名前はまだ覚えていないけど、カイトを尊敬していて、真似しているって言ってたお姉さん。
彼女のノートパソコンで得た情報をメインに、みんなで今後どう動くかを話し合っている。
お姉さんは、カイトとおそろいみたいなつばの広い帽子を、いつも大事そうにかぶっている。
その姿がなんだか微笑ましくて、「似合うよ」って、心の中でだけつぶやいた。
「やっぱり取り越し苦労じゃないのかなあ」
ぽつりと誰かが言う。
疲れた声。気持ちはわかる。
「本体はきっと今頃海の底よ」
別の誰かも同意するように言葉を重ねた。
周囲の空気は、もう調査を終えてもいいんじゃないか、という方向に傾きつつあった。
でもカイトはそうは思ってないみたい。ゴンとキルアも。
モニターに表示された発見区域周辺の海流データを睨みながら、カイトは何かを考えている。
どこか別の場所から腕だけが流されてきた可能性を考えているらしい。
「バルサ諸島全域が含まれるわね」
お姉さんが、マップを指し示しながら言った。
すかさずカイトが言葉を返す。
「ミテネ連邦も可能性域に入るってことだな」
ミテネ連邦。
聞き覚えのない地名に、俺は小さく首をかしげた。
カイトは険しい表情のまま、説明を加える。
ミテネ連邦にはいくつかの国があり、その中でも特に……NGL自治国と東ゴルトー共和国。
そこなら、情報がほとんど外に出てこないという。
北朝鮮みたいに厳しく情報統制されている国なのか?
それとも何か別の理由があるのかな。
首をかしげていたら、キルアがNGLについて俺の代わりに尋ねてくれた。
NGL。
正式には、ネオグリーンライフ。
文明をすべて捨てて、自然の中で暮らしましょう。そんな理念を掲げる自治区らしい。
宗教みたいなものなのかもしれない。
正直、うさんくさい。俺だけじゃなく、ゴンもキルアもそんな顔をしていた。
もし、そんな国でキメラアントがヒト狩りを始めても、たぶん、放置される。
『生態系の一部』として、受け入れられてしまうだろう。
そして、誰も気付かない間に蟻はヒトとの摂食交配を繰り返す。
蟻たちはより強く、より賢く進化していくのだろう。
世界が異変に気付く頃には、もう手がつけられないほどに。
カイトはたぶん、それを警戒しているんだ。
そう思ったら、確かにここで調査を打ち切るなんて、楽観が過ぎる。
きっと後悔することになる。
次なる目的地は、NGLだ。
また移動。
俺たちはあちこち、世界を飛び回ってばかりいる。
「タイガ」
ヨークシンに一度戻り、そこから空路でロカリオ共和国へ向かう。
ロカリオはNGLに隣接している国で、飛行船に乗って、俺たちは再び貨物室へ。
暗くて静かな空間。
カイトは、ずっと黙ったまま考え込んでいた。
そして、不意に口を開いた。
「がう」
「オレの勘では、本体はNGLにいる。場合によっては未曽有の
え。
「無事に戻ってこれればまた一緒にいることもできるだろうが、確約はできない」
え。え。
「その場合のこともちゃんと依頼して……タイガ?」
俺は壁に寄りかかって立っているカイトの足にしがみついていた。
がっちりと。必死で。
嫌だ。カイトたちと離れるのは嫌だ。
俺がなんのためにここまで来たと思ってるんだよ。
カイトやゴンやキルアと一緒にいたいからだよ! 言わせんな恥ずかしい。
「がう、がうぎゃう!」
嫌だ! と足にしがみついたまま首を左右にぶんぶん振る。
それでもカイトは、俺を振りほどこうとはしなかった。
「タイガ、聞き分けろ。お前には危険すぎる」
俺は嫌だと、さらに強く首を振る。
カイトは、疲れたようにため息をついた。
あきらめたらそこで試合終了だって誰かが言ってた気がするんだけど!
「いい加減に理解してくれ。俺だってお前を置いていくのは辛いんだ」
辛いなら連れて行ってくれてもいいじゃない!
俺もお邪魔虫にならないように頑張るからさ。
何なら逃げ足だけは早いよ! 猛獣なんだから!
