デッドマンズ アーカイブ   作:地下ピ

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厄災の女狐

"じゃあ、私ちょっと桜花祭に行ってくるね。"

 

その言葉に、書類の整理をしていた吉良吉影の手がぴたりと止まった。

 

「……なんだね、それは。」

 

振り返った吉良に、先生は嬉しそうに説明する。

 

"百鬼夜行連合学院にある喫茶店『百夜堂』って知ってる? 看板娘のシズコって生徒に招待されたんだよ。『百夜ノ春ノ桜花祭』っていう百鬼夜行のお祭りがあってさ、屋台とか花火があってすごく賑やかなんだって!"

 

まるで子どものように目を輝かせて語る先生。

 

"……で、吉良さんも一緒に行かない? こういうの、案外楽しいと思うけど――"

 

「結構だ、誰かがここでお留守番をしていなくちゃあいけないからな。キミ一人で行ってくるといい。」

 

吉良は、即答だった。

淡々とした口調でそう言い、机の書類を再び手に取る。

 

"そっか…「ただし、だ。」…え?"

 

「キミの分の仕事はちゃあんと残しておくよ。ン? まさか書類作業から逃げられるとでも思っていたのかな?」

 

"そ、そんなあ~~~!? せめて半分でも――"

 

「だめだね。帰ってきてから、是非とも頑張りたまえ。」

 

先生の肩が一気にしゅんと落ちる。

祭りに行く前から、すでに帰ってきてからの現実を突きつけられ、足取りが重くなるのを隠せない様子だった。

 

■

 

"じゃ、行ってきます。"

 

「ああ、楽しんでくるといい。」

 

軽く返す吉良。

ドアが閉まる音が静かなオフィスに響き、室内は一瞬で静寂に包まれる。

 

吉良は一人になった空間で、机に肘をつきながら短く呟いた。

 

「……さてと。」

 

吉良は椅子に腰を下ろしたまま、スーツの内ポケットへと手を差し入れる。

 

そこから取り出されたのは、使い始めてまだ一ヶ月も経っていない、小ぶりな革表紙のスクラップブックだった。それでも、頻繁に開かれてきたせいか、表紙の角はわずかに擦れ、紙は手の形に沿うように柔らかさを帯びている。

 

彼はそれを膝の上でそっと開く。

 

ページには、切り抜かれた女性の手の写真が、整然と、しかし異様なほど密に貼られていた。

指先の曲線、爪の形、手首の線――それら全てが無機質な紙の中で整列し、まるで標本のように並んでいる。

 

吉良の瞳が、微かに細められる。

人差し指で写真の縁をなぞりながら、口元に薄く笑みが浮かんだ。

 

「……やはり、こうしてキミを眺めているときが……一番、幸せだな。」

 

指先が一枚一枚を慈しむように撫でるたび、その動きは異様なほど緩やかで、執拗だった。

部屋の静寂の中、紙を擦る微かな音だけが響き続ける。

 

そのとき――

 

(カチャリ)

 

「……何をしてますの?」

 

低く澄んだ声が、背後から降ってきた。

同時に、冷たい金属の感触が吉良の背中越しに突きつけられる。

それが銃(・)口(・)であることを、彼は瞬時に理解した。

 

 

■

 

 

(クソ、何が起こっている? いったい誰だ? どうやって背後に……キラークイーンを――イヤ、至近距離から銃口を向けられている状況だ。しかも、こいつもスタンド使いの可能性がある……まずは穏便に、か。)

 

「なんだね、キミは……? トラブルなら遠慮したい。帰ってくれないか?」

 

視線をスクラップブックから外さぬまま、淡々と告げる吉良。

しかし背後の声は、やや鼻で笑うように続いた。

 

「トラブル? うふふ……冗談としては面白くありませんよ?悪趣味なソレを眺めている貴方のような人間に――あなた様の隣は、到底相応しくありません。」

 

(あなた様……? なに、先生のことを言っているか?)

