世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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お久しぶりです!
大変長らくお待たせいたしました。
第二章開幕です。




第二章
第18話:文化祭はイベントの宝庫


 今から、1年前のことだ。

 

『目に見えるすべてを救う――』

 

 母が目の前で命を絶った、その瞬間。

 天羽璃奈は、呪いのようにその言葉を魂に刻みつけられた。

 

 目を覚ましていれば、人を助けなければならない。

 目を瞑れば、母の亡霊に責められる悪夢に魘される。

 

 彼女の日常は、そんな生き地獄だった。

 

 常人ならば、とうに心を病んでいただろう。

 だが、璃奈は潰れなかった。

 ――いいや、潰れることが()()()()()()()

 

 それは生まれ持った超常の才能ゆえでもあり、

 何より、完璧を強いられて育った少女の誇りが、彼女を支えていたからだ。

 

 歪さにすら気づかないまま、天羽璃奈は完璧超人へと近づいていった。

 

 容姿端麗、運動神経抜群、成績優秀――

 さらに、献身的でお人好し。

 たちまち、学園のアイドルとして注目を浴びるようになった。

 

 羨望と嫉妬を向ける女子たち。

 恋慕と憧憬を向ける男子たち。

 たくさんの告白を受けた。

 たくさんの好意を寄せられた。

 

 けれど――彼女にとって、それらは無意味だった。

 彼女の関心も、執着も、ただ一つ、()()という名の呪いに集約されていたが故に。

 

 特に、恋愛に至っては、完全に興味の外だった。

 

 なぜ、そんなもので一喜一憂できるのか、理解できない。

 いや、理解しようとすらしなかった。

 

 もしも心を許してしまえば。

 もしも愛を知ってしまえば。

 

 ――きっと、()()()()()()()辿()()

 

 無意識のうちに、彼女はそう悟っていた。

 だから、初恋すら経験しないまま、天羽璃奈は自らの感情を封じ込めた。

 ただひたすらに、我欲を捨て、他人のために生きる。

 それだけが、自分の存在理由だった。

 

 痛々しいまでに純粋な聖女。

 それが、かつての天羽璃奈だった。

 

「ねぇ、僕も混ぜてよ」

 

 ()に出会う、その時までは。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰ 

 

 

「えっ」

 

 天羽璃奈は作業の手を止めて顔を上げた。

 場所は生徒会室。

 机の上に山のように積まれているのは今度行われる学園祭用のパンフレットだ。

 

 数日前。璃奈は開催まであと数日を切りながら、何も準備が完了していない実行委員たちから救助要請を受けた。

 

 目に見える全てを救う。

 この救助要請が己の信念に該当するものだと判断した璃奈は首を縦に振った。

 

 そして助っ人として参戦した璃奈は、持ち前の能力で獅子奮迅の活躍を見せる。

 

 状況を整理してタスクを振り分け、人を動かし、自身もまた精力的に手を動かす。

 1つ上の生徒会長が完全に空気になるほどのカリスマ性と知力を発揮した彼女のお陰もあり、準備は急ピッチで進んだ。

 後はパンフレット作成だけで終わりというところまで何とか漕ぎ着け――

 疲労困憊の実行委員たちを家に帰し、天羽は一人で生徒会室に残ってパンフレット制作に着手していた。

 

 作業自体は単調なものだ。中身を確認し、散らばらないようホッチキスで止めるだけ。

 一番簡単な作業であり、重要度もそこまで高くなかったので最後に回されていたその作業を、天羽は一人で黙々とこなしていく。

 

 そんな中、例の声が掛けられた。

 

「えっと……まだ残っていたの? 地藤君」

 

 ニコリと微笑む人当たりが良さそうな少年――地藤優斗。

 抜群の記憶力を持つ璃奈は実行委員の名前と顔を全て覚えていたが、その中でも特に印象深い人物が彼だった。

 

 文化祭まで残り少ないリミットの中で動かなければならない悲壮感と絶望感、そして自業自得とはいえ、璃奈にこき使われることへの不満を抱えた人物が殆どの中、一人だけ瞳を輝かせ、いきいきと楽しそうに動き回っていたからだ。

 

 璃奈とも積極的にコミュニケーションを取り合い、やるべきことの順序を定めて手を動かしている様子は彼女にも好印象だった。

 

