デッドマンズ アーカイブ   作:地下ピ

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「アウトサイド・イン」「インサイド・アウト」

 

冷えた風が、夜の公園を抜けていく。

街灯の柔らかな光が、木々の影を長く伸ばし、ベンチの上に静かに横たわる人影を照らしている。

 

 ――先生は、ようやく目を覚ました。

 

"…ん、う……?"

 

 重たいまぶたがゆっくりと開かれ、夜の空が視界に広がる。

 見慣れない星の配置、人工的な光、そして鼻をつく土と草の匂い。

 

("………ここは……?")

 

 身体を起こそうとするも、まだ思うように力が入らない。

 頭の奥に鈍い痛みが残っていた。

 爆風のような感覚と、視界の中で揺らめく黒い炎――そして、倒れる寸前の記憶が、ぼんやりとしか思い出せなかった。

 

「気がついたか、先生。」

 

 不意に、聞き慣れた低い声が傍らから届いた。

 振り返れば、木の影に腰掛けていた男が立ち上がる。

 

 淡々とした口調。整ったスーツ。

 その男――吉良吉影が、いつも通りの落ち着いた表情で、缶コーヒーを片手に座っていた。

 

"吉良…さん……?"

 

 混乱する意識のまま、先生はあたりを見回す。

 かつての黒服のオフィスからさほど遠くない、しかしまるで戦いの痕跡など存在しない、平和な都市の一角。

 

"ここ…どうやって……? あのオフィスで、何が……っ"

 

 先生はベンチから身を起こし、吉良に詰め寄った。

 

「……あの後、少し気になって、君のあとを追ったんだが――オフィスの前でキミが倒れていてね。」

 

 吉良は缶コーヒーを一口含んだあと、自然な動作で缶を捨てる。

 

「運べる場所を探して、この公園まで移動させただけだよ。救急車でも呼ぶべきかと思ったが……()()()()()()()()()からな。」

 

 吉良はそれ以上語らず、ポケットから取り出した水のペットボトルを差し出した。

 

 「飲むといい。意識を失ったあとは、脱水症状を引き起こしやすいからな。」

 

 差し出されたそれを、先生は一瞬だけ見つめた。

 けれど、何も言わずに手を伸ばし、受け取る。

 

 キャップを回して、冷えた水を一口――

 乾いた喉に沁みわたり、ようやく頭の芯に少しずつ血が巡る感覚が戻ってきた。

 

 "……ありがとう。"

 

 言葉にして返すと、吉良は短く頷くだけで、目を逸らした。

 

 その態度が、少しだけ不自然に見えた。

 いつもと変わらない、静かで淡白な物言い。

 それが逆に、何かを隠しているようで――先生の中で違和感だけが募っていく。

 

"でも……おかしいよ。あの時、たしかに“何か”が……何かがあったはずなのに……"

 

先生が自分の胸に手を当てながら、ぽつりとこぼす。

それに対して――

 

「記憶が曖昧なんだろう。爆風で頭を強く打ったのかもしれないな。」

 

 吉良はいつものように静かな声で、平坦に言った。

 

 ――変わらぬ、あの落ち着いた口調。

 

そして――

ふと、吉良がベンチから立ち上がった。

 

「……わたしも、このままここに長居はできない。君も、気をつけて帰るといい。」

 

吉良が背を向けて歩き出す。

その背中を、先生は見つめていた。

 

 

 ――だが、先生の目には微かな違和感が浮かんでいた。

 

 

 (……今、吉良さんは……“爆風”って……言ったのか?)

 

 

 確かに自分は爆風に巻き込まれて……その後、頭を強く打った衝撃で気絶した…ハズ。

 でも、吉良さんは「倒れていた君を、オフィスの前で見つけた。」と今、()()()()言った。

 

 ならば、彼が“爆風”の存在を知っているのは――あまりにも、不自然。

 

 

 (おかしい……あの時、何があったのかを、私は知らない。でも吉良さんは……あの瞬間のことを知っている……)

 

 先生の胸に、ひとつの確信に近い直感が芽生える。

 

 ――吉良さんは、あのオフィスに“()()()()”。

 

 それも、ただ外で見ていたんじゃあない。

 確実に、あの場にいて、()()()()()人間の目をしている。

 

 言葉にこそ出さないが、吉良の態度には――そのような“空白の時間”を埋める気配が確かにあった。

 

 (……じゃあ、その“何か”は……?)

