「…………俺たちは貴族でも国を背負って立つ存在でもないんだぜ。そう答えを急がなくてもいいと思うけどな」
「そうかもだけどさ……」
いちかが俯く。
俺の言葉はいちかの気持ちに水を差すようなものだ。
けれど、こういう話は適当じゃ済まされない。
「仮にだ……俺とお前がそういう関係になったとする。でもさ、つらいのは多分お前だよ。そういう関係になったのに、好きになれないって……お前は絶対気にする。俺に申し訳ないってさ」
「うん……」
「俺がもうちょっとカッコよかったら良かったんだけどな。お前を惚れさせられるくらいさ……そしたら、こんなことで悩ませなくて済むのに」
「なにそれ。それじゃあしょーちゃんがあたしのこと好きじゃないって問題が解決しないじゃん」
「男って生き物は、好きって言われたら受け入れる生き物なんだよ」
「意味分かんないんだけど。言われたことないのに」
「だから逆に言われたら好きになる自信がある!」
そうおどけて胸を張ってみせるが、いちかはじとーっと責めるように俺を睨んだままだった。話を逸らすな、ちゃかすな、とはっきり伝わってくる。
「好き」
「はい?」
「しょーちゃん好き。大好き。愛してる。……ほら、言ったよ。あたしのこと好きになった?」
「いや、ならんだろ。心こもってないし」
「こめたよ。たくさんこめた。やっぱりいい加減じゃん」
明らか後半棒読みだったんですがそれは……。
「……しょーちゃんのばか。あたし、真面目な話してるんだよ」
「分かってるよ。だから、俺だって真面目に言ってる。無理する必要なんか――」
「無理なんかしてないよっ!」
いちかが俺の言葉を遮り、叫んだ。
「ここ最近……先輩とデートしてからずっと、考えてた。あたし、どうしたいんだろうって。しょーちゃんとどうなりたいんだろうって」
本気の苦しみをはらんだ声に、胸が詰まるような感じがした。
さっきまでのただ楽しい甘い時間とは違う、真面目で、本気で……何かを変えようとする、そんな重い空気。
緊張のせいか、自然と拳に力が入った。
「ワガママ、言うとさ……あたし、しょーちゃんがあたし以外の誰か女の子と、楽しそうに一緒に遊んでるのとか、見たくない。しょーちゃんの隣で、しょーちゃんを一番笑顔にできるのはあたしなんだって、そう思っちゃう。すごく、嫌な感じだけどさ」
ぽろっと、彼女の目から涙が零れた。
「あたし、しょーちゃんがあたしに幸せになってほしいって思ってるの、知ってるよ。あたしだってそうだもん。しょーちゃんには幸せになってほしい。だって、世界で一番大切な人だから。でもさ……一番だから、あたし以外の誰かと幸せになったしょーちゃんを見たくないの」
それは、暗黙の了解だったはずの感情。
口にしたら全部終わってしまう。だから腹の底に隠したはずの独占欲。
俺だってそうなんだ。いちかももしかしたら……同じかもしれないって、そんな気はしていた。
「あたし、しょーちゃんと幸せになりたい」
そこに恋心はなくても、もしも一緒にいられたら。
思いながら口にしなかった本心。口にしたら、きっと相手を縛ってしまう新しい呪い。
いちかはためらいながらも、それを吐き出した。
「知らないことを知るなら、しょーちゃんとがいい。キスの先も、初めても……恋も。だって、今までずっとそうやってきたんだから」
彼女の目から涙が溢れ出す。
首にフェイスタオルを提げているのに、それで拭おうともせず、零れた涙は貸したばかりのTシャツを濡らしていた。
「あたしはさ……しょーちゃんのこと、男の子として好きって気持ちはなくても……しょーちゃんの恋人になりたいって、ずっと思ってるよ……!」
好きじゃない。けれど付き合いたい。
きっとそんなスタートは、政略結婚がまかり通った歴史や漫画の世界ならともかく、自由恋愛が正当化された現在・現実においては歪なものなんだろう。
けれど、気持ちが分かってしまう。やっぱり俺といちかは同じだ。どうしようもなく、同じなんだ。
「……ごめんな」
その告白を受けて……俺は謝った。
やっぱりそんな告白受けられない。絶対にお互いを不幸にするから。
……などではない。
この謝罪は、そういう意味のものじゃない。
「言いづらいこと、お前に言わせちゃって、ごめん」
ここ数日のいちかの行動。
嘘でもいいからと、「好き」という言葉を交わし合ったこと。
お互いの気持ちを確かめるようなデートをしたこと。
いちかが、俺たちの関係を変えようと、その決意を固めようとしていたのは確かだ。
だったら……俺がその気持ちをもっとちゃんと分かってやれていれば、こんな辛そうに泣かせることもなかったのに。
俺が、いちかの代わりに――。
「ううん。違うよ、しょーちゃん。これはあたしから言わなきゃいけなかったの」
今度は言葉で無く、思考を遮られる。
