世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第28話:迷子

 

 空は漆黒、地は血のような赤。壁もまた真紅に染まり、全てが赤と黒だけで構成された、不気味な迷宮。

 その迷宮の中を、僕と璃奈は息を切らして全力で駆けていた。

 

「優斗君! 後ろ!」

 

 鋭く飛ぶ璃奈の声に反応し、僕は躊躇なく剣を振り抜いた。直後、背後から迫っていた亡者の首が宙を舞う。

 くるりと体を一回転させ、再び前方へ走る。先を行く璃奈の背中を必死で追いかける。

 

「次から次へと……!」

 

 苛立ちを滲ませる声と共に、璃奈の銀の銃が火を噴く。

 霊力を温存するための低出力霊力弾。

 それでも亡者たちの身体にはぽっかりと穴が空き、倒れ込んでいく。

 

「キリがないね!」

「ひとまず、逃げ場を探そう!」

 

 追撃を受けながらの状況では、作戦どころではない。

 僕たちは交互に前を見て、後ろを見て、ジグザグに曲がりくねった迷宮をひたすら進んでいく。

 

 方向感覚はとうに失われていた。

 どこまで来たのかも分からない。

 

 迷宮を攻略する上では悪手でしかないが、やむを得ないだろう。

 ここは迷宮としては破綻している、出口のない悪趣味な“檻”なのだから。

 

「――にしても、しつこいな……!」

 

 背後に目をやると、亡者の群れがまるで影のように追いすがってくる。

 一体一体は大したことはないが、数が多すぎる。

 こちらの体力には限界があるし、囲まれると面倒だ。

 

「優斗君! どっちにする!?」

 

 前方を走る璃奈が振り返りざまに叫ぶ。

 広場が見えてきていた。その先は、左右に分かれる分岐路。

 

「右!」

「了解!」

 

 璃奈は即座に右の通路へと進路を取る。

 僕も続こうとした――その時だった。

 

「おぉい! 璃奈! 優斗!」

 

 ――声がした。

 聞き慣れた声に足を止め、思わず振り返る。

 

「うわぁ……」

 

 そこには、信じられないほどの亡者を従え、必死の形相で走ってくる十六夜蓮の姿があった。

 

「助けてくれッ‼」

 

 この状況下では当然ともいえる救助要請。

 だが、僕の中には微かな違和感が生じていた。

 しかし、深く考え込んでいられるような余裕はない。

 

 僕は同じく足を止めていた璃奈に向かって言った。

 

「璃奈! 作戦変更だ!」

「了解!」

 

 細かい言葉は要らない。彼女には伝わっている。

 璃奈は即座に進路を反転し、亡者の波へ向かって飛び込んでいった。

 

 なら、僕もやるべきことは一つだ。

 

「鬼ごっこは、一旦終わりにしようか」

 

 左手の袖からも柄を取り出し、刃を出現させる。

 二刀流なんてやったことがないが、まぁ、僕は優秀なエクソシストなので何とかなるだろう。

 

 襲い掛かって来た亡者二体を同時に切り裂き、僕は璃奈と同じように亡者の群れへ突撃していった。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

「状況を整理しよう」

 

 亡者たちを殲滅した僕たちは、偶然にも再会できた十六夜蓮と喜び合うのもそこそこに、すぐに広間の地面に腰かけて情報交換を開始した。

 

「まず、この迷宮は無限に亡者が湧き続ける鬼畜マップだ。おまけに、出口を見つけるために壁に目印をつけてもすぐに修復される畜生仕様ときた」

 

 璃奈は苦い表情で頷きながら続きを語る。

 

「しかも、ジャンプして上空から状況を確認しようとしても、壁の高さを超えた瞬間に黒いノイズが走って強制的に元の場所に戻されてしまう――と」

 

 とんでもない迷宮の仕様を聞き、十六夜蓮が苦い表情を浮かべた。

 