 何が彼のモチベーションになっていたのかは終ぞ謎のままだったが……。

 

「うん。楽しそうなことをしてるのに一人で帰るのはもったいないと思ったから」

 

 この淡々とした虚無の作業のどこに楽しさを見出したのか。

 困惑する璃奈の視線を飄々と受け流し、地藤は彼女の向かい側の椅子に腰かけてホッチキスを手に取った。

 

「それじゃあ、勝手に混ざらせてもらうよ」

「いやいや、地藤君頑張っていたからもう疲れたでしょう? 今日は帰ってゆっくりしてよ」

 

 恐らく気を遣って作業を手伝おうとしてくれている彼の申し出をやんわりと断る。

 人を助けることが璃奈の“生きがい”であって、人に助けられることなどあってはならないのだ。

 

 だが――

 

「えっ……僕は邪魔ってこと……?」

 

 璃奈のやんわりとした拒絶を聞いた地藤は急に泣きそうな表情になり――積み重なった紙の束に顔を突っ込んだ。

 

「え、えぇ……?」

「酷い! 酷いよ天羽さん! 僕が邪魔だなんて……!」

 

 準備期間に会話こそしていたものの、彼に対して真面目で優しいという印象しかもっていなかった璃奈は突然の奇行に大いに混乱させられた。

 慌てて彼の大袈裟な勘違いを否定する。

 

「い、いや! そういうわけじゃないんだけど――」

「嘘だ! じゃなきゃ、帰れなんて酷いこと言わないよ!」

「か、帰れなんて言ってないよ! 私はただ、地藤君が疲れているだろうと思って……」

「疲れてるなんて酷い!」

「酷いこと言ってるかな⁉」

「言ってるよ! 僕は疲れてない! ただホッチキスで紙をパチパチしたいだけなんだよぉ~!」

「と、特殊な趣味だね……」

「特殊なんて酷い!」

「えぇ……?」

 

 多分、璃奈も疲れていたのだろう。わけのわからないツッコミを入れながら、紙の束に顔を突っ込んで泣いている同級生を引いた目で見る。

 璃奈は疲れた顔で首を振った。

 

「えぇ……と、ごめん。せっかく地藤君がホッチキスでパチパチしたがっていたのに、帰ったら? なんて酷いこと言っちゃったね」

「自分の非を認めるんだね!」

「認めるっていうか……私は地藤君が疲れてないなら、別に一緒にやっても――」

「そうなんだ。あー、よかった。じゃあ、一緒に頑張ろうか?」

「えっ」

「天羽さん、何してるの。早く手を動かさないと終わらないよ?」

「あっ、ご、ごめん……!」

 

 疲労困憊ということもあってか、いつもより頭の回転が鈍い璃奈は慌てて作業を再開させた。

 

「――って、いやいや! 地藤君、さっきのは泣くふり……」

「そんなことはどうだっていいだろう⁉ 早く手を動かさないと間に合わないんだよ⁉ ここで2人の力を合わせないでどうするのさ!」

「いや、だから――」

「僕が泣いていたかなんて今はもう、些細な問題じゃないか! さぁ、2人でこの作業を終わらせよう!」

「えーと、うーん……」

 

 いまいち釈然としないところはあるものの、璃奈は別に彼と一緒に作業をすることが嫌なわけではない。

 ただ、この数日間を通して誰よりも精力的に動いてくれていた彼にさらに働いてもらうことが申し訳ないだけで――

 

「本当にいいの……?」

「もちろんだよ。寧ろ、やらせてください」

「なんでそこまで……」

「2人でやった方が効率がいいでしょ?」

「それは、そう、だけど……」

 

 璃奈には分からなかった。

 これまで彼女に手を貸そうとしてくれる男子は大勢いた。

 しかし、彼女が節操なく、そして妥協なく人を助け続ける姿を見て――次第に離れていった。

 

 この文化祭の準備だってそうだ。

 璃奈はいつも通り、一切妥協しなかった。

 

 誰よりも頭を働かせ、誰よりも手を動かし、誰よりも気合が入っていた。

 

 その姿勢は素晴らしいものではあるが、冷静に考えれば彼女は実行委員でもなければ、文化祭に思い入れがある人物でもない。

 ただ助けを求められただけで、必要とされただけで、皆を凌駕する熱量で動ける。

 

 最初は尊敬の眼差しを向けていた実行委員たちだが、“優しさ”や“ストイック”という言葉では説明がつかない璃奈の本性を目にし、次第に恐れとやっかみの表情を浮かべるようになった。

 

 “どうしてそこまで……”

 “なにがしたいの……?”

