世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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19話について少しだけ修正を加えました。詳細は活動報告欄にありますので、そちらをご覧ください。
※大筋のストーリーには全く影響しない範囲です。


第20話:幸福の在処

 

「う……ぅん……」

 

 覚醒の予感。意識が浮上してきたのを感じながら、僕はゆっくりと目を開いた。

 そこにあったのは豪奢な天井。

 

「あれ、ここは……」

「私の家だよ」

 

 涼やかな声が響く。

 首を動かすと、そこには嫋やかに佇む璃奈がいた。

 窓から差し込む光に包まれた彼女の表情は儚げで、深窓の令嬢を思わせる。

 

「おはよう、優斗君。体調はどう?」

 

 だけど、僕にはすぐに分かった。

 静かに佇む彼女が――滅茶苦茶お怒り状態であることが。

 

「お、おはよう。悪くないけど……」

 

 広いベッドの上で身体を起こしながら答える。

 若干、どもりながら。

 

「良かった。治癒の秘術なんて久しぶりだったから、上手くいっているか心配だったの」

 

 璃奈の声はいつも通り優しかった。

 優しかったが、妙な圧があった。

 

「璃奈の治癒は完璧だよ。ありがとう」

「お礼なんていらないよ。……それよりも、昨日はごめんね? 助けに行くのが遅くなっちゃって……」

「いやいや。あそこで来てくれなきゃとんでもないことになっていただろうから、璃奈には本当に感謝してるよ。改めて、ありがとう」

「うん……」

 

 心からの感謝の気持ちを伝えるが、璃奈は肩を落としながら悔しそうに唇を噛んだ。

 

「どうしたの?」

 

 思わず気になり、尋ねると、璃奈は複雑そうな表情で暫く悩んでいたが、やがて渋々といった感じで口を開いた。

 

「……優斗君へ伝言。『結界のことは()()にしておいてあげる』だって」

「ん? ごめん。いきなり言われても何のことだか――」

 

 言いかけてから、不意にそういうことを言いそうな奴のことが脳裏に浮かんできた。

 黄金の瞳に、邪悪な笑みを持つ悪魔の中の悪魔。

 

「……えーと、あまり聞きたくないんだけど、それってまさか――」

「……如月メフィラだよ。アイツが、あの黒霧の襲撃者の隠蔽結界を解いて優斗君のことを知らせてくれたの」

「あぁ……なるほど……」

 

 璃奈が到着した瞬間はあまりの嬉しさでそこまで考えられていなかったが、よくよく考えれば霧島レイが襲撃に際して隠蔽結界を張らないはずがない。

 それに、璃奈が駆けつけてくれたタイミングがあまりにも()()()()

 どこから見ていたのかは知らないが、どうやらあのクソ悪魔に助けられてしまったようだ。

 

「嫌な借りを作っちゃったな……」

「ごめんね、優斗君。私がもっと早くに気が付けていれば……」

「璃奈が謝ることじゃないよ。今回の襲撃者の方が一枚上手だっただけであって……それに、もっと僕が強ければなんてことはなかったんだ」

 

 そう。全ては僕が強ければ何とかなった話なのだ。

 決して璃奈が気に病むことではない。

 

「でも……私がもっと早く到着していれば……うぅん。私が優斗君を帰らせなければ、あんなことにはならなかった。優斗君は、私が守るって決めたのに……怪我ひとつ、許しちゃいけなかったのに……」

 

 璃奈は俯き、拳をぎゅっと握り締めたまま、小さく震えていた。

 そして、かすれるような声で、ブツブツと何かを呟いている。

 その肩は細かく震え、顔は長い前髪に隠れて見えない。

 だけど、感じる。

 肌を突き刺すほどの、凍えるような怒気と――病的な、執着の気配を。

 

「―――やっぱり、屋敷から出しちゃいけなかったんだ」

「え、えぇと……璃奈、さん?」

「なに?」

 

 恐る恐る声を掛ければ、いつもの穏やかな笑みに切り替わる璃奈。

 情緒どうなっているんですか……と聞きたいところだが、僕が原因なのは分かっているので何も言えない。

 

