世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第23話:嫉妬注意予報

 

 天羽璃奈は現在、己の“失敗”を悔やんでいた。

 

 手を動かしながら教室の窓際に視線を向ければ、ダラダラと喋りながら何もしていない男子たちがいる。黒板の方向に目を向ければ、非効率的なやり方で一生懸命に準備を進めている女子がいる。

 耳を澄ませば、後ろから璃奈のことについてコソコソと話している女子グループの会話が聞こえる。

 明らかにバラバラで、纏まりのないクラスメートたち。

 

 天羽璃奈は溜息をつき――改めて己の“失敗”を悔やんだ。

 

 自業自得と言ってしまえばそれまでだが、優等生の仮面を脱いでハイヒールで粉々に踏みつぶした璃奈は自クラスの文化祭の準備をサボっていた。

 全ては最愛の彼氏と少しでも長く一緒にいる為。

 嘗ての天羽璃奈とは異なり、今の彼女にとっては彼こそが()()であったから。

 

 しかし、結果的にその判断が自分の首を絞めることになるとは璃奈も予想出来ていなかった。

 

『僕のことを優先してくれているのはとても嬉しいけれど、クラスの手伝いはしっかりしなきゃダメだと思うよ?』

 

 今の状況下で彼から離れることに抵抗はあったが、しかし彼からの“指示”に従わないわけにもいかない。

 どうやら璃奈のクラスの出し物を楽しみにしてくれているようでもあったし、彼女は渋々教室に残って準備の為に手を動かしていた。

 

(次からはもっと上手くやらないと)

 

 クラスの準備をサボっていたことを反省――するのではなく、次からはある程度はやった上でサボることを決意する璃奈。

 地藤が知れば大いに嘆くだろうが、今の彼女はそういう人であった。

 

「ねぇ、璃奈」

 

 そんなことを考えながら作業を進めていたが、璃奈の能力をもってすればこんな雑事はすぐに終わる。

 完成まであと間近というところで、教室の後ろでコソコソと話していた女子グループが近づいてきた。

 優等生として振舞うことはやめたが、社交性を全て捨てたわけではない。

 璃奈は手を止めて視線をそちらへ向けた。

 

「どうしたの?」

「ごめんだけど、私たちちょっと用事あってさ、代わりにやっておいてくれない? 適当に飾り付けておいてくれたらそれでいいから」

「……」

 

 視線を後ろへ向ければ、大きな看板が真っ白な状態で放置されていた。

 どうやら、彼女たちは何も仕事をしていなかったらしい。

 

「……悪いんだけど、私も用事があるから――」

「今まで来なかったくせによくそういうことが言えるよね?」

 

 手痛いところを突かれ、璃奈は眉を顰めた。

 嘗て完璧な超人として君臨していた璃奈に対して優位に立てていることを悟ったクラスメートは、優越感に満ちた笑みを浮かべた。

 

「私たちだって予定あんのにわざわざ来てたの。なのに、自分だけずっと予定を優先するなんてズルじゃない?」

「……」

 

 面倒なことになったな、と璃奈は心の中で再度溜息をついた。

 本当は今すぐにでも彼の元へ行きたいというのに、ここで頑固に断ってしまうとまた居残りさせられるかもしれない。

 

「これはクラス皆で頑張ろうって行事なのに、璃奈だけ我儘を許されていいはずがないよね?」

 

 剣呑な雰囲気に教室中の注目が集まる。

 璃奈は仕方がない、と渋々頷こうとした。

 

 天羽璃奈を屈服させられるかもしれない。

 そう悟った女子生徒は調子に乗り、さらに彼女の弱点をつこうとした。

 ――それが逆鱗とも知らずに。

 

「また彼氏に言いつけちゃうよ?」

「今、なんて言った?」

 

 ガタっと椅子が倒れる音が教室に響く。

 どこか気怠そうだった璃奈の雰囲気は一変していた。

 椅子から立ち上がった彼女は、全身から凶悪なプレッシャーを発しながら氷のように冷たい瞳で同級生を睨みつける。

 

「ひっ」

 