「とんだ鬼畜仕様だな」

「全くだね。血の大公だっけ? あの小物臭がするおっさん、余計なことをしてくれたよ」

「こ、小物?」

「ん? どうしたの? 蓮君、血の大公の姿を見たの?」

「い、いや、見てないが、“大公”って名前がついているからもっと凄いオーラがある奴だと思ってたんだよ」

「名前負けだよ。あんな小物、大したことないと思うね」

 

 フン、と鼻で笑いながら言い切る。十六夜蓮は「ハハハ」と苦笑いを浮かべていた。

 

「ねぇ、優斗君。結界の柱はこの間、皆で破壊した筈だよね? なのに、どうしてこんな強力な結界が出現したんだろう?」

 

 僕と十六夜蓮の会話が終わるのを見計らっていたらしい璃奈が首を傾げながら尋ねてきた。

 幸いにも、というべきか、メフィラからの電話でその正体には気が付いている。

 

「多分、死王女様が降臨した時の結界を流用したんだと思う」

「結界を、流用……?」

「うん。霧島先輩が言っていたじゃないか。結界の柱は悪魔の“戯具”だって」

「つまり、あの時破壊できていなかった結界を改造してこの迷宮を造り上げたってこと?」

 

 流石は璃奈。理解が早い。

 

「そういうことだと思うよ」

「だけど、誰がそんなことを……あっ」

 

 璃奈の顔が嫌悪感で歪む。

 ご明察。そう、アイツだ。

 

「まぁ、そういうわけで、僕たちはアイツの嫌がらせでここに放り込まれたって感じだね」

 

 皆で一様に溜息をつく。

 目を付けられたのが不運というべきか……ここまでくるともはや、天災の類である。

 

 えっ? 今から入れる災害保険があるんですか⁉

 ……ないですか。そうですか。 

 

「優斗君の言う通り、ここが死王女様の結界なら、中に取り込まれているのは霊力を持っている人たちだけになるのかな?」

「多分、そうだと思うよ。一般の人たちがいる現世とは隔離されているはず」

 

 唯一救いがあるとすれば、この結界に巻き込まれているのは霊力持ちの原作キャラクターのみであるという点だろう。

 原作のように大勢の人間が結界の犠牲として生贄にならなかっただけでも、必死に動いてきた甲斐はあったといえる。

 

 ……まぁ、ここで僕たちが負けたら血の大公は現世に進軍し、大勢の人間が死ぬことになるだろうから、危険な状態であることに変わりはないのだけど。

 

「なら、十六夜君の妹さんも取り込まれているんじゃないの?」

 

 頑なに唯ちゃんを名前で呼ばない璃奈に女の怖さを感じつつ、十六夜蓮に視線を向ける。

 

「唯とはシフトの関係もあって別々に行動していてな。残念ながら、この世界に放り込まれる前から会えていないんだ」

 

 首を振りながら、悔しそうな、心配そうな表情で蓮は答えた。

 

「……そっか。まぁ、唯ちゃんのことは心配ないと思うよ。死王女様がついているし、何ならこの中で一番安全まであるね」

 

 敢えて明るい口調で言う。実際のところ、僕たち四人組の中で一番安全なのは唯ちゃんだろう。

 だからこそ、彼女と合流し、死王女無双を後ろから応援する係になりたかったのだが――そう簡単にはいかないらしい。

 

「多分だけど、唯ちゃんと死王女は別空間に隔離されているんじゃないかな?」

「別空間に? どうしてだ?」

「だって、強すぎるもん」

 

 強すぎるキャラは出番を与えられないって言うのが定石だし、仮に僕がメフィラなら真っ先にそうする。

 ……いや、メフィラの考えなんて分からないから、全く違う方法を奴が考えて実行している可能性もあるけどね。

 

「だから、彼女のことは心配しても仕方がないと思う。それよりも、今は自分たちのことを考えよう」

 

 脳裏にチラつくニヤニヤ笑いの悪魔をドロップキックで追い出し、話題を切り替える。

 

「蓮君は、どうすればこの迷宮から脱出できると思う?」

「……俺に聞くのか?」

「みんなの意見を聞いてみたいと思って」

「まぁ、いいけど……」

 