 

 胸の内に、黒い炎のような疑念が小さく灯る。

 

 だが、今この場で吉良に問いただすには、あまりに判断材料が足りなかった。

 そして――吉良のような男は、そう簡単に答えをくれる人間ではないことも……よく知ってる。

 

 だから先生は、口を閉ざした。

 

 ――けれど。

 

(……絶対に、何かあった。)

 

先生の胸に残る、確かな直感。

そして、その事実を本人は、決して語ろうとはしない――

 

 

 

 ――吉良吉影は、あのオフィスに“来ていた”

 

 

 

 

(15分前――)

 

 

黒く焦げついた床の中央で、倒れていた黒服がゆっくりと身を起こす。

仮面めいた顔面には新たなひびが走り、割れた眼孔からは黒い煙のような“もや”が絶えず溢れていた。

 

 だが、その口調は――あまりに落ち着き払っていた。

 

「……まさか、先生の“身代わり”として、あなたが現れるとは思いませんでしたよ。」

 

「“身代わり”?」

 

室内に低く落ちる声は、白スーツ姿の男

 

――吉良吉影のものだった。

 

彼は立ち上がりかけた黒服の前にゆっくりと歩み寄りながら、眉ひとつ動かさずに言った。

 

 「ふむ……キミの知能にしては、随分と見当違いな表現だ。わたしは誰の代理でもない。“わたし”のために来たまでだからな…」

 

 その言葉に、黒服の顔がふっと緩んだ。壊れた顔面の亀裂が、にやけたように歪む。

 

 「“あなたのために”……クックック、なるほど……自己愛の権化としては、実に自然な動機ですね、吉良吉影さん」

 

 吉良の瞳が、細くなった。

 

「……キサマも相変わらず口の減らない奴だ。見た目の割に、どこまでも軽薄だ。」

 

「軽薄結構。感情というものが欠落して久しいもので、つい表現が行き過ぎてしまうのですよ。」

 

 再び立ち上がる黒服。その背後には、砕けたデスクと倒れた椅子。辺りには煙が残り、爆発の名残りが空気を熱く満たしている。

 

 対する吉良は、紫のシャツに白のスーツ、髑髏の黒ネクタイを見せつけるようにして、その光景を冷ややかに見下ろしていた。

 

 ――そして、ポツリと口を開く。

 

 「キミを始末する前に……"一つだけ"、わたしの質問に答えてもらおうかな。」

 

 黒服は、目の亀裂をほんのわずかに細める。

 

 「……?」

 

 「……お前は、わたしが“何者か”を知っているのか?」

 

その問いに、黒服は目を見開いた――かのように見えた。

そして、少しの間を置いてから、口の端を上げ、わざとらしく肩をすくめた。

 

「おや?クックック…てっきり、ホシノさんの居場所を尋ねに来たのかと思いましたが…」

 

ガキの子守り(小鳥遊ホシノ)は、そこでぐっすり眠っている先生が何とかしてくれるだろうな。わたしはそんなくだらないことよりも――」

 

 「――いいでしょう。」

 

吉良の言葉を遮るように、黒服は言った。

そして、わずかに顎に手を添え、思案する素振りを見せながら続ける。

 

 「……これに関しては、本来であれば()()()()()()()が伝えるべきだったのでしょうが……」

 

 黒いスーツの襟元に焦げが広がっているのも気にせず、黒服は落ち着き払って言葉を続ける。

 

 「まあ、いいでしょう。代わりに、私からお教えいたしましょう――あなたの“正体”について」

 

 その亀裂のような口元には、ぞっとするような笑みが浮かんでいた。

 吉良の瞳が、細くなる。

 

 黒服は、崩れたままの姿勢で、ふいに尋ねた。

 

 

 

 「――()()()()()()は、お好きですか?」

 

 

 

 唐突な問いだった。

 

 吉良はしばし、口を閉ざす。

答えあぐねているわけではない。だが、その言葉の“質”があまりに浮いていたからだ。

 

 静寂の中に、一拍の間。

 

 それから、彼は静かに息を吐いた。

 

 「……ふむ」

 

吉良吉影にとって、漫画もアニメも、特別な意味を持たない代物だった。

決して毛嫌いしていたわけではない。だが──

 

 

彼が生きていた1990年代、日本ではまだそれらは()()()()()()()()()()()()とは見なされていなかった。

 

 漫画は“子供の読むもの”。

 

 アニメは“現実逃避者の娯楽”。

 

 同僚の前で語るには、多少の覚悟と自嘲が必要な時代。

 

 たとえ読んでいたとしても、それを「好き」と明言するには、どこか“負”の属性がつきまとう空気があった。

 

 「答える義理はないが……あいにく、特別な関心はないね。」

 

 彼は淡々と告げた。

 

 「見れば見る。だが、だからといって何かが変わるわけでもない。わたしの生活には、必要ない。」

 

 まるで、時計を巻き直すように。

 

 日常に無駄な装飾を施すことを嫌う彼らしい、冷淡な線引きだった。

 

 だが、その言葉を聞いた黒服は、まるで予測していたかのように、再びその口元の裂け目を歪めた。

 

