世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第10話:絶望するなら希望なんていらない件

 

 天羽は死王女と交戦を開始し――10分も経過しないうちに自身の実力不足を思い知らされた。

 

 数えるのも億劫になる数の銃弾を放ち、目にも止まらぬ動きで剣戟を浴びせ、秘術を出し惜しみせず活用する。

 数多の悪魔たちを葬り去って来た彼女の戦闘能力はしかし――十六夜唯を乗っ取った悪魔に対して無力であった。

 

『ハハハハハ! なんじゃ、蝿のように動き回るだけか? 芸がないのぉ』

 

 悪魔は不動であった。その場から動かず、天羽の銃弾を溢れ出す黒い魔力の衣で打ち払い、振るわれた斬撃もまた衣で受け止める。

 天羽が何をしようと、悪魔はただそこに()()()()()()()だった。

 それだけで、全ての攻撃が無意味になった。

 

「ッ……!」

 

 天羽はすぐに悟った。

 この戦いに、勝ち目はない。

 

 それどころか、まともに戦うことすら許されていない。

 

 悪魔の振る舞いは、まるで纏わりつく子供を適当にあしらう大人のようだった。

 その眼には、戦いの熱も、敵意すらもない。

 ただ、暇つぶしのように。

 ただ、遊び相手を与えられたかのように。

 

 圧倒的な隔絶。

 力の差という言葉では到底足りない、存在の差。

 

 だが――。

 

 それでも、天羽璃奈は足を止めなかった。

 

「ッ! まだよ!!」

 

 負けると分かっていても、やることはある。

 この悪魔はまだ本気を出していない。

 まだやる気になっていない。

 

 ならば、それでいい。

 

 悪魔をここに足止めするだけでも意味はある。

 最悪なのは、この怪物が本気になって現世へ飛び出すことだ。

 

 それだけは、絶対に阻止しなくてはならない。

 

 ――しかし。

 

 悪魔とは、気分屋で。

 

『飽きたな』

 

 ――飽き性である。

 

 その呟きが、戦場の温度を一瞬で変えた。

 

『貴様の芸はもう見飽きた。そろそろ動くとするかのぉ』

 

 冷ややかな宣告。

 天羽の背筋が凍る。

 

 死王女が動く――その意味を理解した瞬間、彼女は即座に身構えた。

 何をされても対応できるように、全力で構えを取る。

 

 魔力の耐性を限界まで引き上げ、身体を強化し、銃口を正面に向ける。

 

 そして、次の瞬間。

 十六夜唯の身体が、一歩を踏み出した。

 

 ――直感が叫んだ。

 

「ッ――!!!」

 

 天羽は両腕をクロスし、全力でガードの構えを取る。

 

『良い勘じゃ』

 

 不遜な声が響いた、その刹那――

 

 ――両腕に、悪魔の右脚が突き刺さる。

 

 衝撃。

 

 防御など、意味を成さなかった。

 天羽の身体は、まるで紙くずのように吹き飛ばされた。

 

 弾き飛ばされのではない。

 打ち出されたのだ。

 

 まるで、バットで思い切り叩き飛ばされたボールのように――。

 

「ぐぅ……!」

 

 現実世界のコピーとして形作られた病院内の壁を幾つも突き破り、どこまでも吹き飛ばされていく。

 このままでは身体が壊れる。

 天羽は少しだけ威力が減衰した瞬間を見計らって拳銃に取り付けられた刃を地面に突き立てた。

 ガリガリガリッ!――と床に切り傷を刻みながら、吹き飛ばされた天羽の身体はようやく止まった。

 

(なんて力なの――⁉)

 

 幸いにも強化したおかげで罅は入っていないようだが、それでも痛みで痺れている両腕を見て天羽は驚愕する。

 魔力は使い方によって如何様にでもその在り方を変える。その力を世界のルールを――概念を変えることに用いるものもいれば、単純な力を増すことに使う者もいるが――

 

(単純な身体強化でこの威力。魔力の総量の桁が違う……!)

