世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第19話:黒霧の襲撃者

 

 霧島レイ。

 それは、「十六夜のエクソシスト」において、天羽璃奈と並ぶもう一人の顔ともいえる存在だ。

 

 その特異な生い立ち、生真面目すぎる性格、そして圧倒的なビジュアル――。

 人気投票では常に上位、必ず三位以内に入る鉄板キャラクターであり、彼女のいない物語など想像できないほど、ファンから愛されていた。

 実際、公式イラストでも璃奈と並び、表紙の中心に配置されていることからも、制作陣の扱いがいかに特別だったかがうかがえる。

 

 作中では教会に所属する正式なエクソシストでもあり、その非凡な戦闘能力と、生真面目さで作品の良心として機能している。

 その善性はまさに、メフィラに煎じて飲ませたくなるレベルだ。

 

 ――だが、彼女の完璧な顔立ちと高潔な心の裏には、呪われた過去と、誰にも明かせない秘密がある。

 その秘密がやがて、物語を大きく動かし、ルート③を生み出してしまうことになる。

 

【ルート③】

 人間と悪魔の間で揺れ動くヒロインとくっついたり、離れたり……かと思えば主人公のエグイ秘密が明らかになったり、ラスボスが味方になったりと、物語としては一番面白いかもしれないが、取り敢えず人類の半分が消し飛ぶことが確定している「凸凹ルート」。

 

 非常に魅力的なキャラということもあり、天羽璃奈に次ぐ“推し”キャラの一人ではあったのだが、それ以上に厄介な人物であることもまた事実だ。

 

 複雑なフラグ構築。

 鬼畜な選択肢。

 情緒不安定な言動。

 

 原作をプレイ中、何度彼女に振り回されたことか……。

 決して嫌いなどではないのだが、それでも彼女の重すぎる過去設定や、複雑なフラグ立てをクリアする自信が僕にはなかった。

 しかも、彼女と十六夜蓮をくっつけてしまった場合――

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 だからこそ、事前に彼女のルートは完全に潰すつもりでいた。

 それこそ、唯ちゃんにしたように事前に策を打っておこうと思っていたのだ。

 

 この間はあまりにも中途半端に手を出したせいで失敗したが、同じ轍は踏むまいと緻密な計画を立てていたというのに――

 こうして僕が襲撃されたことで事前に考えていた策は全て水の泡と化した。

 

 確かに原作でも彼女は霊力を持つ存在に襲い掛かり、その血を啜って力を吸収していた。

 しかし、その第一ターゲットは十六夜蓮だったはずだ。

 どうしてここに至り、大した魔力量もない僕へ狙いを変更したのか。

 

 疑問は尽きないが、現状を嘆いていても仕方がない。

 僕は剣を構えたまま言葉を紡ぐ。

 

「挨拶もなしに襲い掛かるとは、礼儀知らずにも程があるんじゃないですか?」

『……』

「黙って献血に協力したんです。理由くらい教えてくれませんか?  見たところ人型のようですし、口が付いているなら話し合いを――」

 

 何とか話し合いに持ち込めないかと提案するが、彼女は碌に話を聞く様子も見せず、腰を落として地面を蹴った。

 アスファルトに罅が入り、弾丸のような速度で突進してくる。

 

 優秀なエクソシストである僕は真正面から受けるとまずいと直感し、咄嗟に横へ飛んだ。突風が突き抜ける。あれを真正面から受けていたら全身の骨が砕けていただろう。

 しかし、一度上手く躱した程度で彼女の攻撃は止まない。すぐにくるりと身体を反転させ、再び突進してくる。

 

「ッ! 頑固者め……!」

 

 知識として知ってはいたが、こうして対面してみると改めて思う。

 話し合いを拒否する鬼気迫った瞳。

 引くことを知らず、話し合いを求めず、ただ望みの為だけにその力を振るう姿。

 まるで――追い詰められた獣のようだ、と。

 

『ッ!』

 

 凄まじい速度で接近していた彼女が腕を振るう。この近距離では避けられない。咄嗟に剣で身体を防御し――甲高い金属音が響いた。

 彼女は武器を持っていなかった。だから、僕の剣と火花を散らしながら鍔迫り合いになっているそれは彼女自身の肉体に他ならない。

 

 黒い霧に覆われていて正確に視認はできないが、右手に鋭い()のようなものが生えていた。

 

