世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
「取引、ですか……?」
原作で出てきた怖い人の顔を思い浮かべながら尋ねると、鳩は同意するように頷いた。
『あぁ。我々は今、未曾有の危機に直面している。通常であれば悪魔の契約者など問答無用で処理しているところだが、今は猫の手も借りたい――いや、悪魔の手も借りたい状況というわけだ』
低い声が淡々と事情を説明する。
しかし、“未曾有の危機”と来たか……。
何度も世界の危機を救っている教会のトップがそういうのだから、相当な危機であることは間違いないのだろう。
そして、その危機とやらにはメフィラが関わっている――。
「……まずは、事情をお聞かせいただけないでしょうか」
『いいだろう』
鳩は向こうの人格を反映するように重々しく頷くと、低い声で説明を開始した。
『事情を説明する為にはまず、我々の世界と対立している悪魔たちの世界、“魔界”の状況について話す必要がある。まぁ、君もよく知っていることと思うが、悪魔という連中は基本的に団体行動が出来ない。利他的な思考など欠片もなく、各々が自分本位に暴れ回る――それが悪魔という種族だ。必然的に、魔界の中であっても悪魔同士での争いは絶えなかった。派閥が生まれては消え、身内で騙し、脅し、殺し合う。だが、そんな悪魔たちでも四騎士と悪魔王ベルファルドが頂点に君臨することによって、辛うじて均衡は保たれていた。要するに、力によって首根っこを抑えられていたというわけだ。――しかし、ここ数か月で状況は一変した』
声のトーンがさらに一段と低くなる。
エクソシストの元帥は言った。
『メフィラが悪魔王ベルファルドを殺し、女王として魔界を支配しようと乗り出したのだ』
「……はぁ⁉」
思わず大声が口から零れ出た。
隣では璃奈も口に手を当てて驚愕しているのが見える。
あのメフィラが、魔界で女王に……?
おまけに、父親を殺して即位だなんて、そんなこと――
「やりそうだなぁ……」
「……」ぶんぶん
やるかやらないかで言えば、奴は間違いなく“やる”方だろう。
完全に同意なのか、隣の璃奈が無言で首を縦に振っていた。
あの悪魔に身内への情なんてあるはずがないし、チャンスがあればそういうことをする様子は容易に想像がつく。
しかし――
「女王っていうのはどういうことなんですか? こう言っちゃなんですが、地位とか名誉とか、そういうものに興味なさそうな悪魔だったと思うんですが……」
僕の知るメフィラは、魔界の窮屈さに辟易して現世に飛び出してきたじゃじゃ馬という感じだ。悪魔の王族であることへのこだわりも薄いようだったし、今さら王座に興味が湧くようにも見えない。
『我々のプロファイリングでも、確かにメフィラという悪魔はそういったことへの執着があまりないタイプに見えた。しかし、現実として奴は魔界を乗っ取った。ここ数か月でほぼ全ての領地を支配下に置き、反抗する悪魔の殆どを粛正したという情報だ』
「うわぁ……」
あまりにも手際が良いが、アイツはそういうことを卒なく熟すだろう。
認めるのも癪だが、頭脳も含め、そういった能力はピカイチなのだ。
『悪魔同士で殺し合おうが我々としてはどうでもいい。好きにやっていろと言う感じだが……問題は、魔界を支配したメフィラが現世へ全面的な侵攻を計画しているという情報が入ったことだ』
「えっ……」
あまりにも現実感に欠ける言葉を聞き、思わず絶句する。
現世へ全面的な侵攻――つまり、戦争を仕掛けようっていうのか?