 

『うーむ、加減が難しいの。全力ではなかったが、やり過ぎると唯の身体を壊してしまう。人間の身体のなんと脆いことか……』

 

 天羽の視線の先では、悪魔が何かの感触を確かめるようにプラプラと脚を動かしながらブツブツと独り言を呟いていた。

 残念ながら距離が開きすぎているため、天羽がその独り言を聞き取ることは出来なかったが、もし聞いていれば驚きで自身の耳を疑っていただろう。

――悪魔が、依り代である人間の身体のことを気に掛けているという異常事態に。

 

『霊力を取り込めれば階位も上がるのじゃろうが、今は唯に負担を掛けるだけじゃな。よし、体術はヤメじゃ。ここはワシらしく――死王女らしく、いこうかの』

 

 現世に降臨したモルヴェリアは強烈な肉体による破壊衝動に飢えていたが、十六夜唯の身体の為だけにその欲求を抑え込み――代わりに、自身の権能を使って暴れることを決めた。

 

 スッ――。

 

 白く、美しい十六夜唯の人差し指が、ゆるやかに持ち上がる。

 その指先が、遥か遠方へと吹き飛ばされた天羽璃奈を正確に捉えた。

 

 その瞬間――

 

 悪寒。

 

 肌が粟立つ。喉が焼ける。心臓が掴まれたように冷たくなる。

 まるで、()()()()()()()()かのような錯覚。

 

 デッドアラート。

 

 脳が、本能が、五感のすべてが最大級の警報を鳴らす。

 ここにいてはいけない

 即座に離れろ

 絶対に――死ぬ!!

 

 緊急事態。

 

 天羽は思考する間もなく、全身を爆発的に駆動させた。

 

「――ッ!!!」

 

 何を考えるより先に、反射で地面を蹴る。

 身体が悲鳴を上げようと無視して、とにかくそこにいることを拒絶する。

 

死王女の指先(モル・ヴェス)

 

 ――現世に降臨した死王女の指先から“死”が放たれた。

 

 死王女モルヴェリア。

 彼女の権能はその名の通り、“死”を司る。

 

 全盛期の彼女はその指を向けるだけでありとあらゆるものを死滅させていた。

 人間の命も、悪魔の命も、神の命も関係ない。

 彼女に目を付けられたものから死んでいく。

 

 さらにこの能力の恐ろしいところは、無機物にも作用するという点だ。

 彼女が“死”を願えば、剣が腐り落ちる。銃が分解される。槍が折れる。

 

 故に、彼女は指先で全て死滅させる死の化身として魔界に君臨していた。

 

「ッ!」

 

 天羽の判断は正しかった。彼女が先程までいた場所に可視化された“死”が着弾する。あれに当たっていれば、間違いなく彼女の肉体は消滅していただろう。

 その権能は“死”そのものであるが故に、防御することも許されない。

 

 防御不能な死の権能(通称、アバダケ○ブラ)によるゴリ押し。

 傲岸不遜な性格。

 どこかの誰かと一致している特徴から、原作ファンたちは彼女のことをこう呼ぶ。 

 “モルデモート”――と。

 

『ハハハハハ! 良く避けた! だが――いつまで避けられるかな!』

 

 モルヴェリアは自身の攻撃が躱されたことに怒るでもなく、寧ろ虐め甲斐があると楽しそうに笑いながら、オーケストラを指揮するように指を振るう。

 

「無茶苦茶な……!」

 

 当たれば死ぬ。そんな怪光線を、天羽はひらり、ひらりと華麗に身体を動かしながら間一髪で躱していく。

 彼女の戦闘スタイルが中距離で、防御よりも回避に重きを置いていたことが功を奏したと言えるだろう。これが、防御に重きを置いていた戦闘スタイルであれば……呆気なく死んでいた。

 

 仮想空間である病院の壁を貫き、間に塞がる机などを朽ちさせ、死の光線は光の少女を飲み込もうと迸る。

 

(まずい……このままじゃ、何もできないままに蹂躙される……!)

 

 下手に距離が開いてしまった分、今の天羽は遠距離から一方的に撃たれている状況だ。

 自身の適性戦闘距離外での戦闘は彼女を一気に追い詰めていく。

 光線の隙間を縫い、反撃の銃弾を放ってはみるものの、至近距離ですら全く通っていなかった銃弾が通用するはずもなく――避ける素振りすら見せない悪魔の衣に弾かれて霧散していた。

 

 何とかして、状況を打破しなければならない。

 

 天羽は怪光線を避けながら、一瞬、自身の“奥の手”のことを思い出した。

 アレを使えば、あの悪魔に一矢報いることくらいは出来るかもしれない。

 しかし、アレを使うということは、天羽も後がなくなるということだ。

 使った後、無事で居られる保証はない。

 

(いや、躊躇している場合じゃない! このままじゃ、何もできないまま死ぬことになるんだから!)

