そして土曜日。午前十時。
「いらっしゃーい」
インターフォンを鳴らすと、いちかは応答もせずいきなりドアを開けてきた。
無防備な気もするが、一応モニターで確認しているらしいので問題ないのだろう。
……というか、そんな心配は些細なもので。
「お前、なんだよその格好」
「え? なんか変?」
薄手のプリントTシャツにショートパンツ。部屋着らしいラフな格好だし、こんな姿飽きるほど見てきたけれど……今回は明らかに普段と違った。
「しょーちゃん、目がえっちになってるよ」
「え、うそ」
「うそ。びっくりするくらいいつも通り。むしろ警戒してる~って感じ?」
そりゃあそうだ。事実、いちかの意図が分からず、ほのかに恐怖さえ感じている。
「お前、なんでノーブラなんだ」
「へへへっ」
照れくさそうに頭を掻くいちか。そんな些細な仕草でも胸が不自然に弾む。
「だってしょーちゃんもサポーターつけてないんでしょ。だからあたしもブラを脱ぐのが対等かなと思いまして」
「いや、完全に余計な気遣いなんだけど……」
「いーのいーの。大した話じゃないし。ほら、そんなことより、さっさとあたしの部屋に……ううん、やっぱり今日はこっちにしよ」
俺がスリッパを履くより先に、いちかは手を引いて阪内家のリビングへと連れて行く。
「お父さんもお母さんもいないんだから、うちのどこ使っても問題ないからね」
「そりゃ、そうだけど……」
食事をするための四人がけダイニングテーブル、それにソファとローテーブルがあるから、勉強するには事欠かないとは思う。
けれど、するのは勉強だけじゃない。
「お茶入れてくるのと、あとあたしも勉強道具持ってくるから、準備して待ってて」
「分かった」
どうやら勉強にこの場所を選んだのは完全な思いつきだったらしく、いちかは俺をソファに座らせて、慌ただしく去って行った。
普段とは違うとはいえ、こうしてリビングに来たことも当然何度もある。俺は特に緊張することもなく、言われたとおりに準備して待った。
そりゃあ、いちかがノーブラなのには驚いたけれど……冷静に考えればここはあいつの家で今日は休日。
多少開放的であったとしても誰にも責める権利は無いだろう。
「お待たせ~」
トレイに麦茶入りのグラスを持って、肩には教科書類を詰め込んだトートバッグをかけて、いちかが帰ってきた。
ローテーブルにグラスを置くためかがむと……不自然、いやこちらが自然なんだろう、同年代と比べてもかなり大きめな双丘がぶるんと揺れた。
「……んじゃあ、いつも通りでいいか」
「おっけー」
アプリを設定し、スマホをテーブルに置く。
そうして教科書を広げると……なぜか、いちかは隣にぴったりくっつくように座ってきた。
「お、おい?」
普段だったら対面に座るはず……いや、今日に関しては対面に座られても若干困る気はするが、とはいえこんな、腕を動かすのに支障が出るほどくっつかれると……。
普段の、それぞれの部屋に比べてリビングは広いし、余計に違和感があるというか。
「じゃー、スタートっ!」
疑念を深める俺に対し、いちかは元気よくタイマーのスタートボタンを押した。
っと、作業時間25分が始まれば、勉強脳にスイッチを切り替える、そういう体にされてしまった俺は、違和感を押し殺し、テスト勉強を始めた。
◇
些細な違和感が大きく膨れ上がるまで、正午までもかからなかった。
――ピピピッ。
「よぉし休憩! お茶のおかわり、入れてくるねー」
「お、おう」
いちかがグラスを二つ持って立ち上がる。
俺は動揺を隠しきれず、ぎこちなく頷いた。
(いちかのやつ、張り切ってるわりに一度もキスを求めてこないな……?)