元帥の説明は続く。
『前任のベルファルドは、どちらかといえば保守的な悪魔だった。現世へちょっかいをかけてくることはあれど、万全の準備が整うまでは動く様子は見せなかった。戦争を仕掛けることで自分たちが受ける損害規模を理解していたからだ。だが――』
「メフィラは違う。アイツは味方の悪魔の損害なんて欠片も気にしない」
同意するように鳩が頷いた。
『我々も同じ見解だ。メフィラという悪魔は、恐ろしいほどに同族への帰属意識が薄い。奴は味方の犠牲など鼻で笑いながらありとあらゆる計画を実行するだろう。それは、この短期間で魔界征服を成し遂げたことから見ても明らかだ』
同族の命など歯牙にもかけない非情さ。
そして、その非情さこそがメフィラという悪魔の最大の恐ろしさであると言える。
その牙が現世に向けられた時、僕たちは生き残れるのだろうか。
『故に、我々は可及的速やかに新たなる悪魔王――いや、悪魔女王メフィラの野望を阻止せねばならない。だからこそ、奴に所縁がある君の力が必要なのだ』
「……僕に、何をしろと?」
『魔界へ赴き、メフィラの気を引いて欲しい。奴に時間を使わせるのだ。その間に我々が裏で動き、奴を仕留める。……とはいえ、我々はそこまでメフィラという悪魔に詳しくない。君が奴を仕留めてくれるのであれば、それに越したことはないのだがな』
「……メフィラがそんな単純な計画に気付かないとは思えないですが」
『計画は複雑だからいいというものではない。それに、君には計画の大枠しか話すつもりはない。詳細はこちらで詰めるとも。奴のことを知っているのは君だけではない』
自信ありげに鷹揚と話す元帥だが、メフィラという悪魔はこと策略においてはこの世界でもトップの存在だ。そんな見え透いた誘導に引っかかるようには思えない。
それに――
「僕が魔界に行ったところでメフィラの気を引けるとは思えないんですが……」
仕留める、仕留めないは一旦置いておくとして――ただの玩具に過ぎない男が魔界に出向いたところで、奴は見向きもしないと思う。
何故か璃奈が隣で微妙な表情を浮かべている中、元帥は「いや、それはないだろう」と否定の言葉を口にした。
『君は知らぬことだろうが……メフィラという悪魔は気が遠くなるほどに長い寿命の中で、
「……」
元帥の言葉を受け、考え込む。
確かに、メフィラは良くも悪くも(大概は悪い意味だが……)僕に興味を示すことが多い気がする。
滅多にない気まぐれを発揮してまで契約を交わした仲なわけだし、わざわざ魔界まで出向いて面会を申し入れれば話くらいは聞いてくれる……のかもしれない。
「おおよその事情は分かりました」
あくまでも少し全体像が分かっただけで、詳細は何も分かっていないし、教会側も敢えて隠している情報があるのだろうが――それらは一旦目を瞑ることとする。
「ところで、先程“取引”と仰っていましたよね? 僕が命を取られる危険を冒してまで魔界に出向いたとして、あなたたちは僕に何をしてくれるんですか?」
気になるのは、“教会”が僕という存在に対してどう思っているかだ。
使える奴を好き勝手に使い倒して、用済みになったら即処分。
そういうことを平然とやる組織なので、きちんと確認をしておかなければならない。
『
端的で簡潔な言葉。
『それが、我々の提供する条件だ』
元帥は何も提供するつもりはないと言った。
通常なら、取引の場でこんなことを言われたらぶち切れて即帰宅するようなものだが――今回は、相手が相手だ。
僕はその言葉の意味を頭の中で吟味してから、誤解がないか確認する為に問い掛けた。
「それはつまり、メフィラさえ倒せれば僕と璃奈に対して敵対行動を取ることはない――という解釈で良かったですか?」
『その通りだ。我々“教会”は、メフィラを倒し、現世侵攻の危機を免れたのであれば、地藤優斗及び天羽璃奈へ一切手出ししないことを誓ってもいい』
最多のエクソシストを抱え、さらには悪魔四騎士にも匹敵する力を持つ“元帥”を擁する現世最大の対悪魔組織、“教会”。
ある意味で、僕が最も恐れていた組織が、この条件を呑めば悪魔と契約を交わした僕や璃奈のことを見逃してくれると言うのだ。