 十六夜蓮は困惑した表情を浮かべながらも、僕のリクエストに応えるべく意見を述べ始める。

 

「まず、俺は向こうの通路から来たんだが、亡者たちは中央に行くにつれて数が増してきたように思う」

「自分が中央に向かっているってなんでわかったの?」

「あれだよ」

 

 十六夜蓮が指さした方を見上げる。真っ暗な空が広がる中、ごく小さな赤い点が宙に浮かんでいた。

 

「目印にしていいか怪しいけどさ、取り敢えずあれは迷宮の真上にあると仮定して、あれに近づくように移動してきたんだ」

「なるほどね。流石は蓮君。頭いいね」

「あ、あぁ……ありがとう」

 

 照れたように頭を掻きながら、十六夜蓮は笑顔を浮かべる。

 

「でも、さっきも言ったように中央に近づくほど亡者の数が増えてきてさ……正直、かなり危ないところだったんだ。優斗たちと再会できて本当に良かったよ」

「こちらこそ、再会できてよかったよ。握手しよう」

「お? おぉ……なんか、ノリいいな」

 

 ニッと笑う彼と握手をし、改めて再会を喜ぶ。

 

「それじゃあ、蓮君の意見を参考にここから先の動きを考えようか。蓮君はどうするべきだと思う?」

 

 自分の意見が尊重されていることが分かり、十六夜蓮は嬉しそうな表情を浮かべながら言った。

 

「中央は避けて、端っこへ移動するべきだと思う。こういう迷宮は、だいたい端っこに出口があるものだろう?」

「分かった。つまり、()()()()()と言うことだね」

「はっ? おいおい、俺の話を――」

 

 十六夜蓮の言葉の続きが紡がれることはなかった。

 彼の心臓には――

 

 僕の剣が突き刺さっていたからだ

 

「優斗君⁉」

 

 僕の凶行を目にした璃奈が驚いた声を上げる。

 目の前にいた友人に突然剣を突き立てられた十六夜蓮は、口元から血を零しながら、呆気にとられた表情で――

 

「な、なぜだ……」

 

 疑問を口にした。

 

「なぜ、()()()()……?」

「……十六夜蓮はね、自分で助けを求めて、助けられて、笑顔で“良かった”なんて言う人じゃないんだよ」

 

 大声で助けを求められた時からおかしいと思っていたのだ。

 確かに彼も人間だ。助けを求めはするだろう。

 だが、あんな助けられて当然みたいな態度を取るなんてことはあり得ない。

 

「あと、タイミング良すぎたね。僕たちをここに引き留めておきたかったのか知らないけど、あからさますぎて逆に笑えたよ――小物さん」

「……フッ、思っていたよりも頭が切れる様だな、小僧」

 

 十六夜蓮の形をした“ナニカ”は、口の端を吊り上げ、ニヒルな笑みを浮かべていた。

 

 その歪な笑みと異質な声に、璃奈の警戒は即座に行動へと移る。彼女は一瞬で銃を顕現させ、静かに引き金に指をかけた。銃口が、蓮の姿をしたそれの額を正確に捉える。

 

 そんな彼女の反応に僕は何も言わず、ただ視線を逸らさずに“それ”の瞳をじっと見据えた。

 その奥には、十六夜蓮の持つ気配とは似ても似つかない、深く、底冷えするような悪意が渦巻いていた。

 

「一応、聞いておこうか。本物はどこにいる?」

「答えるとでも?」

 

 “ナニカ”は鼻で笑い、軽蔑を込めた声でそう言った。

 ふん、とわざとらしく息を吐きながら、視線を僕から逸らす。

 ほんの一瞬、わずかに――中央の方向へ。

 

「いや、君はもう答えたよ」

「なに?」

 

 その返しに、偽蓮は一瞬だけ目を細めた。

 まさか、と言いたげな顔だ。

 僕は構わず、ゆっくりと言葉を続ける。

 

「今、中央を見たでしょ。つまり、そっちに目当てのものがあるってことだ」

 

