■
――アビドス自治区・対策委員会部室
「……はいっ!? 前方、半径10㎞内にて爆発を検知!! ここから近いです!」
アヤネの切羽詰まった声が部屋中に響き渡った。
対策委員会の部室に漂っていた静寂が、一瞬で吹き飛ぶ。
「10㎞ってことは……市街地? まさか襲撃!?」
「衝撃波の形状からすると、擲弾による爆発、並びにC4爆弾の連鎖反応と思われます……爆発地点の正確な位置は……えっ、紫関ラーメン!?」
その言葉に、部屋の空気が凍りついた。
「しっ紫関ラーメンが跡形もなく消えてしまいました!」
「はあ!? どういうこと!? 何であの店が狙われるのよ!」
セリカが驚愕の表情を浮かべ、机を叩く。
「戦略拠点でもなく、重要な交通網でもないのに……一体誰が……?」
「ま、まさか私を狙って?」
対策委員会の部屋に沈黙が流れる。爆発の音は聞こえなかったが、画面に映し出される情報は、それが決して小規模なものではなかったことを明確に示していた。
「こんなことしている場合じゃない……まずは何か手を打たないと!」
「そうですね! まずは現場に向かいましょう!」
「ホシノ先輩には私から連絡します、みなさん、出動を!!」
アヤネの指示で全員が一斉に動き出す。
「ど、どうなっちゃったのよ!! 大将…無事でいて……!」
不安と緊張が入り混じる中、対策委員会のメンバーたちは、爆発の真相を確かめるべく紫関ラーメン店へと向かう。
この時、彼女たちはまだ知らなかった――彼女たちが目に焼き付けることになる"傷"を。
■
――紫関ラーメン店跡地
「ターゲット沈黙しました。」
「よし、歩兵部隊…第2小隊まで突入。」
紫関ラーメン店の崩れた瓦礫…その惨状を眺めながら、ゲヘナ学園の風紀委員会 銀鏡イオリは不敵な笑みを浮かべた。
銀髪の片目隠れツインテール、エルフ耳、小柄、褐色肌、悪魔のような尻尾――属性てんこ盛りなその少女は、戦場に立つ兵士の如く、堂々とした態度で指揮をとっている。
「……イオリ、これは一体どういうことですか!?」
風紀委員会のもう一人のメンバー、火宮チナツが険しい表情で詰め寄る。
彼女はエルフ耳に赤のタイツが特徴的な少女。普段は冷静な彼女だが、今回ばかりはイオリの独断専行に対して明らかな不満を抱いていた。
「確かに便利屋68の方たちを捕らえるために武力行使を行うことは仕方がないと思います……しかし、袋叩きにするためとはいえ、無関係な飲食店ごと砲撃するとは聞いていませんよ!?」
イオリは軽く肩をすくめた。
「ん? そんなの、後で風紀委員会の方から補修費や治療費を出せば済む話じゃないか? それに、擲弾一発じゃ大した怪我にはならないだろ?」
「いや、そういう話ではないと思いますが……」
チナツの眉が険しくなる。
「う~ん…でもまあ、私も擲弾一つであんなに派手に爆発するとは思わなかったよ……事前に建物に爆弾を設置してたのかってぐらい損壊っぽいからな。」
イオリはラーメン店の瓦礫を見渡しながら、呑気に言い放つ。
「はぁ……一応、ここはアビドス自治区のすぐそばなんですよ? なるべく穏便に済ませたいのですが……」
チナツが嘆息するも、既に事は起こってしまった。
ゲヘナ風紀委員会の部隊は、ゆっくりと、しかし確実に紫関ラーメン店の方へ進軍を開始する。
煙が立ち込める中、彼女たちの足音が瓦礫の上を踏みしめていた。
■
――アビドス自治区・紫関ラーメン店跡地
黒煙の立ち昇る街並みを、2つの影が走り抜けていく。
先を行く長身の男と、その後を必死に追いかける少女。
「はぁっ…はぁっ…」
(近いな…煙の匂いが濃くなってきた…!)
吉良とムツキは、爆発音のした方向へと全速力で走っていた。
ふたりの足音が、荒廃した通りに響く。街路灯が黒煙に霞み、異様な緊張感が辺りを支配していた。ムツキは焦燥を滲ませながらも無言で走り、吉良はその横顔を一瞥する。普段の飄々とした態度は影を潜め、彼女は真剣な表情をしていた。
(…くそッ…! まさか本当に爆破されたのかッ!?)
吉良の胸の中で、不快な焦りが渦巻く。爆発の規模、煙の広がり――直感的に、この襲撃が“ただの事故”などではないことを理解していた。
やがて、ふたりは視界の先に見えた光景に思わず足を止めた。
「う、嘘…」
ムツキの声が震える。
そこには――完全に崩れ落ちた紫関ラーメン店の残骸が広がっていた。
黒煙が空へと立ち昇り、建物の瓦礫が無残に散らばる。折れ曲がった鉄骨がむき出しになり、爆風によって吹き飛ばされた破片が周囲の地面を覆い尽くしていた。
吉良はその光景を見て、静かに息を飲んだ。
(…間に合わなかった、のか?)
胸の奥に重苦しいものが沈む。身体が自然と強張る。……そんな感覚、これまでの人生で味わったことがあっただろうか?
