デッドマンズ アーカイブ   作:地下ピ

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いつも見て頂き、誠にありがとうございます。
今回は12000字です。

グロ注意ッ!グロ注意ッ!頭がはじけるぞォ!


大人の戦い

『ぐあああああっ!?』

 

爆風と共に、鉄の塊が空を舞った。

巨躯。戦闘用の外装。動力のうなりと排熱の吐息。

 

一撃。それだけで。

 

ゴリアテ──カイザー理事の象徴とも言える、その重装騎が、火を噴いて吹き飛ばされていた。

 

(メキャッ!!)

 

装甲がひしゃげ、耳障りな金属音が辺りに響く。

コクピットを中心に広がった損傷痕は、火花を散らしながら黒煙を上げている。

彼の着ていた黒のスーツは破け、自慢の外装には亀裂が走り、関節部から火花が散っていた。

敗れたスーツの下からは露出した内部フレームがむき出しとなり、制御の乱れた四肢が微かに痙攣を繰り返す。

 

……そんなカイザーPMC理事の姿を、吉良吉影は黙って見下ろしていた。

 

爆煙の向こうで、砂狼シロコの息遣いが聞こえる。陸八魔アルの姿もあった。

二人の連携は素人のわたしが見ても圧倒的だった。

何百回も同じ戦闘を繰り返してきたかのような洗練された動き。

先生の指揮もさることながら、本人の技量も相当なものだろう……

 

『く、貴様ら……』

 

焼け焦げた排気ダクトから、ひときわ大きな蒸気が吹き出してる。

機械仕掛けの喉がノイズを帯びて震えているのか。

…いや、声というよりも怒りの信号が漏れているような有様だった。

 

『飼い犬の分際で、よくも……!』

 

それでも──理事は立ち上がろうとする。

だが、彼のすぐ傍へと、歩を進めてきた影があった。

 

"……よくも、私の大切な生徒を"

 

――先生だった。

崩れかけた鉄の残骸の先に立ち、先生はカイザー理事を睨んでいた。

静かな、しかしそれで強い眼差しだった。

 

"……ホシノのこと、返してもらうよ。"

 

“理事”のカメラアイが、その視線を捉える。

排熱ダクトから蒸気を上げ、ゆっくりと半身を起こした。

 

『ふ、ふざけるな! シャーレの先生風情が、そんなことを言う資格があると思っているのか……ッ!』

 

語尾が乱れ、音声チップが高周波を発する。

まるで怒りのあまり処理が追いつかず、感情のエミュレーターが暴走しているかのようであった。

 

――そこへ、一体のPMC兵士が、慌ただしく駆け寄る。

 

『理事! これ以上の交戦は危険です、装甲損傷率73%──機能停止の危険が──』

 

『黙れェッ!!』

 

怒鳴り声が、電子の悲鳴のように弾けた。

理事は、震える鋼の指で地を掴みながら、それでも“なお”立ち上がろう"としていた。

 

 

(……大したヤツだ。)

 

――率直な感想だった。

 

無惨なまでに焼け焦げた装甲。関節は軋み、排熱ダクトからは蒸気と煙が噴き出している。まともに歩ける状態ではない。もはや、敵としての威厳など残っていないはずだった。

 

それでも──立ち上がった。

 

ぎこちなく、破損した関節を無理に駆動させて、理事はその身体を地から引き起こした。片膝をつき、歪んだフレームでバランスを取りながら、なおも抗おうとするその姿。

 

ただのAIではない。

ただの機械では、こんな意地は見せられない。

 

(…もしヤツが人間だったなら、今ごろ唇を噛みしめ、歯を食いしばっていたかもしれんな……)

 

そんなことを思った。

 

硬質な合金と冷却液の匂いに包まれた存在に、“情”などという言葉は似合わない。

だが、あの姿には確かに──"意思"(プライド)があった。

 

悔しさを堪え、無様に、しかし確かに立ち上がるその背中には、大人としての執念が宿っているようにも感じる。

 

(だからこそ……お前はここで敗北する運命なのだよ。)

 

『……く、撤退だ。全兵力、戦線離脱。再整備のフェイズに入れ。』

 

なんとなくだが…ヤツの気持ちがわかったような気がする。

……カイザー理事は、撤退という言葉を吐き出すのに、内側のすべてを削ったのだ。

 

(あの傲慢な鉄クズが、そんなことを言う日が来るとはな……)

 

それを今、目の前で見届けるとは思わなかった。

 