 「ククッ……ええ、でしょうとも。さもありなん。」

 

 その笑みには、皮肉とも、賞賛とも取れるような響きがあった。

 

 「あなたのような“古典的美学”を重んじる男にとっては、あまりに猥雑で喧しい文化でしょうから。」

 

 その声には、吉良のような“静けさ”と“整頓”を重んじる者が、自己の輪郭を守るために、どれだけのものを切り捨ててきたか──それを知っている者の声音があった。

 

 「ですが、そんな世界に……あなたは“描かれて”いたのですよ。」

 

 黒服はゆっくりと、立ち上がる。

 

 「ページの上に。放送電波の中に。“殺人鬼”として。」

 

 「……」

 

 「記録でも記憶でもない。創作物という名の――“虚構”の中に。」

 

 「…………」

 

 「名前も……姿も……能力も……性格も。実に詳細に、鮮明に、ね。」

 

 吉良の目の奥で、何かがわずかに動いた。

 

 「“そういう存在”として、貴方はかつて“物語”の中に存在していた。」

 

 

(「とうとう終わったのね?…みんなが…ついに『吉良吉影』…あんたを追い詰めたのね……」)

(『…他ニンのツめを……キったことはナイ……?』)

 

ズキ…

 

 「……」

 

 「ですが、面白いと思いませんか? その物語の世界から、今こうして現実に飛び出し、己の生に“確かさ”を求めるようになるだなんて。」

 

 

(「あたしのこと覚えてないの? そうね……無理もないわ。15年も前のことだもの――」)

(『ツめ切り…じょゥずじゃあナいカ……』)

 

ズキ…

 

 「………くだらないな。」

 

 ぽつりと、吉良がこぼす。

 

 「自分の人生を、フィクションの登場人物などと重ねられる筋合いはない。」

 

 「ええ、そう思っていただいて結構です。ですが――」

 

 黒服の声が、わずかに冷たくなった。

 

 「事実として。貴方の記述は、“作者”の手によって、すでに完成されているのです。貴方が何を好み、何に怒り、何を“美”と定め、何を“壊す”のか、そして――何によって"死ぬ"のかさえも。」

 

 

(「気づかせてあげるわッ! すでに自分が死んでしまっているという事を!!」)

(『……モく撃シャは……イカしテおけないヨ…』)

 

ズキズキ…

 

 「…………」

 

 「貴方の魂は“確かに美しい”。静かで、几帳面で、危険なほどに内向的な魂を持ち、何より――完璧に整った爪の先に、“死”を乗せる。」

 

 

(「ここにいるのはッ! 死んだ殺人鬼のドス黒い、ただの『魂』だけっていう証明なのよッ!」)

(『しカしスがスガしい……なンてスガスガしイ…きぶンなんダ……』)

 

ズキズキ…

 

 「……言葉遊びはもういい。」

 

 吉良の声は、次第に低くなっていた。

 冷めた静寂の中に、ほんのわずかに揺れるものがあった。

 

 「……わたしは、わたしの望む平穏な人生を歩んでいるんだ。…それが“誰かの手によって描かれた”だなどと――オマエのくだらない妄言に耳を貸すつもりは……ない。」

 

 

 

 

 

(「裁いてもらうがいいわッ! 吉良吉影……!」)

(『こレでこん夜も…クつろイで熟すイでキるナァ……』)

 

 

 

 

「ククク……ですが、ここにその“記録”があるのですよ――おっと、この巻は実に面白い“記録”でして……あなたの“死”についても――」

 

 黒服の手が、懐の中に隠していた“何か”に触れようとした――その瞬間。

 

野郎(ヤロォ)ォ――――ッ!!!!」

 

 咆哮がオフィスを揺らした。

 怒声と共に、吉良の背後で閃光が弾ける。

 次の瞬間、光を切り裂き出現したのは――

 

 

『コのクソかスどモがァーッ!!』

 

 【キラークイーン】

 

 その右拳が、爆音を伴って疾駆する。空気すら置き去りにし、寸分違わず黒服の顔面へ――

 

(メシャアッ!!!!)

 

「―――ッ!!?」

 

まさに正面から撃ち(ブチ)抜かれた。

黒服の仮面めいた顔面が軋み、ひび割れる。

その亀裂から、“黒いもや”が噴き出し、幻のように空間を漂った。

 無言のまま、黒服の身体が浮き上がる。まるで人形のように反応もなく、ただ力任せに――

 

 

(――ズシャアアァンッ!!!)

