今回は少なめで4000字。そしてアビドス編はこれで完結です。
◾︎ 連邦捜査部S.C.H.A.L.E
窓から差し込む柔らかな陽射しが、デスクの上の書類の山に斜めの影を落としている。
山脈と見間違えるほどに圧倒的な存在感を放つその山々の中心で、先生は一通の手紙を静かに読んでいた。
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──こんにちは、先生。
アビドス対策委員会の一日は、今日もまた慌ただしいです。
手書きの便箋が数枚。
差出人はアビドス対策委員会──奥空アヤネ
その内容は、対策委員会の正式承認。ホシノの様子や、柴関ラーメンの再開。カイザー理事のその後……借金の行方、黒服の謎、便利屋と風紀委員会の現在。そして、「黒服」という謎の残滓。
筆跡は綺麗に整っている反面、ようやく彼女たちの日常が戻った――その微笑ましさを感じさせる文面に時折、先生の口元がほころぶ。
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「……それでは、アビドス対策委員会の定例会議を始めます」
朝の光が差し込む会議室で、アヤネが背筋を正し、きちんとした口調で口を開いた。
「ここしばらく、いろいろなことがありましたが……結局、借金は消えていません」
真面目な空気に、場が少しだけ引き締まる。だがすぐに──
「でも、毎月支払う利子はかなり減った。」
シロコがぽつりと呟くように言い、ソファの背にもたれて視線を上に向けた。
「そうだね〜。せっかく負担が減ったことだし、ちょっとゆっくり昼寝でもしない?」
ホシノがあくび混じりに続けると、
「うんうん! このところすっごく忙しかったですし、のんびり過ごすのは大賛成ですっ♪」
ノノミが両手を胸の前で握り、ニコニコと頷いた。
──と、そののんびりムードを、強い一声が打ち破る。
「何を言ってるのよっ!!」
机をバンと叩きながら勢いよく立ち上がったのは、セリカだった。
「少しは余裕ができたかもしれないけど、そんなことしてる場合じゃないの!」
アヤネが思わず小さく笑いながらも、なだめるように声をかける。
「セリカちゃん……」
そんなアヤネの声にも構わず、セリカは言葉を重ねる。
「対策委員会の会計担当として言わせてもらうけど、今もまだ私たちは“危機”のど真ん中にいるの! 余裕なんて一ミリもないわ!」
その剣幕に、シロコがわずかに肩をすくめてたじろいだ。
「う、うん……」
セリカは腰に手を当てると、得意げにポーチから一枚の金属板を取り出し、机の上にどんと置いた。
「というわけで、最新のトレンドを調査してきたわ! これ、何か分かる人いる?」
「えっと……パソコンの部品?」
アヤネが不思議そうに首を傾げながら覗き込む。
「これはね、“グラフィックボード”って言うのよ! これを使えば、“スキャンコイン”っていう仮想通貨が採掘できるんだから!」
説明を続けるセリカの顔はどこか誇らしげだったが──
「……な、なによ!? なんでみんな、そんな目で見るのよっ!?」
一同の生暖かい視線に気づき、慌てて言い返す。
そして──
「どっちも却下〜」
ホシノがひらひらと手を振り、いつものように──笑った。
────
──対策委員会は、相変わらずこんな感じです。
何も変わらない、いつもの感じに戻ってしまいましたが……でも、本当に良かったです。
現状の報告は一旦こんなところです。それでは、引き続きよろしくお願いしますね。 先生
そんな締めの一文に、先生はそっと息を吐いた。
"みんな元気そうで……本当に良かった。"
ポツリとこぼれたその声には、安堵と温もりの滲んだ笑みが混じっていた。
(コツ、コツ、コツ──)
と、背後から乾いた足音。
「……なにか、嬉しいことでもあったのか?」
──声の主は、吉良吉影
白いスーツの裾を揺らしながら、無言でそばの柱に背を預ける。手には何も持たず、相変わらずの無表情。そのまま、机の上に積まれた書類の山を眺めて、目を細めた。