必死に訴えていると、カイトはやがて、頭を抱え込んだ。
それでも、俺を無理やり引き剥がすことはしなかった。
それだけで、ほんの少し希望が見えた気がした。
ロカリオには、半日ほどで到着した。
分析調査をしていたグループと合流し、そこからみんなでNGLへ向かうらしい。
『みんな』の中に、俺は入れてもらえるのか。
俺はゴンに媚びを売る。ゴロゴロニャン、連れてっておくれよ。
ゴンは困った顔をして、キルアとカイトを見比べた。
「タイガが一緒に行きたいって言ってるよ」
「駄目だ」
俺はキルアに媚びを売る。ゴロゴロニャン、一緒に行こうぜ。
キルアも俺にフォローを入れてくれた。
「オレたちについてこれるなら連れて行く、駄目そうならおいていく、でいいんじゃねーの?」
「はぐれた場合こいつをこれまでと全く違う環境に放り出すことになってしまう。駄目だな」
最後の望みをかけて、俺はカイトに媚びを売る。ゴロゴロニャン、意地でもついてくよ。
必死の眼差しを向けると、カイトはしばらく俺を見つめたあと、深いため息をついて小さく頷いた。
「……わかった……ひとまずNGLとの国境までだ。その間にオレは知り合いのハンターに連絡を取る」
やった!
とりあえず今は、ついていける!
その後のこと? そのときまた、ゴロゴロニャン発動すればいいさ!
俺に虎のプライドはない! 子供の特権、全力発揮だ!
空港近くの小さな宿に一泊し、仲間たち全員と無事に合流を果たした。
翌朝、俺たちは大型タクシーという名の、実態は幌付きのトラックに詰め込まれ、NGLとの国境を目指して出発した。
カイトは乗り込んでからずっと無言だった。
窓の外を眺めながら、何か深く考え込んでいるように見える。
話しかける雰囲気ではない。俺もゴンもキルアも、自然と静かになった。
今回の運転手はヨークシンで乗ったバスのあの乱暴なドライバーとは違って、丁寧な運転を心がけてくれていた。
車体が大きい分、揺れも少ない。おかげで俺は一度も酔わずにすんだ。
時間が短かったことも幸いしたのだろう。
一時間ほどかけて、国境へと到着する。
国境に流れている大河。
その川をまたぐように、二本の巨木が向かい合って生えているのが見えた。
よく見るとその幹はくり抜かれて、中には人が住めるだけのスペースが確保されているらしい。
まるで自然と共存する建築物そのものだ。
どうやらこれが、NGLの国境検問所兼大使館、ということらしい。
「こんな辺鄙なトコに何があるんだ? 今日だけであんたたちみたいな連中を十組くらい乗せてきたぜ」
運転手が、訝しむように言ってきた。
言葉の通りなら、俺たち以外にもNGLを目指している連中が大勢いるということか。
運転手はひとしきりぼやくと、エンジンをふかして空港方面へ戻っていった。
「気を引き締めて行くぞ。蟻の前にNGLも題目通りのエコ団体じゃないからな」
カイトの表情は浮かない。
「え?」
ゴンが素直に疑問を漏らす。
「黒いウワサが結構あるのよ」
そういうのって、新興宗教団体とかでもよくあるよな。
外面はきれいに装って、裏では何をやってるかわからない。
「……あいつはまだ来ていないようだな」
カイトが木の根元を見渡して言った。
どうやら、合流予定だった誰かが遅れているらしい。
「まあ、入国審査を受けている間に到着するだろう。さあ、行くぞ」
俺たちは巨大な木の入り口へと向かった。
その前に、二人の係員が立っていて、きびきびとした様子で俺たちを迎えた。
「どのようなご用件で?」
「
カイトがハンターライセンスを提示する。
係員たちはすぐに態度を和らげ、俺たちを木の中へと案内してくれた。
「こちらへどうぞ」
中に入ると、外観からは想像できないほど広々としていた。
十人ほどの職員が、それぞれパソコンに向かって忙しそうに作業している。
あれ、NGLって『自然第一』で、機械類禁止じゃなかったっけ?
パソコンはアリなのか?