『……覚えておけ。貴様らの行いは、必ず高くつくぞ……!』

 

その言葉を最後に、カイザー理事は兵たちに支えられながら、ギシギシと音を立て、撤退していった。

 

『本部から退却命令。繰り返す、本部から退却命令が下った。戦列を整え、HQに帰投せよ。』

 

PMCの隊列が一斉に動き出す。重機関銃の音が止まり、キャタピラの駆動音が遠ざかっていく。

怒号も悲鳴も、砂塵にかき消される。

跡に残ったのは、瓦礫と煙と、焦げた鉄の匂いだけ。

 

そのすべてを──吉良吉影は静かに、ただ静かに眺めていた。

彼の横顔には、笑みも怒りも浮かんでいなかった。

 

ただ一つ──“あの男が地に落ちた”という現実を、その瞳に焼きつけていた。

 

(ようやく……終わったか。)

 

『敵兵力、退却していきます……。』

 

煙の向こう、PMCの装甲車両が砂煙を巻き上げて遠ざかっていくのが見えた。騒がしさが潮のように引いていく中、あちこちに火の手と瓦礫が残された戦場には、ようやく静寂が訪れつつある。

 

「想定通り、大体上手く行った。風紀委員会相手でも通用すると良いけど……」

「いや~、あれこそ正に本物の三流悪党のセリフって感じだね。『覚えておけー』なんて実際に初めて聞いたよ。」

 

呆れ気味に笑うムツキの言葉が場を少しだけ和ませる。まだ肩で息をしているのに、どこか軽口を叩く余裕すらあるのは、ひとつの勝利の証でもあった。

 

――そして、静かに響いた声。

 

"……とりあえず、帰ろうか。"

 

先生の言葉だった。

 

どこか沈んだその声は、周囲の喧騒が消えた今になって、ようやく表に出てきた疲労の色をありありと映し出していた。

 

無理もない――

この場にいた8人の生徒。便利屋68とアビドス対策委員会。それぞれの個性も戦い方もまったく異なる彼女たちを、状況に応じて同時に指揮し、確実に勝利へ導いたのだ。

 

指示を飛ばし続ける声、状況判断、進路の誘導、そして何よりも……自身の選択一つで敗北してしまうかもしれないという重圧。

 

(まったく……敬意を表するよ。)

 

吉良はその背中を見つめながら、そう思った。彼が戦場で終始“観客”であり続けたその時間、先生は誰よりも動いていた。

 

『……はい、先生。きっとこの次は……今までで一番大きな戦いになると思います。まずは帰って、ホシノ先輩を助ける方法を探さないといけません。』

 

火薬と焼け焦げた金属の匂いが充満する中、体のあちこちに傷と疲労を背負った彼女たちは、静かに頷き合い、瓦礫の道を踏みしめて歩き始めた。

 

――その時だった。

 

(ピロン。)

 

澄んだ通知音が、場違いなほど軽やかに空気を揺らした。

 

先生がポケットからスマートフォンを取り出す。

そして――

その画面を覗き込んだ瞬間、彼の表情が変わった。

 

 今まで見せていた優しげな笑みでも、怒りに満ちた眼差しでもない。もっと…沈んだ、色の混じる顔だった。疲労ではない。怒りでもない。ただ、何かを見つけてしまった人間の顔。

 

沈むように静かで、どこか遠くを見るような目。

その変化に、吉良はすぐさま気づいた。

 

「……先生?」

 

言葉をかけたのは、単なる気まぐれでも、礼儀でもなかった。

あの男の視線の先に、何があるのか――チョッピリと、気になっただけだ。

 

先生は、その声に一度だけ目を向けた。

だが、次の瞬間にはいつもの気さくな笑みを顔に貼りつけて――

 

"……ううん、なんでもないよ。"

 

小さく、はにかんだ。

 

(……誤魔化したな。)

 

 直感でわかった。

 

スマートフォンを懐に戻すと、先生は振り返り、生徒たちに声をかける。

 

"みんな、教室で待ってて。ちょっと行く場所ができた。"

 

 唐突なその言葉に、その場にいた全員が振り向いた。

 

『…えっ? 先生!? どちらに行かれるんですか!?』

「先生……」

「それは……ひとりで?」

 

戸惑いの声が重なる中、それでも先生は、にこやかなままに続けた。

 

"大丈夫。すぐ戻るよ。吉良さんも……ごめんね、ちょっとだけ。教室で待っててもらえるかな?"