 日夜悪魔と殺し合い、何度も修羅場を潜り抜けてきた璃奈が放つ殺気は堅気の人間が耐えられるものではない。

 先程まで強気だった女子グループのリーダー格は悲鳴を上げながら床にへたり込んだ。

 ガクガクと身体を震わせながら、尋常ならざる存在感を放つ同級生を見上げる。

 彼女だけではない。周りにいた生徒たちも皆、異様な雰囲気を放つ璃奈に圧倒され、身動きが取れずにいた。

 

「貴女、()()優斗君に言いつけるって言ったよね? それってつまり、貴女が優斗君に告げ口したってこと?」

「い、いや……わ、私は――」

「――答えてくれる?」

 

 言葉遣いは丁寧だが、視線は暴力的だった。

 逆らえば、殺される。

 嘗て璃奈の友人であった少女は必死に頭を縦に振った。

 

「い、言いましたぁ……!」

「そう……つまり、貴女のせいだったってことね」

 

 璃奈から発せられる圧力がさらに増す。

 無意識のうちに霊力まで発していた彼女のオーラに当てられ、立ってられずに座り込む者たちが出てくる。

 

「あ、あの……あのっ!」

 

 このままではまずい。このままいけば自分は、消される。

 生命の危機を感じた少女が必死に呂律が回らない口を動かして弁明しようとする。

 

「わ、私が言い出したんじゃなくて! あ、あの、委員長が地藤君に言えって――!」

「ちょっと静かにできる?」

 

 その一言だけで、少女は完全に口を閉じた。

 今の少女は()だった。

 恐ろしい主人に忠実な、ただの犬だった。

 

「私が知りたいことは一つだけ。――貴女、優斗君に何を言ったの?

 

 教室の空気を一声で完全に掌握した璃奈は、女王のように尋ねる。

 その冷たい瞳が言っていた。

 嘘をついたら、許さない、と。

 

「わ、わた、私は……あの、璃奈……えっと、天羽璃奈さんに文化祭の準備を手伝ってほしいと言いました!」

「それだけ?」

「それだけです!」

「何か、彼を嫌な気持ちにさせるようなことは言ってない?」

「言ってないです!」

 

 実際に、彼女は地藤に直接何かを言ってはいなかった。彼女はただ、天羽璃奈にちょっとした嫌がらせが出来ればそれでいいと思っていただけだったから。

 多少、嫌味っぽい表情と言い回しだったかもしれないが、恐怖で頭が真っ白になっている女子生徒にそこまでのことは思い出せなかった。

 思い出せたところで、今の璃奈に対しては決して口にはしなかっただろうが。

 

「そう」

 

 璃奈はそれだけ口にし、黙り込んだ。

 教室内が重く冷たい沈黙で満ちる。

 

 皆が璃奈の一挙手一投足を固唾を飲んで見守る中、ゆっくりと視線を下ろし、座り込む同級生を上から見下ろした。

 紫色の瞳の向こうで深淵が蠢く。

 

「貴女、もう優斗君に話し掛けないでもらえる?」

「あ、あの――」

「返事は “はい” 以外、要らないかな」

「は、はい!」

 

 元気よく返事をする女子生徒。

 璃奈はようやく微笑んだ。

 

「いい子だね」

 

 そっと彼女の頭を撫で――璃奈は鞄と机の上にあった紙を手に取った。

 そのまま教室の前まで行き、眼鏡を掛けた真面目そうな少女にその紙を差し出した。

 

「はい、委員長」

「あ、ありがとう……」

 

 文化祭の実行委員長を任されていた少女は微かに震える手で紙を受け取った。

 璃奈に頼んでいたのは出店で使用するメニュー表だが、文句のつけようなどないほど完璧に仕上げられていた。

 ――もっとも、不備があったとしても今の璃奈に文句を言える人間などこの教室にはいないのだが。

 

 委員長に背を向けた璃奈は再び自分の席に戻り――未だに腰を抜かして座り込んだままの同級生を上から見下ろした。

 そして、微かに首を傾げる。

 はて、()()()()()()()()()()()()()

 

 璃奈の頭脳が高速で回転する。

 彼女は必要がないからと忘却していた少女の名前を思い出した。

 

「ねぇ、美香ちゃん」

「は、はひっ!」

 

