世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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ハッピーバレンタイン


第14話:人間なら正々堂々話し合うべき件

 

 

「――神様じゃなくて、悪魔が君に優しくなるとは、意外でさ」

 

 満面の笑みで放たれた特大の皮肉は、十六夜唯の頬を引き攣らせた。

 余裕の笑みを浮かべようとするが、ピクピクと震えて上手くいかない。

 

 十六夜唯は確信した。

 

 あぁ、この感じは。

 この微妙に梯子を外してきて、絶妙にこちらをイラつかせてくる感じは。

 

 間違いなく例の“先輩”だと。

 

 いきなり皮肉をぶつけられた十六夜唯は心の中で溜息をついた。

 

(……謝ろうと思ったのに……)

 

 散々傷つけて痛い思いをさせ――殺してしまったことを謝ろうと思っていたのに。

 

 これでは、応戦せざるを得ない。

 

「えぇ、私もまさか悪魔に優しくしてもらえるとは思いませんでした。先輩の祈りは徒労に終わったみたいですね?」

「いやいや、神様が優しくしてくれた結果がこれなのかもよ?」

「私は悪魔に救われる運命にあったと? 神に救われる資格はなかったと?」

「悪魔に救われたことが不服かい?」

「まさか。――というか、不服なのは先輩の方なんじゃないですか?」

 

 お互いにムキになったように皮肉の応酬を繰り広げる。

 

「モルヴェリアさんと記憶を共有したので知ってますよ。先輩、悪魔と契約したんですね」

「……まーね」

「それも最低最悪の性悪悪魔と契約したんだとか」

「い、いや、そこまで言うほどじゃ……」

「無限に生き返るだけの契約者をポンと戦場に放り込み、ゲラゲラと楽しそうに笑う悪魔と契約できてよかったですね」

 

 痛い点を突かれ、地藤は表情を歪めた。

 

「ハハハ……いやいや、不死は人間の悲願だから」

「その割には嬉しくなさそうですが」

「……ぶっちゃけ、クーリングオフを希望している」

 

――お断りだよ☆

 

 どこかから艶やかなアルトの声が聞こえてきた。

 そうですか。ダメですか……。

 

「そんなに後悔しているならどうして契約なんかしたんですか……」

「仕方ないでしょう? どっかの女の子が死を司る悪魔に乗っ取られちゃったんだから」

「ッ! それはそれは、女の子の危機に馳せ参じるために悪魔と契約とは、先輩もお人好しですね」

「全くだよ。お陰で後悔している」

「ぐっ……も、もしかしたら、その女の子はほんのちょっとだけ感謝している……かも、しれませんよ……」

 

 チラチラ、と視線を送りながら素直になれない唯はそんなことを言ってみる。

 優斗は鼻で笑った。

 

「いや、それはないでしょ。だって僕、お礼言われてないもん。本当に感謝してたら泣いてお礼を言ってくれるはずだよ。――まぁ、その子にそんな大人な対応は期待してないけど」

 

 唯の表情が引き攣った。

 

「今の私、いつでも貴方を殺せるんですよ⁉」

「僕は死なないけどね」

「減らず口をッ!」

 

 やっぱりもう一回くらい殺しておくか――そんな物騒な考えに至った唯はすぐに正気を取り戻すと、いつの間にか持ち上げていた右手を慌てて下ろした。

 勢いで死王女の記憶を全て見たせいか、人格が少しモルヴェリア側に寄っているのかもしれない。

 自分を強く律しないと、すぐに歯止めが効かなくなりそうだ。

 唯は一瞬だけ黄金色になった目を閉じ、一旦心を落ち着かせてから目を開いた。

 

(……人間性は元のまま。だけど、軽い拍子で裏返っちゃうって感じか)

 

 そんな唯の様子を冷静に観察していた地藤は、会話をしながら彼女の状態を考察していた。

 

(僕に対する罪悪感あり。謝りたいけど素直になれないだけか。一瞬裏返りはしたものの、死王女が出てくる気配はなし。本気で怒ってるわけじゃない証拠だ)

 

 揶揄っているだけのように見えてその実、ギリギリのラインを見極めながら、口調に反して慎重に立ち回っていく。

 ここで失敗するわけにはいかないのだ。

 外道と言われようが何と言われようが、彼は非力な自分にできる精いっぱいの役回りを演じる。

 

(一先ず今は……仕切り直しだな)

 

 一瞬反転しかけたことを警戒し、地藤は軽く頭を下げた。

 