 “なにが目的……?”

 “もう十分だろ……”

 “意味わかんない”

 “早く帰ろうぜ”

 

 度を越えたお人好しにして、完璧主義者。

 時として、璃奈の性質は人々に大いに嫌われる要因となってしまう。

 彼女はどこまでも母と自分に忠実であるが故に、また孤立していた。

 

 璃奈とて自分が嫌われ始めていることは何となく分かっていた。分かっていたが、どうすればいいのか分からない

 凝り固まった信念――いや、現代の医学用語でいえば強迫性障害といっても差支えがない病的な信念に突き動かされている彼女には、ごく普通の感性こそ理解できなかったのだ。

 

 その点、この地藤優斗という同級生は異質な存在であった。

 この数日間、誰よりも間近で璃奈の異常な感性に触れてきただろうに、一切引く様子をみせない。

 

 寧ろ、「もっと来い!」とばかりに次々と仕事を要求してくる始末で、璃奈と働くのが楽しくて仕方がないと言わんばかりだ。

 理解できない存在ではあったがしかし、璃奈にとって彼の姿勢は好ましいものであった。

 大袈裟な言い方をすれば“救い”ですらあった。

 

 どうしても孤高――いや、孤独にならざるを得ない璃奈にずっと寄り添っていてくれる初めての人だったから。

 だからこそ、璃奈は理解に苦しむ。

 

「どうして……?」

 

 関われば関わるほど人が離れていく彼女についてきてくれるのか。

 

「どうして、そんなに私を助けてくれるの……?」

 

 その答えを知りたくて、尋ねずにはいられなかった。

 

 璃奈の疑問に対し、地藤はほぼ反射的に――

 何も考えずに本能のままに己の答えを口にした。

 

「そりゃあ、()()だからね!」

「推し……?」

 

 推し。その言葉は何となくだが璃奈も知っていた。確か、好みのアイドルなどに対して好意を示す時に使う言葉だったはずだ。

 その感情を璃奈に持っている……? 

 つまり、地藤優斗は璃奈のことが――

 

「あ、あれ……? ご、ごめん! なんか、変だな……なんで急にこんなこと言ったんだろ……?」

 

 困惑していたのは彼女だけではなく、何故かその言葉を口にした地藤自身も戸惑っていた。

 

 首を傾げながら先ほど反射的に口にした言葉を疑問に思う。

 心なしか頬が赤い。本当に意図した言葉ではなかったようだ。

 

「……まぁ、いいか。事実だし」

 

 しかし、自分の中で折り合いがついたのか。

 すぐにいつもの穏やかな表情に戻ると、1つ頷いてから口を開いた。

 

「うん。天羽さんが僕の“推し”だから。理由なんて、それだけだよ」

「そ、そうなんだ……」

 

 “推し”という言葉に込められている感情を璃奈は知らない。だが、どうでもいいと割り切ることは出来なかった。

 彼の目はあまりにも優しくして、確かに喜んでいる自分がいたから。

 

「地藤君」

「はい」

「その、疲れているところ、悪いんだけど……私を手伝ってくれない?」

「喜んで」

 

 天羽璃奈は非常に珍しいことに自ら人へ助けを請い、そして地藤優斗は満面の笑みでそれを受け入れた。

 既に出会っていた2人ではあるが――振り返れば、この瞬間こそが2人の本当の出会いであったと言えるのかもしれなかった。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰ 

 

 

 

 

「あー、そんなこともあったね」

「そんなことって……私にとっては大事な思い出なんだよ?」

 

 僕は淡々とパチパチしていたホッチキスを机の上に置いてから横を向いた。

 そこには同じくホッチキスを手に取った状態で微笑む恋人がいる。

 