 急に名前で呼ばれ、少女は――中島美香はピンと背筋を伸ばした。

 

「ごめんね、私用事があるんだけど、あれ、やっておいてくれる?」

 

 白い指が指すところには、美香たちが璃奈に押し付けようとした何も書かれていない大きな看板があった。

 

「えっ……」

「返事」

「は、はい!」

「ありがとう」

 

 完全に調教された犬のように元気よく仕事を引き受けてくれた同級生に背を向け、璃奈は教室を後にする――前に、大事なことを思い出してドアの前で振り返った。

 

「あっ、そうだ。優斗君がうちのクラスの出し物を楽しみにしているみたいだから、絶対に成功させないといけないんだった」

 

 改めて教室を見渡す。このバラバラなクラスメートたちでは十中八九失敗するだろう。

 せっかく楽しみにしてくれていた地藤にガッカリされるなんて、そんなこと――天羽璃奈が許せるはずがない。

 かといって、璃奈が自分で動くと彼の為の時間が少なくなるから嫌だ。

 こうして嫌がらせで貴重な時間を失ったのだから、猶更だ。

 

 であれば、この()たちに働いてもらうほかない。

 

「そこの男子たち、サボってないで委員長の指示に従って動いてくれる?」

「「「は、はい!」」」

「そこの眼鏡の貴女、丁寧なのは良いことだけど、そんなにチビチビ筆ペンで塗っていても終わらないよ? 美術部からペンキとハケか、ローラー借りてきた方が良いと思うな」

「は、はい!」

「委員長、全部自分でやろうとするんじゃなくて、不得意なことは人に任せた方が良いと思うよ? 特にシフト表の作成はリーダーシップがある吉田君にお願いした方が良いと思う」

「は、はい!」

「美香ちゃん、看板終わったら委員長の指示に従ってね」

「はい!」

 

 ほぼ反射で繰り出された元気な返事を聞き、璃奈は頷いた。

 

「それじゃあ、皆よろしくね」

 

 璃奈は的確に指示だけを飛ばし、嵐のようにかき乱した教室に背を向けて立ち去った。

 

 教室のドアが閉まった瞬間、慌ただしく動き出す犬たち。

 

 彼女の後を追う者はいなかった。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 教室を後にした璃奈は駆け足で生徒会室へ向かっていた。

 

 余計な仕事から解放された彼女の心は浮足立っている。 

 

(優斗君……!)

 

 先程、彼女の恐ろしい面を目にしたクラスメートたちが今の璃奈を見れば驚くに違いない。

 喜色を滲ませながら足早に移動する彼女の表情は恋する乙女そのものだ。

 

 それもそのはず。

 璃奈にとって、今の生活は正しく“理想”そのものだった。

 

 好きな人とずっと一緒にいれる。

 同じ家に住んでいる。

 同じご飯を食べ、同じ道で学校へ向かう。

 

 これほど充実した生活がこれまであっただろうか。

 ――いや、なかったと彼女は断言できる。

 

 嘗て、母が残した呪いに縛られて生きている時もそれはそれで充実感は得ていたが、“幸せ”とハッキリ断言できるものはなかった。

 彼女は、自分の人生を――欲望に素直に生きることが出来ていなかったのだ。

 

 しかし、今は違う。確かな充実感に満たされ、天羽璃奈は“幸せ”な日々を送っていた。

 

 今日もあとは二人で家に帰ってまた幸せな日々を過ごすだけだ。

 少なくとも、この時の彼女はそう思っていた。

 

「優斗君! ごめん、お待たせ……霧島先輩?」

「……天羽か」

 

 待ち合わせ場所である生徒会室の扉を勢いよく開いた璃奈は驚いた。

 彼一人と思われた生徒会室には、あまり関わりたくない人物がいたからだ。

 

 霧島レイ。

 色々な意味で、彼女は璃奈の中で危険人物だった。

 

 彼にも忠告した通り、教会所属のエクソシストということで近づくことすら危険な相手なのだが――それ以上に、璃奈にとっては彼女の美貌の方が危険だった。

 

 自己評価が極端に低い璃奈にとって、彼女の容姿は女の憧れそのものだった。

 銀色の髪も、赤い瞳も、黄金比の肉体も、全てがゴージャスで、羨ましくて仕方がない。

 天羽璃奈もベクトルが違うだけで決して霧島レイに劣ってなどいないのだが、“隣の芝生は青く見える”という格言通り、璃奈は彼女の容姿に羨望と危機感を抱いていた。 

 

 さらに――

 

(目を逸らした……?)