「……ごめん。ちょっと揶揄い過ぎたね」

「いえ、私も少しムキになり過ぎました。それから――」

 

 スッと息を吸い込んで、震えているのがバレないように虚勢で胸を張って。

 十六夜唯は頭を下げた。

 

「――モルヴェリアさんに変わって謝罪します。その、色々とすいませんでした……」

「とんでもない。あれは死王女様のせい……いや、戯れだったし、唯ちゃんはさっき目覚めたばっかりでしょ?」

「でも! それでも! 私は先輩にたくさん痛い思いを――」

「だから気にしないでいいよ。戦いの場に無理やり割り込んだ僕も悪かったし……それに僕も謝りたいことがあるんだ」

 

 片手を振って気にするなといい、同時に地藤はバツの悪そうな表情を浮かべた。

 

「僕の方こそごめん。ちょっと意趣返ししようと思って大人気ない態度を取っちゃった」

「大人気ないって……先輩、私の1個上ですよね?」

「だから君より大人なんだよ」

「いやいや……」

 

 相変わらず、変な人だな。

 唯は地藤へ持っていた印象を変えることなく、そっと溜息をついた。

 そして、無意識に緩みそうになっている頬を制御するために「ごほんっ」とわざとらしく咳をしてから本題を切り出した。

 

「それで、これからの話とはなんですか? あぁ、念のため先に言っておきますが――」

 

 強い意志を宿した赤い瞳が危険な光を宿す。

 

「――モルヴェリアさんと離れるつもりはありませんよ?」

 

 彼女の言葉に呼応するように、右目の色が変化する。

 左目は人間らしい激情と暖かさを秘めた赤色。

 右目は無慈悲で冷徹な黄金色。

 

(……なるほど、そうくるか)

 

 左右で異なる色を湛えた瞳は、彼女が悪魔との共存に成功したことを示していた。

 

「私、全部知ったんです。私は、彼女の力がなければ人間として長く生きることが出来ない」

 

 静かな言葉だった。

 呟くように、しかし確信を持って。

 

「……そういう風に()()()()()()()

 

 言葉が、重く響く。

 

 モルヴェリアは目覚めた唯に全てを見せた。

 彼女が見てきた"十六夜唯"に関する全てを。

 彼女の配下たちが調べ上げた情報の全てを。

 

 そして――彼女自身が知りたくなかった"真実"を。

 

「私、最初から純粋な人間じゃなかったんです」

 

 くしゃりと顔を歪める。

 吐き出すように、己の出自を語る。

 

「私は悪魔を身体に宿すために造られたホムンクルスみたいなもので……お父さんも、お母さんも……兄さんも血は繋がっていなくて……私は……生まれた時から一人なんです」

 

 自分には何もなかった。

 家族も、血の絆も、人としての在り方も――

 最初から、"持っていなかった"。

 

「人間の……成りそこないなんです」

 

 ギリッと唇を噛み締め、恥じるように告げた。

 

 突如知らされた己の出自は唯を大いに混乱させたが、同時に得心がいくものでもあった。

 そうか。

 道理で身体が虚弱なはずだと。

 道理でこんなに醜い心を持っているはずだと。

 道理で――孤独なはずだと。

 

 しかし、だからといって――簡単に受け入れられるものではない。

 だからこそ十六夜唯は叫ぶ。

 

「でも、成りそこないだからって、生きていちゃダメってことないですよね?」

 

 強く、訴える。

 

「成りそこないなら、成りそこないなりに生きる権利はあるはずなんです!」

 

 それは幸せを諦める理由にはならないと。

 悪魔をその身に宿していようと、造られた存在であろうと――

 それでも、私は"私"なのだと。

 

「……先輩だって悪魔と契約した身なんですから、私を咎める資格なんてありませんよね?」

 

 あってほしくない。

 咎めないで欲しい。

 そんな"願い"が、視線と表情から滲み出ていた。

 

 彼に否定される前に、十六夜唯は叫ぶ。

 

「最初から人間じゃないなら……いけるところまでいってやる!」

 

 その赤と金の瞳が、静かに燃え上がる。

 

「私は! モルヴェリアさんと一緒に生きますッ! その邪魔をするなら、例え先輩でも――」

「――分かった。まぁ、いいんじゃない?」

「えっ」

 

 あまりにも、あっさりと。

 まるで、何の問題もないとでもいうように。

 

 地藤優斗は、十六夜唯の決意を、ただ肯定した。

 

 どうでもよさげに。

 気にする必要などないというように。

 

 彼女は、愕然とした。

 