「大事な思い出……? 僕のせこさしか見どころがないあのイベントが?」

「もちろん。だって、あれは意固地だった私を救うために優斗君なりに気を遣ってくれていたんだよね?」

「いや、別に、そういうわけじゃ――」

「誤魔化したって無駄だよ。私には分かっているんだから。あの頃から優斗君は、私のことを助けようとしてくれていたんだって」

 

 そう言って微笑む天羽の表情は柔らかい。

 そして真っすぐに向けられる信頼の瞳が眩しい。

 僕は思わず顔を背けた。

 

「あぁ……そうだった、かもね……」

「あっ、照れてるの?」

「はいはい。璃奈の好きなように解釈してくれたらいいよ」

「照れてるんだ。フフフ、それじゃあ私の好きなように解釈しておくね」

 

 違うんだ。いや、違わなくはないけど、違うというか……。

 

 地藤優斗全肯定マシーンと化した璃奈の変換能力によって都合のいい解釈がされているが、ぶっちゃけて言ってしまうと、その一連の出来事は僕が前世の記憶を正確に思い出す前に調子に乗っていただけなのである。

 真面目に働いていたことは事実ではあるが、それ以上に無意識レベルで知っていた璃奈の性格に付けこんで強引に仲良くなったあの瞬間を思い返すと非常に恥ずかしくなるというか――

 

 まぁ、あれだ。端的に言うと「黒歴史」なのである。

 

 だから、彼女の口から誇らしげに当時のことを聞かされる度に罪悪感と羞恥心が込み上げてきて死にたくなってくるというか……居たたまれない気持ちになる。それも全部背負うと決めたのだから、今更動揺したって仕方がないことではあるのだが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

「それにしてもさ」

 

 僕はうりうり、と背中をつついてくる璃奈の指先をひらりとかわしながら、わざとらしく大きな溜息をついて話題を逸らした。

 そのまま視線を向けた先には、無惨にも積み上がった紙の束。パンフレットの山。終わりの見えない作業の象徴だ。

 

「……本当、うちの実行委員たちの怠惰ぶりには頭が下がるよ」

「ごめんね? 私が手伝いを拒否したばかりに……」

「璃奈、こういう時は謝っちゃダメだよ。悪いのはあの実行委員たちなんだから」

 

 呆れたことに。今年の実行委員の面々はかなり慢心していたらしい。

 去年の璃奈の獅子奮迅の活躍を目にしていたのだろう。

 

 今年も天羽璃奈に頼み込めば何とかなるに違いない。

 あの天羽璃奈が人の頼みを断るはずがない。

 そんな甘い算段で、無意味にミーティングだけ重ねて――そして、あっさりと璃奈に提案を断られたそうだ。「彼氏と一緒に過ごすから」と。

 

 逆恨みであるにも関わらず、色々と罵詈雑言を浴びせられたらしいが、璃奈は意にも介さなかったらしい。

 彼女本人が何も感じていないのであれば特に問題はないが、個人的にはかなり憤りを覚える話である。

 

 去年は僕も(半ば押し付けられるような形だったとはいえ)実行委員だったので、璃奈に迷惑を掛けていた側だが、流石に頼ることが当たり前になるというのは良い気がしない。

 

 ましてや、いいように使われようとしているのが自分の恋人であればなおのことだ。

 原作でも度々、璃奈の歪さを浮き彫りにするために人間の醜さを浮き彫りにするイベントはあったが、こういうのは目にするたびに嫌な気持ちになる。

 

「でも、流石優斗君は優しいね。今年は実行委員じゃないのに、手伝いを申し出るなんて」

 

 ――と、散々罵倒しておいてなんだが、僕は璃奈の言う通り、今年も文化祭の手伝いに参加をしていた。

 

「いや、僕も手伝う気はなかったんだけど、ちょっと頼み込まれちゃってさ」

「頼み込まれたって、誰に――」

 

 彼女が不思議そうに小首を傾げた、その瞬間――

 ガラリ、と。

 教室の扉が音を立てて開かれた。

 

「……まだ残っていたのか」

 

 凛とした声が教室に響き渡る。

 噂をすればなんとやらか。

 僕は心なしか機嫌が悪くなった璃奈を前に胃をキリキリさせながら、渋々振り返った。

 

 そしてそこにいたのは――

 絶世の、美しさを持つ少女だった。

 