 

 何もできないまま死ぬ。

 

 以前までの天羽であれば、形だけの抵抗をしながらもあっさりと受け入れてしまっていたかもしれない。

 心の奥底に強烈な自殺願望を抱えている少女にとって、“死”はある意味で救いであったから。

 しかし、ここでこの悪魔を見過ごすということは――その“死”が他の人にも降りかかることを意味する。

 

 ――地藤優斗が、殺されてしまうことを意味する。

 

 天羽璃奈がそれを許容することなんて、出来るはずがない。

 だから彼女はこの場に残ったのだ。この世界を燃やし尽くすであろう火種が、その姿を業火に変えるその前に、自身の命で蓋をするために。

 

「……霊力パターン切替。ごめんね、十銀銃。無理をするよ」

 

 決断してしまえば、あとは早かった。

 銃弾に割いていた霊力を全て自身の内側に向ける。

 エクソシストの中でも特に高純度を誇る彼女の霊力が一か所に収束していく。

 

『ほう?』

 

 天羽の行動方針が切り替わったことはモルヴェリアも察知していた。

 攻撃の手を緩めないまま笑みを深める。

 

『なにかするつもりじゃな? 良いぞ、一方的に撃つだけの展開にも飽きてきたところじゃ。もっと――ワシを楽しませよッ!』

 

 嘗て慢心が原因で敗れたことも忘れ、悪魔はこれから起きる見世物に期待を寄せる。

 

 悪魔の挑発を聞き流し、集中力を高める天羽はほぼ反射神経だけでモルヴェリアの雑な攻撃を躱しながら、一瞬だけ目を閉じた。

 循環し、最大限高められた霊力が解放の時を待ちわびて鼓動する。

 

「祓器――」

 

 目を開き、目前まで迫っていた死の線を、首を傾けるだけの動作で躱し、

 天羽璃奈はその言葉を口にした。

 

「――解放(リリース)!」

 

 二丁の銀色の銃剣が、光に包まれて砕ける。

 銀片が空へと舞い上がり、霊力と混じり合いながら、新たな形を編み出していく。

 結界を軋ませるほどの爆発的な霊力の高まりは周辺のありとあらゆるものを粉砕しながら広がっていく。

 鬱陶しそうに片手を振ってその光を搔き消したモルヴェリアを除き、周辺は瓦礫の山と化した。

 

 やがて、剣が生まれた。

 白銀に輝く双剣――まるで天より授けられた神剣のごとく、その刃は光を宿していた。

 

 同時に、彼女の身体を聖なる鎧が覆う。

 それは決して重くはない。まるで風のように軽く、それでいて絶対の防御を誇る神の加護。

 

 そして、彼女の背に――

 

 光の翼が生まれた。

 

 まばゆい白銀の輝き。

 この世界の穢れすら焼き尽くすような、純粋な光の羽根が彼女を包む。 

 その翼は飾りではなく――自身の光でぶち抜いた天井へふわりと浮かび上がっていく。

 

 さらに――背後に、六つの光輪が浮かぶ。

 それはまるで、神の審判を下す裁きの光。

 天使が持つ輪ではない。

 悪を貫く、断罪の閃光。

 

 璃奈は、そっとその双剣を握りしめる。

 

 これはただの武器ではない。

 これは、彼女の誓いそのもの。

 

 名を――

 

輝翼の聖陣(シルバー・ラウンズ)

 

 対悪魔武器、十銀銃の能力を十全に引き出し、尚且つその力の一部を自身に纏わせることで能力を飛躍的向上させる天羽の奥の手である。

 加えて、力を開放させた時に生じるエネルギーを敢えて抑えなかった彼女は三階の天井を粉々に粉砕しており――結果的に、高速戦闘が可能な間合いを確保していた。

 

 空中に浮かび上がった天羽を見てその意図を悟ったモルヴェリアは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

『宙よりワシを見下ろすとは不敬な……礼儀を知らん小娘だな』

「私に敬意を払ってほしいのであれば、今すぐにその子の中から出て行くことね」

『嫌じゃ。絶対に、絶対に、ワシは唯から離れんぞ……!』

「……そう。じゃあ、強制的に出て行ってもらうしかないわね」

 

 天羽璃奈は空中で一歩踏み出す。

 次の瞬間――彼女の背後に浮かぶ六つの光が、一斉に光線を放った。

 悪しき者たちを貫く、聖なる光が直進する。

 

『猪口才な』

 

 対応するように六つの闇を生み出したモルヴェリアがそれを一斉に解き放った。

 

 ぶつかり合う光と闇。

 その狭間を縫うように翼を広げた天羽が悪魔に向かって高速で突進していく。

 放たれる死の線をひらり、ひらりと空中で身を躱しながら、死女王の首を取るべく双剣を振り翳す。

 

 獣のような笑みを浮かべ、モルヴェリアは両腕を広げて闘争を歓迎した。

 

『さぁ、来い! 第二ラウンドじゃッ!』

 

 純白の翼を持つ天使と黒衣を身に纏う悪魔が衝突する。

 死の女王の宣告通り、熾烈な第二ラウンドの幕が上がった。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

“……逃げて”