 

 

部屋の片隅、残されていた唯一のデスクへと叩きつけられた。

机が崩れ、紙片が宙に舞う。

整然としていたオフィスは、瓦礫と煙に包まれ、もはやその面影すらない。

 

「クソ拭く紙にもならないくだらないよーな戯言を、何をブツブツダラダラと……」

 

吉良の声が、焼け落ちた空間に響いた。

怒気を孕みながらも、凍てつくような冷静さを失ってはいない。

 

「わたしは"過去"を教えろと言っているのだッ!!」

 

「キサマのそのフザけた"たられば"をッ!このわたしに押し付けるんじゃあないッ!!」

 

『ゼっ好ちょウ!! ダレもぼくヲ止メるこトは出キなイ……』

 

 その額には珍しく、深い怒りの皺が刻まれていた。

 目には冷たい光と殺気が宿り、キラークイーンの拳は未だ、次なる破壊を求めてわずかに震えている。

 

「この吉良吉影は……“平穏”こそが最上の美徳だと信じている。オマエの突拍子もない幻想だの、くだらない創作だの……人の人生を“フィクション”として語るような――」

 

 一歩、また一歩。

 

 吉良はゆっくりと、崩れた机の前へと歩み寄る。

 

「――そういう“軽薄(ケーハク)”な連中が…わたしは心の底から、虫唾が走るほどにストレスが溜まるのだ……ッ!!」

 

 その声音は氷のように冷たく、鋭い。

 

 だが――

 

「……やはりそうですか。いえ、そうでなくては……」

 

 崩れたデスクの中から、黒服が身を起こした。

 

 仮面のような顔面は粉砕され、右目にあたる部位からは黒く濁った“もや”が絶えず漏れ出ている。ひび割れた額の奥で、青白く灯るセンサーの光だけが、生き物のように明滅していた。

 

 それでも──まだ笑っていた。

 

 

「…いやはや、あなたは“あの奇妙な冒険”そのままの存在ですよ……吉良吉影。」

 

 

その声音には痛みも恐怖も無い。

ただ、深淵のような“拒絶”と、純粋で異様な“排他性”が滲んでいた。

 

「……あなたの存在は、このキヴォトスにとって“病原菌”です。」

 

 一歩、また一歩。

 

 吉良は無言のまま、崩れた床を踏みしめる。微かな埃が舞い上がり、光を吸うように薄く煙った。

 

 黒服の片目が、その姿を見据えたまま、なおも語る。

 

「予定された運命を欺き、筋書きから逃れ、勝手に動き出した存在。さながら、“役割を忘れた演者”、あるいは――裏切り者のユダ。」

 

「創作においてさえ、貴方のような存在は“排除”されるのが常なのです。」

 

「それが今、この“現実”の表舞台に立っている……いずれ貴方はこの学園都市すら滅ぼすことになるでしょう。」

 

声音が、確実に変わった。

 

 親しみでも好奇心でもない。今、黒服の口から漏れていたのは──明確な“敵意”だった。

 

「……だから私は、先手を打ったのです」

 

立ち上がりながら、黒服は首を傾げるような仕草を見せる。

壊れかけた顔のひび割れが、まるで口角を吊り上げるように広がった。

 

「錠前サオリという生徒をご存知ですよね?」

 

 ――空気が変わった。

 

まるで凍るように、微かな“ひび”が走るように、場の気温すら一瞬にして下がったかのような錯覚。

 

「質問に質問を返すのはテスト0点だぞマヌケ。疑問文には疑問文で答えろと学校で教わったのか、ン? オマエのその戯言にはそろそろウンザリな――」

 

「――ええ、彼女です。以前、あなたに向けて仕向けた、"スタンド使い"ですよ。」

 

黒服は構わず続けた。

 

「彼女は優秀でしたよ。とても“鋭い”。彼女になら、あなたのような異常を“理解”し、“始末”することさえできると思ったのですから。」

 

 崩れたデスクの瓦礫の中から、ゆっくりと身を起こす黒服。

その仮面のような顔面には、ひび割れと共に歪んだ笑みの亀裂が刻まれている。

 青白く灯る片目がぎらりと吉良を捉えた。

 

「──ですが、彼女ですら失敗しました。」

 

 言外に含まれたその言葉に、吉良は目を細めた。

 

ふらつきながらも、黒服はゆっくりと立ち上がる。

壊れた時計が、それでも時を刻むかのように。

 

「……そして、それは同時に――あなたの“スタンド能力”(キラークイーン)が目覚めた瞬間でもあった。」

 

 (ゴゥ……ッ)

 

 黒服の右眼孔から、黒いもやが勢いよく噴き出す。

 

「長く、永久の時を眠っていたスタンド……封じられていた“衝動”が、彼女との戦いによって再び目覚めた。そうでしょう?」

 

『 シまっタ…ラップをツき破ッテソースをしミ出さセてシマったゾ…』

 

 吉良は応えない。ただ静かに、キラークイーンの横顔を見た。

 

『イけナい子だネ……』

 

 精神の具現たるその存在は、まるで虚ろな屍のように、空虚な空間を睨んでいた。

 

「彼女から聞いた話なのですが……」

 

 黒服は上体を起こしながら、ぞっとするような口調で続ける。

 

「あなたのスタンド――どうやら言葉を話すそうですね?」

 

「何を言って――」

 

 吉良が言いかけた言葉を、黒服が冷たく切り裂く。

 

「……貴方の“キラークイーン”は、本来、()()()()はずなのですよ。」

 

 一瞬、時が止まるような沈黙。

 

(……何を言っている?)