 彼女の武器は右手だけではない。左手にも鋭い爪を出現させ、僕の肉体を引き裂くべく容赦なく振るってくる。

 僕は鍔迫り合いになっていた右腕を強引に振り払うと、左腕の攻撃を剣で打ち払った。

 両腕の爪で苛烈な攻撃が繰り出される。まるで嵐のような連撃。剣よりリーチは短いものの、その分振りは早い。この近距離で連撃を浴びれば僕が不利になるのは必至。

 

「こ、の……!」

 

 ギリギリの境界線で必死に爪へ剣を当てにいっているが、いつまで持つか分からない。かといって、攻勢に出れば彼女を傷つけてしまう。

 それは本意ではない。

 そもそも、この戦い自体が不本意なのだ。

 僕は傷を負わないように立ち回るので必死だった。

 

 そんな弱腰で立ち向かってどうこうできる相手でもなく。

 

「あっ―――」

 

 パキンッ

 

 涼やかな、儚げな音を鳴らして僕の剣の刀身が彼女の爪に砕かれた。どうやら何度も同じ箇所に攻撃を当てて刀身を弱らせていたらしい。

 何とか攻撃を捌けていたから戦いについていけている気になっていたが、僕はずっと彼女の掌の上で踊っているだけだったのだ。

 

 止めとして振るわれる右腕の爪。刀身は既に砕け散った。僕に防御する手段はない。

 ――いや、諦めるのはまだ早い。僕の手には、まだ武器がある。

 

『ッ⁉』

 

 迫りくる爪。その攻撃を、僕は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 優秀なエクソシストという肩書通り、この身体は意図した通りに動き、素晴らしく緻密な技術でそれを成し遂げた。

 しかし、凄まじい速度で迫るその爪の威力を全て逸らすことは出来なかった。

 

「ぐぅ⁉」

 

 脇腹に走る熱い感触。鮮血が飛び散る。だが、まだ意識は飛んでいない。

 僕は激痛に歯を食いしばりながら――自分で相手を傷つけておきながら、逆に傷つけられたような雰囲気を感じさせる彼女の腹部に蹴撃を叩き込んだ。

 

 敢えて後ろに飛ぶことで蹴りの威力を軽減させた彼女が怒りに満ちた赤い瞳で僕を睨みつけてくる。

 一方、僕は複雑な心境だった。

 何故なら――

 

「今のは寸止め……?」

『ッ』

「なるほど。僕が強引に逸らしたから怪我に繋がっただけで、最初から貴女には人を傷つけるつもりなんてなかったんですね」

 

 噛みつかれた首筋の傷にしたってそうだ。確かにあの瞬間はとんでもなく痛かったが、あれだけ深く噛みつかれたというのに、傷口はとっくに塞がっていた。

 恐らく、噛みつくと同時に治癒も掛けていたのだろう。

 苛烈に、容赦なく襲い掛かりながら、獲物に対して無用な気配りをするその矛盾した在り方。

 

 間違いない。

 彼女は原作と同じ霧島レイだ。

 

 ギロリ、と深紅の瞳が一際強く僕を睨みつける。

 

『……勘違いするな』

 

 そして、ようやく僕に向かって言葉を放った。

 男か女か、老人か若人かも分からない曖昧な声。

 霧島レイを構成する全ての要素を黒い霧で覆い隠しながら、彼女は僕の言葉を否定する。

 

『貴様たち人間に興味などない。貴様らはただ……私の餌になればいいんだ』

 

 彼女は空中へ飛びあがり――その思いをぶつけるように僕に向かってその鋭利な爪を振り下ろす。

 

「このッ――!」

 

 僕は刀身が砕けた剣の柄を放棄し、懐から予備の剣を取り出してその一撃を迎え撃った。火花が飛び散る。腕が軋む。衝撃でアスファルトに罅が入る。

 先程までよりも明らかに重い一撃。

 まずい。彼女は本気で僕を仕留めにきている――!