 

吉良の思考が一瞬、そこで止まる。

これまでそんな関係をほのめかす素振りは、先生からは一切感じ取れなかった。

 

「……ひょっとしてだが、キミは先生のことが好きなのか?」

 

背後から、小さく笑うような吐息が漏れた。

 

「あら、愚問ですね。」

 

一拍置き、甘やかで熱のこもった声音が続く。

 

「このワカモ――すべて、あなた様のものなのです。身も、心も……全部。」

 

背後から紡がれるその声は、熱に浮かされたような甘さを含んでいた。

吉良は短く「そうか」とだけ返す。驚きも感心もない、ただ事実を受け止めたような調子だ。

 

(……なるほど。先生に好意を抱いているワケか。しかも、かなり“重い”ヤツのよーだな。)

 

銃口を背にしたまま、吉良は思考を巡らせる。

――隙を作らせるには、感情を揺さぶるのが一番だ。

そのための挑発の言葉を探そうとしたが、同時に、頭の片隅に引っかかる疑問が膨らんでいく。

 

(……いや、ちょっと待て。好意を抱いているくせに、なんでわざわざ先生にメーワクがかかるよーな真似をしている?)

 

その疑問は、計算よりも先に口をついて出た。

 

「ちょっとだけ聞きたいんだが……」

 

低く抑えた声で、吉良は問いかける。

 

「キミは先生に好意を抱いているのに、なぜこんな、先生にメーワクがかかるよーなことをしているんだ?」

 

「……は?」

 

背後の空気が、ピシリと凍りつく。燃え上がるような気配が、皮膚越しに伝わった。

怒気を孕んだ吐息が、耳元で熱を帯びて震え、低く、掠れて漏れる。

 

「迷惑……? そんなはずはありません。私はあなた様を思って――」

 

「わからない?考えたこともない? イヤ、問いただして困らせようってんじゃあない。してみたい気もするが……」

 

吉良は相手の言葉を遮り、淡々と続ける。

 

「ひょっとしてだが、この行動が先生にとって“良いもの”だと思っているのか? 理解に苦しむよ、もしそうならキミは――」

 

「そんなわけが…………」

 

「『そんなわけが』、ン? なんだね?黙ってちゃあ分からないよ。」

 

吉良はその先を遮らない。ただ、わずかに首を傾けて耳を向ける素振りを見せた。

その沈黙が、胸の中でじわりと広がった苛立ちが、やがて激しい感情の爆ぜる前触れに変わった。

 

 

「――ッ、貴方に私の何が分かるというのですッ!! あなた様への、この気持ちがッ!!」

 

 

その叫びと同時に、彼女の指がトリガーを引き絞った。

 

 

 

 

しかし、発砲音は訪れない

 

 

 

 

『ウリィヤァァッ!!』

 

 

(バシィッ!!)

 

 

刹那、吉良の横に現れた“キラークイーン”の腕が閃き、ワカモの長銃を横から叩きつけた。

乾いた金属音が室内に響き、彼女の手から離れた黒塗りの銃身は床を滑って、冷たい金属音を残して止まる。

 

吉良は静かに、だが確実に背後へと視線を向けた。

 

そこに立っていたのは、狐面をつけた少女。

黒地に桜や花柄をあしらった艶やかな和服、その袖口からのぞく白い手はまだわずかに震えている。腰の後ろからは、ふさふさとした黒い狐尾がゆらりと揺れ、長い髪の合間からは獣の耳がぴくりと動く。

 

その両眼――仮面の奥に潜む視線には、消えぬ殺気が鋭く光っていた。

 

「……ッ!」

 

ワカモはわずかに肩を揺らし、落ちた銃を一瞥した。

その呼吸は荒く、狐面の奥の瞳が剣呑な光を放っている。

 

「……何やら妖術のようなものを使っていますね。」

 

低く、抑えた声。

しかし、その内側に滲む怒りは隠しきれていない。

先ほどの問いかけが、彼女の神経を深く逆なでしたのは明らかだった。

 

(……やりすぎたか。)

 

吉良は心の内で小さく舌打ちする。

隙を作るための挑発のつもりが、気づけば踏み込みすぎていた。

――土足で相手の感情の奥底にまで踏み込み、その地雷を盛大に踏み抜いたのだ。

 

