デッドマンズ アーカイブ   作:地下ピ

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今週は投稿が遅れてしまいました。申し訳
なお、今回は12000字です。


守りたいもの(2)

学園都市キヴォトス・トリニティ方面駅前

 

改札を抜けた先で、見慣れた紺色の制服の一団が手を振っている。

 

「先生ー! こっちこっち!」

 

元気いっぱいに声を上げたのはセリカだった。

ツインテールの黒髪が軽やかに揺れ、その顔には懐かしい笑顔が咲いていた。嬉しさを隠そうともしない姿に、思わず周囲の空気まで和んでしまう。

 

ノノミ、アヤネ、そしてシロコ――アビドス対策委員会の面々がそろっていた。

 

"みんな、来てくれてありがとう。"

 

先生が声をかけると、彼女たちはそれぞれ頷き、笑みを浮かべた。

 

「道案内なら任せてください、先生♪」

 

ノノミが明るく声を弾ませる。

先生も肩の力を抜いたように笑って、 "頼りにしてるよ" と応じた。

 

そのやりとりのすぐ隣で、吉良吉影は駅の柱にもたれ、冷めたような視線でやり取りを見ていた。

やがて視線をやや逸らしながら、ふと小さく呟いた。

 

「トリニティ総合学園……いわゆるお嬢様学校ってヤツか。」

 

その言葉を聞きとったアヤネが、少し意外そうに吉良へ目を向ける。

 

「緊張してるんですか? 吉良さん」

 

すると吉良は、「ン?」と一瞬だけ目を見開き、すぐに眉を寄せた。

 

「ちょっと待ってくれ。私は別に緊張しているワケではないよ。」

 

と、そう前置きをしながら、すぐに自身の前方でノノミやセリカと談笑する()()を指差した。

 

「むしろ緊張しているのはアイツの方だろゥ? まるで小学校の遠足前夜にソワソワして、なかなか眠れないよーな緊張をしてると見えるね。」

 

妙に具体的な例えに、アヤネは苦笑をこぼした。

 

「あはは……確かにそれは先生っぽいかもしれません。」

 

和やかなやりとりが交わされる中、一行は歩き出す。

行き先は、キヴォトスを代表する名門――トリニティ総合学園。

 

 

 

 

 

 

⸻トリニティ総合学園・校門前

 

荘厳な校門の前に立つと、まるでファンタジーの世界に足を踏み入れたような錯覚を覚える。

白亜の石造りには時間の重みと洗練が宿り、金属の門扉は美しく磨き上げられていた。遥か奥にそびえる尖塔の数々――すべてが、ここが名門であることを物語っている。ミッション系のお嬢様学校として知られるこの学園の格式は、ただ立っているだけでも圧を感じるほどだ。

 

その静謐な空気の中、ひときわ控えめな雰囲気の少女が、校門前に立つ一行に気づいて顔を輝かせた。

 

「お久しぶりです、みなさん!」

 

柔らかくも明るい声が、場の空気をふわりと和ませる。

大きなペロロのリュックを背負った少女――阿慈谷ヒフミが、少し控えめながらも嬉しそうに駆け寄ってきた。

 

ブラックマーケットの一件以来となる再会だった。

 

"元気そうだね、ヒフミ。"

 

先生が笑みを浮かべて言うと、ヒフミはぱっと表情を明るくして、こくりと頷いた。

 

「はい、皆さんのおかげです!」

 

ふと視線を動かし、少し緊張した様子で吉良の前に立つ。

 

「えっと……吉良さんも…お元気そうで何よりです。」

 

吉良はその声に、一瞬だけ意外そうな顔を見せた。

 

「……たまげたな、わたしのことを覚えていたのか?」

 

ブラックマーケットでの騒動――それもお互い会話することもほぼなかったハズ

驚き半分、どこか疑うような口調だったが、ヒフミはそのまっすぐな問いに小さく笑みを返しながら頷いた。

 

「はい。あのときは……本当に皆さんに助けていただきましたから。」

 

その声は静かで、だが確かな想いを宿していた。

彼女の手は胸元で軽く組まれ、思い出の重さをそっと受け止めるように指先が揺れている。

 

「すみません……本当は私の方からお伺いしたかったのですが……」

 