「……アルちゃん…カヨコちゃん…ハルカちゃん…!」
ムツキが、か細い声で仲間の名を呼ぶ。
その瞬間――
「…げほっ……いっ…生きてるわよ、こっちは……っ!」
「っ!!」
瓦礫の隙間から聞こえてきた、かすれた声。
吉良とムツキが振り向くと、そこには崩れた壁の下から這い出す影があった。
「うぅ…な、何これ!? 何が起きたの!?」
紅色の髪を振り乱しながら、アルが崩れた柱を払いのけ、姿を現した。着ているシャツは灰まみれでボロボロだったが、彼女の意識ははっきりしている。
「ゴホン、ゴホン…う、うぁぁ……」
「ケホッ……これは一体…?」
その直後、別の瓦礫がガラリと崩れ、カヨコとハルカも姿を現した。
「大将は…っ!」
「げほっ……何だってんだ、チクショウ……まぁ、全員バラバラにはなってねぇみてぇだな……」
ムツキが叫ぶ。すると、店の奥から柴大将が現れ、咳き込みながら手を振って無事を知らせた。
(彼女たちは無事か…しかし、先生の姿が見えない…!)
「先生は…先生は何処だ…!?」
焦燥に駆られた吉良の声が、黒煙の立ち込める空間に響く。
その時――
「あっ!吉良さん、ここ!」
(――ッ!)
ムツキの声に振り返ると――そこには、大きく崩れたコンクリートの瓦礫が転がっていた。
吉良の胸が、一瞬だけ強く締めつけられる。足が勝手に動き出した。
吉良は躊躇することなく、その場所へと駆け寄る。
瓦礫を慎重にどかしていくと、そこには気を失った先生の姿があった。
先生は目を閉じたまま、身動きひとつしていなかった。服は埃まみれで、額から赤い血が垂れてきている。首から掛けているシャーレの所属証には擦り傷が入っており…
その奥から緋色のロケットペンダントが微かに見えた。
「せ、せんせいの…血が……」
「ど、どうしよう…先生が……」
彼女たちの手が震え、全身から冷や汗が吹き出しているのが分かる。
「先生っ!? 大丈夫なのっ!!」
「これは…早く手当てしないと……!」
アルが駆け寄り、先生の体を揺さぶる。
カヨコが焦りながら応急処置の道具を探そうとする中――
「…わ、私のせいです……」
ハルカがぽつりと呟いた。
その瞳は血走っており、正しい判断が出来ていないように見える。
「え…ハルカちゃん?」
アルがハルカの異変に気付き、戸惑いの表情を浮かべる。
「私がお店に…爆弾なんて…つけたから……」
ハルカの顔から血の気が引いていく。
「せんせいが…しっ、死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死なないと……!」
彼女の独白は次第に速く、歪んでいく。頭を抱え、まるで自分自身を責めるかのように体を小刻みに震わせ始めた。
「ちょっと、ハルカ!? 落ち着いて!!」
アルが肩を掴んで揺さぶるが、ハルカの目は焦点が合っていない。彼女の耳には、誰の言葉も届いていないようだった。
「はぁ……こんな時に……」
カヨコがため息混じりに呟く。彼女の顔には困惑が浮かんでいるが、同時にどこか「またか」という諦めの色も見えた。
吉良はそんな彼女を一瞥すると、ゆっくりと先生の方へ歩み寄った。
(先生…死んでいるのか?)
その考えが、瞬時に吉良の脳裏をよぎる。無意識のうちに、彼の手が先生の首元に伸びた。
そして、静かに屈み込み――先生の手首に指を添えた。
脈を計る。
全員が固唾をのんで吉良を見つめる中、彼の表情が一瞬だけ強張った。
――だが。
「……気を失っているだけか。脈も正常……命に別状はない。」
その言葉が発せられた瞬間、場の空気が一気に緩んだ。
「っ……よ、よかった……」
アルが胸をなでおろし、ムツキも大きく息をついた。
そして――吉良本人も、その強張った表情から力が抜けた。
まるで、それが心からの安堵だったかのように――
「……ふう…」
静かに、吉良は先生の肩をそっと掴んだ。
(……何だ…この吉良吉影…ひょっとして今 この男の事を心配したのか?)