「……ああ。」

 

吉良は穏やかな声で応じた。

だが――

 

「……先生。」

 

再びその名を呼ぶ。

そして軽く――先生の頭を、右手で撫でた。

 

先生はきょとんとした様子で振り返る。

 

柄にもなく、何か言葉を送ろうと考えて――しかし、あまりいい言葉も思いつかず

我ながらぎこちなく笑みを浮かべた。

 

「……気をつけてくれ。」

"うん、ありがとう。"

 

吉良はそれ以上、何も言わなかった。言えなかった。

何かを背負おうとする者の顔を、彼は知っている。

 

 自分とは違う、そういう人間のことを。

 

(面倒を背負いたがる癖は、わたしには理解できないが……)

 

 先生はそのまま背を向けると、誰にも背中を預けることなく、静かに歩き出した。

 砂煙の中を、ひとり――まるで、なにかと向き合う覚悟をその背に宿して。

 

胸の奥がひどくざわついていた。

だが、それが不安なのか、嫌な予感なのか、自分でもはっきりとは分からない。

 

吉良はただ、そっと右手を握りしめた。

 

(……これでいい。)

 

ひとつ言えるのは――

先生は今、誰かに呼ばれ、そしてひとりで応じようとしている。

 

 背中越しに、それが見える。

 

吉良は静かに息を吐くと、目線を落とした。足元に転がるオートマタ兵士の装甲、その破片がぼんやりと視界の隅に映る。

 

白いスーツの裾が揺れた。

風が吹く。背を向ける先生のその奥で、吉良の影が砂に溶け込んでいくような気がした。

 

 

指定された場所に辿り着いたとき、先生はしばしそのビルを見上げていた。

そこにあるのは、ごくありふれたオフィスビル。洒落っ気もなければ、歴史も感じさせない。

 

"ここが……"

 

つぶやきと共に足を踏み入れると、まるで感知されていたかのように、無人のエントランスでエレベーターが音もなく開いた。

無言の招待。用意された舞台。あまりにも整いすぎている導線に、先生は無意識のうちに警戒を深める。

 

エレベーターは自動的に上昇し、やがて目的階にたどり着く。

ドアが開くと同時に、そこには既に──客人を待っていた者がいた。

 

「……お待ちしておりました、先生。」

 

紳士的な声。丁寧なイントネーション。

それは間違いなく“言葉”の形をしているのに、何故かどこか異質だった。

 

──目の前に立つ“ソレ”は、人間の形をしていた。

だが、決して人間ではない。

 

肉も骨も感じさせない滑らかすぎる表面。そして、顔面に走っている無数のヒビ。

特に右目にあたる箇所の亀裂は深く、まるで眼孔のようにぽっかりと開いており、そこからは黒いもや──いや、黒炎のような“何か”が、ゆらりと揺れていた。

 

ヒトのようではあるが、それはまさしくヒト(人間)ではない。

 

「おや……なるほど。やはりお一人ですか。」

 

黒服はそう言いながら、僅かに顔──いや、“頭部”を傾けた。

 

「吉良吉影さんは同行していないようですね。少しばかり意外でしたよ。」

 

その言葉に、先生は短く息を吐いた。

 

"彼にここまで危険なことはさせられないよ。"

 

静かだが、どこか芯の通った声だった。

 

"彼には彼の生き方がある。巻き込むわけにはいかないからね。"

「………ふむ。」

 

黒服は一瞬だけ沈黙したあと、窓辺の椅子へと腰を下ろす。

機械的な動作で組んだ両手の先、その黒い炎がかすかに揺れていた。

 

「まあ……いいでしょう。貴方とは一度こうして、顔を合わせてお話ししてみたかったのですよ。」

 

不自然なほど整然とした、殺風景なオフィスの一角。

中央に置かれた簡素なデスクと椅子。

黒服は、窓を背にそこへと腰掛けていた。

 

「……貴方のことは知っています。連邦生徒会長が呼び出した、不可解な存在。オーパーツ『シッテムの箱』の主であり、連邦捜査部『シャーレ』の顧問教師。貴方を過小評価する者もいるようですが、私たちは違います。」

 

低く、静かに、そしてどこか楽しげに。

黒服の声は、部屋の中に染み入るように響く。

 

先生は言葉を返さず、ただじっと、その“顔”を見ていた。

何を考えているかなど一切読めない表情──いや、そもそも“表情”など存在していない。

それなのに、常に笑っているように錯覚させるその亀裂は、却って不気味だった。

 