「パソコンとか機械あるじゃん」
キルアが俺と同じ疑問を持ったようだ。
「ここはまだNGL国内ではないですからね。外交業務として主に情報交換に使用してます」
「国の中に同じような施設はあるか?」
係員が淡々と説明した。
「いいえ、全くありません。NGL国内には一切、機械の類はないのです」
マジかよ……。
服の素材も、金属のボタンやファスナーもダメらしい。
具体的には、化学繊維の服、金属製アクセサリー、プラスチック製品、全部NG。
「冗談じゃないわよ、すっ裸になれっていうの?」
「御心配なく。この上に天然素材の商品がございます」
案内された階段を上ると、上階には衣類や日用品なんかを売る店があった。
品揃えはそこそこだが、値段は……まあ、足元を見た強気設定だ。
ここで買い換えない限り入国できないんだから、仕方ないのか。
着替えを済ませ、必要なものを揃えた後、再び下へ降りる。
ここからさらに人数が絞られる。
「他にも体内にボルトや歯科治療のインプラント金、銀、整形のシリコーンゴムなどを有し、この場で摘出不可能な方は、入国をお断りいたします」
あっ、そうか。ニンゲンは手術とかしてたら体内にそういうのがある可能性もあるのか。
俺は虎だから関係ないけど。
てか大丈夫……だよな? 牙が人工物とか言われたらキレるぞ。
なお、ここに置いていかれる可能性はまだ考えないでおく。
服はともかく、歯や体内の金属は今すぐ取り外すわけにもいかない。
ここで何人も脱落し、最終的に入国できるのはカイト、ゴン、キルアと仲間二名の、合わせて五名だけになった(あと俺)
「お前たちは最寄りの町で待機しててくれ。二週間以内に一度ここへ戻り、連絡する」
「了解」
カイトの指示で、脱落したメンバーたちとはここでお別れだ。
俺たちは、さらにもう一本の大木へと移動する。
「身体検査と質疑応答の後、金属探知機とエックス線装置、さらに超音波装置の検査を受けていただきます」
案内役の女性がにこやかに言った。
うへぇ、厳重すぎる……まあ、あれだけ徹底して文明の影響を排除するなら当然か。
「ねえお姉さん。この虎は質疑応答できないと思うんだけどどうすればいいの?」
俺の代わりにゴンがすかさず質問してくれた。
いいぞ俺を連れてってくれる気でいるみたいだ。
「そうですね、装置による検査が受けられるのであれば、飼い主による代理の質疑応答で構いませんよ」
「だってよ、カイト」
「おい、オレが飼い主なのか」
「そりゃそーだろ」
キルアが軽く笑う。
よし、いい流れだ。このまま俺を連れて行くこと、確定にしてしまえ!
俺は右手で招くポーズをして、開運招福を願った。ナニカいいことこい!
順番に検査を受ける。
俺も言われた通り、おとなしくして、すべての検査をクリアした。異常なし! 俺、超健康!
ゴンとキルアは検査に興味津々で、機械を覗き込んで技師さんに色々と尋ねている。
「すまない、ここはまだNGL国外だということは、まだ携帯は使用できるんだろうか」
「できますが、利用する際は一旦木の外に出てくださいね」
最初に検査を受けたカイトが自分の携帯を持って外へ出ていく。
そしてカイトが戻ってきた頃には、全員の検査が終了していた。
戻ってきた彼の表情は渋い。
「まいったな……タイガを預ける予定だった奴との連絡が取れない」
「もう連れて行くしかないんじゃない?」
キルアが軽く言った。
「……仕方ないか」
カイトが渋々うなずいた。
よっしゃあああああ!! なしくずし万歳!
俺のニャン生、なるようになる! 神様、ありがとー!
「タイガ、ここから先は絶対にオレの命令を聞け。いいな、間違っても勝手に動き回るんじゃないぞ」
「大丈夫だよ、タイガは賢いから。今までだってちゃんと言うこと聞いてたじゃん」
ゴンが俺をフォローしてくれる。
うんうん、俺は賢い虎だからね。言うことちゃんと聞くよ!
「お疲れさま、どうぞお通りください。NGLへようこそ!!」
係員がにっこりと送り出してくれる。
俺たちは手持ちの文明アイテムをすべて預け、自然素材の服と持ち物だけを纏い、いよいよNGLの大地へと足を踏み入れた。
広い、広すぎる平野。建物も、道路も、電線も見当たらない。
遠くには、かすんだ山々が連なっているだけだ。
これが……文明を捨てた世界。
「よし、