世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
日頃から読んでくださっている読者の皆さまに、心より感謝申し上げます。
天羽璃奈という少女について、改めて語ろうと思う。
彼女はエクソシストの名家・天羽家に生まれた。直系の血筋は母の側で、父は婿入りという形で天羽家に入ったらしい。両親は紛れもない恋愛結婚で、学生時代から付き合い、そのまま結婚に至ったという。
優しく温厚な父と、苛烈だが優秀で華麗な母に見守られて過ごした幼年期。
本人曰く、細かな記憶はあまり残っていないものの、「とても幸せだった」という感覚だけは確かに覚えているらしい。
母・天羽玲子は人々を守るため、エクソシストとして常に第一線で戦っていた。
父もまたエクソシストとして働きながら、家庭を第一に考え、家事をこなし、璃奈が家にいる時は必ず寄り添うようにしていた。
昼夜逆転の生活で出張も多い母とは会える時期が不定期だったが、父の存在のおかげで、璃奈は寂しさを感じることはなかったという。
天羽家の歯車が狂い始めたのは、その優しい父が亡くなってからだった。
母が追い続けていた宿敵とも言うべき悪辣な悪魔。
戦闘能力ではほぼ互角の両者は熾烈な戦いを繰り広げていたが、ある時、悪魔は天羽玲子の急所を突く方法を思いついてしまった。
彼女の急所――即ち、家族。
己の眷属を自身に擬態させた悪魔は天羽邸を急襲し、玲子が擬態悪魔に気を取られている隙に、幼い璃奈を人質にしようとした。
その時、璃奈は部屋でお絵描きをしていたという。
白い画用紙の上でクレヨンを動かし、父と母と自分が並んでいる絵を描いていた。
幼い彼女は悪魔の存在など知らない。ただ、かっこいい母と優しい父がいてくれることだけを知っていて――だからこそ、襲来した悪魔は彼女にとって悪夢そのものだった。
テレビでも絵本でも見たことのない異形の化物。
璃奈は本能的に悟った。
――あれは、よくないものだ。
自分の世界を壊す異物なのだと。
天羽邸の結界を力づくでこじ開けて侵入した悪魔は、璃奈の部屋の窓を破壊して姿を現した。衝撃と恐怖に支配された幼い璃奈は、父にプレゼントしてもらったクレヨンを握りしめたまま、ただ固まることしかできなかった。
悪魔は愉悦に唇を吊り上げ、邪悪に嗤った。
その手が璃奈へと伸びる。
彼女は逃げることもできない。
当然だ。両親に守られて育った幼子が、異形の化物を前に何ができるというのか。
恐怖に震え、涙を浮かべる彼女を救ったのは――父だった。
家庭を守るために仕事をセーブし、家にいたその日。
父はキッチンで妻と娘のための料理を作っていたが、結界が破壊された瞬間、異変を察知し、娘の部屋へと駆け出した。
「璃奈ッ!」
エクソシストの標準装備である十字剣を展開し、父は果敢に悪魔へと斬りかかった。
彼は決して弱いエクソシストではない。鍛錬を欠かさず、悪魔との戦闘経験も豊富だった。
しかし残念ながら、百年に一度の天才と評される妻ほどの実力はなかった。
悪魔は容赦しない。圧倒的な力で、璃奈の父を追い詰めていく。
そして、勝利を確信したその瞬間、悪魔は最悪の発想に至った。
逃げ出すこともできず震えている、幼い天羽璃奈を狙い始めたのだ。
当然、父は娘を守らざるを得ない。
悪魔は嬲るように父を痛めつけ、最後には己の剣を璃奈へ向けて突き出した。
刃物など、父が料理の時に使う包丁しか見たことがない璃奈にとって、襲いかかるその剣はまさに死神だった。
ギュッと目を瞑り、これが夢であることを祈る。
しかし、想像していた痛みは訪れなかった。
代わりに、彼女を包む温かい感触。
璃奈はゆっくりと目を開く。そこには、幼い娘を庇って身を投げ出し、悪魔の剣に貫かれた父の姿があった。
「……大丈夫だ、璃奈。大丈夫だから……」
目を見開き震える娘に、優しく語りかける父。
それは、優しい父が娘に贈った最期の言葉だった。