眉をわずかにひそめ、心中でつぶやく。

 

(この女……わたしのキラークイーンが見えていない。スタンド使いじゃあないようだな。)

 

だが、それは安堵にはつながらなかった。

眼前の生徒――"ワカモ"とかいうこの女は、ただ者じゃあない。

狐面の奥から滲む、肌を刺すような得体の知れぬ“圧”がじりじりと迫ってくる。

まるで、これまで数多くの修羅場や大事件を引き起こしてきた者のそれだ。

一歩間違えば、即座に喉元を掻き切ってくるような、凶暴さを孕んだ気配。

 

(もっとも……戦ったとしても、わたしは負けんだろうが……)

 

そう思いながらも、吉良の背筋には冷たい汗が一筋、ゆっくりと伝い落ちていた。

視線が無意識に机上のスクラップブックへと滑る。

 

 

――こいつは、見(・)て(・)し(・)ま(・)っ(・)た(・)。

 

 

もし、このことが外部に漏れでもしたら……

もし、先生にバレたら……

 

 

(じゃあ……始末するか?)

 

 

胸の奥で、何かが湿った音を立てて蠢いた。

その選択肢が脳裏に浮かんだ瞬間、背筋を冷や汗がつっと伝う。

やってはならない――そう頭では理解している。

だが、理性の奥底で、別の何かがゆっくりと顔を出し始めていた。

一見冷静な顔を装いながらも、胸の奥底で別の感情が蠢く。

 

 

(いいや……ここでコイツは始末するべきだ。証拠は残してはいけない……)

 

 

その囁きに呼応するかのように、視線が彼女の白く細長い、整った指先へと向かう。

血色の薄いその手は、絹糸のように滑らかで――切り抜き、保存しておきたい衝動が、不意に脳髄を叩く。

 

 

(……切り抜きたい。)

 

 

わずかに唇が動いた瞬間、和服の袖の奥から銀光が閃いた。

ワカモは、吉良のわずかなソレを「怯み」と見たのか、一歩踏み出す。

 

「貴方は“あなた様”にとって害虫です……放置すれば、必ず毒を撒くでしょう。

ええ、そうに決まっています。だから今、この場で――」

 

懐から抜き放たれたのは、銃口の先端に装着されていた銃剣。

それは日中であるはずなのに月明かりを浴びたように冷たく光り、音もなく構えられる。

 

「――排除させていただきます。」

 

和服の裾がさらりと揺れ、細く引き締まった足が、一歩、また一歩と吉良との距離を詰めてくる。

 

吉良は視線を合わせず、スクラップブックの端を指先でゆっくりなぞった。

その指はわずかに震えている――恐怖ではない、昂ぶりのせいで。

 

 

(証拠も、声も、すべて跡形もなく消し去ってしまえ……お前の平穏を守るためだ。)

 

 

空気が、音を失ったように張り詰める。

吉良の吐息が、熱を帯びて荒くなる。

胸の奥で理性と、深く沈んだ吉良の本性が、容赦なく引き合っていた。

 

 

(心の底を聞かせてやるのだ…おまえのその細い首を、この手で絞め殺してみたいと……)

 

 

机の上で、キラークイーンの影がゆらりと揺れる。

それはまるで吉良の背を押すかのように形を取り――ゆっくりと、音もなくワカモへと歩を進めていく。

 

彼女の背後に立つそのスタンド(キラークイーン)は、冷徹な殺意を宿した両の手を、静かに首の高さへと持ち上げた。狙うのは、白く細く、絹糸のように滑らかなその首。

握り潰すように、ねじ切るように――ただそれだけのために近づいていく。

 

 

(自分の本性を見せてやれ……吉良吉影ッ!!)

 

 

その手が、ワカモの喉元に触れようとした、その瞬間――

 

 

(カチャリ)

 

 

"ごめんね、忘れ物しちゃった。"

 

 

不意に、軽い口調の声が室内に差し込んだ。

ドアが開かれ、そこには外出したはずの先生が立っていた。

 

予想外の出来事に、吉良はゆっくりと視線を向ける。

ワカモもまた、先生の姿を認めるや、ぴたりと動きを止め、持っていた短剣をそっと後ろ手に隠した。

 

「あ、ああ……」

吐息混じりの、押し殺したような声。

 

先生は首を傾げ、二人の間に流れる異様な空気など気づきもしない様子で口を開いた。

 

"あれ、おはようワカモ。吉良さんも……二人で何してるの?"

