「んで、さっきの話だけどさー」
「ん……ていうか、手を動かせよ」
「舌じゃなくて?」
「今は手。それと頭な」
それから、余韻に浸るのもつかの間、明日までの宿題が出ていたことを思い出し、慌ててその消化に走り出す。
英語の教科書、指定範囲の和訳。うちの先生はノートを回収して隅から隅まで見てくるマメなタイプなので、丸写しすれば絶対にバレる。
俺もいちかも、一人ではバレる以上に絶対ダラけるので、互いを監視者に慌てて和訳を進めているのである。
「手も頭も動かしてるのに、口は動かさないってのは逆に変じゃない?」
「なに意味分かんないこと…………いや、器用だな」
ちらっと見たらいちかの方が先に進んでいたので文句が言えなくなってしまった。
あー、そこはそう訳すのね。ふーん……。
「んで、しょーちゃんは彼女が欲しいわけ?」
「そりゃあ人並みには欲しいだろ」
「ぎゃんぎゃんとリネみたいな?」
「そうだなぁ」
ぎゃんぎゃん。またの名を逆瀬川寬司。ぎゃくせがわ、じゃなく、さかせがわ。
同じクラスの友達――いや、友達の中でも仲が良い方の友達だ。
ここに居ないやつをそう表現するのは失礼な気もするが……ちょっと軽い雰囲気の男で、でも彼女に一途な良いやつだ。
そしてリネっていうのが寬司の彼女。野上理音。りね、じゃなくて、りおん。
これまた若干軽そうな見た目のギャルだが、これまた一途な良い子だ。
奇しくも二人とも幼馴染み同士らしく、中学卒業から高校入学までの期間にめでたくナイスカップリングしたという。
そして、俺といちかも「そういう関係」なんじゃないかと、仲間集めのように声を掛けてきて……結局それは完全に誤解だったわけだが、なんだかんだ仲良くなっているという感じ。寬司だけに。
「こないださ、リネに、『デートの時やっと手ぇ繋げた!』って報告されたー」
「相変わらず牛歩みたいな関係だな」
高校に入学して早三ヶ月。もう七月でどんどん暑くなってきているというのに、やっと手を繋いだとは、なんともお可愛らしい。
……なんて、彼女もいない、その気配も無い俺に言われたくないだろうけど。
「リネを見てるとさぁ、確かに彼氏がいたら楽しいかもって思わなくもないんだよね」
いちかはそう言いつつ、右手をこちらに差し出してきた。ちなみに彼女は左利きだ。
「んっ」
「なに?」
「握ってみて」
「はいよ」
俺は言われるがまま左手を伸ばし、彼女の右手を握る。
にぎにぎ。
「これ……握手だよね」
「だな」
「ドキドキする?」
「しない」
「てか手汗やばくない? なぁに、しょーちゃん。あたしと手を握るからって緊張してんの?」
「それ、グラスの水だわ」
「…………」
暑い季節、冷房をつけていると、麦茶を入れたグラスが結露するんだよなぁ。
「あたし、やっぱりしょーちゃんのこと男として見れないわ」
「ショックだなぁ」
「すっごい棒読み! まっ、でもさぁ。別にそんなに悪くも思わないんだよね~」
「なにが」
「顔とか性格とか。顔は……まぁあたしほど偏差値高くないけど、男子の中じゃ良い意味で目立つ方だと思うよ。身内びいき込みで」
「込みかい」
「性格は…………うん、ふつーかな」
「ふつーかい」
「……しょーちゃん?」
いちかがむくれる。
これはあれだな。宿題解くのに必死で、そっちに脳みそのリソースを割いてた代償に生返事してしまっていたのが原因だな。
とはいえ仕方ない。いちかと左手を繋いだままという謎な状況だが、なぜか今、地味にノッてきているんだ。
英単語が、文法が、バチバチ浮かんでバチバチはまる。片腕が塞がって、「この単語、一応辞書で意味調べとくか……」ができなくなったから、その分開き直っているだけかもしれないけど。
「んっ……!」
「むぐっ!?」
なんて完全にゾーンに入っていた俺に、いちかがキスしてきた!?
「おまっ……さっき散々しただろ!?」
「これはしょーちゃんがちゃんと相手してくれないので、こっちを見なさいのキスです」
「いや、宿題やるのが優先だから……」
手を動かしながら、頭を動かしながら、口を動かしながら……それは一応なんとかなっても、舌を動かしながらはさすがに無理だ。
しかも、これに関してはいくらやっても飽きないというのが余計に厄介なところ。イケないお薬のごとく、すればするほど次が欲しくなってしまう。
「……しょーちゃん」
「…………駄目」
「えー」
「宿題終わったらな」
「ん、りょーかい!」
とりあえず宿題さえ終わらせれば親が帰ってくるまでは大丈夫。まぁ、時間的にそろそろ怪しくはなってきたが、宿題を一緒にやっていたという大義名分があるので、この時間までいちかがいても怪しまれることはない。きっとない。きっと……。
「しょーちゃんさぁ」
「今度はなんだよ」
手を握ったまま、にぎにぎしながら、いちかが雑談を続ける。とはいえ彼女もちゃんと左手は動かしているので問題ないけれど。
「彼女欲しいなら、あたしが友達紹介してあげよっか」
「マジで?」
「マジマジ。意外としょーちゃんのこと悪くないって思ってる子もいるだろうし」
「マジで!?」
それは願ってもない展開だ。
俺も花香る男子高校生。夏休みの到来を前に、彼女を作って熱い夏を過ごしたいという気持ちは男子高校生並みにある。
このままじゃ中学までと変わらず、こいつとひたすらだらだらキスするだけの毎日を過ごしそうだし。
「……やっぱりいないかも」
「いないのかよっ!? ……いや、いなくてもいい。現在彼氏募集中の子がいれば……!」
「それもいないかも」
「それさえいないの!? みんなそんなに進んでるの!?」
男子の多くはカノジョホシイゾンビになっているというのに、女子はいつの間に売り切れて……学外!? 学外の男連中が!?