 長々と己の想いを語った。

 自分の過去を、苦しみを、孤独を。

 その末に、悪魔と共に生きるという自分の決意を告げた。

 

 

 そして、受け入れられた。

 あっさりと。

 あまりにも容易く。

 

 胸の奥が、ふわりと温かくなる。

 

 ……でも、なんだか、全部無駄になったみたいで――

 

「な、何ですかその反応ッ!?」

「いや、だから……いいんじゃない?」

「もっとこう、"止めるべきだ"とか、"そんなのは間違ってる"とかあるでしょう⁉」

「えっ? なに? 言って欲しいの?」

「~~~ッ‼」

 

 彼のあまりにも軽い態度に、唯の顔は一瞬にして真っ赤に染まった。

 

「真面目に答えてください!」

「真面目に答えているよ」

 

 地藤優斗は全くふざけてなどいなかった。

 至極真剣に(やや態度は軽いが)唯の話を聞き、そして肯定していた。

 何故なら――

 

「……だって、僕の願いは君と同じだからね。死にたくない。まだやりたいことがたくさんある。生きていたい……生きていて欲しい人がいる」

 

 最後の願いを口にするとき、一瞬だけ地藤優斗の視線は右に逸れた。その視線の先には、状況について行けずに茫然としている天羽璃奈がいる。

 

「だから、君が生きていたいと願うなら僕はそれを否定するつもりはないよ。たとえ、その身に死王女様を宿していたとしてもね」

「……」

「あぁ、もちろん人類に牙を剥くとかそういうのは困るけど……唯ちゃんはそういうことしないでしょ?」

「……何を、根拠に」

 

 地藤は微笑んで言った。

 

「だって、優しい子だから」

「なっ―――」

 

 またもや唯の顔が真っ赤に染まる。

 地藤はその顔を見て優しい表情を浮かべ――

 自分が賭けに勝ったことを確信した。

 

 原作のルート②において、十六夜唯は終始不安定な精神状態だった。

 人間の価値観を理解できない死王女に振り回され、兄に振り回され、己の心に振り回され、支離滅裂な言動を繰り返して“死”をばら撒いていた。

 圧倒的な力に反して不安定な心を有していた彼女はやがて、世界を滅ぼすに至るわけだが――

 

 今の十六夜唯はいい意味でも悪い意味でもメンタルが安定していた。

 悪魔と一緒に生きると強く決心を固めたことは意外だったが、それでも彼女自身に暴虐を働く意思がないことは明らかだ。

 死王女に振り回されている様子もなく、寧ろ彼女の方が制御しているようにも見える。

 

(何が起きるか分からないものだね、本当)

 

 最初、地藤は十六夜唯を見殺しにしようとしていた。

 死王女の力がなければ1年と経たずに死んでしまうと知っていながら、それでもルート②に派生するよりはマシだろうと割り切って。

 

 だが、今ではその唯が鍵になろうとしている。

 地藤は改めて己の目論見が甘かったことを恥じて――十六夜唯の強さに内心賞賛を送った。

 

(良し。あとは、締めくくるだけだな。――大詰めだ)

 

 死王女に余計な横槍を入れられる前に決着をつけるべく、地藤は気づかれないように深く息を吸ってから提案した。

 

「だから、僕たちはこうして殺し合う必要なんてないんだよ。唯ちゃんはただ幸せに生きたいだけ。そして、僕も平凡に生きていただけ。――ね? 戦う理由ないでしょ」

「……」

「戦いたいなら別だけど、少なくとも僕は君とは戦いたくない。唯ちゃんは、どう?」

 

 唯は少し考え――すぐに頷いてみせる。

 

「えぇ、確かに私と先輩が戦う理由は全くない。……というか、殺しても死なない人と戦っていても疲れるだけです。正直な話、貴方が一番人間から離れていますよ」

「ハハハ……知ってる」

 

 力のない声で笑い、地藤は肩を落とした。

 

「それじゃあ、死王女様にも言っておいてくれる? もう僕たちとは戦わないってことを」

「言わなくても聞いていますよ。……大反対だって憤慨しているみたいですけど、私からも言っておきます」

 

 己の胸に手を当てた唯は、自身の中で癇癪を起した子供のように暴れ回るモルヴェリアを感じつつ、新たな同居人の説得に骨が折れることを予想して苦笑した。

 

「おぉ……怖いな……死王女様、急に襲い掛かってくることないよね……?」

「どうでしょう? 先輩次第ですね」

「……分かった。極力、唯ちゃんのことは怒らせないことにするよ」

 