 

「はぁ、はぁ、はぁ――」

 

“……今の貴方は、ただの養分よ。ここに居ても、真っ先に狙われるだけだわ。だから、逃げて”

 

「はぁ、はぁ、はぁ――!」

 

“いいから行きなさい! 悪魔の養分にされる前に私に殺されたいの⁉”

 

 十六夜蓮は息を切らしながら必死に病院内を走っていた。彼を注意する人はいない。ここは現世から隔離された世界であり、人間は彼と天羽璃奈しかいなかったから。

 

 歯を食いしばって足を動かす彼の頭の中は、ぐちゃぐちゃだった。

 必ず助けると決意していた妹は悪魔に乗っ取られ、

 見知らぬ自分たちの為に尽力してくれたお人好しな少女は一人、悪魔と戦っている。

 

 蓮はその全てに背を向け、逃げ出したのだ。

 

 分かっている。

 自分があの場にいたところで何の役にも立てなかったことくらい。

 

 分かっている。

 自分が悪魔に心を折られてしまったことくらい。

 

 分かっている。

 天羽が言っていたことが正しいことくらい、分かっているのだ。

 

 でも、頭では分かっていても心は別だ。彼は言いようのない自分への苛立ちに苦しめられていた。

 

 だが、それでも自暴自棄にならずに走っているのは天羽の最後の言葉があったから。

 

“……助けを呼んできて”

 

 何もできなかった。逃げることしか許されなかった。

 でも――いや、だからこそ。

 十六夜蓮は彼女との約束を守るために全力で足を動かす。

 

 心の中で何かが呟く。

 

 助けを求めるって――誰に?

 もう手遅れだ――天羽璃奈はとっくに殺されているに違いない。

 世界が滅ぶ――お前の手に負えることじゃないだろう。

 

「五月蠅いッ!」

 

 自分の心の弱さが生み出した負の思考を断ち切るように蓮は声を上げる。

 

「そんなことは、分かっているんだよ! でも、だからって――何もしない理由にはならないだろうが!」

 

 蓮は走る。出口を目指して階段を駆け下り、足を動かし続ける。

 優れた身体能力を持つ彼は瞬く間に出口付近までやって来て――

 

『ミツ、ケタ』

「ッ!」

 

 不穏な声を聞き、反射的に後ろへ飛びのいた。

 そこにいたのは、一体の悪魔だった。

 三階で遭遇した悪魔たちは唯に憑依した悪魔が現れた瞬間、彼女に吸収されていたが、まだ生き残りがいたのか。

 

 思わず後退る――が、すぐに思い直した。

 ここで引いてどうする?

 天羽璃奈は死に物狂いで戦っている。

 なら、自分も戦わなければダメだ。

 

 蓮は天羽から手渡された短剣を抜刀した。

 不格好な構え方でそれを前に突き出し、戦意を瞳に滾らせる。

 

 その姿勢を、悪魔は嘲笑った。

 

『オイ、オマエ、タタカウノカ?』

 

 戦えるはずがない。そう断言し、嘲笑う口調だった。

 十六夜蓮は悔しさで歯噛みするが、同時に冷静な脳は告げていた。

 こいつらが油断している今がチャンスであると。

 しかし――

 

『チョウシニ、ノルナ』

 

 笑っている悪魔だったが、油断は欠片もしていなかった。寧ろ、取るに足らない存在である十六夜蓮に戦う姿勢を見せられて怒りを覚えたらしい。

 山羊の脚をもつ悪魔は軽く床を蹴り――蓮が反応するよりも早く彼を蹴り飛ばした。

 

「がっ――!」

 

 蓮は優れた身体能力を持ってはいるものの、喧嘩など殆どしたことがない戦闘の素人だ。

 反射的に腕で足を防御し、床を転がって無意識に受け身こそ取っていたものの、戦う術は持っていない。

 

「ぐっ!」

 

 それでも心だけは負けてなるものかと立ち上がり――近寄って来た悪魔に上から胸を踏みつけられた。

 短剣は蹴り飛ばされた時にどこかへ行ってしまった。

 悪魔の体重は重く、メリメリとめり込んでくる脚は気道を圧迫している。

 

『ヨワイナラ、オトナシク、オレノ、エサニナレ』

 

 悪魔は醜悪な笑みを浮かべ、高純度の霊力を持つ十六夜蓮を見て舌なめずりをした。

 絶体絶命の場面だが、それでも十六夜蓮の心は折れていなかった。

 いや、折れることが出来なかった。

 黄金の精神は黄金であるが故に、彼に容易く絶望することを許さない。

 よって、彼は自身の祓器を呼び覚ますことが出来ない。

 

『……ソノ、メガ、キニクワナイ』

 

 悪魔は苛立っていた。

 餌の分際で、自身を真っすぐに睨みつけるその目が。

 餌の分際で、まだ諦めていないその心が。

 

『……シネ』

 

 故に、悪魔はありったけの憎悪を込めて、十六夜蓮の頭を踏み砕こうと脚を振り上げた。

 だが、その瞬間。

 

「――いや、それはダメだよ」

 

 ズブリ。

 

 何かが悪魔の胸を貫いた。

 

『ハ?』

 

 間抜けな声が漏れる。

 

 何が起こった?