 

 違和感。だが、これまで疑問すら抱かなかった事実に、背筋がじわりと冷える。

 

「何故なのか? その理由について、私は一つの仮説を立てました。」

 

 黒服の笑みが、まるで亀裂のように口元へと走る。

 

「単に記憶を失ったから? 時間がたてば思い出せるかも? いいえ、違います。あなたは、ただ“思い出していない”のではない。」

 

「……どういう意味だ。」

 

「ククク……つまりです。」

 

 黒服が手を広げる。

指の節々が軋む音を立てながら、芝居がかった仕草で言葉を放った。

 

「あなたの“核”となる精神……つまり、“記憶”そのものが――スタンドと()()()()()()()()()()――と。」

 

 吉良の目がわずかに揺れる。眉が動き、口元が硬く引き結ばれる。

 

「そんなくだらない妄言を――」

 

 だが、言い終わる前に、黒服はさらに語気を強めた。

 

「境界線が曖昧なのです。」

 

「身近なものでサーファーに例えてみましょう。彼は“海の人間”なのでしょうか…?それとも“陸の人間”なのか? 漁師は“海の男”です。歯科医は“陸の男”。では――サーファーは?」

 

 足元の瓦礫を踏みしめながら、黒服は舞台の上の俳優のように問いかける。

 

“世界の外側”にいるのか? それとも“物語の内側”に戻っただけなのか?」

 

「貴方は、“創作された存在”であることを否定しました。ならば自問するといいでしょう――」

 

低く、深く、黒服の声が吉良の耳を打つ。

その声は不気味に響き、吉良の中で、静かに何かが軋んだ。

 

“内側から外側に踏み出した者”は、本当に“こちら側の存在”と言えるのでしょうか?」

 

 返す言葉は、吉良の口から出てこなかった。喉が詰まり、声が形にならない。

 それが真実であるはずがない。だが、脳裏の奥底で何かが囁く。

 

 ――お前は、本当に()()()()()()なのか?

 

 冷や汗が額を伝い、頬をつたう。吉良は無意識に口元へ手をやると――

 

 カリッ、と音が鳴った。

 

 親指の爪が、歯に挟まれて裂ける。滲む血が、生々しく肉の味を舌に残した。

 

「……っ、う……」

 

呻き声が漏れる。

さらに噛む。砕けた爪の隙間から、赤がにじむ。

 

だが、噛むことはやめない。

思考の混乱、胸に芽生えた苛立ちと恐怖を紛らわせるように、自らの指を傷つける。

 

 (カリ……ミシ……ッ)

 

 スーツの袖口に、赤がじわりと染み込んだ。

 

 キラークイーンは黙して佇む。ただ、その瞳だけが主人を見つめていた。

 だが――そこには、何の感情も宿っていない。

 

 

『羨まシィなァ…()()()()デ……』

 

 

 そんな赤い瞳が吉良の神経を、静かに、鋭く逆撫でした。

 

「あなたは“人”なのか、“スタンド”なのか。“精神”なのか、“肉体”なのか。」

 

「自分という輪郭を守るために、日々を整え、静謐を追い求めてきた。……だというのに、その境界が今、壊れようとしている。」

 

 黒服が歩く。残骸と煙の中を、音もなく――まるで幽霊のように。

 

「曖昧さは哲学において“狂気”とみなされます。…()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

「黙ってくれ……」

 

 その距離が縮まる。吉良の前まで、黒服は立ち止まらずに近づいた。

 

「あなたは――今、混ざり合っているのでしょう。」

 

 血が滴る。爪は割れ、指先は紅に染まりながらも――吉良は、噛むのをやめない。

 

 

 ――やめることができなかった。

 

 

「“外側”か、“内側”か。“創作”か、“現実”か。“人間”か、“スタンド”か。」

 

「……だまれ。」

 

 最後の一歩を踏み出し、黒服は吉良の足元に立った。

 

 

「あなたは――いったい()()()()()()なのですか? 吉良吉影。」

 

 

重い沈黙が続く。

 

 吉良は、答えなかった。

 いや──答えられなかったのかもしれない。

 

 彼は爪を噛んでいた。

 ぴくぴくと震える唇。顔を伏せ、肩が微かに震えている。

 その指先からは血が滲み、唇は薄く裂けていた。

 理性が、限界であった。

 

