夜。自分のベッドに寝転がり、晩ご飯完成の報を待ちながら、俺は深くため息を吐いた。
二人には結局最後まで気を遣われてしまった。
昼飯のラーメンは寬司の奢り。
そしてその後は三人でカラオケ三昧。
楽しかったけれど、彼氏・彼女のテスト終わりの幸せなひとときに水を差してしまったのが申し訳ない。
そう伝えたら、照れるでもなく、「バカにすんな」と本気で背中をひっぱたかれたけれど。
「……いちかはどうなったかな」
ふと、気になった。
先輩とのデートは楽しめただろうか。嫌な思いはしていないだろうか。
当然いちかから連絡はない。する義務があるわけじゃないけれど……もしかしたらと、なにかとスマホを確認してしまう。
そもそもデートをすると直接聞かされたわけでもないのだ。この件に関しては俺は完全に部外者でしかない。
それでも、もしも……。
――ピンポーン……。
「っ!」
部屋の外から僅かに聞こえた家のチャイムの音に、思わず体を起こす。
こんな時間に宅配便が来ることは……ゼロじゃないけれど殆どない。訪問販売とかそういうのには余計に遅すぎる。
わざわざ、こんな時間にチャイムを鳴らすなんて……いったい誰だろう。
思わず部屋から出て、階段を下りた。なんであれ、この時間なら既に帰っている両親が対応する。俺が見に行く必要なんか、全然無いのだけど……。
「大丈夫かい、いちかちゃん!?」
玄関から父さんの焦った声が聞こえ……その瞬間、俺は急いで階段を駆け下りた。
「いちかっ!」
「しょー、ちゃん……」
玄関で、いちかが泣きながら立っていた。
その姿を見た瞬間、思考が止まり、次の瞬間一気に様々な感情が駆け巡る。
動揺、後悔……怒り。
あの時教室にやってきた、あのへらへらとすかした男の顔が、脳裏に浮かぶ。
「あの男に何かされたのか」
「ち、違うの……そうじゃなくて……」
「省吾、落ち着け」
父さんに肩を叩かれるが、頭に上った血は簡単に落ちてはくれない。
いちかを泣かせたあの男への怒り。そして……あの時のんきに見送ってしまった自分への怒りが、頭をキリキリと締め付ける。
「いちかちゃん、何があったのか分からないけれど……ご両親は?」
「うちの、親には……しょーちゃんに会いに行くって、だから……」
おじさんとおばさんには連絡済み、か。それだけの余裕はあったってことで……ほんの少し、頭の熱が落ち着いた。
「そうか……省吾」
「あ……うん。いちか、俺の部屋、来るか?」
いちかが小さく頷く。
いちかが両親に言えないような話ならば自分の出る幕はない……そう言わんばかりに引き下がる父さんだが、その目は「上手くやれ」と強いプレッシャーを放っていた。
そう圧をかけられなくてもそのつもりだけれど……いや、果たして俺に上手くやれるんだろうか。
頭の血が引いてきた分、冷静な思考が、不安を感じさせ始めているけれど……そんなこんなで俺は、いちかを自分の部屋へと連れて行った。
◇
「ほら、飲めよ」
とりあえず、俺は新品の500mlペットボトル入りの水を差しだした。
いちかがどんな状況か分からない。とりあえず水分をと思いつつ、自分のペースで飲めるのが一番だと思ったからだ。
あいにく、夜中に目が覚めたとき、わざわざ一階のキッチンに水を飲みに行くのが億劫な俺は、部屋に何本か常備するようにしていた。俺の怠惰なところが功を奏した希有な瞬間である。
「ありがと……」
いちかはベッドに座りつつ、水を受け取る……が、開ける様子は見せなかった。
「ごめんね……しょーちゃん」
「いや、まあ、驚いたけど」
「押しかけたことだけじゃなくてさ……その……言ってなかったこと」
「あー……まぁ、それも驚いたけど」
謝られるようなことじゃないが、いちかが謝りたいのなら今は素直に受け取っておくべきか。
「何があったんだ? 今日……どうして、泣いてたんだ」
「聞いて、くれる?」
「当たり前だろ。俺がお前の話を聞かなかったことなんてあったか?」
「……いっぱいあったけど」
「そ、そうだっけ?」
少し責めるような口調に、つい苦笑してしまう。
そりゃあ、長く一緒にいれば、多少はね……?
「でも、あたしが本当に聞いてほしい時は絶対に聞いてくれた」
いちかの隣に、人一人分くらい空けて座ると、彼女はすぐに距離を詰め、俺の肩によりかかってきた。
「あの人ね……朝日先輩っていうの」
知ってる。朝日将喜。一つ上の先輩。もしかしたら殴らなきゃならなくなるかもしれない男。
「一ヶ月くらい前かな……いきなり告白されたの。でもそういうのはよくあることだから普通に断った」
「うん」
「でもね……先輩は諦めなくて、何度も告白してきた。嫌って感じじゃなかったかな。告白断られるなんて傷つくはずなのに、何度も、何度も……なんだか本当にあたしのこと好きなんだって、少し嬉しかったかも」
いちかが小さく微笑む。こんな表情ができるなら、きっと今も、その先輩に嫌悪感など抱いちゃいないんだろう。
「先輩、あたしの笑顔が好きって言ってくれた。無邪気で、可愛くて……見ているだけで幸せになれる。一緒に笑い合えたらもっと幸せだろうなって」
「へぇ……さすが、イケメンは言うことがオシャレだな」
「ほんと。顔とおっぱいとか言うしょーちゃんとは大違い」
「ははは……」
ぐうの音もでない。
どうやらこの間の『お願い』は、先輩とのやりとりがあったからなんだと、今更気がついた。
そして、いちかが黙っていた、いつか話すと言っていた悩みの正体もこれだったんだろうと。
「あんまりにも何度も告白してくれるからさ。あたしも、一度くらい一緒に遊びに行ってみてもいいかなって。それでテストの最終日、一緒に遊びに行かないって言われて……頷いたの」
「そっか」
「楽しかったよ。先輩もあまり慣れてない感じでさ。良い意味で変なことしてこなかったし。いきなり手繋いできたり、お尻触ってきたり、キスしてきたり……とか」
じとっと、なぜか俺を見てくるいちか。少なくとも尻を撫でたことは一度も無い。
「一緒にご飯食べて、映画見て、感想言い合って……うん、楽しかったんだ。もしかしたら、この感じで一緒に過ごす機会が増えたら……先輩のこと好きになれるかもって思うくらい」
「良かったじゃんか。それならどうして泣いてたりしたんだよ」
「それは………………ぜんぶ、しょーちゃんのせい」
胸の温まる馴れ初めを聞かされていたと思ったら、突然こちらに刃を向けられた。