「ていうか、しょーちゃんに彼女ができたら、キスできなくなるかもしれないじゃん」
「それは……冷静に考えたら、彼女いるのにお前とキスしてたら浮気になるもんな」
「じゃあ駄目。無理。論外。却下」
「否定四天王が現れた!?」
「しょーちゃんは一生彼女つくんなくていいよ。それか、恋人がいても幼馴染みとはキスしてもいいっていう法改正がなされるまで待つのです」
「望み薄だなぁ……」
「大丈夫。あたしも付き合うから。…………あ、付き合うってしょーちゃんと恋人になるって意味じゃないよ? あたしもキスが浮気になるなら彼氏作んないからって意味ね」
「わざわざ丁寧に説明されんでも分かってるよ」
そんな消去法みたいな形で付き合うなら、もうとっくに付き合って破局しているだろう。
その恋人期間がどうなるかなんて想像もつかないけれど、ゴールだけはぼんやり見えてしまう。
「あたしとしょーちゃんはずっと幼馴染み。仮に彼氏彼女ができたって、それは変わらないし」
「それって、キスも続けるってことか」
「もちのツモッ!」
「ツモ!?」
「リーチ一発タンヤオ、裏が十個で数え役満!」
「裏十個!?」
それって物理的に可能にゃん……?
「てなわけで……おーわりっ!」
「あっ! いつの間に!?」
雑談の内に先にゴールテープを切られてしまった。即ち、いちかが宿題を終えたのである。
この展開はまずい。宿題を二人でやるということは、先に終えた方が主導権を握ることを意味する。
大音量でゲームを始めたり、動画でアホみたいに爆笑したり、普段やるはずのない漫画の朗読を始めたり……もうやりたい放題である。
(い、いや、問題ない。俺もあと残すところ三行だ。いちかがどんな誘惑をしてこようと、外から来る情報を遮断し乗り切るくらい――)
「おら、ぼうずっ」
――どんっ!
「へっ!?」
いきなり、いちかに押し倒された。
そして、彼女は俺の上に馬乗りになる。物理的に宿題をする手を封じてきた? でも、なんで……って!?
「ふっへっへぇ……」
じゅるっとよだれを拭いつつ、ぎらついた目で俺を見る。
こいつ、やる気だ……!?
「さっきのでスイッチ入っちゃったからさぁ……続き、やんぞぉ!」
「そんな、殺生な!?」
「口答えすんなっ! 口答えする暇あんなら口さしだせおら!」
そう一方的に、いちかはがしっと俺の頭を掴み、強引にキスしてくる。
もちろん、相手は女子。体格差もあるし、本気になれば突き飛ばせるかもしれないけれど……狭い部屋のことだしいちかが怪我でもしたらよくない、と遠慮した隙を彼女は見逃さなかった。
「んっ、ちゅっ、ちゅっ、じゅるっ、れろ、れろっ」
最初からフルアクセルで、一切の容赦なく舌も入れてくる。
いちかも分かっているのだ。もうすぐ親が帰ってくる。いや、いつ帰ってきてもおかしくない。
そうなれば、次のキスは早くて明日の放課後か。
幼少期からの積み重ね、キスの習慣化によって完全なキスジャンキーと化した阪内いちかは、そんなに我慢できるほど大人じゃない。
「ちゅぽっ……んふっ。全然足らない。あたし、しょーちゃんとするキスが一番好きなの。一日中してたいくらい。だから、しょーちゃんもいっぱい応えてね」
いちかが艶めかしく笑い、俺は不覚にもドキッとしてしまった。
いや、女性としての彼女に反応したわけじゃない。ただ、一番と、他の何にも勝っていると言われれば、嬉しくないと思わない人間はいない。
ただ、いちかは度々こういうことを口にしていて……きっとそれが俺のツボだと理解しているんだろう。
「ほーら、しょーちゃんも舌動かして。あたしのツバ、いっぱい味わいなさいっ」
「い、イエスマムっ」
こういうことを言っておけば、俺が抵抗しなくなると分かっているんだ。
結局、彼女に流され、いつも通りキスに溺れて……本当に親が帰ってくるまで、それは終わらなかった。
なので、宿題は晩飯を食べ、風呂に入り、眠気が良い感じに整ってきたその時に、必死に頭を叩き起こしてこなす羽目になってしまった。
次は負けないからなぁ!!