 誰が言った?

 どこから?

 

 分からない。

 

 悪魔はぎこちなく、異常な熱を放つ自身の胸部を見た。

 そこには――

 

 一本の剣が、生えていた。

 

 美しい銀色の刀身。

 びっしりと刻まれた、祓魔の言葉。

 悪魔を祓うためにのみ作られた武器。

 

『キ、サマ……』

 

 悪魔は口を震わせ、背後にいる何者かの正体を探る。

 この剣は、教会に所属する戦士たちが扱うもの。

 ならば、背後にいるのは――

 

『エクソ、シスト……』

 

 悪魔が、震える声で呟いた。

 

 ずるり――。

 

 刃が、静かに引き抜かれる。

 悪魔は、一瞬、放心したように佇んで――

 呆気なく、消滅した。

 消滅の余韻が空気に溶けていく。

 

 沈黙。

 誰も、何も言わない。

 

 そして。

 

「……ま、違うんだけどね」

 

 乾いた声が落ちた。

 

 足音もなく、空気の隙間から現れたかのように、何者かがそこに立っていた。

 不意打ちで悪魔を殺し、悠々と肩を竦める。

 

 まるで、ただの掃除でもするかのような仕草で。

 何者かはゆっくりと、蓮の前に歩み寄る。

 

 そして、手を差し出した。

 

「大丈夫? 立てる?」

 

 その声は、奇妙なほど優しく、無造作だった。

 

 蓮は、呆然と手を見つめる。

 この人物は何者なのか。

 何者でもないかのように現れ、悪魔を、まるで取るに足らないもののように殺した。

 

 戸惑いながらも、差し出された手を掴み、蓮は立ち上がる。

 

 まだ、状況が理解できていない。

 それ以上に――

 

 蓮の目が、目の前の人物の服に吸い寄せられる。

 

 ――制服?

 

 漆黒のブレザー。見覚えがある。それもそのはず。

 自分と、同じものを着ている。

 

(……嘘だろ)

 

 蓮は混乱したまま、疑うようにクラスメートの名前を呼んだ。

 

「……地藤、優斗……か?」

 

 優顔のクラスメートは、困ったような顔で微笑んだ。

 

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 戦乙女と化した天羽と悪魔の戦いは熾烈を極めていた。

 

 現世から隔離された病院内を光と闇の線が飛び交い、互いに相殺し合って消えていく。悪魔が腕を振るえば大気が死んでいくが、天羽は身に纏った鎧で無理やり空気を浄化し、突進していく。

 

 迎え撃つは悪魔の黒衣。

 それ自体が意思を持つように動き、天羽を撃ち落とさんと動く。

 目障りなそれを双剣で切り裂きながら悪魔の喉元まで迫る。

 

『――そら、避けねば死ぬぞ?』

「ッ!」

 

 天羽は警鐘を鳴らす本能に従い、剣を地面に突き立てた。そして勢いのまま剣の柄の上で逆立ちのような姿勢を取り――器用に右の翼を動かして空中で身体を捻った。一秒前、彼女の身体があった箇所を極太の死の線が通る。

 あと少し遅ければ彼女は死んでいただろう。

 曲芸じみた神業に思わずモルヴェリアも目を見張る。

 

「はぁッ!」

 

 さらにそのまま空中で身を捻った天羽は右手に残していた剣でモルヴェリアに斬りかかった。依り代になった十六夜唯には申し訳ないが、流石にこの凶悪な悪魔を放置することは出来ない。どうか……恨むなら私を恨んで欲しい。そんな思いを込めて剣を振るう。

 

『甘いわ!』

 

 だが、懐に潜られた程度で易々と討ち取られるほど四騎士は甘くない。

 彼女の剣はどこからともなく出現した黒色の盾にあっさりと受け止められた。

 

『そら、仕置きじゃ』

「ッ!」

 

 モルヴェリアはグッと中指を折り曲げ――まるでデコピンをするようにその指を開放した。

 桁違いの膂力と魔力で強化されたその動作は空気を叩き、爆音を立てながら衝撃波として天羽に襲い掛かった。

 広げていた翼で自身を包み込む天羽だが、その場に留まることが出来ずに呆気なく弾き飛ばされてしまう。

 