 

 生徒会室に入ってきた璃奈を見た彼女がどこか気まずそうに眼を逸らしたのがどうにも気に掛かった。

 

「すまない。君の彼氏を少し借りていた」

「い、いえ……」

 

 思わず問い詰めたくなった璃奈だが、気まずそうな霧島に反し、地藤はいつも通り飄々と柔らかな表情で佇んでいるので思いとどまる。

 

「璃奈、文化祭の準備は終わったの?」

「う、うん。ちょうどキリがいいところまで進んだからもう大丈夫だけど……」

「それは良かった。じゃあ、帰ろうか」

 

 ニコリと微笑み、地藤は鞄を持って立ち上がった。

 

「それじゃあ、先輩。また明日、よろしくお願いします」

「あぁ……お前の方こそ、約束を違えるなよ」

「もちろんです」

 

 いつも通りの二人に見える。

 先輩、後輩の区別がハッキリとついていて、それ以上は決して踏み込まない関係。

 話している内容も、ごく普通のことだ。どうせ文化祭の準備のことだろう。

 だが――妙に、引っ掛かる。

 何かがおかしい。

 

 璃奈の女の勘がハッキリと警鐘を鳴らしていた。

 

「ほら、帰ろうよ。璃奈」

「うん。……お疲れ様です。霧島先輩」

「あぁ。二人とも、気を付けてな」

 

 霧島レイのどこか疲れたような微笑に見送られながら、二人は学校を後にした。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

「ねぇ、優斗君。先輩と、何を話していたの?」

 

 夕暮れの帰り道。一緒に手を繋いで歩きながら、璃奈は何でもない風を装って尋ねた。

 自身が嫉妬深い性格であることを自覚している璃奈ではあるが、それでも感情を開けっ広げに解放することは良いことではないという認識はある。

 元より己を厳しく律していた少女だ。なるべくそういう面を見せ過ぎたくないという配慮があった。

 ――なるべく、の基準は彼女の良心に委ねられているので、地藤がどう思っているかはまた別ではあるが。

 

「ちょっと、ね」

「――私には言えないこと?」

 

 己の声が低く、冷たくなっていることを自覚していながら、それでも璃奈は問わずにはいられなかった。

 地藤優斗が天羽璃奈に恋をしていることは明白だ。その逆も、もちろん然り。

 さらに天羽璃奈が美しく、一途で、才色兼備なこともまた事実だ。

 しかし、それでもまだ足りない。

 どれだけの事実を寄せ集めても、天羽璃奈は全く安心できない。

 海よりも深い嫉妬心を抑えきれず、己の彼氏を圧迫死させかねないほどのプレッシャーを無意識のうちに放ちながら回答を迫る。

 

(うわー、璃奈めっちゃ怒ってるな……)

 

 地藤は璃奈の心の動きを正確に読み取りながら、内心で少し呆れていた。

 浮気なんてするはずがないのに、自己肯定感が低すぎるせいで自分の価値を信じ切ることが出来ない。

 

「いやいや、そういうわけじゃないよ。実は――」

 

 こういった方面で璃奈が安定した状態になるには時間が掛かりそうだと思いながら、地藤は弁明をしようとした。

 しかし。今日は少し、あらゆる意味でタイミングが悪い日――所謂“厄日”であったことを彼は知ることになる。

 

「ん?」

 

 不意に携帯が振動し、地藤は首を傾げた。

 悲しい話だが、彼の携帯は滅多なことでは鳴らない。

 友達が少ない上に、最近では璃奈と四六時中一緒にいるので、彼女からの連絡もないからだ。

 

 気になり、思わず携帯をポケットから取り出した地藤は通知画面を見た瞬間に後悔した。

 