 あくまで推理のように、軽やかに提示する。確証など要らない。

 相手がどう反応するか――それこそが真の目的だ。

 

「……心理学というやつか。だが、人間の理がこの俺に当てはまるとでも?」

 

 そう言って、偽蓮――否、血の大公は不敵に笑う。

 だが、その声音にほんの一滴、警戒が混じっていた。

 

「確かにそれはそうだね。でも、ヒントはもう一つあった」

 

 僕は冷たい目で油断なく偽物を睨みつけながら淡々と言葉を紡ぐ。

 

「君は、僕たちを中央には行かせないように誘導しようとした。つまり、そちらへ行かれると困るということ。逆に言えば、そちらにこそ“核心”があるってことになる」

 

 ナニカの目が見開かれる。次いで、ニィっと口が裂けるような凄惨な笑みを浮かべた。

 そして、謎解きの報酬を与えるように尊大な口調で答えを口にした。

 

「なるほど、なかなかやる。とりあえず、正解だと言っておこうか。十六夜蓮は、中央へと向かっている。そうなるように誘導している」

「唯ちゃんは?」

「答えると思うか?」

 

 僕は嘲るように笑うソイツの顔をもう一度覗き込む。

 渦巻く悪意をぶつけるように真っすぐに僕を睨みつけてくる大公の眼。

 暫くの間、睨み合いが続いたが、僕は一つ頷き、納得したような表情を浮かべた。

 

「なるほど。僕の推察通り、別空間に隔離しているんだね」

 

 ソイツは驚愕に満ちた表情を浮かべた。

 

「……何故、分かった」

「いや、()()()()()()()()()

「はっ?」

「ただのブラフだったからね。今ので確信に至った」

 

 偽十六夜蓮の中にいるソイツは表情を歪めた。

 

「……貴様、なかなか性格が悪いな」

 

 つまらなそうに唇を尖らせながら暗に正解だと認めるナニカ。

 

「ありがとう。誉め言葉だと思っておくよ」

 

 肩を竦めて彼の言葉を聞き流す。

 すると、何故かそいつは驚いたように目を見開いた。

 ……なに? 僕、変なこと言った?

 

 血の大公は不思議なものでも見るような目で、ポツリと呟いた。

 

「……貴様、あれだな。メフィラ殿に似ておるな」

「――」

 

 この世界に、ここまで酷い悪口が存在するものなのか。

 ビキッと何かに罅が入る音が聞こえた。

 それは、この世界で最も温厚な僕の我慢ゲージに亀裂が走った音。

 

「――遺言は以上か?」

 

 僕はそいつの心臓から剣を引き抜き、その切っ先を右目に向けた。

 

「お、おい! なにを急に不機嫌になっておる⁉ よせ! まだ痛覚をシャットアウトしておら――」

「じゃあね。また会いましょう。鬼畜の大公」

「はっ? なんだ、その不名誉な俗名は! 鬼畜は貴様のほ――って、止せ! 止めんか! まだ痛覚――ぎゃああああああああああああああああ!」

 

 迷宮に汚い悲鳴が響く――かと思えば、唐突に十六夜蓮を模した身体は機能を停止させ、ガクンと地面に崩れ落ちた。

 

「……出て行ったか」

 

 右目にぐりぐりと差し込んでいた剣を引き抜き、擬態が解けて徐々に融解していく十六夜蓮の身体を見る。

 残念だ。もっと痛めつけてやりたかったのだが……

 

「……優斗君、今のは……」

 

 ぽつりと零された声に振り向くと、璃奈がまるで独りぼっちにされた猫のような、不安と寂しさの滲む目でこちらを見上げていた。

 しまった、と胸が痛む。先ほどのやり取りに神経を張り詰め過ぎていたせいで、彼女の存在を一瞬忘れてしまっていた。

 

「あぁ、さっきも言ったように血の大公だよ。どうやら、“プレイヤー”としてこの迷宮に参加するつもりらしい」

 