 

「餌に情けを掛けた癖にそんなことを言うんですか⁉ 誰かは知りませんが、貴女は矛盾している!」

『ほざけ!』

 

 鍔迫り合いの状態から爪を離した彼女が空中で身を捻りながら強烈な蹴りを繰り出してくる。

 

『エクソシスト風情が私に説教とは片腹痛い!』

 

 鞭のようにしなる鋭い蹴り。当たれば確実に骨を断ち切られるであろう一撃を屈んで躱し、お返しに僕も地面に手を付きながらカウンターで蹴りを放つ。

 

「じゃあ、どうして噛みついた箇所を治癒したうえに、寸止めなんてしたんです⁉」

『貴様が勝手に勘違いをしただけだッ!』

 

 両腕をクロスして僕の蹴りを受け止めた彼女は後方に飛んで衝撃を殺しながら地面に着地した。

 

「貴女がなんて言おうが勝手ですが、人は言葉よりも行動に真価が出ると言います。僕の言葉が間違っているなら貴女……どうして、僕と話なんかしているんです?」

『ッ!』

「僕の言葉を言葉で否定することもせず、ただ無慈悲に襲い掛かればいいじゃないですか。なのに、貴女は必死に僕の言葉を否定しようとしている。そんなことをするのは、よっぽど誇り高い人か……慈悲の心を持っている人だけです」

 

 原作での彼女の設定を思い出しながら必死に語り掛ける。

 僕の必死さが伝わったのか、彼女は少しだけ好戦的な気配を緩めた。

 

『……いきなり襲い掛かった私にも慈悲を見出そうとするとは見上げた高潔心だが、生憎とエクソシストの説法に貸せる耳はない』

「いや、僕は……」

『もう何も言うな。我らは元より相容れぬもの。私は奪い、お前は奪われる。ただ、それだけの関係だ』

「いや、だから、僕は……」

『……お前のように高潔な存在を穢す罪は全て私が背負う。だから、私を恨め、エクソシスト』

「ちょっと、話を……」

『私は、私は――』

 

 再び凶悪な両腕の爪を広げ、彼女は獣のように四肢を落として僕を睨みつける。

 

『悪魔だッ!』

「いや、吸血鬼でしょ? あっ、ちなみに僕も悪魔側ですよ?」

『ハァァァァァ――はっ?』

 

 アスファルトを蹴り、勢いよく飛び出した彼女の勢いが急に止まる。

 キキ―っとアスファルトを削りながら急ブレーキを掛け、霧島レイは顔を上げて唖然とした声を上げた。

 

『貴様……何を言っている?』

 

 基本的にエクソシストたちは信仰心が高い人が多い。加えて、自身がエクソシストであることに誇りを持っている者も多い。

 故に、そんな彼らが自ら「悪魔」側であることを名乗るなど、例え嘘であったとしてもあり得ない。

 赤く輝く瞳は困惑で揺れていた。

 

「言葉通りの意味ですよ。僕はエクソシストではない。むしろ――悪魔側の人間なんです」

『……その剣を持っている者が、エクソシストでないはずがないだろう』

 

 殺気を滲ませた声。  

 霧島レイは鋭い眼差しで僕を射抜きながら、信じる素振りすら見せなかった。

 

「いやいや、思い込みはよくないですよ。これは能力で“使えるようにしている”だけです。僕自身は、間違いなく――悪魔側の存在です」

『私に、その戯言を信じろというのか』

「逆に聞きたいですね。今この状況で、僕が嘘をつく必要、ありますか?」

『……あるだろう。あと数手でお前は詰む。命乞いにしては惨めすぎるが、短い命を繋げるための抵抗と考えれば、理解はできる』

「なるほど。確かにそういう見方もできますね」

 

 僕は肩を竦め、朗らかに笑った。  

 そして言葉を継ぐ。

 

「現に、貴女とこうして手を止めてお喋り出来ているわけですし」

『――今すぐ、その口を塞いでやろうか?』

 

 霧島レイの両腕が微かに揺れる。  

 空気を切り裂く音を伴い、鋭く伸びた爪が顕現した。

 

「おぉ、怖い怖い」

 

 僕はわざとらしく一歩だけ後ずさると、無駄に明るい声で続けた。

 

「……じゃあ、そろそろ信じてもらうために、“証拠”を見せましょうか」

『証拠……?』

 

 黒霧に覆われた赤い瞳が僅かに細められる。  

 怒りと疑念をないまぜにした殺気が、空気を重く満たした。

 僕は静かに剣の柄についていた小さなスイッチを押し、刃を柄の中に収納した。

 

『なにを――』

 

 一時的な休戦状態とはいえ、武器を自ら収納する僕の行動に、レイは訝しげな顔を浮かべる。  

 だが、僕は彼女に向かって安心させるような、緩やかな笑みを浮かべたままだった。

 そして、その柄を――

 