 艶やかな銀の髪が夕陽の残滓を受けて滑らかに煌めく。

 すらりと伸びた長い脚と均整が取れた抜群のプロポーション。

 人形のように整った顔立ちは異国の血が混じっているのか、和洋折衷良いところ取りの美貌で、完璧な顔には紅玉のように赤い瞳が2つ嵌められていた。

 笑えば誰もが恋に堕ちるだろうに、元来の生真面目さをそのまま示すかのように表情は硬く、必要以上の感情を滲ませることがない。

 

「霧島先輩……」

 

 冷たい美貌を放つ彼女の名は霧島レイ

 僕たちの一つ上の先輩で、剣道部の主将にして、元生徒会執行部の中心人物である。

 その生真面目さと実直さで、学園内では一目置かれる存在であり、決して妥協を許さぬ鋼鉄の意志の持ち主だ。

 

 去年の文化祭では、ただ一人、璃奈の在り方を正しく見抜き、迷いなく手を差し伸べてくれた数少ない味方だった。

 そして――僕に「また手を貸してほしい」と言ってきた張本人でもある。

 去年の文化祭での僕の働きぶりを以前より高く評価してくれていたらしく、直々にお願いをしてきた時は流石に驚いた。

 

 教室の入り口から窓際で作業をしていた僕の机まで近づいてきた彼女は机の上を見て、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「あぁ、文化祭の準備をしてくれていたのか……私の頼みで苦労をかけて済まないな」

「いえいえ。こういう作業は得意ですから、お気になさらないでください」

「しかし、そうは言ってもな……」

「お礼なら一緒に作業をしてくれている璃奈にお願いします」

 

 そこで、彼女の視線はようやく璃奈の方を向いた。

 二人の視線が交わる。

 どちらも人見知りをするタイプではないはずなのだが、その雰囲気はどこか気まずい。

 

「天羽も苦労をかけてすまないな。私がきちんと実行委員の連中の手綱を握れなかったばかりに……」

「いえいえ。霧島先輩は部活の遠征に出かけられてお忙しかったでしょうし、仕方のないことです」

「そう言ってもらえると助かる」

 

 友好的だが、どこか儀礼的に会話を交わす二人。

 原作知識で二人の背景を知っているので気まずさの理由も分かるのだが……流石にここでは余計なことは言わない方がいいだろう。

 

「二人はまだ残るつもりか?」

「はい。出来ればキリの良いところまで終わらせたいので」

「そうか……すまな――」

「謝るのはもう止めましょう。出来れば、お礼をもらえるとありがたいです」

「……フフッ、そうか。そうだな。頑張っている者には、功を労うべきだったな」

 

 どこかニヒルな――しかし良く似合う笑い方をしてから彼女は僕を真っすぐに見つめた。

 

「ありがとう、地藤君。今年も君の力を借りたい」

「どういたしまして。僕で良ければいつでも力を貸しますよ」

「そう言ってもらえると助かるよ。……天羽もありがとう。暫く君の彼氏を借りることになるよ」

「……いえ、気にしないでください。私もやりたくて優斗君を手伝っているだけなので」

 

 あくまでも僕の為、ということを強調しながら璃奈が答える。

 暗に彼女個人が文化祭の手伝いをする気はないとも受け取れる回答を聞き、霧島レイは苦笑いを浮かべた。

 

「それじゃあ、苦労を掛けるが引き続きよろしく頼む」

「分かりました。先輩も頑張ってください」

 

 微かに微笑みを浮かべて、彼女は立ち去って行った。

 

「よし、それじゃあ、もう少し頑張ろうか」

「……うん!」

 

 どこか複雑な表情をしている璃奈に声を掛け、僕たちは再び作業を開始させた。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰ 

 

 

 

 

「いや~、すっかり真っ暗だね」

「本当だね」

 

 あの後、見回りにきた先生に強制帰宅を命じられるまでダラダラと雑談をしながら作業を進めていた僕と璃奈は、ようやく帰路についていた。

 既に暗くなった帰り道を2人で肩を並べて歩く。

 もちろん、手を繋いだ状態で。

 

「でも今日中にひと段落ついて良かったよ。ありがとね、璃奈」

「うぅん。私は優斗君と一緒にいたかっただけだから」

 