 身動きが取れない彼女を仕留めるべく、モルヴェリアの死の線が襲い掛かるが、翼の背後で自動的に展開された6つの光線がそれを迎撃した。

 

「ぐっ……!」

 

 迎撃したものの爆風までは軽減できていない。爆風に煽られた天羽は地面を転がりながら、もはや何号室かも分からない壁に背中を打ち付けて停止した。

 

『やれやれ、なかなか面白い姿になったから楽しめるかと思ったが……この程度か。おい小娘、もっとないのか? ワシは退屈じゃ。どうせ死ぬであれば、最後に一花咲かせてから散ったらどうだ?』

「誰が……悪魔の言うことなんか……」

『ハハハハハ! 強がるな、強がるな。見たところ随分と無理をしているようだが、その姿はあと何分持つ? 10分か……いや、5分といったところかのぉ』

「……」

 

 天羽は答えない。

 悪魔の分析は的確であったが、わざわざ答える義理などない。

 剣を地面に突き立てて震える身体に鞭打ち、立ち上がって悪魔を睨みつける。

 

『ふむ。鬱陶しい女じゃが、その気概だけは認めてやらんでもない。だが――』

 

 死王女は腕を組んで傲慢に――だが、彼女にしては珍しく若いエクソシストを評価した。

 嘗ての彼女であれば考えられない姿勢であり、それは彼女が幾分か丸くなったことを意味しているのかもしれない。

 だが、その性根が変わることはない。

 彼女はどこまでも傲岸不遜で、

 

『――もう飽きた。さっさと死ね』

 

 飽き性だった。

 

 モルヴェリアが両腕を大きく広げる。

 まるで喝采を浴びるオペラ歌手のように光悦とした表情で、彼女はその力を開放した。

 

死王女の乱舞(モル・ヴェラ)

 

 両腕を広げた彼女の背後に数えるのも億劫になる無数の黒い剣が生成される。

 その全てに“死”の権能が付与されている。

 

『小鳥のように飛び回ってもこの数は避け切れまい』

 

 確かにあれを避け切るのは非常に困難だ。

 一本一本は死の光線ほど強力な魔力は帯びていないものの、モルヴェリアの背後を埋め尽くすように展開された剣の数は優に百を超える。

 点ではなく面による制圧。

 あれを放たれれば傷を負うことを覚悟しなければならないだろう。

 

 最悪、四肢の一本くらいはくれてやる。

 

 天羽は覚悟を新たに純白の翼を広げた。

 

『――あぁ、だが小鳥のように飛び回ることを許したつもりはないぞ?』

 

 意地の悪い顔でモルヴェリアが告げる。

 その瞬間、天羽は身動きの一切を封じられた。

 

「こ、これは……!」

 

 いつの間にか懐に潜り込んでいたモルヴェリアの黒衣が鎖のように伸び、床や壁と接着して天羽を拘束していた。

 

『散々、その剣で我が衣を切り裂いてくれたな? 腹立たしいが……そこまでして欲しがるのであれば致し方ない。望み通りくれてやる』

 

 恐らく、天羽が衣を切り裂いた時に彼女の懐に紛れ込ませていたのだろう。

 小細工が功を奏したことを知り、悪魔はニタリと意地悪く笑った。

 

「ぐっ……このっ……!」

『ハハハハハ! 無駄じゃ、無駄じゃ。この衣はワシの魔力で編まれている。貴様の銃弾も弾く特別性じゃ。その非力では破れまい』

 

 拘束を解こうと必死に足掻く天羽璃奈を嘲笑うモルヴェリア

 剣であれば断ち切れるはずだと手首に力を込めるが、その手首は特に重点的に拘束されており、剣を振るうこともできない。

 

 それならば――

 

「我が主よ、高き天に君臨するお方――」

『聖言か。それもさせぬ』

「ぐっ⁉」

 

 手が動かせないのであればと聖言で状況を打破しようと試みるが、首元に纏わりついた黒衣に喉を締められ、天羽は言葉を紡ぐことが出来ずに呻き声を上げた。

 

『さて、これで手の内は出し尽くしたかの? まだ何かあるなら今のうちに出した方がいいぞ? ――この剣が貴様を貫く前にな』

「ッ!」

 

 身動きが取れないこの状況であの剣群を撃たれたら確実に死ぬ。

 天羽はもう打つ手がないと知りながら、それでもがむしゃらに力を込めて拘束を解こうと足掻いていた。

 

(まだ……まだっ、死ねないのに……!)