 ()()()()()()()()()()()

 

『――ッ! や、やめろ‼』

 

 霧島レイが叫んだ。  

 しかし、僕は耳を貸さなかった。

 スイッチを押し込む。  

 収束されていた刀身が弾丸のように解き放たれ、僕の頭蓋を貫く。

 

 瞬間――

 

 赤黒い飛沫が辺りに散った。  

 地藤優斗は頭に赤い花を咲かせ、力なくその場に崩れ落ちる。

 

『―――――ッ⁉』

 

 衝撃に硬直する霧島レイ。  

 彼女の変質していた両腕の鋭爪が一瞬にして解け、纏っていた黒霧すら、微かに脆く揺らいだ。

 

『な、なんて……馬鹿なことを……』

 

 霧島レイは蒼白な顔で呆然と呟いた。

 信じられない光景だった。  

 ほんの数秒前まで生きていた後輩が、自らの手で頭を貫き、血溜まりの中で無惨に横たわっている。

 助けに行かなければ。そう思うのに、脚が一歩も動かなかった。

 彼女の本能が告げていたのだ。もう助からない。完全に死んでいる、と。

 

 地面に広がる真紅の血。  

 倒れ伏した、まだ幼さの残る少年の死体。

 

 その光景を前に、霧島レイの脳裏を赤い記憶が蘇る。

 

 

 ――満月の夜。

 ――静まり返る家。

 ――白衣。

 ――十字の剣。

 ――輪になった、大人たち。

 ――中央に転がる、小さな肉の塊。

 ――リビングを濡らす、べったりとした赤。

 ――ゴミのように殺された、彼女の――

 

『ッ――なぜだ! どうして、こんなことに――!』

 

 叫びにも似た声を上げ、霧島レイは震える拳を握りしめた。

 自ら襲い、追い詰め、命を奪ったはずの少年。

 本来であれば、こうして嘆く資格すらない。  

 だというのに、この結末にどうしようもない動揺を抱く自分自身を、霧島レイは心底、軽蔑した。

 

 悪人にはなりきれず、かと言って善人であり続けることもできない。

 全てにおいて中途半端。

 何も守れず、何も成し遂げることが出来ない。

 黒い絶望が彼女の心の内に広がっていく。

 

 

 だが。

 

 

 そんな彼女の葛藤を嘲笑うかのように――

 

 ()()()()()()が、始まった。

 

 

 

 "悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)"――発動。

 

 

 

『えっ――』

 

 始まりは奇妙なノイズだった。

 世界そのものにバグが生じたかのような、不快なノイズ。

 それは世界を騙していることを意味している。

 契約の対価として差し出した心臓のお陰で任意で発動させる必要もなく、彼が死ねば自動で世界は詐欺に掛けられる。

 

『な、なにが――』

 

 ザーッ、ザーッ、と彼の身体に奇妙な横線が走る。それはまるで壊れたテレビの画面を見ているようであった。

 奇妙なラグは僅か数秒のこと。

 絶句している霧島レイが一度目を閉じてからその目を開いた時、

 

「あー、()()()()()()()

 

 そこに立っていた。

 何事もなかったかのように。

 まるで最初から傷一つ負っていなかったかのように。

 

 地藤優斗は、血の海の中から、涼しい顔で蘇っていた。

 

『な……なんだ、お前は……!』

 

 震える声で、霧島レイは問いかける。

 その目に宿るのは、恐怖と――どうしようもない、理解不能な困惑だった。

 

 そんな彼女に向かって、地藤優斗はにこりと笑った。 

 

「自己紹介、遅れました」

 

 その声は、冗談めかしていながら、どこまでも静かで、底知れない。 

 

「聖西学園二年生」

 

 あたかも、目の前で自らの頭を撃ち抜いたことも、

 その直後に()()()ことも、

 すべてが取るに足らない日常の一コマであるかのように。

 

「地藤優斗です。どうぞよろしく」

 

 彼は、"普通"の顔をして、"異常"の只中に立っていた。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

『地藤、優斗……』

 

 既に知っているはずの僕の名を噛み締めるように口にする霧島レイ。

 僕は静かに深呼吸をし、予想外の事態を逆に好転させるために頭をフル回転させ始めた。

 