 それよりも、だ。

 

 この流れはまずい。僕の直感がそう告げている。

 どうにかして話題を変えなければならない。

 

「え、えぇと……うぅんと……あっ、そうだ! 僕が気絶した後、何かあった? 例えば、昨日の黒霧の人がまた襲撃してきたとか」

「うぅん。あの後は特に何もなかったよ。念のため、この屋敷の結界を強化しておいたけど、周辺に近付く気配もなかったから、完全に撤退したみたい」

「そうか……」

 

 いつもの調子に戻った璃奈に内心安堵しながら、思考回路を霧島レイに向ける。

 

 璃奈とは相性が悪いことが分かっただろうし、彼女と一緒にいる間は襲撃を仕掛けてくることはないだろう。

 ……しかし、襲われている最中から疑問だったが、どうして彼女は僕に襲い掛かってきたのだろうか?

 こういう言い方をしてはあれだが、今回、僕はまだ余計なことをしていない。目を付けられる要素なんてなかったとは思うのだが……。

 

「あの黒霧の人の正体、何か見当はつく?」

 

 僕は既に正体を知っているが、璃奈がどう思っているのか気になり、尋ねてみる。

 彼女は珍しく歯切れが悪そうに答えた。

 

「正直、よく分からないっていうのが本音かな。あそこまで自分の存在を隠せる権能を持つなんて相当上位の悪魔だと思うんだけど、そういう感じでもなかったし……」

「もちろん人間でもないよね?」

「うん。それは間違いないと思う。だから、そうなると可能性があるのは……吸血鬼かもしれない」

 

 正解だ。流石は天羽璃奈。

 

「吸血鬼? 血を吸って棺桶で眠るあの吸血鬼?」

「うん。その吸血鬼……とはいっても、私も伝承でしか聞いたことがないような希少種族だから、詳細はあまり知らないんだけどね」

「そんなに珍しいんだ」

「珍しいよ。……だって、人間でも悪魔でもないんだよ? それはつまり――」

「どちらからも排斥される運命にあるってことか……」

 

 璃奈は無言で頷いた。

 

「伝承によれば、悪魔陣営と共闘して人間を襲っているケースが多かったみたいだけど、すぐに裏切られて手痛い目にあっていたみたい」

「……まぁ、人間の味方っていうイメージはあんまりないから、意外ではないかな。悪魔にも疎まれていたのは意外だけど」

「悪魔は純血主義だからね」

 

 呆れたような表情で溜息をつきながら、璃奈は説明を続ける。

 

「吸血鬼のルーツは人間の変異種とか、人間と悪魔のハーフだとか、悪魔の造り出した存在とか、色々噂はあるけれど、どれも確証には程遠いみたい。ただ、さっきも言ったように純血主義の悪魔からすれば絶対に自分たちの身内足りえないということだけは確かだね」

「そうか……」

 

 そこまで聞いてから、僕は改めて原作で言われていた台詞を思い出した。

 吸血鬼たちが置かれた立場を示すようなその言葉を。

 

「どこにも、居場所がないんだね」

「……」

 

 璃奈は何も答えなかった。

 彼女はエクソシストであり――悪魔と同様、吸血鬼もまた討伐対象である。

 璃奈自身が吸血鬼に対して隔意や偏見を持っていることはないが、それでも彼女は吸血鬼が現れれば武器をその手に取るだろう。

 

「まぁ、襲われた理由はこれから探ることにしようか。今回は璃奈のお陰で無事だったわけだし――」

 

 努めて明るく、軽い口調で話題を締めようとする。  

 けれど、その瞬間。

 

()()?」

 

 氷の刃のような、刺すような声が響いた。

 ゾクリと背筋に冷たいものが走る。  

 思わず言葉を詰まらせ、恐る恐る璃奈に視線を向けた。

 

 彼女は微笑んでいるわけでも、怒鳴っているわけでもなかった。  

 ただ、静かに、感情を押し殺した顔で僕を見つめていた。

 

「え、えぇと……璃奈さん?」

 

 思わず「さん」付けになった。  

 嫌な汗が額を伝う。

 

「もしかして、怒っていらっしゃいます……?」

「別に、怒ってないよ」

 

 璃奈はそう言ったが、言葉と違い、声は異様に冷たかった。  

 嘘だ。

 僕の彼女、滅茶苦茶怒っている――!