"うん、アヤネからの手紙だよ。"
手紙を見せようとした先生に、吉良は手のひらを軽く上げて制した。
「イヤ、わたしは結構だ。」
"……そっか。"
「そんなことよりも、目の前の現実を片付けたまえ。この位置から向こう側の景色が見えなくなりそーだぞ。」
そう言って、視線を机の上へと向ける。
机の上には、未処理の書類がまるで要塞のように積み上げられ、堂々とそびえ立っていた。
"うわぁ……相変わらずすごい量だなぁ。"
先生は乾いた笑みを浮かべた後、ゆっくりとした動作でペンを置くと、隣に立つ吉良へちらりと視線を向けた。その瞳に浮かぶのは、目の前の書類に対する絶望か──それとも地獄を共に乗り越えてくれるであろう友人に対する希望か──
"ねえ、吉良さん。"
「……なんだね。」
"ちょっとお時間頂け「だめだね。」そっかー。"
吉良は鼻をひとつ鳴らし、デスクチェアに座った先生を見下ろす。
「フン……わたしが手を貸したところで無駄だね。
言葉の端に、明らかな嫌悪感がにじむ。
「……確か《七神》とかいう名前だったか?」
整った顔立ちに、無駄のない所作。眼鏡の奥に鋭さを秘めた視線。
──18歳の生徒とは思えないほどに
(美しい顔と手をしていたが……なんとも性格がキツそうな女だったな)
初対面のあの日、何も言っていないのに鋭い目で睨まれた*1のを、彼は今でも覚えている。
「いい加減、仕事を選ぶことを考えるんだな。あーいうタイプは、“人を尻に敷く”のが生き甲斐なんだろうよ。」
吐き捨てるように言って、吉良は手にしていた書類の角を無造作に揃えた。
"も〜……リンちゃんも頑張ってるんだよ。連邦生徒会は、生徒会長の失踪で大変なんだから。"
「へーそうかい。」
先生が苦笑まじりにフォローすると、吉良はふっとため息をつく。
(……頑張ってる、ねェ。だが、努力の方向性は大いに疑問だな。)
そのまま、気怠そうに積み上がった書類の山に手を伸ばす。一番上にあった紙をひょいと摘み上げて、眉をひそめた。
「……猫探し、街の掃除、宅配便の代行──これも“連邦捜査部”のお仕事なのか?」
"まぁ…ネコ探しも大事な市民サービスだよ、たぶん……"
「……今すぐ便利屋にでも名前を変えた方がいいんじゃァないか?」
"まあまあ、ほら。生徒たちが困ってるなら、できるだけ力になりたいし。"
先生は肩をすくめ、机の書類を一枚取り上げた。
"ちょっとしたことでも――些細なことでも、生徒たちの役に立てたらって思うんだ。頼ってくれる子たちに、ちゃんと応えてあげられるように──ね。"
「……」
先生は優しく笑って言った。
"カッコつけたいんだ。子どもたちの前で、胸を張って“大人”でいたいから。"
その言葉に、吉良は一度、手元の紙から目を離し、わずかに眉を動かした。
「フン……そうかい。」
彼はゆっくりと紙を置くと、再び柱に背を預けて、静かに目を閉じた。
差し込む陽の光が、彼のスーツを淡く照らしていた。
──静かで、穏やかな朝だった。
"ていうか、サボってないでちょっとは手伝ってよ! シャーレ【事務員】の吉良さん!"
吉良はうっすらと片目を開け、肩越しに振り返る。
「……ちょっと“休憩”をしていただけだろゥ? 先生」
その言い方が妙に堂々としていたため、先生は思わず苦笑した。
"えぇー……そのわりには、ずっと立ったままだったよね……?"
「わたしは、立って休む主義なんだよ。座ると腰を痛めるからな。」
"え、それって歳のせい?"
ピタリ、と吉良の目元が鋭くなる。
「すまないが……よく聞こえなかったなァ、ン? 悪いが
"ゴ、ゴメンゴメンッ! 冗談だよジョーダンっ!! ほらっ! この通り!! ねっ!!"
先生が慌てて両手を振ると、吉良は鼻を鳴らしながらも、肩をすくめて微笑を浮かべた。
「フン……そんなことを言っているから、書類が減らないんだろゥ? まったく……」
そう呟いた吉良は、ふと書類から目を離し、くるりと背を向けた。
「……コーヒーでも淹れてこよう。」
"え?"