「これで信じてもらえましたよね? 僕はエクソシストではない。悪魔側の人間であるということが」

『あ、あぁ……確かにあれは悪魔の力、か……』

 

 霧島レイは生まれつき持っているその敏感な嗅覚で魔力の“匂い”を嗅ぎ分けることが出来る。

 エクソシストへの擬態はその性質上、悪魔の匂いがかなり抑えられるが、死者蘇生という大それた技を使ったお陰で力の正体を悟ってくれたようだ。

 

「まぁ、そういうわけなので、そろそろ貴女の事情を話してくれませんか? 献血くらいなら協力してもいいですよ? もちろん、後ろから噛みつくんじゃなくて、ちゃんと注射器でやるやつですが」

『……』

 

 出来る限り柔らかい声を意識しながら語り掛ける。

 

 彼女の事情は既に知っているが、それを明らかにすることは出来ない。

 何故なら、それを知っているのは現在、本人と黒幕の2人だけなのだから。

 変に知っていれば必ず疑われることになる。特に疑心暗鬼が強い今の時期に刺激すべきではないだろう。

 

『一体何が目的だ? いきなり襲い掛かった私に寄り添うようなことを言って……』

「無用な争いを避けたいだけですよ。僕は戦うのが嫌いで、貴女も戦うのは本意ではなさそうですし……だったら、話し合うべきじゃないですか」

『私の目的が、酷いものだったらどうするんだ?』

「さぁ? 内容にもよりますかね。ただ、それが本当に酷いことなら、止めますよ」

 

 ちなみに、彼女の目的がかなり酷いものであることは既に知っているので、止めることは確定している。

 もちろん言葉に出すつもりはないが。

 

『……お前は変な奴だな。私のようなものに優しくしても、良いことなんてないだろうに』

「別に優しくしているつもりはありませんよ。さっきも言ったように無用な争いを避けたいだけです。それに――」

『それに?』

「僕、貴女に勝てる見込みがないので、こうやって口を動かすしかないんですよ」

『……本当に、変な奴だな』

 

 呆れたように脱力する霧島レイだが、その声は先ほどよりも柔らかく、幾分かリラックスしているように聞こえた。

 随分としつこく自分に優しくする理由を尋ねてきていた彼女だが、ようやく納得してくれたらしい。

 

「変な奴とは失礼ですね。僕は名前を名乗りましたよ?」

『地藤、優斗』

「その通りです。そういうあなたは、一体何者です? 名前くらい持っているでしょう?」

『……悪いが、お前のように高潔な男に名乗れる名は持ち合わせていない』

 

 高潔、なんて僕から一番程遠い言葉を持ち出されて思わず鳥肌が立ってしまった。

 

「高潔なんてやめてくださいよ、寒気がしたじゃないですか。悪魔と契約している人間に何を言っているんです?」

『そう自分を卑下するな。こうして刃を交えれば、お前がどういう人間かくらいは読み取れる』

「へぇー? なら、僕も分かりましたよ」

 

 根っこからの武人らしいことを言う彼女に意趣返しのように言い返す。

 

「高潔なのは貴女の方だ。こんな真似をしていても報われませんよ? さっさと足を洗った方が身の為です」

『……耳に痛い言葉だな』

 

 自覚はあるのだろう。黒霧に覆われていて表情は一切見えないが、何となく顔を顰めている様子が目に浮かんだ。

 

「こうして言葉を交わすための理性と口を持っているのなら、まずはその爪を下ろして話し合うことから始めましょうよ」

『……』

「こんな不意打ちでの奇襲なんて、不本意なんでしょう? 己の意にそぐわないことをやっていても必ずどこかで限界がきますよ。ちなみに、ソースは僕です」

 

 お陰様で最悪の悪魔に粘着されることになったのだから、説得力はかなりのものだろうと思う。

 まごころを込めた、心からの語り掛けに彼女が耳を貸してくれるかどうか。

 

『……お前の言うことは、恐らく正しいのだろうな』

 

 黒霧の能力で隠されているが、声のトーンが少し変わった、気がした。

 

『私がしていることは間違っているんだろう』

 

 ダラリ、と黒霧に包まれた腕が下がる。

 それを戦闘態勢の解除と判断した僕は、それに合わせるように剣の切っ先を下ろす。

 しかし、それは時期尚早だった。

 

()()

 