 青ざめた表情で地藤はさり気なく唯から距離を取る。何度も殺されたことが相当トラウマになっているらしい。

 そんな情けない姿に、唯は仕方ないなと苦笑を漏らした。

 

「そんなに怖いなら、契約でもしますか?」

「契約か……そうだね、そうしてもらえるとありがたいな。なんなら、()()()()()提案しようかと思っていたくらいだ」

 

 地藤はホッとした様子で微笑みながら手を差し伸べる。

 

「まったく、もう――」

 

 唯は呆れたように笑いながら自身の手を差し出した。

 そして、2人の手が重なる。

 固く握手をしながら、2人は新たな契約を結び始めた。

 

「では、改めて()()()はお互いに敵じゃないことを誓い合おう。お互いを害することは決してせず、真摯に手を取り合って協力し合うことを」

「誓いましょう。私たちは、あなたたちの味方であることを」

 

 地藤優斗たちは十六夜唯とモルヴェリアに害することは決してなく、そして十六夜唯とモルヴェリアもまた同様に、地藤優斗()()に害をなすことはない。

 ここに契約は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック) ――発動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――成立した。

 

 

「ッ⁉」

 

 唯は咄嗟に地藤優斗の手を振り払った。

 

「おっと……急にどうしたの?」

 

 無礼を働かれたにも関わらず、地藤は気分を害した様子もなく落ち着いている。

 

「……」

 

 唯は静かに考える。

 何か、今、違和感があった。

 契約に乗じて()()()()()()()()()()()――

 

『唯よ……』

 

 彼女と一心同体にして、“死”を司る悪魔、モルヴェリアは告げる。

 心底悔しそうに。

 

『……お主、謀られたぞ』

 

「ッ!」

「唯ちゃん⁉」

 

 地藤優斗が驚愕した声が聞こえる。

 だが、その声を無視して唯はその人差し指を彼――ではなく、天羽璃奈に向けた。

 つい先ほどまで人間であったはずの少女は。

 心優しい少女であったはずの彼女は、何の躊躇もなく、その力を行使する。

 

死王女の指先(モル・ヴェス)

 

 可視化された“死”が、身動きが取れない天羽璃奈に向かって直進する。

 己を置いてけぼりに事が進んでいく光景を唖然と見つめていた彼女は、不意打ちで向けられた“死”に対してギュッと目を閉じることしか出来ない。

 

 果たして――その“死”は、彼女に直撃することはなかった。

 直前になって彼女を避けたのだ。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……そうか。そういうことですか」

 

 唯は俯いた。

 その声は震えている。

 悟ったのだ。

 モルヴェリアの言う通り、自身が謀られたことを。

 

「先輩……」

 

 俯いていた唯の顔が持ち上がる。

 赤、黄金。

 2つの瞳を持つ少女はその目に憤怒を乗せ、契約を交わしたばかりの地藤を睨みつけた。

 

「私を、騙しましたね……!」

「――騙す? 騙すって、なんのこと?」

 

 地藤優斗は、まるで何も知らないかのように、すっと首を傾げた。

 表情は優しげなまま、しかしその瞳には一片の揺らぎもない。

 

 ニコリと微笑む彼の顔は、まるで“悪魔”のようだった。

 

「ッ! 誤魔化さないでください!」

 

 唯は左手の人差し指でもう一度、天羽璃奈を示した。

 まるで何かに守られているかのように“死”を回避した彼女を。

 

「貴方、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()⁉」

 

 鋭い指摘。

 そして、それは間違っていなかった。

 

 彼は天羽璃奈を契約の中に含めていた。

 

 地藤優斗と十六夜唯の間で交わされたお互いに害をなさないという契約の枠内に。

 天羽を自分たちの中に含めて。

 

 本来、そんなことはあり得ない。

 悪魔とエクソシストは、決して交わるはずのない存在。

 それを――

 

「あぁ、そのこと?」

 

 地藤優斗は、どこ吹く風といった様子でさらりと返した。

 

「唯ちゃんが勝手に契約内容について勘違いしていただけでしょ?」

「ッ!」

 

 言葉を詰まらせる唯。

 殺してやりたいほどに憎たらしいが、彼の言うことにも一理ある。

 唯は確かに勘違いをしていた。

 

 「僕たち」――その言葉を、地藤優斗と如月メフィラのことだと思い込んでいた。

 悪魔陣営の契約だと、そう信じていた。

 だが、蓋を開けてみれば――

 

