キス断三日目。その放課後。
「……帰るぞ」
「…………うん」
放課後、終礼と共に立ち上がり、いちかの席に行って声を掛けた。
いちかが弱々しく頷き立ち上がる。
周りからの視線を感じながら、俺たちは連れ立ってまっすぐ教室を出た。
一言も喋らす、廊下を歩き、昇降口から下駄箱へ。
靴を履き替え外に出て、通学路を歩く。
並んで、ではなく、俺の数歩後ろをいちかがついてくる……そんな形で。
お互いこんな状況になってもなお、登下校は共にしていた。
小中高、どちらかが風邪でも引かない限り守ってきたルール。それを破るのは、皆勤賞を意地でも守ろうとする、そんな感じに似ている。
会話をしないまま、ろくに頭を回さないで歩く通学路は果てしなく長く、しかし家に着いてしまえば一瞬だった。
俺は家の前で立ち止まり、いちかが俺を追い越す。
これでいつも通り――。
――ガシッ。
俺は、無意識にいちかの肩を掴んで止めていた。
「えっ」
いちかが振り返る。
感情をなくしてロボットと化していた筈なのに、そうとは思えないほどに機敏に。
一瞬で、目に「期待」という輝きを灯らせて。
「……うち、来るか?」
恥じる気持ちはあった。
でも、そんなプライドとか、いちかの心情とか、そんなの全部関係なく、俺は自分勝手に、いちかに命令した。
「っ……うんっ!!」
そして、いちかはこれ以上無く嬉しそうに、目に涙さえ浮かべながら頷いた。
◇
キス断三日目。放課後。我が家の玄関にて。
「ん……ちゅっ、ちゅっ……はぁ、んむっ、ちゅうっ……!」
ドアが閉まりきる前に、俺はいちかを抱き寄せ、いちかも俺に飛びつくようにして、そうやって俺たちは唇を重ねた。
キス断は三日目にして頓挫した。
ああ、分かった。認める。週に二回じゃ駄目だ。毎日じゃないと駄目だ。
確かにいちかほどじゃない。でも、それはどんぐりの背比べでしかない。
俺にもキスは当たり前で、いちかが必要だ。
「いちか……っ!」
「しょーちゃん! しょーちゃんっ! しょーちゃんっ!!」
口の周りが涎でべとべとになろうが、全く気にしなかった。
むしろそれも今、いちかとキスしている証拠だと思えば嬉しく感じた。
「ずっと、したかった……したかったんだから……!」
「俺もだ……ごめん、いちか」
別に三日キスしないなんて……まぁ、最長記録に並ぶとは思うけれど、無いわけじゃなかった。でも、それは物理的に無理な時だけ。
いちかが側にいる。いつでもキスできる。そんな状況で我慢するのは……どうしたって割り切れない。
これは呪いだ。人知を超えた何かだ。そうでなければ説明がつかない。
「はぁ……れる、れろ、れるぅっ」
舌を絡め、互いの唾液を掻き出す。
体温も、魂も、抜き出し、交換する。
そうして初めて、自分の体に生気が通う。自分で生み出すものではなく、いちかの中にある生気からしかそれを得られない。
もうそうなってしまっているんだ。
恋心がどうとか、関係なく。
「はぁ、はぁ、はぁ……しょーちゃん……」
これまでを取り戻すような、獣のような激しいキスを一旦終え、俺はその隙になんとか家の鍵を閉めた。
いちかはぐったりと玄関に寝転ぶ。胸を上下させながら、荒い息を吐いている。
「しょーちゃん、だっこ……」
「おう」
俺はいちかが両腕を伸ばす、その間に体を入れ、正面から彼女を抱き上げる。
彼女の尻を持って体重を支え、逆にいちかは足を俺の腰に回してがっちりホールドする。
互いの手は相手の背中に回し、抱きしめながら……顔は、すぐ正面に向き合うように。
「ちゅぅ……」
俺は部屋に向かい、歩き出す。
それにも構わず、いちかは俺の唇をついばむ。
「ちゅっ、れろっ……あたし、さぁ……ちゅう……この間、言ったじゃん……?」
目を蕩けさせながら、いちかが笑う。
「ベロ……しょーちゃんも動かしてくれなきゃ、あたしは気持ちよくないって……」
「ああ」