突然の意外な言葉に、先生は思わず声を上げる。
「カフェインは脳の中枢神経系に作用し、適量であれば集中力と注意力を一時的に上昇させてくれる。眠気覚ましにも最適だからな。」
歩き出した吉良が、そんなことを平坦な声でさらりと語る。
"へぇ……吉良さんって、他人に興味ないってばかり思ってたけど――優しいんだね。"
その言葉に、吉良は少しも振り返りもせずに答える。
「フン……ちょっとした“親切心”というヤツだよ、せいぜい感謝するんだな。」
そう言い残して、白いスーツの背中が、ゆっくりとドアの向こう側へと消えていった。
扉がカタンと閉まる音がして、オフィスに再び静寂が戻る。
先生は一瞬きょとんとした後、小さく笑みをこぼした。
"……ほんと、分かりづらい人だなあ。"
その呟きが、静かに空気に溶けていく。
すると──
『彼を信用してもいいのですか……?』
デスクの上に置かれたタブレット端末から、幼い少女のような声が響いた。
──その声は、他の誰にも聞こえない。
聞こえているのは、ただ一人──シッテムの箱の主である【先生】彼だけだ。
"大丈夫だよ。"
先生はタブレットに視線を落とし、静かに微笑む。
『ですが先生……あの男は、キヴォトスの枠から外れた存在。秩序から逸脱した“異物”です』
"それでも……彼は悪い人じゃないから。"
そう言って、先生はさっき吉良が消えていったドアの方を、ふと見やった。
まるで、そこにまだ彼の背中が残っているかのように
しばらくの沈黙の後、タブレットから返ってきた声は、先ほどよりもずっとか細く──
『困惑……先生、理解できません。』
それは、ただの疑問ではなかった。
声の奥に潜んでいたのは、不安。警戒。そして、恐れ。
まるで、この先に訪れる“未来”を、彼女だけがうっすらと感じ取ってしまっているような響きだった。
だが、先生はその不安すらも包み込むように、微笑みを崩さず呟く。
"大丈夫だよ、"A.R.O.N.A" 。君が心配してくれる気持ちは、ちゃんと分かってるから。"
優しく、穏やかに。
やがてその言葉に応えるように、タブレットの画面がふっと暗転し、再び室内に静けさが戻った。
今日もまた、生徒たちのための一日が始まる。
まばゆい陽の光が、シャーレの窓辺に静かに降り注いでいた。
■──給湯室
(コポコポ……)
静かにお湯の注がれる音が、白い空間に小さく響く。
細かく挽いた豆に熱湯が触れ、ふわりと立ちのぼるのは、深く香ばしい香り。
わずかに膨らんだ表面を見つめながら、吉良吉影はゆっくりと手首を傾けた。
シャーレの給湯室。
壁一面を覆う大きなガラス窓の向こうには、穏やかな陽射しに照らされたD.U.の街並みが広がっていた。
春霞のようにぼやけたその輪郭は、まるで夢の中の風景のよう──
吉良はコーヒーポットを置き、ふぅと静かに息を吐く。鼻腔をくすぐるその香りに、わずかに目を細めた。
私の名前は、吉良吉影
いつからこの学園都市にいるのか──
自分の過去に、何があったのか……どうしても思い出せない。
……ただ、ひとつだけ分かっていることがある。
この先、わたしは──決して“安心”などとは無縁の存在でい続けてしまうだろう
そんな気がするのだ。
これからどうするのか? 正直、それも分からない。
……だが
ふと、視界の端に動きが映る。
窓の外。通りを歩く制服の少女が、道端にしゃがみこみ、小さな猫を抱き上げていた。
その表情は、驚くほど素直で、無防備で──あたたかかった。
この“キヴォトス”で生きていくというのなら
『シャーレ』……ここでの“仕事”を──“生きがい”にしておけば――
……私は、もしかすると、“幸福”になれるかもしれない。
注ぎ終えたドリッパーの中で、しずくが最後の音を立てて落ちた。
その静けさの中で、吉良はただひとり、湯気立つコーヒーの香りに包まれて立ち尽くしていた。
アビドス編完結です。とりあえずここまで来れて一安心。
何話かシャーレの日常話をした後、パヴァーヌ一章に入ります。
一章が終わり次第、エデン条約編、その後にパヴァーヌ2章の予定です。
というワケで今回のイラストはこちら。少しラフな格好の先生と"A.R.O.N.A"ちゃんです。
【挿絵表示】