朝、目が覚めると、小さな部屋の天井が目に入った。
「……うん、もう朝か」
チルチャックはそう呟き、布団の中で伸びをする。寝床の上で背筋をぐうっと伸ばすと、背骨がコキリと心地よい音を立てた。
すっかり身体に染みついた早起きの習慣は、冒険を終えた今も変わらず彼を叩き起こす。
けれど今日は――仕事がない。
娘のメイジャックが、すべてを引き受けてくれている。鍵の仕入れも、修理も、店番も。
「たまには休んでよ、父さん」
そう言って笑った娘の顔を思い出し、チルチャックはふっと笑った。あの子も、もう立派に一人前だ。
とはいえ、やることがないのも困りものだった。しばらくぼんやりと天井を見つめた後、彼は起き上がり、ゆっくりと身支度を整える。
パン屋で焼きたてのパンを買い、温かい香りを胸いっぱいに吸い込みながら、いつもの通りを歩く。
この町も、ずいぶん変わった。メリニの支援が入ってからというもの、道は広く整備され、建物の色合いも明るくなった。何より、ハーフフットへの偏見が目に見えて減った気がする。
それは――
「……ライオスのおかげだな」
口の中で小さく呟き、パンを一口かじる。バターの香りが口いっぱいに広がった。
冒険を終えた仲間たちは、まるで別人のように立派になっていった。ライオスは国王に、マルシルは王宮魔術師の顧問に、センシは城の厨房で重宝され、ファリンは子どもたちの教育に携わっている。
自分だけが、この町で変わらぬ日常を生きている。
「ま、俺には似合わないしな。王宮暮らしなんて」
鼻を鳴らしながら、チルチャックは町の外れにある広場へと足を向ける。そこには小さな丘があり、春になると野の花が一面に咲き誇る。
今も、風に揺れて白や黄色の花びらがふわふわと舞っていた。
丘の中腹に腰を下ろし、ポケットから小さなパイプを取り出す。火をつけて一服。鼻腔をくすぐる草の匂いに、彼は目を細める。
「……昔のこと、思い出すな」
迷宮を歩いた日々。死にかけて、笑って、喧嘩して、泣いた日々。
あの頃は、「これが終わったら何が残るんだ?」なんて思っていた。
でも今は――こうして、静かな朝を味わえる。
「悪くないじゃないか」
パイプの煙が空に昇っていく。春の風が彼の背をそっと撫でた。花の匂い、草の音、遠くで子どもたちの笑い声。何気ない風景の中に、確かな幸せがあった。
「……さーて、そろそろ帰るかね」
立ち上がりかけたその時だった。
「いたぞー! チルチャック!!」
突然響いた、バカでかい声。驚いて振り向くと、丘の上に現れたのは――
「……ライオス!? 何してんだお前は!!」
目立つ薄茶色の髪に恰幅のいい体格。その懐かしい姿に、思わず声を上げてしまう。
「迎えに来たんだよ! 今日はお前をさらってやろうと思ってな!」
ライオスの後ろから、マルシルとセンシも姿を現した。マルシルは相変わらず風に舞う長い髪を三つ編みにしており、センシは巨大な籠を背負っている。中身はきっと、彼自慢の燻製や野菜だろう。
「……ああもう、何だってんだ、せっかくの休日に」
呆れながらも、口元が緩む。心のどこかで、こうなる予感がしていた気もする。
「いいじゃない。全員、今日だけは時間が空いたんだから! 久しぶりね、チルチャック!」
マルシルの笑顔は、昔と変わらぬ明るさを湛えていた。耳にかけた三つ編みが、懐かしい旅の記憶を呼び起こす。
「ちょっと顔を見に来ただけだ。すぐ帰るさ」
ライオスは言いながら腰に手を当て、得意げに笑った。その姿は、国王になった今でもまるで変わらない。
「……ほんっと、懲りねえやつらだなあ」
チルチャックは深いため息をつきながら、ふと目を細める。
「……ま、仕方ねえな」
彼はパイプを口から外し、腰の道具袋をぽんと叩いた。
「ちょいと待ってな。いい酒を一本、家に取りに行こう。昔みたいに、飲むのも悪くない」
「やったー!」とマルシルがぱっと表情を明るくする。ライオスは「おお!」と歓声を上げ、センシは「では私も、特別な燻製肉を」と低く呟いた。
そして――彼らは並んで町を歩いていく。
もう誰も、彼らを「奇妙なパーティ」だなんて言わない。それぞれの道を歩んだあとも、こうして時々、交わる。
それが――仲間というものだ。