 努めて軽い口調で説明を返しているが、正直かなり危ないところだった。

 原作の知識がなければ、僕もあの小芝居にまんまと騙されていたかもしれない。

 大公はこれからもあの手を使ってくるだろう。

 さらに厄介なのは、()()()()()()()()()()()()()()ということで――

 

「ん?」

 

 考え込む僕の手に、そっと温もりが加わった。

 璃奈が手を繋いできたのだ。

 

「璃奈……?」

「……良かった。優斗君は本物だ」

 

 いやいや、手を握るくらいで見破れる擬態じゃないって。現に、僕は十六夜蓮と握手をしても分からなかったし――と言おうとしたが、出来なかった。

 

 瞳に宿る揺らぎが、心を刺す。

 彼女の言葉が冗談でも、茶化しでもないことはすぐに分かった。

 

 僕はしっかりと頷いてから、短く言った。

 

「当たり前じゃないか」

 

 璃奈は俯き、小さく唇を噛んだ。

 そして、ほんの少し、声を震わせながら本音を吐き出した。

 

「ごめんね、ちょっとでも疑うようなことをして。でも、さっきの優斗君は……何だか、別人みたいで……」

 

 そこにあるのは、怒りでも嫉妬でもない。

 ただ、遠くへ行ってしまうのではないかという、不安だった。

 

「最後には、優斗君がどこか……遠くに行っちゃいそうで――」

 

 そんな彼女の不安を包み込むように、僕はもう片方の手で優しく璃奈の手を包み、真っ直ぐに答えた。

 

「どこにも行かないよ」

 

 瞳を覗き込み、しっかりと言葉を重ねる。

 

「僕は、どこにも行かない。璃奈と一緒にいる。――ずっと、ね」

 

 璃奈の目に浮かんでいた迷いが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。

 けれど、迷宮の中で足を止めていられる時間はあまりにも少ない。

 

 それは璃奈も分かっていたのか。

 力強く微笑んだ彼女は、すぐに表情を切り替えて真剣な表情で問い掛けてきた。

 

「これから、どうするの?」

 

 僕は少しだけ考えた後、顔を上げて迷いなく答えた。

 

「中央に向かおう。――蓮君が危ない」

 

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 地藤優斗が予見した通りと言うべきか。

 

 十六夜蓮は現在、苦境に立たされていた。

 

「ハッ、ハッ、ハッ、……!」

 

 息を切らせながら走り続ける。チラリと後ろに視線を向ければ、ゾンビのように続々と迫りくる亡者たちの群れが追従してきている。

 

「クソっ!」

 

 十六夜蓮は毒づきながら足に力を込め、怪物どもを振り切るために訳も分からぬ迷宮の中を疾走する。

 亡者はそこまで強くないが、複数体に囲まれてしまえば蓮に勝ち目はない。

 今は逃げに徹する他ないだろう。

 もう順序なんて欠片も覚えていない迷宮の中をジグザグに進む。

 

 そういえば――

 

 この世界に脚を踏み入れてから逃げてばかりだな、と蓮は思った。

 

 訳の分からない悪魔に襲われ、天羽璃奈に助けられるまで夜道を逃げ回っていた。

 妹を助けるために天羽璃奈と一緒に病院に突撃したものの、死王女に勝てないと悟り、助けを呼びに行くという名目で逃げ出した。

 

 どれも十六夜蓮に非などないが、それでも彼は肝心な場面で逃げ回ることしか出来ない自分を恥じていた。

 

 せめて、戦う為の力を手に入れたい。

 悪魔に狙われる程度には素質はあるようなのだから、鍛錬をしたいと思っていたこともある。

 だが、蓮がエクソシストとしての力をつける――即ち、悪魔である自分と敵対することになる唯の泣き顔を見て、何も手を付けないままズルズルと日常を謳歌していた。

 

 その結果が、これだ。

 

 結局のところ、十六夜蓮は十六夜唯に守ってもらわなければ何もできないのだ。

 一人では何もできず、ただ無様に逃げ回ることしか出来ない。

 

 情けない、と蓮は自身を罵倒した。

 守られてばかりじゃないか、と自嘲する。

 