 

突如、先生に直接声を掛けられたワカモの肩がわずかに震える。

次の瞬間、彼女は弾かれたように声を張り上げた。

 

「し、し……失礼いたしましたー!!」

 

勢いのまま床に落ちていた愛銃を拾い上げ、音もなく窓際へ駆け寄ると

そのまま外へと飛び去った。

 

先生はその一部始終を見届け、ぽつりと呟く。

"……デジャヴかなあ。前にも似たようなことがあったような……"

 

そして吉良へと視線を向け、首を傾げたまま尋ねる。

"で、さっきまで何してたの?"

 

吉良はその問いにしばし答えず、肩の力を抜くと、深く長い息を吐き出した。

 

「フウゥ――……何でもない、気にしないでくれ。」

 

そう短く告げる声には、先ほどまでの緊張感がわずかに滲んでいた。

 

 

■

 

 

先生が外に出てから、オフィスは一日じゅう静かだった。

あの狐面の女――ワカモという女とのやり取りは、頭の奥でまだ燻っている。

それでも時間は容赦なく流れ、窓の外の夕景は夜景へと変わっていった。

 

いつもならとっくに定時で帰っている時間だ。

だが、この日は何故か足が動かなかった。

わたしはただ、窓辺から街の灯りをぼんやりと眺めていた。

 

やがて、玄関のドアが開く音がして、あの呑気な声が響く。

 

"ただいまー!"

 

わたしは窓から顔を上げる。

先生は、紙袋をいくつも抱えていた。

袋の口から、甘ったるい香りと香ばしい匂いが混ざり合って漂ってくる。

 

"あれ、今日はどうしたの? まさか……待っててくれた?"

先生がにやりと笑う。

 

「フン、たまたまだ。」

わたしはそっぽを向き、短く答えた。

 

"ふーん……まあいいか。でさ、あの後ね――"

 

先生は肩をすくめ、祭りでの出来事を一気に語り始める。

 

喫茶店「百夜堂」の看板娘、河和シズコに招かれて行ったこと。

忍びを夢見る少女、久田イズナとの出会いと、彼女が“依頼”に向かう姿。

突然現れた「魑魅一座・路上流」との大騒ぎ、

商店街会長ニャン天丸の金儲けの企み、

それを阻止するために奮闘した運営委員や修行部の面々、

そして花火を見上げる展望台での、静かなひと時――

 

"それでね、みんなに吉良さんのこと話したらさ~すごく興味持ってくれて。シズコが『百鬼夜行連合学院に立ち寄る機会があれば! ぜひぜひ!百夜堂にいらっしゃってくださいね~!』って言ってたよ。"

 

「そうか。」

 

先生は机の上に紙袋を置き、次々と中身を取り出していった。

焼き鳥、チョコバナナ、りんご飴、桃夜堂の苺あんみつ、花見だんご、苺八つ橋。

桜の香りと、屋台の香ばしい匂いが混ざり合い、ふわりと室内に広がった。

 

「おお、なかなか美味しそうだな。」

 

"でしょ? ほら、早く食べようよ。……あれ、吉良さん、あんまり元気ない?"

 

「ン? ああ………イヤ、なんでもないよ。」

 

淡々とそう答える。

実際、言葉通り“なんでもない”ワケがなかったが、

わざわざ口にする必要はない。

 

――あの白く細長い手の形が、まだ脳裏から離れない。

もし、あのとき先生が帰ってこなかったら……お(・)そ(・)ら(・)く(・)

 

紙袋の向こうで笑っている先生を見ながら、

わたしはただ一つ、確かに思った。

 

 

このスクラップブックだけは、

決して誰にも見られてはならない。

 

――このわたしの内に、小さく芽生えた……その業(サガ)を




次話からはパヴァーヌ一章へと移ります。
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