 ──その時だった。

 

 吉良の背後に、ゆっくりと“それ”が動き出した。

 

 【キラークイーン】

 

 だが、そこにいつもの静謐さはない。

 

 

『──だめ、だメ、ダメ、ダめ、だメ、だめダメダメだめダめだメ………』

 

 

 キラークイーンが呻くように、言葉を吐き出す。

頭を両手で必死に押さえ、まるで――もがき苦しむように。

 不明瞭な音の連なり、焦燥と怒り、恐怖と恍惚が混ざった声──まるで“意志”を持ったかのように暴走していた。

 

「誰が、“人”だと……!? 誰が、“スタンド”だと……ッ!?」

 

吉良の声も、どこか引き裂かれていた。

瞳孔が開き、呼吸は荒く、もう人間の理性を保っているとは言い難い。

 

「だまれと言っている…ッ!!」

 

 キラークイーンが、音もなく黒服の背後へ回る。

 

命ずることもなく──いや、“命ずる前に”、それは自ら行動した。

 

 

『わタしを見ナらゥんだヨォ────ッあァ───────っ!!』

 

 

「……ッ!」

 

 その時。

 

 

 “空間”が割れた。

 

 

キラークイーンの拳が、黒服を貫くその瞬間――何かが弾けたような音が響いた。

 

 ―――だが

 

 

 起こる事が必然であったはずのその光景は、()()()()()

 

 

「……?」

 

 吉良が目を細める。その目の前で、黒服の身体が淡い光に包まれ、さらに何か異質なものに“守られて”いるのを感じ取った。

 

 

―――『転がれ転がれーっ!』―――

 

 

 ぽん、と小さく、何かが地面に落ちた音。

 

見ると、それは小さなボール型の何かだった。

淡く光る紫の縁取りを持つ、まるで玩具のような爆弾。

 

 空間が、捻じ曲がる。遊園地のようなきらびやかで歪んだ情景が、どこからともなく現出する。

 

 破裂音

 

 そこへ“ティーカップ”が突進してくる。

 

 

―――『突進だぁああああああ!!!』―――

 

 

黒服の目前、そしてキラークイーンの動線を塞ぐように、夢のような遊園地の残滓が炸裂する。

カラフルな煙と破片の向こう、そこに立っていたのは──

 

 

 白くて丸い耳、小さなリボンのついた服を着た、ネズミのようなキャラクター。

 

 そして──黒い羽を纏い、カラスのようなシルエットを持つ影のようなキャラクター。

 

 

どこからともなく“軋む”ような音が響く。

耳障りな木材の捻れ、金属の軋み、それが混ざり合って空気を引き裂いた。

 

 

「……ほう。さすがは()()()()()、記憶を失っても尚、性根はあの書物と変わらんようだ。」

 

 

聞き慣れぬ声だった。芝居がかった語り口。

まるで古典劇の役者のような、過剰で、しかし一分の隙もない声音。

 

吉良の前方――黒煙の中から、ぬるりと現れるシルエット。

 

タキシードを纏った異形の姿。

双頭の、関節の繋ぎ目が露出した“人形”。

 

その足元に、瓦礫の中から這い上がるように黒服の姿があった。

右目から立ち昇る青白いもやを揺らしながら、彼はゆっくりとその木偶人形の方へ頭を向ける。

 

「……すみません、()()()()()。おかげで助かりました。」

 

その声には、痛みも焦りもなかった。

ただ、奇妙なほどに整った発音で、礼だけが告げられる。

 

マエストロと呼ばれた木偶人形の双頭が、同時にくるりと動いた。

 

「気にするな。彼の者にはいずれ、こちらから出向くつもりでいたのだからな。」

 

「彼は逸脱者。美にして災厄、静謐にして暴力。ならば観察の価値は、疑いようもない。」

 

黒服は、わずかに顎を引いた。仮面の裂け目に、わずかばかりの笑みのような線が刻まれる。

 

「……ご理解いただけて、幸いです。」

 

「理解などという浅き器で、我が芸術は測れぬぞ?」

 

マエストロは軽やかに舞うように一歩を踏み出し、その双頭を再び吉良へと向けた。

 

「お初にお目にかかる、吉良吉影。こんなみっともない姿で申し訳ないが、出会えて嬉しい。」

 

空間の歪みに包まれていた黒服が、その傍に、無傷のまま転がるように現れた。

 

「お前は…何者だ?」

 

「……おっと、失敬。私は『マエストロ』。ゲマトリアの中ではそう呼ばれている。」

 

その木偶人形はその方に片手を伸ばし、優雅な所作で“仕草”だけの礼を送る。

 


「私はそなたの友人ではないが、敵でもない。そしてそなたを助けることもないが、邪魔をしようというわけでもない。」



 