自分は死ぬ。それでも、せめて娘だけは安心させたいという、最後の慈愛。
とはいえ、このままでは璃奈が連れ去られてしまう。
だが、父は知っていた。
見知った気配が、この家の近くまで迫っていることを。
妻に後を託し、彼は静かにこの世を去った。
宿敵の夫を殺し、しばし悦に浸っていた悪魔もすぐに気づく。
この屋敷に急接近する、強大な気配に。
慌てて璃奈へ手を伸ばすが、天から降り注いだ翡翠色の雨がそれを阻んだ。
擬態悪魔に気を取られて到着が遅れた天羽玲子は、屍となった夫を見て愕然とし――そして、激怒した。
雄叫びを上げ、鬼神のように暴れ狂う母。
天羽璃奈は振り返り、今でも思うのだという。
――あの時の母は、間違いなく世界最強だった、と。
己の身が自壊することすら厭わず、彼女は全てを悪魔へ叩きつけた。
海より深い悲しみと、噴火のような憎悪に突き動かされた身体は、ついに宿敵を仕留める。
だが、その顔に達成感は微塵もなかった。
穏やかな顔で目を閉じている夫の遺体に縋りつき、永遠にも思えるほど泣き続ける母の姿。
カッコよかった母の姿が、璃奈には幼い少女のように見えた。
翌日から、璃奈の生活は一変した。
父の葬儀を淡々とこなし、何とか日常に戻ろうとするが――いるはずの人がいない。
いつも食卓に並んでいた温かい料理は、冷凍食品に変わった。
家に帰っても誰もおらず、たまに帰ってくる母は幽鬼のような顔をしていて、話しかけることすら憚られた。
母は帰宅するとソファで泥のように眠り、目が覚めればシャワーを浴びて書庫に籠り、何かを調べていた。
書庫からは時折、絶叫が響いた。その間、璃奈は耳を塞ぎ、目を閉じていた。
目を開けば父がいてくれると祈ったが、その祈りが叶うことは一度もなかった。
さらに、母は地下室で怪しげな実験もしていた。
書庫から引っ張り出した古めかしい本を読みながら、何かをぶつぶつと呟いている。
彼女は必死に祈っているように見えたが、その顔色から察するに、母の願いもまた叶わなかったのだろう。
空虚な天羽邸の中で、ただ時間だけが過ぎていく。
ある日を境に、母は地下室や書庫に籠るのをやめた。
その代わり、璃奈にエクソシストの訓練を課すようになった。
家の中で一人、絵ばかり描いていた璃奈にとって、それは嬉しいことだった。
ようやく母が自分を見てくれた――そう思ったからだ。
しかし、同時に恐怖もあった。
幼い璃奈の目から見ても、今の母は正気とは思えなかった。
その漠然とした恐怖は、すぐに現実となる。
母は、幼い娘に正気とは思えない苛烈な訓練を課し始めたのだ。
見る人が見れば――いや、誰の目から見ても、それは虐待だった。
エクソシストとしての心構えもできていない。
しかも目の前で悪魔に父を殺された少女に、悪魔を殺すための術を叩き込む。
不幸だったのは、天羽璃奈が極めて優秀だったことだ。
天性の才を持つ彼女は、母の苛烈な訓練に涙を流し、母の目に恐怖を覚えながらも、スポンジが水を吸うように急激に強くなっていった。
天羽玲子は、己の目論見通りに事が進んでいるにもかかわらず、腹立たしくて仕方がなかった。
“この娘が強ければ、夫は死なずに済んだのに――”
それは詭弁であり、責任転嫁も甚だしい。
しかし、母親としての理性を失った彼女にとって、それは当然の思考だった。
母は娘への憎悪を募らせ、壊れた心の捌け口を娘に向け、自分勝手に振る舞い続けた。
やがて、娘が己の祓魔器を受け継げる領域に達したと判断した母は、長年かけた計画を完遂することにした。
『いい、璃奈。この銃を受け継ぐからには、私の信念を引き継ぎなさい』
差し出されたのは、銀色の二丁拳銃。
悪魔を滅ぼすための武器。
『エクソシストとして、目に見えるすべての人を救うと、その魂に誓いなさい』
何の疑問も持たず頷く娘。
母は歓喜した。
己の思い通りに成長した娘を、今から壊せると思うと――ゾクゾクする。