 強く、握りしめられる拳。

 身に纏う黒霧の魔力が上昇した。

 瞬間、黒霧が爆ぜ、空気が震えた。  

 赤い瞳が、燃え立つような憎悪と執念で輝く。

 

『私は止まれん……止まれんのだッ!』

 

 先程まで揺れていた霧島レイはもういなかった。

 そこにいたのは、己の命全てを燃やし尽くすまで止まらない、執念に燃える一匹の“鬼”だった。

 

『望みを果たすその日まで、私は止まらん! 私の前に立ち塞がるというのなら、その悉くを粉砕してくれるッ!』

「ちょっと待ってください! 自分が間違ったことをしているという自覚があるのなら――」

『くどい!』

 

 鋭い一喝。

 その絶対的な拒絶は、彼女が話し合いを放棄したことを意味していた。

 

『……私の名を聞いたな。生憎と、名乗れる名はない。強いて言えば、ただの()()だ』

 

 腰を落とし、獣のように身を沈める。

 最初からそうする運命だったかのように――

 

『故に、貴様はただただ恨むがいい。こんな化物に目を付けられた不運をな――!』

 

 次の瞬間。

 獣は鎖を断ち切り、咆哮と共に飛び出した。

 

「ッ!」

 

 アスファルトに罅が入る。僕が見えたのはそこまでだった。その一秒後には彼女の姿は消えていて――反射的に構えた剣に衝撃が走った。

 迷いの消えた深紅の瞳が至近距離で僕を睨みつける。

 彼女相手にインファイトは自殺行為だ。せめて剣の間合いまで突き放し、もう一度交渉に持ち込むべく、腕に力を込める。が、目の前の彼女の姿がブレる。そして直後、側頭部に凄まじい衝撃を受けたことで僕はあっさりとその場から吹き飛ばされた。

 

「ぐっ――!」

 

 アスファルトの上をボールのようにバウンドさせられながら転がっていく。恐らく、途中で()()()()()のだろう。自動的に復活用の“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”が発動した。

 転がりながら慣性で起き上がった僕の視線の先では、脚を振り抜いた姿勢から次の姿勢に移ろうとしている黒霧を纏った霧島レイの姿がある。

 先程は思いっきり側頭部を蹴り飛ばされたのだと朧気ながら理解する。

 彼女は予備動作通り、また凄まじい速度で突進を仕掛けてきた。作中でも屈指の速度を誇る彼女の攻撃を避けるのは至難の業だ。

 

 咄嗟に秘術を使って肉体を強化するが、そんな付け焼き刃では何の意味もなさない。

 振り下ろされた爪に掲げた剣を砕かれ、胴体を切り裂かれた。

 

「ッ――――!」

 

 剣の破片が宙を舞う。鮮血が飛び散る。肉を切り裂かれる激痛に意識が飛びそうになる。

 だが、これではまだ“死”には至らない。まだ、戦える。

 

『死んでも蘇る存在……好都合だな。私と一緒に来てもらうぞ』

「ッ!」

『お前がいれば、私の悲願は達成される。もうちょこまかと魔力を集めて回る必要もない』

 

 踏ん張り、予備の武器を取り出そうとする僕へ耳打ちする。

 僕の特性と状態を正確に把握し、その上で僕を生きた魔力供給器とするつもりなのだろう。

 先程まで人を傷つけたことに躊躇していた半端者の少女はどこにもいない。

 ただ己の目的を達成する為だけにその力を振るう冷徹な狩人がそこにいる。

 

「ふざ、けんな……!」

 

 流石にそんな生き地獄はごめん被る。

 僕にはまだやるべきことが山ほどあるんだ。

 歯を食いしばり、激痛に耐えながら最後の予備である十字剣を取り出そうとする。

 

『させんよ』

「がっ――⁉」

 

 が、それよりも先に霧島レイの手刀が僕の腹部を貫いた。

 内臓に大きな損傷を受け、吐血する。

 

『……すまないな。私はやはり、人間と一緒には行けない』

「ごふっ……だ、だから、僕は悪魔側だって……」

『いや、()()()()

 

 激痛で意識が朦朧とする中、それでもこのチャンスを逃したくなくて腹部に突き刺さった彼女の腕を掴んで踏ん張り、こちらを見下ろす深紅の瞳を見つめる。

 霧島レイは僕を見つめ返し、事実でしかない僕の言葉をあっさりと否定した。

 