「ならば――」

 

 

「黒服は……我々ゲマトリアにとって、重要な“立役者”なのだ。」

 

「この瞬間、表舞台から彼の存在が消えるのは…あまりにも忍びない。すまないが、どうかご容赦願いたい。」

 

 

キィ、と軋む音を立てながら、マエストロは数歩、吉良に近づいた。

 

「そなたに紹介しよう。彼らは“ミメシス”──捨てられた遊園地の断片から、今ここに再構成された。神秘の別側面として恐怖の属性を持った、“喜びのレプリカ”だ。」

 

 マエストロが手をかざすと、白いネズミのような子がぴょんと飛び跳ねた。

 

「こちらが“シロ”。爆弾のような球体を転がすのが得意だ。少々無邪気すぎるところもあるが、実に愛らしい。」

 

続いて、黒い羽根を広げたカラスのような存在が、桃色の眼を吉良に向ける。

 

「そしてこっちが“クロ”。遊園地にあった乗り物たちを召喚し、舞台を作るのが好きらしいのだ。」

 

 マエストロはくるりと舞い、仰々しく両腕を広げた。

 

「古来より、全ての感情にはその原初たる「根源の感情」が存在し、ありとあらゆる感情はそれを複製する形で現れているのだという。幸せ、歓喜、熱望、怒り……いずれも、根源の感情のレプリカだということだ。芸術家として、私はこの考えにインスピレーションを受けた。この感覚が私をどこへ導くのかはまだ分からないが、深く、高揚に満ちた……」

 

「捨てられたドールに、ようやく意味が付与されたのだ。」

 

 そう呟いたマエストロの声は、まるで慈しみを持つ彫刻家のようだった。

 彼の背後で、シロとクロが小さな仕草を交わしながら静かに佇んでいる。

 

「……“モナリザの手”性的興奮を覚えた(勃起した)男……」

 

 少し間を置いて、マエストロは唐突にくるりと黒服の方へ向き直った。

 

「彼が私に話してくれたのだ──いや、正確には見せてくれた。“あの書物”を。そなたが登場する、"奇妙な冒険"をな。」

 

 マエストロの声が、ほんの少し低く、震える。

 

「手……それは美の象徴であり、暴力の象徴でもある。無垢なる創造と、破壊の両極を同時に内包する器官……」

 

マエストロの双頭がゆっくりと揺れた。関節の軋む音が空間に不協和音を刻む。

静かに語られたその言葉は、まるで“悪意のない残酷さ”を纏っていた。

 

「その形状に性的興奮を覚え、執着し、やがては"切り取り"、密閉された“美”として保管し続けたという………」

 

 マエストロの片方の頭が、ゆっくりと傾いた。

 

「芸術とは再現であり、反復であり、記憶の抽出作業である。そなたは……その“衝動”だけを、延々と再演し続けたに過ぎない。」

 

 もう一方の頭が、無機質な視線を吉良へと向ける。

 

「残念だが、そこに私は“芸術性”を見出すことはできない。“演出”もなければ、“問い”もない。“死”がただの手段でしかないのなら、それは“思想”ではなく、“嗜癖”だ。」

 

「そなたは、ただの殺人鬼だ。哀れな、ねじくれた欲望の従者。」

 

 

「──芸術性など、()()()()()()()()()。」

 

 

その言葉に、吉良は微かに表情を歪める。

唇の端がピクリと動いた。

だが、怒声も反論も吐かない。ただ静かにスーツの袖口を直し、ネクタイの結び目に手を添えた。

 

 

「――だが、皮肉なことに。」

 

 

 ……そして、マエストロはふっと口調を変える。

 

「そなたの手に宿る“力”だけは……まるで異なる人格が宿っているかのように、構築されている。」

 

 その双頭がわずかに揺れ、ギィ、と関節の軋む音が木霊する。

 

「そなたの“スタンド能力”。“キラークイーン”……それは、芸術的破壊の完成形だ。」

 

「殺意というより“意匠”だ。無駄のない構造美。始まりも終わりも、跡形もなく──まるで痕跡を嫌うように、完璧に“整えられて”いる。」

 

「……私には、理解できぬ。殺人に陶酔し、手に性的倒錯を覚え、命を“標本”に変えるなど……その精神性は、ただの病理だ。」

 

「だが、その能力だけは──狂気と整然が、ひとつの造形に収束している。」

 

 まるで彫刻の陰影をなぞるように、マエストロは手を宙に滑らせる。

 

「創造と破壊。秩序と混沌。静寂と衝動。芸術と無意味……」

 

「……あらゆる二項の境界を、美として統合する媒体。それが、そなたの“スタンド能力”なのだ。」

 