「どこの世界にエクソシストを身内扱いする悪魔がいるんですか⁉」

「悪魔もなにも、僕は悪魔と契約しただけで人間だよ」

「黙って下さい! まさか、悪魔と契約しておきながらエクソシストの脅威を理解していないとは言わせませんよッ!」

 

 モルヴェリアの記憶を継承した唯は、エクソシストを決して軽視していなかった。

 天羽璃奈が、自分たちにとって脅威となる存在であることを、理解していたのだ。

 だからこそ、この契約は到底受け入れられない。

 同じ悪魔側の人間であるはずなら、それが分かっているはずなのに――

 

「そんなこと言われたって、彼女は僕の身内だよ?」

 

 ――あまりにも軽い口調。

 だが、その言葉には、確固たる意志があった。

 

「契約の中に含まれるのは当然のことだ」

「エクソシストが身内? 笑わせないでください。アレは敵です。私たちを脅かすものですよ?」

 

 唯は鋭く言い放つ。

 

 その指摘は間違っていない。

 エクソシストは悪魔を狩る者たちだ。

 

 そんな存在が「身内」など、あり得るはずがない。

 それに――

 

「第一、先輩と彼女の間柄は何なんですか? 遠い親戚なんですか? それとも友人ですか? いずれにせよ、身内とするには根拠が薄すぎるでしょう!」

 

 そう。

 "身内"と呼ぶには、あまりに理由が足りない。

 

 唯の指摘に対し、地藤優斗は端的に答えた。

 この場にいる全員にとって不意打ちとなるその言葉を。

 

 

 

「天羽璃奈は、僕の恋人だよ」

 

 

 

 静寂が落ちた。

 世界が止まる。

 

 

「―――――はっ?」

 

 再び時が動き出した時、最初に紡がれたのは十六夜唯の言葉にならない疑問だった。

 赤と黄金の瞳を限界まで見開き、乾いた声を漏らす。

 

 衝撃を受けていたのは、天羽璃奈も同じだった。

 

 紫の瞳を限界まで見開き、穴が空きそうなほどに地藤優斗を見つめる。

 痛みも忘れ、先程殺されかけたことも忘れ、ただただ、彼の言葉を反芻する。

 

――天羽璃奈は、僕の恋人だよ

 

 劇薬だった。

 彼女の心に深く深く、染み渡るように――

 

 

「それは……本当ですか?」

 

 

 やめろ。そんなことを聞くな。

 次に否定されたら、天羽璃奈は本当に壊れる。

 だが、地藤優斗はあっさりと――

 

「本当だよ」

 

 微塵の迷いも見せず、即答した。

 場の空気を完全に掌握した彼は、さらに言葉を続ける。

 

「実はこの間、別れ話をしたばかりなんだけど」

「はっ?」

「彼女から正式な返事を貰っていなかったことを思い出してさ」

「い、いやいや!」

「だから、僕がちょっと早まっただけで――僕たちはまだ恋人同士なんだよ」

「……屁理屈じゃないですか⁉」

「でも、真実だ」

 

 いや、()()()()()()()()()()()

 地藤は十六夜唯を真っすぐに見つめ、心の中でそう断言する。

 そうでなければ、天羽を救うことは出来ないのだから。

 

 死王女は、エクソシストを――天羽璃奈を決して許さないだろう。

 そして十六夜唯もまた、自分たちを害する可能性がある者を決して許さない。

 

――だからこそ、"契約"で縛る。

 

 屁理屈だろうが、論理の捻じれだろうが、この契約がある限り、天羽璃奈を傷つけることは絶対にできない。

 騙し討ちのように契約に混ぜ込んだことは悪く思っているが、それだけ地藤にとってこの契約は生命線となるものだった。

 内心の焦りは表に一切見せず、彼は堂々と宣言する。

 

「そういうわけで、彼女は()()()に含まれる。絶対に傷つけようとしないでよ? 契約はきっちり履行してもらう」

「ッ! 契約破棄を要求します!」

「拒否します」

「契約破棄の自由も認めないのですか⁉」

「双方合意のもとに結ばれた契約だよ? 当然、契約破棄も双方同意のもとじゃなきゃダメだ。予め契約を破棄できる条項があったなら別だけど、唯ちゃん特に指定してなかったよね?」

「双方合意? 笑わせますね! 私は合意などしていません!」

「いいや、()()()。確実に契約は合意のもとで成立している。じゃなきゃ、()()()()()()()()()()()()()()