それが、メフィラと対立することと天秤にかけるほどの価値があるものかどうか――
「……まぁ、普通に考えたら yes だよなぁ」
メフィラがどうなろうが知ったことではない。
というか、アイツは殺したと思った次の日には復活しているような奴だ。
その点については心配――というか、思うところはない。
問題は、だ。
この“教会”という組織が一切信用できない点にある。
目の前にいる不気味でおっかない少女、慈悲ネリアを筆頭として、教会の連中は基本的にどこかおかしい。
場合によっては、一貫性がある分、悪魔の方がマシなところがあると思うほどに終わっている組織なのだ。
チラリと璃奈に視線を向ける。
彼女は僕を見つめてから――僕にしか見えない動きで微かに首を横に振った。
やはり彼女も“教会”に対して不信感を抱いているのだろう。
僕は少し考えてから口を開いた。
「たとえば、今回の取引の内容について、悪魔のように契約を結ぶことは可能ですか?」
『我々は“悪魔”ではない。そのようなものは結べない』
バッサリと提案を切り捨てられてしまった。
しかし参ったな。
契約できないなら、約束事の効力は激減する。
その考え自体が悪魔的なのかもしれないが、“教会”側が約束を守る保証がない。もっと言えば、約束を守らなければ発生するリスクがないので、守る必要が全くないということになる。
『悪魔のような“契約”はできないが、契約の書面なら準備は出来る』
なかなか返事をしない僕に痺れを切らしたのか、元帥は補足するようにそんなことを言った。
「書面……書面、ですかぁ……」
チラリと慈悲ネリアに視線を向ける。
彼女はニコニコと笑いながら手を振っていた。
愛想笑いを返しながら、心の中で思う。
“お前ら、書面とかすぐに燃やすし、バラバラにするじゃん”と。
教会という組織は、悪魔と戦う人類の守護者でありながら、恐ろしく倫理観がない。
約束は平気で反故にするし、面倒だからと悪魔に関係した奴は全員皆殺しにするし、人類の守護者なのだから何をしてもいいと本気で信じている異常集団だ。
稀に霧島先輩やユリウスのような常識人もいるが、彼らは所詮下っ端に過ぎない。
トップの連中の頭が終わっているので、必然的に組織としてはこういう何でもありの集団になってしまう。
現に、今は僕と璃奈に手を出さないと言いながら、慈悲ネリアの発言をよく聞くと教会側が僕を排除したい思惑が透けて見える。
ただ働きをさせられた挙句、最後には始末されるなんて胸糞が悪すぎるので、ここは何とかして命の担保を取り付けたいところだ。
「えっと、仮にですけど……僕がこの話を断った場合、どうなるんですか?」
『その時は、悪いが死んでもらうことになる。――ちょうどそこに、血に飢えた元帥がいることだしな』
「うひひ、人を狂犬みたいに言わないでよ~」
朗らかに笑う慈悲ネリアだが、僕は知っている。
彼女はGOサインが出たら最後、嬉々として僕たちを殺しに来ることを。
「でも、僕がいないと困るんじゃないんですか……?」
『我々は、これまで何度も悪魔たちから世界の危機を救ってきた。故に、君がいなくとも世界を救って見せる。些かプランに狂いは生じるが、仕方あるまい』
確かな威厳を身に纏いながらそう断言する元帥。
事実、彼らにはその力がある。
倫理観がないことはマイナス要素だが――裏返せば、彼らは手段を選ばないのだ。
悪魔たちから人類を守るためなら、文字通り何でもする。
だからこそ、彼らは強い。
しかし、
「分かりました。じゃあ、NOで」
僕が NO を突き付けると、明らかに場の空気が凍り付いた。
「ゆ、優斗君……?」
隣にいる璃奈は慈悲ネリアを最大限警戒しつつも、困惑した表情を浮かべている。
僕は鳩を見つめながら、不敵な笑みを浮かべて見せた。
『……なるほど。こんなにも有意義な提案を断るとは、思っていたよりも低能だったらしい』
「じゃあ、殺しますか?」
問い掛けた後、相手の発言を遮るように僕は言葉を重ねる。
「いいですよ、別に。掛かって来ればいいじゃないですか。ただ――その時は、