吉良は、先生の血を拭おうとポケットからハンカチを取り出しながら、自分の手の震えに気づく。
(…先生が無事だったことに…今 心からホッとしたのか…?何だ……この気持ちは……)
そんなはずはない。
自分は、誰かを心から気遣うような人間ではないはずだ。今までの記憶はないが…それでも、これまでの人生、他人のことなどどうでもよかったと思っているよーな…そんな気がする。自分の静かな生活を乱されることだけが何よりの苦痛で、他者と深く関わることなど必要ないと思っていた。
(それなのに……)
――この状況を見た時、明確に“動揺”した。
――先生の命が失われたと思った瞬間、“焦り”を感じた。
――そして今、無事だと分かった瞬間、“安堵”している。
「…フン、バカバカしいな……」
吉良は自嘲するように笑いながら、そっと先生を抱え上げた。その横顔には、ほんのわずかに安堵の色が滲んでいた。
「吉良さん…」
アルが戸惑いながら声をかける。吉良は冷静さを取り戻し、先生の体を持ち上げると静かに言った。
「とにかく、まずは安全な場所へ運ぶのが先決だろう。」
「そ、そうよね…」
「先生……!」
ムツキが駆け寄る。彼女の顔には、珍しく真剣な表情が浮かんでいた。
「よかった…ほんとに……」
吉良はそんなムツキの様子を見て、ふと目を細めた。
(…フン。こいつも、結局“一人の子供”か……)
だが、その表情には先ほどまでの敵意はなかった。ただ、静かに何かを見つめるような、そんなまなざしだった。
足元で、まだ崩れた建物の煙がくすぶっている。
吉良は先生の顔を見下ろしながら、確信する。
(どうやら……これは“始まり”に過ぎないようだな……)
吉良の静かな日常は、もう二度と戻らないかもしれない。
だが、それでも――今は、この目の前の命を守ることが先決だった。
■
――紫関ラーメン店跡地・瓦礫の前
黒煙がゆっくりと空へと昇る。倒壊した紫関ラーメン店の残骸は、さながら戦場のような惨状を作り上げていた。
瓦礫の隙間から覗く、鋭く光る瞳。
それは、これから始まる"報復"の火種に過ぎなかった――
「はぁ……ゲヘナの風紀委員がこっちに近づいてきてる。まさか、ここまで追ってくるなんてね……」
「いや、こんなタイミングだからこそ…!?」
鬼方カヨコが思案を巡らせながら、遠くの軍勢を睨む。
「ゲヘナの…風紀委員会……」
風紀委員会。ゲヘナ学園の治安維持を担う組織。その名を耳にした吉良は、無意識に口の中で転がしていた。
重苦しい空気がその場を支配する。
「うん…さっきの擲弾もアイツらの仕業で間違いないと思う。」
「ふ、風紀委員会ですって!? は、早く先生を連れてここから逃げるわよ!!」
風紀委員会の名前を聞いた途端、アルの顔色が変わる。まるで電流が走ったかのように、彼女の全身が緊張する。
(擲弾を撃ってきたのもソイツらの仕業……)
敵の正体を理解したと同時に、怒りが胸の奥から突き上げる。自分達を攻撃し、先生を傷つけた連中。あまつさえ、今こうして"追撃"に来たのだ。
「わっ私たち…い、いったいどうすればいいのでしょうか…?」
ハルカの声が震える。彼女の視線は地面に落ち、今にも潰れそうだった。
そんな彼女に、ムツキが振り返り――
「ん~? ハルカちゃん、私たちの先生をこ~んな目に合わせた奴らだよ~? そんなの……」
――ニヤリと笑い、だが次の瞬間、まるで獣が牙を剥くように、顔つきを豹変させた。
「ブッ殺すしかないよねぇッ!!」
数分前まで軽口を叩き、遊び半分で吉良と戯れていた少女は、今や完全な"敵意"の化身と化していた。まるで草原でおっとり寝ていた牛が、突如として虻を尻尾で"ピシッ"と叩き潰すように……その目には、凶暴な怒りと獰猛な本性が剥き出しになっていた。
「そ、そうですよね…先生のお体に傷をつけた償いを…グチャグチャにしてあげないと……ですよね!! アル様ッ!!」
ハルカが、まるで正気を失ったように歯を剥いて笑う。
「ッ!!……そうね、こんな状況で、こんな扱いをされておいて……背中を向けて逃げる?」
「……そんな三流の悪党みたいなこと、私たち便利屋がするわけないじゃない!!」
アルの瞳が鋭く光る。風紀委員会の軍勢を睨みつけながら、彼女はゆっくりと宣言した。
「はぁ…やっぱりこうなるよね……でも、先生のことは私も同意見かな。」
カヨコが軽くため息をつく。
その時だった。
「……先生が目を覚ましたぞ。」
吉良の低い声が、便利屋の戦意に燃える空気を一瞬にして変える。
全員の視線が、一斉に瓦礫の間に横たわる男へと向けられた。
先生は、ゆっくりと目を開けた。
"う、うぅ…"
「先生っ!!」
「先生っ!! だ、大丈夫なのっ!?」
アルとムツキが駆け寄り、涙混じりに声を上げる。
だが、額から流れる血は未だ止まっておらず、視界がまだ定まらない様子。顔色も青ざめている。
彼の声はかすれていたが、しっかりとした意識が戻っていることが分かった。
「……先生、動かない方がいい。出血がひどいぞ。」
先生の側にしゃがみ込み、冷静に言葉をかける吉良。
「っ、よかった…先生…!本当に……本当に良かった…!」
ハルカは涙をこぼしながら、震える手で口元を押さえた。
カヨコも安堵したように肩の力を抜いたが、その表情には未だ緊張が残っていた。
そして――
吉良は、顔色の悪い先生を見つめ、すぐに結論を出した。
「…これ以上は危険だ。今すぐ避難しよう。シェルターへ行くんだ。」
それが合理的な判断だった。風紀委員会の軍勢は目前に迫っている。いくら便利屋68が強かろうとも、多勢に無勢。この場に留まる理由はない。先生の怪我も深刻であり、長く持つとは思えない。もし、ここで戦闘に突入すれば、自分たちが命を落とす可能性もある。
しかし――
先生は、薄く笑って首を横に振った。
"……生徒たちを置いて逃げるなんて、できるわけないよ。"
吉良の眉がわずかに動く。
「なぜ…そこまでするのだ…ッ!?」
吉良は思わず問いかける。
彼は"理解"できなかった。
なぜ、ここまで血を流し、息も絶え絶えになりながら、それでも生徒たちを守ろうとするのか。
問いかける吉良に、先生はゆっくりと目を向ける。
"私は…先生だからね。"
淡々とした口調。
だが、その言葉には揺るぎない決意が込められていた。
先生は額から血を流しながらも、生徒たちの方を見つめ、静かに続ける。
"生徒を置いて、大人の私が先に逃げるなんて……そんなこと、絶対にだめだ。"
吉良はその言葉を聞き、無意識に拳を握りしめた。
(先生だから? それが理由で、この男は自分の命すら顧みず、生徒を優先すると言うのか……?)