 

 ガタガタと肩を震わせながら青ざめる僕を見て、璃奈はふっと表情を緩め、溜息をついた。

 

「はぁ、本当に怒ってないよ。ただ……不安になったの」

「不安?」

 

 首を傾げると、璃奈は静かに、けれどどこか決意を秘めた顔で僕を見上げた。

 

「優斗君」

「は、はいっ!」

 

 静かだが、人を従わせる力がある声に思わず背筋を伸ばす。

 璃奈は僕の目を真っ直ぐに見て――悲し気にその瞳を揺らした。

 

「……前から少し傾向はあったけど、優斗君、時々とても()()よ」

「僕が、怖い……?」

 

 いや、璃奈には言われたくない――なんて茶化している場面ではなさそうだ。

 

「昨夜のことを覚えている? 優斗君、私が治療しようとした時に()()()()()()()って言ったんだよ?」

「確かに言ったけど……でも、それは“悪魔の屁理屈”の能力的に正しいことでしょ? だから――」

「それだよ」

 

 彼女は断言した。それが間違っていると。

 

「正しいことだから、躊躇なく実行できる。正しいことだから、感情を無視して理屈で動ける。それはとても合理的だけど――人間からかけ離れたものだと私は思う」

「えっ」

 

 ドクンッ、とここにない心臓が一際強く鼓動した気がした。

 

「優斗君は冷静な見た目以上に感情的な人だってことは知ってる。もちろん、優しい人だってことも知っている。でもね時々、凄く怖くなるの」

「……」

「まるで、自分のことなんてどうでもいい……うぅん、自分だけじゃない。正しいと思ったことなら、何もかも投げ出してそのためだけに行動できる。そんな、怖さがあるの」

 

 そこまで言いながら、璃奈は不意に視線を落として頬を赤らめた。

 

「……まぁ、私が人のことを言えた義理はないんだけどね」

 

 恥ずかしそうに己を顧みる、嘗て聖人だった少女。

 

 誰よりも人間らしい、少女は語る。

 嘗てのように、聖なる雰囲気を身に纏いながら。

 

「だから、もう簡単に死ねばいいなんて、言わないで。それが正しい選択肢だとしても、力があるとしても、私は優斗君がそんなことを軽々しく口にするところなんて見たくない」

「璃奈……」

「……優斗君からすればおかしな話かもしれないけど、私は君が死ぬ度に気がおかしくなりそうなんだよ?」

 

 悲し気に瞳を揺らしながら、今にも泣きそうな笑みを浮かべる璃奈。

 あぁ、自分は彼女にこんな痛々しい表情をさせてしまっていたのか――。

 

 彼女が話してくれた内容が心に染み渡る。

 

「分かった。もう軽々しくあんなことは言わないよ。璃奈の言う通り、僕は少し、感覚が麻痺してたみたいだ」

 

 心からそう思えた。

 彼女がこんなにも真剣に、僕の命を、心を守ろうとしてくれているのだから。

 

「……だけど、それでも、どうしても前に進まなきゃいけない時は、また無茶をするかもしれない。だからその時は――」

 

 言葉を詰まらせる僕に、璃奈は小さく微笑み、そっと答えた。

 

「その時は、私が何度だって引き戻してあげる。優斗君がどんなに遠くに行こうとしても、絶対に」

「……うん。頼りにしてる」

 

 たった一言だけど、これ以上ないほどの信頼を込めて。

 僕は璃奈の手を、そっと握り返した。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

「そうだ。今って何時?」

 

 お互いに話すべきことを話し終え、穏やかな空気が流れる中、ふと気になって尋ねる。

 璃奈は携帯を取り出して、何気なく答えた。

 

「えーと、1()7()()だね」

「……は、はぁ⁉」

 

 久々にこんな大声を出したかもしれない。

 17時? 7時じゃなくて?

 

 慌てて窓の外を見れば、確かに空が茜色になっている。

 僕は一体何時間眠っていたんだ……?