マエストロの双頭が静かに揃い、吉良を真っ直ぐに見据える。

その声色には、もはや“人”の温度すらない。

あるのはただ――観測者としての陶酔。

 

「そなたの“能力”は、私の創作意欲を刺激する。…言い換えよう。“そなた自身”ではなく、“その力”が──私にとって、あまりに“美しい”

 

「さあ、吉良吉影。わたしの“喝采”を受けるに相応しいか否か……その手で、“証明”してみせよ」

 

 

「そなたの“スタンド能力”とやらを……この私に、魅せてくれッ!!」

 

 

 双頭が同時に声を重ね、音が空間を震わせる。奇妙な音階、奇怪な美学がその場を覆う。

 

だが──

 

その響きに被せるように、吉良の“声”が割り込んだ。

 

 

「……くどい。」

 

 

吉良吉影の声は、氷のように静かだった。

静かすぎて、かえって空気を切り裂いた。

 

「夢の中だろーと、現実であろーと……わたしは“殺人鬼”のレッテルを貼り付けられている……」

 

視線を落とし、指先でネクタイの結びを直す。

ひとつ息を吐いて、顔を上げた。

 

「黒服も、キミも……会って開口一番、それだ。“記録”だの“物語”だの……見たこともない過去を、まるでわたしの“本質”であるかのよーに語っている…」

 

 吉良は静かに片手を掲げた。キラークイーンが応じるように背後に現れる。

 

「わたしには以前の記憶がない。“その行為”を、自らの意志で選び取った記憶が──一片たりとも、存在しない。」

 

 声がわずかに震えた。

 

 

「……それなのに、だ。」

 

 

 眼差しが鋭くなる。徐々に怒気が立ち上がっていく。

 

“お前はそうだったはずだ”と、過去という形のない檻に押し込め、勝手に“人間性”を語り、“本質”を決めつける……!」

 

唇がわずかに吊り上がる。

目は開ききり、表情は静かなまま、まるで張り詰めた硝子細工のように冷ややかで──壊れかけていた。

 

「……それがオマエたちの真実だと言うのなら――」

 

 ゆっくりと一歩を踏み出す。

 

「それは……“わたしの人生”を踏みにじる行為だ。」

 

 声に、明確な怒気が滲んだ。

 

「わたしが望んでいるのは、ただ──平穏に、美しく、丁寧に日々を暮らすことだけだ。」

 

「人と競わず、争わず、夜はきちんと眠り、朝は爪を整え、誰にも見咎められずに生きていく。」

 

「──それが、この吉良吉影の"幸福"なのだよ。」

 

 ふっと息を吸い、視線をマエストロに向ける。

 

 

 

 

「だがなァ…」

 

 

 

キラークイーンの影がゆっくりと彼の背後に張り付いた。

 

「そんなささやかな幸福すらも、このわたしから奪おうとするのなら──」

 

 

『ショくぶツの心のよーナじン生ヲ……』

 

 

 キラークイーンの声が、ひとつの“爆発”のように空気を割る。

 

 

『そんナへい穏なせイ活こソ…わタしノ目ひょゥだッタの二…………』

 

 

 かすれるような、しかし確かな言葉。それは、吉良の“本質”の声。

 

 

 

「──誰であろーと、"()()()()()()"。」

 

 

 

双頭のマエストロを睨み据えたまま、吉良吉影は告げた。

その目に宿るのは激情でも狂気でもない。

ただ、己の平穏を守るために必要な、冷たい殺意だった。

 

 マエストロの首が、ギギ……と音を立てて傾いた。

 

「……ならば、始めよう。“芸術の本懐”を」

 

 その声に、仮面の奥から一滴の感情が滲み出たようにさえ思えた。

 

「そなたの“スタンド能力”──キラークイーン。それもまた、洗練の極致。即興性と構造美を併せ持ち、痕跡を消し去ることで完成する芸術。」

 

 マエストロは手を広げ、"シロとクロ"(シロ&クロ)に視線をやる。

 

「対してこちらは、捨てられたものの中から再構成された“ミメシス”。無垢で、狂気で、破壊と喜びのレプリカ……」

 

 静かに、だが確かにその声は熱を帯びていった。

 

「芸術家として。観測者として。破壊と構築、静謐と混沌、その均衡が交差する“瞬間”を──私は目撃せねばならぬ。」

 

──芸術とは、破壊の美学。

 

──破壊とは、再構成の胎動。

 

 そして──静寂を愛する殺人鬼の“拒絶”と、創造を愛する異形の“執着”が、今まさにぶつかろうとしていた。

 

 

「さあ、吉良吉影。どうか、()()の準備を。」

 




今回のイラストはこちら

【挿絵表示】

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2枚目のキラークイーンは吉良吉影のセリフを反復しているときのイメージです。
……お察しの通り、まんまIBMです。
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