『……なんだと?』
疑問の声を上げる元帥。
僕は、ハッキリと断言した。
「死王女と、紅の戦君は僕の味方です」
『ッ!』
元帥は鳩の向こうで息を呑み、慈悲ネリアは感情の読めない微笑みを浮かべた。
――そう。教会がここまで強気に出られるのは、単に彼らが戦力的に優れているからに過ぎないのだ。
だが、それよりも大きな武力を持つのであれば、彼らの強気のスタンスは通じないことになる。
現に、メフィラの大暴れに手を焼いている様子から見て、僕一人を殺すために全エクソシストを総動員するなんて馬鹿な真似はできなさそうだし、この場には慈悲ネリアしかいない。
四騎士の二枚カードを切れる今の僕なら、負けることはないだろう――なんて言っているが、実際に教会の元帥と戦うとなった時に彼女たちが力を貸してくれる保証はない。
全くないが……ここは快く頷いてくれるものだと思っておこう。頼むよ、唯ちゃん、バル子。
「あー、そういえばモルちゃん復活したんだったねぇ。元気してるー?」
「えぇ、お元気にされていますよ。そういえば、彼女を瀕死に追い込んだのは貴女でしたね」
「――へぇ、良く知ってるね。確かに、モルちゃんを追い詰めたのは私だよ。だから、モルちゃんが向かってきたところでそんなに怖くはないかなぁ」
「そうですか。では、紅の戦君バルナハルトはいかがですか?」
「バル君ねぇ……」
慈悲ネリアは少し考えてから、あっけらかんとした様子で答えた。
「ま、ぶっちゃけ苦手かな。普通に負けるかも」
『慈悲ネリアッ!』
鳩の口から怒声が響き渡るが、慈悲ネリアは気にする様子もなくニコニコと笑っていた。
「私たちクラスになるとさ、相性によるじゃんけんゲームみたいになるんだよね。だから、相性が悪い奴とは戦わないことと、後出しが大事になるってこと。あぁ、ついでに言っておくと、魔界にもどうしても相性が悪いのがいてさ、あっち行ったら絶対にソイツと戦わされるんだよねぇ。だから、君らに行って欲しいわけ」
別に頼んでもないのに、ぺらぺらと事情を暴露する慈悲ネリア。
お喋りで嘘をつかないのは知っていたが、まさかここまで饒舌に話してくれるとは思わなかった。
教会にとっては間違いなく良い事ではないが……彼女のスタンスがいまいち分からないな。
まぁ、いずれにせよ、僕も切り札を切った。
取引は、これからだ。
「元帥二人に、悪魔四騎士二人。これで、条件としてはイーブンですよね」
『ふん、確かに死王女は復活したようだが……あの二人が味方などと到底信じられん。貴様の言葉が戯言ではないという保証がどこにある?』
「慈悲ネリアさん」
「はいよ」
「僕、嘘ついてないですよね?」
慈悲ネリアは銀色の瞳でじっと僕を見つめ――不気味な笑みを浮かべながら頷いた。
「うん。確かに君は四騎士二人と繋がっているね。それも、太くて赤い糸で結ばれている。この子を攻撃したら、間違いなくあの二人が飛んでくるよ。モルちゃん相手なら今でもそれなりに戦えると思うけど、前は慢心してくれていたから勝てただけだし、二人相手にしたら流石に私でも死ぬな~」
『ッ! まさか本当に四騎士二名が味方だと⁉ そんな馬鹿なことあるはずが……!』
「うひひ、だから言ったじゃん。
目を細めて笑う慈悲ネリアだが、怖いのは僕の方だ。
慈悲ネリアは僕と全く関わりがなかったにも関わらず、繋がりの糸と野生の勘だけで最適解を選んで見せたのだ。
「まぁ、そういうわけなので、あなたたちが僕を殺せるという前提条件がそもそも覆ったということを認識いただけたでしょうか?」
『なるほど……道理で落ち着いているわけだ。貴様の戦力についてはよく理解した。では、条件について少し譲歩することも考えよう。例えば、書面は二枚作成し、互いに捺印した上で保管を――』
「まだ理解されていないようですね」
『なに……?』
僕は呆れながら首を振った。
そして、唇の端を吊り上げて言った。
「譲歩? 温いこと言わないでくださいよ。立場的にはこっちの方が上なんですから、僕が出す条件なら飲んでやってもいいと言っているんです。そこを履き違えないでいただきたい」
『貴様ァ……!』