 

 ここ最近、文化祭の準備やら、今回の章を攻略するための準備やらで忙しくしていて疲労が溜まっていたのかもしれないが……それにしたって()()()()だ。

 僕は八時間も寝れば確実に体調が万全になるし、逆にそれ以上の時間を寝たことは殆どない。

 人は眠り過ぎたら逆に体調が悪くなるというが、別に変な頭痛がするということもない。

 不思議だ。本当に不思議だ。

 

 ――というか、そんなことはどうでもよくて、真っ先に考えるべきことがあったな。

 

「が、学校は⁉」

 

 遅刻確定――どころの騒ぎではない。

 別に皆勤賞を狙っているわけではないが、それでも前世から無断欠席などしたことがないため、心臓が変な音を立てている――あっ、心臓はここにないんだった。

 

「大丈夫。私から連絡しておいたから」

「ありがとう助かったよ……って、それ大丈夫なのかな……」

 

 同級生の男子の欠席連絡を違うクラスの女子がするなんて、もう明らかに……これでもかというほどに露骨に、R指定の事情があったとしか推測できない。

 少なくとも、僕が連絡を受けた担任ならそういう風に解釈する。

 

「……まぁ、いいか。ありがとう。助かったよ。しかも、ベッドまで貸してもらって……」

「全然気にしないで。この部屋は優斗君が泊まる時の為にいつも綺麗にしてあるから、好きに使ってね」

「あ、ありがとう……」

 

 改めて広い室内を見渡す。

 ただでさえ、一人で住むには広い屋敷だというのに、僕が泊まるくらいしか使い道がないこの部屋の清潔さを維持するとは、どれほどの労力が掛かっているのだろうか。

 天羽家のことだから専属のハウスキーパーくらい雇っていそうなものだが、それにしたって負担を掛けてここを維持してもらっているという事実に変わりはない。

 大変嬉しいことではあるのだが、流石に心苦しさが勝ってくるな……。

 

「優斗君、お腹空いてない?」

「えっ……あぁ、確かに空いているかも。朝から何も食べてないし」

 

 まだ17時起きというショックから抜け出せておらず、起きたばかりということもあって自覚が薄いが、徐々に空腹を感じてきた。

 

「それじゃあ、夕飯食べて行ってよ。用意してあるから」

「本当に⁉ それじゃあ、お言葉に甘えてありがたく頂いていくよ」

 

 そんな状況の中、作中トップクラスの料理上手である璃奈の手料理を振舞ってもらえると聞いて断れる男が世界にいるだろうか。いや、いない。(反語)

 

「楽しみにしてくれているみたいで良かった。起きたばっかりで食べるのも良くないから、18時くらいからにしようか。良かったらお風呂入る?」

「お風呂……あー、僕、昨日の夜から入ってないのか……」

 

 布団を捲ると、何故かサイズがピッタリな見慣れない寝巻姿だったことには何もツッコまないとして(普段は寝巻を持参しているので本当にこの寝間着は知らない……)流石に璃奈も僕を一人でお風呂に入れることは出来なかったらしい。

 別に変な匂いはしないが、お風呂に入れていないというのは少し気持ち悪さを感じてしまう。

 

「ごめんだけど、借りてもいい……?」

「もちろん。あっ、その寝巻はもう一着用意してあるから心配しなくていいよ。下着も全部揃えてあるし、バスタオルも優斗君用の物を脱衣所に置いてあるから、何も準備せずに入って来て大丈夫だからね」

「あ、あぁ……ありが、とう……」

 

 まるでこちらの思考を先読みするかのように矢継ぎ早に璃奈が補足をしてくれる。

 僕としては有難いことこの上ないが、流石にここまでしてもらえるとは思わず、困惑してしまう。

 というか、さっきから至れり尽くせり過ぎて何だか――

 

「夜は映画でも観る? 優斗君が観たがっていた映画、サブスクで配信されたみたいだよ。うちのシアタールームなら大画面で観られると思うんだけどな」

「み、観る! 絶対に観させていただきます!」

 