「…まず、はっきりさせておきましょう──私たちは、貴方と敵対するつもりはありません。いや、むしろ協力したいと考えています。私たちの計画において、一番の障害になりうるのは貴方だと考えているのです。」

 

その声色に敵意はない。だが、逆に不穏さが滲む。

「“こちらが手を差し伸べているのだから、受け取らない理由など無い”」という確信めいた傲慢がそこにあった。

 

先生は一歩、デスクへと歩み寄る。

その表情は変わらず冷静。だが瞳は、明確な拒絶の意思を宿していた。

 

"あなたは……一体何者?"

「……おっと、自己紹介が遅れましたね。」

 

黒服は軽く顎を引き、続けた。

 

()()()は貴方と同じです。」

 

"…同じ?"

 

「そう、同じ。キヴォトスの外部から来たもの…ただ、貴方とはまた違った領域の存在です。」

 

「適切な名がありましたので、今はそれを拝借しています──私たちのことは『ゲマトリア』とお呼びください。そして、私のことは……そうですね、『黒服』で構いません。」

 

静かに、淡々と語るその声は、まるで長年付き合った仲の良い友人に話しかけられているような雰囲気を感じる。

――だが、その内容はあまりにも異質だ。

 

「私たちは、観察者であり、探求者であり、研究者です。貴方と同じ、『不可解な存在』だと考えていただいて問題ございません。……ところで、一応お訊きしますが、ゲマトリア(私たち)と協力するつもりはありませんか?」

 

"──微塵も無いよ。"

 

先生は、それに対して一言だけで返した。

 

「……左様ですか。」

 

その返答に、黒服の動きは止まらない。

むしろ、さらに言葉を重ねる。

 

「真理と秘義を手に入れられるこの提案を断ってまで、貴方はキヴォトスで何を追求するおつもりなのですか?」

 

"私はただ──ホシノを返してもらいに来ただけだよ。"

 

一瞬の沈黙。そして、黒服は小さく笑った。

 

「クックック……先生、貴方の行動に正当性が無いことにお気づきですか? 今の貴方に一体何の権利があって、そんな要求をされているのでしょう?…ホシノさんはもうアビドスの生徒ではありません。」

 

"…違う。"

 

「生徒からの届け出さえ確認されていないのですか?」

 

"…見たよ。ホシノの置いていった退学届けを。"

 

「……でしたら分かるでしょう、先生?貴方に出来ることはもう、なにもない。」

 

"……まだだよ。"

 

「ほう?」

 

"顧問である私が、まだサインしていないから。"

 

「……」

 

"だから、ホシノはまだ対策委員会の所属だし、まだアビドスの副生徒会長だし──"

 

"今でも、私の生徒だから。"

 

黒服はしばらく沈黙した。

次に口を開いたとき、その声音には微かな驚きが混じっていた。

 

「……なるほど。貴方が『先生』である以上、担当生徒の去就には貴方のサインが必要……そういうことですか。なるほどなるほど……。学校の生徒、そして先生……ふむ。中々に厄介な概念ですね。」

 

黒服が静かにそう呟いたとき、部屋の空気が一瞬だけ重くなった気がした。

まるでその言葉の裏に、得体の知れない“何か”が混じっているかのように。

 

"あなたたちはあの子たちを騙し、心を踏みにじり、その苦しみを利用した。"

 

「…ええ、確かにおっしゃる通りです。」

 

黒服は頷いた。

まるで悪びれる様子もなく、それどころか納得するような声色で。

 

「他人の不幸よりも、私たちは自分たちの利益を優先しました。それは否定しません。私たちの行動は、善か悪かと問われれば……きっと、“悪”でしょう。」

 

静かに、理性的に、そしてどこまでも冷徹に。

 

「……しかし、それはルールの範疇です。」

 

黒服の言葉は、現実を突きつけるナイフのように研ぎ澄まされていた。

 

「アビドスを襲ったあの砂嵐は、大変珍しいこととはいえ、一定の確率で起こり得る“自然現象”です。誰か明確な悪役がいるわけではない。天変地異とはそういうものでしょう?」

 

「…結果、人々は喉の渇きに飢えるでしょう……そうなれば当然、水を売る者だって現れる。それもまた、自然な成り行きなのです。」

 

"その水がとんでもない値段でも、自然な成り行きと?"