「――どうしたの?」

「えっ」

「出ないの?」

「い、いや……」

 

 地藤が動揺した空気を敏感に察知した璃奈が詰め寄る。

 普段であればやましいところなど何もないので堂々と彼女を説得できたのだが、流石にこの通話相手はまずいかもしれない。

 いや、浮気でも何でもないのだが、説明が難しいというか……。

 

「出て良いよ」

 

 紫色の瞳が真っすぐに地藤を射抜く。 

 暗に“出ろ”と言われた地藤は、あまりのタイミングの悪さを呪いながら通話ボタンを押した。

 

「もしもし、地藤です」

『……霧島レイだ』

 

 電話の向こうから少し低い女性の美声が届く。

 隣で耳を澄ませていた璃奈の目がドンドン剣吞になっていく。

 地藤は胃をキリキリと痛めながら声の主に答えた。

 

「えーと先輩、突然どうされたんです?」

『先程話していた件で少し相談があってな。お前の方にも準備がいるだろうし、私の方も色々と心の準備がいるだろうと思って――」

 

 先程まで生徒会室で二人きりだった先輩からの電話。

 そして、意味深な“準備”。

 “心の準備”

 

 ガチャリ。

 

「ん? ――って、うわッ⁉」

 

 妙な金属音を聞いた地藤は隣を見て、驚きのあまり携帯を落としそうになった。

 

『どうした地藤?』

「どうしたの? 優斗君」

「どうしたも何も――」

「電話を続けて。私は、()()()だから」

 

 そう言いながら、璃奈はいつの間にか召喚していた銀色の銃剣を人差し指でなぞっていた。

 

(いや、全っ然大丈夫じゃないから――!)

 

 悪魔を討つための神聖な武器をこんなところで召喚してしまうあたり、璃奈の我慢ゲージは相当きているらしい。

 ご用心、ご用心。

 本日、空模様は快晴ですが、午後から()()()()()()()()()()()()が予想されます。

 

『地藤? 大丈夫か?』

「どうやら、大丈夫ではなさそうです……」

『なんだと⁉ お前に何かあったら困るぞッ! お前は、私の――』

「いや現在進行形で困ってるんですって! 意味深でややこしいこと言うのやめてもらえませんか⁉」

 

 狙ってやってんのか、というほどに的確に勘違いさせそうなことを言ってくる霧島レイ。

 これがわざとならかなり性格が悪いが、地藤は良く知っていた。

 彼女のこれは、()()であることを。

 

「……」

 

 ちなみに璃奈は、ハイライトの消えた目で銀色の銃をカウボーイのように手元でクルクルと回していた。

 ヤバい。

 

「今、璃奈と一緒に帰ってるんですよ! 話はまた明日にしてもらえませんか? 璃奈にも僕の方から説明しておきますので!」

『……そうか。天羽に説明するのか。その、大丈夫か? 色々と誤解がないように――」

「アンタの発言が既に誤解を生んでるんですよ! あっ、璃奈ちょっと待って! 落ち着いて! これ、本当に全部言葉の綾だから! この人、滅茶苦茶天然な癖に言葉足らずで分かりにくいだけだから!」

『おい、大丈夫か地藤。必要であれば呼んでくれ。私はお前に従うと誓っ――』

「余計にややこしくなるだけだから一回口閉じてくださいッ‼」

 

 喋れば喋るほど事態をややこしくしていく霧島レイに頭を抱える地藤。

 彼は思い出していた。

 原作でもやっかい極まりなかった霧島レイの“天然”で“口下手”で“言葉足らず”という最悪の組合せで構成された特徴を。

 

『むっ、何やら取り込んでいるようだな。であれば、また明日直接対面で話すとしよう』

「……できれば電話を掛ける前に気が付いて欲しかったですよ」

『いや、一緒に帰るとは言っていたが、帰る方向まで一緒とは思わなくてな』

「……もう何も言いませんよ。多分、下手なことを言えばまた誤解を招きそうな言葉が飛んでくるんでしょう?」

『?』

「また明日の放課後に生徒会室で待ち合わせましょう。では、そういうことで」

『あぁ、分かった。――私との約束を違えるなよ』

 