そう言いながら、ヒフミはふと周囲を見渡した。

そして、何かに気づいたように、眉をひそめながら首を傾げる。

 

「あれ……そういえばホシノさんは……?」

 

その一言が、場の空気を凍らせた。

日差しが雲に隠れたように、アビドスの面々の顔から笑みが消える。

 

ノノミが静かに視線を落とし、アヤネが唇をきゅっと結ぶ。

そしてセリカが、どこか苦しげに目を伏せながら口を開いた。

 

 

「実はね……」

 

 

 

 

 

 

「そうでしたか……あれからそんなことがあったのですね……」

 

ヒフミの声は、かすかに震えていた。

その表情には先ほどまでの明るさはなく、まるで心が霧に包まれたような陰りが落ちている。

 

両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、彼女は言葉の重みを受け止めようとしていた。

 

「……はい。」

 

アヤネが小さく頷く。

 

「ホシノ先輩が何を抱えていたのか、私たちがもっと早く気づけていれば……止められたかもしれないのに――」

 

俯いたままの彼女の言葉には、自責の念が滲んでいた。

震える声と、きつく握りしめた指先が、彼女の胸に広がる後悔を雄弁に語っている。

 

ヒフミはしばらく何も言わずにいたが――やがて、そっと顔を上げる。

その瞳には、臆病な少女の面影はなかった。友のために何かしたいという、強い意志が静かに灯っていた。

 

「では……もしかして、今日来られたのは……ホシノさんと関係が?」

 

"うん……実はそれなんだけど"

 

先生が深くうなずく。

 

"ホシノを助けるために、トリニティに協力してほしいんだ。"

 

その声は、どこまでも真剣で、どこまでも誠実だった。

 

その言葉に、ヒフミは目を見開く。小さな肩が、一瞬だけ強張る。

だがすぐに、その表情は強いものへと変わっていった。

 

小さく、しかしはっきりと息を飲む音が聞こえる。

やがてヒフミは背筋を伸ばし、まっすぐ先生の目を見て、力強く言った。

 

「……わかりました! 私、ティーパーティーに相談してきます!」

 

 

 

 

 

 

■トリニティ総合学園・ティーパーティー特設テラス

 

雲ひとつない蒼天の下、白亜の尖塔群を背にした高層テラスに、優雅なティーセットと甘美なケーキの数々が並ぶ。遠くに見える街並みのビル群と、歴史ある学園建築が織りなす風景は、まさにキヴォトスならではの光景。

 

その中央に、ナギサは腰掛けていた。

背筋を伸ばした姿勢のまま、右手の人差し指をすっと頬に添える。

 

「……どちらに致しましょう。」

 

微風が銀糸のような髪を揺らすなか、視線はテーブル上の二つの皿に注がれている。一方には艶やかな苺をのせたショートケーキ、もう一方には濃厚なマロンの香り漂うモンブラン。

 

「…い、いかがでしょうか…ナギサ様」

 

斜め向かいに立つヒフミが、おずおずと声をかける。

ナギサの優雅な悩みの時間に割って入ることへ、少なからず恐縮しているのが伝わる。

 

「どちらを頂こうかしら…?」

 

囁くような声とともに、ナギサは陶器のカップに口を寄せる。紅茶の香りがふわりと漂い、彼女の表情がわずかに緩む。

 

「生クリームたっぷりのショートケーキも、さっぱりとしたお茶と相性は抜群…ですがこのモンブランもまた捨てがたい……」

 

「……あ、あの! ナギサ様!」

 

ヒフミの声が切羽詰まった調子に変わる。その目には必死の決意が宿っていた。

 

――だがナギサはすぐには応じず、優雅にティーナイフを手に取る。

 

「わ、わたしっ! アビドスの皆さんに助けていただいたんです! ですから――っ!」

 

ようやくその言葉に反応し、ナギサは小さく微笑んだ。

 

「ふふっ」

 

ナイフとフォークを使い、品のある所作でショートケーキを自身の皿へと丁寧に盛り付ける。

 

「なるほど。ご説明ありがとうございます。ヒフミさんが仰っていることはよく分かりました。」

 

ナギサはフォークを手にしたまま、やわらかく言葉を紡ぐ。

 

「……ただ、そのカイザーPMCという企業の存在が、我が校の生徒たちに良くない影響を及ぼしそうなことは確かですね。シャーレの先生の言葉が本当だとすると、このまま聞き流すわけにはいかなそうです。」