 

黒服は一息つくように、椅子にもたれかかる。

差し込む逆光が、背後の窓を白く染め、その影がより一層不気味さを際立たせていた。

 

「クックック……さして珍しくもない、世の中にはありふれたコトでしょう。私たちはあくまで、“その機会を利用しただけ”──それだけのことです。」

 

「持つ者が、持たざる者から搾取する。知識の多いものが、そうでない者から搾取する。望む通りに社会を改造し、法則を決めて、規則を決め、常識と非常識とを決め、平凡と非凡とを決める。権力によって権力の無い者を、力によって力の無い者を支配する。……大人なら誰もが知っている、厳然たる世の中の事実ではありませんか?」

 

淡々と──まるで哲学の講義でもしているかのように黒服は言葉を紡いでいく。

確かに、筋は通っている。彼が言っていることは…必ずしも間違っているわけではない。

 

でも、それが当たり前なのだとしても――納得なんてできない。

 

「…先生、ホシノさんさえ諦めていただければ、あの学校については守って差し上げましょう。カイザーPMCの件についても、私たちの方で解決いたします。アビドスの生徒たちも、どうにか通い続けることができるはずです。」

 

「――取り戻せますよ。生徒たちが安心して学校に通える生活を。」

 

「……そしてこれは、ホシノさん本人も望んでいることでしょう?」

 

先生の指先がピクリと震える。

その拳は、ぎゅっと握りしめられていた。

 

"仮にそうだったとしても……そんな結果を、あの子たちはを望んでいない。"

 

「……あなたは無力です。戦う手段など無いでしょうに。」

 

"だとしても、助けを求めている人がいたら戦わなくてはいけない。どんなに強大な相手でも――"

 

"声を上げ続ければきっと誰かに届くと言うことを、私は証明しなくてはいけないんだ。"

 

黒服の瞳孔が揺れる。だが、その声色は崩さず、静かに問う。

 

「何を馬鹿なことを……だったら何故、いまだに彼女たちは"孤独"なのですか?」

 

先生の目が細められる。

口元には固い決意の線が刻まれていた。

――そして、緩慢な動作で胸元に掛けられた"シャーレ"の社員証を手に取った。

 

"少なくとも…私の耳には届いたよ。彼女たちの"声"が。"

 

「……放っておいても良いではありませんか。」

 

黒服は、わずかに身を乗り出す。

しかしそれでは足りなかったのか、次の瞬間、先生の元へと歩み寄る。

その顔──否、“顔の形をしたもの”には表情は無いはずなのに、どこか焦燥めいた気配があった。

 

「元々、あなたの知り得るところではないのですから。」

 

再び、沈黙。

黒服の声が止まったその瞬間、室内にただ一つ、先生の短い返答が響いた。

 

"――断る。"

 

その一言は、静寂よりも重く、強く、明確だった。

はっきりとした拒絶。

それは空気を割り、部屋の温度を一気に冷やす。

 

「なぜ?」

 

黒服の声音に、変調が混じる。

 

「なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?」

 

「なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?」

 

それは問いではなく、理解不能という名の圧迫だった。

繰り返されるたびに、黒服は一歩ずつ先生に近づいてくる。

感情がこもっているはずのない声が、焦燥と混乱を帯び始める。

 

「──何故ッ!?」

 

「 理解できません。なぜ? なぜ、断るのですか?どうしてですか? 先生、それは一体何のためなのですか?」

 

ついには──黒服の顔が、先生の眼前にまで迫った。

 

その“仮面のような顔”は、間近で見るほどに不気味で、

“表情が無いこと”が逆に、得体の知れぬ狂気を引きだしているようであった。

 

だが──先生は一歩も引かない。

 

動じることなく、ただ静かに黒服の“顔”を見つめ返していた。

その指先だけがわずかに震えていたが、その震えすらも、内に秘めた怒りのように見えるほど、意志は揺るがない。その目には怯えも、躊躇いも、怒りすらも無い。

 

ただ──冷静な、そして確固たる意志の色だけが宿っている。

 

――まるで、そこに“人間”と“何か”の境界線があることを、当然のように知っているかのように

 

 

"……あの子たちの苦しみに対して、責任を取る大人が、誰もいなかったから。"

 

 

短く、静かに。それでいて重く。

 

 一瞬、部屋の空気が変わった。

 

 黒服の瞳孔、否、黒い炎がゆらりと揺れる。

 

「そうだとして……何が言いたいのですか?」

 