休憩時間はちゃんと休み、作業時間は集中する。そんな模範的なテスト直前の高校生といった感じだけれど……阪内いちかという人間をよく知っている俺からすれば、やはりなにか企んでいそうで怖い。
(……いや、案外期末テストに危機感感じて、それどころじゃないないかもしれないな)
危機感を覚えるにはテスト期間二日前と遅すぎる気もするけれど……まあ、今週はちゃんと勉強してたんだし、別にぐちぐち言うほどじゃないか。
「はい、お替わり」
「サンキュー」
グラスになみなみ麦茶を入れて戻ってきたいちかにお礼を言う……と、テーブルに裏返しで置かれていたいちかのスマホが震えた。
「ん、なんか通知来てるっぽいぞ」
「あー……うん。まあ、いいかな。たぶんクーポンとかだと思うし」
バイブレーションの種類的に、無料で通話もできるチャットアプリだろう。
確かに企業アカウントとか登録していると定期的に割引クーポンとかが送られてきて鬱陶しいなぁとなることは少なくないけれど……でも、俺よりもよほど交友の広いいちかの反応としては少々不自然だ。
そうこう話していると、再びスマホが震えた。今度は二回。二通メッセージがきた、ということになる。
けれど、いちかは画面を見ず――、
「はぁ……」
深いため息を吐いて、スマホをトートバッグに入れてしまった。
「……なんかあったのか?」
さすがに違和感では済ませられないくらいには気になってきた。
以前、いちか本人が言っていた。
他人と友好的な関係を築くには、できるだけ省エネな、相手にとって嬉しい行動をばらまいていくことだと。
その代表的な行為が二つ。一つは挨拶。基本的に挨拶は定型文が決まっていて、朝は「おはよう」、帰りは「さよなら」。それらを言っておけば、相手に悪印象を持たれないし、ちゃんと挨拶をするだけで不思議と好感度は上がっていくという。
そしてもう一つは、返事を早く返すこと。
現代コミュニケーションにおいて、スマホを介し、文字ベースで行う機会は多い。けれど、実際に会話するのに比べたら、相手の返信にラグがあるし、文字だけだとどこか無機質で、そんなつもりがなくても相手に不満を抱かせかねない。
なので、そんな不満を抱かせないよう、相手を不安にさせないよう、返事はなるべく迅速に! 後から「返事が遅くなってごめんなさい」などと必要の無い謝罪をする手間だってなくせるから。
そう得意げに熱弁してきたいちからしからぬ対応。さすがに何通も連続で送ってくるなんて、企業アカウントからはあまりないだろうし。
と、まぁ……つまり、今のいちかは明らかに変だ。それもネガティブな方向に。
損をすると分かっているのに、送られてきたメッセージを見ようともしないなんて。
「もしかして、嫌がらせでもされてるのか?」
「え?」
「だとしたら黙ってないで相談しろよ。頼りないかもしれないけど、力になるぞ。もしも俺に変に気を遣ってるなら――」
「ち、違うよ!? そうじゃない!」
いちかは慌てて否定をする。この慌て方は嘘をついている感じにも見えないけれど……いや、分からない。
もしもいちかに何かあったら、俺は……。
「もう、そんな顔しないでよ」
よほど嫌な顔をしていたのか、逆にいちかに気を遣われてしまう。
いちかは俺の頬に手を伸ばし、なだめるようにさすってくる。
「ちゃんとしょーちゃんには話せることだよ。でも……今は無理。少し待って欲しいかな」
「……そっか」
いつか話すと言うのであれば、俺もこれ以上は何も言えない。
「でも、何か困ったりしたら、絶対俺に言えよ。一人で抱え込まないでさ」
「……ふふっ。しょーちゃんは本当にしょーちゃんだね」
「どういう意味だよ」
「良い意味だよ。うん、しょーちゃんのこと、頼りにしてるから」
いちかはそう言って……正面からぎゅっと抱きついてきた。
下着から解放された胸が、俺の体で形を変える。
散々話題にしてきたそれは、確かにほどよい弾力で、Tシャツ越しに触れるだけで気持ち良くて……けれど、やっぱりいちかはいちかだった。
そういう感情は湧いてこない。ただただ、落ち着く。
「……大きくならないね」
「おま、わざわざ触れるなよ」
「や~だ、触ってないよ? しょーちゃんのえっち」
「話題に出すなって意味だから! ワード選びを間違えたのは認めるけど」
いつものらしい軽口が出て、少しホッとする。
あと、俺のやや子が臨戦態勢にならなかったのもほっとする。
そう、おっぱいもしょせん脂肪の塊。聞くところによると二の腕の感触と変わらないとかなんとか。
………………だからどうという話でも無いんですけどね!