 

ぱあっとヒフミの顔に安堵の色が広がる。身を乗り出すようにしてナギサに迫り、言葉を紡ぐ。

 

「で、では、ご協力を――」

 

 

「――ですが」

 

 

フォークを口元まで運びかけたナギサの手が、ふと止まる。彼女の視線は遠くテラスの外、白い柵の向こうへと向けられていた。

 

「例の条約も目前に迫っていますし、今は下手に動くわけにはいかないのです。」

 

「あ、あうぅ……」

 

ヒフミの肩がしぼむように落ちる。

が、そしてここに来て漸くナギサは彼女の方へと顔を向けた。

 

「……ただ、今回はちょっとした例外ということで、何か考えた方が良さそうです。」

 

やわらかい笑みが、ナギサの表情に咲く。

 

「あ、ありがとうございます、ナギサ様……!」

 

「そうですね……確かちょうど、牽引式弾砲を扱う屋外授業の予定があったはずです。」

 

「せっかくですし、ちょっとしたピクニックなどいかがでしょう。」

 

「えっと、牽引式榴弾砲ということは……L118の……?」

 

「はい。他ならないヒフミさんですし、全てお任せします。細かいことは私の方で。」

 

優しい声で語るナギサの瞳には、慈愛とも呼べる光が宿る。

 

「愛は巡り巡るもの……ヒフミさんがいつか私に愛をお返ししてくれる時を、楽しみにしてますね。ふふっ。」

 

「あ、あう……」

 

ナギサの視線は、穏やかな微風に揺れるカップの紅茶の水面から、ふたたびテラスの外へと流れる。彼女の瞳が追う先には、陽光を浴びた噴水広場と、その周囲に集まる生徒たちの姿があった。

 

 

――噴水の縁を、なぜか水着姿のまま練り歩き、ひとり楽しげに笑みを浮かべている生徒。

 

――涼しげな木陰のベンチでは、厚めの本を抱えた生徒が赤ら顔でページをめくっている。

 

――さらに見上げれば、木の上にはガスマスクを装着した生徒が、まるで見張り番のように周囲を警戒している。

 

 

ナギサはその光景に目を細めながら、ふと視線の先に見慣れない制服を見つけた。

 

アビドスの生徒たちが集まり、その輪の中心にはシャーレの先生がいた。笑顔で何かを語りかけるその様子は、いかにも日常の一幕といった和やかさに満ちている。

 

――だが、その一歩うしろ。木陰の中に立つ一人の男の姿が、ナギサの視線を引き留めた。

 

金髪を整えた大人の男性。純白のスーツに身を包み、首元には装飾の派手な髑髏のネクタイが揺れている。表情は読めず、何かを注視しているのか、それともただ静かに時を過ごしているのか。立ち姿には不自然さこそないが、その存在感だけが周囲から際立って浮いていた。

 

ナギサはゆるりと紅茶のカップをソーサーへと戻し、横目にヒフミを振り返る。

 

「ヒフミさん……あちらにいらっしゃる方ですが――あの白いスーツの、金髪の殿方。あの人は……」

 

その声は柔らかく、けれど明らかな探意を含んでいた。指さすことなく、わずかに顔を傾けながら目線で示す所作には、トリニティのティーパーティーを率いる者としての気品がにじんでいた。

 

「えっ、あ、あの人ですか……?」

 

ヒフミはびくりと肩を震わせ、小さくうなずいた。その視線がナギサの意図を追うように、テラスの外を確認する。

 

「吉良吉影さん……っていうお名前だったと思います。カ、カイザーローンで働いている方らしくて……えっと、その……」

 

声は次第に小さくなり、言葉を継ぐにつれヒフミの表情には戸惑いが色濃く表れていく。

 

「で、でもっ! アビドスの皆さんと一緒に、シャーレ先生の手助けをしてくださった方で、悪い人じゃないですっ……た、多分……」

 

オロオロとしながらも、なんとか彼の印象を良い方向へ伝えようとするヒフミ。その必死な様子からは、彼女の素直な人柄が感じ取れる。

 

「カイザーローン……」

 

ナギサはテラス越しに視線を戻す。

 