 そして、通話は切れた。

 地藤は疲れた表情で恐る恐る隣を見る。

 璃奈は氷のように冷たい目で地藤を見つめながら一言。

 

「説明、してくれるかな?」

「えぇと、これには色々と複雑な背景があって――」

「返事」

「はい」

 

 地藤優斗は、犬になった。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

「なにやら騒々しかったな」

 

 地藤への電話を終えた霧島レイは不思議そうに首を傾げながら携帯を机の上に置いた。

 

 恐ろしいことに“天然”。

 地藤が予測していた通り、彼女には悪意など一切ない。

 ただの天然で誤解を招きそうな発言を連発し、地藤を翻弄して窮地に追いやっていたのだ。

 

 絶賛、恋人から激詰めされている地藤のことは気にせず(そもそも激詰めされていることも想像できていない)レイは制服から簡素な私服に着替えた。

 

 地藤とのやり取りで大いに疲労した彼女はそのままベッドにダイブしてしまいたいところだったが、生憎とまだ日課を終わらせていない。

 彼女は狭い家のクローゼットを開き、その奥に大切にしまっている小さな箱を取り出した。

 蓋を開けると、中には幼い少年の写真が。

 

「……ユウ」

 

 小さく呟かれたのは写真に写っている少年の名前だ。

 霧島ユウ。

 それが、霧島レイの弟の名前。

 彼女の()そのものであり、今は生きる意味でもある。

 そして、死ぬ理由でもある。

 

「あと少しだ。あと少しで、お前に償える……」

 

 声を震わせながら、物言わぬ写真に語り掛ける。

 その姿は異常だった。

 異常なまでの愛情と、罪悪感と、悲しみと苦しみに満ちていた。

 

「さぁ、今日も日課を終わらせないとな」

 

 無理したような明るい声で自身を鼓舞しながら、大事に写真を仕舞った霧島レイが立ち上がり、唐突に己の祓魔器である『斬霞刀』を召喚した。

 美しい銀色の刀身を眺めながらその切っ先を己の喉元に向け――

 

「ぐっ――!」

 

 次の瞬間、その鋭利な切っ先で己の喉を切り裂いた。

 吸血鬼といえども、痛みは感じるし、苦しいものは苦しい。

 現に霧島レイは今、限界まで目を見開き、釣り上げられた魚のように口を開きながら無様に床をのたうち回っている。

 

「かひゅッ、うー、うー、うぅぅぅぅぅぅ」

 

 およそ人間のものとは思えない、くぐもった悲鳴が小さな部屋に響く。

 助けに来る者はいない。――この部屋全体に防音と、拒絶の結界を張っているから。

 この惨状を見る者はいない。――これは、彼女だけが知る、彼女なりの贖罪であったから。

 

 暫くの間、耐えがたい激痛に苦しんでいた霧島レイだったが、彼女は半血とはいえ吸血鬼だ。

 その傷は自傷行為などなかったように完璧に塞がれ、白く、美しい喉元が復活した。

 後に残ったのは床に散らばった大量の血液と――死人のような眼で呆然と天井を眺める霧島レイのみ。

 

「……いかんな。やはり、治りが早くなっている」

 

 ポツリと呟かれた独り言は不満に満ちていて――本来であれば、もっと長い間苦しんでいたかったようにも聞こえる。

 不機嫌そうな表情でのろのろと立ち上がった霧島レイは机の上に置いていたフラスコを手に取り、床に向けてから小さく呪文を呟いた。

 地面にぶちまけられた血が波打ち、まるで生き物のように自ら動きながらフラスコへと向かっていく。

 散らばった血を全て回収し終えた時、床には染み1つ残っていなかった。

 

 己の血をあまりにも残酷な方法で抽出した霧島レイは血の溜まったフラスコを机の上に置き、さらにその上から封印の術式を刻んだ。

 

 これが彼女の日課。

 人として――いや、吸血鬼としても間違っている凶行としか言えない行為を終えた彼女はふいに、思い出した。

 

「いや、これはもうしなくていいのか」

 

 あの不気味な少年と契約を交わしたのだから、こうして彼女の血で術式の準備をする必要もない。

 ルーティンの為、特に深く考えていなかったが、今にして思えば無駄に血液と魔力を抽出しただけになったかもしれない。

 