吉良には理解できなかった。
自分が最優先。それが吉良吉影の信念だ。
他人のために自分を危険に晒すなど、到底考えられない。
だが――
先生の言葉には、迷いがなかった。
吉良の目に映る先生の瞳は、まるで聖人のように澄んでいた。
そこには打算も、恐れも、葛藤すらない。
(どうして…こんなにも純粋に、他人を第一に考えられる……?)
それは、吉良が今まで見てきた人間とは あまりにも違う存在 だった。
この世に "善" などというものが本当に存在するとしたら、今、自分の目の前にいるこの男は、その化身のように思えた。
その事実に、吉良は心の奥底で動揺していた。
(…くだらんな……そんなものは…ただの幻想のはずだ…)
そう思いたかった。
だが――
先生の力強いまなざしを前にすると、その考えすら揺らぎそうになる。
吉良は "理解できないもの" に出会った時の不快感を覚えた。
しかし同時に、それが妙に 心に引っかかる感覚 もあった。
「…………」
吉良は先生の視線から目を逸らすように、静かに息を吐いた。
(わたしは…何を考えている?)
この吉良吉影にとって、己の安寧こそが最優先だったはずだ。
それなのに――
「……先生、一人で歩けるか?」
吉良は 無意識に そう問いかけていた。
"うん、ちょっとフラつくけど……"
先生は少し笑いながら、試しに立ち上がろうとした。
だが、すぐに足が揺れ、バランスを崩しそうになる。出血のせいで、明らかに体が限界を迎えていたのだった。
吉良は一瞬、躊躇した。
だが、気づけばその肩に、先生の腕を回していた。
「……肩を貸そう。」
静かな声だった。
吉良は、なぜ自分がこの行動をとっているのか分からなかった。
平穏な生活を過ごすことだけを考えるのが、この"吉良吉影"の生き方のはずだ。
――なのに。
柴大将をシェルターへ避難させる手筈を整えた後も、彼は先生の肩を支え、ここに立ち続けていた。
"同情"ではなかった。
"哀れみ"でもなかった。
(……これは、何だ?)
ぼろぼろになりながら、それでも立ち上がる男の背を見て――
彼の心の奥に、ほんの僅かな"違和感"が生まれた。
――その正体が、彼自身にも分からなかったとしても。
■
――道路を挟んで、対峙する二つの軍勢。
吉良の肩を借りながらも、先生はまっすぐに前を見据えていた。
アル、ムツキ、カヨコ、ハルカ。
便利屋68のメンバーが、彼の隣に立つ。
向かい側には、ゲヘナ学園・風紀委員会の軍勢。
誰が見ても、戦力の差は圧倒的だった。
それでも――
「……ふふっ」
静寂を破ったのは、陸八魔アルの微かな笑い声だった。
「ふふっ、ふふふふっ…」
彼女の肩が震え、目を細め、喉の奥から愉悦が漏れ出す。
この絶望的な状況の中、まるで全てが"楽しくて仕方ない"かのように、彼女は笑っていた。
「……社長?」
カヨコが訝しむように視線を向ける。
「……ねぇカヨコ、あなたはもうとっくに私の性格、分かっているんじゃなくて?」
「……?」
「先生のことを傷つけたあの風紀委員会をコテンパンにしてやるって考えると――笑いが止まらないのよ。」
「アル様……」
「くふふ♪」
ムツキがそれに続くように口角を吊り上げ、唇を噛む。
「ふぅ……それは良いけど、あの兵力と真っ向から戦う気?私たちだけじゃ厳しいと思うよ。」
カヨコが現実的な懸念を口にする。しかし、アルの表情は微動だにしなかった。
そして――
「ふふ…コッチには先生がいるのよ?」
アルは振り向き、吉良に肩を貸されながらも必死に立ち続ける"先生"の姿を見つめた。
「負けるわけがないじゃないっ!」
まるで、それがこの場における絶対の真理であるかのように、彼女は断言する。
吉良の眉が僅かに動いた。
(……コイツは、何を言っているんだ?)