 嬉しいことを言ってくれる璃奈は微笑みながらさらに僕へ密着してきた。

 

 暗くなったとはいえ、部活帰りの生徒たちもいる。

 四方からビシバシと視線が飛んでくるのを感じつつ、僕は努めてそれらを無視しながら寄りかかって来る璃奈を受け入れた。

 

 誕生日に贈られたお揃いのピアス。

 顔を合わせれば満面の笑みを浮かべて近寄り、積極的にボディタッチをして好意を隠そうともしない璃奈の姿勢。

 これでバレない方がおかしいというもので――僕たちはここ数週間で学園中に知られる有名カップルになっていた。

 

 覚悟を決めた身としてそれが嫌というわけではないのだが、以前よりも肩身が狭い思いをしているのは事実だ。

 男性陣から向けられる無数の嫉妬の視線。女性陣の値踏みするような視線。

 決して心地いいものではなかったが、別に我慢できないものではない。

 

 問題は、璃奈がそういった他者からの視線や感情に対して極端に鈍くなってしまったことだ。

 いや、鈍くなったというよりも、何も感じなくなってしまったと言うべきか……。

 

 以前であればそれなりに世間体を気にしている側面もあった彼女だが、今では誰が何を言おうとどこ吹く風。

 自惚れでも何でもなく――純然たる事実として、璃奈は僕が言うことにしか興味がないようであった。

 

 それは決して健全な状態であるとは言えないだろう。

 人生は恋愛が全てじゃない。恋人や家族以外にも触れあう人がたくさんいてこそ輝くもの――のはずだ。多分。

 まぁ、あんまり友達がおらず、恋人以外に人生が恵まれているとはいえない僕では説得力皆無なんだろうけど……。

 

「ねぇ、優斗君」

「な、なに……?」

 

 そんなことを考えながら歩いていると、急に璃奈に声を掛けられた。

 一瞬、考えを読み取られたのかと思ってドキッとしたが、どうやら違うらしい。

 

「霧島先輩のことなんだけど……」

「あぁ、あの人か。どうかしたの?」

「……あんまり、近づかない方が良いと思う」

 

 深刻な表情で告げられた言葉に唖然とし、思わず一言。

 

「……嫉妬?」

 

 余計なことを言ってしまった。

 璃奈は大きな目をさらに見開き、僕を凝視して断言した。

 

「そんなの当たり前じゃん!」

 

 当たり前なんだ。

 可愛らしく照れながら否定されると思っていた僕が甘かったか……。

 

「だけど、それだけじゃなくて……本当に、あの人には近づかない方がいいと思う」

「どうして?」

 

 まぁ、原作知識のお陰で理由は既に知ってはいるのだが、璃奈から見れば僕は何も事情を知らないように見えるだろうし、おまけにメフィラのせいでそのことを伝えることもできない。

 だから、僕は白々しいと分かっていながらもその理由を尋ねた。

 

「……あの人、()()()()()()なの」

「えっ」

 

 我ながらわざとらしいとは思ったが、リアクションしないわけにもいかない。

 僕が告げられた事実に驚いて見せると、璃奈は目を伏せた。

 

「それも教会所属で、教義に厳格な派閥な人なの。だから――」

「僕が悪魔の契約者だとバレればすぐに抹殺しにくる、と」

「うん」

 

 思い詰めたような表情で璃奈は頷く。エクソシストの世界で生きている彼女だからこそ、“教会”の恐ろしさは身に染みて知っているだろう。

 まぁ、霧島先輩はかなり例外的な存在なので彼女が想像している教会関係者とは一線を画しているのだが……メフィラとの契約でそれを伝えることは出来ないし、仮に伝えたところで死ぬほど詰められそうなので黙っておく。

 

「エクソシストは勘が鋭い人も多いから、気が気じゃなかったよ。今日の感じだと、優斗君のことには気が付いてなさそうだったし、大丈夫だとは思うけど……」

「分かった。気を付けるようにするよ。悪魔の契約者であることがバレなければいいんだよね?」

「うん。それから、優斗君が擬態とはいえ、エクソシストであることも隠しておいた方がいいと思う。教会の人たちは、無所属のエクソシストをあまり快く思っていないから……」

 