――ピピピッ。
タイマーが鳴り、次の作業時間開始を告げた。
そろそろ時計の針的にもこの時間が終わったら昼食時だろうか。
「……いちか?」
抱きついたままなぜか離れないいちかを見る。
いちかは俺の首元に顔を押しつけたまま、ぎゅっと目を閉じて停止していた。
寝ているわけじゃない。普通に呼吸をしている――いや、普通より少し深めだろうか。
どこか、気持ちを落ち着けようとしているように見える彼女に、俺は何も言えず、彼女が反応するのを待つしかなかった。
数秒、もしかしたら一分にも届くくらいの時間が流れて……いちかがぱっと目を開く。
「しょーちゃん、チューしよっ!」
「へ?」
「したくなっちゃった!」
いちかが上目遣いに俺を見上げ、にっこり微笑む。
そして、腕の位置を俺の首の後ろに変え、顔を近づけ――唇同士が触れる直前、寸止めで止めてくる。
「んふふ」
「……なんだよ」
「しょーちゃんからしてほしいなぁ」
「え?」
「基本あたしからでしょ。でも今日は、しょーちゃんから……シテほしいの」
胸を押しつけながら、どこか淫靡な雰囲気で、耳元に唇を近づけ囁くいちか。
そこに込められた期待と熱。物理的に耳から脳を溶かされそうな、そんなどろっとした感情に、到底抗えるはずがない。
「…………」
俺は彼女に言葉を返さず、代わりにがっちりと華奢な肩を掴む。
期待に瞳をきらめかせるいちかの、真一文字に閉じた唇に、自分のを重ねた。
「んっ……」
ぴくっと肩が跳ねた。
それを感じつつ、閉じたままの唇、その割れ目に舌を這わせる。
「ん……あっ……」
吐息を漏らすと共に、僅かに開いたその割れ目に舌をねじ込んだ。
硬い歯に触れ、つるつるの表面を撫で……歯茎を撫でる。
「しょ、ちゃん……きもち、いいっ……!」
苦しげに、しかし感情をそのまま口に出すいちか。
強張っていた肩から力が抜けていく。同時に、顎も開き、隠されていた舌が無防備に晒された。
――じゅる、じゅる、じゅるるっ。
唾液をたっぷり絡ませながら、いちかの舌を舐る。
そして、力が抜け前へと垂れてきたその舌を……少し強引に口を突っ込んで、思い切り吸い出した。
「~~~~っ!?」
肩が、いちかの全身がぴくぴく痙攣する。
それは一度に留まらず、いちかの舌全体を、俺が唇で撫でるたびに繰り返された。
「ひゃ、そ、それ、だめっ……やば、ぃぃ……!」
じんわりと彼女の目に涙が浮かぶ。
そんなに気持ちがいいのか……駄目と言いつつも、いちかの腕はがっちり俺を抱きしめ、離れることを許さない。
もっと、もっととねだってくる。
そうして求められるのが素直に嬉しくて、俺はもっとこいつを喜ばせてやりたいって気持ちになって。
25分間、作業終了のアラームが鳴るまで、ひたすらにいちかの舌を弄び続けた。