冷静に考えれば、傷を負い、出血している人間など戦力にはならない。むしろ、この場にいることで足手まといになる可能性の方が高いはずだ。
だが、アルの瞳には微塵の迷いもなかった。彼女は本気で「先生がいるなら勝てる」と信じている。
(まるで子供みたいな発想だな……)
吉良はそう思った。
しかし、同時に――
信じることに何の躊躇いもない、揺るぎない眼差し。
それは、この吉良吉影が一度たりとも持ったことのない感情の輝きだった。
「……」
隣で支えられている先生は、一瞬驚いたようにアルを見つめ、すぐに微笑んだ。
"……ありがとう、アル。"
弱々しく、それでいて確かな温かみを持った声だった。
アルの言葉が、先生にとってどれほどの力になったのか――吉良には分からなかった。
ただ、一つだけ確信できるのは、彼の中で何かが"理解不能な形"でざわついていることだった。
(バカバカしい……わたしには関係のない話だ。)
吉良は静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
だが、妙なことに――
彼は、そのアルの言葉に否定的な言葉を投げることはしなかった。
そして、先生はそのまま前を向き、静かに頷いた。
"みんな、いくよ!!"
その言葉とともに、先生は懐から一枚のタブレットを取り出した。
画面が青白く発光し、砕けた瓦礫に反射する。その光は、戦火に包まれたこの場所にはあまりに不釣り合いで――しかし、どこか希望を感じさせるものだった。
まるで暗闇の中に差し込む、一筋の光のように。
戦場において、"正しさ"などというものがどこにあるかは分からない。
――それでも、その光だけは、確かに未来へ続く道を照らしているように見えた。
■
――ゲヘナ学園風紀委員会の軍勢
チナツがイオリの隣に歩み寄り、冷静に報告する。
「便利屋68、臨戦態勢に突入しました。」
「はぁ、面倒だな…たかが4人で。 こっちは一個中隊級の兵力なのに。」
イオリは眉をひそめる。
「……だけど、売られた喧嘩を買わないなんてことは、風紀委員会としてできない。」
彼女は指を鳴らし、鋭く命令を飛ばした。
「総員、戦闘準備!」
鋼鉄のような号令が響く。風紀委員会の兵士たちが、一斉に銃を構え、臨戦態勢へと入る。
しかし、その時――
「ち、ちょっと待ってください。イオリ。」
チナツがモニターを見つめたまま、鋭い声を上げた。
「ん?」
「便利屋68側に民間人が2人ほど映りました。確認中ですのでお待ちください。」
「……えっ!?」
僅かにチナツの表情が変わる。
「ちょ、ちょっと待ってください……この方は……まさか……」
チナツの指が震えながら、画面に映る一人の男性を指し示す。
血に染まった額。
白衣の裾が土埃に汚れ、息を切らしながら、それでも肩を貸され立っている男。
「……シャーレの先生!?」
その瞬間、イオリの目が鋭く光る。
「ん? シャーレ? なんだそれ?」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
チナツが焦った様子でイオリの腕を掴んだ。
「シャーレの先生があっちにいるとしたら……」
「この戦闘、行ってはいけません!」
「……どういうことだ?」
――戦端は今
イオリの無線機が、微かにノイズを含んで唸った。
「便利屋68、こっちに接近中。発砲します。」
その瞬間――
(タタタタタターン!!)
風紀委員会側が、先に弾幕を張った。
「ちっ……仕方ない。行くぞ!」
イオリは担いでいた愛銃『クラックショット』を構え、前線の兵士たちが突撃体制に入る。
吉良は、肩を貸している先生を横目に、静かに目を細める。
「……ふん。」
血にまみれながら、それでも立ち上がる男。
自分の傷を顧みず、生徒たちを守るためにその身を賭ける先生。
吉良吉影には理解できなかった。
なぜ、この男はここまでして、生徒たちのために戦おうとするのか。
(だが……)
戦いの火蓋は、既に切って落とされた。
静かな緊張の中――戦いの幕が、今、上がる。
■
戦火の狼煙が上がる。
崩れた建物の残骸が舞い上がる砂埃の向こう、銃を構えた風紀委員会の兵士たちが、静かに間合いを詰めてくる。
そして、それに対峙する便利屋68の生徒たち。
互いに睨み合う中、先生の声が響いた。
"ムツキは11時の方向のコーヒー看板を狙って5発射撃!!"
「くふふ♪ まかせてねっ先生!」
ムツキはまるでゲームでも楽しむかのように、機関銃『トリックオアトリック』を構えた。
「なっ!? 先生、そこには誰も――」
吉良が言い終えるよりも早く、ムツキは先生の言った方角へ、ためらいもなく発砲する。
マズルフラッシュが網膜を焼き、放たれた銃弾が空気を穿つ。
――同時に、敵の一人がその場所に向かって移動した。
「あがっ!?」
着弾。まるで吸い寄せられるかのように、風紀委員会の生徒のこめかみに弾丸が命中した。
「これは……」
(偶然……?いや、違うな。)
吉良は、先生のタブレットの画面に目を向けた。そこには、無数の線が交差する奇妙な"軌跡"のようなものが映し出されていた…
"ハルカは14時の方向の方へ弾幕を貼りつつ、前進っ!!"