(……そもそもの話、アビドスはカイザーPMCと対立しているはずでしょうに。なぜグループ企業であるカイザーローンの社員と行動を共に? 理解に苦しみます。)

 

ナギサは一度だけ目を閉じ、深く息をついた。

 

その横顔は、思索のなかに沈みこむように静かで――けれど確かに、鋭い直感を働かせていた。

内心で警鐘を鳴らすように、ナギサの思考は静かに巡る。

 

「あの大人についても……」

 

ナギサは静かにそう呟いた。ひとしきり外の様子を眺めたのち、ふたたびゆるやかに顔をヒフミへと向ける。

その表情には、微笑の気配すらなく、いつになく真剣な色が宿っていた。

 

「ヒフミさん。協力の件については……一旦【保留】と、アビドスの方々へお伝えください。」

 

「なっ、えっ!? なぜなのですかっ!? ナギサ様っ!」

 

思わず椅子から乗り出すヒフミ。驚きと戸惑いが交錯したその声に、ナギサはそっと手を上げ、彼女を制する。

 

「ご安心ください。勿論、当初の通り()()()()()()()()。」

 

その言葉にヒフミは目を見開いたが、ナギサの次の言葉が、その安堵をすぐに引き締めた。

 

「……ですが、見極めなくてはならないのです。『連邦捜査部S.C.H.A.L.E』の存在を――」

 

紅茶の香りが、ふと風に乗って流れた。ナギサの瞳が再び遠くの一点に向けられる。

 

「彼らが……例の条約の障害となってしまうかもしれません。もし、その可能性がほんの微々たるものであったとしても――」

 

そこまで言って、ナギサは口を閉ざした。

 

 

(その時は――)

 

 

その横顔は、まるで薄氷の上を静かに渡るように慎重で――

同時に、決して揺るがぬ彼女の意志の強さが感じられた。

 

有無を言わぬナギサの横で、ヒフミは唇をきゅっと結び、何かを言いたげに俯く。

 

それでもナギサは微笑むことなく、ただ紅茶に指を添え、未だ手をつけぬショートケーキをじっと見つめていた。

 

 

 

■トリニティ・街路

 

 

 

午後の陽が石畳をやわらかく照らし、白亜の建物が並ぶトリニティの街を、アビドス対策委員会の一行が歩いていた。

 

「結局、保留かぁ……」

 

セリカがぼそりと零すと、その頭の猫耳が心なしかしょんぼりと垂れる。

声に張りはなく、気落ちがそのまま表情に出ていた。

 

「私から提案しておいてごめん……簡単にはいかないよね……」

 

先生が隣で苦笑を浮かべながら、ポツリとただ謝った。

 

交渉は失敗には終わっていない。

ただ、期待していた即答の「はい」も得られなかった。けれども――

 

「……ヒフミさん、何度も頭を下げてくれて――」

 

ノノミが優しく呟くように言うと、一同の脳裏には、先程のヒフミの申し訳なさそうな笑顔が浮かんだ。胸元で手を重ねて、何度も「ごめんなさい」と繰り返していた彼女を、誰も責めることはできなかった。

 

「やっぱ難しいんじゃない? 協力してもらうのってさ…」

 

セリカが不満混じりに呟き、リュックの紐をぐいと肩にかけ直す。

 

「ん…諦めるのはよくない。」

 

前を歩いていたシロコが、振り返らずに答えた。声は静かだが、芯のある響きだった。

 

「そうだけどさ……次のところだって協力してもらえるとは思えないし……」

 

「次は便利屋68の皆さんですね。」

 

ノノミが話題を切り替えるように口にする。口調は明るいが、その目には一抹の不安があった。

 

「ですが、引き受けていただけるでしょうか……?」

 

アヤネが静かに尋ねると、ふと後ろから、乾いた声が混ざった。

 

「ま、交渉ってのはそう簡単にはいかないモノだからな。第一、キミたちに協力したところで向こうからしたら得られるメリットなんざたかが知れてるだろゥ。」

 

吉良だった。ポケットに手を突っ込んだまま、気だるげに一歩遅れて歩いている。

その声に一同がちらりと振り返ると、彼は片眉だけを少し上げて続けた。

 

「……だが、まァ【希望を捨てない】ってのも、案外バカにならないよーだからねェ……命を運んでくると書いて『運命』!! フフフ、よく言ったものだ。」

 