「ッ! 契約内容に不備が発覚したのに破棄を認めさせないとは随分と理不尽ではありませんか⁉」

「ちゃんと事前に確認しなかったそっちが悪い」

「契約のサインを交わしている最中に追加された条項を確認していなかった方が悪い? 詐欺もいいところじゃないですか!」

「じゃあ、やり直す? その代わり、そっちの条件も見直してもらうけどね」

「……なんの話です?」

「気が付いていないの? 僕は唯ちゃんたちのサイドに()()()()()()()()()()()()()()()

「えっ」

 

 突然差し込まれた兄の名に動揺する。

 十六夜唯は咄嗟に先程結んだ契約を思い起こした。

 私たち、の定義はなんだったか――

 

 

 

悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック) ――発動。

 

 

 

 

――はーい、隙あり。()()()、なんて曖昧な表現を契約に用いたらダメじゃないか。そんなの、幾らでも解釈の余地はあるよ。

 

『むっ、いかん! 唯! 耳を貸すな! 愚妹の能力じゃ!』

 

 咄嗟にモルヴェリアが制止するが、唯はその言葉に耳を傾けてしまった。

 

――そんな隙だらけの唯ちゃんに特別出血大サービス! 今回は僕の契約者の恩情に従って、君のお兄さんを特別に契約に加えてあげよう。……まぁ、嫌だっていうなら別に構わないよ? その代わり、()()()()()()()()()がお兄さんにちょっかいを掛けに行くかもしれないけどね。

 

「ッ⁉」

 

 実質的に十六夜蓮を人質に取るような発言を受け、唯は固まった。

 

『おのれ……! ぬかった! これが貴様の筋書きか! メフィラ!』

 

――僕の、じゃなくて。僕の契約者の、ですよ? 姉上。

 

 どこからか響く、不敵な声。

 気配もないのに、そこに確かに存在する“悪魔”。

 

――道化は道化らしく、用意された舞台で踊るのみ。ここの主役は彼です。

 

 影が揺れる。

 一瞬だけ実体化した如月メフィラが、ゆらりと現れる。

 地藤優斗の背後から、彼の肩に腕を回し――耳元で囁いた。

 

「さぁ、そろそろ幕引きといこう――我が愛しの契約者様」

「……言われなくとも」

「フフフ」

 

 ふわり、と甘い香りを残しながら、悪魔は藍色の光となって消えた。

 地藤は怒り心頭らしい2人と対峙し、落ち着いた様子で語る。

 

「もう一度契約の内容について整理しようか。僕たち――地藤優斗、如月メフィラ、天羽璃奈は、君たち――十六夜唯、モルヴェリア、十六夜蓮に()()()()()()()()()()。真摯に手を取り合い、協力し合う。そして、その逆も然り。それが、今回の契約内容だよ」

「……随分と好き勝手に書き換えてくれますね」

()()()()()()()()()()。成立した契約を書き換えるなんて、そんなことはどんな悪魔にも出来ない。僕がやったことといえば、曖昧だった解釈の内容を明らかにしただけさ」

「……」

「唯ちゃんが気に食わないなら、契約を破棄して結びなおしたっていいんだよ? ただ、その場合は十六夜蓮君のことも考え直さなきゃいけなくなるけどね」

 

 地藤優斗が穏やかな声色で選択を迫る。

 唯はうつむいて思考を巡らせた。

 兄が契約に含まれている。それは非常に素晴らしいことだ。

 寧ろ、どうして彼を最初から契約に含めなかったのかと内心で自分を罵倒してしまうほどに、その契約は彼女にとって理にかなっていた。

 

 気になるのは1点のみ。

 

「モルヴェリアさん」

『……無駄じゃ。諦めよ。こと契約においては、メフィラの右に出る者などおらん。もっとワシが止めるべきじゃったな……』

 

 屁理屈を捏ね、自分の都合がいいように解釈を広げ、契約の隙をつく。

 正しく“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”の真骨頂である。

 

 珍しく、死王女が素直に白旗を上げた。

 久々の復活で気が緩んでいたのか――この場で最も警戒すべき悪魔への警戒を、一瞬でも疎かにしてしまっていた。

 

「そうですか……では、あの人を契約から外すことは出来ないわけですね」

 

 じろり、と唯の鋭い視線が未だに身動きを取ることが許されていない天羽に向けられる。

 肝心の彼女は、まるで嵐の中心に放り込まれた子猫のように、どこか不安げに揺れる瞳で優斗をじっと見つめていた。

 

「そういうこと。じゃあ、そういうわけで、これからよろしく頼むよ」

 

 澄ました顔で勝利を宣言する地藤優斗。

 唯はぐっと歯を食いしばり、悔しそうに契約の隙を探し始める。

 