「う、撃ちますっ!!」
先生の指示が飛ぶ。
ハルカが銃を構えるのと同時、14時の方向から多数の風紀委員が姿を現す…しかし、相対したと判断する時間もなく彼女たちに降り注ぐのは鉛玉のゲリラ豪雨……ハルカのショットガン『ブローアウェイ』が火を吹き、便利屋68の盾として身を張る。
「う、うわぁぁああああああ!!!」
「クソッ!!覚悟しろッ!規則違反者どもめぇぇぇええええ!!!」
しかし、風紀委員会も負けるわけにはいかない。前衛にて体を張るハルカに対し、風紀委員会も負けじと反撃を試みる。数による暴力、風紀委員の生徒たちの一斉射撃が轟く。ハルカの体を弾丸の雨が貫く。
が――
「な、なんなんだよ…なんでこんなに撃っても倒れないんだッ!?」
鉛玉の雨を受けてもなお、ハルカが倒れることは無い。ハルカの頑丈な肉体は便利屋68のみんなを、そして先生を守るために、より強固な肉壁として風紀委員会へと立ちふさがった。
"アルは12時の方向、175m先スポーツジムの建物2階、右から2個目の窓にいる狙撃兵をお願い!!"
「ふふん、任せなさいっ!!」
「なっ!? こんなに早く場所がばれ――」
アルの構える狙撃銃『ワインレッド・アドマイアー』の鋭く精密な射撃が轟く、狙撃ポイントを変える隙も与えることなく、まるで一瞬の出来事のようにアルの精密射撃が敵の隠れた狙撃ポイントを潰した。
"カヨコは、10時の方向のトラック。その後ろに隠れている子をお願いっ!"
「分かった…任せて。」
「うわっ!? な、なんで分かったのっ!?」
バレないだろうと完全に油断していたのか、自分の視界に突如として現れたカヨコに風紀委員会の生徒が動揺する。
「悪いけど、少し寝ててもらう…よっ!!。」
「ちっちょっと、待って――」
カヨコの蹴りが彼女の腹に突き刺さる。
「うぐ…っ!!」
地面に伏せた彼女が最後に見たのは、彼女の整った顔だちと…そして彼女の拳銃『デモンズロア』の砲身が火を吹く瞬間であった。
「ちっ!…なんなんだ…こいつら、さっきから私たちの動きを予想してるみたいで…」
風紀委員会の切り込み隊長、銀鏡イオリは歯を食いしばった。
彼女は余りにも自分たちの部隊が便利屋68に翻弄されていることに焦りを感じていたのだった。彼女たちとは以前も戦闘を行ったことがあったが…ここまでの動きをするような連中ではなかったことは確かであった。
(……来るッ!)
「ゲヘナ風紀委員会のスナイパーを…舐めるなっ!!」
彼女の狙撃銃『クラックショット』がムツキを捉える。イオリは弾丸に彼女の『神秘』を込め、3発、連続で射撃する。砲身から発射された銃弾が空気を穿つ。
銃弾は音を置き去りにし、ムツキへと一直線へ
――しかし。
"ムツキっ!!"
「了解だよっ!!」
先生の持つタブレットが青白く発光し、戦場に瞬く光を灯す。
彼の言葉になにを感じ取ったのか…いや、彼の持つ"タブレット"に何をされたのか…?
まるで弾道を予測していたかのように、ムツキは最小限の動きで弾丸を回避し、イオリの懐へと飛び込んだ。
「な、なにを…どうやって…」
ムツキの『トリックオアトリック』がイオリの顔を捉え、トリガーが引かれる。すべてがスローモーションのように感じるようなこの刹那、イオリは理解した。
(こいつらの動き……私たちの"先"を読んでいる……!!)
「き…きもちわるい…ッ!!」
■
先生が指揮を取り始めてから、吉良は"異変"に気付いていた。
敵の動き、狙撃ポイント、戦術の全てを掌握し、便利屋68を完璧に動かしている。
まるで【動きの『軌跡』が…『未来への動きの軌跡』が読めている】とでもいうのだろうのか……
(普通の指揮じゃあ…こんなことはありえないハズだ……これは――)
「先生っ!!危ないっ!!」
――刹那、カヨコの叫び声と同時に、吉良は視線を向ける。
流れ弾が――吉良と先生に向かっていた。
「な…ッ!?」
(避けるか…?いや、目と鼻の先。だめだ。避けられない……!)
目に映る――すべてが――スローモーションのように――見える。
(ここで…死ぬのか……?)
その瞬間――
"□□□っ!!防御をお願いっ!!"
『□□□□□□、□□。』
先生のタブレットが発光すると同時に、周囲に"不可視の防壁"が展開された。
「なッ――!?」
銃弾が不自然な軌道を描き、まるで何かに弾かれるように逸れ、後方へと消えていく。
(……何だ、今のは?)