「貴方は、あの子たちの保護者でも、家族でもありません。」

 

「偶然、アビドスに呼ばれ、出会っただけの“他人”──それが貴方でしょう?」

 

「……一体どうして、そんなことをするのですか?」

 

「なぜ、“取る必要のない責任”を取ろうとするのですか?」

 

先生は、ほんの一瞬だけ瞼を閉じ、そして再びその目を開けた。

 

"……確かに、家族でもなんでもない。偶然、アビドスに呼ばれ――偶然、あの子たちと出会った。たったそれだけの関係。"

 

"でも…それが何だっていうんだ。"

 

――声が震える。

 

けれど、それは恐れの震えではない。  胸の奥で煮えたぎる想いが、どうしようもなく噴き出したものだった。

 

"理由? こどもが助けを求めたんだ。十分じゃないかっ!!"

 

長い沈黙。

黒服は、ゆっくりと背を伸ばしながら、その言葉を咀嚼するように繰り返した。

 

「……ああ、そうですか。それが貴方の言う、“責任を取る大人”──そう言いたいのですね?」

 

"そうだっ!"

 

 先生は拳を握り、真っ直ぐに言い放つ。

 

"子どもが笑えば一緒に笑って――悲しんでいるなら傍に寄り添って――悩んでいるなら手を差し伸べる――それが大人だろっ!!"

 

その叫びに、黒服の眼孔が再び揺れる。

そして――

 

「違います。先生、大間違いです。」

 

 彼の声が、冷たく、そして鋭く変わった。

 

「大人とは、望む通りに社会を改造し、法則を決めて、規則を決め、常識と非常識とを決め、平凡と非凡とを決める者です。権力によって権力のない者を、知識によって知識のない者を、力によって力の無い者を支配する、それが大人です。……自分とは関係のない話、なんてことは言わせませんよ?」

 

「──貴方は、このキヴォトスの“支配者”にもなり得たのです。」

 

「この学園都市における莫大な権力と権限。そしてこの学園都市に存在する神秘。…その全てが、一時的にとはいえあなたの手の上にありました。それなのに、貴方は──それを“迷わず”放棄した。」

 

「…理解できません。」

 

「一体その選択に、何の意味があるのですか?真理と秘儀、権力、お金、力──その全てを捨てるなんていう“無意味な選択”を、どうして──!」

 

その声は、もはや感情のない者のものではなかった。

あれほど冷徹だったこの男が、感情らしきものを見せたのは、初めてだったかもしれない。

 

だが──先生は、静かに目を伏せて言った。

 

"……言ってもきっと、理解できないと思うよ。"

 

それは、諦めではなく、断絶だった。

 

「………」

 

部屋の空気が、ぴたりと止まったように感じた。

閉ざされたブラインドの隙間から差し込む薄い光さえ、どこか冷たく思える。

黒服は再び沈黙し、数秒の間を置いて、再び先生を見据えた。

 

「……どうあっても、私たちと敵対するおつもりですか?」

 

その言葉に、先生はわずかに眉を動かしたが――返答はしない。

ただ黙って、黒い炎の灯るその眼孔を睨みつける。

 

「……良いでしょう。交渉は決裂です、先生。」

 

「私はあなたのことを気に入っていたのですが……仕方ありませんね。」

 

その声音はいつになく穏やかでさえあった。だがその裏にあったものは──完全なる諦念。

 

「ホシノさんは、アビドス砂漠のカイザーPMC基地──その中央にある実験室にいます。」

 

言葉が止まる。先生の眉が、ほんのわずかに動いた。

 

「“ミメシス”で観測した神秘の裏側……つまり“恐怖”。それを、生きている生徒に適用できるかどうか──彼女を実験体にして、確かめたかったのですがね。」

 

"……確かめたかった……?"

 

喉の奥から絞り出された先生の声は、怒りか、それとも呆れか。

 

「交渉に応じてもらえない以上、私に打つ手はありません。……不本意ですが、手を引くしかないのです。」

 

"それじゃあ……ホシノは──"

 

「――どうぞ、お好きに。連れて帰っていただいて構いません。」

 

黒服の声は一切の熱を持たない。冷静すぎるほどに冷静だった。

 

「まあ、貴方たちが基地に入ることを、あの理事が許すならば……の話ですがね。」

 

"………"

 

そして、静かに──話が終わったかのような空気が流れる。

黒服は椅子へと戻り、ゆっくりと背もたれに身を預けた。

 