 

 天羽に打つ手が残されていないことを悟ったモルヴェリアはニヤリと笑い、背後に展開した剣を射出しようと振り上げた右手を振り下ろし――

 

『むっ?』

 

 途中でその手を止めた。

 怪訝な表情を浮かべたモルヴェリアは首を傾げながら周囲を見渡す。

 

『結界が2柱破壊されたじゃと……?』

 

 外部から鬱陶しい横槍が入ったのかと警戒したモルヴェリアは目を閉じた。

 少しの間目を瞑っていた彼女はしかし、すぐにその目を開いて得心がいったような笑みを浮かべた。

 

『――あぁ、唯の兄か。今更無駄なことを。既に唯とワシは一心同体。こんな祭祀場などもう要らぬわ』

 

 確かに当初、この結界はモルヴェリアが唯に憑依し、復活するための祭祀場であった。

 しかし、己が瀕死を負う原因となった短剣に十六夜蓮の血を取り込んで生贄とした時点でその役割は既に済んでいる。

 強いて言えば、復活の食事として高純度の霊力を取り込むための餌箱としか考えていなかったが……その餌の一匹は現在、拘束され死を待つのみだ。

 

『待たせたな。さて、貴様はこれから死ぬわけだが……何か遺言はあるか? まぁ、聖言が厄介故、口にさせる気もないがな! ハハハハハ!』

「ッ!」

 

 モルヴェリアは嗤った。

 性悪な言葉を並べながら、軽蔑するように、愉悦に歪めた唇で。

 

 彼女にとって、十六夜唯だけが唯一の例外だった。

 それ以外の人間は等しく取るに足らぬ塵であり、特に、敵対するエクソシストに慈悲をかける理由など微塵もない。

 

 だから、天羽璃奈のこの抵抗も、嘲笑の対象でしかないはずだった。

 

 ……なのに。

 

 彼女は、まだ抗っていた。

 それも、異常なまでに。

 

 拘束された手首は、暴れすぎて皮膚が裂け、血が滲んでいる。

 骨に罅が入り、悲鳴を上げながらも、それでも動こうとする。

 手のひらは握りしめすぎて白くなり、爪は食い込んで血が滴る。

 

 それでも、彼女は動きを止めなかった。

 まるで――死ぬことを否定するかのように。

 

 天羽は、自分でも驚いていた。

 

 自分が、こんなにも"生き汚い"なんて思わなかった。

 こんなにも諦めの悪い人間だったなんて。

 

 でも。

 

 その理由を思い出して、こんな状況にも関わらず、少しだけ笑いそうになった。

 

 ――まだ、別れた元彼のことを引きずっているなんて。

 

 女々しいを通り越して、哀れだ。

 

 それでも。

 それでも――

 

 諦めたくない。

 

 天羽は歯を食いしばる。

 痛みなんて、どうでもいい。

 このまま終わるなんて、あまりにも理不尽すぎる。

 

 まだ、本当の理由を聞いていない。

 まだ、話し合っていない。

 まだ、まだ、まだ――

 

 まだ、天羽璃奈は地藤優斗を諦めきれない。

 

 たとえ、どれだけ愚かで、みっともない足掻きだと言われても。

 たとえ、運命が否定しようとも。

 

 この想いだけは、まだ終わらせられない――!!

 

「ッ――――!!!」

 

 彼女の必死の抵抗は、モルヴェリアすら瞠目させた。

 

 唯以外の人間を"取るに足らぬ塵"と見下し、嗤ってきた悪魔が、思わず息を呑むほどに――

 

 その姿は、強烈で。

 その執念は、あまりにも凄絶だった。

 

『……そこまでして生にしがみつくか。哀れではあるが、ワシにも気持ちは分からんでもない』

 

 嘗て、モルヴェリアもまた地を這い、苦汁を嘗めた。

 それでも、悪魔としての誇りを捨てず、生き汚く復活を遂げた。

 だからだろうか――らしくもなく、彼女は天羽璃奈の姿勢を評価した。

 

 ――どれだけ無様でも、抗い続けるその意志。

 ――どれだけ傷つこうと、決して屈しないその瞳。

 

 悪足掻きの何が悪い?