「……あのエクソシストが仲間を呼んで、私たちに害をなす可能性、ありますよね?」

「ないよ。それはない。契約に名を連ねている以上、天羽璃奈が君たちに害をなすことはできないんだ。それがどんな形であってもね。その逆も然りだけど」

 

 一刀両断。完全論破。

 だが、唯はそこで引き下がらない。

 

「……別に先輩、あの人と結婚しているわけじゃないんですよね?」

「ん?」

「じゃあ、“身内”というのはおかしいんじゃ――」

「身内って言葉の解釈が限定的すぎないかな?」

 

 優斗は淡々と切り返す。

 

「今、僕たちは2つの陣営に分かれて契約を結んでいるんだよ? 天羽はこっちの陣営に属しているんだから、それはもう“身内”でしょ」

「それがおかしいんですよ! いつからあの人が貴方の陣営になったんですか⁉」

「恋人だから、最初からだよ」

 

 即答。

 この場にいる誰よりも自然なトーンで、さらりと口にする。

 

「こ、恋人だから同じ陣営とは限らないじゃないですか!」

「……それは流石にちょっと無理がある暴論じゃない?」

「ぐっ……!」

 

 押し負けそうになる唯。

 だが、彼女はまだ諦めない。

 何かないか? 他に、何か糸口は。

 唯は必死に契約の粗を探して――

 

「……あのさ、ちょっといい?」

 

 心底呆れた彼の声に遮られた。

 

「ちょっと黙っていてください! ……なんですか? その顔」

「本当に気が付いてないのか……」

「な、なにがですか! もったいぶらないでさっさと教えてください!」

「はぁ……あのね、こうやって契約の粗を探そうとすればするほど唯ちゃんの首を絞めるだけなんだよ……?」

「……どういう意味です?」

「十六夜蓮君のこと忘れたの?」

「兄さんのことはそっちが勝手に契約に巻き込んだんじゃないですか!」

「いや、そういう話じゃなくて――彼はエクソシスト側でしょ?

「……あっ」

 

 忘れてた。

 そんな顔をしている唯。

 

 ……いやいやいや、おいおいおい。

 

 君の最愛のお兄さんでしょ?

 優斗はかなり本気で呆れていた。

 唯は顔を赤くし、誤魔化すように大声で反論する。

 

「ま……まだそうと決まったわけではありませんから!」

「でも、そうなる可能性が高いでしょ? それとも、あの真っすぐな彼が悪魔になってくれると思う?」

「い、いや、それは――」

「彼がエクソシストになった時、今と同じやり取りをすることになるんだよ?」

「うっ」

「僕は許されないのに唯ちゃんは許されるなんて、そんなの不平等だよね?」

「い、いや……」

「唯ちゃん」

 

 地藤はとびきり優しい声で囁きかける。

 その瞬間、唯は思わずピタリと身動きを止めた。

 静寂。

 優斗は、その隙を見逃さず――

 

「片意地を張るのは止めようよ」

 

 静かに、けれど確実に、彼女の心に届くように言う。

 

「お互いに守りたいものがあるだろう? これは、その大切なもののための契約なんだ」

 

 彼の真っすぐな瞳が揺れる赤と黄金の瞳を覗き込む。

 

「――お願いだよ。僕は君たちと争いたくないんだ。どうか、受け入れて欲しい」

 

 ズルい。

 そんなこと言われたら。

 そんな言われ方をされたら、

 何も言えない。

 認めるしかないだろう。

 

「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 

 唯の負けだ。

 

「ッッ~~~~~‼」

 

 十六夜唯は顔を真っ赤にし、歯を食いしばりながら地団太を踏んでいた。

 悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい!

 今すぐにこのふざけた男を殺してやりたくなるが、契約でそれは出来ないことになってしまった。

 

「先輩ッ!」

「はい」

「今回は私の負けを認めますが――このままでは終わらせませんからねッ!」

「はいはい」

「本当に、本当に、絶対に許しませんからね! いつか痛い目に遭わせてやりますからッ!」

「はいはい」

「はい――は1回ッ!」

「うい」

「このッ! ……あー、もうッ!」

 

 が―っと美しい赤髪を掻きむしり、唯は地藤を睨みつける。

 彼は飄々とその視線を受け流した。

 ……黄金の瞳の方には内心かなりビビりつつ。

 

「あっ、そういえば」

 

 これ以上、この赤毛の少女を怒らせるのは得策ではないと判断した地藤は、偶然思い出した風を装って伝える。

 