「まぁ、いいか」

 

 目的があってしていたことではあるが、同時にこれは彼女の“贖罪”でもある。

 故に、大いになる苦痛が伴うそれを無駄とは捉えずに、霧島レイはいつものように血が入ったフラスコを仕舞おうとした――

 

 その時、不意にフラスコの中の“血”が波打った。

 

『霧島レイ』

「ッ!」

 

 彼女の異常な“日課”が終わることを待っていたかのように、唐突に低い男性の声が部屋に響き渡る。

 霧島レイはフラスコをテーブルの上に置き、すぐにその場へ跪いた。

 彼の君は“血”を媒体として現世とコンタクトを取る。

 彼女が跪いたタイミングで波打っていた血はフラスコの中を暴れまわり――小さな男性の顔を形取った。

 

「お久しぶりです。血の大公ヴォルフェンハイト」

 

 血の大公ヴォルフェンハイト。

 紅の戦君の直属の部下であり、魔界でもかなりの権力を持つ上位悪魔である。

 彼こそが霧島レイが現在、弟を復活させるために契約を交わしている悪魔である。

 

 そして――今は、その契約を断ち切ろうとしている相手でもある。

 

 彼の君はかなり気まぐれな性格の為、呼び出されるタイミングはバラバラだが、今回はそのタイミングが少し気に掛かった。

 まるで、地藤優斗と新たな契約を結んだことを嗅ぎ付けて来たかのような――

 

(いや、考え過ぎか。新しい契約を結んだからと言って、わざわざ通知などされない。それに、大公とはまだ契約を結んだ状態のままだ)

 

 ダイナミックな自殺をした後とは思えないほど冷静な思考回路で推測する霧島レイ。

 

(しかし、警戒するに越したことはないか。地藤にも今は動きが取れない故、大公には怪しまれないよう言われたばかりだしな……)

 

 過剰に反応しても怪しまれるだけだ。

 彼女はごく自然を装い、頭を垂れたまま尋ねた。

 

「本日はどういったご用件で?」

『あぁ、今日は貴様に提案があってな』

「提案、ですか……?」

 

 悪魔の提案に碌なものがあるとは思えない。

 自然と霧島レイの声が固くなる。

 それを読み取ったのか、血の大公は静かに笑った。

 

『そう固くなるな。これは貴様にとって非常に有意義な提案となるはずだ。少し、()()して欲しいものがあってな』

「回収、ですか?」

『あぁ。ただの使いだ。貴様にもこなせるであろうよ』

 

 血の大公は己の望みを口にする。

 果たして、それは――地藤優斗の持つ知識から大きく外れたものであった。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

「―――とまぁ、そういうわけで僕は霧島先輩と契約を結ぶに至ったわけなんだよ」

 

 激おこぷんぷん丸の璃奈に激詰めされた僕は、人目があるところでは話せないと彼女を説得し(ここでも少し揉めた)、何とか天羽邸へ帰宅。

 そこで彼女が納得がいくまで詳細を細かく説明した。

 

 如月メフィラと前世の知識で知った内容について秘匿する契約を結んでいるせいで璃奈には全てを話せない状況が続いていたが、僕は逆に考えた。

 今世で入手した情報であれば話せるはずだ、と。

 案の定、先輩に話させた内容であれば僕の口はスラスラと動いてくれた。

 面倒極まりないが、こういう手段を取れば今後も璃奈に誤解がないよう説明することは出来そうだ。

 

「……そう、そういうことだったんだね」

 

 僕の説明を聞き終えた璃奈は頤に手を当てて考え込んでいる。

 無理もない。

 一気に説明したので、彼女の中でも整理が必要なのだろう。

 

「でもまさか、先輩が吸血鬼で、しかも黒霧の襲撃者だったなんて……」

「驚きだよね」

 

 長々と細かい点も含めて説明をし続けたこともあり、時刻は夕方からすっかり夜になってしまっていた。

 璃奈お手製の夕食を取りながら、今回の件について改めて振り返る。

 