 この屋敷の地下には何とシアタールームまで設置されている。

 原作ではそんな部屋があった記憶はないので最初は混乱していたが……まぁ、原作はゲームだし、必要なところだけ描写していたのだろう。

 映画好きな僕からすれば至れり尽くせりなので、これはもう夜が待ち遠しくて仕方がない。

 

「良し! それじゃあ、早速お風呂借りるね……痛っ」

「優斗君、大丈夫?」

「あぁ、ごめん。ほぼ一日寝たきりだったから、ちょっとふらついただけ……あれ?」

 

 勢いよくベッドから起き上がった僕はベッドの下に用意されていたスリッパに足を通したのだが、立ち上がった瞬間にちょっとふらついてしまい、ベッドの隣にあった小さな洒落たテーブルに脚をぶつけてしまった。

 こんなちょっとした家具ですら、幾らするか分かったものではない。

 慌てて謝りながらズレてしまった位置を修正しようとするが、ふと、テーブルの上に置いてあるものが気になった。

 

「この小瓶、なに……?」

 

 美しい紫色の小瓶に、観たことがない色合いの液体が入っていた。

 首を傾げながら小瓶持ち上げようとするが、それよりも先に璃奈の白く長い指がすっと小瓶を搔っ攫っていった。

 

「――なんでもないよ」

 

 そのまま流れるような動きで小瓶をポケットに仕舞った璃奈は澄ました顔でそんなことを言った。

 ……怪しい。流石に怪しすぎる。

 というか、あの小瓶、原作のどこかで見かけたことがあるような。

 あれは確か、睡眠――

 

「あっ、お風呂から上がったらキッチンに来てね。コーヒー牛乳用意してあるから」

「マジで⁉」

「マジだよ」

 

 お風呂上りにコーヒー牛乳だと⁉ 

 それは……それは……ちょっと凶悪なコンボすぎやしないか……?

 

「り、璃奈……こんなことされたら僕……家に帰れなくなっちゃうんですけど⁉」

「あはは……さぁ、沸いたばかりのお風呂が冷めちゃうよ?」

「すぐに入ってきます!」

 

 元気よく返事をしながら、僕はスリッパで小走りに駆け出し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うん。帰らせる気、ないからね」

 

 

 

 

 

 璃奈が何かボソリと呟いた気がしたが、お風呂とコーヒー牛乳と晩御飯と映画が楽しみな僕の耳には届かなかった。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 

「あ~、こんなに幸せで良いんだろうか……」

「いいんじゃない?」

 

 その後、お風呂で綺麗さっぱり身を清め、コーヒー牛乳で完全に脳が覚醒し、最高の晩御飯で胃を満たし、映画で興奮を得た僕はリビングのソファーで伸びていた。

 ダメだ。幸せを一気に詰め込み過ぎたせいで身動きが取れない……。

 

 ソファーの上で横から僕に抱き着き、胸元に顔を埋めている璃奈は暖かい声でこの幸せ空間を肯定してくれる。

 

 何でもある豪華な屋敷に、最高の彼女。

 ここより素晴らしい場所なんて世界のどこにもないだろう。

 そう確信できるほどに、今の僕は幸福の絶頂にあった。

 

 ここから一歩たりとも動きたくない。

 動きたくはないが――それでも、動かなければならない現実というものはある。

 

「さて、と」

 

 撫でていた璃奈の髪から手を離し、最後に軽く頭をポンポンと撫でてから僕はソファーから立ち上がった。

 

「――家に帰るの?」

「うん。荷物もあるし、明日は学校に行こうと思うから帰らないと」

「ダメだよ」

 

 穏やかで優しいが、有無を言わせない強力な言葉。

 

「いや、ダメって言われても……」

「ダメなものはダメ」

 

 語気が強まる。鋭い紫色の瞳が僕を貫いた。

 

「だって、またあの黒霧が襲い掛かって来るかもしれないんだよ?」

「それは、そうかもしれないけど……でも、昨夜は油断しただけで、次戦えばあんな傷を負うことは――」

「本当に?」

 

 璃奈の視線がさらに鋭くなる。

 

「本当に優斗君はあの黒霧の襲撃者に勝てるの?」

「勝機は、薄い、かもだけど……」

 