「あはは……変なところで肯定するんですね。」

 

アヤネが小さく微笑むと、吉良は「フン」とだけ返して顔をそらした。

 

"大丈夫、今度こそ。きっと、うまくいく。"

 

先生の言葉には、どこか確信めいた明るさがあった。

シロコもそれに頷く。静かに、けれど力強く。

 

「うん、きっと大丈夫――」

 

 

 

 

 

 

■アビドス自治区郊外・某公園

 

日も傾き始めた午後の街。

向かう先に見えてきたのは――立派な建物でもなければ、案内看板でもない。

 

滑り台、ブランコ、鳩のたまり場になっている砂場。

どう見ても、子ども向けの小さな公園だった。

 

「……これって、どういうこと?」

 

セリカが眉をひそめて周囲をぐるりと見渡す。ブランコが風でかすかに軋む音だけが返ってきた。

 

"あれっ? おかしいな……教えてもらった住所は確かに、ここって載ってたんだけど……"

 

先生が手元のタブレットを確認しながら、困ったように首を傾げる。

地図アプリのピンは確かに“ここ”を指していた。

 

「じゃあ何? この公園が“便利屋の事務所”だっていうわけ?」

 

セリカの声がワントーン上がる。耳の猫耳までもがぴくりと怒っているようだった。

 

「……何かの、間違いでしょうか?」

 

ノノミも不思議そうに辺りを見回すが、人気のない遊具と落ち葉の散るベンチ以外、手がかりになりそうなものは見当たらない。

 

「これでは……便利屋68の皆さんがどこにいるのか、もうわかりませんね……」

 

アヤネが静かに呟いたその声は、公園の寂しさに溶け込むようだった。

 

「……ふむ。」

 

吉良が腕を組み、何かを見定めるように周囲を一瞥する。

 

「連絡先はなかったのか? 事務所を名乗るなら、せめて表札か電話番号のひとつでもあって然るべきだがねェ……」

 

"え? あ、うーん……書いてなかったような……"

 

先生が眉をひそめ、再びタブレットを確認するが、やはり表示されているのはこの公園の地点だけだった。

 

セリカは大きくため息をついて、がくりと肩を落とす。

 

「……今度は無駄足か。あーもう、こんなのに付き合ってる時間ないんだけど! 帰ろ帰ろ!」

 

ぶつぶつ文句を言いながら、足取りもやや乱暴に、彼女は公園の出口へ向かい始める。

 

「本当に……どこにいるのよ、あいつら……」

 

そうぼやくセリカの背中を追うように、一同も続々とその場を後にしていく。

 

 

――彼女たちが立っていた遊具の一角。

 

朽ちかけた滑り台の裏側に、風で揺れる垂れ幕、そして看板がさりげなく掲げられていた。

 

 

【便利屋68】 

 

 

ブランコが、からん、と寂しげに揺れる音だけが、空振りの午後にそっと重なった。

 

 

 

■アビドス郊外・路地裏

 

 

 

夕暮れが街角を朱に染め始めた頃、アビドスの一行が足を止めたのは、細い路地の先――

 

赤ちょうちんが揺れる、小さなラーメン屋台だった。

 

提灯に書かれた文字は『柴咲ラーメン』。看板の代わりの手描きののれんが、懐かしさを誘うように風に揺れている。

 

「久しぶり、大将。」

 

セリカが先頭で声をかけると、屋台の奥から、ふっくらした柴犬のような顔をした獣人の男が、どっしりとした動きで顔を出した。

 

「おお、いらっしゃい。セリカちゃんに、みんなもか。よく来たねぇ」

 

「素敵な屋台ですね♪ なんだか、とても懐かしい感じがします」

 

ノノミがきょろきょろと屋台の周囲を見渡しながら微笑むと、柴大将は鼻先をくいっと上げて胸を張った。

 

「そうかい? もともとこの“柴咲ラーメン”は、屋台から始めたんだよ。なんだか若返った気分だね、ははっ」

 

"お元気そうでホッとしました。"

 

先生がそう言うと、大将は照れたように頭をかく。

 

「いやね、あの騒ぎのあと、どうなることかと思ったけど……なんとかこうして再スタートってわけさ」

 

「これでまた、大将のラーメンが食べられる。」

 