「でも、弟さんを蘇らせたいからって無関係の優斗君を襲うなんて……酷いよ」

「まぁ、それだけなりふり構ってられないってことなんじゃないかな。詳細はまた聞き出すけど、どうやら悪辣な悪魔と契約しているようだし、無茶な条件を突きつけられているんじゃない?」

 

 予想通り、霧島レイへの心情がかなり悪くなっている様子の璃奈に軽くフォローを入れておく。

 “契約”を結んでいるので形式的にはこちらの味方になるわけだし、ずっと心情が悪いままなのはよろしくないだろう。

 

「優斗君が納得しているなら構わないけど……でも、もう簡単に二人っきりになっちゃダメだからね」

「契約を結んだのに?」

「それとこれとは別の問題なの!」

 

 頬を膨らませながら怒って見せる璃奈。

 怒っているのは分かるが、先程のように凍えるような恐ろしさは感じない。

 良かった。全て説明することで何とか理解は得られたみたいだ……。

 

「分かったよ。先輩とは二人きりにならないようにする。電話でも言ったように、明日からは璃奈にも手伝ってもらうから、よろしく頼むね」

「うん。任せて!」

 

 璃奈は嬉しそうに微笑んだ。

 うん。やっぱり彼女には怒っている顔よりも笑っている顔がよく似合う。

 

「ありがとう。璃奈がいてくれるなら心強いよ」

「そう思うなら、今日だってあの人と二人きりになるようなことしないでよ……」

「ごめん、ごめん。でも、先輩をボコボコにした璃奈が近くにいたら絶対に近付いてくれないと思ったからさ、捨て身の策だったんだよ」

「だったら、一言相談してくれても良かったのに……」

「敵を騙すにはまず味方からっていうでしょ? それに璃奈がこの間言っていたじゃないか。“エクソシストは勘が鋭い”って」

「まぁ、言ってることは分かるけどさ……」

 

 理解は出来るが、納得はできないと言ったところか。

 本当に申し訳なく思いながら、僕はもう一度頭を下げた。

 

「本当にごめん。璃奈には色々と要らぬ心配をさせちゃったね……」

「……うん。正直、思うところはあるけれど、今回は優斗君から全部話を聞かせてもらえたからいいよ」

 

 そう言って璃奈は微笑んでくれた。

 

「ありがとう。……もう、怒ってない、よね?」

「うん。怒ってないよ」

 

 朗らかに笑いながら、璃奈は空になった僕のお椀を持って台所に行き、ご飯のおかわりを持ってきてくれた。

 

「あ、ありがとう。……ところで璃奈」

「なに?」

「どうして今日の夕飯、急に餃子に変更になったの? いや、餃子好きだし、滅茶苦茶美味しいしありがたいんだけどさ……」

 

 璃奈は一週間の献立を栄養バランスなども加味した上で前の週に完成させている。

 几帳面な彼女が冷蔵庫に張っていた献立表をしれっと見ていたので、急な予定変更に内心かなり驚いていた。

 完璧主義者な一面がある璃奈は、己の予定通りに物事を進めることを好むと思っていたから。

 

「だって、餃子が一番ニンニク使っても違和感がないと思ったから」

「ん?」

 

 どうしてここで“ニンニク”が出てくるのか。

 首を捻ると、璃奈は小首をかしげ、妖しげな笑みを浮かべて言った。

 

「――だって、吸血鬼の弱点でしょう?」

 

 ゾワッと全身に寒気が走る。

 

「えぇと……ごめん。やっぱり、先輩と二人っきりになったこと、怒ってる……よね?」

 

 怒ってなきゃこんなことはしないだろう。

 ……美味しい餃子を作って怒りを発散させようという辺り、かなり駄々甘な対応なのだが。

 

「ほら、餃子もお代わりもあるよ。食べる?」

 

 僕の問いには答えず、璃奈は貼り付けたような笑みで尋ねる。

 これは怒ってる。間違いない。

 焦った僕は食器を置き、慌てて弁明し始めた。

 

「璃奈、聞いてほしいんだ。二人きりになったのは、さっきも言ったようにどうしても先輩を誘き出す必要があって――」

「食べるよね?」

「はい」

 

 僕は、犬になった。

 

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