先生のタブレットから放たれた、"攻撃を通すことのない、絶対防御の盾"。
いや、それは"盾"という概念すら超越しているだろう。
"攻撃という事象そのものを捻じ曲げる力"。
(ま、まるで…"奇跡"だな。)
今までの自分ならそんなものはくだらないと一笑に付していただろうと思った。
だが、今――この場で起こったことを、"奇跡"としか表現できないのだから仕方がない。
そうとしか──説明ができない。
(……これが"シャーレの先生"か。)
銃撃戦の中、先生の青白いタブレットの光が、戦場の未来を照らし続けていた。
■
煙と硝煙の匂いが立ち込める戦場に、沈黙が訪れた。
勝者は――便利屋68。
崩れた瓦礫の上に立つムツキが、勝ち誇ったように息を吐き、風紀委員会の部隊を見下ろしていた。
「ふふっ…ふふふっ♪…あーあ、やっちゃったね。」
風紀委員会の生徒たちは無残に倒れ、動ける者たちも武器を手放し、完全に戦意を喪失していた。
そして、その中で立ち上がる二人の少女。
銀鏡イオリと、火宮チナツ。
「……久しぶり、チナツ。」
先生が、血を滲ませた額を拭いながら、静かに呟いた。
「先生…こんな形でお目にかかるとは…」
チナツは息を整えながら、表情を曇らせた。
「先生がそこにいらっしゃることを知った瞬間、勝ち目はないと判断して後退するべきでした…私たちの失策です。」
イオリは悔しげに奥歯を噛み締める。
吉良は、黙って先生の横顔を盗み見た。
(先生…君は――)
しかし、吉良が思考を巡らせるよりも先に、遠くから足音が響いた。
「先生っ!! みんなっ!! 無事なのっ!?」
アビドス対策委員会の生徒たちだった。
風紀委員会との戦闘の影響で巻き上げられた砂埃の向こうから、セリカ、ノノミ、アヤネ、そしてシロコが駆け寄ってくる。
「紫関ラーメンが襲撃されたって聞いて…!!」
彼女たちは駆けつけるなり、目の前の惨状に息を呑んだ。
倒れ伏す風紀委員会の生徒たち。そして、便利屋68の4人。そして、額から血を流しながら立っている先生。
「先…生…!?」
シロコが、先生の負傷した姿を見て目を見開く。
そして、その表情が、一瞬にして怒りへと変わった。
「先生を…襲ったのは、そこの風紀委員会なの…?」
鋭い声が響いた。
「あ、いや……その……」
チナツが言葉を濁すが、セリカがその言葉を遮るように前へと進み出る。
「ふざけないでよ!! アンタたちが何しに来たのかなんて知らないけど、先生にまで手を出すなんて…どういうつもりよ!!」
彼女の声には明らかな怒りが滲んでいた。
緊張感漂う空気の中、アヤネも唇を噛み締めながら言葉を絞り出す。
『アビドス対策委員会の奥空アヤネです。所属をお願いします。』
「……フン、私たちはゲヘナの――」
イオリが口を開き、話し始める刹那。
『それは私から答えさせていただきます。』
突如、彼女の言葉を遮るようにホログラムが起動した。
青白い光の中から現れたのは――
水色の髪に、手枷やカウベルをつけた少女。
そして、何よりも――"横乳"が丸見えになった大胆な服装。
「アコちゃん……?」
「アコ行政官…?」
イオリとチナツが驚愕の表情を浮かべた。
ホログラムの少女は、余裕のある微笑みを浮かべ、静かに名乗る。
『こんにちは、アビドスの皆様。私はゲヘナ学園所属の行政官、アコと申します。』
彼女はゆっくりと周囲を見渡した後、落ち着いた声で続けた。
『今の状況について少し説明させていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか?』
■
硝煙の匂いが立ち込める中、戦闘の余韻が残る紫関ラーメンの跡地。
便利屋68の面々が息を整え、風紀委員会の生徒たちは敗北の事実に押し黙る。
そんな中、一人の少女――天雨アコのホログラムが青白い光を放ちながら、沈黙を切り裂いた。
『先ほどまでの愚行は、私の方から謝罪させていただきます。』
「なっ!? 私は命令通りにやったんだけど!! アコちゃん!?」
アコの言葉に納得がいかず、イオリが食って掛かる。
『命令に、「まずは無差別に建物を破壊せよ」なんて言葉が含まれていましたか?』
「い、いや…状況を鑑みて必要な範囲で火力支援、その後に歩兵の投入……戦術の基本通りにって…」
『ましてや他の学園自治区の付近なのですから、きちんとその辺りは注意するのが当然でしょう?』
「その…ごめん……」
『反省文のテンプレートは私の机の、左の引き出しにあります。ご存じですよね?』
「……はい。」
イオリは小さくうなずき、しぶしぶ応える。アコの張り付けたような微笑みには、逆らえない圧があった。
『…失礼しました、対策委員会のみなさん。』
アコが優雅に頭を下げる。
『私たちゲヘナの風紀委員会はあくまで、私たちの学園の校則違反をした方々を逮捕するために来ました。…風紀委員会としての活動に、ご協力をお願いできませんか?』
『あまり望ましくない出来事もありましたが、まだ違法行為とは言いきれないでしょうし……やむを得なかったということでご理解いただけますと幸いで――』
だが、その言葉が終わる前に――
『そうはいきません!』
『あらっ……?』
アヤネが鋭く反発した。その瞳には、怒りと不信が宿っていた。
「他の学校が別の学校の敷地内で、堂々と勝手に戦闘行為をするなんて!自治権の観点からして、明確な違反です!」