 気まずそうな表情で言う璃奈自身も、教会に所属しているエクソシストではない。家系的には名門ではあるが、教会側から見れば“田舎の無所属エクソシスト”といった認識だろう。

 故に、原作から璃奈と霧島レイは両陣営の事情を反映したかのように微妙な関係性だった。

 

「分かった。なるべく、彼女には近づかないようにするよ」

 

 そうやって話しているうちに、僕たちはあっという間に璃奈の屋敷の前まで到着していた。

 

 エクソシストの名家である天羽家の屋敷はかなり立派な造りをした洋館だ。

 基本的にエクソシストは表の世界で名を売ることが出来ない分、裏の世界との結びつきはかなり広い。

 昔から政府や地主との繋がりが強いエクソシストたちは、悪魔を退治する報酬として“土地”を得ていたらしい。

 この天羽邸もそういったご先祖様の働きに報いる形で与えられた“土地”なんだとか。

 

 2階建ての建物は古臭い、というよりも荘厳という表現がピッタリな威容で、外から見るだけでもかなりの部屋数があることが見て取れる。

 実際に何度か訪れたことはあるが、来客用の部屋だけで5部屋あるのだから、とんでもない敷地面積だ。

 

 この屋敷に住まう唯一の住人である璃奈は、住み慣れた屋敷に入る――でもなく、さっきよりも強く僕の腕にしがみついていた。

 

「璃奈?」

「……離れたくない」

「……うん、それは僕も同じだけど、でも帰らないと」

 

 彼女を傷つけないよう、なるべく優しい声と口調で答える。

 璃奈は「やっぱり、そうだよね」と物分かりがいい返事をしつつ、しかし曇った表情で俯いてしまった。

 

 困ったことに、最近の璃奈はずっとこうだった。

 一緒に手を繋いで帰り、彼女の屋敷の前で僕にしがみつく。

 甘えるような仕草と言葉に脳髄が刺激されるが……だからといって、ここで別れないわけにもいかない。

 

 僕には帰る家があり、そして璃奈にも帰る家がある。

 仮に一人ぼっちだとしても、ここは璃奈の家なのだ。

 

「……その代わりと言っちゃなんだけどさ」

 

 だから僕は、いつものように彼女に言う。

 

「また今度、璃奈の家に泊まりに来ていい?」

「――うん! もちろん!」

 

 実際、ここ最近は土日に彼女の屋敷に遊びに来ては、そのまま宿泊させてもらう生活を送っていた。

 今週もそうしようと言えば、璃奈は花が咲くような満面の笑みを浮かべてくれた。

 良かった。彼女にはやはり笑顔が良く似合う。

 

 僕は機嫌良さそうに――だけど、やっぱり名残惜しそうに手を離した璃奈に笑顔で手を振った。

 

「じゃあ、また明日。学校で」

「うん。また明日ね」

 

 僕は背を向けて歩き出す。その間、璃奈は屋敷の門の前に立ったまま、僕の背中をずっと見つめ続けていた。

 風に揺れる彼女の黒髪が、まるで手を振るように優しくなびいている。  

 曲がり角に差し掛かって、僕が振り返ると――

 

 彼女はまだそこにいて、そっと手を振ってくれた。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰ 

 

 

 

 一人で帰路につきながら考えることは、これから先の展開についてだ。

 

 既に原作は崩壊してしまった。

 だからこそ、ここから先は自ら道を切り開いていかなければならない。

 

 しかし、全てが不透明というわけでもない。

 これから先に起きるイベントの開始時期や、引き起こす人物、そしてその動機まで知っているのは大きなメリットだ。

 

 問題があるとすれば、そのイベントの中心となる、とある人物のことだ。

 ……正直、彼女のことは考えるだけで頭が痛くなる。

 

 しかし、苦手だからと言って関わらないというわけにはいかないだろう。

 前回の僕は璃奈と明確な関わりを持ちながらも、その関係が齎した影響力のことを碌に考えずに中途半端な状態で関わることを拒否したせいで、あのような事態を引き起こしてしまった。

 

 だからこそ、今回は積極的に事態に介入し、問題が起きる前に解決することを目指そうと思う。

 幸いにも、次に待ち構えているイベントは、知っていれば防ぐことはそこまで難しくない。

 いや寧ろ、死王女と唯ちゃんを味方にした今は、簡単に片づけられる部類だろう。

 