「……そういうことですので、精々頑張って生徒を助けると良いでしょう。」

 

黒服は机に両肘を置き、最後にわずかに目を細める。

机の上には、交わされることのなかった契約書の束が静かに横たわっていた。

 

彼の視線は、再びその書類に落ちる。

両手を組みながら、まるで葬送の祈りを捧げるように、淡々と。

 

「微力ながら──幸運を祈りますよ、先生。」

 

その言葉に、先生はしばし黙したまま黒服を見つめていたが、やがて静かに身体をひるがえした。

 

ゆっくりと、足音を立て、出口の方へと歩き出す。

その背中には、怒りも悔しさもなかった。

ただ──決意の輪郭だけが、静かに揺れていた。

 

――だが

 

「……一つだけ、質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか。」

 

背後から、黒服の声が投げかけられた。

 

先生の足が、ぴたりと止まる。

肩越しに振り返ることなく、そのまま黒服の方へと耳を傾けた。

 

椅子に深く座り直した黒服の眼孔に、再び淡い青白い灯火が揺らめく。

 

「……先生。貴方は先ほど、生徒のためだと言いましたね。小鳥遊ホシノのために、責任を取ると。」

 

ゆっくりと、声が落ちていく。

 

「……それは、今でも変わらないお考えですか?」

 

"………"

 

仮面のような顔面に走る亀裂が、不気味にゆらりと開き、声なき“笑み”を刻んでいる。

 

「……違いませんか?」

 

その問いは、あくまでも穏やかに。だが明確に、“何か”を試すように──投げかけられた。

 

静かな空気が張り詰める。

差し込む光は、先ほどまでよりもわずかに冷たく、

まるで、次に交わされる言葉によって、この場の“意味”そのものが決まるかのようだった。

 

"……何が言いたいんだ?"

 

微かに聞こえる、ガラスのひび割れるような軋み。

それは彼の顔の亀裂から、また新たな線が走った音だった。

 

「…であれば、どうして“あの男”と行動を共にしているのですか?」

 

唐突に、なんの前触れもなく放たれたその問いに、先生の目がわずかに細まる。

 

「あの男」──その言葉にこめられた、抑えた嫌悪と訝しみ。

それは、確かに“吉良吉影”という名を指していた。

 

「あなたのように、人の苦しみに目を向け、責任を口にする者が…よりにもよって………あの"下劣な男"と共に在る。……ハッキリ言って矛盾しています。私にはどうしても…それが理解できないのです。」

 

心底意味が分からないと言わんばかりに、黒服は頭をわずかに傾ける。

……その仕草が妙に人間的で、逆に不気味だった。

“人間のふりをすることに慣れているようなバケモノ”のようで――

 

"何を言って――"

 

「あなたが今の言葉を真に信じているのであれば、私としても、確認せざるを得ないのです。吉良吉影──“あの男”が何者か、あなたは本当に……ご存じないのですか?」

 

黒服の顔に新たな“笑み”の亀裂が走る。

 

「まさか、本当に知らないのですか?フフ…クックック……」

 

黒服の口調に、嘲りとも、憐れみとも取れるような音色が混ざる。

 

「吉良吉影が……何者なのかを。」

 

一歩、また一歩と――先生の元へ歩み寄っていく。

 亀裂に覆われた顔を僅かに傾け、嗤うように、囁くように――それを言おうとした、まさにその瞬間だった。

 

 

(カチリ)

 

 

微かな、それでいて確かな“音”が空間を切り裂いた。

 

 直後、先生の頭が—―いや、先生そのものが爆ぜた。

 

(ボコボコボコォ…ッ!!)

 

胸の奥――心臓のあたりから、まるで灼熱の杭を打ち込まれたように、肉の内側が膨張する。

腹部から、そして両腕、首、胸……まるでシャボン玉のように皮膚が膨張し、肌が張り裂けそうに膨れあがった。額が引き攣れ、こめかみが脈打ち、口元がカエルの喉のように膨れ、唇が裂け、歯茎が剥き出しになる。

 

"あが……っ!?"

「――ッ!?」

 

――そして

 

血肉と骨を内側から破り、肉体が"裏返る"ようにして爆発した。

 

どろりとした臓器の残滓が、皮膚の間から溢れ出す。

赤黒い煙が皮膚を裂いて立ち昇り、白いシャツは音を立てて焼き焦げる。

 

口から、目から、耳から――

 

骨が砕け、肉が裂け、皮膚が捲れ、内側から発せられた異常なエネルギーが熱と破裂音が同時に放たれ、先生の身体は内圧に耐えきれず、"弾けた"

 

 

 (ドオォォンッッッ!!)