それは俺の「ごめん」という謝罪に向けられたものかもしれない。けれどもしかしたら、俺の考えを読み取ってのものかもしれない。
「だって……しょーちゃんはいつだって自分を後回しにするんだもん。あたしのこと対等とか言いながらさ、いつだってあたしのワガママを叶えようとしてくれるでしょ? だから………………分かってるんだよ」
いちかが俺の手に触れた。おずおずと、割れ物を撫でるように。
「今は変に遠慮しちゃってるから、周りにもあんまりそう見られてないかもだけどさ……もしもあたしに彼氏ができたら、きっとすぐ、しょーちゃんもに彼女ができちゃうって」
「……そうかな」
「そうだよ。だって、あたしだけが誰かと付き合って、しょーちゃんが一人になっちゃうなんて……そんなあたしに遠慮させちゃうような状況、しょーちゃんが許すはずないもん」
全てを理解したように、「しょうがないなぁ」と呆れるように、いちかは笑う。
「でもさ、やっぱりやなんだ。しょーちゃんがわたし以外の誰かと楽しそうにしてるの……しょーちゃんが誰かに取られるの、嫌なんだ。だから……だからさ……」
いちかが俺の手を握る。
手を震わせながら、けれど、一度掴んだ後は絶対に離さないと、痛くなるくらいの力を込めて。
「俺も、情けないこと言っていいか」
「……なに?」
「お前と付き合って、でも上手くいかなくて、別れたらって…………それを考えるのが、怖いんだ」
友達同士だから、関係が壊れるのが嫌だから告白を控える。そんな話をよく耳にする。
けれど……仮に付き合えたとして、それはゴールじゃない。
恋愛とは、常に一人を決めること。そのゴールは結婚であり、たどり着けなければ、破局しかない。
いや、結婚をしたとして、上手くいかず離婚することだってある。
統計とか、そういう小難しい話は分からないけれど……殆どのカップルは、殆どがバッドエンドを迎える。恋愛とはそういうものだ。
いちかと付き合ったとして、そもそも俺たちは「お互いを異性として好きになれない」という欠陥を抱えている。
破局の可能性は、常に恐怖とプレッシャーを与えてくる。
どうしようも無い理由で、いちかとの関係が終わるなら、まだ納得できるかもしれない。
でも、俺たち二人の関係で、俺たちの手で決定的な亀裂が入ってしまったら……。
「……そんなのあたしだってそうだよ」
いちかが俺の頬を撫でる。
いつの間にか、俺も涙を流していた。
いつからか分からない。何がきっかけかも分からない。自覚をしたら余計に溢れ出してきて、止められない。
「あたしだって思うよ。もし、あたしだけしょーちゃんに本気になっちゃってさ、でもしょーちゃんはあたしのこと、やっぱり女性として見てくれなくて……捨てられちゃったらって」
「そんなこと――」
「ありえなくない。だってしょーちゃんだって、あたしがしょーちゃんのこと絶対捨てないって言ったって、同じ風に思うでしょ」
……いちかの言うとおりだ。
何も否定できない。
「やっぱり、同じだね。あたしたち」
「……ああ。恥ずかしいくらいにな」
全部筒抜けだ。いちかが同じように思っているなら、隠しようがない。
かっこつけたくても、かっこついてくれない。
「でもさ……あたしがしょーちゃんの嫌なことしたくないのと同じみたいに、しょーちゃんもあたしが嫌なことしたくないなら……きっと大丈夫だよ。だって、あたしはしょーちゃんに幸せになってほしいから。あたしが、しょーちゃんを幸せにしたいから」
「そんなの……俺だってそうだ。いちかには幸せになってほしい。いちかは……俺が、幸せにしたい」
「えへへっ」
いちかがぎゅうっと俺を抱きしめてくる。
温かくて、余計涙が溢れてきた。
これは呪いだ。
生まれてからずっと、彼女と一緒に生きてきた。
家族同然の他人。姉であり、妹。
世界で一番大切な人。
キスという、子どもながらの好奇心によって始まった秘密と習慣を共有しあう相手。
お互いに恋愛感情はない。そういう機能が最初から備わっていないみたいに……、
……そういう感情を持ってはいけないと、押さえ込まれたみたいに。
そんな、幼馴染みという呪いを、俺たちはどちらも、かけられている。
「ねえ、しょーちゃん。嘘で良いからさ……好きって言って」
いちかが涙に濡れた声で囁いた。
俺は彼女に抱きしめられ……そして抱きしめ返しながら、頷く。
少し、呼吸を整える必要があった。
涙が声に乗るのが嫌だったんじゃない。
ただ……とにかく、必要なだけ気持ちを整え、落ち着かせ……精一杯の、今の気持ちを込めて、伝えた。
「いちか、愛してる」
「あたしも……世界で一番、しょーちゃんが好き」
抱きしめ合いながら、そんな『嘘』を交わす。
キスはしなかった。
深い理由はない。
けれど……しいて、それに理由をつけるならば……そう。
今のこの気持ちを、冗談で流してしまいたくなかったから……かな。
最後までお読みいただきありがとうございました。