「まさか、ゲヘナほどの大きな学園がこんな暴挙に出るとは思ってもみませんでしたが、ここは譲れません!!」
アヤネの剣幕に、アコは微かに表情を曇らせた。
『……ふう、この兵力を前にしてもひるまないだなんて…』
『これだけ自信に満ちているのは…やはり、信頼できる大人の方がいるからでしょうか?』
彼女の視線が、先生へと向けられる。
『…シャーレの先生。あなたも、対策委員会と同じご意見ですか?』
先生は額の血を軽く拭い、苦笑しながら肩をすくめた。
"ちょっとバカかもだけど、バカな子ほど可愛いってね。"
その瞬間、先生の背後で アルがピタリと動きを止めた。
「……………へ?」
アルは一瞬、何を言われたのか理解できなかったようだ。
が、次の瞬間――
「ばっ…!? ばばばばバカって……えええええぇぇぇぇぇッ!?」
顔を真っ赤にして、信じられないという表情を浮かべたまま、白目を剥きかける。
目をぐるぐると回しながら、膝がカクカクと震え、その場に崩れ落ちそうになっていた。
「アルちゃん、顔真っ赤~♪ くふふっ♪」
そんな彼女の様子を ムツキがニヤニヤと眺めながら、悪戯っぽく笑う。
まるで、先生がアルに向けて放った言葉を何度も頭の中で反芻し、その反応を楽しんでいるようだった。
「くふふっ♪ 先生に『可愛い』って言われてるのに、なんでそんなにショック受けてるの~?」
「ち、ちがっ…!! そ、そもそもその前にバカって言ったでしょ!? ねぇ、カヨコ!? 私、バカじゃないよね!? ねぇ!!」
「……私は何も言ってないけど?」
カヨコは呆れ顔で肩をすくめる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
アルはショックのあまり、頭を抱えて崩れ落ちる。
吉良はそのやり取りを冷めた目で見ていた。
(……まったく、茶番か。)
この緊迫した状況の中で、こうもコロコロと雰囲気を変えられるこの少女たちは、ある意味で 本物の"化け物"なのかもしれない。
しかし――
(……いや、だからこそか。)
吉良の脳裏に、さっきの戦闘での 彼女たちの結束 が蘇る。
何かに熱くなれること。
何かを信じることができること。
そういう感情こそが、彼女たちを強くしているのかもしれない。
(この吉良吉影には…理解出来ないな。)
「くふふ♪ ねぇ先生、アルちゃんのこと、もっとバカって言ってあげてよ~♪」
"ううん、もう言わないよ。"
ムツキの楽しげな笑い声が響く中、アルはまだショックから立ち直れていなかった。
だが、そんな空気を一変させたのは――
「…ともかく、先生は怪我した。あなたたちが撃った擲弾で…絶対に許せない。」
シロコの低い声だった。
ピリ、と場の空気が再び引き締まる。
「…正直言って、便利屋よりもアンタたちの方に用があるのよ。」
「そうですね、彼女たちの背後にいる方の正体もまだ分かっていませんし。先にお話を聞かせてもらいませんと。」
便利屋68の面々が風紀委員会へと向き直る。
その鋭い視線に、アコの笑顔は微かに歪んだ。
「そういうわけで、交渉は決裂です!ゲヘナの風紀委員会、あなた方に退去を要求します!!」
アヤネが強く言い放つ。
対策委員会の生徒たちもまた、先生を傷つけた敵に怒りを燃やしていた。
アコはゆっくりと目を閉じ、深いため息をつく。
『これは困りましたね……うーん…こうなったら仕方ありません。本当は穏便に済ませたかったのですが……』
その時――
「嘘をつかないで、天雨アコ。」
場を切り裂くような声が響いた。
アコが微かに眉を動かし、視線を向けると、そこには鬼方カヨコの冷静な瞳があった。
『あらっ?』
「偶然なんかじゃないでしょ。最初からあんたが狙ってたのは、この状況だった。」
カヨコの目が細く鋭く光る。探偵が推理の糸を手繰るように、静かに、しかし確信を持って言葉を紡ぐ。
『……面白い話をしますね、カヨコさん?』
「…最初はどうして風紀委員会がここに現れたのか、理解できなかった。風紀委員会が他の自治区まで追ってくる理由、それも私たちを狙って?」
「こんな非効率的な運用、風紀委員長のいつものやり方じゃない。だからアコ、これはあんたの独断的な行動に違いない。」
アコの表情は変わらない。だが、首筋を伝う汗が、その内心を如実に語っていた。
「それに、私たちを相手するにしてはあまりにも多すぎるこの兵力。他の集団との戦闘を想定していたとすれば、説明がつく。」
「とはいえ、このアビドスは全校生徒集めても5人しかいない……なら結論は一つ。」
「アコ、あんたの目的はシャーレ。最初から、先生を狙ってここまで来たんだ。」
静寂。
風が吹き抜け、瓦礫の中で崩れた鉄骨がカラカラと音を立てた。
アコの張り付いた笑顔が、微かに歪んだ。
『……』
吉良はそのやり取りを静かに見つめていた。
彼は自身の安全のため、この混乱に巻き込まれるつもりはなかった。
しかし――
("先生を狙っていた"…か。)
それが吉良にとって、なぜか妙に引っかかる言葉だった。
何故、この"先生"という男はこれほどまでに多くの者の関心を集めるのか。
吉良は己の中に芽生えた疑問を振り払い、ただ静かに次の展開を見守ることにした。
静寂の中で、風だけが紫関ラーメン跡地に吹き抜けていた――