 

 

爆音。

 

 

 凄まじい爆発が、瞬くような閃光が、室内を激しく揺らす。

光と炎と肉片が一瞬にして空間を支配し、目の前の黒服を巻き込んだ。

 

「──ッ!」

 

黒服の反応は、一手、遅れた。

 

凄まじい衝撃波が彼の全身を襲い、黒のスーツは爆風で破られ、裂かれ、左肩から胸にかけて激しく焦げる。

ジャケットの繊維が吹き飛び、赤黒い焼け跡が実体を伴わない黒服の肉体へと刻まれる。

仮面のような顔の亀裂が拡がり、そこから黒い煙が漏れ出ていた。

 

黒服の体は数メートル後方へ跳ね飛ばされ、部屋の奥にただ一つあったデスクへと叩きつけられた。

机は軋む音を上げて真っ二つに裂け、紙の束が宙を舞う。

 

 

そして――爆煙の中に、一つの人影が立っていた。

 

崩れず、倒れず、傷ひとつ負わずに。

 

 

 

先生だった。

 

 

 "何が……?"

 

先生はふらつきながら立ち尽くし、焦げ跡ひとつない自分の服を見下ろす。

 

彼は自らが爆発したはずの肉体を、まるで他人のもののように見下ろしていた。

目を見開き、呼吸も忘れたかのように、その場に立ち尽くしている。

 

 思考が追いつかない。爆発したはずの己の肉体。

 だが傷ひとつない。焦げた臭いも、熱も、なにも――

 

その瞳には、明確な混乱と困惑が浮かんでいた。

 

「……何故?」

 

黒服は、焦げたスーツの残骸を引き裂くようにして立ち上がると、その光景を、恐怖とも困惑ともつかぬ眼差しで見つめた。

 

彼にすら、理解できなかった。

 

 

"何が……起こって――"

 

その言葉が最後。

 

 

 (ゴッ!!)

 

"いっ!?"

 

先生の後頭部に叩きつけられるような衝撃が走る。

強い衝撃が彼の視界を白く染め、先生の身体がふわりと宙に浮いたかと思えば、脱力した人形のように崩れ落ちた。

 

 

――意識は、一瞬で闇へと沈んだ。

 

 

黒服の視界の中で、先生の体がぐったりと横たわる。

無防備で、柔らかく、まるで眠るように。

 

 

 その体が床に倒れたのと同時に――

 

(コツ……コツ……コツ……)

 

 煙の中に“それ”が現れた。

 

乾いた革靴の音が静かに、けれど確かに室内に響く。

足音は徐々に近づいてくる。まるで死神が歩み寄るかのように、一定の間隔で、執拗に。

 

(コツ……コツ……コツ……)

 

白いスーツ。

ヴァレンチノの仕立てが映えるその純白は、爆煙とすすけた部屋の中で異様に浮かび上がって見えた。

 

その下に覗くシャツは深い紫色に、整った白のストライプが走り、

首元の黒いネクタイには、趣味の悪い髑髏の刺繍。

 

(コツ……コツ……コツ……)

 

――薄闇と焦げ臭い空気を割って、ゆっくりと浮かび上がるシルエット。

 

黒服の視界に、その姿が映る。

床に崩れたまま、ギシギシと軋む音を立てて、黒服はゆっくりと体を起こす。

 

「……私が言えるようなことではありませんが――」

 

その仮面のような顔に刻まれた亀裂から、かすかに黒いもやが漏れ、焦げたスーツの残骸が肩に貼りついていた。

 

「ここまで()()()()()の倫理観がないとは思いませんでしたよ……吉良吉影さん。」

 

そう言った黒服の声には、落ち着いた調子とは裏腹に明らかな揺らぎが含まれていた。

不気味なまでの余裕をいまだ持ちつつも、乾いた息継ぎが混じり、声の端が揺れている。

 

そして――

 

 

(コツ――)

 

 

足音がピタリと止まり、吉良は黒服の真正面に立つ。

顔をやや俯かせながらも、その目はまっすぐ黒服を見据えていた。

 

「君を始末させてもらう。」

 

吉良は、スーツの袖をゆっくりと正すと――

ただ一言、つぶやいた。

 

「今夜から…ぐっすり眠れるようにね。」

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