 唯に反対されようと、彼女と敵対しなければいいのだから、自身で説得して無理やりにでも鍛錬をつけてもらえば良かったのだ。

 そうすれば、少なくとも今よりは戦えていたかもしれない。

 だが、そうしなかった。

 何故なのか。

 

 考えた時、蓮の頭に浮かぶのは悲しみを背負った一人の天使のような少女で――

 

「ッ!」

 

 考えながら足を動かしていた蓮は、突如足を止めた。

 背後から迫ってきていた亡者の軍団が、前方にも出現したからだ。

 

(クソっ! 挟まれた……!)

 

 急ぎ方向転換しようとするが、蓮が迷い込んだ場所は直線の通路であり、逃げ込める先はもうない。

 万事休す。蓮は前方と後方からジリジリと詰め寄って来る亡者軍団を前に、歯嚙みしながら拳を握り込んだ。

 今の彼には天羽から譲り受けた短剣すらない。素人の徒手空拳でどこまでやれるものなのか。

 

「……それでも、やるしかねぇだろ」

 

 その身が世界の滅亡に繋がるほどの重要人物であるという自覚もなく、彼は己を矮小な一人の人間であると認識した上で、絶望的な状況に挑むべく顔を上げる。

 地藤優斗がその光景を見れば、あまりの眩しさに目を覆っていたに違いない。

 正しく黄金の精神というべき少年だがしかし、どれほど心が強かろうとも、相応しい戦闘能力がなければ呆気なく現実に敗れ去るだろう。

 

 事実、十六夜蓮にこの亡者の軍団を倒せるだけの戦闘能力はない。

 諦めずに顔を上げる彼は、数の暴力という圧倒的な現実を前に今度こそ絶望する他なく――

 

「――いやだから、それはダメだって」

 

 涼やかな声が響く。

 次の瞬間、蓮に迫っていた亡者五体の首が飛んだ。

 

 だが、亡者は五体に留まらない。

 狭い通路を押し合いながら集団となって殺到するが――

 

「優斗君に近付くな」

 

 マシンガンのように殺到した翡翠色の光に撃ち抜かれ、瞬く間に塵と化した。

 先程まで絶望的だった状況が一変する。

 十六夜蓮の前に亡者の姿はなく、変わりに二人の男女の姿があった。

 

 地藤優斗と、天羽璃奈。

 

 背中合わせに立つ彼らの姿はお互いへの信頼に満ちており――

 同時に、それぞれの武器を手に佇む姿はどうしようもなく絵になっていた。

 ズキン、と蓮の胸に痛みが走る。

 

「大丈夫? 立てる?」

 

 奇しくも、病院で出会った時と同じ台詞を言いながら衝撃で尻もちをついていた蓮に地藤優斗が手を差し伸ばした。

 

「あ、あぁ……ありがとう」

 

 胸の痛みの正体に気が付かぬまま、蓮は彼の手を取って立ち上がる。

 地藤は安堵したような笑みを浮かべた。

 

「いやいや、こちらこそ生きていてくれてありがとうだよ。はぁ、ギリギリ間に合ってよかったぁ……!」

 

 余程、蓮が生きていたことが嬉しいのか、感激した様子で彼の手を取って両手でブンブンと握手を交わす地藤。

 思いも寄らぬ激烈な喜びように引く蓮だが、一方で地藤に追従してきていた天羽璃奈は彼に手を握られている蓮をじーっと睨みつけていた。心なしか、妬ましそうな視線で。

 

(いや、なんで俺が璃奈に嫉妬されなきゃいけないんだよ⁉)

 

 訳の分からない状況に混乱し、素直に生き残ったことを喜ぶ暇もない蓮。

 何とか迷宮の中で再会できたことを喜び合う三人だが、ここは血の迷宮。

 簡単に息つく暇を与えてはくれない。

 

「ッ! 優斗君!」

「ちょっと一か所に留まったらこれか……厳しいね」

 