「蓮君を迎えに行かなくていいの? 唯ちゃんを助けるって息巻いていて、今すぐにでもこの部屋に突入しそうだったから、比較的安全な外で結界を破壊しているようにお願いしたんだけど……」

「兄さん……猪突猛進がすぎますよ……」

 

 呆れたように頭を振りながら、しかしそこまで自分が心配されたことが嬉しいのだろう。頬を綻ばせつつ、彼を迎えに行くために歩き始めた。

 

「ちょっと待って! 行く前に天羽の拘束を解いてくれない? 彼女はもう味方なんだからさ」

「……」

 

 嫌々、といった表情で振り返った唯は横目で天羽を見ると――さっとその右腕を振った。

 はらり、と彼女を拘束していた黒衣が解け、ただの魔力となって霧散した。

 天羽と唯の視線が交錯する。

 唯は、興味なさげに視線を外した。

 

「はぁ……この契約、後悔することになりそうですよ」

「大丈夫。僕が後悔させないよ」

「貴方が言うから不安なんですよ」

「ハハハ……今の皮肉は結構傷ついたよ」

「えっ、皮肉のつもりはなかったんですが――」

「えっ?」

「えっ?」

 

 2人で顔を見合わせる。唯はそっと目を逸らした。

 地藤は泣きそうな顔で俯いた。

 完全に自業自得だった。

 

「……疲れました。結界を解除して、兄を拾ったら今日は帰ります」

 

 どこへ帰るのか。

 それは言うまでもないだろう。

 突然いなくなった患者に病院は騒然とするだろうが、病に伏していた少女が元気な姿で家に帰れるのだ。

 今晩だけでも大目に見てやって欲しい。

 

「唯ちゃん」

「なんですか? これ以上の厄介ごとは――」

「また学校でね」

「―――」

 

 地藤は笑って手を振る。

 

「先輩」

「ん?」

 

 唯は肩の力を抜いて、ぺこりと頭を下げた。

 

「色々と、ありがとうございました。……また、学校で」

 

 そして最後に花が咲くような笑みを浮かべて、彼女は兄を迎えに廃墟と化した病院から軽快な足取りで歩き去っていった。

 

 もう病に悩まされることがない、その軽快な身体で。

 

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 騒々しい唯と死王女が去り、破壊され尽くされた病室に沈黙が訪れる。

 間もなく結界も解かれるだろう。

 

 戦いは終わった。

 長く、苛烈な、色々な意味で忘れられない時間だった。

 だが、それが終わったからといって、すべてが解決したわけではない。

 

――傷は、残り続ける。

 

 その背中を見送ったあと、地藤優斗は歩き出した。

 向かう先は、ただ一人。

 

 拘束が解け、祓器の武装も失われた彼女。

 戦士ではなく、ただの少女として、そこに座り込んでいる彼女。

 

 天羽璃奈は、俯いたまま動かない。

 肩が微かに震えている。

 

 言葉を紡ぐこともできない。

 誰にも触れられたくない。

 そんな彼女の心が、その姿だけで痛いほど伝わってくる。

 

――僕は、彼女をこんなにも傷つけた。

 

 その事実が、何よりも苦しかった。

 

 地藤は、彼女の目線の高さまでしゃがみ込んだ。

 地面に膝をつき、静かにその名を呼ぶ。

 

「天羽」

 

 ……返事はない。

 ただ、震える肩がわずかに硬直するだけだった。

 

 俯いたまま、顔を上げてはくれない。

 それでも、優斗はもう一度、もっと深く、もっと真摯に――

 

 この世で、一番愛おしい彼女の名前を呼んだ。

 

「天羽。天羽……璃奈

「ッ!」

 

 バッと璃奈の顔が持ち上がる。

 驚いたような表情のまま、紫色の瞳が優斗を捉えた。

 

 その瞳には、涙が浮かんでいた。

 光を宿すはずのその瞳は、あまりにも儚く、傷ついていた。

 ――僕が、こんな瞳にさせてしまった。

 

 彼女の美しい紫が、こんなにも脆く、壊れそうに滲んでいる。

 優斗はその瞳を真っ直ぐに見つめ――

 そのすべてを受け止めるように、静かに口を開いた。

 

「話し合いをしよう」

 

 璃奈の瞳が揺れる。

 驚き、不安、戸惑い、悲しみ……いくつもの感情が入り混じる。

 

「……僕たちの、今後について」

 

 口にした屁理屈を、"真実"にするために――。

 

 




というわけで、(唯ちゃんの顔面が)真っ赤な回でした。
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