『……悪魔にしては、優しすぎる』

 

 自分が足を踏み入れようとしている悪魔の世界を否定するかのように――

 人間世界に名残があるかのような言葉を零して。

 

『ではな。……あの方には、せめて痛みなく済ませてくれるよう、私から伝えておこう』

 

 そんな慰めにもならないことを言って、彼女は僕の腹部に突き刺している腕を引き抜き、僕の頭部に手を添えた。

 咄嗟に「悪魔の屁理屈」を使おうとするが、激痛で意識がハッキリとしない。

 まずい。

 このままでは、何もできないまま舞台を退場させられることになってしまう。

 まだ負けるわけにはいかないのに。

 まだ、やり残したことがたくさんあるのに……!

 

「――させない」

 

 生き地獄への直行便が出発するその間近、突如飛来した()()()()()()が霧島レイを吹き飛ばした。

 

『がっ⁉』

 

 横殴りに衝撃を受け、アスファルトの上を転がっていく。

 煙を上げながら何とか立ち上がった彼女は不意打ちを仕掛けてきた相手を睨みつけた。

 

『貴様……何者だッ‼』

 

 出血が止まらない腹部を抑えながら僕も後ろを振り返る。そこには、僕が良く知る黒髪の美少女が鬼のような形相で二丁拳銃を構えていた。

 ……そうか。考えてみれば当然のことだ。ここは彼女の屋敷からそこまで離れていない。魔力の気配を感知した彼女が駆けつけないはずがなかったのだ。

 

「それはこっちのセリフよ。貴女――誰の許しを得て優斗君を傷つけているの?」

 

 ゾッとするほどの殺意が霧島レイに襲い掛かる。

 悪魔も裸足で逃げ出しそうな程の凶悪な視線を向ける少女――

 天羽璃奈は油断なく銃口を向けながら僕を守るように黒霧で姿を覆い隠した霧島レイの前に立ち塞がった。

 

『ッ! エクソシストか……!』

 

 璃奈のことをよく知る彼女は白々しくも初見のような反応を見せながら、僅かに後退した。

 流石に相手が璃奈では分が悪いと悟ったのだろう。

 

「そういう貴女は……いえ、貴女の正体なんかどうでもいいわ。私にとっての真実は一つ」

 

 二丁拳銃に霊力が集中していく。

 その美貌を憎悪で染め上げながら、璃奈はその引き金を引いた。

 

「お前は」

 

 銃口から高純度の霊力弾が放たれる。

 

「優斗君に傷を負わせた」

 

 霧島レイは持ち前の敏捷性で躱していくが、璃奈の明晰な頭脳と類まれな戦闘センスは彼女の動きを学習し、弾幕の嵐は次第に出口を塞いでいく。

 

「だから」

 

 一方的に撃たれ続ける中距離が不利と悟ったのか、黒霧を纏った霧島レイは被弾を覚悟で前へ距離を詰めていく。

 近距離であれば勝ち目があるだろうと見込んで。

 だが――

 

「死んで?」

 

 ハイライトが消えた紫色の瞳が敵を睨みつける。

 寒気が走るほどの殺気を浴びせられながら、しかし霧島レイは止まらない。

 彼女もまた、譲れないものを抱えているが故に。

 

 身体中に弾丸を浴び、特に顔面をガードしていた両腕をズタボロにされながらも霧島レイは璃奈の元まで接近を果たした。

 インファイトであれば彼女の領域だ。負けるはずがない。

 彼女は爪を振り翳し――

 

()()()()()

 

 吐き捨てるような言葉と共に繰り出された二丁拳銃の銃剣にあっさりと弾かれた。

 

『ッ!』

 

 ほのかに焦りを見せるも、すぐに連撃へと移行する霧島レイ。

 彼女の敏捷性と近接距離での戦闘力は作中トップクラスだ。彼女自身もそのことを自覚しており、今のは偶然と考えたのだろう。

 

 しかし――

 

 霧島レイが必死に繰り出す連撃。

 その全てを、天羽璃奈は寸分違わず銃剣で弾き返していた。

 

 拳銃に取り付けられた小型の銃剣。本来ならば取り回しも悪く、間合いも狭い不利な武器だというのに、璃奈の手にかかればそれはまるで、双剣のように軽やかに、正確無比に舞う。

 