条件はひっくり返った。
彼らは僕を脅す側じゃない。
僕に、頭を下げてお願いをする側になったのだ。
これぞまさに虎の威を借る狐。
四騎士の威を借りる小物というわけさ。
ハハハ! ……はぁ、自分で言っていて情けなくなってきたな。
「うひひ、いいようにやられてるねぇ、
『勝手に俺の名を……! 貴様、どちらの味方なのだ、慈悲ネリア!』
「私は私の味方だよ~」
怒鳴る元帥の男――オルドリック。
やはり予想していた人物だったことで内心ホッとしつつ、僕は強気の態度を崩さずに告げる。
「まぁ、そういうわけなので僕の条件を伝えますね、
『ッ!』
鳩が鋭い視線で睨みつけてくる。
遠く距離を隔てていても感じる威圧感。
目の前に居たら、怖すぎて失禁していたかもしれない。
僕は虚勢がバレないように気を付けながら、堂々と条件を述べた。
「まず、メフィラの野望を阻止した暁には、“教会”に関わったことのあるエクソシストは全員、僕と璃奈に身体的・精神的に危害を加えることを禁ずる。――ここまではいいですね?」
『……』
返事はないが、反論がないところを見るに、もう強気には出られなくなったとみて間違いないだろう。
うん、実に気分がいい。
――ちなみに、死王女と紅の戦君を条件に入れなかったのは、流石に教会としても彼女たちに敵対せずにいることはできないと判断したからだ。この条件を呑んでしまえば最後、死王女の気まぐれに対して抵抗することもできずに人類は滅びることになるからね。
「続きです。この条件については、僕と“契約”を交わすことで成立するものとする。それも、悪魔式の契約でね」
『……我々に、悪魔の流儀に手を染めろと』
「はい。そう言っています」
こいつら相手に書面でのやり取りなんて、安心してできるはずがない。
やるなら、絶対的な効力を有する“契約”一択だ。
「“契約”はオルドリックさん、あなたと結びます。――誰か一人でもエクソシストが先走って契約違反をしたら、あなたにしっぺ返しが来ますから、しっかり全員の手綱を握っておいてくださいよ」
『……なるほど。貴様のことを少し勘違いしていたよ、地藤優斗。邪気がない少年かと思っていたが、違った』
“教会”の中でも絶大な権力を持つ男、オルドリックは、苦渋と感心が混じったような声で言った。
『貴様は、
滅茶苦茶褒められている風だが、実際には全部が罵詈雑言である。
僕は肩を竦めながら「恐縮です」と適当な返事をした。
「それで、どうしますか? 契約を結びますか?」
『……ここまで不利な条件だと、結びたいという意欲がなくなるな』
「そうですか。でも、僕は結びたいのでさっさと結んだ方がいいと思いますよ」
せっかく、“教会”の脅威を無力化できるチャンスなのだ。
この機会を逃すわけにはいかない。
「ただでさえ、メフィラに手を焼かされているのに、僕みたいに嫌な奴を追加で相手はしたくないでしょ?」
『……』
返事はないが、それが答えだった気がした。
自分で言っておきながら、“嫌な奴”認定されているのを知って密かに落ち込む。
僕って結構繊細なのかもしれない。
「それに、メフィラが魔界を制圧できたのって、自分に対抗できる悪魔が殆どいなかったことが理由なんじゃないんですか? だって、死王女と紅の戦君はこっちにいて、僕たちと楽しく仲よく過ごしているんですから。そちらからすれば脅威そのものでしょうけれど、それはメフィラにとっても同じことが言えます。死王女はメフィラの天敵なんですよ? それが味方になるって思えば心強いじゃないですか」
『……』
考え込むオルドリック元帥。
今、彼の中では様々なものが天秤にかけられているのだろう。
やがて考えが纏まったのか、鳩が口を開いた。
『……貴様の条件については分かった。だが、こちらにも譲れない一線がある』
「なんです?」
『メフィラを、殺せ』
その言葉には、教会の威信を掛けた重みがあった。
『奴は以前より悪魔の中でも特異的な存在で、我々としても非常に手を焼いていた。仮に悪魔女王の座から失脚させることに成功したとしても、奴が生きている限りは安心することは出来ない。故に、メフィラを殺せ。……この条件を呑めるのであれば、貴様の条件も受け入れよう』