 実際のところ、薄いどころではなく勝てる見込みは殆どないと言ってもいい。

 もう少し入念に準備をし、こちらのフィールドで戦うことが出来れば善戦できるかもしれないが、それでも勝つまでは至らないだろう。

 なにせ敏捷性に差がありすぎる上に、パワーもあちらの方が上。

 僕はエクソシストの皮を被っただけの素人だし、まず勝てない。

 

「だったら、私と一緒に行動した方がいいんじゃないかな。2人掛かりなら勝機があるだろうし」

「うーん、確かに璃奈がいれば勝てるだろうけど……」

 

 昨夜の時点で圧倒していた璃奈だ。

 霧島レイも奥の手を隠しているし、お互いに本気になれば勝敗は今一つ読めないが……微力ながら、僕が璃奈の味方として戦えば、天秤はこちらに傾くだろう。

 

「だから優斗君、()()()()()()()()()

「あぁ、確かにそれは名案――今なんて?

 

 なにか、とんでもないことを言われた気がして固まる。

 璃奈は淡々と――しかし、心なしか嬉しそうな表情で言葉を繰り返した。

 

「優斗君、うちに住めばいいよ」

「は、はぁ――⁉」

 

 とんでもない発言に度肝を抜かれる。

 僕は慌てて反論した。

 

「流石にそれは、まずいでしょ……」

「どうして?」

「どうしてって……普通に、僕たち高校生だし……」

「でも、一人暮らし同士だよね。一緒に暮らして助け合うことは不自然かな?」

 

 確かに僕は一人暮らしだ。

 今世の両親は残念ながら既に他界してしまっており、唯一残っている血縁者は病院で入院している愉快な祖父、地藤正孝だけだ。

 

「いや、でも……」

「……優斗君は、私と一緒に住むのが嫌なの……?」

 

 目を伏せ、悲しそうな声で呟く璃奈。

 

「そんなことないよ!」

 

 咄嗟に彼女の勘違いを否定する。言葉通り、もちろんそんなことはない。

 

「だったら、どうして……?」

「……」

 

 縋り付くように紫色の瞳が僕を見つめる。

 僕は静かに目を伏せた。

 もうよく分からない理由で誤魔化すのも限界か……。

 璃奈を泣かせてまで隠したいことでもない。

 僕は恥を承知で口を開いた。

 

「……色々と、我慢が利かなくなるかなって思って……」

「我慢……?」

「いや、ほら、分かるでしょ? その、()()()()()()……」

「……あっ」

 

 白状しよう。

 昨夜は帰る家だなんだと言っていたが、結局はこれが理由だ。

 多分、璃奈と一緒に住むなんてことになったら――僕は我慢できない。

 

 ()()、とかは聞かないで欲しい。

 察してくれ。

 

 なんだ、そんなことか。さっさと一線越えろと思ったかもしれない。

 気持ちは分かる。他でもない僕の本能は強くそう訴えているからね。

 しかし、そう簡単に踏み込めない事情もあるのだ。

 

 もうお忘れかもしれないが、この世界はもともと18禁のゲームだ。当然、そういうシーンには説得力を持たせるための設定が用意されている。

 具体的には、“初めての人と霊的に強く結ばれる”という如何にもな設定が。

 もちろん、全員が全員そうというわけではなく、極一部の高純度な霊力を持つ人々に限った話だ。

 故に、エクソシストの世界では割と近親相姦なんかがあったりするのだが――話が逸れるから今は置いておこう。

 

 とにかく、その設定のお陰で、原作において十六夜蓮と結ばれたキャラクターは彼の膨大な霊力と結ばれ、秘められていた力を完全覚醒させ、そして十六夜蓮もまたヒロインたちの力を受けて覚醒する――という流れがあるのだ。

 

 既にこの世界に立ち向かうと決意したし、十六夜蓮に璃奈を渡すつもりなんて毛頭ない。ないのだが……それでも、実はまだここから先、どうやって悪魔王から世界を救えばいいのか全く思いついていないのが現状だ。