 足掻いたからこそ、"生"を手繰り寄せることができる。

 それは、モルヴェリア自身が何よりも知っている"真理"だった。

 

 だが――

 

『貴様はエクソシストだ。ワシの敵じゃ。だからここで死ね。――せめて、痛みがないようにな』

 

 再びモルヴェリアが右手を振り上げる。

 展開された剣群は主の命を今か今かと待ちわびている。

 

 "死"を司る女王に相応しい風格を纏いながら――

 静かに、堂々と、その終焉を告げた。

 

『――さぁ、眠れ。エクソシスト』

 

 冷たい宣告とともに、刃の群れが宙を裂く。

 主の命を受け、天羽璃奈に向かって一直線に飛来する。

 

 逃げられない。

 避けられない。

 あれは絶対に避けられない。

 

 ――ああ、自分は死ぬのか。

 

 天羽は、その事実をようやく認めた。

 そして、そっと目を閉じる。

 

 死の瞬間には走馬灯が流れるという話は、どうやら本当らしい。

 彼女の意識の奥に、様々な記憶が駆け巡る。

 

 孤独だった日々。

 戦い続けた日々。

 泣いて、怒って、それでも歩き続けた日々。

 

 でも、その中に一際輝く記憶があった。

 

 それは、彼女がただの少女でいられた時間。

 何も背負わず、ただ一人の人間として生きられた、かけがえのない日々。

 初めての恋に一喜一憂した時間。

 

 ――ごめんね、優斗君。私、貴方を殺すかもしれない悪魔を倒せなかったよ……。

 

 モルヴェリアを倒せなかった。

 その事実が、何よりも悔しかった。

 実力差がどうこうではない。そんなの関係ない。

 あれが彼を殺すかもしれない存在である以上、彼女は死の間際まで、それを悔い続ける。

 

 自分は、きっと地獄行きだろう。

 死後、地藤優斗にはもう会えない。

 それでも――

 

 もう一度だけ、会いたかったな……。

 

 儚い願いが、薄れゆく意識の中でこぼれる。

 一筋の涙が、頬を伝った。

 

「……ゆうと、くん……」

 

 その時だった。

 

 一陣の風が駆け抜けた。

 

 突風のような温もりが、天羽璃奈を包み込んだ。

 優しく、けれど決して離さないように、強く。

 

 目を閉じているのに、それが"何"なのか分かった。

 何故だろう。

 あまりにも、安心する。

 

 その腕を知っている。

 その匂いを知っている。

 まるで、お日様みたいな匂い――。

 

『なに……⁉』

 

 遠くでモルヴェリアの驚愕する声が聞こえた気がした。

 そして――次の瞬間。

 

 剣が、着弾する。

 

 轟音とともに、鋼が壁を貫いた。

 凄まじい衝撃。

 刃が刺さる音。

 粉々に砕ける壁。

 

 天羽はぎゅっと目を閉じる。

 どうか、一瞬で終わりますように――そう願いながら。

 

 だが。

 

 痛みは、こなかった。

 

 代わりに、何かが震えている感触。

 何かが、苦痛に耐えるような、掠れた息。

 

 やがてモルヴェリアの攻撃は止んだ。

 

 ――生きてる?

 

 天羽は、恐る恐る目を開けた。

 

 最初に映ったのは――見覚えのある制服。

 

 聖西学園の制服。

 それも、男子生徒のもの。

 

 その優れたデザインは、今、無惨にも血に濡れている。

 突き刺さった剣先が布を貫き、地面へ赤い雫が滴る。

 制服は、もはや原型を留めていなかった。

 

「――――」

 

 天羽は、理解したくなかった。

 この制服が誰のものなのか、分かってしまったから。

 分かってしまったのに、否定したくて、信じたくなくて――ただ、唖然と見つめ続けることしかできない。

 

 だけど。

 

 もう、顔を上げないわけにはいかなくて。

 

 恐る恐る、視線を上げる。

 

 そこにいたのは――

 

「……ゆうと、くん?」

 

 モルヴェリアの拘束が少し緩んだのか。

 声を発することが出来るようになった天羽は震える声で、幼子のように呟く。

 理解が追いつかない。

 認めたくない。

 そんな、あり得ない現実を目にしてしまった子供のように。

 

 地藤優斗は、微笑んだ。

 いつものように。

 困ったような、でも優しい顔で。

 

 そして――

 

 彼は、崩れ落ちた。

 

 その背中には、夥しい数の黒い剣が突き刺さっていた。

 "死"を付与された呪いの剣が。

 深く、深く、彼の身体を貫いていた。

 

 天羽の喉が詰まる。

 

「あっ―――――」

 

 掠れた声が漏れる。

 この世のすべてに絶望したような、枯れ果てた声だった。

 

 そして――

 

「あああああああああああああ――ッ‼」

 

 絶叫が響く。

 震え、噛み砕かれ、歪み、もはや人の声ではない。

 音の出し方を間違えた機械のように、無様なノイズが空間を満たす。

 

 だが、それすら足りない。

 

 この痛みを、この衝撃を、

 悲しみだけで処理できるわけがない。

 

 だから。

 

 天羽璃奈は、血を吐くような叫び声を上げ続けた。

 

 

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