降りる。もうやだ帰る。
カイトの声が耳に届くけど、返事する気力もない。
俺がこの世の終わりみたいな顔をしていたのか、カイトが運転手に頼み込んでくれて、バスは少しの間だけ停車することになった。
外に出て、水をもらう。甘露。ありがたし。
酔い止め薬なんか虎の俺が飲めるわけないもんな。自力で何とかしないと。
そのとき、ゴンがどこかから葉っぱを持ってきた。
「タイガ、これ噛める?」
ゴンが何かの葉っぱを持ってきてくれた。何これ。何の葉っぱ?
「噛んだら少し楽になると思う。飲み込まなくていいから、噛んでみて」
正直、何の葉っぱかわからなかったけど、ゴンの言葉を信じて口に含む。
噛むと少し酸っぱい味がした。唾液がたくさん出て来て、気分がすっとする。
「……お前、ホントこういうの詳しいよな」
「自然に囲まれて育ったしね。それに、子供のころから図鑑とかを見るのも好きだったから」
うう、情けない。
こんなんじゃ俺、立派なオトナタイガーになれない。カッコワルイ。
自分だけがグロッキーで、子供のくせにゴンのほうが大人に見えた。
俺があからさまに凹んでいるのを見て、カイトが声をかけてくれる。
「仕方ないさ、子供はまだ脳の発達が未熟だ。そもそも車に乗ったのも初めてだろう。慣れれば酔わなくなる」
ほんとかな。キルアやゴンも子供だけど酔ってる感じはしないぞ。
フラフラしてるのは俺だけ。
「タイガは、その、まだ子供だから。そのうち平気になるよ」
「ゴン、それ言ってることカイトとおんなじだぞ」
ああ情けない。今すぐ穴があったら埋まりたい。いや、何なら今から俺が穴を掘る。
でもこのままでいるわけにもいかないし、なんとか慣れるしかないか。
酔い止めの葉っぱを噛んでいるうちに気分がよくなってきた。よし、もう大丈夫。
「がう!」
「お、大丈夫そうだな。なあ、そろそろ出発してもいいんじゃね?」
「そうだな」
元気アピールして再出発。
以後三日間、多少の揺れには耐えられるようになった。
そのおかげもあってなんとか無事に目的地へと到着することができた。
ありがとう、葉っぱ。ありがとう、ゴン。
なお、道中ではメシヌキ。ひたすら水を飲んでいた。食えない。ムリ。しぬ。
車に揺られ到着したその村の中心部は観光や漁業で生計を立てているようだった。
海辺に木製の広い舞台みたいなのがあって、観光客が思い思いにのんびりと写真を撮ったりしている。
宮島と清水寺を足して二で割った感じ。
少し離れたところに行くと観光の雰囲気は鳴りを潜める。
網や魚がたくさん干してあったり小ぶりの船が並んでいたりする本物の漁港の風景が広がっていた。
絶食していた俺のために、カイトたちはここで魚の干物をたんまり食わせてくれた。んめぇ。
そして本来の目的。この漁村のどこかに、あの虫の発見者がいるらしい。
そいつを訪ねてここまではるばるやってきたってわけだ。
何軒か家を回って発見者の名前や家を突き止め、ようやく本人と会えそうだ。
「初めまして、オレはこういうものだがアンショアさんはご在宅だろうか」
訪ねた家から出てきた人にカイトが名刺みたいなものを手渡している。
ハンター:カイトとか書いてあったりするんだろうか。
「俺だよ。ハンターが俺に何か用かい?」
「一か月ほど前に見慣れない昆虫の足を発見したと聞いているんだが、もしよければ見付けたその場所を教えてくれないだろうか」
「ああ、すぐそこの砂浜だよ、ここから500メートルくらいのところかな。波打ち際にただよってたんだ」
彼がその場所まで連れて行ってくれることになった。
人の少ない、きれいな砂浜。浜を抜けるとすぐに、密林が広がっている。
「本体がここへ逃げ込んでたら、見つけんのは大変ね」
この人は確か……バナナさん。たぶん。
ヨークシンを出たあたりからなんだけど、この人のリュックなんか変なにおいがするんだよね。
なんのにおいだろ。
「てゆうか本体が生きてるとは限らないじゃん」
「それ以前に本体が同じ島に流れ着いてるかどうかもわからないよ」
とはいえ、何もしないわけにはいかないので。
「早速調べてみようか」
そう言って、バナナさんはリュックから犬を取り出した。
変なにおいがしてたのコイツか!
ずっとリュックに入れられてたのかよ、お気の毒に。
動物をバッグに詰め込むの、イクナイ。
「はいこれ、よく嗅いで」
バナナさんはカイトから虫のかけらを受け取ると、その犬に嗅がせ始めた。
においで虫の本体を探すんだろう。
……俺もやれるかな? お手伝いしようかな?
「がう」
カイトに訴える。
「……お前もやるか?」
通じた!
俺も一緒ににおいをかがせてもらう。
カメムシ潰したときのにおいを、限りなく薄くした感じ。
においのクセはあるから、本体がもし近くにいたらたぶん気が付くと思う。
俺と、犬と、あとなんでか知んないけどゴンも一緒に本体のにおいを追う。
手分けして、浜辺全体を探し回った。
「見つからないみたいだね」
「本体はここじゃないってことか……」
カイトがアンなんとかさんに、この辺の潮流について尋ねている。
本体が海に流された可能性、あるいは逆にあの腕だけがこの場所に流されてきた可能性を探っているんだろう。
アンなんとかさんとはここで別れ、俺たちはもう少しこの場所を探すことにした。
今度は密林の方に数十メートルほど入り込んで。さっきと同じように手分けして探した。
結果は同じ、何も見つからなかったんだけど。
全く手掛かりすらつかめずにどうしようかと話していたところで、カイトの携帯電話が鳴る。
分析調査班からの連絡みたい。
横から話してるのを聞いただけなんで詳しくは分からないんだけど、キメラアントとかグルメアントとか、なんかそういう名前の虫の女王蟻に似ているらしい。
そして本来その虫は体長十センチ程度。でもあの腕だけで三十センチ以上はあった。
キルアが深刻な顔で言う。「人間でも食えそうだ」と。
化け物の蟻。キメラアント。女王。
摂食交配。生物を食べてその遺伝子を持った次世代の働き蟻を産む。
その名を聞いたとき、背筋がぞくりとした。
聞き覚えがある。だけど、どこで……? 何を……?
頭が痛い。
俺はいろんなことを忘れてるけど、とても重要な何かを忘れている気がする。
いったん引き上げて、今度はホテルで各国の様々なデータをもとにこのキメラアント? の発生状況を調査することになった。
その間俺にできることはなにもない。
だから、この喉に引っかかった小骨のような不愉快な記憶のさざ波の源泉を探ってみようと思う。
何も思い出せないかもしれないけど。
明日はたぶん更新できないと思います。頑張ってはみる。