 疑似的な不死になったとはいえ、メフィラの気まぐれでいつ殺されてもおかしくない身の上ではあるし、悪魔王を倒してハッピーエンドを迎えるまではそういう行為は我慢しようと思っていたのだ。

 

 だが、流石に同じ屋根の下、二人っきりで過ごしていて我慢できる理性が僕にあるのかというと――多分、ない。

 

「我慢する意味、ある?」

「えっ」

 

 何か、またとんでもないこと言われた気がして璃奈の方を見る。彼女は顔を真っ赤にしながら、僕の服の袖を掴んでいた。

 

「別に、男女なんだし、我慢する必要って、ないんじゃない……?」

「――――」

 

 微かに瞳を潤ませながら、それでも璃奈は幸福そうな笑みを浮かべた。

 あっ、ヤバい。可愛すぎる。

 このままだと、僕の理性が焼き切れ――

 

「ルールを作ろう!」

「きゃっ、急にどうしたの……?」

 

 突然大声で叫び出した僕に目を丸くしながら璃奈が尋ねてくる。

 僕は今すぐに襲い掛かりそうだった本能が急速に冷却されていくのを感じながら、矢継ぎ早に口を動かす。

 

「璃奈の家に住むよ! というか、前からずっと住みたいと思ってた!」

「本当⁉」

「ただし! ルールを作ろう!」

「ルール……?」

 

 璃奈が言っていたことは全て正しい。

 霧島レイの動向がよく分からなくなってしまった今、僕は彼女と一緒にいた方がいいだろう。

 僕の理性が上手く機能すればいいだけなのだし(それが一番難しいのだが……)璃奈も喜んでくれて、僕も嬉しくて仕方がないのだから、この家に住むことに不都合なんてないのだ。

 

 ただし、一切信用できない僕自身を封じるために、ルールだけは設けさせてもらう。

 

「ルールその1! 未成年らしい振る舞いをすること! お酒、タバコは20歳から! そしてそういう行為は18歳を超えるまではNG!」

「えー」

「えー、じゃないよ、元優等生。これは絶対だからね」

 

 不貞腐れる優等生の鑑みたいだった璃奈に宣言する。

 さらに――

 

「ルールその2! 家事は分担すること!」

「別にそんなことしなくていいのに……」

「いや、流石にこの生活を続けていたら、僕は自分で歩くことも出来ないダメ人間まっしぐらだ。断言してもいい。絶対に、僕はそうなる」

「私は別にそれでも――」

「僕が良くないから!」

 

 これでもなけなしのプライドというものはある。僕の性格上、楽な方向にズルズルといってしまうだろうから、理性が働いている今のうちにルールを作っておいた方がいい。

 僕は僕という怠惰を誰よりも知り、警戒しているのだ。

 

「ルールその3! 喧嘩をしたら話し合いで解決すること!」

「優斗君と喧嘩したことあったっけ?」

「ないけど、もしかしたらこの先あるかもしれないだろ⁉」

「別にルールを決めなくても、優斗君なら()()()()で全部何とかしそうだけどね」

 

 何故か楽しそうに笑いながら璃奈が言う。

 まぁ、元から腕っ節が強いわけではないし、平和主義なので確かに話し合いで解決する方向性なのは間違いないが、今のはどこか含みがあるような言い方だった。

 少し気になるが、まぁいいか。

 

「以上の3つのルールを守った上で、僕はここで住まわせてもらいたいと思う」

「フフフ……ちょっと理屈っぽいというか、優斗君っぽいね」

 

 何やら微笑ましいものを見るような笑みを浮かべながら、璃奈がソファーから立ち上がった。

 

「分かった。私もそのルールを守るよう、努力するよ。……できるだけ、ね」

「璃奈?」

 

 何か呟いた気がして聞き返すが、彼女は首を振って笑みを浮かべた。

 

「改めて天羽邸へようこそ! これからよろしくね、優斗君」

 

 新しい“契約”の始まりを歓迎するように、璃奈が右手を差し出してくる。

 

「うん。これからよろしく、璃奈」

 

 僕も笑みを浮かべながら右手を差し出し、彼女の手を握る。

 

 こうして――僕たちの新しい生活が始まった。

 

 

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