 それに、僕も「悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)」という反則技を所持している。

 この力と契約のおかげで、少なくとも1年間は“不死”が保証されている。

 さらにこの能力は、僕を“優秀なエクソシスト”に擬態させてくれる。

 

 ちょっと油断すれば簡単に命を落とすこの世界で、僕は決して隙を見せていない。

 ――少なくとも、そう心掛けていた。

 

 もうすぐ次章も始まる。

 だからこそ、常に警戒しながら、“優秀なエクソシスト”という仮面を完璧に被り続けていたつもりだった。

 

 だが――。

 

 この世界には、どれほど警戒を怠らず、どれほど備えていたとしても。

“優秀なエクソシスト”程度では防ぎきれない、理不尽が存在する。

 

 そう――僕が手も足も出ないまま、襲い掛かってくる存在が。

 

「ん?」

 

 本能が、ふわりとした違和感を拾い上げた。

 

 次の瞬間、肩に何かが落ちた。

 重さ。ぬるりとした生温かさ。

 その違和感を認識するより早く、鋭い痛みが走った。

 

「がっ⁉」

 

 意図しない声が口から漏れた。

 首筋に走る激痛。

 肉を食い破り、鋭利な何かが背後から突き刺さっている。

 それは牙だった。

 獣のように鋭利な牙だった。

 

 ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ――

 

 背後から僕の首筋に噛みついてきた何者かは、突き破った皮膚から喉を鳴らしながら僕の血を飲んでいた。

 まるで、水分補給をするかのように。

 

 ガクンと全身の力が抜ける。まるで脱水症状を起こした時のような脱力感と虚無感に襲われる。

 痺れる脳みそが理解する。

 奪われているのは“血”だけではない。

 

 これは、僕の“魔力”も同時に簒奪している――!

 

「こ、のぉ……!」

 

 何者かは知らないが、やられっぱなしのまま終わるわけにはいかない。

 理論上“死ぬ”ことはないが、それでも意地というものがある。

 

「ッ――!」

 

 袖口に隠し持っている持ち運び用のエクソシストの剣の柄を取り出し、背後にいるソイツの顔面に向けて刃を展開した。

 弾丸並みの速度で伸縮した刃はしかし、首だけ振った動きで避けられる。

 凄まじい反射神経だ。

 しかし、今の動きで背後の奴は僕の首筋から口を離してくれた。

 

「はぁッ!」

 

 僕はそのまま振り向きながら刃を横薙ぎで振るう。

 胴体を切り裂くはずだった刃はしかし、空を切る。咄嗟に空中に飛び上がり、くるりと一回転して距離を取られたのだ。

 まるで山猫のような身軽さと俊敏性。

 

「誰だッ――!」

 

 出血が止まらない首筋を左手で抑えながら右手の剣を構える。

 これでも死王女に何度も殺された身の上だ。

 数週間前まで一般人だったとはいえ、(不本意ながら)荒事には慣れてきている。

 不意打ちこそ食らってしまったが、「悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)」さえあれば僕はそうそう負けることはない。

 

 少なくとも、死ぬことはない。

 強気を取り戻した僕は剣を突き付けながら誰何し――驚愕した。

 

 それは怪物だった。

 何者か認識することすら叶わない、歪な怪物だった。

 二本の脚で立ち、腕を垂らしていることから人型の生き物であることは分かる。だが、それだけだ。

 それ以外には何も分からない。

 何故なら、そいつの全身は()()()()()に覆われていたからだ。

 

 髪も肌の色も、顔の形も分からない。

 男か女か、老いているのか、若いのか、それすらも識別不能。

 真っ黒な霧の集合体としか言いようがない異質な化け物。

 

 そんな中、顔にあたる部分で赤い瞳だけがギラギラと輝いていた。

 

 僕は驚愕していた。

 化け物の姿があまりにも異質だったから――ではない。

 

 その正体を知っているから、だ。

 

「……なんで?」

 

 あまりにも想定外の出来事に泣きそうになる。

 だが、現実は非情である。

 

 泣いている暇もなく、僕は急に襲い掛かって来たルート③のヒロイン――

 

 霧島レイと向き合った。

 

 

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