「でも、さぁ……れろっ、全然、そんなことない……ちゅうぅっ……んはぁ……あたしから、ベロを絡めるだけでも、しょーちゃんを感じて……すごく、気持ちいい……!」
歩く俺に対して、いちかは一切口撃を緩めず、そんな心情を吐露する。
それは、散々我慢してからのキスだからそう感じるのか、それとも元々思っていたことを照れが邪魔して言えなかったのか……分からないけれど、俺はただ、「そうか」と頷くしかなかった。
余計なことを考えてたら、腰を抜かして、階段に倒れてしまいそうだったから。
俺はいちかを抱き上げ、バランスを崩さないように一段一段しっかり上る。
いちかはそんな俺を妨害するように、抱き上げられながらキスを続ける。まるでこのまま一緒に転落して、仲良くあの世に行ってもいいと言わんばかりに、激しく。
……でも、これを許したのは俺だ。抱っこなんて言われた時点で、それに従えばこうなるのは分かっていた。
それでも受け入れたのは……俺だって、一秒でも長く、ずっと、いちかとキスしていたかったからだ。
我慢のせいか、それともいちかとのキスが自分に必要不可欠だと自覚したからか、キスがしたくてしたくてたまらない。いくらしたって満足できないんだ。
なんとか、階段を上りきり、部屋に入る。
すぐさま互いの鞄を床に投げ捨て、いちかもベッドに投げ倒す。
いちかが夏服の、ブラウスを脱いで投げ捨てた。
露わになるキャミソール。その下に薄ら、ブラジャーの色と形が透けて浮かんでいる。
「しょーちゃん……」
誘われるまま、俺もワイシャツを投げ捨て、アンダーウェアだけになった。
お互い汗を掻いている。制服を着たままじゃ、汚れを気にしてキスに集中できない。
汚れを気にするなんて今更な気もするけれど、都合のいい理性に従えば、こうするのが合理的だ。
断じて、よりいちかの存在を感じたいわけじゃない。断じて。
「きて、しょーちゃん」
「いちか……!」
甘い誘惑に、それを放つ唇に、俺は抗えずに飛び込んだ。
「ん、はぁ……! れろっ、れろっ、れろぉっ!」
「いちか……いちかっ!」
そこに愛はない。
ただ、自分のために俺はいちかを貪り尽くす。
それはいちかも同じ。どちらも自分のため。利害は一致している。
だからこれは……おそらく自慰と変わらない。
けれど、明らかに違うのは――キスは、一人じゃできないってことだ。
必ず相手がいる。自分の意をくみ、自分を深く知り、尽くしてくれる、そんな相手が。
それは片方では駄目だ。独りよがりでは、自分は良くても相手が匙を投げる。
お互いがお互いを、自分にとって必要だと思っていなければ……満たされない。
「しょーちゃん……っ!」
いちかが俺の名前を呼び、抱き締めてくる。
彼女に覆い被さる俺に、腰を浮かせて縋り付いてくる。
その、一心不乱に俺を求める姿が…………たまらない。
唇を重ね、離れればすぐに吸い寄せ、吸い寄せられ……、熱を、想いを共有する。
そこに愛はない。
そこに、愛はない。
でも。
「いちか……、…………」
俺は、自分の言った言葉が聞こえなかった。
自分で自分が何を言ったのか分からなかった。
それは脳を通らず、脊髄から出てきたような言葉で、きっと意味なんてなくて。
なのに、ガチリと、俺の中の歯車が音を立て、今までとは違う方向へ回った――そんな感じがした。
「あ…………」
そんな俺の言葉に、いちかは僅かに目を見開き驚きを露わにしていた。
キスを止め、口を半開きにしたまま俺を見つめる。
俺といちかの間、唇と唇に繋がった透明な糸がぷつりと切れ、彼女の顎に落ちる。
それと同時に――いちかは目を細めた。
優しく、温かく……これまで見せたことのない表情。
「しょーちゃん、あたしも…………」
その言葉は、聞こえなかった。
いや……聞こえた。確かに聞こえたけれど……でもすぐに、溶けて消えてしまった。
直後交わした、これまで何百、何千、何万と交わしてきたキス……そのどれよりも熱く激しいそれによって、かき消されてしまった。