「……」
「優斗君……」
不安そうな目で見つめてくる璃奈。
僕は少しだけ、自問自答をした。
僕に、奴を――メフィラを殺せるのか。
あの邪悪で、美麗で、優雅で、気さくな悪魔を、殺せるのか。
なんだかんだで僕を助け続けてくれた、あの契約者を、この手で殺せるのか。
「――分かりました」
この時、僕は自分がどんな表情をしていたのか、知ることは出来なかった。
鏡がなかったからだ。
「その条件で、“契約”を交わしましょう」
緊迫した空気が屋上に張り詰める。
鳩が、重々しく頷いた。
『いいだろう』
かくして、僕とオルドリック元帥の間で“契約”は締結された。
僕と璃奈の安全は保障される。
メフィラを、殺すことができれば。
◆◆
「よーし。それじゃあ、早速魔界に行ってもらおうかなぁ」
「えっ? い、今からですか?」
「もちろん! 結構状況ヤバくてさぁ。私たちも色々とやることがあんだよね。――あっ、モルちゃんたちのことなら安心して。私から魔界に行くよう伝えておくからさ」
「い、いやいや! あなたが死王女と接触したらえらいことに――」
「心配すんなって! そんな喧嘩なんかしないよ。穏やかーに交渉して、魔界に行ってもらうからさ。嫌がっても顔面殴って行かせるさ」
「それがダメだって言ってるんですよ⁉」
慈悲ネリア VS 死王女の再戦なんて、そんな恐ろしいことが起きれば、この校舎どころか僕たちの町が丸ごと吹き飛ぶことになる。
「うひひ、冗談だよ。冗談。ま、そこら辺は私に任せておきなって。君らは安心して――魔界に行ってらっしゃい」
慈悲ネリアは左手を虚空に翳した。
次の瞬間、空間が歪み――細身の剣が彼女の手元に出現した。
「ま、まさか本当にここで⁉」
“教会”が誇る最高戦力、元帥。
その一角である慈悲ネリアだが――ぶっちゃけ、彼女に霊力的な才能は殆どない。
秘術の精度も、エクソシストとしての知識も、全て天羽璃奈が圧倒的に上回っているだろう。
だが、彼女は何の問題もない。
問題ないのだ。
何故なら、彼女は世界最強の“剣士”なのだから。
「おうよ。私はやると言ったらやる女だよん。――ここで、“門”を開いてあげる」
その手に握られたごく普通の十字剣に見えるが、それは彼女にしか扱えない彼女専用の祓魔器である。
「ほーれ。開け、ゴマ!」
軽い掛け声と共に無造作に振られる剣。
その刃が空間を縦に切り裂いた次の瞬間――空間が、裂けた。
鏡の世界で見たような、あるいは紅の戦君のオリジナルが生み出した門のような、歪な裂け目。
「えっ……」
思わず唖然と目を見開く璃奈。
気持ちは良く分かる。
空間を切断する斬撃など、四騎士ですら達成できなかった偉業である。
悪魔たちが部下の命を使い、あの手この手を駆使してようやく開いた異界への門を、彼女は剣を一振りするだけで開いてしまったのだ。
もう一度繰り返すが、慈悲ネリアは世界最強の剣士である。
それだけで、エクソシストの頂に到達したほどの剣士。
彼女の能力は、言ってしまえばそれだけだが――それを突き詰めた結果、彼女は死王女と同じ領域にまで達した。
剣を振れば、物が切れる。
斬りたいと思ったものが、斬れる。
そこには物質の差異などない。
人も、悪魔も、鉄も、空気も、そして空間も切り裂く圧倒的な剣士としての力。
彼女の能力は死王女と同じく、発動されてしまえば避けようがない。
故に、彼女は世界最強の剣士なのだ。
開いた異界への門を前に、彼女は朗らかに笑っていた。
「あんま斬りすぎると世界壊しちゃうからさ、これで精いっぱいなんだわ。ごめんな! でもまぁ、これくらい隙間があれば二人は通れるよね~」
確かに僕と璃奈の二人くらいなら通れるだろうが――そういう問題ではない。
こっちはまだ何も準備ができていないのだ。
旅の準備も、心の準備も、何も出来ていない。
「ちょっ、ちょっと待ってください! せめてもう少し時間を――」
『時間はない。それに、“契約”に時間の指定はなかったはずだが?』
嫌味ったらしい声で反論するオルドリック。
クソぉ! やられた!