 璃奈が緊迫した声を発しながら銃を構える。

 地藤は柄から刃を出現させながら、溜息をついた。

 

「蓮君、もうちょっとだけ走れる?」

「あぁ、ちょうど運動不足だったんでな。余裕だ」

「頼もしいね」

 

 肩で息をしている姿を見れば虚勢だということがすぐに分かるが、地藤はその強気な姿勢を受け入れた。

 

「じゃあ、二人とも。少しランニングと行こうか」

「「了解!」」

 

 璃奈が銃を構える。

 威勢よく返事をした蓮は拳を構え――自分では何も出来ないことを悟り、恥じ入るように静かにその拳を下ろした。

 

 地藤優斗と天羽璃奈が勇猛果敢に亡者の群れに斬り込み、迷宮に道を切り開いていく。

 十六夜蓮は走りながら、その背中を目に焼き付けることしか出来なかった。

 

 悔しさと鬱憤が、泥のように心の中に沈殿していく。

 

 十六夜蓮の心境を正確に測れるものは、この場には居なかった。

 

 彼自身も含めて――

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 霧島レイは現在、黒霧となって迷宮内を高速移動していた。

 

 空気を切り裂くような音も、足音すらもない。ただ静かに、しかし確実に、彼女の“霧”はこの不気味な空間を縫うように進んでいく。

 

 道中、死臭を撒き散らす亡者たちが、何かを感じ取ったのか彼女の進路に手を伸ばす。しかし、無駄だ。霧である彼女に物理的な干渉は不可能。亡者たちは指先を虚空に突き立てたまま、彼女の気配を見失っていく。

 

 この霧の状態こそ、彼女にとっての最速かつ最強の移動手段。

 本来ならば、この速度で迷宮内を移動していれば、とっくに目的の人物――地藤優斗、天羽璃奈、あるいは十六夜蓮の誰かに遭遇しているはずだった。

 

 だが。

 

「……どうなっているんだ、この迷宮は」

 

 霧から実体化したレイが眉を寄せた。

 迷宮へ突入する前、上空の特等席から三人の位置は確かに把握していた。彼らがいる方角を記憶し、その頭上に浮かぶ赤い星を目印に進んでいたため、少なくとも片方には接触して然るべきだった。

 だが、どれだけ進んでも、誰一人として見つからない。

 

「まさか……構造が変化しているのか?」

 

 目を細め、周囲を観察する。視界に映る範囲での地形変化は見られない。

 だが、もし視界外で、定期的に迷宮の通路や壁が入れ替わっているとしたら?

 例えば、5分前にあった右の通路が、今は壁に変わっている。代わりに、左に新たな通路が出現している――そんな仕掛けが存在していたとすれば、彼女の進行が空回りしている理由にも合点がいく。

 

「……厄介な遊戯だな」

 

 疲れたように首を横に振り、再び黒霧に変じようとしたその時――

 

「……むっ」

 

 視界の先に、亡者ではない人影が見えた。

 

 キョロキョロと焦燥に駆られた表情で辺りを見渡している一人の少年。

 顔面蒼白で、余裕がなさそうな彼の視線が、不意にこちらを向く。

 

 交わる両者の視線。

 

「「―――」」

 

 次の瞬間、両者はほぼ同時に駆け出した。

 霧島レイは銀の刀を抜き放ち、優雅な軌道で斬り込む。対する地藤優斗は懐から剣を抜き、寸分の狂いもなくそれを受け止めた。

 

 ――金属音が爆ぜた。

 

 深紅に染まる空間に、火花のような衝突音が響き渡る。

 黒眼と赤眼、剣と刀が交わる鍔迫り合い。

 

「ここで貴様と会うとはな。地藤優斗」

「……」

 

 刃の向こう側から、複雑そうな表情で再会した後輩の名を呼ぶ霧島レイ。

 常の余裕を失った様子の地藤優斗は、ある意味で元凶ともいえる少女を睨みつけ――

 

「璃奈じゃない。チェンジで」

 

 最高に失礼で、最高に冷たい一言を吐き捨てた。

 

 

 

 

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