静かにそう言ったのはシロコだった。短い言葉だが、それは何よりの喜びの表現だった。

 

「いやぁ……風紀委員会の子たちから貰った保証金がなかったら、ほんと、どうなってたか……」

 

「それでも、続けてたんじゃない?」

 

セリカが少し意地悪そうに笑って言うと、大将も肩をすくめて苦笑する。

 

「そりゃあな。やめるわけには、いかないもんでね。ラーメン屋は、オレの生きがいだからな。」

 

そう言って大将は大鍋の中で麺を泳がせながら、ふと一同の顔を見まわした。

 

「……それで? そっちはどうなんだい。」

 

「それが、なかなか色んな方にお願いしてるんですけど……」

 

アヤネが申し訳なさそうに言葉を濁す。

 

「あと……どこに行ってしまったのかわからない人たちが、一組いまして……」

 

"うん……"

 

先生が重たそうにため息をついた。

 

"見つからないなら、もう諦めるしか……"

 

「大将、会計いいかしら――……ん?」

 

そのときだった。屋台の奥から、ふわっと立ち上がった声がひとつ。

紙コップを持った赤髪の生徒が、ゆったりと立ち上がる。

 

便利屋68の代表――陸八魔アルだった。

 

それに続いて、ハルカ、ムツキ、カヨコの三人も姿を現す。屋台の奥のベンチで、まるで長居でもしていたかのようにくつろいだ雰囲気だった。

 

「……え?」

 

 

"「「「「いたーーっ!?!?」」」」」"

 

 

吉良を除いた全員の声が揃った。あまりに見事なユニゾンだった。

 

「なに? なんだか随分と騒がしいわね。一体どうしたのよ?」

 

「ここにいたのですか……?」

 

「まるで、すれ違うのが才能みたいな人たちですね……」

 

アヤネが呆然とつぶやく

ノノミは笑顔を絶やすことはなくとも、ほんの少しだけ眉をひそめた。

 

「ほんとに“便利屋”なのかねェ……まるでボールペンのキャップみたいな存在だな。普段はそこらじゅうに転がってるのに、必要なときに限ってどこにもない。」

 

いつものように白スーツの裾を直しながら、吉良は皮肉とも本音ともつかぬ呟きを漏らした。

その声は誰に聞かせるでもない独白だったが――対面にいた鬼形カヨコだけはただその目をわずかに細め、眉間に皺を寄せていた。

 

――しかし、その比喩に、セリカが首をかしげながら問い返す。

 

「え? ボールペンにキャップなんて無くない?」

 

その一言に、吉良のまぶたがわずかに動いた。

 

「……違うのか? イヤ…以前は……」

 

ぼんやりと宙を見つめたまま、記憶を探るように言葉を濁す。

 

「……昔はな、よーくキャップが机の隙間に転がって……それを探すのが、ちょっとした日常だったんだがね……」

 

少し寂しげに、しかしそれを見せまいとするかのように、吉良は肩をすくめた。

 

セリカはそれを見て、思わずふっと微笑んだ。

 

「……へぇ。吉良さんって、意外と昔の人っぽいとこあるよね。」

 

「ン? そうかもな。」

 

吉良はそうだけを短く返すと、誰にも聞こえないほどの声で――

 

「……キャップ式のボールペン、インクが乾きにくくて便利だったんだがねェ……」

 

と、そう懐かしむように呟いた。

 

 

 

 

ラーメンの湯気がほんのり揺れる夕暮れ時。赤提灯の灯りが、ほのかに人々の横顔を照らしている。

 

「……報酬もなしに、カイザーPMCと戦うなんて。」

 

便利屋68の一人、鬼形カヨコが屋台の縁に肘をつきながらぼそりと呟いた。彼女の瞳は細く冷ややかで、浮かんでいた微かな笑みも、今は影を潜めている。

 

「それ、私たちには何のメリットもないと思うけど。」

 

その言葉に、先生がわずかに口を開きかける。

 

"もちろん、お金のことなら私が――"

 

だが、その言葉を遮るように、ムツキがひょいとカウンターに身を乗り出した。

 

「カヨコちゃん、よーく見てみなよ。」

 

口元に悪戯な笑みを浮かべながら、視線を先生へと向ける。

 

「『依頼料なんて、このラーメンが味わえただけで十分よっ!』って、今にも言い出しそうじゃん?」

 