『良かった。それじゃあ――最初の試練を与えるわ』
懐から黒い拳銃を取り出す。
それは、人間を傷つけず悪魔だけを殺す十銀銃とは異なる、ただの凶器だった。
『早速、あなたの信念が破れる瞬間を見ていなさい』
嫌な予感に突き動かされ、璃奈が動こうとする。
だが母は秘術を使った。
娘の身体を縛る聖言。
『璃奈』
身動きできない娘を呼ぶ、優しく甘い声。
天羽璃奈は震えていた。
『たくさんの人を救いなさい。その銃で、その刃で。救って、救って、救って――その果てに絶望しなさい』
ドロドロに溶け切った憎悪が、牙を剥いた。
『最後に教えてあげる。私はね、あの人を奪ったあなたのことが――大嫌いだった』
引き金が引かれる。
そして天羽玲子は、己の計画を完遂した。
意識を永遠に失う間際、玲子は瞳に映る少女の顔が歪むのを見て、愉悦に浸っていた。
そうだ。その顔が見たかった。
自分によく似た――似すぎている娘のその顔を。
己の夫を奪った天羽璃奈という少女への復讐と、呪いが成就する。
“あなたに、ありったけの呪いを――”
床へと倒れ伏す母。
その日は二月一日。
天羽璃奈の、誕生日であった。
◆◆
「――だから、あんまり自分の誕生日は好きじゃないの」
過去を語り終えた璃奈は、静かにそう言った。
語り口は淡々としていて、感情的になることは一度もなかった。
己の主観と、後から知った客観的な事実を織り交ぜながら語られたその過去。
僕は、顔を歪めていた。
悲劇だ。こんなの、悲劇以外の何者でもない。
そして一番の悲劇は、璃奈がもう自分の過去に対して悲しむことすらできなくなっていることだった。
天羽玲子が娘に刻みつけた呪いは、あまりにも大きい。
「毎年、この日になると嫌でもお母さんのことを思い出すんだ。……それもきっと、あの人の計画の内だったんだろうね」
「……」
淡々と語る璃奈の表情には、相変わらず何の感情も浮かんでいない。
割り切ったと言えば聞こえはいいが、割り切らざるを得なかったのだろう。
そうでなければ、彼女は耐えられなかったのだから。
僕が神妙な顔をしていることに気づいた璃奈は、困ったように笑った。
「ごめんね、優斗君。せっかくお祝いしてくれたのに、こんな暗い話をしちゃって」
僕は首を横に振った。
「いや、璃奈の話が聞きたいって言ったのは僕の方だから」
今日は二月一日。
天羽璃奈の誕生日だ。
当然、僕は一週間前から誕生日パーティーの準備をしていた。
彼女にバレないように食材を買いそろえては僕の家の冷蔵庫に保管し、さらに隙を見てデパートに行き、誕生日プレゼントを確保。
本日、見事にサプライズと相成ったわけだ。
璃奈はもちろん飛び上がって喜んでくれた。
けれど、その表情に微かな困惑があることは見て取れた。
原作知識という反則のおかげで彼女の過去を知っている僕は、その悩みの原因にも気づいていた。
だから、僕は彼女にお願いをした。「璃奈の話が聞きたい」と。
最初の方は「私の話なんておもしろくない」と固辞していた璃奈だったが、僕の猛攻にあえなく陥落。
晩御飯の皿を片付けた後のテーブルで、過去を語ってくれることになった。
だから、彼女に非など欠片もない。
僕が聞きたいと言って、彼女はそれに応えてくれた。
それだけの話なのだ。
「……お母さんのこと、どう思っているの?」
「今は、何も思っていないよ。あの人には、あの人なりの事情があったんだろうし、それに――」
「それに?」
「……もし、優斗君がいなくなったら、私も同じようになるだろうなって分かったから」
「……」
今にも泣き出しそうな笑顔を前に、僕は何を言えばいいのだろう。
気の利いたことを言いたいのに、こういう時に限って僕の口は重い。
「結局、私とお母さんは似た者同士なの。血の繋がった、愚かな親子。多分、引き継いじゃいけないものを引き継いでいることを、あの人も分かっていたんだと思う。――大っ嫌いな自分を、そのまま見ているようで」