時間指定もしておけば良かった!
「さぁ、覚悟を決めていってらっしゃい! 悪魔どもを皆殺しにしてきてね!」
「だから、ちょっと待っ――」
「あっ、これは危害を加えているわけじゃなくて、背中を押しているだけだからね? 勘違いしないよーに。チャオー!」
慈悲ネリアの声が背後から聞こえる。
咄嗟に振り向くが、気が付けば僕の背後にいた彼女は、トンと僕の背中を押した。
軽く押されただけのはずなのに、何の抵抗もできずに亀裂に吸い込まれていく。
「うわぁあああああああああ――!」
「優斗君……!」
彼女に背中を押されていないにも関わらず、璃奈は自ら僕を追いかけて空間の亀裂に飛び込んできてくれた。
そんな彼女に愛おしさと申し訳なさを感じながら、僕は彼女に手を伸ばし、彼女も僕に手を伸ばして――僕たちは、手を取り合った。
そして、手を取り合いながら、二人で魔界へと堕ちていく――。
◆◆
「うひひ、手を繋いで仲良くエントリーとは、ラブラブだねぇ。羨ましいな。私も彼氏作ろうかな? 強い人がいいなぁ。簡単に殺せない人がいいや」
『お前の要求に応えられる男を見つけたら教えてくれ』
「えぇ? なんで?」
『そのような逸材は“教会”でエクソシストとしてスカウトする必要がある。お前のお目付け役としても最適だ。……まぁ、そんな化物のような超人、いるはずがないがな』
諦めの溜息を漏らすオルドリック元帥。
一方、慈悲ネリアは笑っていた。
「あぁ、楽しみだなぁ」
肩を揺らして、笑っていた。
「いっぱい、いっぱい斬って、斬って斬りまくって……悪魔どもを皆殺しにしてやるんだ。うひひ」
彼女はエクソシストとしての仕事を楽しんでいた。
悪魔をその刃で切り裂くことに、快感を覚えていた。
故に、彼女は殺すだろう。
悪魔たちを殺して、殺して、殺し尽くして、屍の山を築き上げるだろう。
それは“教会”にとって間違いなくいいことだ。
いいことだが――不安なのは、悪魔がいなくなったその後のことだった。
この何を考えているか分からず、何かを斬ることに快感を覚える狂人が、悪魔亡き世界に解き放たれたとして、一体誰が止められるのだろうか。
『おい、慈悲ネリア』
唐突に寒気がするほどの不安に襲われたオルドリック元帥は、通信越しに釘を刺すことにした。
『悪魔がいなくなったからと言って、人間を斬るんじゃないぞ』
――とはいえ、如何にイカレた女であろうとも、流石にそこまで狂ってはいないだろう。
返事は元より期待していなかった。どうせ、またわけのわからないことを言われると思っていたからだ。
オルドリック元帥はこれから先の作戦をより練り上げるべく、通信を切った。
元に戻った鳩が空に飛び立っていくのを見送りながら、慈悲ネリアは笑っていた。
「……うひひ」
その瞳に宿る感情を理解できる者はいない。
彼女はただ笑っていた。
楽しい未来に思いを馳せ、笑っていた。