ハルカが勢いよく顔を上げ、ぱあっと瞳を輝かせた。

 

「なるほどっ! さすがアル様です! 多くを語らず、一杯のラーメンで戦場に赴くその姿……っ! まさに、ハードボイルドですっ!」

 

ハルカが高揚した声で讃えると、ムツキはにんまりと口角を上げた。

 

「ってことは決まりだね? まー、ラーメン一杯で命張るなんて、やっぱりアルちゃんって最高!」

 

「……また始まった。」

 

カヨコがこめかみに手を当てて小さく嘆息する。だが、そのムードを吹き飛ばすように、アルが静かに口を開いた。

 

「え…本当に……?」

 

セリカが信じられないといった目を向ける。ノノミの頬には安堵の笑みが浮かび、アヤネも静かに胸をなでおろしていた。シロコの表情は変わらないが、そのまなざしはほんのわずか、柔らかくなっている。

 

先生も驚きに目を瞬かせながら、少しだけ唇を綻ばせていた。

 

ようやく掴めた協力者の光。トリニティでも、ゲヘナでも届かなかった思いが、ついにひとつの形になろうとしていた。

 

だが――

 

「……悪いけど、考えさせてもらえる?」

 

アルの声は、ふわりと降る霧のように静かで、どこか遠かった。

まるで火を灯したばかりの蝋燭に、そっと息を吹きかけたかのように。

 

一瞬で、希望に満ちた空気が音もなく萎んでいく。

 

「ええぇーっ!?」

 

ムツキが肩を跳ね上げて叫び、ハルカがぱちぱちと目を瞬かせる。

 

「アル様……?」

 

「社長、それ本気?」

 

カヨコの目が鋭く細まり、動揺を押し隠すように声を潜めた。

 

そんな空気の中、先生はゆっくりと視線を落とし、小さく――本当にかすかに、呟いた。

 

"……そっか、わかった。"

 

その声に混じっていたのは諦めか、落胆か、あるいは自分自身を責めるような感情なのだろうか

 

――けれども、それを正面から受け止めるように、アルが自分の袖をきゅっと握る。

その小さな仕草には、誰にも見せられない葛藤が滲んでいた。

 

「……行くわよ。」

 

それ以上、何も言わずに背を向けた。

 

「ちょ、ちょっとアルちゃん! 話はまだ終わって――」

 

ムツキが慌てて追おうとするも、アルはその背に静かに手を添え、歩き出していった。

提灯の灯りに背を照らされながら、便利屋68の背中が遠ざかっていく。

 

先生は、ただその後ろ姿を見つめていた。手を伸ばすことも、名前を呼ぶこともなく――その胸の内で、何かを噛みしめるように。

 

そんな沈黙を、ふと割って差し込んだのは、傍らにいた吉良の声だった。

 

「……追わないんだな。イヤ、【去る者追わず】と言ったところか。まァ、こんなことも――」

 

"――大丈夫。"

 

その言葉の続きを、先生の声が静かに、けれどはっきりと遮った。

 

"彼女たちにも、選ぶ権利がある。無理を言って、危険な目にあわせるわけにはいかないよ。"

 

そう言いながら、拳をぎゅっと握る。小さな手のひらの中に、誰にも見えない想いが押し込められていた。

 

 

"――でも"

 

 

ほんの一言。

その拳に、わずかな震えが伝わる。

 

 

"それでも私は……信じたいんだ。彼女たちのことを。"

 

 

それは、胸の奥でずっと燻っていた決意が、静かに言葉になった瞬間だった。

 

そう言い切る先生の横顔に、セリカたちはそっと背を預けるように頷き、吉良は僅かばかり、目を細めた。

 

 

 

 

 

 

「……信じる、か。」

 

屋台の鍋から立ち上る湯気の向こうで、柴大将が腕を組んでいた。

まるで自分自身に言い聞かせるように――

 

「確かに、お客さんを信じる限り、店は消えねぇ。」

 

顔を少し空に向け、目を細める。

 

「ダメになったんなら……また、やり直せばいい。」

 

沈黙の中、ひと筋だけラーメンの湯気が高く昇っていく。

 

「信じる限り、道は続く。」

 

その言葉に背を押されるように、アビドスの一行は静かに屋台を後にした。

 