「……だから、同じ目に遭わせてやろうとしたってこと?」
「多分ね」
苦笑する璃奈。
だが僕の腹の底では、怒りが渦巻いていた。
自分が悲劇に遭ったからって、娘にそれをぶつけるなんて間違っている。
ましてや、自分と似ているから許さないなんて――身勝手にもほどがある。
身勝手さには定評のある僕だが、それでもこの所業は一線を優に超えている。
僕が改めて天羽玲子という人物への怒りを募らせていると、璃奈は急にテーブルの向こうで頭を下げた。
「ごめんね、優斗君」
「璃奈が何を謝るのさ?」
「せっかく色々準備してくれたのに、上手く喜べなくて……ごめん」
顔を俯かせる璃奈は、本当に申し訳ないと思っているようだった。
僕は自罰的な彼女に憐れみを感じると同時に、怒りを抱いた。
「謝らないでよ。上手く喜んでくれたから僕も嬉しい、なんてことはないんだから。僕は璃奈の誕生日をお祝いしたくて、自発的にやっただけ。璃奈がどういう形であれ、それを受け取ってくれたのであれば、十分だよ」
璃奈は誕生日を祝われる感覚が分からないなりに、僕からの贈り物(大してクオリティが高くない手料理)を喜んでくれた。
これ以上、何を望むというのか。
「それに、まだプレゼントは終わっていないんだから、感想を口にするのは早いよ」
「えっ」
僕は席から立ち上がり、冷蔵庫へ向かった。
保管していたそれを取り出し、ライターで一本ずつ火をつけてからテーブルへ運ぶ。
もちろん、歌も忘れない。
「ハッピー バースデー トゥーユー♪
ハッピー バースデー トゥーユー♪
ハッピー バースデー ディア 璃奈~♪
ハッピー バースデー トゥーユー♪
ハッピー バースデー トゥーユー♪」
彼女は今日で十七歳になる。
だから、用意した白いホールケーキには十七本の蝋燭が立っている。
その一本一本に火を灯し、歌を歌いながら僕はケーキをテーブルの上に置いた。
璃奈は目を丸くしていた。
この光景を見るのは、久しぶりのことなのだろう。
僕は彼女の瞳を見つめながら言った。
「誕生日に慣れていないって言ったよね? 何も問題はないよ。これから慣れればいいだけの話なんだから。毎年やっていれば、慣れるでしょ」
「……毎年、やってくれるの……?」
「当たり前じゃん」
僕は半ば呆れたように言った。
「毎年、この日が来るたびに、僕は君のことを祝福するよ」
「っ……」
璃奈は咄嗟に手を持ち上げ、顔を覆った。
一瞬、何事かと思って動こうとしたが、すぐに止めた。
彼女は泣いていた。
瞳から透明な涙をこぼしながら、肩を震わせて泣いていた。
「ごめんね、優斗君……泣くつもり、なかったんだけど……!」
「だから、謝らないでよ。どちらかというと、お礼の方が嬉しいんだからさ」
「う、ん……!」
涙を拭ったあと、璃奈は精いっぱいの笑顔を浮かべた。
「ありがとう、優斗君」
「どういたしまして」
僕は彼女に微笑みかけながら、祝福の言葉を送った。
「誕生日おめでとう、璃奈」
これほどめでたい日はない。
僕はこの日が彼女の人生最良の日として記憶され続けることを祈りながら、言葉を紡ぐ。
「世界中の誰が君を否定したって、僕は君が生まれてくれたことを祝福し続けるよ」
「――――」
前世からずっと。
僕は、天羽璃奈を祝福し続けている。
彼女が誤った道を進もうとも。
どんな罪を犯そうとも。
僕は、天羽璃奈という存在を祝福する。
「さぁ、蝋燭を消して。まだこのあとには他の誕生日プレゼントも控えているんだから」
「……大忙しだね」
「誕生日だからね」
また泣き出しそうになった璃奈だったが、必死に涙を拭い、息を吸い込んで――そっと蝋燭の火を吹き消した。
さて、この後はプレゼントタイムだ。
購入しておいた銀のチャームを手渡すつもりでいる。
チャームはスズランの形をしている。
スズランの花言葉は、「
君に、ありったけの祝福を――。
……璃奈がまた泣き出さないかどうか、今から少し心配だ。