 近距離、中距離、そして必要とあらば遠距離さえもカバーできる――

 天羽璃奈が恐れられる理由は、その圧倒的な()()()にあった。

 

 一つ一つの技量だけならまだしも、彼女は()()()()()()()()()()()()()()

 そして、それらを器用に使いこなすだけに留まらず――鍛えれば鍛えるだけ、際限なく伸び続ける才能まで持ち合わせているのだ。

 

 「万能型」などという生易しい言葉では到底収まらない。

 彼女はただ、全てを極める可能性を抱えた()()だった。

 

 加えて、今の霧島レイは()()()()()()()()()()()で戦っている。

 絶望的なハンデを抱えたまま、暴力的な成長性を持つ璃奈に挑む――

 その結果は、既に明らかだった。

 

『ッ! 化け物め!』

「貴女に言われたくはないかな?」

 

 二丁拳銃の銃剣で器用に攻撃をいなした璃奈は、罵倒を吐く霧島レイを冷笑しながら、攻撃の隙を縫って強烈な回し蹴りをお見舞いした。

 高純度の霊力で強化された蹴りは銃弾の一撃を上回る。

 堪らず吹き飛ばされた霧島レイは大きく後退し、再び距離を取らされた。

 

 改めて睨みあう両者。

 緊張感が走る中、不意に霧島レイは両腕を下ろした。

 

『……引き際か』

「逃がすとでも?」

 

 淡々と撤退することを表明した霧島レイを逃すまいと銃口を向ける璃奈。

 

『いや、逃げさせてもらう』

 

 確信をもって彼女が断言すると同時――黒霧が、爆ぜた。

 

「ッ! 優斗君!」

 

 辺り一帯を黒い霧が覆っていく。

 まるで竜巻のように迫りくるそれから僕を守るため、急ぎ傍まで駆け寄ってきた璃奈が僕を抱きしめて結界を発動させた。

 

『――ではな。また会おう、地藤優斗』

 

 真っ暗な闇の中、己の正体を隠蔽した異質な声が響く。

 凄まじい闇の嵐の中、一際美しい銀色が輝いたような気がして――

 次の瞬間には、静寂が訪れていた。

 

 闇の霧も、彼女の姿も、どこにもない。

 暫く警戒していたが、これ以上の追撃は不可能と判断したらしい璃奈は銃口を下ろし、すぐに僕の身体を確認し始めた。

 

「優斗君、大丈夫⁉」

「う、ん……大丈、夫……」

 

 なんて強がって言ってみたが、多分、大丈夫ではない。切り裂かれた胸部と、手刀で貫かれた腹部からの出血が止まらない。

 ギリギリ死にそうで死なないラインだ。

 僕の特性を理解した霧島レイは実に絶妙な加減で僕を半殺し状態に追い込んでくれたようだ。

 

「ッ! すぐに治療するからちょっとだけ我慢して……!」

 

 璃奈は泣きそうな顔になりながら一番重傷である腹部に手を当て、治癒の秘術を使用し始めた。

 

「大丈夫、だって……1回死んだら、治るから……」

 

 世界のシステムの欠陥をつき、強制的にバグを発生させるという関係上、“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”による蘇生はその前後で負った傷を全て治してくれる。

 別に死ななくても“悪魔の屁理屈”であれば傷の治癒くらいは出来るのだろうが、生憎と血を失いすぎたせいで頭が全く回らないし、魔力も霧島レイに殆ど持っていかれてしまった。

 これなら1回死んだ方が早いだろう。そう思っての発言だったが、僕の言葉を聞いた璃奈は、激痛に喘ぐ僕よりも苦しそうな顔をした。

 

「そんな……そんなこと、言わないでよ! 死んだらいいなんて、そんなこと……」

 

 震える声と、頬を伝う涙。

 ……ダメだな。あまりにもこの能力が身近になりすぎて感覚が麻痺してしまっていた。

 僕はまたしても彼女のことを傷つけてしまったらしい。

 

「……ごめん」

 

 掠れた声で謝る。

 

「謝らないで! いいから、早く治療を――」

「璃奈」

 

 霞む視界の中、何とかこれだけは伝えようと口を動かす。

 

「それから、もう一つ、ごめん。ちょっと、意識、飛ぶ――」

「優斗君っ――!」

 

 

 泣いている天羽の声を最後に、僕は意識を闇に落とした。

 

 

 

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