 

「行ってこい、対策委員会。」

 

 

大将の声は、どこか温かく、そして頼もしかった。

 

 

「そして、またうまいラーメンを食べに帰ってこい。」

 

 

赤提灯がゆらりと揺れ、街の夕暮れが赤く染まっていった。

 

 

 

 

夕陽に照らされたアビドス高校の校門は、まるで薄紅に燃える額縁のようだった。傾きかけた日差しが地平に伸び、長く伸びた影がひとつひとつの決意を形にしていく。

 

校門の前に並ぶ影は六つ。

 

風は穏やかに吹き抜け、制服の裾と髪を優しく揺らしていた。

 

"みんな。準備はいいかい?"

 

先生がゆっくりと問いかける。声は柔らかいが、その奥にある熱は隠しきれない。

 

「うん、いつでも行ける。」

 

シロコが静かに頷く。迷いのない瞳が、すでにその先を見据えていた。

 

「弾薬も充分、おやつもたっぷり入れておきました!」

 

ノノミはその体が隠れてしまうほどに大きなザックを背負い、元気よく笑ってみせる。

だが、その笑顔にも緊張の色が滲んでいた。

 

「睡眠もしっかり取ったし、お腹もいっぱい! カイザーPMCだろうと相手じゃないわ!」

 

セリカは勢いよく宣言しながら、拳をぐっと握る。けれどその隣で、猫耳がほんの少し震えていたのを、誰も責めることはしなかった。

 

「先生に教えていただいた情報ですと、ホシノ先輩はカイザーPMC基地の第51地区にいるはずです。」

 

アヤネがタブレットを抱えながら言葉を紡ぐ。その表情はいつになく険しく、唇をきゅっと結んでいた。

 

その様子を見守っていた吉良は、ふっと小さく息を吐いた。

 

「……まァ必要ないとは思うが、一応警告しておこうか。PMCってのは、ただの企業とはワケが違うぞ。ハッキリ言って勝てるとは思えんがな……風の強い時にションベンしたらズボンにかかるってことと同じくらい確信が"それでも――"

 

"それでも、行くよ。"

 

先生が、はっきりと答える。その目は、迷いを吹き飛ばすように真っ直ぐ前を向いていた。

 

「そうかい……」

 

吉良はポケットに手を突っ込んだまま、肩をすくめる。

 

"ありがとう、吉良さん。"

 

「ン? 勘違いするなよ。決してセンチになったからじゃあないぞ。」

 

そう言って、吉良は先生の方へ視線を向ける。

 

「ヤツに――あの理事に、このわたしを散々コケにした分をキッチリ返してやらないとなァ……わたしの【ムカッ腹】がおさまらんのだよ。」

 

ピシ、と空気が張りつめたような一瞬の沈黙。

 

「……それ、わりと本気で怒ってるんだ。」

 

セリカがぽつりと呟いたが、吉良は聞こえぬふりをして前を向いた。

 

「あはは……ま、まぁ……」

 

その背中を見つめながら、アヤネがそっと息を吸い込む。

 

「……では、気を取り直して!」

 

少し照れ笑いを浮かべながらも、アヤネはすぐに顔を引き締め、タブレットを胸にぎゅっと抱きしめる。

 

一歩、前へ。

静かに、だが力強く。

小柄なその体が、今は誰よりも大きく見えた。

 

「ホシノ先輩救出作戦――」

 

その言葉と同時に、全員の表情が引き締まる。

 

シロコはゆっくりと瞳を細め、まっすぐ前を見据えた。

 

ノノミは背負うザックの重みにも負けず、静かに笑みを浮かべながら頷く。

 

セリカは唇をぎゅっと噛み、震える拳に力を込めた。

 

吉良は自身の悪趣味なネクタイを軽く締め、いつものシけた面を見せる。

 

そして――先生もまた、彼女たちの背中をそっと見つめていた。

その瞳はどこまでも優しく、それでいて揺るぎない強さを宿している。

 

"……行こう。ホシノを迎えに。"

 

声は小さく、しかし誰よりも遠くまで響くような強さを持っていた。

 

そして――その一言が、彼女たち全員の背中を押した。

 

 

「――開始ですっ!!」

 




今回のイラストは【吉良吉影とキラークイーン(差分あり)】です。

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